2011年02月10日(木)14時58分
沖縄語の音韻講座(2)【カ行】
《2月10日》ア行に続き、カ行です。
ちょっと面倒なので、後日書きますが……
でも、ならば何故「カ行」をこの日に記事にするのか。
それは宮澤寿君が宇夫方隆士さんに盛岡弁を習いに来ていたから。
(M.A.P.事務所の奥の部屋にて)

全て、後日です。
ちょっと面倒なので、後日書きますが……
でも、ならば何故「カ行」をこの日に記事にするのか。
それは宮澤寿君が宇夫方隆士さんに盛岡弁を習いに来ていたから。
(M.A.P.事務所の奥の部屋にて)
全て、後日です。
tag: 【音韻講座】
2011年01月25日(火)23時03分
沖縄語の音韻講座(1)【ア行】《新沖縄文字へのいくつかの提案》
《One Break》
昨年の3月21日以来、ほぼ10ヶ月ぶりに沖縄語音韻講座を再開します。いよいよ本編です。
まずはア行から。
同時に、声門破裂音のア行も説明しましょう。
沖縄語の「あ・い・う・え・お」には声門破裂音とそうではないのと2通りあるということは、10ヶ月前の記事で書きました。

上段が声門破裂音をともなわない音で、下段の赤文字が声門破裂音です。[?]は声門破裂音を表すIPA表記です。この[?]の有無が「弁別的な機能を果たしている」ということが、沖縄語の特色なのだということも書きました。
まず、10ヶ月前の記事をお読みください。
⇒声門破裂音について【沖縄語音韻講座プロローグ(5)】
厳密に言うと、声門破裂音と区別するために、声門破裂音でない音には、その前に[’]を付けます。

沖縄語50音表のア行は、この2行で確定です。
日本語にも、声門破裂音の「?あ」「?い」「?う」「?え」「?お」と、そうではない「’あ」「’い」「’う」「’え」「’お」の両方の音が存在しているのだけれど、どちらを使っても言葉の意味が変わることはないので、意識して使い分けられることもなく、したがって表記は弁別性のない「あ」「い」「う」「え」「お」の一通りしかありません。従って、聞き分けることもしません。
しかし、沖縄語の場合は、声門破裂音かそうでないかによって、意味が変わってしまう単語があります。
「?うとぅ」:音、「’うとぅ」:夫
「?いん」:犬、「’いん」:縁
「?おーじ」:扇、「’おーじ」:王子
……etc.
これが「弁別的」ということであって、従って正しい沖縄語を習得するためには、どうしても声門破裂音を自由に使い分け、聞き分けられなければならない、というわけです。
この声門破裂音を具体的に理解するために、我々が無意識に発音している母音が、いったいどういう時に声門破裂音になり、またどういう時にならないのかを、実際に実験してみたいと思います。
まず、「あ」の一音だけ単独に発音してみてください。欠伸をしながらとか、息遣いの荒い状態であるようなことがなければ、その「あ」は、きっと声門破裂音です。「い」も「う」も「え」も「お」も、一音だけ発音すれば声門破裂音になるはずです。
次に「あいうえお」をひとつの単語であるかのように、「あいうえお」と、一気に続けて声に出してみてください。その場合、きっと最初の「あ」だけが声門破裂音で、後に続く「い」「う」「え」「お」は破裂しない音で発音されているはずです。
この実験でわかることは、日本人が普通に発音する場合、語頭の母音は自然に声門破裂音になり、語中の母音は声門破裂音にはならないということです。
沖縄語でも、単語の途中に声門破裂音が現れることはありません。ということは、声門破裂音の「弁別的」な問題は、単語の最初の一音だけに着目して、それが声門破裂音ではない場合だけを意識していればいい、なぜなら、それ以外は、日本語と同じだから、ということになりそうです。
そこで、新沖縄文字を考案した沖縄語を話す会の船津好明先生は、声門破裂を伴わない音の方にだけ、新しい文字をあてがいました。以下が新沖縄文字を使ったウチナーグチ50音表の、ア行の部分です。

上段の赤文字が声門破裂音(ということにしておきましょう)。下段が声門破裂を伴わない母音です。
「あ」には、声門破裂音ではない新しい文字はありません。それは、声門破裂音ではない「あ」が語頭にくる単語が、沖縄語にも存在しないからです。
また声門破裂を伴わない「お」の音には、新字ではなく既存の「を」の字を船津先生は充てられました。
※しかし、「を」と表記しては[wo]と発音されてしまう惧れがあり、この船津先生の選択に、僕は疑問を持っています。それについては下記記事を是非お読みください。
⇒「うちなーぐち講座《2》の2」
さて、僕自身が学習者としてこの新沖縄文字を実際に使ってみて、このア行に関して、少し戸惑ったことがありました。それについて、補足説明が必要であるように思います。
繰り返しますが、声門破裂音は語頭にしか現れません。単語の中間で現れる母音は、すべて破裂しない音です。
しかし、新沖縄文字の表記法では、語頭に破裂しない母音が来た時だけ新文字を使うというのがルールです。それ以外はすべて、つまり語中の破裂しない母音に対しても、見慣れた通常の仮名文字を使って表わすのです。
実際には、「あ」にも声門破裂音とそうでない音が存在するのですが、しかし文字はひとつです。それは先に述べたように、単語の頭に声門破裂音ではない「あ」が来ることがないからなのです。
当初僕は、音と文字が1対1に対応していないことに、大変戸惑いました。しかし今は、それで新沖縄文字に不備があるとは思っていません。新沖縄文字は、日本の仮名文字に慣れた方々が、できるだけ負担なく沖縄語を学べるアイテムとして開発されたものですから、論理的整合性よりも現実的な使い易さを優先することは正しいし、それこそが他の言語学者の方々が考案した表記法と、新沖縄文字が一線を画しているところで、だからこそ沖縄で沖縄語を守ろうとする多くの人たちから歓迎され、採用され始めている理由なのでしょう。
しかし、にもかかわらず、あえて指摘させていただきたいことがあります。
再度、上の新沖縄文字の50音表を見てください。下段の赤文字は「声門破裂音ではない音」ですが、それに対して上段は「声門破裂音」なのかというとそうではなく、「弁別性のない表記」というのが正しい説明でしょう。「声門破裂音」であることを強調する必要はないという判断があるようです。なぜなら、通常日本語を使っている学習者は、特に意識しなくても、「声門破裂音」については正しく発音するであろうということが、暗黙のうちに期待され信じられているからだと思うのです。確かに、実験結果はそれを裏付けているようにも見えます。
しかし、果たしてほんとうにそうでしょうか。
「あなた」という単語を、単独に発音すれば、いわゆる「標準語」を使う日本人は、語頭の「あ」は自然と声門破裂音になります。しかし単語は、一連の文章の中で使われることの方が多いのです。
「わたしと、あなた」
句読点「、」でワンブレイクを入れれば、「あなた」の「あ」は声門破裂音のママでしょう。
しかし……
「わたしとあなた」
……と続けた時、「あなた」の「あ」は途端に声門破裂音ではなくなってしまいます。
単独で「うとぅ」を発音すれば「?うとぅ(音)」になります。一方「’うとぅ」を単独で発音するのはなかなか難しい。かなり練習を要します。
しかし、文章になるとどうでしょうか。
例えば「うるさいうとぅ」と言ってみましょう。声門破裂音は意識しなくても大丈夫だという期待が正しければ、「うるさいうとぅ」は「うるさい音(?うとぅ)」になるはずです。しかし結果は逆です。続けて発音すると「’うとぅ」になります。「うるさい音」と言っているつもりが「うるさい夫」になってしまうのです。
つまり、文章の中間で使われる単語については、破裂しない音よりも、むしろ声門破裂音にこそ気をつけなければならないということなのです。
この問題にしばらく僕は困っていました。しかし、母音が頭にある単語が出てきたら、無条件にその単語の前にワンブレイクを入れて話せば、この問題はクリア出来るということに、最近気が付きました。そしてこれにはさらに想定外のうれしい発見があったのです。
母音から始まる単語の前にワンブレイクを入れ、破裂音を意識して発音すると、自然と単語の頭の母音が強調されます。それを母音から始まる単語の全てで行うと、沖縄のネイティブな人たちの雰囲気が出てくるのです。そのコツがわかれば、標準語の文章でも沖縄の人っぽく話すことができるようになります。これはいったいなぜなのでしょうか。
僕はこう考えました。
「沖縄語は声門破裂音かそうでないかによって意味の違う単語があるために(あったために)、声門破裂音をより強調して発音するという傾向が昔からある。たとえ標準語を喋っている時でも、沖縄の人の身体に染みこんだこの沖縄的発音の傾向はそのまま残っている。」
この発見に僕は最近益々確信を持ってきました。
今現在、新沖縄文字を使って沖縄語の勉強をしているのは、殆ど沖縄の人たちです。その人たちが、文章途中の声門破裂音に苦労しない理由も、ここにあるのではないかと思うのです。つまり、沖縄の人たちは、母音が頭にある単語が出てくると、無意識にわずかなブレイクを入れているのです。
しかしながら、それをするためには、文章の中でどこが単語の頭なのか、それが判断できなければなりません。しかし、沖縄語初心者にとっては、それがなかなかむずかしいのです。
従って僕は、単語の頭の母音については、声門破裂音にも専用文字を充てて欲しい、と思っているのです。そうなれば、新沖縄文字は、ますます沖縄語習得に便利なグッズになるでしょう。数少ないヤマトゥンチュのユーザーの意見ではありますが。
さて、船津先生は如何お考えでしょうか。
昨年の3月21日以来、ほぼ10ヶ月ぶりに沖縄語音韻講座を再開します。いよいよ本編です。
まずはア行から。
同時に、声門破裂音のア行も説明しましょう。
沖縄語の「あ・い・う・え・お」には声門破裂音とそうではないのと2通りあるということは、10ヶ月前の記事で書きました。

上段が声門破裂音をともなわない音で、下段の赤文字が声門破裂音です。[?]は声門破裂音を表すIPA表記です。この[?]の有無が「弁別的な機能を果たしている」ということが、沖縄語の特色なのだということも書きました。
まず、10ヶ月前の記事をお読みください。
⇒声門破裂音について【沖縄語音韻講座プロローグ(5)】
厳密に言うと、声門破裂音と区別するために、声門破裂音でない音には、その前に[’]を付けます。

沖縄語50音表のア行は、この2行で確定です。
日本語にも、声門破裂音の「?あ」「?い」「?う」「?え」「?お」と、そうではない「’あ」「’い」「’う」「’え」「’お」の両方の音が存在しているのだけれど、どちらを使っても言葉の意味が変わることはないので、意識して使い分けられることもなく、したがって表記は弁別性のない「あ」「い」「う」「え」「お」の一通りしかありません。従って、聞き分けることもしません。
しかし、沖縄語の場合は、声門破裂音かそうでないかによって、意味が変わってしまう単語があります。
「?うとぅ」:音、「’うとぅ」:夫
「?いん」:犬、「’いん」:縁
「?おーじ」:扇、「’おーじ」:王子
……etc.
これが「弁別的」ということであって、従って正しい沖縄語を習得するためには、どうしても声門破裂音を自由に使い分け、聞き分けられなければならない、というわけです。
この声門破裂音を具体的に理解するために、我々が無意識に発音している母音が、いったいどういう時に声門破裂音になり、またどういう時にならないのかを、実際に実験してみたいと思います。
まず、「あ」の一音だけ単独に発音してみてください。欠伸をしながらとか、息遣いの荒い状態であるようなことがなければ、その「あ」は、きっと声門破裂音です。「い」も「う」も「え」も「お」も、一音だけ発音すれば声門破裂音になるはずです。
次に「あいうえお」をひとつの単語であるかのように、「あいうえお」と、一気に続けて声に出してみてください。その場合、きっと最初の「あ」だけが声門破裂音で、後に続く「い」「う」「え」「お」は破裂しない音で発音されているはずです。
この実験でわかることは、日本人が普通に発音する場合、語頭の母音は自然に声門破裂音になり、語中の母音は声門破裂音にはならないということです。
沖縄語でも、単語の途中に声門破裂音が現れることはありません。ということは、声門破裂音の「弁別的」な問題は、単語の最初の一音だけに着目して、それが声門破裂音ではない場合だけを意識していればいい、なぜなら、それ以外は、日本語と同じだから、ということになりそうです。
そこで、新沖縄文字を考案した沖縄語を話す会の船津好明先生は、声門破裂を伴わない音の方にだけ、新しい文字をあてがいました。以下が新沖縄文字を使ったウチナーグチ50音表の、ア行の部分です。

上段の赤文字が声門破裂音(ということにしておきましょう)。下段が声門破裂を伴わない母音です。
「あ」には、声門破裂音ではない新しい文字はありません。それは、声門破裂音ではない「あ」が語頭にくる単語が、沖縄語にも存在しないからです。
また声門破裂を伴わない「お」の音には、新字ではなく既存の「を」の字を船津先生は充てられました。
※しかし、「を」と表記しては[wo]と発音されてしまう惧れがあり、この船津先生の選択に、僕は疑問を持っています。それについては下記記事を是非お読みください。
⇒「うちなーぐち講座《2》の2」
さて、僕自身が学習者としてこの新沖縄文字を実際に使ってみて、このア行に関して、少し戸惑ったことがありました。それについて、補足説明が必要であるように思います。
繰り返しますが、声門破裂音は語頭にしか現れません。単語の中間で現れる母音は、すべて破裂しない音です。
しかし、新沖縄文字の表記法では、語頭に破裂しない母音が来た時だけ新文字を使うというのがルールです。それ以外はすべて、つまり語中の破裂しない母音に対しても、見慣れた通常の仮名文字を使って表わすのです。
実際には、「あ」にも声門破裂音とそうでない音が存在するのですが、しかし文字はひとつです。それは先に述べたように、単語の頭に声門破裂音ではない「あ」が来ることがないからなのです。
当初僕は、音と文字が1対1に対応していないことに、大変戸惑いました。しかし今は、それで新沖縄文字に不備があるとは思っていません。新沖縄文字は、日本の仮名文字に慣れた方々が、できるだけ負担なく沖縄語を学べるアイテムとして開発されたものですから、論理的整合性よりも現実的な使い易さを優先することは正しいし、それこそが他の言語学者の方々が考案した表記法と、新沖縄文字が一線を画しているところで、だからこそ沖縄で沖縄語を守ろうとする多くの人たちから歓迎され、採用され始めている理由なのでしょう。
しかし、にもかかわらず、あえて指摘させていただきたいことがあります。
再度、上の新沖縄文字の50音表を見てください。下段の赤文字は「声門破裂音ではない音」ですが、それに対して上段は「声門破裂音」なのかというとそうではなく、「弁別性のない表記」というのが正しい説明でしょう。「声門破裂音」であることを強調する必要はないという判断があるようです。なぜなら、通常日本語を使っている学習者は、特に意識しなくても、「声門破裂音」については正しく発音するであろうということが、暗黙のうちに期待され信じられているからだと思うのです。確かに、実験結果はそれを裏付けているようにも見えます。
しかし、果たしてほんとうにそうでしょうか。
「あなた」という単語を、単独に発音すれば、いわゆる「標準語」を使う日本人は、語頭の「あ」は自然と声門破裂音になります。しかし単語は、一連の文章の中で使われることの方が多いのです。
「わたしと、あなた」
句読点「、」でワンブレイクを入れれば、「あなた」の「あ」は声門破裂音のママでしょう。
しかし……
「わたしとあなた」
……と続けた時、「あなた」の「あ」は途端に声門破裂音ではなくなってしまいます。
単独で「うとぅ」を発音すれば「?うとぅ(音)」になります。一方「’うとぅ」を単独で発音するのはなかなか難しい。かなり練習を要します。
しかし、文章になるとどうでしょうか。
例えば「うるさいうとぅ」と言ってみましょう。声門破裂音は意識しなくても大丈夫だという期待が正しければ、「うるさいうとぅ」は「うるさい音(?うとぅ)」になるはずです。しかし結果は逆です。続けて発音すると「’うとぅ」になります。「うるさい音」と言っているつもりが「うるさい夫」になってしまうのです。
つまり、文章の中間で使われる単語については、破裂しない音よりも、むしろ声門破裂音にこそ気をつけなければならないということなのです。
この問題にしばらく僕は困っていました。しかし、母音が頭にある単語が出てきたら、無条件にその単語の前にワンブレイクを入れて話せば、この問題はクリア出来るということに、最近気が付きました。そしてこれにはさらに想定外のうれしい発見があったのです。
母音から始まる単語の前にワンブレイクを入れ、破裂音を意識して発音すると、自然と単語の頭の母音が強調されます。それを母音から始まる単語の全てで行うと、沖縄のネイティブな人たちの雰囲気が出てくるのです。そのコツがわかれば、標準語の文章でも沖縄の人っぽく話すことができるようになります。これはいったいなぜなのでしょうか。
僕はこう考えました。
「沖縄語は声門破裂音かそうでないかによって意味の違う単語があるために(あったために)、声門破裂音をより強調して発音するという傾向が昔からある。たとえ標準語を喋っている時でも、沖縄の人の身体に染みこんだこの沖縄的発音の傾向はそのまま残っている。」
この発見に僕は最近益々確信を持ってきました。
今現在、新沖縄文字を使って沖縄語の勉強をしているのは、殆ど沖縄の人たちです。その人たちが、文章途中の声門破裂音に苦労しない理由も、ここにあるのではないかと思うのです。つまり、沖縄の人たちは、母音が頭にある単語が出てくると、無意識にわずかなブレイクを入れているのです。
しかしながら、それをするためには、文章の中でどこが単語の頭なのか、それが判断できなければなりません。しかし、沖縄語初心者にとっては、それがなかなかむずかしいのです。
従って僕は、単語の頭の母音については、声門破裂音にも専用文字を充てて欲しい、と思っているのです。そうなれば、新沖縄文字は、ますます沖縄語習得に便利なグッズになるでしょう。数少ないヤマトゥンチュのユーザーの意見ではありますが。
さて、船津先生は如何お考えでしょうか。
2010年03月21日(日)23時35分
声門破裂音について【沖縄語の音韻講座、プロローグ(5)】
⇒沖縄語の音韻講座を始めから読む
『沖縄大百科事典』の「琉球方言の子音」の項において、「琉球方言の子音の特徴」として、第一番目に声門破裂音(glottal stop)の[?]があることを上げています。
? は、声門破裂音を表すIPA表記(国際音声記号)です。
(以下、青字は『沖縄大百科事典』より引用)
「?は語頭に立ち、母音や半母音w、jの直前に位置する」
まず半母音について確認をしておきましょう。
上の分の中の[j]は、ローマ字でいえば[y]のことです。半母音については、前回の音韻講座でもちょっと触れましたが、音声学的にきっちり説明しようとするとけっこうややこしいのです。でもここでは、子音だけれども他の子音とはちょっと違って、母音的な正確を併せ持つ子音である、くらいにで事足りるのではないでしょうか。例えば[wa]ですが、これ[u]と[a]を、すばやく連続して言った感じじゃありませんか。[ya]は[i]と[a]、[yu]は[i]と[u]みたいな感じ。だから[ya]は母音的であり、従って、その前に別の子音が来ることができるというのです。[r]が付けば[rya](りゃ)、[n]が付けば[nya](にゃ)とかいう音になるわけですね。
そこで、?(声門破裂音)に話を戻しましょう。先の文章の「母音や半母音w、jの直前に位置する」の意味は、まず母音の「あ・い・う・え・お」と、子音の「わ」と「や・ゆ・よ」の前に?がくっつくことがあり、くっつくと、それらの音が声門破裂音になるということです。
さて、では声門破裂音とはどういう音なのでしょうか。これまでも、何度も苦しい説明をしてきました。
⇒FM世田谷に出演した時は、さっぱり分かりませんという話をしました。
⇒儀間進さんはウッと荷物を持つ時のように喉仏の下あたりに力を入れるとおっしゃいました。津嘉山さんは[?wa]を言う時、「う」と「わ」を一緒に言うのだとおっしゃっていました。
⇒ちょうど一年前には少し言語学的に説明してみました。
あんまり参考にしたくないWikipediaですが、そこには「子音の類型の一つ。閉じた声門が開放されて起こる破裂音。咳をする直前に感じられるような声帯の締め付け具合から一気に息を出したときに出る音。」となっています。
まあ、いくら文章で書いたって、よく分かりませんよね。
さて、次に「?は語頭に立ち」ということは、必ず単語の頭で使われ、単語の途中に現れることはないということです。そして、母音や半母音から始まる単語には、?が付く言葉と、?が付かない言葉があるよということをいっているのです。
「この音声が弁別的な機能を果たしているのは、日本語のなかで琉球方言だけである。」
さて、これはどういう意味なんでしょうか。これは日本の中で沖縄の言葉だけに声門破裂音があって、他の地域にはないということを表現しているのではありません。他の地域では、?が語頭に付こうが付くまいが意味は同じだが、沖縄の言葉の場合は?が付くか付かないかで意味が変わってしまう場合がある、ということなのです。それが「弁別的」という意味です。
⇒(参考記事)音韻と音声の違いについて
さて、一応、声門破裂音については今日のところはこのくらいにして、前回の50音表(もう50音ではありませんが)に、声門破裂音の行を付け加えてみましょう。
声門破裂音があるのは母音と半母音の[y]と[w]です。

さあ、これでとりあえず準備完了。次回からは、いよいよ音韻講座の本編です。でも、今日のこの50音表が完成形なのではありません。、本編の中で、さらに修正していかなければなりません。
⇒沖縄語の音韻講座、本編(1)【ア行】へ
『沖縄大百科事典』の「琉球方言の子音」の項において、「琉球方言の子音の特徴」として、第一番目に声門破裂音(glottal stop)の[?]があることを上げています。
? は、声門破裂音を表すIPA表記(国際音声記号)です。
(以下、青字は『沖縄大百科事典』より引用)
「?は語頭に立ち、母音や半母音w、jの直前に位置する」
まず半母音について確認をしておきましょう。
上の分の中の[j]は、ローマ字でいえば[y]のことです。半母音については、前回の音韻講座でもちょっと触れましたが、音声学的にきっちり説明しようとするとけっこうややこしいのです。でもここでは、子音だけれども他の子音とはちょっと違って、母音的な正確を併せ持つ子音である、くらいにで事足りるのではないでしょうか。例えば[wa]ですが、これ[u]と[a]を、すばやく連続して言った感じじゃありませんか。[ya]は[i]と[a]、[yu]は[i]と[u]みたいな感じ。だから[ya]は母音的であり、従って、その前に別の子音が来ることができるというのです。[r]が付けば[rya](りゃ)、[n]が付けば[nya](にゃ)とかいう音になるわけですね。
そこで、?(声門破裂音)に話を戻しましょう。先の文章の「母音や半母音w、jの直前に位置する」の意味は、まず母音の「あ・い・う・え・お」と、子音の「わ」と「や・ゆ・よ」の前に?がくっつくことがあり、くっつくと、それらの音が声門破裂音になるということです。
さて、では声門破裂音とはどういう音なのでしょうか。これまでも、何度も苦しい説明をしてきました。
⇒FM世田谷に出演した時は、さっぱり分かりませんという話をしました。
⇒儀間進さんはウッと荷物を持つ時のように喉仏の下あたりに力を入れるとおっしゃいました。津嘉山さんは[?wa]を言う時、「う」と「わ」を一緒に言うのだとおっしゃっていました。
⇒ちょうど一年前には少し言語学的に説明してみました。
あんまり参考にしたくないWikipediaですが、そこには「子音の類型の一つ。閉じた声門が開放されて起こる破裂音。咳をする直前に感じられるような声帯の締め付け具合から一気に息を出したときに出る音。」となっています。
まあ、いくら文章で書いたって、よく分かりませんよね。
さて、次に「?は語頭に立ち」ということは、必ず単語の頭で使われ、単語の途中に現れることはないということです。そして、母音や半母音から始まる単語には、?が付く言葉と、?が付かない言葉があるよということをいっているのです。
「この音声が弁別的な機能を果たしているのは、日本語のなかで琉球方言だけである。」
さて、これはどういう意味なんでしょうか。これは日本の中で沖縄の言葉だけに声門破裂音があって、他の地域にはないということを表現しているのではありません。他の地域では、?が語頭に付こうが付くまいが意味は同じだが、沖縄の言葉の場合は?が付くか付かないかで意味が変わってしまう場合がある、ということなのです。それが「弁別的」という意味です。
⇒(参考記事)音韻と音声の違いについて
さて、一応、声門破裂音については今日のところはこのくらいにして、前回の50音表(もう50音ではありませんが)に、声門破裂音の行を付け加えてみましょう。
声門破裂音があるのは母音と半母音の[y]と[w]です。

さあ、これでとりあえず準備完了。次回からは、いよいよ音韻講座の本編です。でも、今日のこの50音表が完成形なのではありません。、本編の中で、さらに修正していかなければなりません。
⇒沖縄語の音韻講座、本編(1)【ア行】へ
2010年01月18日(月)21時55分
第4回 沖縄語を話す会【沖縄語の音韻講座、プロローグ(4)】&講座《8》
前回(第3回)の喜多見で沖縄語を話す会は、去年の12月3日、事務所の小部屋でやりました。
12月14日、アサヒタウンズに紹介記事が掲載されると、多くの方からお問い合わせがあり、12月25日の忘年会を兼ねた“金城さんの沖縄料理を食べる会”をご案内したところ、たくさんの方にお越しいただきました。
そして本日、今年最初の“喜多見で沖縄語を話す会”の日がやってきました。
大盛況です。この短い期間でこんなふうになるなんて、きっとこれが「うちなーぐち」の力なんですね。

ところで、M.A.P.after5ウチナーグチ講座のほうがちっとも進んでいませんなあ。
ということで、ここらでちょちょいと半母音のお話を。
【沖縄語の音韻講座、プロローグ(4)】
⇒沖縄語の音韻講座を始めから読む
半母音も、言語学的に突き詰めればなかなか難しく、様々な考え方、説明の仕方があるようですが、ここでは日本語と沖縄語を考える上で必要なことだけ、簡単に説明いたします。厳密じゃないと怒らないでくださいませ。
日本語の母音は、あ・い・う・え・お の五つ。それに子音(k・S・T……)がくっついたものがあって日本語の音が出来ているわけですが、その子音と思しきものの中に、半母音がふたっつ混ざっています。それがWとYです。
この2個の子音が他の子音と違うところは、このWとYは、母音と他の子音の間に挟まって機能する場合があるということです。例えば、ひゃ(hya)とか、びゅ(byu)とか。
この母音と子音の間に挟まる[y]については、日本語と沖縄語に特に違いはないので、もう忘れてください。しかし[w]の方はそうはいかない。日本語の50音表には、母音と子音に挟まる[w]は見当たりませんが、沖縄語にはあるのです。それが[kw]と[gw]です。
そこで、前回の沖縄語の音韻講座プロローグ(3)の50音表に、この新たな2行を加えることにしましょう。

この日の川岸さんのお土産、シークァーサー。

さあ、これで沖縄の50音表が完成して、いよいよ音韻講座の本編に入れるのか、と思いきや、そうはいかないのです。
母音と子音に挟まれない場合の、つまり他の子音と同じ使われ方の[y]と[w]と、本来の母音と、こいつらが、沖縄語の音韻において、もっとも曲者なのです。結論から言うと、この沖縄語における半母音と母音は、それぞれ声門破裂音とそうでない場合とを分けなければいけないのです。
「あぬ うとー うとぅ うっちょーん」(あのご主人は評判がいい)
「うとー」の「う」は破裂しない。「うとぅ」と「うっちょーん」の「う」は破裂する。
富久さんの頭も、破裂寸前です。

声門破裂音については次回に詳しく。
⇒沖縄語の音韻講座、プロローグ(5)へ
とりあえず声門破裂音のサブカテゴリーだけ作ってみました。
今日もあっちへ脱線、こっちに転覆。そのあたりは五味さんのブログへ。
⇒この日の五味さんの記事
そういうわけで、肝心要のお勉強の方は、たったふたつの構文を習っただけで終ってしまいました。
うちなーぐち講座《8》
くれー、ぬーやが。(此れは何?)
くれー、ムーチーやん。(此れは餅だ)
くれー、ぬーやいびーが。(此れは何ですか?)
くれー、ムーチーやいびーん。(此れは餅です)

金城さんが作ってきてくれました。間もなく鬼餅(ムーチー)。初孫ができたので、皆さんに配るためにいっぱい作ったんだって。
くゎっちーさびたん。(ごちそうさまでした)
(※あれ、「くゎ」じゃなくて「くぁ」じゃないのかって?そうなんです。「くゎ」って書いたり「くぁ」って書いたり、色んな人が色々な書き方をしているのです。これが沖縄語の表記問題です。それを何とかしようというひとつの提案が「新沖縄文字」なのです。)
12月14日、アサヒタウンズに紹介記事が掲載されると、多くの方からお問い合わせがあり、12月25日の忘年会を兼ねた“金城さんの沖縄料理を食べる会”をご案内したところ、たくさんの方にお越しいただきました。
そして本日、今年最初の“喜多見で沖縄語を話す会”の日がやってきました。
大盛況です。この短い期間でこんなふうになるなんて、きっとこれが「うちなーぐち」の力なんですね。
ところで、M.A.P.after5ウチナーグチ講座のほうがちっとも進んでいませんなあ。
ということで、ここらでちょちょいと半母音のお話を。
【沖縄語の音韻講座、プロローグ(4)】
⇒沖縄語の音韻講座を始めから読む
半母音も、言語学的に突き詰めればなかなか難しく、様々な考え方、説明の仕方があるようですが、ここでは日本語と沖縄語を考える上で必要なことだけ、簡単に説明いたします。厳密じゃないと怒らないでくださいませ。
日本語の母音は、あ・い・う・え・お の五つ。それに子音(k・S・T……)がくっついたものがあって日本語の音が出来ているわけですが、その子音と思しきものの中に、半母音がふたっつ混ざっています。それがWとYです。
この2個の子音が他の子音と違うところは、このWとYは、母音と他の子音の間に挟まって機能する場合があるということです。例えば、ひゃ(hya)とか、びゅ(byu)とか。
この母音と子音の間に挟まる[y]については、日本語と沖縄語に特に違いはないので、もう忘れてください。しかし[w]の方はそうはいかない。日本語の50音表には、母音と子音に挟まる[w]は見当たりませんが、沖縄語にはあるのです。それが[kw]と[gw]です。
そこで、前回の沖縄語の音韻講座プロローグ(3)の50音表に、この新たな2行を加えることにしましょう。

この日の川岸さんのお土産、シークァーサー。
さあ、これで沖縄の50音表が完成して、いよいよ音韻講座の本編に入れるのか、と思いきや、そうはいかないのです。
母音と子音に挟まれない場合の、つまり他の子音と同じ使われ方の[y]と[w]と、本来の母音と、こいつらが、沖縄語の音韻において、もっとも曲者なのです。結論から言うと、この沖縄語における半母音と母音は、それぞれ声門破裂音とそうでない場合とを分けなければいけないのです。
「あぬ うとー うとぅ うっちょーん」(あのご主人は評判がいい)
「うとー」の「う」は破裂しない。「うとぅ」と「うっちょーん」の「う」は破裂する。
富久さんの頭も、破裂寸前です。
声門破裂音については次回に詳しく。
⇒沖縄語の音韻講座、プロローグ(5)へ
とりあえず声門破裂音のサブカテゴリーだけ作ってみました。
今日もあっちへ脱線、こっちに転覆。そのあたりは五味さんのブログへ。
⇒この日の五味さんの記事
そういうわけで、肝心要のお勉強の方は、たったふたつの構文を習っただけで終ってしまいました。
うちなーぐち講座《8》
くれー、ぬーやが。(此れは何?)
くれー、ムーチーやん。(此れは餅だ)
くれー、ぬーやいびーが。(此れは何ですか?)
くれー、ムーチーやいびーん。(此れは餅です)
金城さんが作ってきてくれました。間もなく鬼餅(ムーチー)。初孫ができたので、皆さんに配るためにいっぱい作ったんだって。
くゎっちーさびたん。(ごちそうさまでした)
(※あれ、「くゎ」じゃなくて「くぁ」じゃないのかって?そうなんです。「くゎ」って書いたり「くぁ」って書いたり、色んな人が色々な書き方をしているのです。これが沖縄語の表記問題です。それを何とかしようというひとつの提案が「新沖縄文字」なのです。)
tag: ムーチー シークヮーサー とみ久さん 【総合講座】 ゆんたくの会 声門破裂音 【音韻講座】 新沖縄文字 事務所の光景
2009年11月16日(月)22時14分
沖縄国際大学西岡敏ゼミ研究室【沖縄語の音韻講座、プロローグ(3)】
《高山正樹》
那覇空港到着(16:00)。新城亘さん國吉眞正さんと、ホテルのロビーで待ち合わせて、沖縄国際大学、西岡ゼミの研究室へ(18:30)。
亘さんが西岡敏准教授に繋いでくださったのです。

「ウチナーグチを守ろう」
最近の沖縄で、よく聞かれるスローガンです。
行政も動き始めているようです。あの悪名高き方言札の時代を思うと、隔世の感があります。しかし、いったいどうしたらウチナーグチをきちんと残していけるのか、なかなか困難なのです。
そのひとつに、表記の問題があります。このことについては、M.A.P.after5でも幾度か書いてきました。
⇒沖縄語を巡るフリートーク
⇒キリスト教学院の図書館へ【親富祖恵子さんのこと】
今、何人かの言語学者の方々が、それぞれの表記法を唱えていらっしゃいます。しかし、どれがいいのかの評価は定まっておらず(というより大方の人は表記問題には無頓着です)、また言語学とは関係のない人たちは、自分の喋る音を、カナを駆使してその都度書き表わしているというのが現状なのです。
例えば儀間進氏のエッセイでさえ、同じ「どぅ」という表記でも、[doo]と読むべき場合があったり、[du]だったり、[duu]だったりするのです。ウチナーグチをある程度理解している方々なら問題なく読み分けてくださるでしょう。しかし、ウチナーグチのわからないものにとっては、これは大変に困ったことです。「どぅ」という表記を自然に読むとどうなるか、漫画で自由な擬音に慣れている若者と、明治の頃の小説をたくさん読んでいらしたご年配の方とは違っているかもしれません。そういう中で、間違った発音のウチナーグチが氾濫していくという事態が起こっています。
この日、國吉眞正さんは、船津好明さんの考案された新沖縄文字が、いかに優れているかについて、精力的に語られました。このお歳で、これほど情熱を持っていらっしゃる國吉さんに、あらためて頭の下がる思いがしたのです。
M.A.P.after5でも、新沖縄文字について、ちょっとだけご報告したことがあります。
⇒うちなーぐち講座《5》【形容詞の否定】【新沖縄文字】
しかし、今までのところ、まだきちんと詳しくご紹介はしていません。それは、M.A.P.として、様々な表記法を比較検討するまでに到っていないからです。
しかしながら今日は、船津さんの考案した新沖縄文字について、率直に思っていることを語ってみたくなりました。
「僕も当初、この新しい文字に、ちょっとした違和感を感じたのです。どの音にどの表記を当てるかは単なるルールに過ぎないのだから、どんな記号を使おうとかまわないはずだ。ならば今ある仮名文字を使って、この音のときはこう書くという決まりを作ればいいだけのことではないか、その方が一般にも受け入れてもらいやすいのではないかと。でも、実際に新沖縄文字を使って教えてもらうと、仮名文字を使うよりもはるかにわかりやすいのです。それは何故なのかと考えてみました。それは、新沖縄文字は、ここでこの発音をしなさいというわかりやすい指示となっているからなのです。いつも使っている仮名文字での表現ではそうはいきません。ややもすると、沖縄特有の音韻ということが、たいへんにぼやけてしまう。
また、現状、既存の仮名文字を使ってたくさんのウチナーグチの文章が書かれていますが、それらはいったいどのルールで書かれているのか、そもそも一定の決められたルールに拠っているのか、さっぱりわからない場合が多いのです。
その点、この新沖縄文字を使うと、この音で発音せよという明確な指示を伝えることができるのです。その意味で、新沖縄文字は、ウチナーグチを学ぼうとする初心者にとっては、たいへん有効な指針となるのです。」
僕のこの素人の意見に、若き言語学者の西岡敏先生は、ありがたいことに理解を示してくださいました。
ふと見ると、研究室の壁に、M.A.P.でも販売している50音表が貼られてありました。
調子に乗って、恐れを知らぬ素人は、なおも発言を続けます。
「沖縄の音韻を理解するためには、まず日本語の50音表のいい加減さを理解することが有効だと思うんです。」
さて、ここで……
前回のウチナーグチ講座で、次回は「半母音について」と予告しましたが、せっかくなので、半母音のことをお話する前に、この際「日本語の50音表」について、ちょっと考察してみたいと思います。
というわけで……
【急遽開催!沖縄語の音韻講座、プロローグ(3)】
⇒沖縄語の音韻講座を始めから読む
仮名は、基本的には表音文字です。例えば「た」という文字は[ta]という音で読まれなければなりません。仮名1個が1個の音に、一対一で対応しています。
日本語には母音が5つあり、それぞれがすべての子音と完全に対応しているため、50音表は日本語の仮名を理解するためにはとっても便利なアイテムです……、ということになっています。

はたして、ほんとういそうなのでしょうか。正しくは、「日本語の5つの母音は、子音と完全に対応していた」と、過去形でいうべきなのです。
わたしたち日本人は、たとえば「た」と「ち」は、それぞれ同じ子音[t]に母音の[a]と[i]がくっついていると思っています。しかし実はそうではありません。「た」は[ta]ですが、「ち」は[ti]ではありません。[ti]なら、それは「てぃ」と読まれなければならないのです。現代人は「ち」を[ci]と発音している。つまり「ち」の子音は[t]ではなく[c」なのです。
しかし、古代の大和では、「ち」は「てぃ([ti])」と発音していたらしい。同様の例はたとえば「さ行」にも「は行」にも、それ以外にもたくさんあります。つまり、その頃は、今よりもずっと、50音表の整合が取れていたのだといわれているのです。しかし、その後の音韻変化によって、その音自体は変わっていったのですが、50音表は旧来の並びのまま使われ続け、結果日本語の50音表の音韻的整合性は失われていきました。
ところが、沖縄語には、この日本語では失われた音韻が、昔のまま残っているのです。「てぃ」とか「どぅ」とかがそれです。さて、そうした音を、既存の日本語の50音表に入れ込もうとしたら、どうすればいいのでしょうか。沖縄語特有の音韻のために、新しい行を付け加えればいいのでしょうか。いえいえそうではありません。まずは現行の50音表を、現在の発音(子音)の通りに並び替えてみればいいのです。そうすると、新たな50音表の中に、沖縄語特有の音韻の、納まるべき指定席のあることがわかるはずです。

※例えば、●赤丸のところには「てぃ(ti)」が入ります。
※また、このほかに、声門破裂音がらみと、j・wといった半母音がらみの新しい行が必要となります。
この新しい50音表に新沖縄文字を当てはめていけば、沖縄特有の音を、容易に理解することができるのです。
各行の詳しい説明は、後日“沖縄語の音韻講座”でお伝えしていく予定です。
⇒沖縄語の音韻講座、プロローグ(4)へ
さて、西岡ゼミの研究室に戻りましょう。
表音文字の「かな文字」について、「仮名1個が1個の音に対応している」と述べましたが、しかしこれはあくまでも基本です。例えば、「〜へ」という助詞は、[he]ではなく[e]と読まれています。というより「え」ではなく「へ」と書かなければならないというほうが正確でしょうか。また、かつては「てふてふ」と書いて「ちょうちょう」と読ませたとか、「けふ」は「きょう」だった、などなど。
⇒「はべる」と「てふてふ」うちなーぐち講座《2》の2
こうしたことは、実は沖縄語にもあるのです。特に古典的な文章にそれが多い。これが沖縄語の表記の問題を、さらにややこしくしています。
また、拗音(「ちゃ」とか「ぎゅ」とか)は、1モーラ(※)でありながら大文字1個に小文字をくっつけて2文字で表わしています。(※モーラ:一定の時間的長さをもった音の分節単位。)
新沖縄文字は一音(1モーラ)につき一文字を基本としていて、「てぃ」は「て」と「ぃ」をくっつけた新しい図案の一文字で表しています。
西岡先生は、「こういう文字のことを言語学では合字というんですよ」と、世界の他の合字の例を上げて教えてくださいました。
「でも、拗音はそのまま使うんですね」
これは学者の視点だと、密かに感じたのでした。「一音一文字」ということの統一性を確保しなくてよいのか、新沖縄文字の考案者で数学者でもある船津好明さんは、これについてなんとおっしゃるのか、今度聞いてみたいなあ。
「パソコンで使える文字にするということも重要ですが、検索ということを考えた時、文字の順番も重要です。」
「パソコンの検索ですか?」
「いえ、辞書に掲載する文字の順番です。辞典などを引く時にはどうしても必要なことです。元来50音表はサンスクリットの音韻学がその起源だといわれています。その並びにも意味があるのです。新しい50音表は、是非そのあたりを考慮して作るのがいいと思いますよ」
なるほど、こういう話を聞くと腕が鳴ります。あ、これは船津先生にお任せすることですね。素人がでしゃばってはいけません。
そして、もうひとつ、忘れてはならない重要なことを西岡先生はおっしゃいました。
「首里や那覇あたりなら、この新沖縄文字で十分ですね」
西岡先生も、数年前に沖縄語の表記法を試案として考えられたことがあり、それをネットで公開していらっしゃいます。それは奄美から波照間島の音韻にまで及んでいて、並べられたその多様な音韻をあらためて眺めていると、目がクラクラしてくるのです。
⇒http://www8.ocn.ne.jp/~nisj/
結論として、言語学的に沖縄語の音韻を網羅するのならば、新沖縄文字もまだまだ改良する必要があるのかも知れないが、ウチナーグチを勉強するためのアイテムとしての有効性は、西岡先生も十分に認めてくださったようです。
実は西岡先生は、船津さんの「美しい沖縄の方言」を大切に持っていらっしゃいました。
⇒「美しい沖縄の方言」
この「美しい沖縄の方言」は、西岡先生が沖縄語の勉強を始められた時の、最初の教科書だったのだそうです。
最後に、西岡先生は、もし新沖縄語を使った書籍を出版するようなことがあれば、推薦文を書いてくださるということを快くお約束してくださいました。
「この本には思い入れがありますから」

新しい50音表が出来上がったら、またお伺いさせていただきたいと思います。
西岡先生どの。本日は、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いいたします。
那覇空港到着(16:00)。新城亘さん國吉眞正さんと、ホテルのロビーで待ち合わせて、沖縄国際大学、西岡ゼミの研究室へ(18:30)。
亘さんが西岡敏准教授に繋いでくださったのです。
「ウチナーグチを守ろう」
最近の沖縄で、よく聞かれるスローガンです。
行政も動き始めているようです。あの悪名高き方言札の時代を思うと、隔世の感があります。しかし、いったいどうしたらウチナーグチをきちんと残していけるのか、なかなか困難なのです。
そのひとつに、表記の問題があります。このことについては、M.A.P.after5でも幾度か書いてきました。
⇒沖縄語を巡るフリートーク
⇒キリスト教学院の図書館へ【親富祖恵子さんのこと】
今、何人かの言語学者の方々が、それぞれの表記法を唱えていらっしゃいます。しかし、どれがいいのかの評価は定まっておらず(というより大方の人は表記問題には無頓着です)、また言語学とは関係のない人たちは、自分の喋る音を、カナを駆使してその都度書き表わしているというのが現状なのです。
例えば儀間進氏のエッセイでさえ、同じ「どぅ」という表記でも、[doo]と読むべき場合があったり、[du]だったり、[duu]だったりするのです。ウチナーグチをある程度理解している方々なら問題なく読み分けてくださるでしょう。しかし、ウチナーグチのわからないものにとっては、これは大変に困ったことです。「どぅ」という表記を自然に読むとどうなるか、漫画で自由な擬音に慣れている若者と、明治の頃の小説をたくさん読んでいらしたご年配の方とは違っているかもしれません。そういう中で、間違った発音のウチナーグチが氾濫していくという事態が起こっています。
この日、國吉眞正さんは、船津好明さんの考案された新沖縄文字が、いかに優れているかについて、精力的に語られました。このお歳で、これほど情熱を持っていらっしゃる國吉さんに、あらためて頭の下がる思いがしたのです。
M.A.P.after5でも、新沖縄文字について、ちょっとだけご報告したことがあります。
⇒うちなーぐち講座《5》【形容詞の否定】【新沖縄文字】
しかし、今までのところ、まだきちんと詳しくご紹介はしていません。それは、M.A.P.として、様々な表記法を比較検討するまでに到っていないからです。
しかしながら今日は、船津さんの考案した新沖縄文字について、率直に思っていることを語ってみたくなりました。
「僕も当初、この新しい文字に、ちょっとした違和感を感じたのです。どの音にどの表記を当てるかは単なるルールに過ぎないのだから、どんな記号を使おうとかまわないはずだ。ならば今ある仮名文字を使って、この音のときはこう書くという決まりを作ればいいだけのことではないか、その方が一般にも受け入れてもらいやすいのではないかと。でも、実際に新沖縄文字を使って教えてもらうと、仮名文字を使うよりもはるかにわかりやすいのです。それは何故なのかと考えてみました。それは、新沖縄文字は、ここでこの発音をしなさいというわかりやすい指示となっているからなのです。いつも使っている仮名文字での表現ではそうはいきません。ややもすると、沖縄特有の音韻ということが、たいへんにぼやけてしまう。
また、現状、既存の仮名文字を使ってたくさんのウチナーグチの文章が書かれていますが、それらはいったいどのルールで書かれているのか、そもそも一定の決められたルールに拠っているのか、さっぱりわからない場合が多いのです。
その点、この新沖縄文字を使うと、この音で発音せよという明確な指示を伝えることができるのです。その意味で、新沖縄文字は、ウチナーグチを学ぼうとする初心者にとっては、たいへん有効な指針となるのです。」
僕のこの素人の意見に、若き言語学者の西岡敏先生は、ありがたいことに理解を示してくださいました。
ふと見ると、研究室の壁に、M.A.P.でも販売している50音表が貼られてありました。
調子に乗って、恐れを知らぬ素人は、なおも発言を続けます。
「沖縄の音韻を理解するためには、まず日本語の50音表のいい加減さを理解することが有効だと思うんです。」
さて、ここで……
前回のウチナーグチ講座で、次回は「半母音について」と予告しましたが、せっかくなので、半母音のことをお話する前に、この際「日本語の50音表」について、ちょっと考察してみたいと思います。
というわけで……
【急遽開催!沖縄語の音韻講座、プロローグ(3)】
⇒沖縄語の音韻講座を始めから読む
仮名は、基本的には表音文字です。例えば「た」という文字は[ta]という音で読まれなければなりません。仮名1個が1個の音に、一対一で対応しています。
日本語には母音が5つあり、それぞれがすべての子音と完全に対応しているため、50音表は日本語の仮名を理解するためにはとっても便利なアイテムです……、ということになっています。

はたして、ほんとういそうなのでしょうか。正しくは、「日本語の5つの母音は、子音と完全に対応していた」と、過去形でいうべきなのです。
わたしたち日本人は、たとえば「た」と「ち」は、それぞれ同じ子音[t]に母音の[a]と[i]がくっついていると思っています。しかし実はそうではありません。「た」は[ta]ですが、「ち」は[ti]ではありません。[ti]なら、それは「てぃ」と読まれなければならないのです。現代人は「ち」を[ci]と発音している。つまり「ち」の子音は[t]ではなく[c」なのです。
しかし、古代の大和では、「ち」は「てぃ([ti])」と発音していたらしい。同様の例はたとえば「さ行」にも「は行」にも、それ以外にもたくさんあります。つまり、その頃は、今よりもずっと、50音表の整合が取れていたのだといわれているのです。しかし、その後の音韻変化によって、その音自体は変わっていったのですが、50音表は旧来の並びのまま使われ続け、結果日本語の50音表の音韻的整合性は失われていきました。
ところが、沖縄語には、この日本語では失われた音韻が、昔のまま残っているのです。「てぃ」とか「どぅ」とかがそれです。さて、そうした音を、既存の日本語の50音表に入れ込もうとしたら、どうすればいいのでしょうか。沖縄語特有の音韻のために、新しい行を付け加えればいいのでしょうか。いえいえそうではありません。まずは現行の50音表を、現在の発音(子音)の通りに並び替えてみればいいのです。そうすると、新たな50音表の中に、沖縄語特有の音韻の、納まるべき指定席のあることがわかるはずです。

※例えば、●赤丸のところには「てぃ(ti)」が入ります。
※また、このほかに、声門破裂音がらみと、j・wといった半母音がらみの新しい行が必要となります。
この新しい50音表に新沖縄文字を当てはめていけば、沖縄特有の音を、容易に理解することができるのです。
各行の詳しい説明は、後日“沖縄語の音韻講座”でお伝えしていく予定です。
⇒沖縄語の音韻講座、プロローグ(4)へ
さて、西岡ゼミの研究室に戻りましょう。
表音文字の「かな文字」について、「仮名1個が1個の音に対応している」と述べましたが、しかしこれはあくまでも基本です。例えば、「〜へ」という助詞は、[he]ではなく[e]と読まれています。というより「え」ではなく「へ」と書かなければならないというほうが正確でしょうか。また、かつては「てふてふ」と書いて「ちょうちょう」と読ませたとか、「けふ」は「きょう」だった、などなど。
⇒「はべる」と「てふてふ」うちなーぐち講座《2》の2
こうしたことは、実は沖縄語にもあるのです。特に古典的な文章にそれが多い。これが沖縄語の表記の問題を、さらにややこしくしています。
また、拗音(「ちゃ」とか「ぎゅ」とか)は、1モーラ(※)でありながら大文字1個に小文字をくっつけて2文字で表わしています。(※モーラ:一定の時間的長さをもった音の分節単位。)
新沖縄文字は一音(1モーラ)につき一文字を基本としていて、「てぃ」は「て」と「ぃ」をくっつけた新しい図案の一文字で表しています。
「でも、拗音はそのまま使うんですね」
これは学者の視点だと、密かに感じたのでした。「一音一文字」ということの統一性を確保しなくてよいのか、新沖縄文字の考案者で数学者でもある船津好明さんは、これについてなんとおっしゃるのか、今度聞いてみたいなあ。
「パソコンで使える文字にするということも重要ですが、検索ということを考えた時、文字の順番も重要です。」
「パソコンの検索ですか?」
「いえ、辞書に掲載する文字の順番です。辞典などを引く時にはどうしても必要なことです。元来50音表はサンスクリットの音韻学がその起源だといわれています。その並びにも意味があるのです。新しい50音表は、是非そのあたりを考慮して作るのがいいと思いますよ」
なるほど、こういう話を聞くと腕が鳴ります。あ、これは船津先生にお任せすることですね。素人がでしゃばってはいけません。
そして、もうひとつ、忘れてはならない重要なことを西岡先生はおっしゃいました。
「首里や那覇あたりなら、この新沖縄文字で十分ですね」
西岡先生も、数年前に沖縄語の表記法を試案として考えられたことがあり、それをネットで公開していらっしゃいます。それは奄美から波照間島の音韻にまで及んでいて、並べられたその多様な音韻をあらためて眺めていると、目がクラクラしてくるのです。
⇒http://www8.ocn.ne.jp/~nisj/
結論として、言語学的に沖縄語の音韻を網羅するのならば、新沖縄文字もまだまだ改良する必要があるのかも知れないが、ウチナーグチを勉強するためのアイテムとしての有効性は、西岡先生も十分に認めてくださったようです。
実は西岡先生は、船津さんの「美しい沖縄の方言」を大切に持っていらっしゃいました。
⇒「美しい沖縄の方言」
この「美しい沖縄の方言」は、西岡先生が沖縄語の勉強を始められた時の、最初の教科書だったのだそうです。
最後に、西岡先生は、もし新沖縄語を使った書籍を出版するようなことがあれば、推薦文を書いてくださるということを快くお約束してくださいました。
「この本には思い入れがありますから」
新しい50音表が出来上がったら、またお伺いさせていただきたいと思います。
西岡先生どの。本日は、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いいたします。
(文責:高山正樹)
2009年11月12日(木)23時20分
沖縄語の音韻講座、プロローグ(2)
⇒沖縄語の音韻講座、プロローグ(1)
⇒まず今回の記事に関連する記事を読んでみる
日本語の母音は5つということになっています。
あ(a)・い(i)・う(u)・え(e)・お(o)
それは舌の位置によって決まるということになっています。
《簡単な日本語の母音表》

舌の高さについては、狭い広いというわけ方をする場合もあります。高い方が狭い。そりゃそうかもしれませんね、舌は下あごにくっついているのだから、舌を上げれば口は狭くなるというわけです。
「ということになっています」とか「そうかもしれない」とか、いい加減な言い方で申し訳ありませんが、いいのです。日本語では母音を5つしか区別しないので、その程度のいい加減な分類で十分なのです。
え?「5つしかない」じゃなくて「区別しない」? 妙な言い方ですね?
はい。でもそれでいいのです。これからウチナーグチを考えていく上で、「区別」するしないということが、けっこう重要なことになってくるでしょう。
「区別しない」といった意味を、ちょっと具体的な例を示して説明してみたいと思います。
[く(ku)]を発音する場合と、[す(su)]を発音する場合の母音[u]を、よく較べてみてください。舌の位置が違いませんか。[く(ku)]の場合は確かに後ろですが、[す(su)]の場合はそれよりも前にありませんか?
でも、日本語にとっては、そんなことはどうでもいいのです。日本語の場合は、どちらも「う」、つまりおんなじ「音韻」なのですから。
(※音韻と音素については“音韻講座プロローグ(1)”をお読みください。)
もう一つ。
八代亜紀さんの歌を思い出してみてください。
「雨雨降れ降れもっと降れ(あめあめふれふれもっとふれ)」
「雨(あめ)」の「め」と「降れ(ふれ)」の「れ」の母音[え(e)]が、若干「い(i)」に近くありませんか? でもいいんです。[i]よりは[e]に近いから、日本人はみんな[e]だと思って聞いています。だからそれで何の問題もないのです。
でも、例えば英語ではそうはいきません。これもいろいろ諸説あるのですが、9個の母音というのが分かりやすい。
日本語に近い「イ」と「ウ」と「エ」と「オ」。
それから「イ」と「エ」の中間の音と、「エ」と「ア」の中間の音。
さらには「ア」と「オ」の中間の音で「オ」の口して「ア」を言う。
「オ」と「ウ」の中間の音は口を丸めないで「ウ」を言う。
最後に口をあんまり開けない「ア」。
要するに、八代亜紀さんも、もし英語だったらもう少し気をつけて発音しなくちゃいけないということかもしれませんね。
その他にも、唇を丸くするかしないかのような区別もあります。
そんなわけで、よく目にする、舌の位置と母音の関係を示した図がこれです。
《ちゃんとした母音の図》

左が前舌、右が後舌で喉の奥の方。そして上が高舌。それから同じ場所にふたつあるのは、右側が唇を丸くする音です。
まあ、これ以上詳しい説明はいたしません。音声学一般をやるわけではないのですから。日本語の母音を考えるのなら、最初の簡単な表で十分です。
あれ、「ちゃんとした母音の図」とやらも、母音だけを示してあるんですよねえ。それなのに[y]とか[w]とかがありますけど、これって子音じゃないの?
おお、いいところに気がつきました。でも少々疲れたので今日はここまで。
次回は半母音についてお話ししましょうね。
いよいよ、ウチナーグチの音韻の世界の真髄に近づいていきます。
⇒沖縄語の音韻講座、プロローグ(3)へ
⇒まず今回の記事に関連する記事を読んでみる
日本語の母音は5つということになっています。
あ(a)・い(i)・う(u)・え(e)・お(o)
それは舌の位置によって決まるということになっています。
《簡単な日本語の母音表》

舌の高さについては、狭い広いというわけ方をする場合もあります。高い方が狭い。そりゃそうかもしれませんね、舌は下あごにくっついているのだから、舌を上げれば口は狭くなるというわけです。
「ということになっています」とか「そうかもしれない」とか、いい加減な言い方で申し訳ありませんが、いいのです。日本語では母音を5つしか区別しないので、その程度のいい加減な分類で十分なのです。
え?「5つしかない」じゃなくて「区別しない」? 妙な言い方ですね?
はい。でもそれでいいのです。これからウチナーグチを考えていく上で、「区別」するしないということが、けっこう重要なことになってくるでしょう。
「区別しない」といった意味を、ちょっと具体的な例を示して説明してみたいと思います。
[く(ku)]を発音する場合と、[す(su)]を発音する場合の母音[u]を、よく較べてみてください。舌の位置が違いませんか。[く(ku)]の場合は確かに後ろですが、[す(su)]の場合はそれよりも前にありませんか?
でも、日本語にとっては、そんなことはどうでもいいのです。日本語の場合は、どちらも「う」、つまりおんなじ「音韻」なのですから。
(※音韻と音素については“音韻講座プロローグ(1)”をお読みください。)
もう一つ。
八代亜紀さんの歌を思い出してみてください。
「雨雨降れ降れもっと降れ(あめあめふれふれもっとふれ)」
「雨(あめ)」の「め」と「降れ(ふれ)」の「れ」の母音[え(e)]が、若干「い(i)」に近くありませんか? でもいいんです。[i]よりは[e]に近いから、日本人はみんな[e]だと思って聞いています。だからそれで何の問題もないのです。
でも、例えば英語ではそうはいきません。これもいろいろ諸説あるのですが、9個の母音というのが分かりやすい。
日本語に近い「イ」と「ウ」と「エ」と「オ」。
それから「イ」と「エ」の中間の音と、「エ」と「ア」の中間の音。
さらには「ア」と「オ」の中間の音で「オ」の口して「ア」を言う。
「オ」と「ウ」の中間の音は口を丸めないで「ウ」を言う。
最後に口をあんまり開けない「ア」。
要するに、八代亜紀さんも、もし英語だったらもう少し気をつけて発音しなくちゃいけないということかもしれませんね。
その他にも、唇を丸くするかしないかのような区別もあります。
そんなわけで、よく目にする、舌の位置と母音の関係を示した図がこれです。
《ちゃんとした母音の図》

左が前舌、右が後舌で喉の奥の方。そして上が高舌。それから同じ場所にふたつあるのは、右側が唇を丸くする音です。
まあ、これ以上詳しい説明はいたしません。音声学一般をやるわけではないのですから。日本語の母音を考えるのなら、最初の簡単な表で十分です。
あれ、「ちゃんとした母音の図」とやらも、母音だけを示してあるんですよねえ。それなのに[y]とか[w]とかがありますけど、これって子音じゃないの?
おお、いいところに気がつきました。でも少々疲れたので今日はここまで。
次回は半母音についてお話ししましょうね。
いよいよ、ウチナーグチの音韻の世界の真髄に近づいていきます。
⇒沖縄語の音韻講座、プロローグ(3)へ
tag: 【音韻講座】
2009年08月01日(土)23時25分
“〜すん”か、“〜しゅん”か
【以下、無駄な前書き】(※お急ぎの方は読み飛ばしてください。)
ブログならブログらしく、その日のことはその日の内にアップしたいものです。
しかし、M.A.P.after5の記事は、情報の正確性をきちんと検証して、できるだけ掘り下げた内容のものでありたいと考えているので、なかなか「早さ」を実現できずにいます。
そこで、ともかく伝えたい情報を盛り込むことさえできれば、「てにおは」や文体の良し悪しには目をつぶって、とりあえず公開してしまうという、なかなか微妙な舵取りをやっています。
というわけで(それに加えて担当する高山正樹が多忙なため)、アップした記事に目を通す暇さえなく出掛けてしまうという場合もよくあって、お恥ずかしいのですが、しばらくして時間の空いた時に改めて読み直し、誤字脱字を発見したり、説明不足や分かりにくい箇所を直したりしているのです。記事によっては、何度も推敲を繰り返したり、極端な場合は半年後に文章の手直しをするというようなこともあります。
(ああ、新聞記者はつくづく偉いと尊敬いたします。)
どうぞ新しい記事で、分かりにくかったりおかしいなとお感じになった場合は、よろしければ数日後にもう一度読み直しなどしてくだされば嬉しいです。特に、記事内で別記事にリンクを貼っているような場合、そのリンク先の記事は、若干の修正をしていることも多いので、是非併せてお読みください。
また、新しい関連情報などがあったり、まれに情報に間違いを発見してそれを修正したりした場合は、古い記事でもコメントにて補足していますので、それについては、サイドバーの新規コメント欄からお読みくだされば幸いです。さらには、昔の記事にでも間違いなど発見された方は、どうかコメントなどでご指摘くださいませ。
(前書きおしまい)
閑話休題。
「にんじんしりしりー」の記事を書いた時の宿題です。
(下記記事のコメントを参照してください。)
⇒http://lince.jp/hito/sirisiri…
「〜する」を首里の言葉にしたとき、「〜しゅん」が正しいのでしょうか、それとも「〜すん」でいいのでしょうか。
(※実は「沖縄語辞典」では明確に「su(ス)」と「sju(シュ)」の区別があり、「〜する」にあたる沖縄(首里)語は「〜sjuN」だと説明されているのです。)
この質問に、沖縄語を話す会の國吉眞正さんから、次のようなお答えを頂きました。
「『すん』です。[suN][sjuN]も『すん』と発音しています。例えば『首里』のことを[sjui]と書いていますが、『すい』と発音されています。しかし首里の方で『しゅい』に近い発音をしている方が居ました。その辺は私も勉強しなければならないと思っています。現状『しゅ』と『す』、『さ』『しゃ』は地域差で許容範囲として、私は全部受入れております。」
また本日、比嘉光龍さんからは次のようなメッセージが届きました。
「はい、うちなぁんいっぺー、暑さいびーん。
『しゅん』ですが、これは現代ではすべて『すん』となります。
首里言葉には『しゃ、しゅ、しょ』という発音がありますが、それは現代ではすっかり失われてしまい、すべて『しゃ』が『さ』、『しゅ』が『す』、『しょ』が『そ』と発音されるようになっています。
例をあげると、『しゃんぴん茶』というのが本来の首里言葉の発音ですが、現在では当の首里ん人も『さんぴん茶』と発音します。私が調べる限りでは、現在100歳以上の首里ん人ならば『しゃんぴん茶』という発音していたと言えると思います。私の首里言葉の先生である首里金城町生まれで士族の系統でいらっしゃる93歳のおばあさんは『さんぴん茶』と発音します。その方のご両親、また祖父母はどうでしたか?と尋ねても『さんぴん茶』としか聞いていないとのこと。『しゃ』の発音、また『しゅ、しょ』も、93歳の首里の方が聞いていないというのですから、相当昔に消えてしまった発音だと言えるでしょう。
また『しゅい』と発音するのが本来『首里』のことなんです。しかし、これも、とっくの昔に消えてしまっていて、当の首里ん人は『すい』と発音します。
『しょ』ですが、『しょーぐゎち』と本来発音するのが『正月』で、今では『そーぐゎち』と言うのが一般的です。
『しゃ、しゅ、しょ』ですが、消えたと言っても、琉球古典音楽や組踊には残っています。組踊は国立劇場が出来たせいか、わりと、この古来の発音は残して演じられますが、古典音楽は、私に言わせれば…(後略)」
この後は、また別の話題の時に。今は秘密にしておきましょう。
光龍さん、いつもいつも大変ご丁寧に説明くださり、心より感謝しております。
「す」が「しゅ」に変わる言語学的現象を「口蓋化」といって、ウチナーグチの特徴でもあります。これは「沖縄語の音韻講座」の中で詳しく説明したいと思います。
⇒ダイワハウチュのこと
しかし、なぜ首里の言葉において「しゅ」が「す」に戻ったのか。これについては、只今研究中、「口蓋化」の説明時に研究成果が出ていればいいのですが。
ブログならブログらしく、その日のことはその日の内にアップしたいものです。
しかし、M.A.P.after5の記事は、情報の正確性をきちんと検証して、できるだけ掘り下げた内容のものでありたいと考えているので、なかなか「早さ」を実現できずにいます。
そこで、ともかく伝えたい情報を盛り込むことさえできれば、「てにおは」や文体の良し悪しには目をつぶって、とりあえず公開してしまうという、なかなか微妙な舵取りをやっています。
というわけで(それに加えて担当する高山正樹が多忙なため)、アップした記事に目を通す暇さえなく出掛けてしまうという場合もよくあって、お恥ずかしいのですが、しばらくして時間の空いた時に改めて読み直し、誤字脱字を発見したり、説明不足や分かりにくい箇所を直したりしているのです。記事によっては、何度も推敲を繰り返したり、極端な場合は半年後に文章の手直しをするというようなこともあります。
(ああ、新聞記者はつくづく偉いと尊敬いたします。)
どうぞ新しい記事で、分かりにくかったりおかしいなとお感じになった場合は、よろしければ数日後にもう一度読み直しなどしてくだされば嬉しいです。特に、記事内で別記事にリンクを貼っているような場合、そのリンク先の記事は、若干の修正をしていることも多いので、是非併せてお読みください。
また、新しい関連情報などがあったり、まれに情報に間違いを発見してそれを修正したりした場合は、古い記事でもコメントにて補足していますので、それについては、サイドバーの新規コメント欄からお読みくだされば幸いです。さらには、昔の記事にでも間違いなど発見された方は、どうかコメントなどでご指摘くださいませ。
(前書きおしまい)
閑話休題。
「にんじんしりしりー」の記事を書いた時の宿題です。
(下記記事のコメントを参照してください。)
⇒http://lince.jp/hito/sirisiri…
「〜する」を首里の言葉にしたとき、「〜しゅん」が正しいのでしょうか、それとも「〜すん」でいいのでしょうか。
(※実は「沖縄語辞典」では明確に「su(ス)」と「sju(シュ)」の区別があり、「〜する」にあたる沖縄(首里)語は「〜sjuN」だと説明されているのです。)
この質問に、沖縄語を話す会の國吉眞正さんから、次のようなお答えを頂きました。
「『すん』です。[suN][sjuN]も『すん』と発音しています。例えば『首里』のことを[sjui]と書いていますが、『すい』と発音されています。しかし首里の方で『しゅい』に近い発音をしている方が居ました。その辺は私も勉強しなければならないと思っています。現状『しゅ』と『す』、『さ』『しゃ』は地域差で許容範囲として、私は全部受入れております。」
また本日、比嘉光龍さんからは次のようなメッセージが届きました。
「はい、うちなぁんいっぺー、暑さいびーん。
『しゅん』ですが、これは現代ではすべて『すん』となります。
首里言葉には『しゃ、しゅ、しょ』という発音がありますが、それは現代ではすっかり失われてしまい、すべて『しゃ』が『さ』、『しゅ』が『す』、『しょ』が『そ』と発音されるようになっています。
例をあげると、『しゃんぴん茶』というのが本来の首里言葉の発音ですが、現在では当の首里ん人も『さんぴん茶』と発音します。私が調べる限りでは、現在100歳以上の首里ん人ならば『しゃんぴん茶』という発音していたと言えると思います。私の首里言葉の先生である首里金城町生まれで士族の系統でいらっしゃる93歳のおばあさんは『さんぴん茶』と発音します。その方のご両親、また祖父母はどうでしたか?と尋ねても『さんぴん茶』としか聞いていないとのこと。『しゃ』の発音、また『しゅ、しょ』も、93歳の首里の方が聞いていないというのですから、相当昔に消えてしまった発音だと言えるでしょう。
また『しゅい』と発音するのが本来『首里』のことなんです。しかし、これも、とっくの昔に消えてしまっていて、当の首里ん人は『すい』と発音します。
『しょ』ですが、『しょーぐゎち』と本来発音するのが『正月』で、今では『そーぐゎち』と言うのが一般的です。
『しゃ、しゅ、しょ』ですが、消えたと言っても、琉球古典音楽や組踊には残っています。組踊は国立劇場が出来たせいか、わりと、この古来の発音は残して演じられますが、古典音楽は、私に言わせれば…(後略)」
この後は、また別の話題の時に。今は秘密にしておきましょう。
光龍さん、いつもいつも大変ご丁寧に説明くださり、心より感謝しております。
「す」が「しゅ」に変わる言語学的現象を「口蓋化」といって、ウチナーグチの特徴でもあります。これは「沖縄語の音韻講座」の中で詳しく説明したいと思います。
⇒ダイワハウチュのこと
しかし、なぜ首里の言葉において「しゅ」が「す」に戻ったのか。これについては、只今研究中、「口蓋化」の説明時に研究成果が出ていればいいのですが。
2009年07月31日(金)23時06分
沖縄語の音韻講座、プロローグ(1)
ウチナーグチの音韻を体系的に説明しようと、ちょいと言語学の勉強を始めました。
⇒関連記事を読む
ところが、言語学の世界は何と深いことか、様々な企画を抱え、雑用もたくさんあるというのに、このままでは、生きているうちにウチナーグチの音韻に関するレポートを提出することなど、とてもできそうにありません。
でも、それでは困るので、若干正確さに不安もあるのですが、そこらあたりはどうか大目に見ていただくとして、ここらで「えいやっ!」と、これまでの研究成果の報告を始めてしまいたいと思います。
なお、もし間違いや別見解などが見つかれば、追ってコメントなどで修正なり補足なりを、きちんとして参ります。
まずは音韻について。
少しばかり理屈っぽいはなしになりますが、どうかしばらくのご辛抱を。
さて、「音韻」という概念を、言語学的に、狭義に定義して考えてみたいと思います。
言語の音を考える際、その物理的特性を研究するか、あるいは機能的(心理的)特性を研究するかによって、学問が違います。前者を扱うのは「音声学」で、後者を扱うのが「音韻論」なのです。
どういうことかというと、例えば鼻濁音を例にとってお話しましょう。
「が行」の鼻にかかる音、「ンが」とか「ンぎ」とかいう音が鼻濁音です。こうした音そのものを研究するのが音声楽です。
ちなみに、昔は、鼻濁音ができないとアナウンサーにはなれませんでした。
⇒関連記事を読む
でも今の事情は違います。
サザンオールスターズがデビューしてもう30年くらい、桑田圭祐の辞書には、鼻濁音は存在していないようです。
だからといって、今の若者が鼻濁音を全く使っていないのかといえば、そうでもありません。地域にもよりますが、鼻濁音を使っている若者はいくらでもいます。
ただ、鼻濁音であろうがなかろうが、そんなことはどうでもいいと感じる人が多数派になってきたということなのでしょう。
つまり、日本語には鼻濁音と鼻濁音ではない二種類の「音声」が存在するのですが、そこに意味の区別がないのならば、狭義の音韻としての区別はないということになります。「異音だが同じ音素である」なんていう言い方をすると言語学っぽいですね。
今の若いアナウンサーの中には、鼻濁音のできない人が出てきています。そしてそれを放送局も特に問題としなくなってきました。20年前には考えられなかったことです。
⇒関連記事を読む
「音韻」「音素」として区別のない「物理的な音声のみの差異」は、長い時間の中で、やがて消えていく運命、鼻濁音がなくなるのもそう遠くはないようです。(厳密にいえば鼻濁音がなくなるのではなく、鼻濁音かどうかの区別がなくなるということで、実際の音声がどうなるのかは分かりません。)
こうした言葉の変化を、人はどう受け止めるのでしょうか。豊かさが失われてゆくと悲しむのか、あるいは機能的な進歩だと考えるのか……
⇒関連記事を読む
※鼻濁音についての補足。
東北地方で、例えば「刷毛(はけ)」を「はげ」と言う場合があります。この場合の「げ」は鼻濁音ではありません。しかし本家の「禿げ」の「げ」は、はっきりと鼻濁音で発音します。そのように言い分けなければ、「刷毛」と「禿げ」の区別ができないのです。また、「柿(かぎ)」の「ぎ」は鼻濁音を使わず、「鍵」の「ぎ」は鼻濁音で言う、これも同じで、こうした事例はいくらでもあります。
鼻濁音とは違うのですが、やはり東北の言葉で、例えば「旗(はた)」を「はだ」と発音するようなことがあります。ではこの場合、もともと「はだ」である「肌」と、どのように区別されるのでしょうか。それは、「肌」の「は」と「だ」の間に、「わたり」という鼻音「ん」が入って「はンだ」と発音されることによって区別されるのです。これって、なんとも東北弁ぽい発音ですよねえ。
さらに、あっちこっちとインターネットを調べたのですが、東北地方で家の周りに暴風のために植える屋敷林を「えぐね」というそうですが、この場合の「ぐ」は鼻濁音で、鼻濁音を使わずに「えぐね」というと「良くない」という意味になってしまうという話も見つけました。
つまり、東北の言葉においては、鼻濁音は意味を区別するために必要な音韻・音素であり、従ってそう簡単に消えてなくなることにはならないのです。「刷毛」を「はげ」と言う事がなくなり、「えぐい」という言葉が死語になれば、話は別ですが。
ともかく私たちは、ウチナーグチの「音韻」を考えることによって、沖縄の文化に出会うことができるのではないか、そしてそれを鏡として、自らの中にある日本を検証することもできるのではないかと期待しているのです。
さて、いよいよウチナーグチの音韻を考えていきたいのですが、その前に、いわゆる「標準語」の音韻体系をまずご覧ください。
東北地方の言葉に敬意を表して(決してアナウンサー養成講座の御年配先生にではなく)、ここに鼻濁音を入れるべきではないかと迷いましたが、どのみちウチナーグチに鼻濁音はないので、ここでは省くことにしました。
(※また、厳密な言語学を語るつもりもないので、「っ」と「ー」も除きました。)

それでは本題へ、といきたいところですが、今日は時間切れ。
次回、母音と子音の話から始めたいと思います。
⇒沖縄語の音韻講座、プロローグ(2)へ
⇒関連記事を読む
ところが、言語学の世界は何と深いことか、様々な企画を抱え、雑用もたくさんあるというのに、このままでは、生きているうちにウチナーグチの音韻に関するレポートを提出することなど、とてもできそうにありません。
でも、それでは困るので、若干正確さに不安もあるのですが、そこらあたりはどうか大目に見ていただくとして、ここらで「えいやっ!」と、これまでの研究成果の報告を始めてしまいたいと思います。
なお、もし間違いや別見解などが見つかれば、追ってコメントなどで修正なり補足なりを、きちんとして参ります。
まずは音韻について。
少しばかり理屈っぽいはなしになりますが、どうかしばらくのご辛抱を。
さて、「音韻」という概念を、言語学的に、狭義に定義して考えてみたいと思います。
言語の音を考える際、その物理的特性を研究するか、あるいは機能的(心理的)特性を研究するかによって、学問が違います。前者を扱うのは「音声学」で、後者を扱うのが「音韻論」なのです。
どういうことかというと、例えば鼻濁音を例にとってお話しましょう。
「が行」の鼻にかかる音、「ンが」とか「ンぎ」とかいう音が鼻濁音です。こうした音そのものを研究するのが音声楽です。
ちなみに、昔は、鼻濁音ができないとアナウンサーにはなれませんでした。
⇒関連記事を読む
でも今の事情は違います。
サザンオールスターズがデビューしてもう30年くらい、桑田圭祐の辞書には、鼻濁音は存在していないようです。
だからといって、今の若者が鼻濁音を全く使っていないのかといえば、そうでもありません。地域にもよりますが、鼻濁音を使っている若者はいくらでもいます。
ただ、鼻濁音であろうがなかろうが、そんなことはどうでもいいと感じる人が多数派になってきたということなのでしょう。
つまり、日本語には鼻濁音と鼻濁音ではない二種類の「音声」が存在するのですが、そこに意味の区別がないのならば、狭義の音韻としての区別はないということになります。「異音だが同じ音素である」なんていう言い方をすると言語学っぽいですね。
今の若いアナウンサーの中には、鼻濁音のできない人が出てきています。そしてそれを放送局も特に問題としなくなってきました。20年前には考えられなかったことです。
⇒関連記事を読む
「音韻」「音素」として区別のない「物理的な音声のみの差異」は、長い時間の中で、やがて消えていく運命、鼻濁音がなくなるのもそう遠くはないようです。(厳密にいえば鼻濁音がなくなるのではなく、鼻濁音かどうかの区別がなくなるということで、実際の音声がどうなるのかは分かりません。)
こうした言葉の変化を、人はどう受け止めるのでしょうか。豊かさが失われてゆくと悲しむのか、あるいは機能的な進歩だと考えるのか……
⇒関連記事を読む
※鼻濁音についての補足。
東北地方で、例えば「刷毛(はけ)」を「はげ」と言う場合があります。この場合の「げ」は鼻濁音ではありません。しかし本家の「禿げ」の「げ」は、はっきりと鼻濁音で発音します。そのように言い分けなければ、「刷毛」と「禿げ」の区別ができないのです。また、「柿(かぎ)」の「ぎ」は鼻濁音を使わず、「鍵」の「ぎ」は鼻濁音で言う、これも同じで、こうした事例はいくらでもあります。
鼻濁音とは違うのですが、やはり東北の言葉で、例えば「旗(はた)」を「はだ」と発音するようなことがあります。ではこの場合、もともと「はだ」である「肌」と、どのように区別されるのでしょうか。それは、「肌」の「は」と「だ」の間に、「わたり」という鼻音「ん」が入って「はンだ」と発音されることによって区別されるのです。これって、なんとも東北弁ぽい発音ですよねえ。
さらに、あっちこっちとインターネットを調べたのですが、東北地方で家の周りに暴風のために植える屋敷林を「えぐね」というそうですが、この場合の「ぐ」は鼻濁音で、鼻濁音を使わずに「えぐね」というと「良くない」という意味になってしまうという話も見つけました。
つまり、東北の言葉においては、鼻濁音は意味を区別するために必要な音韻・音素であり、従ってそう簡単に消えてなくなることにはならないのです。「刷毛」を「はげ」と言う事がなくなり、「えぐい」という言葉が死語になれば、話は別ですが。
ともかく私たちは、ウチナーグチの「音韻」を考えることによって、沖縄の文化に出会うことができるのではないか、そしてそれを鏡として、自らの中にある日本を検証することもできるのではないかと期待しているのです。
さて、いよいよウチナーグチの音韻を考えていきたいのですが、その前に、いわゆる「標準語」の音韻体系をまずご覧ください。
東北地方の言葉に敬意を表して(決してアナウンサー養成講座の御年配先生にではなく)、ここに鼻濁音を入れるべきではないかと迷いましたが、どのみちウチナーグチに鼻濁音はないので、ここでは省くことにしました。
(※また、厳密な言語学を語るつもりもないので、「っ」と「ー」も除きました。)

それでは本題へ、といきたいところですが、今日は時間切れ。
次回、母音と子音の話から始めたいと思います。
⇒沖縄語の音韻講座、プロローグ(2)へ
tag: 【音韻講座】
2009年07月08日(水)23時57分
「上舌化(高舌化)」、うちなーぐち講座《4》
まずは…
過去の記事を加筆更新しました。
⇒沖縄語を話す会夏の宴(7/4)
一昨日、昨日、そして今日、三段落ちの猫。
なんと無防備な。

籠から出しても、どうやら君たちは、野良にはなれそうもない。
横目で猫を見て、こいつら幸せなのか不幸なのか、そんなことを考えながら書斎に入る。
ウチナーグチの音韻について、そのうちきちんと体系的にまとめてご説明しますなどと、春ごろ、このブログに書いた。
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-878.html
しかしながら、言語学をきちんと勉強しなければ、なかなか無責任な説明などできないことが分かってきた。
『沖縄語辞典』の「母音音素」の説明の中に、こういう記述がある。
「発音のしかたは大体標準語のそれに近いが、uは円唇母音であり、oは標準語のそれと同じ、ないし、わずかに広めである。」
なんとも厄介である。
円唇母音とは唇を丸くする、要するにちょっと口をとんがらす感じだろうか。ならば「標準語」はとんがらさないのかといえばそうでもない。例えば江戸っ子の無声音、寿司の[su]の[u]は、ほとんど平べったい口のママ出す[u](非円唇母音)だが、関西人が「すし」と言えば、ちょっと粘った有声音の「su]となって、この場合は明らかに円唇母音である。
⇒明石家さんまが「すし食った」と言ったならの記事
沖縄語を話す会の勉強会で、ネイティブな沖縄の方が、ヤマトンチュの喋るウチナーグチは何だか違うとおっしゃっていたが、たぶん、こうしたわずかな違いが、その方の違和感の正体なのだろう。そう思うと、ちょいと絶望的になる。
沖縄語を覚えるのに、なにも言語学など必要ではない。わかっちゃいるが、小生、こういうアプローチをしなければ気がすまない。他にもそういう性質(たち)の人たちが、少数だとしてもきっといるに違いないと、そういう御同輩に満足いただけるような説明をするために、もう少し頑張って勉強してみようと思っている。

まず、M.A.P.after5うちなーぐち講座《1》の記事をお読み頂きたい。
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/907…
ヤコブソンの「一般言語学」の中に、こんな記述を見つけた。
「私が子供のとき見た変化を例にとると、標準ロシア語の母音のパターンに一つの顕著な変化が起こった.無強勢の、特に強勢のある音節の直前の位置で、/e/と/i/の二つの音素は、モスクワで私の祖父母の世代には区別されていた.私どもや、もっと若い世代のことばでは、この二つの音素は、一つの/i/になってしまっている.中間の世代、すなわち私どもの父母の世代では、この区別は任意的である.(中略)たとえばわれわれは、保守的に話すときは昔風のことばを使う.モスクワのロシア語で、私どもの父母の世代は、親しい間のおしゃべりでは、強勢のない/e/と/i/を区別しなかった.二つの音素を融合させてしまうという、新しいやり方をするのは、実際の年齢よりも若く見られるためである.」
ウチナーグチを考えようとする者にとって、実に興味深い記述ではないか。ヤコブソンは、ただ単にエピソードを語っているわけではない。彼はここから、文化の構造の全貌を、言語という地平で解き明かそうとするのである。
例えば、今ここでご紹介する余裕も能力もないが、ヤコブソンの「失語症」に関する考察は、ウチナーグチと大和の言葉の間に起きたダイナミズムを考える上で、極めて示唆に富むように思われる。そこに、個別の歴史という特殊性を重ね合わせた時、失ってはならぬもの、回復しなければならぬもの、変わっていっていいものを峻別する可能性が開けるのではないかとさえ思うのである。
ああ、この書斎に篭っていると、これが会社のブログであることを、すっかり忘れてしまう。頭を冷やして、少しばかり限定的な話をしよう。
やはりヤコブソンの「一般言語学」から。
「発生的には相対的な広さと狭さで対立し、聴覚的にはエネルギーの高度集中と低度集中(集約/拡散)で対立する口蓋母音は、若干の言語ではある位置では[ae](発音記号のaとeのくっついたやつのつもり。)―[e]で、他の位置では[e]―[i]で具現され、したがって、同じ音[e]が、ある位置では拡散の項を具現し、ある位置では同じ対立の他方、すなわち集約の項を具現することになる.双方いずれの位置においても、関係は依然として同一である.二つの開口度、これに対応して二つのエネルギーの集中度(最大度と最少度)が、双方いずれの位置においても対立している.」
ちょいとウチナーグチからズレるかなと思いながら、僕は、書斎の中で、まるでお経のような声を出してみる。
「あ」から「い」に向かってだんだん音を変えていく。しかし、なかなかうまくいかない。なぜなら、「い」に比べて「あ」は、舌の位置が奥の方にあるからだ。そのことを理解して、口の形を変えながら、舌をだんだん前に移していくことを意識するとうまくいく。しかし、その間に「え」の音は聞こえてこない。
今度は、「あ」を発音したまま、まず舌を前の方に移してみる。すると[ae](発音記号のaとeのくっついたやつのつもり)の音になるではないか。そして、この日本語にはない[ae]から「い」に向かってだんだん音を変えようとしてみると、意外に簡単に出来る。舌はそのまま、唇を、ただ横に拡げていけばいいだけである。そして、[ae]の音は、きちんと途中「え」を通過しながら「い」の音にたどり着く。つまり、「え」と「い」は、舌の位置が同じ位置(前)にあるからだ。「あ」から「い」に移動した時は、ショートカットしてしまったために、唇の横の広がりが「え」と同じ時、舌の位置は、まだ「え」よりも奥にあったというわけである。
口を横に拡げる、それはイコール舌の位置が下から上に上がっていくことと同じ(厳密にいえば違うのだが)。要するに、「え」と「い」は近しい関係。「え」の時の舌を、上に上げると「い」になるのだ。「お」と「う」も同じ関係にある。「お」の舌の位置を上げれば「う」になる。これを「上舌化(高舌化)」、」という。ウチナーグチは、かつてこの「上舌化(高舌化)」が起こったというのが定説である。「雨(あめ)」が「あみ」に、「雲(くも)」が「くむ」に。
これを、ヤコブソンが示したロシアの事例([e]→[i])を比較すると、とても興味深い。
それにしても、ローマン・ヤーコブソンの「一般言語学」という本は、20年以上も前に、文化人類学や構造主義の本を読み漁っていた頃に買ったもの、まさか今になってまたこの本を開くことになろうとは。しかし、あまりにも難解に過ぎる。近いうちに、もう少し簡単な言語学の本を、見つけてこようと思っている。でないと、生きているうちにウチナーグチをマスターすることなど絶対にできない。
しかし、こういう性格なのです。許してください。
過去の記事を加筆更新しました。
⇒沖縄語を話す会夏の宴(7/4)
一昨日、昨日、そして今日、三段落ちの猫。
なんと無防備な。
籠から出しても、どうやら君たちは、野良にはなれそうもない。
横目で猫を見て、こいつら幸せなのか不幸なのか、そんなことを考えながら書斎に入る。
ウチナーグチの音韻について、そのうちきちんと体系的にまとめてご説明しますなどと、春ごろ、このブログに書いた。
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-878.html
しかしながら、言語学をきちんと勉強しなければ、なかなか無責任な説明などできないことが分かってきた。
『沖縄語辞典』の「母音音素」の説明の中に、こういう記述がある。
「発音のしかたは大体標準語のそれに近いが、uは円唇母音であり、oは標準語のそれと同じ、ないし、わずかに広めである。」
なんとも厄介である。
円唇母音とは唇を丸くする、要するにちょっと口をとんがらす感じだろうか。ならば「標準語」はとんがらさないのかといえばそうでもない。例えば江戸っ子の無声音、寿司の[su]の[u]は、ほとんど平べったい口のママ出す[u](非円唇母音)だが、関西人が「すし」と言えば、ちょっと粘った有声音の「su]となって、この場合は明らかに円唇母音である。
⇒明石家さんまが「すし食った」と言ったならの記事
沖縄語を話す会の勉強会で、ネイティブな沖縄の方が、ヤマトンチュの喋るウチナーグチは何だか違うとおっしゃっていたが、たぶん、こうしたわずかな違いが、その方の違和感の正体なのだろう。そう思うと、ちょいと絶望的になる。
沖縄語を覚えるのに、なにも言語学など必要ではない。わかっちゃいるが、小生、こういうアプローチをしなければ気がすまない。他にもそういう性質(たち)の人たちが、少数だとしてもきっといるに違いないと、そういう御同輩に満足いただけるような説明をするために、もう少し頑張って勉強してみようと思っている。
まず、M.A.P.after5うちなーぐち講座《1》の記事をお読み頂きたい。
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/907…
ヤコブソンの「一般言語学」の中に、こんな記述を見つけた。
「私が子供のとき見た変化を例にとると、標準ロシア語の母音のパターンに一つの顕著な変化が起こった.無強勢の、特に強勢のある音節の直前の位置で、/e/と/i/の二つの音素は、モスクワで私の祖父母の世代には区別されていた.私どもや、もっと若い世代のことばでは、この二つの音素は、一つの/i/になってしまっている.中間の世代、すなわち私どもの父母の世代では、この区別は任意的である.(中略)たとえばわれわれは、保守的に話すときは昔風のことばを使う.モスクワのロシア語で、私どもの父母の世代は、親しい間のおしゃべりでは、強勢のない/e/と/i/を区別しなかった.二つの音素を融合させてしまうという、新しいやり方をするのは、実際の年齢よりも若く見られるためである.」
ウチナーグチを考えようとする者にとって、実に興味深い記述ではないか。ヤコブソンは、ただ単にエピソードを語っているわけではない。彼はここから、文化の構造の全貌を、言語という地平で解き明かそうとするのである。
例えば、今ここでご紹介する余裕も能力もないが、ヤコブソンの「失語症」に関する考察は、ウチナーグチと大和の言葉の間に起きたダイナミズムを考える上で、極めて示唆に富むように思われる。そこに、個別の歴史という特殊性を重ね合わせた時、失ってはならぬもの、回復しなければならぬもの、変わっていっていいものを峻別する可能性が開けるのではないかとさえ思うのである。
ああ、この書斎に篭っていると、これが会社のブログであることを、すっかり忘れてしまう。頭を冷やして、少しばかり限定的な話をしよう。
やはりヤコブソンの「一般言語学」から。
「発生的には相対的な広さと狭さで対立し、聴覚的にはエネルギーの高度集中と低度集中(集約/拡散)で対立する口蓋母音は、若干の言語ではある位置では[ae](発音記号のaとeのくっついたやつのつもり。)―[e]で、他の位置では[e]―[i]で具現され、したがって、同じ音[e]が、ある位置では拡散の項を具現し、ある位置では同じ対立の他方、すなわち集約の項を具現することになる.双方いずれの位置においても、関係は依然として同一である.二つの開口度、これに対応して二つのエネルギーの集中度(最大度と最少度)が、双方いずれの位置においても対立している.」
ちょいとウチナーグチからズレるかなと思いながら、僕は、書斎の中で、まるでお経のような声を出してみる。
「あ」から「い」に向かってだんだん音を変えていく。しかし、なかなかうまくいかない。なぜなら、「い」に比べて「あ」は、舌の位置が奥の方にあるからだ。そのことを理解して、口の形を変えながら、舌をだんだん前に移していくことを意識するとうまくいく。しかし、その間に「え」の音は聞こえてこない。
今度は、「あ」を発音したまま、まず舌を前の方に移してみる。すると[ae](発音記号のaとeのくっついたやつのつもり)の音になるではないか。そして、この日本語にはない[ae]から「い」に向かってだんだん音を変えようとしてみると、意外に簡単に出来る。舌はそのまま、唇を、ただ横に拡げていけばいいだけである。そして、[ae]の音は、きちんと途中「え」を通過しながら「い」の音にたどり着く。つまり、「え」と「い」は、舌の位置が同じ位置(前)にあるからだ。「あ」から「い」に移動した時は、ショートカットしてしまったために、唇の横の広がりが「え」と同じ時、舌の位置は、まだ「え」よりも奥にあったというわけである。
口を横に拡げる、それはイコール舌の位置が下から上に上がっていくことと同じ(厳密にいえば違うのだが)。要するに、「え」と「い」は近しい関係。「え」の時の舌を、上に上げると「い」になるのだ。「お」と「う」も同じ関係にある。「お」の舌の位置を上げれば「う」になる。これを「上舌化(高舌化)」、」という。ウチナーグチは、かつてこの「上舌化(高舌化)」が起こったというのが定説である。「雨(あめ)」が「あみ」に、「雲(くも)」が「くむ」に。
これを、ヤコブソンが示したロシアの事例([e]→[i])を比較すると、とても興味深い。
それにしても、ローマン・ヤーコブソンの「一般言語学」という本は、20年以上も前に、文化人類学や構造主義の本を読み漁っていた頃に買ったもの、まさか今になってまたこの本を開くことになろうとは。しかし、あまりにも難解に過ぎる。近いうちに、もう少し簡単な言語学の本を、見つけてこようと思っている。でないと、生きているうちにウチナーグチをマスターすることなど絶対にできない。
しかし、こういう性格なのです。許してください。
2009年06月20日(土)17時50分
「はべる」と「てふてふ」うちなーぐち講座《2》の2
さて、今日の本題に入る前に、もう少し寄り道をさせてください。
初めて沖縄語を話す会にお邪魔した時(4/4)に、沖縄の3母音についてお話ししました。
まずそちらを、是非お読みください。
⇒http://mapafter5.blog/907…
その復習と補足です。
《復習》
大和の母音の[e]が、ウチナーグチでは[i]に、[o]は[u]となる。
それでよく沖縄語は3母音という言われ方をするが、実はそれは間違いである。
短母音の[e]も[o]も、数は極めて少ないが、存在する。
長母音の[e:]と[o:]は、いくらでもある。
大和の[ai]が[e:]、[au]が[o:]となる。
《補足》極めて少ない[e]も[o]について。
それらの多くは感動詞(ane=あれ)か、擬声語(horohoro=衣ズレの音)である。
それらの言葉の殆どに、[e]や[o]を使わない言い方(変わり語形)がある。(三百=[sanbeku]には、[sanbyaku]という言い方もある。)
上記以外の言葉は、唯一、haberu=蝶のみである。
(コメントの【補足】も、必ず併せてお読みください。7/11追記)
さて、ここからです。(いつもM.A.P.after5の“うちなーぐち講座”はややこしいので、頑張ってついて来てくださいね。)
M.A.P.after5では上記のように説明はしたものの、実は、一つの疑問があったのです。
上に述べた[ai]→[e:]、[au]→[o:]という「ルール」の他に、大和の二重母音や長母音と沖縄の長母音との関係には、もっと多くのルールがあります。例えば、[ou]及び[oo]は[u:]となる。(通りtoori→tu:ri※注)
しかし「扇」はうちなーぐちでは「おーじ」です。なぜ「うーじ」とならないのだろうか……
※注:「トゥーリ」は[tu:]か[tuu]か、これについてもお話ししたいことがありますが、これは別の機会に…
そして、色々と調べ始めたのです。でも、ウチナーグチに関するものをいくら探しても、満足のいく答えは見つかりませんでした。ところが、日本語の歴史に、この疑問を解く糸口があったのです。
日本の鎌倉時代から室町時代にかけて(1200年頃)「オ列の長母音」は、口の開き方の広い狭いによって区別がありました。口を広く開けた方を「開音」、狭い方を「合音」といいます。
「開音」は[au]が長音化したもの[?:]、「合音」は[ou]が長音化したも[o:]です。
つまり「扇」がウチナーグチで「o:ji」となったということは、「扇」の「おー」が、もともと「開音」であったからではないのか。つまり、平仮名で「扇」を表記すれば、「扇」は「あうぎ」だったということなのです。
(但し、元禄時代、紀元1700年頃には、大和ではこの発音の区別は無くなっていたようです。けれども、文字としては「あうぎ」という風に書き分けていたのでしょう。)
これで、なぜ「扇」がウチナーグチで「うーじ」ではなく「おーじ」となるのか、そのことの説明がつきました。満足。
比嘉光龍さんに会った時、この話をしたら、「それ自分で考えたの」と、光龍さんの大きな目が、さらに大きくなりました。
このことに関連して、高山正樹は「社長とは呼ばないで」に、またわけのわからないことを書きました。
⇒http://lince.jp/mugon…
【補足】
例えば「王子」も沖縄語では「おーじ」となります。これも「扇」と同じ事情なのですが、但し、この場合の「お」は声門破裂音ではない「お」なので、新沖縄文字を提唱する船津さんの表記法に従って「をーじ」としました。しかし、「を」と書くと、どうしても[wo]という発音を想起します。確かに現代日本では「を」は[o]と発音されるということになっているので、声門破裂音ではない「お」の文字として「を」使用するのは一見問題なさそうにも思えますが、大和の古典芸能の世界では、いまだ「を」を[wo]と発音しています。この伝統的な発音は、芸能の世界では今後も受け継がれていくでしょう。
従って、「新沖縄文字」においても、無用な混乱を避けるために、声門破裂音ではない「お」については、新規に文字を考案することを、私は提案したいと思っています。
本記事において、そのあたりの事情を解説せずに、「王子」を「開音」の例として使っていたため、とても分かりにくい説明に「なっていました。そこで、「王子」に関する部分を削除し、この補足を付記することにしました。
しかしです。ここで新たな疑問が沸き起こってきたのです。
1:元来古く(日本の鎌倉時代以前の)沖縄で、その頃は大和でもそうだったように、[au]または[?:]と発音されていたものが、大和とは全く違った音韻変化の道を辿って[o:]に変わっていったのか。
2:あるいは、元禄時代以前に大和からやってきた言葉の[au]または[?:]が、既に確立されていた沖縄の音韻体系の中に組み込まれて、[o:]と言い換えられたのか。
3:はたまた、元禄時代以後、すでに大和では発音の区別が無くなっていたのに、大和から文字としてやってきたものに「あう」と「おう」の区別があったため、沖縄ではそれを音でも区別したということなのか。
ああ、興味は尽きません。
このことは、沖縄の歴史的仮名遣いをどう考えるのかという問題と、深く関わっているのではないか、そうとも思われてきました。
ともかくです。何百年も頑なに保持してきた仮名遣い(蝶々=てふてふetc.)を、日本は明治になってあっさりと放棄してしまったわけですが、その大和では失われてしまった区別が、その成り立ちや変遷がどうであれ、ウチナーグチに[o:]と[u:]という音の違いとして、はっきりとした形で残っているということは間違いなさそうで、とても興味深いことです。
もちろん、全てをひとつの公式に当てはめてしまうことは大変危険ですが、そのことをわきまえていれば、公式を探り出そうとすることは、極めて深く、楽しいことです。
そして、ウチナーグチを通して日本語を考える、これは日本を相対化するという、日本が国際社会で真に自立するために必要でありながら、しかし日本人が極めて苦手とする思考回路を鍛えるために、とても有効なことでもあると思ったのです。
【追伸】
そうしたら、沖縄語辞典に、こんなことがあっさりと書かれていたことを、後になって知りました。
「標準語の『開音』に対応するooは首里方言でooに、また『合音』に対応する標準語のooは首里方言でuuに、それぞれ対応するのが普通である」
うーん、『沖縄語辞典』は、たいしたもんだ。
初めて沖縄語を話す会にお邪魔した時(4/4)に、沖縄の3母音についてお話ししました。
まずそちらを、是非お読みください。
⇒http://mapafter5.blog/907…
その復習と補足です。
《復習》
大和の母音の[e]が、ウチナーグチでは[i]に、[o]は[u]となる。
それでよく沖縄語は3母音という言われ方をするが、実はそれは間違いである。
短母音の[e]も[o]も、数は極めて少ないが、存在する。
長母音の[e:]と[o:]は、いくらでもある。
大和の[ai]が[e:]、[au]が[o:]となる。
《補足》極めて少ない[e]も[o]について。
それらの多くは感動詞(ane=あれ)か、擬声語(horohoro=衣ズレの音)である。
それらの言葉の殆どに、[e]や[o]を使わない言い方(変わり語形)がある。(三百=[sanbeku]には、[sanbyaku]という言い方もある。)
上記以外の言葉は、唯一、haberu=蝶のみである。
(コメントの【補足】も、必ず併せてお読みください。7/11追記)
さて、ここからです。(いつもM.A.P.after5の“うちなーぐち講座”はややこしいので、頑張ってついて来てくださいね。)
M.A.P.after5では上記のように説明はしたものの、実は、一つの疑問があったのです。
上に述べた[ai]→[e:]、[au]→[o:]という「ルール」の他に、大和の二重母音や長母音と沖縄の長母音との関係には、もっと多くのルールがあります。例えば、[ou]及び[oo]は[u:]となる。(通りtoori→tu:ri※注)
しかし「扇」はうちなーぐちでは「おーじ」です。なぜ「うーじ」とならないのだろうか……
※注:「トゥーリ」は[tu:]か[tuu]か、これについてもお話ししたいことがありますが、これは別の機会に…
そして、色々と調べ始めたのです。でも、ウチナーグチに関するものをいくら探しても、満足のいく答えは見つかりませんでした。ところが、日本語の歴史に、この疑問を解く糸口があったのです。
日本の鎌倉時代から室町時代にかけて(1200年頃)「オ列の長母音」は、口の開き方の広い狭いによって区別がありました。口を広く開けた方を「開音」、狭い方を「合音」といいます。
「開音」は[au]が長音化したもの[?:]、「合音」は[ou]が長音化したも[o:]です。
つまり「扇」がウチナーグチで「o:ji」となったということは、「扇」の「おー」が、もともと「開音」であったからではないのか。つまり、平仮名で「扇」を表記すれば、「扇」は「あうぎ」だったということなのです。
(但し、元禄時代、紀元1700年頃には、大和ではこの発音の区別は無くなっていたようです。けれども、文字としては「あうぎ」という風に書き分けていたのでしょう。)
これで、なぜ「扇」がウチナーグチで「うーじ」ではなく「おーじ」となるのか、そのことの説明がつきました。満足。
比嘉光龍さんに会った時、この話をしたら、「それ自分で考えたの」と、光龍さんの大きな目が、さらに大きくなりました。
このことに関連して、高山正樹は「社長とは呼ばないで」に、またわけのわからないことを書きました。
⇒http://lince.jp/mugon…
【補足】
例えば「王子」も沖縄語では「おーじ」となります。これも「扇」と同じ事情なのですが、但し、この場合の「お」は声門破裂音ではない「お」なので、新沖縄文字を提唱する船津さんの表記法に従って「をーじ」としました。しかし、「を」と書くと、どうしても[wo]という発音を想起します。確かに現代日本では「を」は[o]と発音されるということになっているので、声門破裂音ではない「お」の文字として「を」使用するのは一見問題なさそうにも思えますが、大和の古典芸能の世界では、いまだ「を」を[wo]と発音しています。この伝統的な発音は、芸能の世界では今後も受け継がれていくでしょう。
従って、「新沖縄文字」においても、無用な混乱を避けるために、声門破裂音ではない「お」については、新規に文字を考案することを、私は提案したいと思っています。
本記事において、そのあたりの事情を解説せずに、「王子」を「開音」の例として使っていたため、とても分かりにくい説明に「なっていました。そこで、「王子」に関する部分を削除し、この補足を付記することにしました。
(2011年2月5日高山正樹)
しかしです。ここで新たな疑問が沸き起こってきたのです。
1:元来古く(日本の鎌倉時代以前の)沖縄で、その頃は大和でもそうだったように、[au]または[?:]と発音されていたものが、大和とは全く違った音韻変化の道を辿って[o:]に変わっていったのか。
2:あるいは、元禄時代以前に大和からやってきた言葉の[au]または[?:]が、既に確立されていた沖縄の音韻体系の中に組み込まれて、[o:]と言い換えられたのか。
3:はたまた、元禄時代以後、すでに大和では発音の区別が無くなっていたのに、大和から文字としてやってきたものに「あう」と「おう」の区別があったため、沖縄ではそれを音でも区別したということなのか。
ああ、興味は尽きません。
このことは、沖縄の歴史的仮名遣いをどう考えるのかという問題と、深く関わっているのではないか、そうとも思われてきました。
ともかくです。何百年も頑なに保持してきた仮名遣い(蝶々=てふてふetc.)を、日本は明治になってあっさりと放棄してしまったわけですが、その大和では失われてしまった区別が、その成り立ちや変遷がどうであれ、ウチナーグチに[o:]と[u:]という音の違いとして、はっきりとした形で残っているということは間違いなさそうで、とても興味深いことです。
もちろん、全てをひとつの公式に当てはめてしまうことは大変危険ですが、そのことをわきまえていれば、公式を探り出そうとすることは、極めて深く、楽しいことです。
そして、ウチナーグチを通して日本語を考える、これは日本を相対化するという、日本が国際社会で真に自立するために必要でありながら、しかし日本人が極めて苦手とする思考回路を鍛えるために、とても有効なことでもあると思ったのです。
【追伸】
そうしたら、沖縄語辞典に、こんなことがあっさりと書かれていたことを、後になって知りました。
「標準語の『開音』に対応するooは首里方言でooに、また『合音』に対応する標準語のooは首里方言でuuに、それぞれ対応するのが普通である」
うーん、『沖縄語辞典』は、たいしたもんだ。
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