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“仲宮里”再訪《藤木勇人の色紙》と《大場久美子の色紙》

日本橋高島屋で時間を潰して、やっと夕方になりました。宇夫方路女史と東京奏楽舎の桃原くんと、新富町で待ち合わせ。雨の中、三人連れ立って仲宮里に向かいます。10月20日以来、10日ぶりです。

御挨拶して、それから軽く食事をして帰るつもりが、肝臓ノーダメージと言われたわたくし高山正樹、ついつい頼む泡盛のロック。
泡盛ロック

お酒を頼めばお通しが出てきます。クーブイリチー。
クーブイリチー

宇夫方さん御注文の沖縄ソバ。
沖縄ソバ

桃原くんの好物、フーチャンプルー。
フーチャンプルー

そして僕はプリン体汁、じゃないイカの墨汁!塩なしで頼みました。
イカの墨汁
やっぱり少し薄い。味ではなく墨がです。僕のカミサンが東京で作る墨汁も同様、沖縄のあの濃厚なイカ墨は東京では手に入らないのかもしれません。でも、おいしかった。ご馳走様でした。

今日はあまり時間がないので、これで失礼します、そういってレジへ、ふと見上げると藤木勇人さんの色紙。
有名人の色紙
沖縄語録だって。

「だからよー」
「なんでかねー」
「であるわけさ」

沖縄語にうるさい方々は、これはウチナーヤマトゥグチであってウチナーグチではないと眉間に皺を寄せられることでしょう。でも僕は、それは少し違うと、奄美にルーツを持つ藤木勇人さんと、実際に会って話をしてから思うようになりました。きっと藤木さんは全て分かっていて、敢えて「ウチナーヤマトゥグチ」を「ウチナーグチ」だと言っている。この色紙を見て、あらためてまたそう思ったのです。
 ⇒藤木勇人さんと会った日のこと

だから、僕も語録にいくつか付け加えてみましょうね、っと。

「しましょうね」
「じょーとーさー」
「だーはずよ」

桃原くんは横浜生まれ。沖縄の言葉も宮古の言葉も全くしゃべれません。お亡くなりになったお父様も、いわゆる「標準語」しか使われなかったそうです。田舎に帰っても、御兄弟がいわゆる方言を使っているのに、お父様は標準語で受け答えをされて、一切「方言」は使われなかったようです。つまり、聞き取れるけれど(そしてたぶんしゃべれるにもかかわらず)「標準語」しか話さなかった桃原くんのお父様。「桃原」は「とうばる」と読むのですが、かつてお父様は「ももはら」と名乗っていらしたと桃原くんから聞きました。

沖縄の言葉、それに対して、きっといろいろな人がいろいろな思いを抱いているのだろうなあ。

藤木勇人さんは弟みたいな人、そう仲宮里の奥様はおっしゃいました。

最後に奥様と桃原健一くんとで記念撮影です。
“仲宮里”の奥様と桃原健一くん
「頑張ってね、ウチナーンチュはみんな応援してくれるさー」

【追伸】
藤木勇人さんの色紙の下に大場久美子さんの色紙もありました。大場久美子さんは最近「ウンジュよ」という朗読劇をはじめられたらしい。
 ⇒朗読『ウンジュよ』公演実行委員会公式ブログ
そしてこの仲宮里にもよくおいでになると伺いました。すっぴんで、とっても気さくな方だとか。
おきなわおーでぃおぶっくを企画するM.A.P.としては、とても興味がわいてきた……

「今度、大場久美子さんが来るときに来たらいいさ。紹介するからね」と、奥様は桃原くんだけに言ってました。

tag: 宮古  藤木勇人  うちなーぐち  イカ墨汁  フーチャンプルー  沖縄そば  クーブイリチー  沖縄居酒屋.仲宮里  桃原健一 

一晩しか咲かない月下美人

このゲートのところを曲がれば、義母が一人で暮らす家まで間もなくである。
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そこに、家族が集まってくれるのだ。
一年に一晩しか咲かない月下美人。
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この偶然に、ことさら何かの意味を求める者などいない。

夏限定のオリオンビール。
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オリオンビールはやっぱり夏の沖縄で飲むのが一番うまい。
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それには理由がある。ビールは、揺らせば揺らすほど不味くなる。オリオンビールの工場は名護にある。だから、沖縄でも名護に近づけば近づくほど、旨いオリオンビールが飲めるのだ。

ゴーヤーも……
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さしみも、てんぷらも嬉しいのだが……
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こんなコクのある墨汁は、ここでしか食べられない。
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義理の兄弟たちは言った。
この母が作る上等墨汁は、僕が来た時にしか食べられないのだと。

明日は土曜日だが、みんな休みではない。沖縄の小さな会社では、至極当たり前のことである。労基署も、ただ黙っている。なぜなら、労基署が動けば、会社が立ち行かなくなることを知っているから。

tag: ゴーヤー  イカ墨汁  CampKinser  オリオンビール  沖縄の旅_2010年7月 

もうひとつの沖縄(1)【イカの墨汁】と【蘇ったジーファー】

カミサンの実家へ。
まずはトートーメーにウートートゥー。
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義母の実家が本部(もとぶ)。だから伊豆味の伊佐さんに頂いたミカンを、お土産に持ってきました。シークァーサーと、それから、えーと、なんだっけかな。
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みんなも「わからん」。

カーブチー。
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沖縄では普通に食べる。種は多いけど、みんなやっぱりこれがおいしいって。

ここへ帰ってくると、いつも思うのです。もうひとつの沖縄がココにはある。どこにも無いココだけの沖縄。これはどうにも説明しにくい感覚です。
お義母さんがいつも作ってくれるイカの墨汁。
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前回の墨汁(おんなじ器だ……)
20数年前、はじめて食べさせてもらった時は驚きました。まだイカ墨のスパゲッティなど見たこともない頃です。
それから数年後、今からちょうど20年前、荒尾美代さんという女性が、イカの墨汁のルーツを探ったという新聞記事を読みました。イタリア旅行中に食べたイカ墨のスパゲッティがおいしかったこと、ある本で知った沖縄の墨汁のこと、それから彼女は、日本中の海沿いの町に片っ端から電話をかけて、イカ墨の料理を探したといいます。すると北陸に一ヶ所、「くろづくり」の塩辛はあったけれど、ポピュラーな料理としては沖縄の墨汁以外にはなかった。いったい沖縄の墨汁のルーツはどこなのか。まず中国を調べたが中国では全く食べない。そこから一年かけて、世界の料理をチェック、するとキリスト教信仰の土地が浮かび上がってきた。ならば長崎にもあるはずだ、そうして見つけたのが生月島の“くろみあえ”。つまり、沖縄のイカの墨汁は、フィリピンあたりから、キリスト教の宣教師と共に沖縄にやってきたのではないか……。
さて、この仮説は正しかったのかどうか、その後の研究はどうなったのでしょう。

今やイカ墨料理はちっとも珍しくないけれど、20数年前の沖縄は、僕にとって今よりずっと異国でした。そしてその異国性は、手懐けられ利用されている現代のそれとは全く違うものでした。でも、沖縄が変わったのではありません。それをいつも教えてくれるのが、この家なのです。

結婚した頃の僕の土産ばなしは、東京のことばかりでした。でも最近は、僕が沖縄で会った人たちの話をすることが多くなりました。今は、その方がずっと話が盛り上がります。
今日は、又吉健次郎さんの話題です。
すると、義理の妹が踊りを習っている時に使っていたジーファーと房指輪が、確かどこかにしまってあるはずと、家捜しが始まりました。そうして見つかったのがこれです。まずは房指輪。null
これは型抜きしたようで、左程のものではないと感じたのですが……

気になったのはジーファーです。null
誰かが踏んずけたのか、曲がっているのですが、ずっしりと重い。
姪っ子は、興味なさそうに漫画を読み耽っています。
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なかなかいい形をしているように思います。
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刻印がふたつ。なんだろう。
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下の方の刻印は、文字が書いてあるようですが、最近老眼が進んで、全く読めません。
姪っ子に頼むと、あっさり「シルバー」。
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なんだって!
「すいません。このジーファー、ちょっとお借りできませんか? 明日、健次郎さんのところへ、これ持って、もう一度行って来ます。」
もしかするとこの家には、たくさんのお宝が隠されているのかもしれない。

tag: カーブチー  「クガニゼーク」のこと  シークヮーサー  イカ墨汁  沖縄の旅_2009年11月  ジーファー  房指輪 

亡き義父の命日(沖縄3日目の午後その3)

やはり世界遺産の中城城跡へ。
中城の寒緋桜
お金がかかるからというよりも、もう時間がないので、寒緋桜(カンヒザクラ)を撮影できたから、それでよしとして退散します。
あーあ、桜祭り、行けそうにないなあ。大城先生は、桜祭り行ったのかなあ。

そういえば、中城は文豪大城立裕の故郷です。
だから大城立裕文学碑があるのです。
大城立裕文学碑

おまけ。
ふっと、舞い降りた鳥一羽。
おまえは、本当にイソヒヨドリなのか…
太ったイソヒヨドリ
だとしたら、おまえ、太りすぎだろ…  自己嫌悪。

そのあと、大好きな古本屋“じのん”さんに寄って、伝説の文芸誌、「琉大文学」を見せてもらった。しかし、第三巻の号ばかり、それでも高価なものは一冊4,000円を超える。問題の第一巻第六号からの数号は、いったいいくらで売るのでしょう。
残念ながらお目当てのものがなかったので、代わりに小生の蔵書、「新沖縄文学」のご紹介。
沖縄タイムス社、1970年18号、特集「反復帰論」。
新沖縄文学
(下の新しめの「新沖縄文学」は、ずいぶん前に、“じのん”の前身、那覇の“ロマン書房”で買ったのです。)
「反復帰論」には、大城立裕「文化創造力の回復」と、新川明「<復帰>思想の葬送」が並んでいる……。

葬送といえば、今日は、義父の命日である。
久米島出身の義父は、日本より中国が好きだと言った。それでも、東京の結婚式には来てくれた。皇居に行ってみたいというので案内したが、実は僕も初めてだった。義父は、玉砂利にいたく感心していた。
義父は沖縄タイムスの社員であった。本と酒で暮らす余生を楽しみにしていた。いよいよそんな生活ができるはずであったのに、定年退職して間もなく、心臓の病で倒れた。連絡を受けた妻は、すぐに沖縄へ向かった。那覇空港に降りて、電話を探した。運び込まれた病院で、父ちゃんはそのまま亡くなってしまったのだと告げられた。間に合わなかった。最後に、父ちゃんは「死んでたまるか」と言ったのよと、妻は妹から聞かされた。
もし東京の病院であったなら、口には出さなかったが、その時、僕はそう思った。今はあまり聞かれなくなった「島ちゃび」とは、離島の苦しさを表す言葉だが、僕はその言葉を思い出していたのだ。だが、はたして僕は、沖縄の現実をしっかりと見ていたのか、あるいは沖縄を差別していたのか、今となってはもうわからない。
亡くなった義父の財布には、生涯一度きりの、東京への旅の航空券が、大切に収められていた。僕も妻も、とめどなく涙があふれた。
それから、もう19年になる。

あれ、いつのまにか文体が変わっちゃった。これは、「社長とは呼ばないで」ではありません!

さて、本日の珍道中はここまで。わたくし、亡き義父にお線香を手向けるため、妻の実家へと参ります。
当然のことながら妻の実家はずっと沖縄タイムスを購読。従って、先日の琉球新報のわたくしめの記事を、皆さんは読んでいらっしゃいません。というわけで、その新聞を、義理の弟の奥方が、勤務先の古新聞の中から探して出して持ってきてくれました。
それをバアちゃんは、そっとトートーメーにお供えしました。
トートーメー
19年間、毎朝毎夕届いた新聞は、まずここに供えられます。もしかすると、琉球新報がここに置かれたのは、はじめてのことなのかもしれません。来月からは夕刊がなくなります。不況と、インターネットの所為。
とうちゃん、淋しいだろうなあ。

イカの墨汁です。
イカの墨汁
「おかわりしなさい。」
「はい」
でもすごいカロリーなんだよね。また太る、心臓にもいいわけない。
でもやめられない…… 
自己嫌悪。

tag: 新川明  沖縄タイムス  沖縄の旅_2009年2月  トートーメー  イカ墨汁  ゴーヤーチャンプルー  大城立裕  じのん  中城城跡