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11/21のツイートまとめ

gajumui

@biwayunkoro ありがとうございます。僕としては、個人的に大変楽しみになってきました。語ることにおける歴史の真実について、拙い考察はさらに続いています。少し、琵琶からは離れていくのですが・・・ http://t.co/KkgBrdiFJH
11-21 00:07

【語ること】の考察(1):「吾妻鏡」から読み取れる実朝こそ、真実の実朝なのだと、そのように小林秀雄は言っているように思えてならない・・・/「枡形城・落日の舞い」仮想演出ノート(1) http://t.co/KkgBrdiFJH 続く・・・
11-21 00:13

【語ること】の考察(2):権力者の手によって改竄された歴史だけが積み重ねられていく。傍らにある数多くの真実の物語を抹殺しながら。置き去りにされた一篇の美しき物語を…本当か?/妄想演出ノート(2)http://t.co/7sGYPxVcSZ @gajumui ひとつの結論へと続く…
11-21 00:49

今を語ることなどできはしない。語るとは、常に過ぎ去った時を語るしかない。ならば語ることに意味などない。しかし、「ざわめき」が夜と昼に橋を架ける。ミネルヴァの梟が飛び立つ。河原者か道化なのか、何者かが、過去から異界の「モノ」を、黄昏のうちに呼び覚まそうと企てている。
11-21 01:39

どうやら、すっぽんの血が影響しているらしい・・・
11-21 02:00

琵琶法師は平家の怨霊を鎮めるといいながら、その実、人びとの心の中に棲む霊魂に命を吹き込み続けてきた。盲僧は戦いに倒れた者たちを供養するどころか、琵琶を奏でる度にツワモノの怨念を再生産してきたのだ。/古の歴史の真実 http://t.co/HjH8AbH21x @gajumui
11-21 08:43

ある芝居をネタに【語ること】を考えたひとつの帰結。本当はこの先があった。それは人間の自由について。書き言葉と話し言葉、二重母音、そして「方言」… だがその考察報告は、3.11があって途絶えた。それを、今度の「水俣」をキッカケに、再開しようかと思い始めている。 @gajumui
11-21 09:26

間もなく、新百合ヶ丘。
11-21 09:27

尾﨑たまきさんの「みな また よみがえる」、何故か画像のリンクが間違っていたようです。申し訳ありませんでした。再度、これです! @KitamiFilmfes @gajumui http://t.co/EqclcVExGg
11-21 16:04

ザ・スーパー・カムパニイの隈本吉成さんから、方言のアドバイスをもらってきました。@KitamiFilmfes 今週の土曜日、告知記事の決定稿。/喜多見と狛江の映画祭の11月のテーマは水俣!http://t.co/Y3ckXtmQg2 http://t.co/Agnk6RFEm4
11-21 17:40

日比谷、立ち会いたかった。だが俺は今、事務所の個室の中で、隣から聞こえてくる琉舞や三線の連中の笑い声に、暗い気持ちを抑えている。ぬくぬくと、である。俺はしかし、ここのところずっと「水俣」のために奔走してきたではないかと、拳を握りしめてみる。やはり、ぬくぬくと、である。
11-21 19:16

tag: 二重母音 

2/5~6のツイートはウチナーグチ談義

自宅。
何だその目は…
ごま

gajumui

最近あまり見かけなくなった雀。ところが今日、自宅近くの石榴の木に雀の群れ。静けさの中に、ただソコだけに響くヒステリックな啼き声の束。あくまでも心象風景として、「天変地異の前触れか」と呟きたい気分なのだが、3.11以降、真に受ける人がいたり、デマだと言われたり。
02-05 12:09

一般的に日本語の[au]は沖縄語では[o:]になり[ou]は[u:]になります。しかし「扇(ougi)」は[u:ji]ではなく[o:ji]です。それはいったい何故なのか。(続く) @530_GOSAMARU 日本語にも琉球語・韓国語等のように二重母音転訛があると思うんですが
02-05 21:58

(続き)鎌倉時代、[o]の長母音は口の開き方が広いか狭いかによって区別がありました。広い方を「開音」、狭い方が「合音」。「開音」は[au]が長音化したもの[ɔ:]で「合音」は[ou]が長音化した[o:]でした。つまり「扇」が[u:ji]ではなく[o:ji]になったのは(続く)
02-05 22:06

(続き)大和では「扇」が長母音化して[ɔ:gi]となる前は「augi」と発音されていたのではないか。沖縄では[augi]が[o:ji]となったのではないか……、などと妄想して楽しんでいます。 @530_GOSAMARU 二重母音転訛
02-05 22:14

@530_GOSAMARU いえいえ指導なんてとんでもない。何の確信もありません。ただ護佐丸どののツイートに刺激されて、思わず反応してしまいました。日本語の話し言葉は二重母音を大変嫌います。文字と話し言葉、沖縄語、色々と興味深いのです。 http://t.co/oaALUbid
02-05 22:30

「ちゅら」に「美ら」と当てることを頑なに間違いだとする沖縄語の先生がいます。僕はその方に、「美ら」と表記することによって、日本の「美」の概念に「清らかさ」が付加されることになればそれも素敵なことではないかと申し上げたのですが、聞く耳なしで残念でした。 @530_GOSAMARU
02-05 23:09

ubukataicon ubukatamichi

川平慈英・ジョンカビラさんのお父様は東京沖縄県人会の前会長さん。名家なんですねえ。 @530_GOSAMARU 「ちゅらさん」は元は「清らさ在り」でした。ちなみに「美らさん」と書いて「ちゅらさん」と読ませた最初の人は、川平慈英・ジョンカビラの祖父、川平親雲上だそうです。
02-05 23:29

大震災から332日目……

gajumui

先生の意見は、沖縄の「ちゅら」は日本の「美」のようなキラキラした下品な概念ではないということなのです。 @530_GOSAMARU 例えるなら、「躊躇う」を「ためらう」と読むようなものなのでしょうけどね。 @gajumui: 「ちゅら」に「美ら」と当てることを頑なに間違いだと
02-06 00:07

tag:   二重母音 

ひとつBreakを置いて再び二重母音

ちょっとブレイクを入れるつもりが、すっかり手間取ってしまった。

再び、市民劇の稽古場である。
正しくは「連母音」なのかもしれないが、演技の話しなら「二重母音」の方がしっくりくる。
「滑舌(あるいは活舌か)をよくする方法」なんてネットで検索すればいくらでも出てくる。そんなものに興味はない。

ふたつの単語の連結部に生じる重母音。
「参ろうと-思いまする」mairooto-omoimasuru
「そういう-うちに」sooiu-utini
「三郎殿と-奥方を」saburoodonoto-okugatawo
「御寺が-あると」mideraga-aruto


いくらでもある。数え上げればきりが無い。
たぶん二重母音のふたつ目を言い直すような感覚があればそれで十分なのだろう。だが今回の僕は、きっちりとブレイクを入れて語ってみている。それが正解なのかどうか、ちっとも分からない。

もう5年前のこと。僕も出た芝居の稽古場にて。
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藤田傳氏が文学座出身の若い俳優にダメを出していた。
「おんなじ母音が続く時は、必ず間にブレイク入れるんだよ。じゃないと何を言ってるのか分からない。今の文学座はそんなことも教えないのか。江守徹は完璧にやってるぞ」

あえて強い表現を使っていたのだろうと思う。しかし、そこまで言われても、彼は芝居に没頭すると、言われたことが出来なくなった。言われたことを意識すると、芝居が崩れた。傳氏は彼に何を伝えたかったのか。

ここのところ、沖縄語の音韻に拘っている。そうしていると、興味深いことがたくさん出てくる。古の大和の言葉の世界へつながる門が、そこにあるような気がする。だが、このカテゴリの記事では語らない。沖縄語関連の記事で書く。

読み合わせに耳を傾けている。
二重母音を意識して台詞を読んでいる人がいるのかいないのか。意識しなければ台詞にならないと言っているわけではない。意識すれば台詞になると言っているわけでもない。ただ、役者であるなら、一度くらいはとことん意識して言葉の音そのものに拘ってみるべきだろうと思うだけだ。この中のどれだけの人が、それに同意してくれるだろうか。そんなことを考えていた。

言葉の中に長い歴史を探すことをしなければ、時代を語る芝居などできるはずはい。かつらを被ったファミリードラマなら、演らなくてもよい。

母音と母音の間で休んでいたい。
何を言ってるのだ。ボインなんて死後だよ。
死後に息を吹き込む。
あーあ、ダメだこりゃ。
さあ、自転車乗って帰ろう。自宅まで25km。精子が減少する。

少し捻り過ぎたな。川っぷちを走って頭を冷やせ!
凍えそうだよ……

色んなことが交錯している。

tag: 「枡形城落日の舞い」  朗読  藤田傳  二重母音 

二重母音・連母音・母音融合

宇夫方女史が沖縄にいる頃、小生高山正樹は午前中人形町の主治医へ。2ヶ月前に貰った薬が切れた。正月のドサクサで、禁を破ってちょいと味の濃いものを食べたりしているうちに、健康ゲームも少し飽きてきた。そんなことを思いながら、事務所に戻って仕事をする。

このブログを読んでくださる方は、小生は酒ばかり飲んでいてちっとも仕事をしていないと思われているかもしれないが、そんなことはない。昨日だって税理士さんが来て、昨年、M.A.P.で働いてくれた60人くらいの源泉徴収表を作成し、山猫合奏団の合わせの開始時間ギリギリに間に合わせたのだ。僕の健康を害しているものがあるとすれば、酒よりも仕事だ、なんてね、嘘ばっかり。
酒をやめないのなら身体を動かすしかない。今夜は市民劇の稽古である。喜多見から鹿島田の稽古場まで自転車で行く。20km弱といったところかな。自転車に乗りすぎると、精子が減少するって知ってた?まあ、もうどうでもいいけれど。

稽古場に着く頃は、もう真っ暗である。多摩川の向こう岸の東京が、なんだか異様だ。
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厳密にいえば日本語には二重母音は存在しない。たまたま母音が続けて出てくるに過ぎない。例えば英語の[day]などは「二重母音」だが、それは言語学的には1音節である。日本語で母音がふたつ繋がる場合は、あくまで2音節なので連母音という。
連母音とは、「愛(あい:ai)」とか「上(うえ:ue)」とか、母音が2回続けて出てくる場合に限っていうのではない。「貝(かい:kai)」とか「杖(つえ:tue)」とか、言葉の途中に母音がくれば、必ずそこには連母音([ai][ue])が存在する。
ところで、「音節」と「モーラ」は違うらしい。

なんでまた唐突にこんな話を始めたのか。

M.A.P.after5は、複数の連載読み物の集合体である。市民劇の成り行きだけが御所望ならば、「川崎市」のカテゴリの中の「枡形城・落日の舞い」というサブカテゴリをピックアップして読んでいただければ事足りる。だがそうはいかないのがM.A.P.after5。こっちの連載とあっちの連載が、時に化学反応を起こし始める。
「連母音」についても、今回の市民劇の稽古のハナシをしたくて持ち出してきたことなのだが、間違ったことを書かないようにと調べていたら、沖縄語と関係するとても興味深いことがたくさん見えてきたのだ。それを語るために、唐突ではあるが、言語学的な導入が必要だった。

英語などの発音記号では、長母音は[a:]とか[i:]というふうに表記する。一方沖縄語の長母音は、例えば沖縄語辞典では[aa][ii]と表記している。しかしカナで書く時は、「ゴオヤア」とは書かず「ゴーヤー」とするのが一般的である。
 ⇒関連記事「うちなぁ」か「うちなー」か(比嘉光龍さんからの回答)
それはいったい何故なのか。音節とモーラの微妙な違いと、なにか関連があるのではないか。

また、日本語の連母音と沖縄語の長母音の関係には法則性がある。いくつか例を挙げれば、日本語の連母音[ai]は沖縄語では[e:(ee)]となり、[au]は[o:(oo)]、[oo]は[u:(uu)]となる等など。
 ⇒関連記事「うちなーぐち講座《2》の2」
今まで僕は、この関係を口蓋化や高舌化との関連で考えようとしていた。「言語の省エネ化」として、一般化できないだろうかと思ったのである。

ところが、どうもそう単純ではないらしい。話しは沖縄にとどまらないのだ。
日本の話し言葉には、古い時代から二重母音(連母音)が極めて少なかったという。二重母音が出てくると、母音融合を起こして一文字の母音(長母音の場合もある)に変換してしまう。しかし、書き言葉は依然二重母音を保持して、母音融合を起こしたがる話し言葉と対立していたというのである。やがて、書かれた文字の通りに話すことが「正しい」とされるのだが、母音融合は無くならず、江戸弁をはじめとするアウトローの方言に、たくさん受け継がれて現存している。

僕は、母音融合の有る無しを、地域差だと考えていた。だが、どうやらそうではないらしい。これを書き言葉(権威)と話し言葉(スラング)の対立として捉えたらどうなるか。すると、沖縄語(ウチナーグチ)も、新たな相貌を帯びてきて興味が尽きない。

ウチナーグチのカテゴリの下に「母音融合」というサブカテゴリを作ってみた。そして、それらのすべての記事に若干手を入れた。市民劇の話題だけが御所望の方にも、お読みいただければとてもうれしいのだが、役者には無用だろうか。

もちろん、専門的な言語学の知識を全く持たないこの僕には、母音融合の背景について、云々する能力も資格もないのだが、理が勝ちすぎている不幸な役者なので、日本の語り物のことばの形を、今一度じっくり探ってみたいと思ってしまうのだ。そんなことをしているから、自分の芝居は一向に弾けないのではあるが。

日本の語り物は二重母音(連母音)を大切に発音するという僕の思い込みが、果たして正しかったのかどうか。そういえば狂言には、特有の母音融合があるではないか。

例えば[au]は[o:]となる。
「謡う」は「うたう」ではなく、[utoo]と発音されるのがその例だ。
また、形容詞の「〜しい」は「〜し」となる。これは[ii]という二重母音(連母音)を嫌った結果である。
「ややこしや、ややこしや」


ほんとにややこしくなった。ここらで、話しを市民劇の稽古に戻そう。しかし少し記事が長くなりすぎた。ひとつワンブレイクを入れることにする。

tag: 二重母音  【総合講座】  「枡形城落日の舞い」  健康ゲーム  高舌化  母音融合 

光龍さんの回答【うちなぁやまとぅぐち:ミクストランゲージ:スラング】

比嘉光龍さんにお会いした時に頂いたプリントと同じものが、ネットにアップされました。
「日本語」と、「うちなぁぐち」と、「うちなぁやまとぅぐち」を比較した表です。
これは、光龍さん自身によるものです。
http://blog.goo.ne.jp…

実は先ほど、光龍さんにふたつほどの質問のメールを送っていたのです。それに対して、さっそく丁寧なお返事が届きました。
まず質問その1です。
日本語=「おじいさん」
うちなぁぐち=「たんめー(士族)」「うすめー(平民)」
うちなぁやまとぅぐち=「おじぃ」

比嘉光龍さんは、「うちなぁやまとぅぐち」について、言語学では「ミクストランゲージ(Mixed Language)」に分類され、「スラング(俗語)」と同じような言葉と定義されているとし、次のように書いていらっしゃいます。
「それをもう少しくだけて言うと『タメぐち』のようなものだと思って下さい。仲間うちで使う、仲間だけしか知らない言葉のようなものです。それは、目上の人や学校の先生などには使えない」

確かに、沖縄の地方紙のコラムなどで、お年寄りを「オジイ」や「オバア」と呼ぶ最近の風潮は失礼でけしからんというなご意見を目にしたこともあります。(僕としては、敬意と愛情を持って使われれば「スラング」も悪くはないと思っていたのですが。)
では、沖縄のお年寄りを、ウチナーグチで呼ぼうとしたとき、どのように呼べばよいのでしょうか。
目の前にいるお年寄りが元「士族」か「平民」かなどわかりません。元士族の方に「うすめー」と言ってしまったら、気を悪くされるかもしれないし、かといって誰でも彼でも「たんめー」では、男性のお客さんだれかれ構わず「社長さん」と呼ぶ安キャバレーのホステスさんみたいで、これも気が進みません。というか、どちらにしても、そうした区別のある呼び方を使うことはどうなのだろう。言葉狩りはしたくはないが、なんだか難しい。沖縄語を話す会の國吉眞正さんは、もう今は、みんな「たんめー」でいいのではないですかとおっしゃっていました。
そこで、光龍さんのご意見も、聞いてみたくなったのです。

1「おじいさんのことをどう呼べばいいのでしょうか。今はどのご老人に対しても『たんめー』でいいのでしょうか。」

それに対する光龍さんのお答えは、次のようなものでした。

これは、そうは呼べませんと答えておきます。一つに統一した呼称が必要だとの考え方から、少し視点を変えて考えてみて頂きたいのですが、明治12年までは琉球王国で身分制度が存在したので、二つ、もしくは三つの「おじいさん」の呼称が存在しました。しかし、現在のうちなぁは、複雑かつ日本と言う国の一部です。そこに琉球王国時代の身分制度の呼称をあてはめようとするとかなり無理が生じます。そこで、相手にどう呼んでほしいのか問うということが面倒でも必要だと思います。個人はそれで対応できるのでしょうが、お年寄りの総称ですが、うちなぁぐちでは「御年寄い(うとぅすい)」、もしくは「思しーじゃ方(うみしーじゃかた)」と呼べばとても丁寧ですので、お年寄りよりは良いと思います。

なかなか難しいですねえ。みなさんはどうお考えでしょうか。
僕はチョイ悪おやじ。元不良なので、スラング万歳「オジイ」で、いっちゃおうかなあ。今度、儀間進先生にお会いした時に「オジイ」って、最大限の親しみを込めて呼んで見ようかな。そうしたらどうなるのでしょうか。

質問その2は長母音について。
光龍さんの作った表では、唯一「うちなぁ」だけ二重母音の二番目に小さな平仮名を使って、後は全て「ー」の文字を使っています。それは何故なんだろう。そういえば、ウチナーグチには二重母音は無いのだろうかということを考えながら、質問してみようと思ったのです。

2「うちなぁ」と「うちなー」、さらには「うちなぁー」もありそうですが、これには何かルールのようなものがあるのでしょうか。

光龍さんの回答。

これは、確かに問題ですね。私は「うちなぁ」と表記します。しかし、語尾の小さな「ぁ」ですが、これは棒線でも良いと思います。私は、うちなぁぐちを表記する時に、カタカナは何かうまく表現できていない気がしてひらがな表記にすることにしました。それらは、実践うちなあぐち教本の著者比嘉清さんや、ラジオ沖縄の伊狩典子さん、また、私のうちなぁぐち師匠である、うちなぁ芝居の名優「真喜志康忠(まきしこうちゅう)」先生の芝居を漫画化した新里堅進さんの本(琉球新報出版から三冊出ています)などを参考にする所が大きいです。

ただ、語尾の母音を棒線にするか、それとも、母音を文字化するかどうかは、私自身試行錯誤、変更に変更を繰り返して、母音はすべて棒線で書くことにしました。それならば「うちなぁ」は「うちなー」と表記しなければなりません。ただ、「うちなぁ」と言う表記だけは「ぁ」にしています。それは、沖縄タイムス紙に二年近く「光龍ぬピリンパランうちなぁぐち」と題して連載をしたのと、琉球新報紙にも「光龍ぬアハーうちなぁぐち」、また現在、おきなわJOHOという月刊情報誌に「光龍ぬうちなぁぐちアリンクリン」と書いてきたので、慣例でというところが大きいです。

(中略)

表記は高山さん御自身でお考え下さい。では、また、いつでもご質問下さい。御無礼さびら。
比嘉光龍(ふぃじゃ ばいろん)


この中略の部分には、表記について、もっと突っ込んだことが書かれてありました。光龍さんの主張は、基本的には柔軟にということなのですが、これについては当方勉強不足、もう少しそのあたりの現状を把握してからあらためてご紹介いたします。

このメールを公開することをお許しくださった比嘉光龍さんに、心から謝辞を申し上げます。

tag: 比嘉光龍  【総合講座】  二重母音 

「はべる」と「てふてふ」うちなーぐち講座《2》の2

さて、今日の本題に入る前に、もう少し寄り道をさせてください。

初めて沖縄語を話す会にお邪魔した時(4/4)に、沖縄の3母音についてお話ししました。
まずそちらを、是非お読みください。
 ⇒http://mapafter5.blog/907…

その復習と補足です。

《復習》
大和の母音の[e]が、ウチナーグチでは[i]に、[o]は[u]となる。
それでよく沖縄語は3母音という言われ方をするが、実はそれは間違いである。
短母音の[e]も[o]も、数は極めて少ないが、存在する。
長母音の[e:]と[o:]は、いくらでもある。
大和の[ai]が[e:]、[au]が[o:]となる。
《補足》極めて少ない[e]も[o]について。
それらの多くは感動詞(ane=あれ)か、擬声語(horohoro=衣ズレの音)である。
それらの言葉の殆どに、[e]や[o]を使わない言い方(変わり語形)がある。(三百=[sanbeku]には、[sanbyaku]という言い方もある。)
上記以外の言葉は、唯一、haberu=蝶のみである。
(コメントの【補足】も、必ず併せてお読みください。7/11追記)

さて、ここからです。(いつもM.A.P.after5の“うちなーぐち講座”はややこしいので、頑張ってついて来てくださいね。)
M.A.P.after5では上記のように説明はしたものの、実は、一つの疑問があったのです。
上に述べた[ai]→[e:]、[au]→[o:]という「ルール」の他に、大和の二重母音や長母音と沖縄の長母音との関係には、もっと多くのルールがあります。例えば、[ou]及び[oo]は[u:]となる。(通りtoori→tu:ri※注)
しかし「扇」はうちなーぐちでは「おーじ」です。なぜ「うーじ」とならないのだろうか……
※注:「トゥーリ」は[tu:]か[tuu]か、これについてもお話ししたいことがありますが、これは別の機会に…

そして、色々と調べ始めたのです。でも、ウチナーグチに関するものをいくら探しても、満足のいく答えは見つかりませんでした。ところが、日本語の歴史に、この疑問を解く糸口があったのです。

日本の鎌倉時代から室町時代にかけて(1200年頃)「オ列の長母音」は、口の開き方の広い狭いによって区別がありました。口を広く開けた方を「開音」、狭い方を「合音」といいます。
「開音」は[au]が長音化したもの[?:]、「合音」は[ou]が長音化したも[o:]です。
つまり「扇」がウチナーグチで「o:ji」となったということは、「扇」の「おー」が、もともと「開音」であったからではないのか。つまり、平仮名で「扇」を表記すれば、「扇」は「あうぎ」だったということなのです。
(但し、元禄時代、紀元1700年頃には、大和ではこの発音の区別は無くなっていたようです。けれども、文字としては「あうぎ」という風に書き分けていたのでしょう。)

これで、なぜ「扇」がウチナーグチで「うーじ」ではなく「おーじ」となるのか、そのことの説明がつきました。満足。

比嘉光龍さんに会った時、この話をしたら、「それ自分で考えたの」と、光龍さんの大きな目が、さらに大きくなりました。

このことに関連して、高山正樹は「社長とは呼ばないで」に、またわけのわからないことを書きました。
http://lince.jp/mugon…

【補足】
例えば「王子」も沖縄語では「おーじ」となります。これも「扇」と同じ事情なのですが、但し、この場合の「お」は声門破裂音ではない「お」なので、新沖縄文字を提唱する船津さんの表記法に従って「をーじ」としました。しかし、「を」と書くと、どうしても[wo]という発音を想起します。確かに現代日本では「を」は[o]と発音されるということになっているので、声門破裂音ではない「お」の文字として「を」使用するのは一見問題なさそうにも思えますが、大和の古典芸能の世界では、いまだ「を」を[wo]と発音しています。この伝統的な発音は、芸能の世界では今後も受け継がれていくでしょう。
従って、「新沖縄文字」においても、無用な混乱を避けるために、声門破裂音ではない「お」については、新規に文字を考案することを、私は提案したいと思っています。
本記事において、そのあたりの事情を解説せずに、「王子」を「開音」の例として使っていたため、とても分かりにくい説明に「なっていました。そこで、「王子」に関する部分を削除し、この補足を付記することにしました。
(2011年2月5日高山正樹)

しかしです。ここで新たな疑問が沸き起こってきたのです。

1:元来古く(日本の鎌倉時代以前の)沖縄で、その頃は大和でもそうだったように、[au]または[?:]と発音されていたものが、大和とは全く違った音韻変化の道を辿って[o:]に変わっていったのか。
2:あるいは、元禄時代以前に大和からやってきた言葉の[au]または[?:]が、既に確立されていた沖縄の音韻体系の中に組み込まれて、[o:]と言い換えられたのか。
3:はたまた、元禄時代以後、すでに大和では発音の区別が無くなっていたのに、大和から文字としてやってきたものに「あう」と「おう」の区別があったため、沖縄ではそれを音でも区別したということなのか。

ああ、興味は尽きません。
このことは、沖縄の歴史的仮名遣いをどう考えるのかという問題と、深く関わっているのではないか、そうとも思われてきました。

ともかくです。何百年も頑なに保持してきた仮名遣い(蝶々=てふてふetc.)を、日本は明治になってあっさりと放棄してしまったわけですが、その大和では失われてしまった区別が、その成り立ちや変遷がどうであれ、ウチナーグチに[o:]と[u:]という音の違いとして、はっきりとした形で残っているということは間違いなさそうで、とても興味深いことです。

もちろん、全てをひとつの公式に当てはめてしまうことは大変危険ですが、そのことをわきまえていれば、公式を探り出そうとすることは、極めて深く、楽しいことです。
そして、ウチナーグチを通して日本語を考える、これは日本を相対化するという、日本が国際社会で真に自立するために必要でありながら、しかし日本人が極めて苦手とする思考回路を鍛えるために、とても有効なことでもあると思ったのです。

【追伸】
そうしたら、沖縄語辞典に、こんなことがあっさりと書かれていたことを、後になって知りました。
「標準語の『開音』に対応するooは首里方言でooに、また『合音』に対応する標準語のooは首里方言でuuに、それぞれ対応するのが普通である」
うーん、『沖縄語辞典』は、たいしたもんだ。

tag: 【音韻講座】  声門破裂音  新沖縄文字  三母音  二重母音 

新宿で会って食って飲んで…

一夜明ければ、次へ向かって走り出さなければなりません。
船津好明さんのご紹介で、「沖縄語を話す会」の事務局長、國吉眞正さんに、新宿でお会いしました。
國吉眞正さん
(國吉さんの右には、もう一人いらっしゃるのですが、今日のところはご紹介を控えます。)

たっぷりと5時間近く、お話ししました。ウチナーグチについて、お伝えしたいことが山のようにあるのですが、しかし、ブログというような時間にせっつかれた場所では、なかなかご報告することは困難です。したがって、慌てて語ることは諦めました。いずれアカデミックに、“おきなわおーでぃおぶっく”のOfficial_Siteに専用のページを作成して、そこできちんとまとめようと考えています。

とはいえ、今までのブログ記事と関連のあることを、エピソードっぽくご披露しましょう。
でもそれは次の記事にて、「うちなーぐち講座」というカテゴリーを立てて。


おなかがすいた…
そうだ、喜多見のお寿司屋さんにいた菊地さんとこ行こう!
「おや、久しぶりだねえ」
菊地さん
今は歌舞伎町で板さんやってます。
花粉症で鼻声(ハナムニー)の男が江戸前の寿司を食う…
ご馳走さんでした。

さあ、帰ろう(けえろう、これも、高舌化なのかな?)…
夜の新宿

tag: 二重母音  沖縄語を話す会  國吉眞正  船津好明  菊地さん  喜多見_寿司.こむろ家  上舌化 

歌舞伎をハシゴ

朝7:30から2時間、事務所で仕事をやっつけて…
10:40、つくばエクスプレスの浅草駅に到着。
まだ松の内、考えてみれば50年生きてきたが、正月の浅草てえのは初めてだ。
やってるやってる、初笑い。
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でも、今日はココに用があるわけじゃあねえ。

ははあ、つくばエクスプレスで来ると、ここへ出るわけか。
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昼にはまだだいぶ間があるってえのに、天麩羅には、もう並んでやがる。せっかちなのか、のんびりなのか。
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さて、目的地、浅草公会堂に到着。
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新春浅草歌舞伎。若手中心の舞台だ。
待ち合わせていたカカアとも無事遭遇。

七之助が、昨日ワイドショーを賑わした兄貴を口上で弄(いじく)って、いよいよ開演。
まずは“一條大蔵譚(ものがたり)”
亀次郎の阿呆ぶりは愉快だが、七之助も勘太郎も、まだまだ親父にゃあかなわねえ。勘三郎は今頃歌舞伎座だ。

ふたつめの出し物までにはちっと時間がある。正月の仲見世でもひやかすか。
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初詣も、ついでにやっちまえ。
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線香の香りを腹のあたりに撫でくってやると、なんだか効きそうな気がするからおかしなもんだ。

公会堂に戻れば、間もなく“土蜘蛛”の開演だ。
蜘蛛?、おっとこいつはちょっとしたミステリー。忘れてくんねえ。

終演3:00。だが今日はこれだけじゃ終らない。

あの雷門のちょうちんを、裏から撮影したりして
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どうでい、珍しいだろうが。

都営浅草線で東銀座まで11分。
新橋演舞場。
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近くにこんな割烹があったり…
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ひつまぶしが食えたり…
食わねえけどよ……

指定席なんだから、何も並ぶこたあねえんだが。
せっかちで早えとこ中に入ぇりてえからよ……
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“初春花形歌舞伎”ときたもんだ。
16:30開演。まず“七つ面”があって
そして“封印切”
獅童も悪かあねえが、それより笑三郎が頗る(すこぶる)いい女に見えてくる。
さて本日のメインディッシュは“白波五人男”
海老蔵は、テレビでしゃべくる時は、なんとも詰まらぬ男だが、舞台の上では、特上の艶と色気。蛙の子は蛙。

しらざあいって きかせやしょう
おおむこうから こえかかり

わすれてた ごうしちごうの ちがさわぐ

終演21:00
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 今日のところは、事務所には
 戻ることなく、かみさんと
 けえるときめた、よしなにと
 電話を入れて、はらくくる

 問われず語るはみっともねえが
 言わずと知れた 高山正樹
 今日はなんとも 腹いっぱい
 天麩羅油に当たったような

 明日は早くから仕事しなくちゃねえ 字余り。

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