えむえいぴいのかわら版(M.A.P.after5 というブログの御説明)


 ●M.A.P.after5は、株式会社M.A.P.のブログです。
 ●現在、M.A.P.after5は旧ブログから引越し作業中です。

旧ブログ引越し中
  • 旧ブログの全ての記事を、この新ブログへ移しました。しかしテキストを単純に移行しただけなので、レイアウト等が整っていません。只今修正中。
  • いまだ殆どの内部リンクが旧ブログに飛ぶようになっています。
  • 旧カテゴリが新ブログのシステムと整合が取れないため、古い記事から順番に、設定し直しています。

  • ●M.A.P.after5の記事は、主にM.A.P.代表の高山正樹と、時々M.A.P.の影のボス宇夫方路が書いています。

    ●M.A.P.after5の記事の投稿順ではありません。
    記事の並び順は投稿順ではなく出来事の日付順になっています。
    また投稿した記事の多くは「暫定投稿」で、後日それに追記したり改稿したりして記事を完成させます。時には、一年前の記事に追記したり新規投稿したりする場合もあります。
    そのため、投稿された記事や更新された記事がどこにあるのかわからないという申し訳ないブログでした。今までもそれを解決するために色々と試してきましたが、なかなかうまくいきません。
    そこで……

    ブログの更新情報はツイッターでお知らせすることにしました。
    @MAPafter5のツイッターで更新情報をリアルタイムにツイートします。
     ※M.A.P.が管理する全てのサイト・ブログの更新情報をお知らせします。
    ●過去の更新情報は@MAPafter5のツイログで確認して頂くのが便利です。
     ※#MAPBlogのタグ付きツイートが、M.A.P.after5の更新情報です。

    ●また、最近の主な記事の更新情報を、次項でお知らせします。

    【最近更新した主な過去の記事】

    いまだ字幕作成作業中(最後の足掻き2)

    明日から「喜多見と狛江の小さな映画祭+α」が始まります。
    今回、全作品を日本語字幕付きで上映するという挑戦をしています。

    実は、明日10時から上映する大林宣彦監督の「あの、夏の日 とんでろじいちゃん」の字幕が完成していません。
    映画からの文字起こしはだいぶ前に終わっていたのですが、それをサブスクリーンに映す画像が、まだ完成していないのです。

    なるべくメインのスクリーンを見て欲しい。そのために、台詞をどこで切って映せばいいのか。

    耳の聴こえない方は、字幕を読むスピードが、いわゆる健常者よりも慣れているので早いと聞きました。だから、我々が字幕を楽に読み切れるくらいであれば、耳の聴こえない方はそれで画面も見ることが出来るだろうと。
    とはいうものの、登場人物が喋っていない時は字幕もないというふうにしたい。その寸法に収めると、字幕を読むのに慣れていても、長すぎる場合が出て来る。その時は、役者さんが語る台詞のママではなく、省略しなければならない。洋画なら、むしろ楽、違う言語なので、ピッタリくる言葉を探せばいいわけですが、日本語を短い日本語にするのですから、どうしてもあまり変えるわけにはいかない。
    台詞と台詞の間のちょっとした間、そこに黒味を入れるか入れないか、実に悩ましいのです。

    さらに「あの、夏の日 とんでろじいちゃん」は、全編ほとんど尾道弁です。耳の聴こえない人にとって、それをそのまま文字起こしした方がいいのか、いわゆる標準語に変換したほうがいいのか。

    まずは標準語で起こしてみました。でも今回は、尾道弁のママ、聞こえる音のママを字幕で表示しようということになりました。今、それを変換しながら、同時に字幕の長さも決め、黒味を入れたりして完成品を制作しているのですが、尾道弁の「にゃあ」とか「てゃ~」とか、なかなか聞き取れず、困難極まれりなのであります。

    もしかしたら、この作品が一番大変かもしれません。

    ここまでやって、はたして耳の聴こえない方が来てくださるのかどうか、全く見えません。今のところ、耳の聴こえない方からのご予約はありません。というか電話での御予約が難しいので、メールということになるのですが、そこに「聴覚障がいです」と明記されることはあまりありませんから。

    字幕を期待して来られて、それが分かりにくいものだったらどうしよう、初の試み、今からドキドキしています。

    何事も一歩一歩、そんな甘えを当事者の方が許してくださるのかどうか、泣いても笑っても、あと12時間後には上映が始まっています。

    初日は、手話通訳の出来る実行委員が会場に詰めています。それで、簡単な開幕の挨拶もさせて頂こうと思っています。
    どうぞ皆様、私たちの挑戦を、是非とも見届けに来てください。よろしくお願いします。

    第五回 喜多見と狛江の小さな映画祭+α 上映作品1
    「あの、夏の日 とんでろじいちゃん」(123分/1999年)

    西河原公民館 ホール
    9時半開場 10時Start
    前売り 1,000円(当日1,200円)
    ※介助の方と御同伴の場合は、お二人で一人分の料金
    ※高校生以下・学生及び75歳以上 前売り 500円(当日700円)
    会場にいらっしゃる前にご連絡いただければ、前売扱いとさせていただきます。
    090-1651-6312(うぶかた携帯)

    といっても、耳の聴こえない方は、電話ではご予約いただけないのだけれど…

    連載エッセイ風宣伝文(最後の足掻き1)

    喜多見と狛江の小さな映画祭+α 2017
    いよいよ明日開幕です。

    そこで…
    最後の足掻きです。

    スケジュール

    少し(だいぶ)長いけれど、読んでください。

    初日20日の日曜日は西河原公民館3階の多目的ホールにて。
    この日のテーマは「夏休みの一日」です。

    最初のプログラム(10時~)は「あの、夏の日 とんでろじいちゃん」、大林宣彦監督の作品です。尾道シリーズ全6作品の最後、大林監督は、この作品で初めて尾道弁を使いました。自前の字幕は、その尾道弁をそのまま文字起こししています。
    「目に見えるもんが見えんで、見えんもんが見えることがある。どうしてじゃろうのう」
    「橋が出来ると人は海を忘れる。海を忘れないためにも、橋に感謝することを忘れないためにも、元気な者は、島まで泳いで渡らなければならん」

    なんとも今回の映画祭を暗示するようなセリフです。
    おじいちゃんは最後に「お前に孫が出来たら話してやるんだぞ」という。なぜ子どもではなくて孫なのか、そもこともずっと僕の頭の中に残っています。
    最後に、この映画に向けた大林監督のメッセージをご紹介します。
    「20世紀を生きたおじいちゃんと、21世紀を生きるこどもたちに、この映画を捧げる」
    是非、ご家族でお越しください。そして夏休みの一日、いつまでも心に残る思い出を作ってください。
    なお、この作品は、23日(水)に喜多見駅徒歩6分、甘味処わらびーでも上映されます。
    わらびーは訪問介護の会社が、誰でも集まれる場所を作りたいとはじめられたお店です。車椅子の受け入れOK、トイレも大丈夫です。車椅子が上がれないM.A.P.にとって、今後わらびーさんとは、是非お付き合いをさせて頂きたいと思っています。
    皆さんのお越しをお待ちしています。

    20日(日)夏休みがテーマその2。
    特別企画“夏休み こどももおとなもみんなで食堂”!
    「あの、夏の日 とんでろじいちゃん」(12時過ぎ終了予定)と、18時からの「二十四時間の情事」の間に同会場で開催されます。
    この企画は入場無料です。
    どうしてこんな企画が立ち上がったのか、要するに、上映可能なちょうどいい夏休みの映画が見つからなかったのですが、でもせっかくだから何かをと、最近狛江で始まったいくつかの「食堂」(…といっても通常の飲食店ではなく、ここから先がなんとも説明しにくいのですが、参加してくださる団体さんが作ったチラシによると「食堂系ボランティア団体」)に、何かおやりになりませんかとお声を掛けたら、たくさん集まってくださいました。
    「月末食堂」
    「ごはん+居場所 おかえり」
    「みんなの居場所」
    「こどもの多摩里食堂」(有志)

    そしてそれらの団体さんのいくつかに食品を提供されている「フードバンク狛江」さん。
    当然、老舗の「狛江子ども食堂」さんにも声を掛けました。でもさすがにNPO、すでにこの時期たくさんの活動されていらっしゃり、また、理事会等にはからなければいけないとのことで、今回は残念ながら参加は叶いませんでしたが、応援してくださっています。
    映画を見た後(見なくても)、おいしい「天ぷらそうめん」やクレープが食べられるらしい。子供は無料、大人は実費程度とのことです。
    そして会場では、いくつかの楽しそうなパフォーマンスがあります。
    その中で、大道芸をやってくださる星野りゅーたさんをご紹介します。りゅーたさんは、​幼少期から音のない世界で健常者と共に育ち、補聴器から入るかすかな音と口の動きを読み取る読唇術でコミュニケーションをとるという方です。
    今回の映画祭は、なんだかんだ聴覚障がいに関わることがいっぱいあります。しかし、だからりゅーたさんのような方を選んでお願いしたというワケではありません。それはほんとに偶然の出会いなのです。なんだかとっても不思議なんだなあ。
    そういうわけで、色々満載の“みんなで食堂”、映画祭のスタッフもとても楽しみにしているのです。
    ちなみに、会場では食堂スタッフ一同、首から筆談ボードをぶら下げて、耳の聴こえない方にも一生懸命対応しようと思っています。またそれでは対処できない場合、手話通訳の出来る頼もしい方が映画祭の実行委員におりますので、いつでも飛んでいきます。
    そんなわけで、映画を見た後や見る前に(見なくても)、どうぞお気軽に遊びに来てくださいね。

    “夏休みの一日”最後のプログラムは18時スタートです。
    邦題「二十四時間の情事」、いったいどうしてこんな題名にしたのでしょう。きっとずいぶん勘違いして映画を見に来た人たちがいたんじゃないかなあ。
    原題は“Hiroshima mon amour”です。なので多くの日本の方々は「ヒロシマわが愛」とこの映画を呼びますが、今回その名前で告知しようと思ったら、配給会社からストップがかかりました。あくまでも正式な邦題は「二十四時間の情事」なのだそうです。
    個人的な話なのですが、ホントに懐かしい映画。ずっと「好きな映画だよ」と誰彼に伝えていたのですが、今回30数年ぶりにあらためて見て、ふーん、こんな映画だったっけなあという感慨がありました。
    ウチの映画祭でも上映した日本映画「ヒロシマ」の映像が使われています。当時、そんなこと気にしていなかった。
    映画の冒頭で、こんなセリフが語られます。
    女「私は広島を見た」
    男「君はなにも見ていない」

    もしかすると僕も、当時見たのだけれど、しかし実は何ひとつこの映画の本質など見えていなかったのではないかと思うのです。
    きっと昔見たという方もたくさんいらっしゃるに違いありません。どうですか、今一度、この懐かしき名作を見て、過去を確かめてごらんになりませんか?
    この作品は、26日(土)の14時半から、M.A.P.でも上映します。こちらでは、お酒でも飲みながら、いかがですか?
    因みに、この作品は基本フランス語の映画なので、字幕付きです。文字起こししたのは、殆ど、ラストの日本のおばあさんと男の会話だけでした。

    初日から二日の間をおいて、23日(水)が2日目です。

    2日目の10時半から「FAKE」
    私事ですが、この映画の主人公である佐村河内氏のゴーストライター新垣氏、その師匠である中川俊郎氏は知り合いです。実はその中川氏に、「FAKE」の上映会でゲストに来てもらおうかと思って打診をしました。答えは、もし新垣氏が弟子でなかったら、面白いねと参加したかもしれない。しかしやはりこのナイーブな問題を、弟子の新垣氏が日本の音楽界にとって貴重な宝であると信じるがゆえに、気軽に話すワケにはいかないのですと、丁重に断られました。
    そのかわり中川氏は、新垣くんの事務​所からこの映画に対する公式な見解が出ているよと教えてくれました。
    映画「FAKE」に関する新垣隆所属事務​所の見解
     ⇒http://www.takashi-niigaki.com/news/576
    いずれにしろ、ウチの映画祭は、どんなドキュメンタリーでも盲目的にその作品の「真実」に加担することはありません。それこそ我が映画祭の重要なポリシーです。
    上映後、いくつかのことをお話したい「ネタ」があるのですが、もし聴覚障がいの方が来られた時、この日も、二回目の上映の8月25日(金)の19時にも、手話通訳をお願いする方が見つかっていません。どちらも会場はM.A.P.です。
    なんとか筆談等で対応しようとは思っているのですが…
    もしボランティアで手話通訳をお願いできる方がいたら、是非ご紹介ください。

    14時からは「天皇と軍隊」です。そしてこの作品は、最終日(27日)の最終プログラム(18時から)でもあります。〆は、元一水会最高顧問の鈴木邦男氏のトークです。
    鈴木氏はこの映画にも出演されているのですが、以下のようなにコメントされています。
    「1970年当時は愛国心だとか憲法改正とか天皇の問題とかそういうことを語るのは少数派でした。現実問題として三島由紀夫さんは、憲法改正を訴えるために死んだわけですから。憲法改正ということは、タブーだったし言えなかった、ですから命を懸けて言わなければならないテーマだった」
    右翼とか左翼とか、そんな分け方は、世界が単純だった冷戦時代ならば有効だったのかもしれませんが、もうそんな時代ではなくなりました。にもかかわらず、いまだ右翼っぽい人がいたり、左翼っぽい人がいたりする。その左翼っぽい人たちは、天皇制について云々するのは今だにタブーだと言います。天皇制反対などと言おうものなら、右翼が街宣車でやってくると憤ります。でも、鈴木さんに言わせれば、憲法改正を主張することもタブーだったということになる。その原因は、左翼っぽい人たちの「憲法改正絶対反対」という原理主義ではなかったのか、そしてそれは今も続いているのではありませんか?それは「天皇制を議論することのタブー」と、どこが違うのだろうか…
    …なんてね、こんなことをこうして語ってしまう僕は、もしかすると右翼っぽい人なのかもしれない。なんだか危ないなあ、大江健三郎の「政治少年死す」みたいだ。
    でも、こんな映画祭を主催している僕のことを、ありゃ左翼だとレッテルを貼っている人がいっぱいいるはずです。
    つまり、申し上げたいことは、世界はさほどに単純ではないのだということです。どうでしょうか、右も左も前も後ろも、みんな同じ地平に立って、この複雑な現代と、それに続く未来の在り方について、一緒に考えてみませんか、色々と。

    2日目の19時は“わらびー”にて「あの、夏の日 とんでろじいちゃん」(前掲)

    三日目24日(木)は一日中央公民館での開催です。

    10時から「第九条」です。
    実はこの映画、ある友人から是非とも若い人たちに見てもらいたいから映画祭でやってくれないかと頼まれた作品なのです。でも新しい映画でもあるし、ちょっと難しいと思うよと伝えました。
    「監督の名前も正樹だから大丈夫だと思う」とか言われて、じゃあまあダメ元で、と聞いてみたのです。そしたらトントンと話が進み、上映できることになりました。
    しかしねえ、「若者に見せたい」ねえ、そこがなかなか難しい。今の若者は忙しい。それから、お金もあんまり持っていないみたいで、アルバイト、大変そうです。
    どうしてなんだろう、僕だって学生時代はアルバイトしていたし、でも一日中北海道の草っぱらに横になって空を見ていたり、けっこうヒマだったような気がする。
    というわけで、この日の上映以外に、何とか一番集客できそうな枠、26日の土曜日ラストの上映を決めました。終わってからも話す時間があるように、18時というちょっと早めの時間設定。会場はM.A.P.です。でも、今のところ若者からの反応はありません。
    話を戻しましょう。この映画をやりたいと言った友人が車椅子ユーザー。なので、一回目の上映を、車椅子受け入れOKの狛江市中央公民館の日にしたのです。
    ところが…
    友人に怒られました。
    「そんな早い時間に行けるか!」
    そうか、朝の人の多い時間、世田谷線に乗って、小田急線に乗って、10時なんて時間に到着するなんて、命懸けだって。いやいや気がつかなかった。初日、夏休み企画に拘らなければ、そこで出来たのだけれど後の祭り。ひとつひとつ勉強です。
    「あれ、だけどさあ、●●さん、あなた映画もう見たんでしょ、だから見なくてもいいんじゃない? 上映が終わった頃に来て、話し合いに参加すればいいんじゃないの?」
    「あ、ホントだ、目からウロコ」

    というわけで一件落着。
    でもねえ、若い人たちに見せたかったんだよねえ。若者、来るのかなあ…
    この映画、「天皇と軍隊」と較べると、ある意味ものすごく分かりやすい。というか、憲法第九条改正の賛成派と反対派との、今でもホントにありそうな議論を、若い俳優たちが再現しています。あらためて憲法第九条を理解するには絶好の作品です。その意味ではホントに若者にお勧めです。
    また、少しでも「九条」について考えたことのある人ならば、きっと自分の意見に近い登場人物が発見できるはずです。
    敢えて言うとね、ちょっとステレオタイプで、少し浅い議論だなということ。そのことを、冷静に認識してみるのも面白いと思う。たぶん、この議論では出口は見つからない。その意味では、若い人だけではなく、ずっと「運動」をやって来た方々にも見て欲しいと僕は思います。
    そしてできることなら、「天皇と軍隊」と、併せて見るのがすごく面白いのではないか、そう思うのです。
    ああ、しかし、「天皇と軍隊」の上映会場は、二日とも車椅子に対応していないM.A.P.だ、また●●さんに怒られるよう…
    なお、24日は、手話通訳の出来る実行委員さんがいらっしゃます。ああ、なかなか「みんなで」を実現するのは難しいです。忸怩たる思い。

    13時からはいよいよ「フリークス」です。
    佐村河内氏を追った「FAKE」が、他者から最も分かりにくい「障がい」を扱った映画であることに対して、この「フリークス」は、敢えて言えば最も分かりやすい障がいを持った人々の話です。
    「FAKE」のポスターでは、「ドキュメンタリー」という言葉と、「出演」という言葉が、意味深に強調されて並べられています。
    一方、この「フリークス」は、当時のサーカスや見世物小屋のスターたちが文字通り演技をしているわけですが、その「異形」の姿は、まさに真実、ドキュメントなのです。
    今の日本、外形からはっきりと障がいと分かる人たちを差別してはいけないというモラルは、少なくともルールとしては共有されてきました。しかし、分かりにくい障がいに対する理解は、はたしてどれほど進んでいるのでしょうか。そんな意味でも、「フリークス」と「FAKE」も併せてみていただきたい作品です。
    《フリークスに出演しているスターたち》
    ハンス(小人症):ハリー・アールス
    フリーダ(小人症):デイジー・アールス
    ロスコー(吃音症):ロスコー・エイツ
    シャム双生児:デイジー&ヴァイオレット・ヒルトン
    骨人間(るいそう):ピーター・ロビンソン
    ひげの濃い女性:オルガ・ロデリック
    半陰陽者:ジョセフィーヌ・ジョセフ
    クー・クー(ゼッケル症候群):クー・クー
    ジップ(小頭症):エルヴァイラ・スノー
    ピップ(小頭症):ジェニー・リー・スノー
    シュリッツ(小頭症):シュリッツ
    ハーフボーイ(下半身欠損):ジョニー・エック
    腕の無い女性:フランシス・オコナー
    生けるトルソー(手足欠損):プリンス・ランディアン
    アンジェロ(小人症):アンジェロ・ロシェット
    鳥女:エリザベス・グリーン

    このスターたちの連名は見て、ボクは何故か、津久井やまゆり園の被害者たちのお名前が公表されないこととを思い出しました。
    以下、ブログの告知文から転載します。
    「この映画を上映プログラムのひとつに選んでいいのかどうか、実はかなり悩んで、色々な人に相談しました。障がいを持った人たちの中には、嫌悪感を抱く方々もいるだろうという話も伺いました。
    しかし、ボクはこの映画を見終わった時、フリークスのスターたちが親しい友達のように私の心の中に残っていることに気付きました。上映して構わない、いや上映すべきだと、その時、思ったのです」


    16時からは、今井ミカ監督の作品を上映します。
    ようやく本日、ブログの告知記事が決定稿になりました。
    当初予定していた「あだ名ゲーム」「食べる。」に加えて、「100ページ目の告白」という作品も上映することになりました。
    <あらすじ>
    ろう者の悠斗は、初めての聴者の恋人・結美とのコミュニケーションに悩んでいた。一方、結美は筆談で充分だと思い、手話の必要性を感じてはいなかった。ある日、悠斗の家に泊まった結美は、彼の寝言ならぬ「寝手話」を目撃する。「手話で話がしたい」……。
    ろう者が常に感じる、聴者とのコミュニケーションの難しさを、自身もろう者である今井ミカが真撃に向き合った力作。

    今回、手話通訳について、色々と悩みました。
    これまでの経緯をブログに別途記事にして報告しました。そこから抜粋してここに転載します。
    ひと口に手話と言っても、日本の手話には日本語と同様に様々な方言があります。そのことは前から知っていました。しかしそれとは別に、元々ろうの方々のコミュニティーの中で生まれ、日本語とは全く違う文法体型をもった「日本手話」というものがあり、それは我々がよく知っている日本語の語順で手話単語を並べた(つまり日本語が出来る人たちにとってわかりやすい)手話を「日本語対応手話」とは別物だということを、今回初めて知りました。
    今井ミカ監督にとっての第一言語は、日本語ではなく「日本手話」なのです。「日本語対応手話」(イコール「日本語」ということですが)もお出来になりますが、苦手だと伺いました。だから、自らの思いをきちんと伝えるためには、やはりトークは「日本手話」で話したい、そんな思いがおありなる。当然のことですし、真摯に上映会のことを考えてくださっているわけですから、有り難いことです。
    (中略)
    (手話通訳について)切実な問題として、お金のことがあります。ただ、トークの時間だけお願いするなら捻出できないという金額ではありません。でもそのためには、上映が終わった頃においでくださいということになる。確かに、通訳の方のことを、情報保障するための道具だと割り切ればいいのかもしれない。そしてむしろ手話通訳の方々は、プロとしてそれこそを望んでいらっしゃるのかもしれません。お客様の中に、手話通訳が必要とされている方がいてもいなくても、プロの仕事として通訳をして帰る。
    でも、我々はそこでハタと立ち止まってしまうのです。
    たとえ聴覚障がい者がいなくても、こうした催しには必ず手話通訳をつけるということの社会的な意義も十分理解しているつもりです。それでも考えてしまう。それは、20人そこそこしか集まらないけれど、それだからこそ存在するこの映画祭のアイデンティティと深く関わる問題なのです。そしてそれについては、いずれきちんとお話しなければならないと思っています。
    (中略)
    今井監督から「100ページ目の告白」が送られてきて、それを拝見しました。拝見して、なるほど、この作品こそ、今井ミカさんが我々に伝えたかったメッセージなのだと得心したのです。
    ここ数年、ずっと聴覚障害について考えてきました。そして、もし僕に身体がみっつくらいあれば、そのひとつは手話習得に充てたいと切実に思うようになりました。しかし残念ながら、僕にはあまり健康とはいえない不満足な体と、あまり性能の良くない頭、それぞれひとつずつしか持ち合わせがない。
    ふと、沖縄出身の妻とホントにコミュニケーションを取るためには、ウチナーグチに対する理解こそが欠かせないものだったということを思い出したりもしています。

    また「100ページ目の告白」について、Twitterで呟きました。それもここに転載しておきたいと思います。
    「健常者」と「障がい者」の間にある障壁をどうに乗り越えるか、何も特別なことではなく、お互いに思いやる心があれば通じるのか。良き人は可能だというかもしれないが、しかし現実はそう簡単ではない。まずマジョリティとマイノリティの置かれた状況が、決定的に非対称だという認識が必要なのである。
    だから成熟した社会は、考慮しなければならないのはマジョリティの側であるというルールを採択するのである。そのことがどれほど社会に浸透しているか、その程度がどれだけ成熟した社会であるかのバロメーターになる。
    しかし今井ミカは「100ページ目の告白」に恋愛関係を持ちこむことによって、いったんは非対称の関係性を無化して見せるのだ。その時、耳の聴こえないひとりの男性と、彼を愛した「聞こえる女性」は対等となる。むしろ聾のコミュニティーに入り込んだ彼女の方が、マイノリティーとなる…
    さて、ふたりの筆談ノートの100ページ目に書かれた告白とは。ふたりの(あるいは聴覚障がいを持つ今井監督の)選んだ「方法」はいかなるものだったのか。そこに貴方は、個人的な関係の普遍的な解決策を見出すのか、あるいはそこに限界を読み取ってしまうのか…
    思索のための私的な【覚書】である。

    今回の映画祭で、本プログラムは、皆様に最も見て頂きたいもののひとつになりました。
    ぜひともたくさんの方々においでいただきたいと存じます。

    19時からは瀬戸洋平さんとのコラボライブイベントです。
    第一部は、狛江の篠笛奏者である瀬戸洋平さんと高山正樹の朗読のコラボ…
    「耳なし芳一」の再々演。いわば聴く映画
    【初演時のプログラムから抜粋して改稿】
    我々の西洋的な自我は視覚に支えられています。しかしそれは、我々が視覚に縛られているかということでもあります。
    そんな視覚から自由になるために、平家物語における「主語の揺らぎ」を参考にして、今回のテキストにも採用してみました。
    目が見えないから見えるモノ。
    目が見えるから見えないモノ。
    目が見えるばかりに却って見えなくなってしまったモノを聞く為に耳を澄ましてみてください。
    瀬戸さん曰く…
    「盲学校では、健常者の世界で生きていくために、余計なモノを聞かない訓練をしてきた」
    新しい発見を、瀬戸さんとボクは楽しんでいます。皆さんも一緒に楽しんでください。

    第二部は狛江で初めての試みです。
    「瀬戸さんと一緒に絵画鑑賞」
    【ブログの告知記事から抜粋】
    目の見えない瀬戸洋平さんと一緒に絵画を鑑賞するわけですから、瀬戸さんに絵画の説明をするのかと思いきや、ちょっと違うのです。
    瀬戸さんはおっしゃいます。
    「それでは面白くない。見える人が説明しなければならないと思ったら、それだけで疲れてしまうし、実はそういう説明は、目の見えない人にとってもあまり面白くない」
    このイベントは、瀬戸さんが目の見える人たちに知りたいことを質問していくという形で進められます。どちらかがどちらかを楽しませるということではなく、目の見えない人も見える人も一緒に楽しむ。質問に答えてた人は、そのことによって絵画から呼び覚まされた自らの感覚を自覚的に認識し、またそれを聞いた人たちは、目の見える人も見えない人も、答えた人の感覚を共有することになります。なるほど、そういう見方もあるのか、なるほどそういう感情も沸き上がるのか、と。
    「瀬戸さんと一緒に絵画鑑賞」は、自分と他者を発見する場となるに違いありません。
    さて、どんな絵を準備しようかなあ。


    25日(金)から、いよいよ後半戦に突入!

    13時「日本心中 針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男」
    偏ってないかって?偏ってます。ものすごく。突き抜けて反対側から出てきてしまうほど。
    映画の中で針生一郎氏が語る話は難解。しかし、すこぶる面白い、ボクは。それはきっと、大浦氏が映画監督である前に画家だからだとボクは思っています。大浦監督にとって重要なのは、針生一郎の言説ではなく針生一郎という存在なのではないか。
    “大浦信行”と”遠近を抱えて”とを「画像」で検索してみてください。ね、偏ってるでしょ。
    例えば富山県立近代美術館は、右翼団体や神社関係者から大浦信行作品とその図録の非公開、さらには焼却処分まで求められた、そんな作品です。
    大浦監督はその頃、美術批評家である針生一郎氏と出会うワケです。
    ともかく、ご興味のある方は是非ご自分で色々と調べてみてください。
    え?なんでそんな偏ったものをやるのかって?いやいやだって面白いのです。「言説」ではなく「アート」として。針生氏は、美術批評の目で現代を解釈する必要性を説くのです。そうしなければ到達できないモノ。そこに、左も右もありません。
    もうひとつ、24日以降の作品群、なんだか今年やっておかないと、来年できなくなって後悔するような気がしたのです。共謀罪?いえ違います。本来、思索とは実に複雑で晦渋なモノですが、そこに没頭するのに最低限必要な時間を、来年は捻出できないような気がしたのです。右だろうが左だろうが、短絡的で暴力的な時代になる前に、アートで遊びたかったのです。
    「果たして、思索は映像化されうるのか…」
    この映画のコピーです。
    すいません、分かりにくくて。
    続編が27日の13時30分から上映されます。都合のつく方は、是非そちらも併せてご覧いただきたいと思うのです。

    16時からは「断食芸人」です。
    監督は足立正生氏。ではブログの別途作品紹介記事にアップした足立監督のプロフィールの抜粋から。
    【足立正生監督プロフィール抜粋】
    日大芸術学部中退後、若松孝二の独立プロダクションに加わり、性と革命を主題にした前衛的なピンク映画の脚本を量産する。監督としても1966年に『堕胎』で商業デビュー。
    1971年にカンヌ映画祭の帰路、故若松孝二監督とパレスチナへ渡り、パレスチナ解放人民戦線のゲリラ隊に加わり共闘しつつ、パレスチナゲリラの日常を描いた『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』を撮影・製作。1974年重信房子率いる日本赤軍に合流、国際指名手配される。1997年にはレバノン・ルミエ刑務所にて逮捕抑留。2000年3月刑期満了、身柄を日本へ強制送還。

    『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』は最終日27日10時半から上映します。午前中から見る映画じゃないかも(笑)
    「断食芸人」はそんな足立監督の最新作です。
    こんな経歴の人間が撮った映画なんて…とか言わないこと。だって見てみたくありませんか?そういう好奇心こそが重要なのです。
    「断食芸人」の出演者は…
    山本浩司(断食男)
    桜井大造(興行師)
    流山児祥(呼び込み屋)
    本多章一(監視人)
    愛奏
    伊藤弘子(女医)
    井端珠里(若い女)
    安部田宇観
    和田周(老僧)
    川本三吉(若い僧)
    吉増剛造(吉増剛造氏)

    流山児祥氏が現代版「人類館」の調教師と思しき役をやっているのも、個人的にはとてもくすぐられますが、なんたって桜井大造という名前が気になる。僕が最も好きだった、でも今はもうない劇団「風の旅団」の主宰者です。
    9月14日(木)~18日(月・祝)まで、井の頭公園西園文化交流広場(ジブリ美術館となり)に特設テントを立てて、野戦之月というアマチュア劇団が公演するのですが、その座長が桜井大造氏で、ボクも案内を頂いていて、行くことにしています。
    ウィキペディア【風の旅団】より
    1989年の東京大学駒場寮公演で学生5名の逮捕者を出す刑事事件となったことをはじめ、多くの刑事事件に関わっている。関係者は「テーマとして、朝鮮、山谷寄せ場など政治的な問題を扱っていたため、国家権力からの弾圧も受けている」からだと考えている。
    あらら、大丈夫かな、こんな映画祭やって(笑)
    大丈夫です。皆さんはちゃんと自分の頭で考えていらっしゃるのだから、何を見たって洗脳なんか絶対にされません。
    全然映画の説明じゃなくてごめんなさいでした。

    25日最終19時は「FAKE」(前掲)の2回目の上映。

    残るはふつか。26日の土曜日!
    11時「フリークス」(前掲)は2回目の上映。
    14時半の「二十四時間の情事」(前掲)も2回目の上映。
    18時「第九条」(前掲)の“若者来たれ!”ということでやはり2回目の上映。

    そして最終日27日の日曜日です。

    10時半から「赤軍PFLP・世界戦争宣言」
    少し真面目に。(今まで不真面目だったわけではありませんが…)
    【ブログの告知記事より転載】(なんだ、真面目じゃなくて手抜きか?)
    世界をパレスチナの視点で描く!
    パレスチナ解放のために闘うアラブゲリラに迫った伝説のドキュメンタリー。劇場公開を拒否し、世界革命のためのニュース映像として、全国の大学や工場などで上映された。
    …その当時、学生や労働者たちは、この映画をどのように受け止めて見ていたのだろうか。今も「労働運動」という形態は存在するわけで、そこに携わる人たちは、この映画を見てどう思うのだろう。今の彼らに世界革命闘争などと言ってみたところで、彼らの興味は、不当解雇の糾弾と賃上げの闘いにしかないように見える。
    (平和運動?それは労働運動なの?) 
    是非とも色々と聞いてみたいと思うのだが、果たしておいでくださるだろうか。まさかその代わりに右翼の街宣車がやって来るとは、もはや到底思えない。つまり、半世紀隔てた今、この映画の中で語られる言説には、それほどにもリアリティがないと、僕には感じられてしまうのである。なぜだろう、かつてあれほど近しかったのに。
    字幕付きで見ることが出来るようにと、今、この僕が文字起こしをしているのだが、2分に1度くらい瞑目するので、遅々として進まないのである。
    (文責:高山正樹)

    ともかく最後の、元赤軍リーダー重信房子のインタヴューは必見なのです!
    そして上映後には、足立正生監督のトークがあるのです!

    13時30分からの「9.11-8.15 日本心中」、これが最後の紹介作品です。
    できることならば前作である「日本心中 針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男」と、元赤軍リーダー重信房子のインタヴューがある「赤軍PFLP・世界戦争宣言」を見ておくと、もっと楽しめるかもしれません。なにしろ、「9.11-8.15 日本心中」は、重信房子の娘、重信メイさんが海をみつめる姿で終わるのですから。
    重信メイさんのことを、針生一郎氏は「事情は分かっていながら、あまり理屈を言わない」と評します。重信房子とパレスチナの闘士の間に生まれ、二十歳過ぎまで無国籍だった重信メイ、今住んでいる日本で、これから何をしていこうかと静かに語る彼女に、なぜか希望を感じるボク。もしかしたら、大浦信行監督と、美しい女性であるメイさんが仕組んだアートというフィクションに、ボクは、まんまとしてやられているのかもしれません。
    そして映画祭2017のメインイベントが「鈴木邦男vs.足立正生のトーク」です。

    そして興奮も冷めやらぬまま最終は18時から「天皇と軍隊」(前掲)二回目の上映です。
    〆は鈴木邦男氏のトーク

    連載エッセイ風の宣伝、最後までお付き合いくださり、心から感謝申し上げます。
    集客にとても苦労しています。
    是非とも映画祭にお越しくださいますよう。

    "想い"をたずさえて~ 『過去から考える未来への道のり』

    「原発対話の会」Vol.21
    今回は対話の会事務局の鹿目久美さんがFacebookにイベントを立ててくれました。それをここに転載します。


    "想い"をたずさえて~
    『過去から考える未来への道のり』

    浪江から避難している篠原美陽子さんのお話

    4月の福島第一原発の視察・7月には復興本社の石崎さんのお話を伺いました。みなさんは原発事故とあらためて向き合い、何を感じたでしょうか?

    私(鹿目)は、原発の問題を向き合う時に当事者の思いが見えてこないことに、不安や焦りを感じます。

    そこで今回は、解除準備区域に家があり、女将としてご主人とともに守ってきたお店が帰還困難地区にあるという、福島県双葉郡浪江町から埼玉に避難をされている篠原美陽子さんにお話をして頂くことになりました。

    篠原さんは被災当事者でありながらも、震災直後には「賠償コールセンターを運営していた会社」で働いた経験もあります。その経験を活かし、避難先の埼玉では賠償相談会を開いたり、情報を共有する対話の場や冊子「想い」を作ってこられました。

    現在は、原発事故に関係する問題の勉強会に参加したり、本や専門的な資料を読み、専門家の話を聞き調べ、知りえた知識を人の役に立てたいと考えておられます。

    篠原さんが調べてきた内容は多岐にわたります。
    賠償、環境問題、最終処分場、廃棄物問題、原子力の歴史、身体、行政学、食と法、廃炉作業の怖さなど。
    最近は日本学術会議に通い始め、産官学とか財団とかも調べているとか。

    そんな篠原さんならではの視点と、篠原さんでなくては語れないことがたくさんあるはず。とても貴重なお話が聞ける機会です。たくさんの方に集まって頂けるとうれしいです。

    ●日時:10月14日(土) 14時 Start
    ●参加費:1,500円
    (資料代・カンパ含む、高校生以下500円)
    ●会場:M.A.P. 03-3489-2246
      (小田急線喜多見駅徒歩5分)
     狛江市岩戸北4-10-7-2F 島田歯科の2階
      ⇒会場アクセス

    主催:原発対話の会
    「原発対話の会」Facebookグループ
     ⇒https://www.facebook.com/groups/384571738344960/
    FBのイベント
     ⇒https://www.facebook.com/events/176830502688913/

    【篠原美陽子さんのプロフィール】
    埼玉県蕨市で育ち、短大卒業後結婚し、浪江町へ、15年間、日本料理“しのはら”の女将として生きる。
    大震災で、自宅は帰還困難地区、店舗は解除準備区域、そこから埼玉県に避難した。避難後、橋本病、PTS、摂食障害など発症し、現在も療養中。
    "想い"という機関誌を発行したり、賠償相談会開催などを行い、平成24年度から26年度は福島県ふるさと帰還支援事業助成を受けて活動。
    現在は、浪江町へ毎月通いながら、一歩ずつ考え、調べる日を過ごす。

    原発対話の会でトリチウムを徹底的に考えてみる

    去年の3月以来二度目、また電力中央研究所の佐々木道也さんに講演をお願いしました。

    「原発対話の会」Vol.20
    徹底的にトリチウムを考える
    ~再び電力中央研究所の佐々木道也さんを迎えて~

    ※取り急ぎ日程のみ告知します。
    ●日時:10月7日(土) 14時30分 開場 15時 Start
    ●参加費:1,000円
    (高校生以下500円)
    ●会場:M.A.P. 03-3489-2246
      (小田急線喜多見駅徒歩5分)
     狛江市岩戸北4-10-7-2F 島田歯科の2階
      ⇒会場アクセス
    ※そのまま希望者は懇親会へ突入。
    (費用別途でお願いします。お1人1,000〜2,000円くらいで)

    【佐々木道也さんのプロフィール】
     ・1974年静岡県生まれ 喜多見在住
     ・2002年電力中央研究所へ入所
      放射性廃棄物区分や輸送要件確認のための測定技術開発
     ・2012年から2014年までICRP事務局(オタワ)に派遣
     ・専門:放射線計測、線量評価、放射線防護

    主催:原発対話の会
    「原発対話の会」Facebookグループ
     ⇒https://www.facebook.com/groups/384571738344960/
    FBのイベント
     ⇒https://www.facebook.com/events/ただ今制作中

    まずは「みんなでしゃべろう!」から

    まずは、新しいアカウントをTwitterに作って呟きました。

    “喜多見と狛江の小さな映画祭+α”のコダワリから「みんなで踊ろう」というイベントが生まれ、そこからさらに発展して「みんなで◯◯こまえ」というグループが出来たのです。
    みんなで◯◯こまえ
    年一回、全ての人を巻き込むような大きなイベントを計画するとして、それまでの間は、毎回テーマを決めての小さな催しを、出来るだけ数多く開いて、色々な方々と普段から交流しお互いを知ろうということになりました。

    そして、さっそく第一回のイベントが決まりました。
    題して…
    みんなでしゃべろうこまえ
    日時:9月17日(日) 1時半 開場 2時 start
    場所:こまえくぼ1234
    (狛江市市民活動支援センター)

    狛江市和泉本町1‐2‐34 電話:03‐5761‐5556 FAX:03‐5761‐5033
    こまえくぼ地図
    主催:キタコマ映画祭/みんなで◯◯こまえ

    みんなで集まって、「みんなで」を阻害するような様々なエピソードを、みんなで話してみんなで聞いて、そしてみんなで語り合おうというイベントです。
    「こまえ」と銘打っていますが、狛江以外の地域からの参加も大歓迎です。
    参加費無料!
    できれば、お気持ちでカンパをお願いできればと思います。
    集まった皆さんで車座になって、ざっくばらんに話したいと思います。
    狛江の手話の会にご相談したところ、そういう車座の会ならば、手話通訳や要約筆記が必要な方は、個々ご自分がお住まいになっている地域の公的機関(狛江の場合は社協)に依頼してもらうようにするのがよいだろうとのアドバイス頂きました。いわゆる個人派遣ですね。
    主催の方では、いまのところ手話通訳や要約筆記の方を頼むことは考えていませんが、筆談ボードなど、出来る限りのことは、スタッフで考えて対応したいと思います。
    また当日は、特に聴覚障がいの方のためにということではなく、ホワイトボードに皆さんの発言を書いていく、そんなことが出来ればとも思っています。

    定員は60名ほどでしょうか。当日ひょっこりいらしても大丈夫だとは思いますが、できれば参加の意思のある旨、お知らせいただければ嬉しいです。

    【問合せ先】
    TEL:03-3489-2246 M.A.P.(エムエイピー) 担当うぶかた
    FAX:03-3489-2279


    また事前準備や当日のお手伝いなど、実行委員兼ボランティアスタッフを募集しています。
    沢山の方の参加をお待ちしています!

    “今井ミカ監督トーク”について続報

    まずは8月6日の記事“「あだ名ゲーム」&「食べる。」+“今井ミカ監督トーク”について他”をお読みください。

    ひと口に手話と言っても、日本の手話には日本語と同様に様々な方言があります。そのことは前から知っていました。しかしそれとは別に、元々ろうの方々のコミュニティーの中で生まれ、日本語とは全く違う文法体型をもった「日本手話」というものがあり、それは我々がよく知っている日本語の語順で手話単語を並べた(つまり日本語が出来る人たちにとってわかりやすい)手話を「日本語対応手話」とは別物であるということを、今回初めて知りました。

    今井ミカ監督にとっての第一言語は、日本語ではなく「日本手話」なのです。「日本語対応手話」(イコール「日本語」ということですが)もお出来になりますが、苦手だと伺いました。だから、自らの思いをきちんと伝えるためには、やはりトークは「日本手話」で話したい、そんな思いがおありなる。当然のことですし、真摯に上映会のことを考えてくださっているわけですから、有り難いことです。
    そこで、今井さんの話す日本手話を、お客様に伝えるために、今井さんの信頼篤い方に通訳をお願いすることになりました。ただ諸事情があり、当日その方は狛江の会場にまでは来られない。そこで今井ミカ監督のトークは、スカイプ中継で行うことにしました。

    画面には、日本手話で話す今井ミカ監督が映り、音声は通訳の方が監督の日本手話を日本語に訳した声というわけです。

    さて、悩ましき課題はその先にありました。
    上映会にやって来るお客さんの多くは日本手話の出来ない方々のはずです。耳の聴こえる人は、通訳の方の言葉を聞けばそれでことが足ります。また、耳が聴こえない方でも、「日本手話」が理解できるなら、画面の今井さんの手話を見ていれば大丈夫です。しかし問題は、日本語対応手話しかできない耳の聴こえない方がいらした場合です。
    「今井監督の日本手話」→「お客様が必要な日本語対応手話」
    この回路をどのように構築すればいいのか、まさに暗中模索、多くの当事者の方々に伺いながら検討してきました。

    要は、「日本手話」を直接「日本語対応手話」に通訳するか、スカイプから流れて来る通訳の方の日本語を日本語対応手話に再度通訳するか(これはいわゆる手話通訳の方が通常やられていることですね)、そのどちらかの方法を採用すればいいわけです。しかしわれわれにとってこの問題はさほどに単純ではありませんでした。

    もちろん切実な問題として、お金のことがあります。ただ、トークの時間だけお願いするなら捻出できないという金額ではありません。でもそのためには、上映が終わった頃においでくださいということになる。確かに、通訳の方のことを、情報保障するための道具だと割り切ればいいのかもしれない。そしてむしろ手話通訳の方々は、プロとしてそれこそを望んでいらっしゃるのかもしれません。お客様の中に、手話通訳が必要とされている方がいてもいなくても、プロの仕事として通訳をして帰る。

    でも、我々はそこでハタと立ち止まってしまうのです。
    たとえ聴覚障がい者がいなくても、こうした催しには必ず手話通訳をつけるということの社会的な意義も十分理解しているつもりです。それでも考えてしまう。それは、20人そこそこしか集まらないけれど、それだからこそ存在するこの映画祭のアイデンティティと深く関わる問題なのです。そしてそれについては、いずれきちんとお話しなければならないと思っています。

    結局、次のように決定しました。
    映画祭には手話通訳の出来る実行委員がいます。(という言い方がいいのかどうか、対外的にはそうなのだろうけれど、思いは「参加して下さっている、つまりとっても感謝しています」なのですが、)その方に無理をお願いしました。そしてこの日来られるようにお仕事の方を調整してくださったのです。そうして、その日、会場に日本語対応手話による通訳の必要なお客様がいらした場合も対応できることになりました。

    また、決してトークの時間を短くするためというワケではなく、「あだ名ゲーム」(13分)と「食べる。」(13分)に加えて、「100ページ目の告白」(36分)と言う作品を上映することにいたしました。
    それに合わせて告知記事も更新しましたので、そちらも併せてお読みください。
     ⇒プログラム7「あだ名ゲーム」&「食べる。」そして…

    今井監督から「100ページ目の告白」が送られてきて、それを拝見しました。拝見して、なるほど、この作品こそ、今井ミカさんが我々に伝えたかったメッセージなのだと得心したのです。

    ここ数年、ずっと聴覚障害について考えてきました。そして、もし僕に身体がみっつくらいあれば、そのひとつは手話習得に充てたいと切実に思うようになりました。しかし残念ながら、僕にはあまり健康とはいえない不満足な体と、あまり性能の良くない頭、それぞれひとつずつしか持ち合わせがない。
    ふと、沖縄出身の妻とホントにコミュニケーションを取るためには、ウチナーグチに対する理解こそが欠かせないものだったということを思い出したりもしています。

    さて、この思いと関係があることを、Twitterで呟きました。どのように関係があるのが、ちょっと分かりにくいかもしれませんが、ここに転載しておきたいと思います。

    「健常者」と「障がい者」の間にある障壁をどうに乗り越えるか、何も特別なことではなく、お互いに思いやる心があれば通じるのか。良き人は可能だというかもしれないが、しかし現実はそう簡単ではない。まずマジョリティとマイノリティの置かれた状況が、決定的に非対称だという認識が必要なのである。

    だから成熟した社会は、考慮しなければならないのはマジョリティの側であるというルールを採択するのである。そのことがどれほど社会に浸透しているか、その程度がどれだけ成熟した社会であるかのバロメーターになる。

    しかし今井ミカは「100ページ目の告白」に恋愛関係を持ちこむことによって、いったんは非対称の関係性を無化して見せるのだ。その時、耳の聴こえないひとりの男性と、彼を愛した「聞こえる女性」は対等となる。むしろ聾のコミュニティーに入り込んだ彼女の方が、マイノリティーとなる…

    さて、ふたりの筆談ノートの100ページ目に書かれた告白とは。ふたりの(あるいは聴覚障がいを持つ今井監督の)選んだ「方法」はいかなるものだったのか。そこに貴方は、個人的な関係の普遍的な解決策を見出すのか、あるいはそこに限界を読み取ってしまうのか…
    思索のための私的な【覚書】である。

    「あだ名ゲーム」&「食べる。」+“今井ミカ監督トーク”について他

    《以下、Facebookに投稿》
    何と言いましょうか、決して「字幕付き」をウリにしているわけではないのです。

    確かに「FAKE」といい、今井監督の作品といい、今回は聴覚障がいに関する映画を取り上げた、そういう意識があったことも事実なのですが。
    なかなか説明しにくいのですけれど、僕の頭の中は錯綜しています。それは「みんなで踊ろう」の時にもあったこと、いや去年の映画祭の頃からすでに分かっていたのですが、しかしどのように語っても誤解されてしまうのではないかと思い、というか僕自身が何かを見落としているような、あるいはこだわるべきではないことにこだわっているような気もして、結局ずっと口ごもっています。こんがらがった糸を、どうしたらほぐすことが出来るのか、ずっと考え続けている、分かりにくくて申し訳ありません。

    その対極にあるのが「フリークス」です。ある意味、大変シンプル。御幣を恐れず申し上げると、とても分かりやすい。だから(と言っていいのかどうか)この映画に登場する「異形の人々」と「私」の間にある障壁を乗り越える方法は、とてもシンプルなのかもしれません。もちろん、そんな単純ではないということもよく理解したうえで申し上げました。

    一方「FAKE」に登場する佐村河内氏の抱える「障がい」は、敢えて言えば分かりにくい。見終わった多くの人がモヤモヤするという感想を持つ。障がいがグラデーションだということを理解していても、それでもモヤモヤするのです。それは、真実が見極められないが故のモヤモヤとはどうも違う。彼を理解しようとするのだけれど、どうしてもその通信回路が繋がらないという感覚。
    このあたりのことを、上映後に皆さんと語り合ってみたいと思っているのですが…
    (今ツラツラと書いているのは、ボクの極めて個人的な感覚に過ぎないのかもしれません、ということを、ここらで申し上げておきます。)
    その回路として、「手話」という手段を、僕が持っていないということ、その「不足」はとても大きなことです。そしてそれは、外国の方と言葉が通じないということとは違うのだろうと僕は思っているのです。思ってしまっているのかもしれません。

    今回、全ての作品に字幕を付けるという挑戦をしているのですが、ボクは字幕が完璧な回路だとは全く考えていません。100の情報を流さなければいけないのに、その半分も流せないのではないでしょうか。
    自前で文字起こしして作った字幕は、映画の画面の外側に別のスクリーンを準備してそこに映します。それは、映画を制作した方々に敬意を表して、できるだけ作品に傷をつけたくないということがあるのですが、しかしこの「傷」という言い方を、聴覚に障がいを持った方が聞いたら(←「聞いたら」も変ですね)どう思うでしょう。あえて「傷」という言い方をしたわけですが、気を使って別の言い方をしても、きっとその本質は変わらない。
    一方、映画を制作した方は、字幕を別スクリーンに映したところで、どうしたってその文字情報に目が行ってしまうわけで、字幕は本来期待している伝達したいものが歪んでしまう結果をもたらす、と主張されるかもしれません。「歪む」も「傷」も同じです。

    この世の中、誤解だらけです。1000人の友達がいたら1000の誤解があるのだろうと思います。でも、それがあるからこそ、とりあえずこの世の中は回っているのかもしれません。全ての誤解に気付いてしまったら、きっと生きられません。
    でもね、それとは違うんだ!とボクは思ってしまっているのです。

    8月24日(木)のプログラムNo.7は、「あだ名ゲーム」&「食べる。」+今井ミカ監督のトーク、というふうに発表しています。しかしここへ来て、その内容を少し変更しなければならない事情が出てきました。

    みなさん「日本手話」というのをご存知でしょうか。
    ネットでこんな説明を見つけました。
    「日本手話は、日本語とは別の、独立した言語です。独特の文法体型をもっていて、日本語とは語順が違います。手の形・位置・動きに意味があるだけでなく、肩の向き・うなずき・顔の表情・眉や口の動きなどにも文法的な意味があります。これに対して、日本語対応手話は、日本語の語順で手話単語を並べたもので、その原型は聞こえる人によって作られました。だから、ろう児には理解しにくいのです。」

    私たちがよく見かける手話通訳は「日本語対応手話」です。一方、外国で手話を覚えたという今井さんが出来るのは「日本手話」なのだそうです。今井さんご自身が耳の聞こえない方なので、今井さんの日本手話によるトークを読み取って、手話の分からないお客様には言葉で、もし「日本語対応手話」しか理解できない耳の聴こえない方がいらした場合には「日本語対応手話」も同時にやっていただかなければならないということなのです。それをひとりでこなせるものなのか、二人の通訳者をお願いしなければならないのか。

    赤字を出しては続けていけない。なので「日本語対応手話」の通訳を頼むことすらできない我々です。それよりもずっと高額である「日本手話」の通訳の方を頼むことができるわけがない。(決して「日本語対応手話」が簡単で、だから安く頼めるのだなんて、爪の先ほども思ってはいません。そのことは何度でも申し上げておきたいと思います。手話通訳の方々が、とても安い金額で通訳を引き受けてくださっている現状も重々承知しているつもりです。そして深く感謝しています。)

    最後は下世話な話になりましたが、それも僕が感じている「モヤモヤ」の一部ではあります。
    まだまだお話したいことがあるような気もするのですが、今のところやはりなかなかうまく言葉にできません。そんな「モヤモヤ」を、今回おいでくださったお客様と共有できればと心から思っています。

    《Facebookの沖縄グループに投稿》
    ウチナーグチに、かつて「方言札」があったように、手話にも「手話札」というモノがあって、聾学校では手話が禁止され、手話を使った生徒に罰として「手話札」が首から掛けられたというのです。
    「沖縄人」が「日本人」とコミュニケーションを取る方法、「聾唖者」が「健常者」とコミュニケーションを取る方法、僕が感じるモヤモヤには、そうしたことも絡んでいるのですが。


    ※当時ろう学校では、一般人と支障なくコミュニケーション出来るようにと、読唇術と口話が推奨されていました。その所為で(読唇術と口話の習得に時間を費やさざるを得なかったために)、ろうの子どもたちの学力は遅れてしまいました。

    さらに映画祭の初日、20日の日曜日に開催される特別企画“夏休み こどももおとなもみんなで食堂”ではいくつかのパフォーマンスが予定されていますが、そこで大道芸をやってくださる星野りゅーた君のプロフィールが届きました。その中に次のような記述がありました。
    ​幼少期から音のない世界で健常者と共に育ってきた。補聴器から入るかすかな音と口の動きを読み取る読唇術でコミュニケーションをとる。
    そして所持する資格の中に「障害者職業生活相談員」というのもありました。

    決して狙って人選したわけではないのですが、こうしたタイミングでの出会い、なんだかとても不思議です。
    星野りゅーた君に会ったら、読唇術でコミュニケーションが取れる彼に、「手話」についてどう思うかを、是非とも聞いてみたいと思っているのです。

    《補足》
    1000人の友達がいたら1000の誤解がある。でも、聴覚障がい者といわゆる健常者との間の誤解はそれとは違う、という点に関して、少しだけ付け加えさせてください。まず他者との間の一般的に起こる誤解と決定的に違うのは、それが非対称の関係において起きるということです。それは、例えばマジョリティーとマイノリティーとの間の誤解すべてに言えることかもしれません。ただボクは、聴覚障がいを持った方との間に起きる誤解や無理解の背後には、それとは違う、もう少し本質的ともいえるような何かがあるのではないかと思っているらしいのです。自分のことなのに「らしい」とは、なんとも無責任ですが、今のところそうとしか言いようがない。だからここから先が説明しにくい。説明できないのであれば何ひとつ口に出すべきではないのかもしれません。
    ともかく、考え続けています。そして自分自身も納得のいく「説明」を見つけたいと思っているのです。

    なんやかんやで寂しくない

    朝方、映画祭の記事を明日掲載しますと、東京新聞の記者の方から連絡があった。
    その方は、自前で全ての作品に字幕を付けるという我々の試みに興味を待たれたらしい。記事に「聴覚障がい者」という文言を入れるかどうか、記者の方はまだ悩んでいた。取材の時にボクが話したことを、しっかり受け止めてくださっている。「バリアフリー」という言葉を使うと、それがバリアになって「健常者」が来なくなるということもあるらしい。集客にも気遣い、感謝である。

    少なくとも、見出しにはそれっぽい言葉を使わないようにしたいと。しかしデスクは、どうやら「障がい者」とか、はっきりした文言が欲しいらしい。
    「説得できるかどうか…」
    「考慮してくださって、ありがとうございます。あとはそちらにお任せします」とお伝えする。さて、いったいどんな記事にしてくださるのか、明日を楽しみ。

    明日、狛江市内で行われる二つのコンサートに映画祭と山猫祭りの仮チラシを折り込んでくださることになり、その準備作業に追われる。しかし、明日新聞に載ると、予約の電話がかかってくるかもしれない。コンサートに行っている間、電話番をしてくれる人はいないだろうか、などと考えているのだが、そんな人、いるわけがない。

    事務所でひとり寂しく作業をしていると、嬉しい訪問。ホントに感謝。
    といっても、明日留守番してくれるわけはない。

    一昨日ちょっとお手伝いした映画上映会を主催された三人がいらっしゃった。訪問者の写真を撮っておけばよかった。寂しくないんだぞ、という証拠に。

    “山猫合奏団祭り2017”その5 「注文の多い料理店」@こまえ

    “山猫合奏団祭り2017”第五夜
    “注文の多い料理店”

    【プログラム】
    “お楽しみコンサート”
     ??:宇夫方路 他?
     Piano:白石 准 

    “注文の多い料理店”
     作:宮沢賢治
     作曲:白石 准
     Piano:白石 准
     言葉:楠 定憲
     歌:高山正樹

    注文の多い料理店ロゴ

    日時:9月29日(金)19時
    会場:泉の森会館3階ホール
    (狛江市元和泉1-8-12)小田急線「狛江」駅スグ
    泉の森会館

    入場料: 3,000円 ※中学生以下1,000円
        三枚綴 7,500円 ※3人でのご利用可!
    お問い合わせ/ご予約:03-3489-2246 (M.A.P.うぶかた)

    tag: 山猫合奏団 

    “山猫合奏団祭り2017”その4 「華麗なるセロ弾きのゴーシュ?」

    “山猫合奏団祭り2017”第四夜(この日だけは夜じゃないけど)
    “セロ弾きのゴーシュ”

    【プログラム】
    “序奏と華麗なるポロネーズ”
     作曲:フレデリック・ショパン
     Cello:大島 純
     Piano:白石 准

    “セロ弾きのゴーシュ”
     作:宮沢賢治
     作曲:白石 准
     Cello:大島 純
     Piano:白石 准
     言葉:高山正樹/楠 定憲

    ※この画像は2010年2月に撮影
    2010年ゴーシュ

    茅ヶ崎、初見参です!

    日時:9月24日(日)14時
    会場:長谷川楽器3F C Side Salon
    (茅ヶ崎市幸町22-10)JR東海道線「茅ヶ崎」駅南口1分
    長谷川楽器

    入場料: 3,000円 ※中学生以下1,000円
        三枚綴 7,500円 ※3人でのご利用可!
    お問い合わせ/ご予約:03-3489-2246 (M.A.P.うぶかた)

    tag: 山猫合奏団