週間ポストの行方

大震災から291日目……

gajumui

えーと、上杉隆の記事が掲載された週刊誌とガイガーカウンター用の単四電池の入ったセブンイレブンの袋、忘れてませんでしたでしょうか。@maruosatoshi 昨日は大忘年会であった。
12-27 13:59

週間ポスト

【顛末ツイートの追記】

横澤ちゃんが持っててくれました。お騒がせしました。不覚にも記憶がない。迷惑掛けませんでした? @maruosatoshi あっと気がつきませんでした。 @gajumui: セブンイレブンの袋、忘れてませんでしたでしょうか。@maruosatoshi 昨日は大忘年会であった。
12-28 10:24

その際は是非ともご協力お願いします。沖縄芸能を交えたイベントにもしたい。西山正啓監督も来てくださるとのこと。只今日程調整中です。 RT @maruosatoshi いやいや愉しかったですよ。上映会の件もまた。
12-28 14:14

tag: 西山正啓  丸尾聡 

12/26のツイートまとめ

大震災から290日目……

【宇夫方路の呟き】

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M.A.P.琉球舞踊教室。今日は今年最後の「かぎやで(かじゃでぃ)風節コース」です。喜多見の駅から徒歩5分くらいかな。夜の7時からです。
12-26 14:58


gajumui

「放射能やだからさ」といって大袈裟にマスクしてるあの子が、そのマスクをめくって煙草を吸いはじめた。何か言おうとした俺を遮ってあの子は言った。「アタイの死ぬ時はアタイが決める」、俺は心の中でプカプカを口ずさんでみた。
12-26 15:33

8月8日、半減期の短いヨウ素が出たと結構な騒ぎになった。結局あれは医療由来ということで落ち着いた。12月、またヨウ素が出ている。しかし静かである。9月~11月は知らない。また医療?みんな学んで賢くなったのか。確かに誤作動は多いが、感度のいいセンサーたちがいなくなったこの頃。
12-26 17:12

京都は雪らしい。京都の下宿にコタツだけの暖房で暮らす一切親に無心をしない娘と、卒業旅行にグアムへ行くから6万円貸せという息子。俺の人生は正しかったのだろうか、と何故か考えこむ父。母あっけらかんで悩みなし?
12-26 18:37


19:03、事務所内の線量……
0.06μSv/h
12月26日の事務所内の空間線量

夜、登戸で、丸尾聡のプロM主催の忘年会に顔を出したらしいのだが、そこで上映会の話などしたらしいのだが、なんだかよく憶えていない。どうも賑やか過ぎると大概ダメになる。顔を見る前に胸の名札に目をやらなければならないような場所に長居すると、僕はいつも壊れるのである。

tag: 沖縄_MAP琉球舞踊教室  喜多見_MAP事務所の線量  丸尾聡 

停電の中、合わせて踊って飲んで

《3月17日(木)》
東北地方太平洋沖地震発生から6日目……
今日も合わせ。
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停電するも合わせ続行。
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 ⇒この日のことを書いた白石准のブログ記事

僕は市民劇の稽古があって途中で抜ける。
しかし急遽中止との連絡あり。
登戸で飲む。

厚木の琉球舞踊教室は、中止にはならなかったらしい。
 ⇒琉球舞踊教室専用ブログを読む
その帰り、途中下車した宇夫方女史も合流。
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2軒目は忠兵衛へ。
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詳細はまたもや後日に……

tag: 【暫定投稿】  沖縄居酒屋.忠兵衛(登戸)  川崎市民劇.「枡形城落日の舞い」  丸尾聡 

古の歴史の真実

山猫合奏団の合わせ。
相変わらずの白石准の勘違い
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それを写している俺も阿呆だな。

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今日も立ち稽古。少し気になって、がさごそとリュックからカメラを取り出した。

鎌倉の時代に行灯、どうもミスマッチなのである。行灯は江戸の匂いがする。時代劇の室内の灯は行灯という簡単な勘違い、とりあえず稽古での代用品、そうであって欲しい。

鎌倉ならきっと灯台ではないか。
 ⇒「灯台下暗し」のはなし

いや、貴族の住む京の屋敷ならいざ知らず、東国武士の館には灯台すらなかったかもしれない。

江戸になって行灯が普及しても、庶民にとって植物油は高嶺の花で、替わりに魚の油をつかっていたという。しかし稲毛の里では、アブラナ科の“のらぼう”が採れたというから、もしかすると稲毛三郎は、贅沢に油を燃やしていたという解釈も、この芝居の背景としてはおもしろいかもしれないが、それでもやっぱり行灯は似合わない。

ただ、鎌倉の時代から“のらぼう”を栽培していたと川崎市では言っているのだが、1700年代のジャバナの種が“のらぼう”の起源だという説もあるわけで。

要するに、それほどにも確定的なことが分からない時代の芝居をやっているのだということは、きちっと抑えておかなければならないのだろう。道具にしろ所作にしろ、そして言葉にしろ、江戸あたりの親しい時代と混同する勘違いには十分に気をつけることだ。現代から100年少し遡ればもうちょんまげの時代だが、江戸と鎌倉との間には500年以上もの時の隔たりがある。

一昨日の稽古の帰り、「なんだか気に入らない」と思ったのも、どうやらそのあたりに原因がある。遠い古の人びとの心を、現代の感覚で容易に理解できるところまで引き寄せて解釈しようとした勘違い

相模川の橋供養からの帰途、頼朝は平家一門の亡霊に出会って落馬し、そのまま怨霊の祟りで死んだという類のハナシを、現代の歴史家がまともに取り上げるはずもない。だが僕は、平家の怨霊など存在するわけが無いという現代の常識を疑ってみたいと思うのだ。怨霊が頼朝を殺したという当時の民衆の常識を素直に受け入れてみるとどうなるのか。

それにしても橋供養の日に事件が起こったとは、なんとも象徴的である。川は現世と異界との境界(三途の川しかり)であり、橋は二つの世界を結ぶものだと考えられていた。だから橋の上は、昔からあの世の住人の出現しやすい場所だとされてきたのだ。辻や村境、峠も同様である。そうしたところに、道祖神や地蔵が多くあるが、それらを前近代の遺物として顧みないのが歴史家の仕事ならなんとも詰まらない。

怨霊は、確かにいたのである。問題はその棲家である。

頼朝は北条の謀略によって殺された。また、頼朝を殺したのは、平家の怨霊であった。そのどちらも歴史の真実である。いったいどういうことなのか。
簡単なことではないか。つまり、平家の怨霊は北条時政の心の中に棲んでいたということである。「頼朝は北条の謀略によって殺された」と「頼朝を殺したのは平家の怨霊であった」とは、同じことを別な視点で言ったに過ぎない。真実はひとつだった。それが「源平交代の呪縛」の意味であった。

心理学のハナシをしているのではない。時政の中の怨霊は、決して幻覚などではなく、自由に体外へ抜け出すことのできる実存であった。たとえそれが頼朝の眼前に現れたとしても、疑うことは何も無い。その不思議を信じてはいけない理由など、どこにもないのだ。たとえ水飲み病が頼朝死因の事実だとしても、歴史の真実は変わらない。

琵琶法師は平家の怨霊を鎮めるといいながら、その実、人びとの心の中に棲む霊魂に命を吹き込み続けてきたと言うべきであろう。盲僧は戦いに倒れた者たちを供養するどころか、琵琶を奏でる度にツワモノの怨念を再生産してきたのだ。現代風に解説するなら、人々が平家の記憶をいつまでもとどめておくように、ということになるのであろうが、そういう表現では、きっと怨霊の、つまりは歴史の実体を取り逃がすことになる。

いったい、この琵琶法師のシステムは、何故に必要だったのか、おぼろげに見えてきたものもあるのだが、それについては、今少し考えてから、書いてみよう。

ああ、現実に進行している市民劇の課題からすっかり遠く離れてしまったようだ。
たださ、稲毛三郎重成を現代に蘇らせる意味と方法を、徹底的に考え尽くす以外に、今回の市民劇には一般市民があまり参加していないというような表層的な批判を無効にする方途はないと思うのだ……、なんてね、そんな偉そうなこと、一兵卒の僕が言うことではない。

だから僕は、再び自分ひとりの妄想的ゲームに逃げ込むんだ。
そうしてもうひとつの課題。「源頼朝と稲毛三郎重成および畠山二郎重忠は歴史から自由であったのか」という僕の仮想的解釈に対する自分自身の疑義について、ゆっくりと考え始めようと思う……

稽古が終わって。
今回の演出助手、オフィスプロジェクトMの代表、劇作家の丸尾聡氏である。
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間もなく、こんな舞台が始まる。
“死刑執行人”
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3月9日(水)から15日(火)まで。中野“テアトルBONBON”にて。
チラシの裏の解説に、こんな一文があった。
「問わねばならない、見えてはならない存在を、国家と善き人が作り出してよいのかを」
少し意味合いは違うが、沖縄を考えるようになってから、「見えてはならない存在」に類したモノと出会い続けてきたように思う。僕が盲目の琵琶法師に拘るのも、そのことと無関係ではない。
そして、僕は書きたい沖縄の芝居が達磨のように書けなくなった。書けなくなって、25年間を悶々と過ごしてきた。そのことは、いずれ“社長とは呼ばないで”に書く。
 ⇒“社長とは呼ばないで”「沖縄のこと」のカテゴリ

丸尾氏は沖縄に関わるモノを書くことになったらしい。

この日、宇夫方女史は厚木と狛江で琉球舞踊を教えていた。
 ⇒http://mapryukyubuyou.ti-da…

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tag: 川崎市民劇.「枡形城落日の舞い」  丸尾聡 

溝の口と濱田庄司

川崎の市民劇「枡形城・落日の舞い」は、毎週火曜日、溝の口にある大山街道ふるさと館という施設で稽古をやっています。いや、違うな。稽古なんかやっていません。なにしろまだ配役が決まっていないんですから。ホントは前回決まるはずだったんですけどね、なんだか人が足りないらしい。

ここに来るのは今日でもう5回目だというのに、ふるさと館の隣の喫茶店の前にある案内板を、全然読んでいませんでした。
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おや、浜田庄司って、あの濱田庄司なの?

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ということは、この“YAMATO”というCOFFEEショップが、濱田庄司のお母さんの実家ってことか。

ここ川崎で生まれた濱田庄司は、京都の陶芸試験場で上薬の研究をしました。30歳からは沖縄の壷屋でも学んでいます。

もちろん、東京の大学を出て、イギリスにも渡り、益子で焼き物を作り始めるのですから、いくら川崎と京都と沖縄がこのM.A.P.after5のカテゴリにあるからと言って、それだけをことさら取り立てて不思議がることもないのだけれど、もしも濱田庄司という陶芸家がいなければ、今の又吉健次郎さんはなかったのだろうし、また健次郎さんに濱田庄司に対する尊敬の念がなければ、僕が健次郎さんの工房に通うことにもならなかったに違いないのだから、やっぱりこの看板をここで見つけて、僕はちょっとワクワクしたのです。
 ⇒濱田庄司さんと6代目の又吉誠睦さんのこと

さて、「枡形城・落日の舞い」ですが、今日も配役の発表はありませんでした。しかし、どうやらもう最後までいきそうなので、「川崎市」のサブカテゴリに「枡形城・落日の舞い」を作ることにしました。
そして、今日はこんな感じ。
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4回目。新しい方2名で累計13名。
お名前の方は、配役が決まってから追々ご紹介ということに。役がなければ役者は何者でもないのですから。何者でもないまま4週間は、ちと長い。

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tag: 丸尾聡  「クガニゼーク」のこと  金細工  川崎市民劇.「枡形城落日の舞い」  川崎市_  京都  又吉健次郎 

独り善がりな思い【「枡形城・落日の舞」と「桝形城・落日の舞」】

先週の火曜日に続き、今日の火曜日も分け隔てなく匿名でいこう。
M氏が役者を撮影していたから、逆に撮影しておいた。
演出助手の丸尾聡氏

居酒屋で、でかい声で話しをする役者が嫌いなのだ。どうしてそう思うようになったのだろうと考えた。そして思い出した。世話になった伊川東吾兄がそう僕に言ったのだ。僕がまだ、二十歳をちょっと越えたくらいの頃である。

そしたら斎藤晴彦氏のことも思い出した。「恥ずかしいから」の話し。
 ⇒社長とは呼ばないで「1985年1月31日の日記」

役者であることにどこか落ち着かないシャイな役者が好きだった。
舞台に立ちながら、どうやら僕は役者ではないらしいと、ずっと思ってきた。役者になんかなりたくないとも思った。でもここ10年ほど、役者の仕事が減って、役者でありたいと思うようになっていた。でもやはり、戻りたいのは、「役者であることに落ち着かない役者」なのだと最近気がついた。

今日の現場(?)。
みんなで撮影

今日のNEWFACE(?)。
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これで3回の累計11名。

これまで妙なことを書き綴ってきたのは、「市民」の方々への独り善がりな思いである。参加の申し込みを最初から躊躇した方、何度か顔を出してはみたが、結局辞退された方、そうしたお会いすることのできなかった多くの方々。

でも、もうこれ以上書くつもりはありません。参加している方々に失礼ですから。

ところで「枡形城」と「桝形城」、どちらを正式な表記にするおつもりなのでしょう。ネットによる告知、台本、演出助手のブログ、みんなまちまちなのですが。あわせたほうがいいですよねえ。インターネットの時代、表記統一しないから、すでに検索がおかしなことになっています。

tag: 川崎市民劇.「枡形城落日の舞い」  丸尾聡