2022年11月15日(火)23時11分
11/15のツイートまとめ
2020年04月24日(金)00時00分
04/23のツイートまとめ
gajumui
同調圧力はダメだという同調圧力もあるわけで。あの、あらためて言いますが、僕が言いたいのは国の税金の使い方を決める国会議員に限っての話ですから。税金をどう使うかという話。地方議会はちょいと別の話。狛江市?知らん。〇〇君、分かった?
04-23 09:50狛江市、次亜塩素酸水が出回っている。ちょっと思うところあり、コマラジのN氏に伝えた。さて、彼、うまく話してくれるかな。
04-23 13:01この国。いつの間にか、キリギリスだらけの国。
04-23 23:51
ああ…
— 高山正樹 (@gajumui) April 23, 2020
沖縄でノロエステ鉄道を、そんな夢を久米さんと見ていたのに。無理だとは分かっていても、それでも夢見ていたのに… https://t.co/0iIgyr86ji pic.twitter.com/n0qEuTFINp
2013年01月14日(月)23時58分
宮澤章二の「よごれた川」という詩(1/14のツイートまとめ)
起きてまずPCを立ち上げ、何より先にツイッターというのは、なんともいただけないとは思うのだが。
gajumui
雪。しばらく使っていなかった線量計に充電する。ブログなるもの。200年、もしかしたらそんな先まで残ってしまうかもしれない記録。そこに、雪にはしゃぐ能天気な日本人という自分を刻みたくはない。200年後、その頃の人類もきっと原発の傷に苦しめられている。あるいはあざ笑い、軽蔑している。
01-14 10:50 線量計の充電は、PCに繋いでやるしかないのである。FULLになるまで数十分かかる。僕は充電中の点滅を確かめて、暖房もつけたまま母屋へ向かう。普通なら3分のところ、倍以上の時間がかかる。靴はグショグショである。10年以上前、我が家のサッシに娘が書いた詩です。それを女房が消さずに残していました。僕は子どもの学校に一度も行ったことがないダメ親父で、今までちゃんと読んだ事がなかったのです。今日雪が降って、浮き上がった幼い頃の娘の文字に涙しました。
http://t.co/WDdYItPh
01-14 12:00@ootsukiusako 是非伺いたいと思っていたのですが、この雪、帰り、喜多見までたどり着けるのかどうか…
01-14 13:54 喜多見の事務所で仕事がある。本当は昼間のうちに喜多見へ行きたいのだが、そうすると阿佐ヶ谷へ行く時間がなくなりそうだ。自宅から直接阿佐ヶ谷へ行くしかない。自前の線量計を充電したものの、雪で事務所まで行けないのでRT @komaenokodomo 1月14日 13:30 雪 No.1 radi1000 0.054μSv/h 起動後160sの数値 通常通り
01-14 14:06 よくわからない。それは実に魅力的ですが、我が家は山の上で、最寄り駅の読売ランドの駅までたどり着けないことが判明。まことに残念ですが、本日は断念せざるを得なくなりました。 @ootsukiusako
01-14 18:15@ootsukiusako 高江で見張りしていた数時間、ずっと三線を弾いていました。都会では味わえない至福の時でした。帰りの車で、連れて行ってくれた女性にその話をしたら、「高江でただ本を読んでいたり、贅沢ですよね。何もなければ」と。今晩の会、いい時間にしてください。
01-14 18:34雪で夜の予定を断念して書斎に籠もっている。正月に帰ってきていた娘が、同志社を創立した新島襄の奥さんは、あんまりかわいい印象ないよみたいな話をしていたのを思い出して…、あれ、久米明さん、「鶴瓶の家族に乾杯」のナレーション辞めたのかしらん… http://t.co/Ppp9CyQW
01-14 20:03ふーん。菅家って会津に多い苗字なんだ… http://t.co/LwOWsdEm
01-14 20:32次回予告で久米明さんの声。よかった。安心しました。 http://t.co/G0QSiRfL
01-14 20:45「今回南部戦跡に初めて行って…」って、そんなやつが沖縄担当大臣なわけ?話も薄っぺらいなあ。山本某という大臣の顔がスルメに見えてきた。
01-14 21:26いかん。こういう呟きをしてはいかんのだ。床屋さんで髪切ってもらってるんじゃないんだから。
01-14 21:27大学が準備したアップル日本の元社長の講演をわざわざ聞きに行くのって、ジョブズからもっとも遠い行動に思えてるが…。ダメだ。テレビなんか点けているからおかしな呟きばかりになる。
01-14 21:47
遅い朝飯を食う。
外が暗ければ我が家も暗い。食っているものが何なのか判別できないほど暗い。電気くらい点ければいいのにと言えば、女房はもったいないと言いながら渋々蛍光灯をひとつ点ける。節電の理由は環境ではなく家計の問題である。それが今日はいつもよりずっと明るい。質素な食事がよく見える。どうやら雪の所為らしい。

「あれ、こんなこと書いてあったんだ。ちゃんと読んだ事なかったもんなあ」
「…」
「で、何なの、これ」
「小学校三年の時、暗誦してた。いい先生だったって…」
「ふーん」
「字書くの好きだったからさ」
女房との会話は、いつもこんな感じなのだ。
何故か目頭が熱くなった。たぶん、ひとすじ涙が零れた。それを女房に気づかれないように、とっとと飯をかっ込んだ。
女房が部屋を出たスキに、サッシに書かれた文字を携帯で撮影した。
「ごちそうさま」
「…」
「じゃ向こう行くわ」
「今日は?」
「夜、出かけたいところがあるんだけどね」
「お昼さ」
「いらない」
「夜は?」
「この雪だからなあ、わからん」
充電は終わっていた。
台所から適当な容器を見つけて、それに線量計を入れてベランダに出した。

こんな時、「放射脳」というような、今、最も薄汚い日本語のひとつだと僕は思っているのだが、そんな言葉を持ち出す輩がいる。線量を測るだけで、非国民だとでも言いたげな阿呆たち。あるいは、例え雪が汚染していたとしても、空間線量なんか測ったって何にも分かりませんよというしたり顔の者の一群。彼らには、線量を測る人は、結果変わらなければ大丈夫と言い、ちょっとでも高ければ危ないと叫ぶ愚か者にしか見えないらしい。
ただ知りたいのである。少しでも自分自身で知り、そして判断したいのである。耳を傾けるべき声の持ち主は、そういう人たちの中にしかいないと僕は信じている。
そしてさっき撮った画像を、ツイッターとフェイスブックで使うために、少しだけ明るく加工した。暗い我が家を見られるのが、なんとなく嫌だったのである。そして呟いた。

調べてみた。
この「よごれた川」という詩は、宮澤章二という人の作品であった。
全文は、次のようなものである。
よごれた川
なぜだか知らないわからない 川から取れたそのフナは からだのまがったフナなんだ
なぜだか知らないわからない からだのまがったフナの目に なみだがひかっていたんだよ
なぜだか水にも毒がある 泣いてるようなそのフナは やっぱり病気のフナなんだ
なぜだか水にも毒がある からだのまがったフナなんて へんだとみんながいうんだよ
なぜだかよごれた川だけど さかなはどこへ行けるだろ どこへも行けずに生きている
なぜだかよごれた川だけど だまって泳いで生きている フナにはお医者もいないんだ
唱歌にもなっているらしい。とすれば、youTubeあたりで探せば出てくるのかもしれない。だが今の気分を音楽で乱されたくないので、しばらく探さないことにした。
線量は0.09μSv/h…

もともとこの書斎は高いのである。加えて最近このベランダで計ったことはない。だから、この数値が何を意味するのか、さっぱり分からない。普段と変わらないといえばそうだし、一昨年の事故後と同じと考えれば気にかかる。結局、この雪にα・β核種が含まれているかどうかなのだが、αもβも、誰も彼も忘れてしまったかのようだ。海外の報道は全く違う。外から今の日本人はどう見えているのだろう。
ネットでは、雪で軒並み0.01~0.02の線量上昇というデータが公開されている。震災前から、雪の日はそのくらい上がるものだという人がいる。また、今の雪には色々な有害物質が含まれているのだから、雪に塗れて遊ぶことを避けなければいけないのは放射能とは関係ないと、別の人が言う。
福島より遠く、海外より近いところ。沖縄。
先月から、つまり去年から、阿佐ヶ谷の“あさがやイネル”というカフェで「ゆんたく高江展」という催しが行われているらしい。気になっていながらまだ行けていない。今日、そこで青年劇場の「普天間」に出演していた女優さんふたりのトークショーがある。そのお一人、大月ひろ美さんとは、ツイッターやフェイスブックで時々やり取りをしている。女房に今夜出かけたいところがあると言ったのはそれのことであった。しかし…
ツイッターのタイムラインに、狛江での線量測定データが流れてきた…
ベランダの線量が、0.01上がった。

さてどうするか。放射能交じりの雪を恐れているわけではない。帰りの足を心配しているだけのこと。ほぼあきらめた頃、大月さんから返信があった。
「私も今、まずは阿佐ヶ谷までたどり着けるかどうか、が危ういです、が、頑張ります。いらしてくださいとは何とも言いにくい日ですね。ま、電車がないなら、動くまで呑むという手もあります(^^)」
そうきたか。それなら気合を入れなおしてとも思ったが、もう5時半、そしてここはちょっとした山の上、自宅の周りの道は、もはや歩ける状況ではなくなってしまった。
大月さんの返信…
あら、まぁ…この雪では、そうでしょうね…。残念です。こちらは無事に阿佐ヶ谷につきました。どんな時間となるのやら、ドキドキします。
放射能というやつが、雪ほどに自己を主張するものならば、「僕」と「貴方」だって一緒に考えていけるはずなのに、放射能があんまり目に見えないものだから、きっとこんなにギクシャクするのだろう。
出掛けないと決めてしまえば、このシェルターに籠もって考え事をするしかない。リアルタイムの交通情報を確認するために点けていたテレビ。もう用はないのだから、消してしまえばよかったのだけれど。
僕はテレビを消した。すると、降圧剤を飲むのを忘れていた事に気がついた。
あれ、晩飯、食ったっけかなあ。
もしかすると僕は、「からだの曲がったフナ」なのかもしれない。
2012年03月16日(金)23時59分
大城立裕先生との楽しき時間(暫定記事)
今日は大城先生との記念撮影を、携帯を使ってセルフポートレートで挑戦してみました。

「先生、動かないでください」
「そうか」

「先生おでこしか写ってません」
「それはダメだ」

「すいません、手振れしました」
「しっかりしなさい」
「あ、いい感じに撮れました」
「どれ、見せなさい」

「うん、上等だ」
そして深夜呟いた。
gajumui
今日は大城立裕先生のお宅にお邪魔しました。
03-16 23:59
※この日、ずっとカメラで遊んでいたわけではありません。これはたっぷりお話を伺ったあとのお遊びです。先生のお話は、後日必ず追記します。
さて…
【追記(12月10日)】
取り急ぎ(…といったってもう半年も経ってしまったが)、この日に立裕先生から伺ったたくさんの話の中から、坂手洋二氏の書いた戯曲「普天間」についてのちょっとした感想を、まずご紹介しておこう。
「普天間」は、青年劇場が昨年上演した舞台の上演台本である。(僕は、東京を直撃した台風の所為で観にいくことを断念した。)確かそのプログラムに、立裕先生が文章を寄せていらしたのではなかったか。僕は読んでいないが、それを執筆するあたって、坂手氏から送られた戯曲を立裕先生は読まれたのだと思う。もちろん先生も実際の舞台を見てはいらっしゃらない。その上でのお話である。
「難しい芝居を書いたもんだねえ。何でもかんでも盛り込んで、あれで芝居になるのかねえ」
僕は、ふじたあさや氏から昨年の「普天間」の舞台の感想を聞いていた。「坂手洋二の膨大な言葉を、役者は一生懸命語ってはいるが、消化し切れずただ言わされているようだった」というのが、あさやさんの評だった。
この時点では、僕もまだ舞台を見ていなかったので、ココで僕の意見は控えるが、この日大城先生の話を聞いて、僕は以前先生が木下順二の「沖縄」について話してくださった事を思い出した。
「最初戯曲だけ読まされたときには、ずいぶんと観念的な芝居でねえ、はたしてこれでは芝居になるんだろうか、ならないだろうと思ったのだが、実際に舞台を見てびっくりした。いやあ、役者の力というものはたいしたもんだなあと思わされた」
木下順二氏の「沖縄」は1963年に「ぶどうの会」によって初演された。沖縄の「日本復帰」の9年前、立裕先生が「カクテル・パーティー」で芥川賞を取る4年前、その舞台には久米明さんが喜屋武朝元役で出演していた。立裕先生が見られた舞台にも久米さんが出ていたと記憶されていたようだが、いつどこで上演された舞台なのか、いまだ聞きそびれている。
⇒久米明さんが語った木下順二の「沖縄」(←是非これも読んでみてくださいませ♪)
そして僕は、「普天間」の再演の舞台は、必ず観に行こうと思ったのである。
(※続く…)
2011年11月21日(月)23時00分
(事務所線量)
今日の富士山、遠景とアップ。サムネイル、つまりクリックするとでかくなる。


10:53、事務所外の線量……
0.07μSv/h(DoseRAE2,RADEXは参考)

【この日呟いたこと】
gajumui
和装と琉装の着付けを比較して、美意識がずいぶん違うと思った。踊りの場合だけど、琉装はお尻を大きく見せるらしい。日本人て、美意識の違う人間とのコミュニケーション下手だよなあ。ん?日本人だけじゃないか。なんだ、面白いと思ったんだけど、結局つまらない話になった。
11-21 11:45M.A.P.三線教室開設にあたって、最初にご相談したのが西江喜春氏先生でした。 @ryukyushimpo http://t.co/r4xybE6G 「至芸」観客を魅了 西江喜春氏人間国宝認定公演
11-21 11:50例えば色んな名人上手が“かぎやで風”をやるけど、みんな全然違う。僕が“かぎやで風”をやると芸能に見識のある沖縄の人たちはみんなして「なんか違う」って言う。色々説明してくれるんだけどみんな違うことを言う。一冊の本が書けそう。#三線
11-21 11:5720年も三線やってて最高賞まで取って師範免許も持ってて、首都圏で行われる大きな琉球舞踊公演の地謡をこなすヤマトの人の歌三線を、琉球舞踊の新人賞に何年も落ちているような沖縄のおばさんたちが「なんか違うさあねえ」ってみんなでゆんたくしてる。 #三線 #琉球舞踊
11-21 12:14原発のこと考えてたら、沖縄の三線のこと、呟きたくなったのです。分かりにくい話。早川由紀夫さんに叱られそうだなあ。
11-21 12:18お笑いの物まねと朗読って似てるところがある。物まねが面白いのは、真似する芸人と真似される人との距離に内包されている要素。朗読も同じ。読んでいるものにベッタリ寄り添っている朗読なんて気持ち悪くて聞けたもんじゃない。
11-21 16:55津嘉山正種さんは朗読ばやりの昨今、時々朗読会なるものに案内されて仕方なく行くこともあるが、気持ち悪くなって帰るという。久米明さんも、そこまではっきりとではないが近いことを言われた。おふたりとも“おきなわおーでぃおぶっく”で朗読をお願いした名優。
11-21 16:59(前ふたつのツイートから続く)僕は三線の古典を学びながら、どうやら三線(沖縄)とのなかなか埋まらない距離感を楽しんでいるらしい。その距離が埋まった時、初めて沖縄の人に認められるのかもしれない。それは弁証法道程か、あるいは弁証法に逆行する退行なのか、見極めかねている。 #三線
11-21 17:0530年近く前、新宿の沖縄居酒屋でのこと。ある沖縄の方が、首里城の復元について、しきりに喜び「ニライカナイの心だ」とおっしゃっていた。青二才の僕はつい「首里城はオボツカグラではないですか」と言った。見る見る沖縄の方の機嫌が悪くなり「お前は何もわかってない」と言われた。(続く)
11-21 17:12(続き)以来ヤマトンチュである僕は、琉球王朝に対する批判を口にしないと決めた。そういえば20数年前に死んだ義理の父は共産党好きのウチナンチュであったが、戦前の首里城は森に囲まれ、それはそれは桃源郷のように美しかったと言っていたっけ。(続く)
11-21 17:21(続き)でも僕は、30年前の戒めをボチボチ破ろうかなと思い始めた。八重山と奄美の音楽が妙にいいという実感がそれを後押ししている。やってみたいなあ。それでも来年、安冨祖流の古典で三線の新人賞を受けようとは思ってるんですけどね。(さらに続く) #三線
11-21 17:30(続き)僕は役者です。根無し草の河原者だと思っている。言ってみればチョンダラーです。だから親近感を覚えるのは「シュインチュ」でも「ナーファンチュ」でもなく「さまよえる沖縄人」なのかもしれないなあ、なんて。(まだ続く)
11-21 17:38(続き)この文脈で「フクシマ」を考えるとね、移住できるのならその方がいいと思えてくるのです。語弊を怖れず言えば、3.11以前の「フクシマ」は「美しき伝説」になってもいいのではないかと。こんなことを言うと、「オキナワ」でも福島でも、たくさんの友達を失いそうです。(続く)
11-21 17:52(続き)今日の僕の話は、自分でも本心なのかどうか分からないのです。だからどうか一旦忘れてください。あさって、下北沢のタウンホールで、ある企画に朗読で参加します。台本はかなり直してもらいました。おかげで本番はブッツケです。でも朗読ってむしろその方がいいと思う。河原者の呟き。
11-21 17:58
18:22、事務所内の線量……
0.06μSv/h(DoseRAE2,RADEXは参考)

2011年08月29日(月)23時34分
日常……
大震災から171日目……
赤ん坊たち。


いかん、擬人化することはやめようと決めたんだ。
11時19分。本日の事務所の空間放射線量。

0.07μSv/h。
【何故か呟きたくなった……】
18:50
昔。毎晩僕は眠りの中で自分が癌であることを忘れた。朝「癌?いやな夢……」スーッと意識がはっきりするにつれ「夢じゃない、俺は癌なんだ」と思い知らされた。そんな毎朝の目覚めが怖かった。今、多くの人が、考えたくないことを朝の来ない夢の中へ追いやろうとしている。
分かりにくい呟きだ。
2009年の6月のこと、ある人の死が契機になって、僕は“社長とは呼ばないで”にひとつの記事をアップした。
⇒乗り越えてはいない
そうか、僕はこの文章の要約を呟いたのだ、と、呟いた後に気がついた。
これ、流行の言葉で言えば、正常性バイアスってやつだ!
夜8時帰宅。
やっぱり気になる我が書斎のちょっと高めの線量。
入る前にドアの外で調べてみた。待つこと5分。0.11μSv/hから動かない。

因みに、鍵にくっついている飾りはサーターアンダギー。

言われなきゃなんだか分からない。
さて、中はどうなんだ?

おんなじだ。ということはこの建物全体が高いのか。建材が原因?だとすれば気にすることはなく、ひとまず安心なのだが。
ある人のツイッターで、金城実さんのTV出演情報を知った。BSをつけてみる。
鶴瓶のなんとかという番組。結局今日は金城さん、出てこなかった。
予告編。

どうやら来週の後編にお出ましらしい。
ナレーションは久米明さん。声は建材、じゃない御健在。ひとまず安心。
だが、洒落ではなく、訓練された俳優の声って、まるで強固な建材のようだななんて思いついて、ひとり部屋の中でニヤニヤしていた。
すると、「日常」という言葉が、ふいに思い浮かんだのだった。
宇夫方女史から、この日の報告が届いた。
私がお世話になっているオフィス成城保険の懇親会が、今晩ありました。久しぶりにみんなの顔が揃いました。世田谷支社の担当の方も見えました。そして成城学園前のイタリア料理のお店で、みんなで食事をしました。

8月17日のS社での記事もそうなのだけれど、今までなら書かなかった類の話題。なぜそんな報告をアップしたのか。
これから、こうした仕事の報告が増えるということかというと、そうではなくむしろ逆で、今書いておかなければ、今後書く機会がなくなってしまうかもしれないから、それで書いた記事なのだ。
いつまでも変わらないと無意識に信じている日常は、いつだって少しずつ変質していっているのであって、そして、なんの予告もなしに突如弾けるのだ。地震のように。
tag: 久米明 ゴーヤー栽培.2011 MAP事務所の線量 金城実 あちこち測る
2010年11月06日(土)18時34分
都民教会で久米明さんに会いました
【Yusuke氏の世界配信】
⇒http://www.bcphotoshare.com/photos/…
チョウゲンボウという鳥と小学生のとうすけ少年との物語。本番前、久米さんに御挨拶をしました。去年の3月、「ノロエステ鉄道」を録音した日以来です。この日お会いした久米さんは、少し足腰が弱られたのかなという印象を受けました。しかし、本番で語り始められたそのお声は、以前と全く変わらずに力強く、そして深い艶も同じで安心しました。
久米明氏と鈴木雄介の父上とは、東京商科大学(現一橋大学)の演劇サークルでの大親友。こちらは昨年1月14日以来の再会ということで、昼の部の終演後、教会の玄関前で記念撮影をしました。
今日の僕の仕事はCD販売。まだ夜の部があります。
僕のお隣では久米明さんの娘さんが久米さんの書かれた本「朗読は楽しからずや」の販売をされていらっしゃいました。
久米明さんの娘さんは舞台芸術家の久米ナナ子さんです。そんなナナ子さんが、この日わざわざ僕と同じように本を売るためだけにいらっしゃったワケはありません。久米明さんは昨年倒れられました。以来こうしてお父様のお仕事に付き添われていらっしゃるとのことでした。
僕は、前々からなんとか久米明さんによる「ノロエステ鉄道」の朗読会を、それもできれば沖縄で出来ないだろうかと考えていました。大城立裕先生にもお引き合わせしたい、そんなお話をナナ子さんにお伝えしました。しかし、無理はなかなかさせられない、特に飛行機はNGというお医者様のご意見らしい。
そのあと、久米さんご本人にもちょっとお話ししました。すると「是非やりたいですねえ、きっと大丈夫でしょう」というお返事が返ってきたのですが、「でも娘が心配してねえ」とも付け加えられたのでした。
夜の部が終わって、教会内でのちょっとした打ち上げに参加させて頂きました。
下北沢で僕の仕事が終わるのを待っていてくれた鈴木夫妻を携帯で呼びました。雄介氏は打ち上げの場で、親友久米明についてオヤジさんが語った話を紹介しました。
「一番芝居のへたくそな奴が役者になった」
久米さんは実に愉快そうにお笑いになっていらっしゃいました。
立食のパーティーです。
久米さんはいくら椅子を薦められても、最初はお断りになっていらっしゃいましたが、最後はナナ子さんに従って、素直にお座りになったのでした。
やはり、沖縄での朗読会の実現は困難なのかもしれない。しかし、それなら東京ででもいい、なんとか可能性を探ってみたい、僕はそう思ったのでした。
2010年11月04日(木)05時57分
緊急告知“久米明が語る音楽物語”
久米明が語る朗読舞台
音楽物語 とうすけさん笛をふいて!
パンの笛=岩田英憲 ピアノ=井口真由子
脚本:牛山剛
音楽:山本純ノ介
日時:11月6日(土) マチネ14:00 ソワレ17:00
(開場は各回開演の30分前)
会場:東京都民教会(世田谷区代田5-35-2、TEL 03-3412-3952)

料金:大人2,800円、高校生以下1,800円
(世田谷区民は大人2,300円、高校生以下1,500円)
主催:コミュニティコンサート実行委員会
⇒“コミュニティ・コンサート@下北沢”案内サイト
各回100人弱のお客様に観ていただくとのこと。きっと、濃密で贅沢な時間となることでしょう。まだ若干チケットが残っているそうです。売り切れないうちに、是非ともお申し込みを。
申込は小川圭一さんへ ogawak1@nifty.com 03?6794?3082
※なお、当日会場にておきなわおーでぃおぶっくのCDの販売をさせていただけることになりました。感謝。
2009年03月18日(水)23時12分
「豚」の「わー」は声門破裂音です!【うちなーぐち講座“プロローグ”】
去年の12月、アナウンス講座なるものを見学した際に、僕はこんなことを書きました。まずはお読みください。
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com…
3ヶ月前は、ずいぶんと講座の先生に気を使って書いているようですが、あらためて僕は、「鼻濁音が日本語の美点というのはおかしい」と、大きな声で叫びたい気持ちになってきました。
沖縄には鼻濁音はありません。それは、なにも沖縄に限ったことではないのです。日本のかなり多くの地域で、鼻濁音などないのですから。
八木政男さんとお会いした時にも、この話題が上りました。
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com…
ウチナーグチに「はなむにー」という言葉があります。まあこれは、風邪なんか引いたときの「鼻声」みたいな状態を指す言葉ですが、沖縄では鼻濁音も同様に笑われる対象、風邪ひきの優男(やさおとこ)がもてるのは、江戸という街だけということなのかもしれません。
役者の場合、経験上、標準語なら鼻濁音であることが正しい場合でも、時に確信犯的に鼻濁音を採用しないことがあります。そういう経験談を、去年もアナウンス講座の先生にお話ししてみたのですが、黙って無視されました。
また鼻濁音には強弱があって、時に鼻にかかる度合いが強くて、鼻濁音としては実にすばらしいのですが、しかしなんとも気持ちが悪いという場合もあるのです。
おきなわおーでぃおぶっくのCDのはなしですが、津嘉山正種氏の「人類館」のこと、ウチナーグチの部分は当然ですが、地の文でも、本来は鼻濁音でなくてはならない箇所の多くを、津嘉山さんは鼻濁音で語ってはいません。この「人類館」という作品にとっては、それが正解であり、「美しい」と思うのです。
そして昨日、あの、久米明さんの「ノロエステ鉄道」の朗読でさえ同じだったのです。伺ったところによると、久米さんは「沖縄を読む」ということで、鼻濁音をどうするか、かなりお考え下さったようです。結果、大城立裕先生がおっしゃった「鼻濁音の気持ち悪さ」は完全に払拭され、逆に「清い」美しさが加味されたと思います。
沖縄という風土の中で、鼻濁音に出会うと、とても違和感を感じます、そんなお話を、今日もしたのでした。鼻濁音は美しいものだ、それが正しい日本語なのだということが、まことしやかに語られるのはいかがなものでしょうかと。
もうひとつ。「わー」のはなし。
「私」も「豚」も、ウチナーグチではどちらも「わー」だというはなしです。
FM世田谷の“せたがやじーん”に出演した時もこの話をしました。
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com…
儀間進さんとの雑談をご紹介した時も、「わー」のしゃべり方について触れました。
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com…
つまり、「私」も「豚」も「わー」であるという言い方は、実は正しくありません。「私」も「豚」も、ひらがなで表記するならどちらも「わー」と書くしかないということなのです。
言語学的に言うと、豚の方の「わ」は声門破裂音(Glottal_stop)という子音です。声門(声帯)を閉じた状態から、発声と同時に声門を開いて声を出す破裂音なのです。国際音声記号では、クエスチョンマーク(?)から下の点を外したような記号が使われます。PCではこんな記号はありませんから、ここでは便宜上「?」で代用しますが、「私」の「わー」の「わ」は「wa」で「豚」の「わー」の「わ」は「?wa」です。
これをむりやりひらがなを使って表記しようとすると、「ぅわ」というのが一番近いのかもしれません。しかしやっぱり近いだけで「ぅわ」ではないということが問題なのです。ウチナーグチに触れたことのない大和の人たちには、この「わ」の前の「ぅ」は聞き取れません。というより、「ぅ」ではないのです。日本語の感覚で「ぅわ」を読んでしまうと、それはやっぱり「うわ」であって、これは声門破裂音ではありません。
母音と「わ行」と「や行」と、それらの関係については、そのうちきちんと体系的にまとめてご説明したいと思います。
また、ウチナーグチの表記についても、いろいろな考え方があるようで、もう少しきちんと調べて、その勉強結果をご報告したいと思っています。少々お待ちくださいませ。
その他、「口蓋化」や「高舌化」など、なんだかちょっとおもしろくなってきました。ウチナーグチを考えることで、日本語を再発見することにもなりそうです。
2009年03月17日(火)17時57分
今日は、久米明さんの録音でした…
ブースの中で…
事前の打ち合わせ…
録音中…
なぜ言葉少ななのか。
それは語りたいことがありすぎるから。
Officialなサイトでオフィシャルなことは既に告知してあります。
Officialなブログで、かなり伝えたいことが書けました。
でも、まだまだ足りません。それはもう少しナイーブなこと。
ノロエステ鉄道の出発点がエスペランサという町であったということ。
エスペランサとは、希望という意味。
かつて世界語エスペラントに託した夢と、大城立裕という小説家のこと。
一世の人生。二世のこだわり。三世の希望。孫の世代ということ。
全て沖縄のこと。
いずれ、どこかで書きます。
人気なくても。
きっと……
(野郎どもはiPhoneの液晶を見つめているの図)
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- 2019-03-15 MAP : キャッチコピー後日談-サイト振興委員会
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-山猫ブログに頂いたコメント4
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-白石准の返信
- 2019-03-15 高山正樹 : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-高山正樹の返信
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-山猫ブログに頂いたコメント3
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-山猫ブログに頂いたコメント2
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-白石准の返信
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- 2019-03-15 MAP : 【田中寺公演】本番と打上げ-山猫ブログへのコメント転載3
- 2019-03-15 MAP : 【田中寺公演】本番と打上げ-山猫ブログへのコメント転載2
- 2019-03-15 MAP : 【田中寺公演】本番と打上げ-山猫ブログへのコメント転載1
- 2019-03-15 MAP : みそかです-山猫ブログのコメントを転載
- 2017-08-06 ひだまりのお話 : 久米明さんにお会いしました。《懐かしい過去たちに囲まれて》-街話§J街通信[95]酒舎かんとりぃ
- 2012-12-31 初老間近のしがない俳優の呟き : (まもなく)-実験は続く…
- 2012-12-10 M.A.P.after5 : 玄羽さんの送別会-沖縄芸人ライブ“ぱんみかす”(そっと内緒に追記して再投稿)
- 2012-11-20 M.A.P.after5 : 体育会系居酒屋-出ないなら出る練習をする
- 2012-11-20 M.A.P.after5 : お久しぶりです浅野さん!-出ないなら出る練習をする