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インスタ映えとやらしても間に合わない告知では仕方ない…

ほとんど一日中、明日のイベントの告知宣伝をしている。
最後のあがき。

最近、自宅ではインスタ映えする題材を探していたりする。

#秋 #紅葉 #落ち葉 #落葉 #ピンク #もみじ #インスタ映え #インスタ映えない #紫

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それもまた宣伝のため。
明日のイベントには、もう間に合わないのだけれど…

#手書き #藤木勇人 #うちなーんちゅ #うちなーぐち #ぶくぶく茶 #手書きチラシ #琉球舞踊

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【間に合うのだろうか告知集】
【追記】事務所にて
箆柄暦(ぴらつかこよみ)の本体も届いた。
表紙はりんけんバンドの照屋林賢氏。
照屋林賢
藤木さんも“りんけんバンド”出身。
記事が小さいのは仕方がないのですが、月始めに届いて二日のイベント知っても間に合わないよなあ…と。
小さなブクブク茶

「おきなわの声」12月号も届く。
こちらにも載っている。こちらは先月号にも乗せてくださっている。そして1月から2月の沖縄映画祭も。感謝である。
ブうくぶく茶と映画祭
しかし、「MAP(エムエイピー)」と「M・A・P」ねえ…

そして先月号に続いて、上原成信さんと川口喜代子さんの記事が掲載されていた。
上原さんの記事は元編集長の金城驍さんの投稿。川口先生の記事は偲ぶ会のご案内。
※クリックすると大きくなります。
上原成信さんを偲ぶ

川口喜代子会長を偲ぶ会
「鶴の一声で纏まった」か。確かにね、纏まる人は纏まったのだから間違いではない。
うぶかた女史も、今年沖縄県人会に入ったらしい。きっと、偲ぶ会の手伝いにも行くのだろう。

tag: 星ノ飛ブ夜  藤木勇人  川口喜代子  上原成信  金城驍  「おきなわの声」 

「おきなわの声」が届く

毎月頭に、東京沖縄県人会の発行する「おきなわの声」が届く。

おきなわの声11月号

毎号M.A.P.と何かしら関係のある記事が掲載されている。2017年11月号も、トップニュースこそ京都で開催された全国沖縄県人会の記事だが、他に「沖縄芸能フェスティバル」「安冨祖流朝一会関東支部公演」「豪徳寺沖縄祭り」「関東沖縄IT協議会のパーティー」「S1グランプリ」「第80回沖縄芸能大会」などなど、繋がりのある情報がいっぱいなのである。

でも、今月は少し特別。

おふたりの訃報

川口喜代子さんは、ただの(大変失礼)沖縄好きのナイチャーなのかと思っていたが、台湾生まれの那覇育ちでいらっしゃるとは存じ上げなかった。うぶかた女史も、川口先生から「わたしはヤマトゥンチュ―、那覇に住んでいる時に踊りを習った」としか聞いていなかったという。
また、「おきなわの声」を創刊されたのが、あの上原成信さんだったということも知らなかった。

そういえば、かつていろいろな人の死亡記事を切り抜いて集めている知人がいたっけ。死亡記事は、その人の人生を端的に、極めて適切にまとめられている、だからそれを集めれば、上質な人物名鑑ができるというのが、収集の理由だった。なるほど、である。

11月号にはこんな記事も掲載されていた。10月11日の事件のことである。
へり不時着の記事

基本、沖縄県人会に政治的党派的な色合いはない。つまり、沖縄の基地問題は、沖縄の人たちにとっては政治ではないのだということ。「オール沖縄」などという手垢に塗れた言葉を使う気は毛頭ない。

オマケ。
「うちなー噺と琉球舞踊とぶくぶく茶」の告知記事。小さいけど。
ブクブク茶のイベント紹介
いつもいつも感謝です。
(でも、MAPじゃなくて、M.A.P.だって毎回お伝えしているはずなんだけどなあw)

tag: 上原成信  川口喜代子  高江  普天間  藤木勇人  「おきなわの声」 

カジマヤーを迎える前に死ぬことは、ウチナーンチュには早すぎる

上原成信さんがお亡くなりになった。
※この記事は後日投稿している。

翌日の新聞にその記事が載った。

上原成信逝去1 上原成信逝去2

思わず声が出た。
成信さんと初めてお会いしたのは、大崎の“沖縄語を話す会”(2009年7月)であった。その時に成信さんからゴーヤーの苗を頂いた。今年は忙しくてゴーヤーまで手が回らなかったが、以来事務所で栽培するゴーヤーは、苗ではなくその前年に収穫したゴーヤーの種から育てているもので、つまり成信さんに貰った2009年の苗の子孫たちなのである。

上原成信さんとは2010年の忘年会が最後になってしまった。2014年に沖縄へ戻られていたことは知らなかった。
2016年の沖縄映画祭比嘉賢多「沖縄/大和」を上映したが、その映画には上原成信さんが登場されていた。普天間に立つ元気な上原成信翁をスクリーンに観て、成信さんはいてもたってもいられずに時々沖縄に行かれているのだろうと思っていたのだが、「沖縄/大和」は2014年の作品、その頃に沖縄に戻られたということか。

しかし、「沖縄/大和」の中の上原成信氏は、ネトウヨに毛が生えたような若者たちと議論してかみ合わず、むしろ論理的には負けていた。でもそれは、成信翁の責任ではないと僕は感じたのだ。なんというか、彼らを説き伏せるだけの力を持つ思想を構築して来なかった「内地」の運動の脆弱さを思ったのである。さて、そのシーンを撮って映画に使った比嘉賢多はどう思ったのか、今度会ったら聞いてみたいと思う。

自宅の書斎の本棚から、上原成信さんが2009年に出版した「那覇軍港に沈んだふるさと」を引っ張り出してきた。
那覇軍港に沈んだふるさと

装丁は三線で使われる蛇皮の柄、そして上原成信さんの言葉が書かれている。
「沖縄の基地をめぐる状況は、64年余、基本的には何ひとつ変わっていない。しかし、若いウチナーンチュたちが中心となり、闘っていくことでいつか基地のない沖縄がくることを信じている」
それからもう8年、相変わらず何も変わらない沖縄。むしろ状況は酷くなっている。

享年90歳。普通なら大往生なのかもしれない。しかし死因が膵臓がんだと聞けば、まだまだ戦っていらっしゃたのに違いないと思えてくる。カジマヤーを迎える前に死ぬことは、ウチナーンチュにとっては早すぎると、僕はそう思う。

最近、このブログに登場する方のタグリストなるものを作った。
 ⇒このブログに登場する沖縄の人たちのタグリスト
亡くなられた方には、△印をつける。その数がずいぶんと増えてしまった。上原成信さんにも今から△をつける。僕はこちらに住んでいらした成信さんしか知らないので、「内地」在住のウチナンチュのママにしておこうと思う。

間もなくこの僕も還暦である。まだまだ小僧である。世相を越えてゆったりした存在になれる日が、はたしてこの僕に来ることはあるのだろうか。

明日がカジマヤーである。
上原成信さんの御冥福を心からお祈りしている。

この日から明日、深夜の記事へ
明日、カジマヤーの日の記事へ

世界のウチナーンチュの日(10月30日)の記事

tag: 上原成信  墓碑銘  比嘉賢多 

本家“沖縄語を話す会”の忘年会(まだ執筆途中の記事です)

《2010年12月4日(土)》
今日の富士山。
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お昼の1時から、大崎の本家“沖縄語を話す会”の忘年会にお邪魔しました。
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 ⇒2009年の夏の宴
 ⇒2009年の忘年会

お弁当です。
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沖縄とは全く関係ないお弁当です。いいんです、それで。

上座には長老3名がお座りになられています。
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左の方は「那覇軍港に沈んだふるさと」をお書きになった一坪反戦地主会関東ブロック代表(現在は顧問かも)の上原成信さん、平和運動家ならそのお名前を知らない人はいないという方です。(残念ながら僕は平和運動家ではないので、大崎でお会いするまで存じ上げませんでしたが。)右の方は野村琉古典音楽保存会の師範、仲宗根善久先生です。(只今秘かにミステリー進行中?)

上座で思い出しました。おきなわおーでぃおぶっくのカクテル・パーティーのページで、書こう書こうと思っていながら、一年以上もほったらかしになっていたことがありました。それを急遽書いてアップしました。
 ⇒大城立裕「カクテル・パーティー」の“後来坐上”の場面について

しかし、本当の長老は……
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(以下暫定虫食い状態です。後日更新します。)

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本日、大槻紀子さんは欠席でしたが……
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今日は沖縄芸能フェスティバル2010のリハーサルがあって、善久先生は途中でお帰りです。
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それでも予定よりかなり時間オーバー、大丈夫なのかなとちょっと心配しましたが、そこはきっと沖縄タイムでクリアなのでしょう。
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続きを読む

tag: 大槻紀子  とみ久さん  沖縄語を話す会  鈴木修  炭屋由美子  金城驍  富士山  仲宗根善久  上原成信 

大崎“沖縄語を話す会”2009年忘年会

今日は大崎の“沖縄語を話す会”の忘年会です。
会報の第13号が配られました。
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今年7月の夏の宴の写真が掲載されていました。
「事務局から」というあとがきで、國吉眞正さんが私たちM.A.P.のことを紹介してくださいました。

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その他にも、最近の沖縄語を話す会の活動実績(その中には我々が國吉さんと同行した沖縄国際大学の西岡ゼミのこともありました)や、國吉さんが作られた小冊子「沖縄のわらべうた」など。
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頂きました。これはうれしい。

宴会突入。

西武門(にしんじょう)もみ子さんが三線で盛り上げます。
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大盛況です。
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“喜多見で沖縄語を話す会”もあやかりたい。頑張ろう!

tag: ゆんたくの会  三線  沖縄語を話す会  西武門もみ子  上原成信  内地在住ウチナーンチュ  沖縄関連の人 

“沖縄語を話す会”喜多見分室(ゆんたくの会)

午前中は代田橋で無伴奏デクノボー奏鳴曲の稽古。
そして……
第一第三土曜日は大崎の“沖縄語を話す会”

今M.A.P.の事務所で育てているゴーヤーは、もともと“沖縄語を話す会”の夏の宴で、上原成信さんに頂いた苗。その苗からこんな立派な(?)ゴーヤーが出来ましたという御報告と御礼のため、一本収穫して持っていきました。
 ⇒夏の宴の記事
 ⇒頂いた時の苗

黒糖と一緒に、お別れの記念撮影。
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さて、本日の会話のお勉強は接尾語「しが」

わんねー、うちなーんちゅやいびーしが、うちなーぐちぇー、じょーじぇーあいびらん。ならいぶさいびーしが、ちゃーさらーましやいびーがやー。

前回の“沖縄語を話す会”の時の記事に、重要な告知は後日などと書きながら、まだ告知していなかったことを……
 ⇒前回の“沖縄語を話す会”の時の記事
ようやく本日告知いたします。

この度、國吉眞正氏の協力で……
喜多見で“沖縄語を話す会”分室を開くことにしました。

日時や会場などの詳細は、お仲間が何人か集まった段階で、皆さんのご都合を考慮しながら決定しようと考えています。
興味のある方、ウチナーンチュかナイチャーか、そんな区別は一切いたしませんので、是非ともご一報ください。

また、9/26の記事「ずっとウチナーグチを学んでいくために」で、ちょっと触れましたが、沖縄の那覇においても、同様の教室開催を模索してまいります。
 ⇒「ずっとウチナーグチを学んでいくために」

さあ、おもしろくなってきたぞ!

tag: 上原成信  うちなーぐち  國吉眞正  ゆんたくの会  ゴーヤー栽培.2009  沖縄語を話す会 

一本ゴーヤー

昨日、沖縄語を話す会で上原成信さんから頂いたゴーヤーの苗です。
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沖縄語を話す会では、ゴーヤー談義に花が咲きました。

「一本ゴーヤー」という言葉があるのだそうです。
一本の苗で60個のゴーヤーが成るから、一本で十分だということ。
「何本も植えちゃいけないという意味かと思ってた」というご意見も。
確かに一本の苗で60個も成るんじゃあ、近くに植えないほうがいい。何本も植えちゃいけないというのも間違いではなさそうです。

ゴーヤーは連作しちゃダメだというが、そんなことはない。きちんと土を返して肥料をやれば大丈夫。その話を伺いながら、土地を耕すことなどせず、一年休ませて自然に回復するのを待って、そしてまたゴーヤーを植える、昔はどこでもそうだったのかなと、思ったりしました。

棚を作らず、スイカみたいに地面を這わす地ゴーヤーというのもあるとか、熟れて赤くなったゴーヤーは甘いのだとか、ゴーヤーのワタの天ぷらがおいしいとか、ゴーヤーの話は、まだまだたくさんありそうでした。

さて、頂いたゴーヤーを大切に育てて、私たちはいったいいくつ収穫できるでしょうか。
でも、

サボテンも枯れるという事務所、大丈夫かな。

2日後のゴーヤーへ

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tag: ゴーヤー栽培.2009  白石准  ゴーヤー  上原成信 

“沖縄語を話す会”夏の宴【沖縄の“乾杯”は“かりー”なのか】

ウチナーグチの勉強は小休止。
大崎の沖縄語を話す会、その“夏の宴”です。
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何人かの方の御挨拶やお話は、もちろん全てウチナーグチです。
我々の理解度は…
 國吉眞正さんの主宰者挨拶:高山10%、宇夫方10%
 船津好明さんの柳宗悦に関する話:高山90%、宇夫方10%
 Yさんの御挨拶:高山3%、宇夫方10%
 演芸大会の沖縄芝居のせりふ:高山0%、宇夫方0%
 雑談:高山93%、宇夫方95%
  (時々顔を出すウチナーグチが分からない)
 乾杯の音頭(かりー):高山0%、宇夫方100%
  (要するに知っていたかどうかの違い)


でも、この「かりー」、昭和38年に国立国語研究所が出した「沖縄語辞典」には載っていませんし、「乾杯」という意味のウチナーグチ自体が、この辞典には全く見当たりません。

比嘉光龍さんは、琉球新報の『光龍ぬアハー!うちなぁぐち』というコラムで、次のように書いています。
「『嘉例(かりー)』は日本語の『かれい』から来ているらしく、意味は広辞苑に『めでたい先例』だとある。」
「これが乾杯の意味で使われだしたのはどうやら戦後のようで、うちなぁの経済界の有志たちがはやらせたようだ。」
「うちなぁぐちには『乾杯』に当たる言葉がなかったようだ。」


なるほど、してみると、やっぱり「うちなーぐち」と「うちなーやまとぐち」の線引きは、なかなか難しいですね。

するとまた、日本における乾杯の起源が知りたくなりました。
取り敢えず、こんなサイトを見つけました。
http://www.uraken.net/zatsugaku…
真偽のほどは、各自でお調べくださいませ。

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演芸大会のスナップです。
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へえ、琉球舞踊にも歌謡曲で踊る新舞踊があるんですねえ。
驚いたのは、おじいさんおふたりの手が、宇夫方路があんなに苦労した、琉球舞踊の手になっていたことです。

廃藩置県直後の沖縄の葛藤を描く沖縄芝居を
ウチナーグチで語られました。
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宇夫方路は「海のチンボーラー」と「加那ヨー」を踊りました。
「海のチンボーラー」は、津嘉山正種さんの「人類館」の中で歌われている歌です。
画像は「加那ヨー」。明治期の創作舞踊です。
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(※実は「海のチンボーラー」も比較的新しい唄。その元唄については、なかなか面白い話がありそうです。いずれしっかり調べてご紹介します。)
「ウチナーンチュよりもウチナーンチューさー」
皆さんからの有難いお言葉。
でも、着ている服は、二分式の(上下二つに分かれる)和服の普段着です。沖縄のものではありません。

新舞踊の先生も踊ってくださいました。
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最後は、カチャーシーではなく“ボケない小唄”
いいんです。それで。
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そしてこの日、上原成信さんからゴーヤーの苗を頂きました!

2009年のゴーヤー栽培記の始まりです。

tag: 内地在住ウチナーンチュ  沖縄関連の人  上原成信  比嘉光龍  沖縄語を話す会  うちなーぐち  ゴーヤー栽培.2009  加那よー