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12/08のツイートまとめ

今日のまんちゃーひんちゃー第56回は…

木曜日の深夜の出来事
ひやみかち公演の告知
そして
③又吉健次郎さんの「くがにぜーく」の話。
 ⇒クガニゼークは遊女の指輪を作ったのか

やっぱり「くがにぜーく」の話を始めれば60分の放送一回では終わるわけがない。
というわけで…

tag: 「クガニゼーク」のこと  又吉健次郎 

仏教と映画祭とふいご祝いとクリスマス


今日はクリスマスイブ? 知らん!なんてことは、泉龍寺の東堂さんは仰らない。
だから今日は旧暦の11月7日、沖縄ではふいご祝いの日だから、その話をしよう。
ウチナーグチではフーチェーとかフーチヌユエーとかいうらしい。
(お経の会でも、この話をすればよかったな…)

沖縄大百科事典の「フーチヌユーエー」の項には「鞴(ふいご)の祝い。鍛冶屋が一年中の安全息災を祈る行事」とある。全国的に分布している行事で、沖縄でも全域にあり、工具への感謝の祈願を行ったりと、地域によって祝い方は様々なようだが、城辺砂川のちょっと面白いお祭りが事典で紹介されてるので、それを転載してみる。

「鍛冶屋の製作した農具で殺生された地中の虫、草の霊が祟らないようにと、鍛冶屋の子孫と部落の代表が、鍛冶屋跡地で拝む。そのとき、豚の頭が供えられ、夜中に松明をともして村はずれのイビシ(拝所)までそれを捨てに行く。その行列の火を見ると祟られるといわれ、見た者はむこう3年間、11月8日にフーツキヨーカの祈願をしなければならない」

農業や漁業のお祭りは山ほどあるが、いわば工業のお祭りはこのふいご祝いだけ、かつては他のお祭りに較べてかなり重要な地位のお祭りだったらしい。鍛冶屋の仕事が神聖視されていた証なのかもしれない。
考えてみると、クガニゼーク(金細工)よりカンゼーク―(鍛冶屋)の方が庶民にはずっと馴染みのある言葉だったに違いないし、だからこそ明治になって、シバイシー(役者)が雑踊りの金細工に「カンゼーク―」という読み方を当ててしまった(というか、カンゼーク―という鍛冶屋の踊りに「金細工」という華やかな文字を当ててしまった)という混乱も、なんだか頷けるのである。

そういえば健次郎さんにずっと会っていない。「クガニゼーク」のことも、最後の詰めをしていない。
唐突だが、三上知恵監督の映画もやっていない。どちらもこのままテーゲーにしておいていいのだろうか。

無神論の僕にとって、どうやら今日は、なんでもない日なのだが、事務所では今日、子供たちを集めて琉球舞踊を踊らせて、そしてクリスマスをお祝いするのである。
なんともテーゲーである。

ほらね…
踊り収め?

クリスマス

節操のない一日。

tag: 泉龍寺  沖縄この日何の日  三上知恵  「クガニゼーク」のこと  金細工  沖縄大百科事典  MAP琉球舞踊教室  事務所の光景 

又吉健次郎さんの工房へ《もう一人の「首里のまたよし」修さんの影》

※宇夫方路2011沖縄旅日記(2)
又吉健次郎さんの工房です。
健次郎さんの結び指輪を、結婚何周年かの記念にと注文される方が時々いらっしゃるのです。その度、健次郎さんに結婚記念日に間に合うよう制作をお願いします。今日もそうして仕上がった結び指輪を受け取りにきたのです。

でも今日は健次郎さんはお留守でした。なんでも若い女性とどこかへ出掛けたとか。さて、何時に帰るか分からない。夜は夜でやっぱり若い女の子と桜坂劇場にCoccoのライブを観にいく約束があるらしい。お元気だこと。

主人不在の仕事場
仕方がないので、いつもと変わらない仕事場だけ撮影させていただいて帰ろうと立ち上がったところへ、健次郎さんがお帰りになりました。まあいいタイミング。
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実は先日の1月15日、M.A.P.after5のアクセス数が突然倍になりました。検索ワードを調べてみると、又吉健次郎さん関連の記事を目当てに来る人がその原因らしい。そこで井上真喜ちゃんに「何かあった?」と電話で聞いてみたのです。そうしたら、なんでも世界不思議発見というテレビ番組で、健次郎さんの房指輪が紹介されたのだとか。

M.A.P.では房指輪は扱っていませんが、それでも結び指輪の注文がバタバタといくつか入りました。うちのサイトでもそうなのだから、さぞ工房“またよし”は大変だったはず、こちらに入った注文の制作をお願いして大丈夫かなあと心配したのですが、いつもの通り気持ちよく請けてくださいました。

coccoの時もすごかったけれど、それにも増して今回はたくさんの問い合わせあったらしい。全国放送のテレビって、やっぱり影響力大きいんですねえ。M.A.P.にも取材来ないかなあ。

さて、高山正樹氏に頼まれたことを聞かなくっちゃ。ある小道具屋さん(実は外間小道具店)で聞いたもうひとりの金細工師のこと。
少しここまでのことを整理します。浦添美術館での展覧会の時は三人の又吉さんの作品が展示されました。又吉健次郎さん(首里の又吉)と開南で小道具店を開いていた又吉さん(那覇の又吉)と、そしてもう一人の「首里の又吉」さん(実は修さんとおっしゃいます)。那覇の又吉さんはすでにお亡くなりになりました。
 ⇒関連記事を読む
「もう修さんも作っていないはずだよ、見に行ったけど道具もなかった。小道具屋は叩いて作っているというけど、本当はもう作る人はいなくて、外国で作っているんだよ」これが健次郎さんのお答えでした。
真喜ちゃんによると、修さんはまだ作っているはず。でも、健次郎さんと修さんは同じ門中ではあるけれど、それほど親しくない。そして健次郎さんは、踊りや芝居の小道具には興味がないから、修さんのことは分からないのだと思うとのこと。

仲嶺舞踊小道具店の仲嶺眞永さんのお話しを思い出しました。
「コンクールとかに出るようなときは、いいものを挿すでしょうが、普段はもっとね。でも、それを作る人がいなくなってしまって」

民具として、本物のジーファーにこだわる健次郎さんは、それを作る技術が途絶えてしまうのはいけないと思っています。若い金細工師がいないのは食べていけないから。だったらみんなで若い職人さんを育てて、琉球舞踊の先生になったら、その人から道具を買うというシステムにすればいい。これは健次郎さんのアイデアです。
でも琉球舞踊の人たちは、家元レベルの方々でも、小道具が本物かどうかにはあまりこだわってはいません。また、たとえこだわったとしても、本物のジーファーはとっても丈夫で、母から娘に、先生から弟子にと伝えていける道具だから、新規の需要はあまりないでしょう。上等な漆器が、何百年経っても使えるために却って新しいものが売れないという事情と同じです。

一方、房指輪は手に入らなくて琉球舞踊の人たちは困っています。でもそれも、琉球新報の舞踊コンクールのルール変更で、房指輪を使わなくてはならなくなったから、それだけのことなのです。

ともかく、「もうひとりの首里の又吉」=修さんにお会いしたくなりました。もしかすると、修さんこそ「クガニゼーク」ではない小道具を作る職人「カンゼーク」なのかもしれない……

やっぱり、小道具屋さんに何度も通って、こちらの諸々の思いをお話しして、修さんに伝えてもらうしかないのかなあ、そんな風に思ったのでした。
(宇夫方路から報告を受けた高山正樹が、宇夫方路のフリをして代筆をしました。)
次の記事へ

tag: 井上真喜  房指輪  沖縄芸能コンクール  「クガニゼーク」のこと  又吉健次郎  沖縄の旅_2011年1月 

「クガニゼーク」と「カンゼーク」の謎

このミステリーの終着駅はどこにあるんだろう、一日ずっと考えていました。
「クガニゼーク」と「カンゼーク」の謎。どうもただ言葉だけの問題ではない、ずっと思っていたことです。

だから、この件に関連する記事の一覧を表示したページを作ったりもしたのです。そしてそのページを久しぶりに更新しました。
 ⇒【「クガニゼーク」と「カンゼーク」に関する主な記事一覧】
きっかけは大山街道ふるさと館のそばにあった川崎市の案内板なのですが。

少し、これまでのことを整理したいと思います。

現在沖縄で残っている「金細工」の職人さんは、もう又吉健次郎さん一人だと、僕は頭からそう思っていました。
以下がそれに関する記事です。
 ⇒首里のジーファーと那覇のジーファー

ところが、ある時、まだ見ぬ「金細工」職人がいるらしいという噂が耳に入りました。僕は、期待を抱いてその影を追いかけたのですが、結局それは、又吉健次郎さんの影でした。そのことを書いた一連の記事がこれです。
 ⇒2009年12月22日の記事その1(仲嶺舞踊小道具店のジーファー)
 ⇒2009年12月22日の記事その2(まだ見ぬ金細工師の顛末)
 ⇒2009年12月22日の記事その3(顛末を健次郎さんに話す)

しかし、これらの記事を今回あらためて読み直してみて、確かに昔ながらの方法でジーファーを作っているのは、もう健次郎さんしか残っていないのかもしれないけれど、簡易的な叩き出しの方法で作っている方ならどこかにいるかもしれない。その結論はまだ出ていないということに思い当たったのです。

今年の8月、宇夫方路は沖縄のある小道具屋さんに立ち寄りました。
 ⇒8月11日の記事を読む
そのお店で聞いたある情報。それは、これまでの流れから考えれば、すぐにも御報告したいことでした。しかし、言っていいものかどうか、迷ったのです。
もう少し調べてからと考えました。しかし、忙しさにママなりませんでした。

そこで、年の瀬になって、意を決してお話ししてしまおうと決めました。

健次郎さんとは別に、ジーファーを作っている職人さんがいるということ。
そして、その方が誰にも言わないでくれとおっしゃっているということ。

もしかすると、「クガニゼーク」とは違う「カンゼーク」のことを知りそして語ることのできる方かもしれない。もう引き返すことはできません。またもや竜頭蛇尾の結果に終わるのかもしれませんが、「クガニゼーク」と「カンゼーク」の謎を解く糸口がありそうならば、あきらめず追いかけてみたいのです。

ただ、願わくば、どなたにも御迷惑がかかりませんように。

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tag: 「クガニゼーク」のこと  ジーファー  又吉健次郎  井上真喜 

溝の口と濱田庄司

川崎の市民劇「枡形城・落日の舞い」は、毎週火曜日、溝の口にある大山街道ふるさと館という施設で稽古をやっています。いや、違うな。稽古なんかやっていません。なにしろまだ配役が決まっていないんですから。ホントは前回決まるはずだったんですけどね、なんだか人が足りないらしい。

ここに来るのは今日でもう5回目だというのに、ふるさと館の隣の喫茶店の前にある案内板を、全然読んでいませんでした。
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おや、浜田庄司って、あの濱田庄司なの?

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ということは、この“YAMATO”というCOFFEEショップが、濱田庄司のお母さんの実家ってことか。

ここ川崎で生まれた濱田庄司は、京都の陶芸試験場で上薬の研究をしました。30歳からは沖縄の壷屋でも学んでいます。

もちろん、東京の大学を出て、イギリスにも渡り、益子で焼き物を作り始めるのですから、いくら川崎と京都と沖縄がこのM.A.P.after5のカテゴリにあるからと言って、それだけをことさら取り立てて不思議がることもないのだけれど、もしも濱田庄司という陶芸家がいなければ、今の又吉健次郎さんはなかったのだろうし、また健次郎さんに濱田庄司に対する尊敬の念がなければ、僕が健次郎さんの工房に通うことにもならなかったに違いないのだから、やっぱりこの看板をここで見つけて、僕はちょっとワクワクしたのです。
 ⇒濱田庄司さんと6代目の又吉誠睦さんのこと

さて、「枡形城・落日の舞い」ですが、今日も配役の発表はありませんでした。しかし、どうやらもう最後までいきそうなので、「川崎市」のサブカテゴリに「枡形城・落日の舞い」を作ることにしました。
そして、今日はこんな感じ。
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4回目。新しい方2名で累計13名。
お名前の方は、配役が決まってから追々ご紹介ということに。役がなければ役者は何者でもないのですから。何者でもないまま4週間は、ちと長い。

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tag: 丸尾聡  「クガニゼーク」のこと  金細工  「枡形城落日の舞い」  川崎  京都  又吉健次郎 

粟国恭子さんの講演

今回の宇夫方女史の沖縄出張は、なかなかタイトなスケジュールだったようで、又吉健次郎さんから懸案の「クガニゼーク」についての話を聞く時間的余裕は全くなかったようです。

従って、健次郎さんからの新しい情報を待ってからと考えていた井上真喜ちゃんに貸してもらったDVDですが、ここでその内容をご紹介してしまおうと思います。

このDVDには2007年の夏、浦添美術館で開催された「沖縄の金細工」という展覧会で行われた粟国恭子さんの講演が収録されています。
 ⇒粟国恭子さんの自己紹介
粟国さんについては、BOOKS“じのん”店長の天久さんも、金細工のことならたぶん一番詳しい方なのではないかとおっしゃっていました。

さて、今僕が一番知りたいことは、元来「金細工」は「くがにぜーく」といわれていたことはほぼ確からしいが、それが何故現在の沖縄の多くの人が「かんぜーく」という呼んでなんとも不思議と思わなくなってしまったのか、その背景にはどんな状況の変遷があったのかということである。
首里王朝末期から、その崩壊とともに「金細工」という職人も歴史の表から消えていったのだが、その直前にはどう呼ばれていたのか、やがて戦後大和の濱田庄司や棟方志功などによって又吉一族の「金細工」が見出されることになるだが、その時はぞれぞれどう呼ばれ、あるいはどう名乗っていたのか。

結論からいうと、このDVDは、残念ながら僕の疑問に答えてはくれませんでした。この展覧会で扱っているのは沖縄の金属加工全般で、その興味は、今残っているジーファーや房指輪というごく一部の工芸ではなく、むしろ歴史の中で失われてしまった極めて高度な細かい彫金や刀を作る技術などのに向けられているようで、近代の歴史には全く言及されませんでした。
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それでも、「くがにぜーく」と「かんぜーく」という名称について全く触れられなかったというわけではありません。そのあたりの粟国さんの解説をいくつか拾ってみましょう。

今の職人さんには「かんぜーく」でいいよという方もおられることや、今や「かんぜーく」の方が一般的だと思っている人たちが多いということを認めながら、この時の展覧会の表記を「くがにぜーく」という言葉に統一したことの理由として、1534年の冊封使・陳侃の使録に「金」のことを「孔加尼(クガニ)」と記録されていることを上げています。ただ粟国さんは、これはウチナーグチではないとおっしゃる。しかし、「孔加尼」というのは実音に当てられた文字なのではないか、ならば当時の琉球では、金を「くがに」と言っていた証拠ではないのかと思ったのですが、そのあたりは、収録された講演ではさらりと通り過ぎました。いずれにしろ、「かんぜーく」でも「くがにぜーく」でも間違いではないというご見解のようです。
僕には彼女が言葉に関してさほどの興味を持ってはいらっしゃらないのではないかという印象を受けました。「金細工」をどう呼ぼうとも、こうした研究に障壁はないということなのでしょう。でもだからといって、僕の疑問と興味が消えるものでもありません。

去年の9月、琉球王府の金属に関する奉行所について色々と調べてこのブログでもご報告しました。
 ⇒又吉健次郎の「黄金細工」とは(09/11/14)
その時も、文字は残っていても、それをどう読んでいたのかについては、やはりどうもはっきりしませんでした。
粟国さん講演でも、「金細工」の管轄が「金奉行」→「小細工奉行」→「鍛冶奉行」というふうに移っていって、結局鉄を扱う「鍛冶奉行」が金属全てを管理するようになったということを説明されていますが、「金奉行」の読み方については、「くがにぶぎょう」でいいだろうという学者の意見を紹介するだけで、それも当時どう呼んでいたか(分からないといえばそれまでなのですが)ではなく、ただ今の研究において使う言葉として適切かどうかに限った話のように聞こえました。

できれば粟国さんにお会いする機会を作って、是非とも僕の疑問について、ご教授いただきたいと思っています。

tag: 「クガニゼーク」のこと  又吉健次郎  井上真喜  天久斉 

又吉健次郎さんに電話をしました。【Coccoと対談したんだよ】

又吉健次郎さんがCoccoと対談するという話は、もう去年の11月20日に健次郎さんから伺っていた。決まったら教えるさと言われていたけれど、どうやら対談は終わったらしいという情報が先にやってきた。まあ、予想通りといえば予想通り。こちらも忙しくて、そのままになっていたけれど、今日思い出して又吉さんに電話をしてみた。そしたら……
「ああ、出た出た」
……だって。何がどう出たのかよくわからない。まあ、このテーゲーな感じが又吉さんらしくっていいのですが。

あ、工房またよしのブログに、その時のことが書いてありました。
 ⇒金細工またよし工房日誌
しばらく中断していたブログを再開したんですね。
またまた「かんぜーく」と「くがにぜーく」の話ですが、ホームページのTOPは相変わらず「かんぜーく」のママ。でも再開第一号の記事では「金細工(くがにぜーく)」となっています。ところが次の2番目の記事では、「金細工(かんぜーく)秘話を物語りたげな風情のジーファー」なんて文章があったり、さらに興味深いのは年明け2月の記事に「琉球王朝の金細工(くがんぜーく)最後の職人」とあるのです。

この工房日誌はどなたが書いているのでしょう。今度いろいろゆっくりと伺ってみたいと思います。

沖縄タイムスのサイトにCoccoさんとの対談の動画がアップされていました。
(※いつまで見られるのか分かりませんが。)
 ⇒http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-04-17…

詩画集「幻影」の宇夫方隆士おじいもそうだったのだけれど、健次郎おじいもこの対談の中で「金細工」をやっぱり「かんぜーく、かんぜーく」と言っている。テロップは全部「くがにぜーく」となっているのに。又吉さんに聞けば「くがにぜーく」が正しいとおっしゃるのですが、長年の癖がしみついちゃってるようですな。
まあ、この点については、誰がいつからどんな事情で「金細工」を「かんぜーく」と呼ぶようになったのか、もう少しはっきり調べてからにしましょう。(ちょっと近頃多忙で研究が進んでいないのですが、忘れたわけではありません。)ともかく、そのうちどうでもいいみたいなことになってしまうのはいかがなものかとひとりのヤマトゥンチュは思っているのですが。沖縄の伝統や言葉の“現在”には、共通してそういうふうなところがあるのではないか。いい意味でも悪い意味でもちょっとテーゲー?

又吉健次郎さんによると、Coccoとの対談以降、今までとは違ったタイプの人たちからも問い合わせが来るようになったそうです。ああ、ますます「かんぜーく」になっちゃうねえ、きっと。

【12月に追伸】
2010年12月、健次郎さんとCoccoが対談した4月17日の新聞記事の画像を、4月17日の日付で差し込みました。

 ⇒又吉健次郎さんとCoccoの対談

なお、沖縄タイムスは、サイトで記事が見られる期間が比較的短いのでお知らせしておきますが、Coccoのおじいちゃんは沖縄芝居の名優、真喜志康忠さんであります。
そして、真喜志康忠さんは、比嘉光龍氏のウチナーグチの師匠です、と光龍さんのメールにありましたっけ。

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Coccoが愛する又吉健次郎さんの金細工は私たちの販売サイトでもお買い求めいただけます。
 ⇒M.A.P.販売サイト

tag: MAP扱い商品  「クガニゼーク」のこと  又吉健次郎  結び指輪 

裏ニンジンの日

3月2日、裏ニンジンの日
今日は裏ニンジンの日です。
糸満市では2月3日がニンジンの日。今日はその反対。
(この「今日は何の日沖縄篇」は旧暦の1月1日から始めたので2月3日は旧暦ではまだ去年。ということで、今さっき2月3日の記事に「ニンジンの日」のことを追加しました。)
糸満市では2月3日(ニンジンの日)から今日の3月2日(裏ニンジンの日)まで、毎年さまざまなイベントを行っています。
上原、ニンジン食ってるか?
【第5報】
高山正樹に頼まれて、「沖縄金細工」の資料DVDを受けとるために、真喜ちゃんとA&Wで会いました。
3月20日に、また真喜ちゃん、舞台でクェーナをやるそうです。今回はかなり面白いらしい。ちょうどそのころ玉城さんの焼物の窯出しがあるはず。もしかしたら見に来れるかも。
 ⇒前回のクェーナと「クェーナ」についての薀蓄

今日の井上真喜ちゃんと、クェーナのチラシと、高山正樹が楽しみにしているDVDの写真を送ります。
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今回の旅の報告は以上で終わり。明日はやく飛行機乗って東京へ戻ります。
(宇夫方路でした)

DVD、楽しみだなあ。でも忙しい。じっくり見て、ご報告できるのはいつかなあ。ああ、時間が欲しい……

tag: 沖縄この日何の日  「クガニゼーク」のこと  井上真喜  沖縄の旅_2010年3月 

「金細工の妙技映像化」の記事

又吉健次郎さんの技術を映像に残す、井上真喜ちゃんがやっている仕事です。
 ⇒関連記事を読む

その仕事のことが、沖縄タイムスで紹介されました。
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少しは完成に近づいたのかな。

記事の中の「金細工」には、きちんと「くがにぜーく」とルビが振ってありました。
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続きを読む

tag: 「クガニゼーク」のこと  又吉健次郎  井上真喜 

2009年の旅のエピローグ【BOOKS“じのん”店長 天久さん登場】

帰り際、久しぶりに“じのん”さんに寄りました。
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店長の天久さん、お顔は“M.A.P.after5” 初登場です。
(おきなわおーでぃおぶっくのブログでは既に出演済み。⇒08/9/15の記事

天久さんに、是非とも「カンゼーク」のことについて伺ってみたかったのです。
何故「金細工」と書いて「かんぜーく」と読むのか。

「やはり『かな』が訛って『かん』になったのではないですか」
「それがね、沖縄語辞典には『金』という意味の単語で『かん』という音が使われている言葉がひとつも載ってないのですよ」

天久さんは、さっそく売り場の本棚から「沖縄語辞典」を取り出して調べ始めました。

「ほんとですねえ。いや知らなかったなあ」

そして天久さんは、この先の探索の道を拓いてくださいました。沖縄で古書店一筋の天久さんでなければ、なかなかできないことです。それは・・・
いやいや、残念ながら、この先は、今はまだお話しすることはできません。

この“BOOKSじのん”さんには、沖縄にお住まいの学究的著名人が多数出入りしています。そんなわけで、ここに来るとインターネットでは発表できないような情報に色々と出会えるのです。その他にも掘り出し物が・・・・・
うー、しゃべりたい、でも我慢します。知りたい方は、東京の喜多見あたりで一杯やりながら・・・。

さて時間切れです。これからレンターカーを返して空港へ向かいます。「カンゼーク」と「クガニゼーク」のことも、ここらで一旦小休止となりますが、天久さんのお陰で、またまた沖縄に来る楽しみがひとつ、いや、ふたつほど増えました。

「わかったら僕にも教えてくださいね。とっても気になるから」

もちろん、ご報告に来ますとも。
でも、今度はいつ来れるのかなあ・・・


というわけで、今年の沖縄の旅はこれで打ち止め、長々とお付き合い、ありがとうございました。

tag: 天久斉  「クガニゼーク」のこと  沖縄の旅_2009年12月  じのん