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大城立裕氏(沖縄2日目の午前中)

朝一番、対馬丸記念館へ。
下の画像にもありますが、あの中島高男さんの本が出版されました。
受付にて販売中  
 ⇒Official_Blogを読む
事務局長の瑞慶覧さんと記念撮影。
瑞慶覧さんと記念撮影
なんか変ですか…。
昔の美川憲一さんをちょいと太らせた感じ?
もすこし笑ってくださればいいのにね。
きっとカメラマンの問題ですねえ。

対馬丸記念館の裏には、琉球王府より特別な扱いを受けた八つの神社(琉球八社)のひとつ、波上宮があります。
波上宮の鳥居

波上宮の案内看板
なんだか大和風で、拍子抜けしますか? これも、沖縄です。
またその隣には波上山護国寺という沖縄最古のお寺もあるのです。察度王時代の1368年、波上宮の別当寺として建立され琉球王の勅願寺でした。境内には、明治初期のキリスト教宣教師ベッテルハイムの碑もあります。
いずれご紹介しましょう。
この護国寺と対馬丸記念館(小桜の塔)の関係について、対馬丸記念館のホームページに記述があります。
小桜の塔は愛知県のすずしろ子供会が募金を集め、愛知県の協力によって沖縄に贈られた。建立にあたっては、波上山護国寺の住職 名幸芳章大僧正が尽力し、昭和29年(1954)5月5日の子どもの日に除幕式がおこな われた。船首を那覇港に向け、旭が丘公園の展望台を挟んで対馬丸記念館の反対側に建っている。
 ⇒対馬丸記念館から小桜の塔へ

そして、久米明さんのことをご報告に、大城立裕先生のお宅へ。
立裕オジイはカメラを向けると、いつも難しいお顔をされるので、なんとか笑わせて、写真家の石川真生さんが撮影したような笑顔をゲットしたかったのですが……。
大城さんのニコリ 大城さんのニヤリ

大城さんのオホホ
まあ55点というところでしょうか。
ちなみに、芥川賞決定の電話を受け大喜びの大城氏という、あの有名な写真は、実際の芥川賞決定報告の電話を切ったあとに、写真を撮りそこなった新聞記者に頼まれてポーズを取った「やらせ」なのだそうです。ああ、こんなこと、バラしてしまっていいのでしょうか。まあ、おめでたいことだし、やらせに乗ったのも喜びの延長の遊び心だったということは、皆さんの笑顔を見れば分かります。時効ということでひとつお許しください。
(文責:高山正樹)

大城氏のご自宅を辞して、さあ、金城くんと再会です。

tag: 石川真生  別ブログへ  対馬丸  中島高男  沖縄の旅_2009年2月  大城立裕  対馬丸記念館  波上宮  瑞慶覧達次 

「対馬丸の悲劇」中島高男さんの講演

和光大学付属の小学校は、世田谷と町田の鶴川に2校あります。先日、世田谷の小学校にお伺いしたことはご報告しましたが(その時の記事へ)、その際、鶴川小学校の6年生の授業で、対馬丸の船員だった中島高男さんをお招きして体験談をお話していただくのだと伺って、是非参観させていただきたく校長先生にお願いしたところ、快くお許しくださいました。
行田校長先生です。鶴川と世田谷と、毎日交互にいらっしゃいます。
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そして今日がその授業の日、朝から鶴川小学校へお邪魔しました。
授業前の校長室にて。
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中島高男さん(左)です。右の方は、こども王国首脳会議事務総長の山本和昭さん。

中島さんは82歳。15歳で対馬丸の船員となり、それから2年後の17歳の時に、あの対馬丸の悲劇に見舞われたのです。船員で生き残られた方も何人かいらしたそうですが、現在御健在なのは中島さんおひとり。他の方は、もう皆さんお亡くなりになってしまわれました。

いよいよ子どもたちの前でお話が始まります。
まずは校長先生から、中島さんのご紹介です。
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戦争が始まった頃のお話から、当時対馬丸がどのような仕事をしていたか、そして疎開する子どもたちがどのように船に乗り、そうして……
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中島さんのお話しを、子どもたちも食い入るように聞いています。

中島さんは、特にことさら誇張してお話されたわけではありません。ただ体験されたことを淡々とお話になっただけです。ですから、ここでそれを文章にしてご紹介することも容易なことかもしれません。しかし、中島さんの肉声だからこそ現れてくる心と、思わず漏らされた中島さんの嗚咽を伝えることは決してできません。

「対馬丸のことをしゃべったら、軍法会議にかけて処刑する」
これは「かん口令」などではなく、中島さんにとっては、日本軍の「脅し」以外の何ものでもなかったのではないでしょうか。17歳の青年にとって、それがどれほどの恐怖であったか、想像に難くありません。
そうして中島さんは、結局33年間、口を閉ざすことになるのです。

今、沖縄の戦争の真実をめぐって、様々なことが言われています。だからこそ一方で、ようやく重い口を開き始める方もたくさんいらっしゃいます。そうした方を含めて、体験された方々の搾り出されるような「声」に耳を傾けることの重さを、今日は改めて思い知らされたのです。どこかの誰かの論説に影響されて、そして早急な結論を出す前に。

あっという間の1時間半、貴重なお話、本当にありがとうございました。



敢えて宣伝をさせてください。
※ブログを分けようなどと考えていた頃だったから、こんな妙な一文を添えたのだ。
「おきなわおーでぃおぶっく」菅家ゆかりの「対馬丸」
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500枚売れれば、次へ繋がるのです。「カクテル・パーティー」とともに、どうか、よろしくお願い申し上げます。

《追記》
試しに始めたmixiの日記に、この日のことを、次のように書いてみました。

対馬丸の船員、中島高男氏にお会いする。
82歳のご高齢。
当時17歳。
生き残った船員は、もう中島さんしかいない。
かん口令。
「しゃべったら軍法会議にかけて処刑する」
その脅しは、17歳の青年にとって、どれほどの恐怖であったか。
中島さんが口を閉ざしていた33年の月日。
ようやく語られた南の海の出来事。中島さんの嗚咽。
事実の重さに、とめどなく涙があふれる。
16日から書き始めた日記。何故17日の日付になるのか。こういうところが、mixiが大嫌いな理由なのだ。
mixiに氾濫する「沖縄」
だが、「対馬丸」で検索しても、何も出てこない。

そして2年後、このmixiの日記を削除しました。

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