2010年11月27日(土)21時24分
せんがわ劇場で“ひめゆり”を観る(後日執筆)
※検査のことはひとまず忘れて……
《11月27日(土)-2》
M.A.P.でも応援していた「ひめゆり」を、せんがわ劇場に観に行きました。

さて僕は、「狛食の奥様に知って頂きたくて」という記事の中で次のように書きました。
「ひめゆり」の他にも、たくさんの学徒隊の悲劇があったのだということを、多くの日本人が知らないということ、今度の“ひめゆり”を入口にして、是非とも知って欲しいと思うのです。そんなふうに繋がっていける映画であることを願って、僕も必ず見に行こうと思っています。
はたして、どうだったのか……
この記事は12月5日に書いているのですが、今日の僕は少し弱っているようで、これ以上は書けません。後日必ず書きます。
とりあえず、ふたつのリンクを貼っておきます。ワンクリック、ツークリックを面倒がらず、是非お読みくだされば嬉しいのです。
⇒沖縄の声に耳を傾けること【生と死・いのちの証言“沖縄戦”】
⇒宮城巳知子さんの辿った重い歴史の道を歩く(アメブロ)
《11月27日(土)-2》
M.A.P.でも応援していた「ひめゆり」を、せんがわ劇場に観に行きました。
さて僕は、「狛食の奥様に知って頂きたくて」という記事の中で次のように書きました。
「ひめゆり」の他にも、たくさんの学徒隊の悲劇があったのだということを、多くの日本人が知らないということ、今度の“ひめゆり”を入口にして、是非とも知って欲しいと思うのです。そんなふうに繋がっていける映画であることを願って、僕も必ず見に行こうと思っています。
はたして、どうだったのか……
この記事は12月5日に書いているのですが、今日の僕は少し弱っているようで、これ以上は書けません。後日必ず書きます。
とりあえず、ふたつのリンクを貼っておきます。ワンクリック、ツークリックを面倒がらず、是非お読みくだされば嬉しいのです。
⇒沖縄の声に耳を傾けること【生と死・いのちの証言“沖縄戦”】
⇒宮城巳知子さんの辿った重い歴史の道を歩く(アメブロ)
2010年11月18日(木)13時30分
狛食の奥様に知って頂きたくて
ひとつ前の記事で「ひめゆり」の上映会のチラシを紹介した。だから、お昼を“狛食”で食べることにした。
注文をとりにきたのは、奥様ではなく、若い男性だった。
「奥様、まだ悪いの」
「そうですねえ。でも薬で少しはいいのですが」
奥様は今、リュウマチで苦労されているのである。
黒酢の酢豚セットを薄味でお願いした。

頼めば、味の調節はやってくれる。当たり前の話なのに、センターから半調理品が配送されてくるようなチェーン店が増えて、当たり前が当たり前でなくなった。
“狛食”はごく普通の中華食堂だが、店内を見渡せば、泡盛もあるしあちこち諸々「沖縄」がある。

奥様のお母様はいわゆる「ひめゆりの生き残り」である。「生き残り」、嫌な言葉だ。チラシでは「ひめゆりの方々」となっている。それで分かるほど“ひめゆり”は認知されている。新聞などには「生存者」と書かれることが多い。
僕は“みやらび”の竹原くんに“狛食”にチラシ持って行ってみたらとすすめて、僕は遠慮していた。さて、チラシ、届いているかなと気になっていた。
若い男性に聞いても分からない。彼は厨房のご主人を呼んでくれた。
「今度、せんがわ劇場で“ひめゆり”って映画をやるんですけど、誰か、案内に来ました?」
「いや」
「そうですか」
ごちそうさま、と言って店を出た。
道を隔てた反対側に“中む食堂”があってお昼もやっている。そこには、竹原くんから預ったチラシを僕が届けた。そのチラシが残っているはずだ。

「この前はありがとうございました」
11月3日の試合のことである。
「どうするの、格闘技、やめるの」
「やめられなくなりました」
「そうか。また、夜来るね」
“ひめゆり”一緒に見に行こうよって言おうかどうしようか、迷っている僕がいた。結局それは言わずに、チラシを数枚戻して貰い、道を渡って狛食に戻った。
「うちに貼っておいても、誰も見ないよ」
「ともかく、奥さんにはお知らせしたくて。どうか奥さんにお渡ししてください。」
リュウマチを患っている奥様が、仙川まで来られることはないだろう。だが、近くに頑張っている若者がいるよということを、どうしても知ってもらいたかった。もしかしたら、奥様が案内してくだされば、小学校の関係とかで、来てくださる方もいらっしゃるかもしれないし。
竹原くんは、そのうちここへ来るのだろうか。一緒に行こうよと言ったのだが。僕はもしかすると先走って出すぎたことをしたのかもしれない。
一緒に行った宇夫方女史は、このあと、まず厚木へ向かった。今日は、厚木と狛江の琉球舞踊教室の日なのである。
⇒http://mapryukyubuyou.ti-da.net…
【追伸】
22日。Twitterで、竹原くんが(たぶんですけれど)狛食に行ったことを知りました。
⇒http://twitter.com/sengawahimeyuri…
「狛食」を「狛江」と間違っていたけれどそれはご愛嬌?
今度の上映会の後、竹原くんはどうするのだろう。なにか活動を続けていくのだろうか。ちょっと気になる。
何度もしつこく言って申し訳ないけれど、狛食の奥様のお母様は「ひめゆり」だが、お父様は「対馬丸」の生き残りだし、「ひめゆり」の他にも、たくさんの学徒隊の悲劇があったのだということを、多くの日本人が知らないということ、今度の“ひめゆり”を入口にして、是非とも知って欲しいと思うのです。そんなふうに繋がっていける映画であることを願って、僕も必ず見に行こうと思っています。
注文をとりにきたのは、奥様ではなく、若い男性だった。
「奥様、まだ悪いの」
「そうですねえ。でも薬で少しはいいのですが」
奥様は今、リュウマチで苦労されているのである。
黒酢の酢豚セットを薄味でお願いした。
頼めば、味の調節はやってくれる。当たり前の話なのに、センターから半調理品が配送されてくるようなチェーン店が増えて、当たり前が当たり前でなくなった。
“狛食”はごく普通の中華食堂だが、店内を見渡せば、泡盛もあるしあちこち諸々「沖縄」がある。
奥様のお母様はいわゆる「ひめゆりの生き残り」である。「生き残り」、嫌な言葉だ。チラシでは「ひめゆりの方々」となっている。それで分かるほど“ひめゆり”は認知されている。新聞などには「生存者」と書かれることが多い。
僕は“みやらび”の竹原くんに“狛食”にチラシ持って行ってみたらとすすめて、僕は遠慮していた。さて、チラシ、届いているかなと気になっていた。
若い男性に聞いても分からない。彼は厨房のご主人を呼んでくれた。
「今度、せんがわ劇場で“ひめゆり”って映画をやるんですけど、誰か、案内に来ました?」
「いや」
「そうですか」
ごちそうさま、と言って店を出た。
道を隔てた反対側に“中む食堂”があってお昼もやっている。そこには、竹原くんから預ったチラシを僕が届けた。そのチラシが残っているはずだ。
「この前はありがとうございました」
11月3日の試合のことである。
「どうするの、格闘技、やめるの」
「やめられなくなりました」
「そうか。また、夜来るね」
“ひめゆり”一緒に見に行こうよって言おうかどうしようか、迷っている僕がいた。結局それは言わずに、チラシを数枚戻して貰い、道を渡って狛食に戻った。
「うちに貼っておいても、誰も見ないよ」
「ともかく、奥さんにはお知らせしたくて。どうか奥さんにお渡ししてください。」
リュウマチを患っている奥様が、仙川まで来られることはないだろう。だが、近くに頑張っている若者がいるよということを、どうしても知ってもらいたかった。もしかしたら、奥様が案内してくだされば、小学校の関係とかで、来てくださる方もいらっしゃるかもしれないし。
竹原くんは、そのうちここへ来るのだろうか。一緒に行こうよと言ったのだが。僕はもしかすると先走って出すぎたことをしたのかもしれない。
一緒に行った宇夫方女史は、このあと、まず厚木へ向かった。今日は、厚木と狛江の琉球舞踊教室の日なのである。
⇒http://mapryukyubuyou.ti-da.net…
【追伸】
22日。Twitterで、竹原くんが(たぶんですけれど)狛食に行ったことを知りました。
⇒http://twitter.com/sengawahimeyuri…
「狛食」を「狛江」と間違っていたけれどそれはご愛嬌?
今度の上映会の後、竹原くんはどうするのだろう。なにか活動を続けていくのだろうか。ちょっと気になる。
何度もしつこく言って申し訳ないけれど、狛食の奥様のお母様は「ひめゆり」だが、お父様は「対馬丸」の生き残りだし、「ひめゆり」の他にも、たくさんの学徒隊の悲劇があったのだということを、多くの日本人が知らないということ、今度の“ひめゆり”を入口にして、是非とも知って欲しいと思うのです。そんなふうに繋がっていける映画であることを願って、僕も必ず見に行こうと思っています。
tag: 厚木教室 MAP琉球舞踊教室 ひめゆり学徒隊 対馬丸 沖縄居酒屋.中む食堂 狛江_居酒屋.中む食堂 #竹原学 狛江_中華.狛食 健康ゲーム
2009年04月10日(金)15時06分
狛食というラーメン屋さん
世田谷通りの狛江三叉路を、狛江の駅のほうに数十メートル、その辺りに「狛食」というラーメン屋さんがあります。

奥様の西村康子さんです。

康子さんは沖縄のコザの出身。かの「コザ暴動」を目の当たりにしていらっしゃる方です。
そして、お父様は対馬丸の生き残り、お母様はひめゆり部隊の生き残りなのだそうです。なんということでしょうか。
いろいろな資料や本を見せて頂きました。ご自分のお子さまが通う小学校で、沖縄戦のお話をされたそうです。
その学校の教頭先生が、あの牛島中将のお子様だったりして。
なんだか話が止まらなくなってしまいました。
また改めて来ますね、そういってお店を後にしました。
あ、お店の主役、ご主人と、一番重要な、酢の利いたおいしいお料理のことは、また後日きっちりと。
奥様の西村康子さんです。
康子さんは沖縄のコザの出身。かの「コザ暴動」を目の当たりにしていらっしゃる方です。
そして、お父様は対馬丸の生き残り、お母様はひめゆり部隊の生き残りなのだそうです。なんということでしょうか。
いろいろな資料や本を見せて頂きました。ご自分のお子さまが通う小学校で、沖縄戦のお話をされたそうです。
その学校の教頭先生が、あの牛島中将のお子様だったりして。
なんだか話が止まらなくなってしまいました。
また改めて来ますね、そういってお店を後にしました。
あ、お店の主役、ご主人と、一番重要な、酢の利いたおいしいお料理のことは、また後日きっちりと。
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