「森口豁 自作を語る」〜ジャーナリスト森口豁さんを迎えて〜

喜多見と狛江で沖縄映画祭 特別企画 ②
「森口豁 自作を語る」


森口豁氏は語る…
内間安男の映し鏡のごとく、作品にわが思いを投影してきた
“沖縄の十八歳”シリーズは、自画像だった


内間安男

※内間安男を追った以下の三作品を参考上映します。

ノンフィクション劇場『沖縄の十八歳』
(1966.7.21)モノクロ30分
基地の町コザの高校生、内間安男が 祖国復帰請願のため級友たちと戦没者慰霊行進に参加、複雑な思いを抱く。

NNNドキュメント'72『熱い長い青春・ある沖縄の証言から』
(1972.8.20)カラー30分
内間安男のタクシー運転手生活から見える復帰後も変わらない基地の島の現実。

NNNドキュメント'78『一幕一場・沖縄人類館』
(1978.7.30)カラー30分
内間安男が劇役者として沖縄の苦難の近現代史を風刺豊かに演じ、復帰の矛盾を問う。

日時:2月5日(金)19:00〜
会場:M.A.P.(第1会場)
料金:
一般 1,200円
    学生及び75歳以上 500円 ※受付で学生証・保険証等を提示してください。
      前売りチケット1,000円あり
      ※ご予約を頂けば、前売り扱いにて、チケットを受付にお取り置きいたします。
      ※11枚綴り 10,000円(1000円券×11枚)

 ⇒オフィシャルサイトのチケット購入ページ
  ⇒CoRich 直通(PC用)
  ⇒CoRich 直通(携帯用)
 電話でのご予約・お問合せ:03-3489-2246(M.A.P.)

 ⇒総合案内記事へ

《森口豁 プロフィール》
森口豁さん1937年、 東京世田谷に生まれる。

玉川学園高等部在学中、沖縄県の言葉についての研究発表を行った一学年後輩の金城哲夫と知り合う。1956年、高校3年の時に、玉川学園の教師や金城らとともに初めて米軍統治下の沖縄本島を訪問。祖国から切り離され米軍政下で厳しい暮らしを余儀なくされる同世代の若者たちと対面し、「本土」と沖縄の間にある政治的・精神的分断に衝撃を受ける。
翌年、1か月間沖縄各地を取材し、58年には玉川大学文学部を中退、琉球新報社に入社して東京支社に勤務、59年に沖縄に移して社会部記者としての活動を始める。

その後「本土の人に沖縄の現実を知らせたい」と、61年から日本テレビの通信員を兼務、自ら16ミリフィルムカメラを回してニュース取材を行った。63年に正式に日本テレビ沖縄特派員となり、水不足にあえぐ久高島の生活を描いたノンフィクション劇場『乾いた沖縄』を制作。66年には基地の町コザの高校生たちの祖国復帰への思いと不安を描いた『沖縄の十八歳』を作り、その後、本土復帰を若者の眼差しで見つめる作品を続けて発表していく。

沖縄の日本「復帰」から2年後の74年、日本テレビ本社に転勤となった後も番組ディレクターとして沖縄に通い続け、NNNドキュメントの枠で放送した『ひめゆり戦史・いま問う国家と教育』(79年放送)、『島分け・沖縄 鳩間島哀史』(82年放送)などにより、1987年、テレビ大賞優秀個人賞、日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞。

1990年の日本テレビ退社までに55本のドキュメンタリー番組を制作、そのうち28本が沖縄をテーマとする作品だった。退職後もフリージャーナリストとして、ビデオによる沖縄戦体験者の証言記録に取り組むなど、沖縄を伝え続けている。

「沖縄を語る一人の会」主宰。

≪主な著作≫
『子乞い 沖縄孤島の歳月』(凱風社)
『最後の学徒兵 BC級死刑囚・田口泰正の悲劇』(講談社)
『ヤマト嫌い 沖縄言論人・池宮城秀意の反骨』(講談社)
『「安保」が人をひき殺す 日米地位協定=沖縄からの告発』(高文研)
『復帰願望 昭和の中のオキナワ 森口豁ドキュメンタリー作品集』(海風社)
『沖縄 近い昔の旅 非武の島の記憶』(凱風社)
『だれも沖縄を知らない 27 の島の物語』(筑摩書房)

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「ななさんまる」の意味

7月30日、7・30(ななさんまる)交通方法変更
沖縄の施政権返還は1972年、それから6年後の1978年7月29日の午後10時、沖縄県全域で車輌通行止め及び駐車禁止の特別交通規制が開始され、翌30日、つまり38年前の今日の午前6時、アメリカに占領されていた期間を含め、33年間続いた沖縄の車輌右側通行の交通方式が「日本式」に変更された。ここに日本の交通方式が統一されたのである。
日本は、1949年にジュネーヴで作成された「道路交通に関する条約」に加盟しており、そこに謳われている「一国一方式」を遵守したものといわれるが、「道路標識等に関する議定書」には、日本は加盟していない。要するに、国際条約に加盟してそのルールに従うか否かは、各国のお家の事情でしかないということである。「交通方式の統一」が何故日本に必要であったのか。それも世界基準ではない左側通行に統一する意味とは。国際化された現代においては、どの理由も虚しく聞こえてくる。

沖縄では「ななさんまる」以降、数日間事故が多発した。特にバスやタクシーを運転するプロのドライバーが事故を起こした。『沖縄大百科事典』には、那覇を中心としたの都市が10日間以上にわたってマヒしたとある。高山正樹のカミサンは、この日親戚のおじさんの車でヤンバルまで物見遊山のドライブに出かけたらしい。曲がる時はオットット、あちこち溝に落ちた車があったという。

市民経済も混乱した。例えば釣り場へ行く道の右側には多くの釣具店があった。しかし、その多くの店が「ななさんまる」以後、廃業に追いやられた。それに類した例は、いくらでもある。

森口豁氏の映画、『沖縄の十八歳』シリーズについては、このM.A.P.after5でもご紹介したことがある。
 ⇒mapafter5.blog.fc2.com/entry-1179…
沖縄の一青年、内間安男を追い続けた3本の記録映画。1本目に初めて登場した内間安男は、復帰運動に参加するよう同級生を説得する高校生だった。3本目は、劇団創造の「人類館」の初演で調教師を演じる内間安男が主人公だった。その2本を繋ぐのが、復帰後の現実の中で、タクシーの運転手をやりながら復帰の意味を問い続ける内間安男の内面を追ったシリーズ2本目の作品である。その中で、内間安男は「ななさんまる」の意味を問う。「ななさんまる」とは、単なる交通法規の変更などというものではなく、大和と沖縄の関係を根源的に示したひとつの事件だったのだ。

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「南島妄想見聞録」【打ち上げその2】《藤木勇人と“人類館”》

前の記事から
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「後日執筆する。少々お待ちを」……と書いたきり、御報告したいことはなかなかブログで簡単に書けるようなことではなく、ずいぶんと間が空いてしまった。

実はこの記事、9月21日に書いている。もうこれ以上引っ張るワケにもいかず、ボチボチここらでツラツラと書いてみようか。

藤木勇人さんは「うちなー噺家」と名乗っている。立川志の輔さんを師と仰ぐ。談志御大にはなかなか受け入れてはもらえないらしいが、志の輔さんからは「オレの弟子だと名乗っていい」とお墨付きを貰ったらしい。
実は、藤木勇人さんがこの世界で生きていこうと思ったきっかけは、沖縄の高校在学中に観た劇団創造の“人類館”だったという。
藤木さんは“人類館”の作者である知念正真さんのことを深く敬愛している。しかしその敬愛の仕方はそう単純ではない。
僕が知念さんについて、「おっかない顔してるけど、話すととってもシャイで優しくて、普通の人ですよねえ」と言うと、藤木さんは次のように答えた。
「一番ダメな人間が一番すばらしいということを教えてくれたのが知念さんです。僕の最も好きな人」と。
この日伺ったふたりの交流のエピソードは、とても興味深いが、残念ながらブログでは書けないことばかりで困る。

藤木さんは“人類館”を一人芝居でやりたいと考えていた。ところが津嘉山正種さんが先に演ってしまったものだから、自分はもうやらんでもいいかなと思われている。驚いたことは、人類館の再演には決してあまりいい顔をしない知念さんだが、藤木さんには「お前、やらないか」とおっしゃったというのである。知念さんの藤木さんに対する信頼、それはなんなのだろう。

知念正真が書いた「人類館」は、結果的に大きな罪を犯してしまったと藤木勇人はいう。戯曲「人類館」が、それ以後の大和と沖縄の対立構造を作ってしまったのだというのだ。それについては異論もあろうが、しかし「知念正真の“人類館”考」としては実におもしろい。知念さんから聞いた「人類館」の創作意図、「自分にとって沖縄の日本復帰とはなんだったのか、それを整理したかっただけなのだ」という知念さんの思いとも符合する。しかし、そんな知念正真の私的な想念であったものが、伝説的な初演の幕が下りたその時から「社会的な事件」となってしまった。以来、戯曲“人類館”は、知念正真の手から離れていった。そして調教師という登場人物は(実は大和の兵隊は沖縄出身者であったのだが)、沖縄を差別する極悪非道の人物として固定化されることになったのである。

しかし“人類館”に登場する調教師が悪いのではない、本来、人間に悪者などいないのだ、そう藤木勇人さんは語った。
「だから、落語が好きなんです。落語には、ダメだけれど悪い人間はひとりも出てこない。登場するのはみんな愛すべき普通の人たちです。そんな芝居がしたいんです。」

僕は、藤木勇人さんが演じる人類館が観たいと思った。そしてその舞台を客席から観て、心から笑う知念正真さんの顔を見てみたいと思ったのである。

もうひとつ、前の記事で語り足りなかったことを書いておこうと思う。

ウチナーグチについて。

藤木さんと話していて、藤木さんはウチナーグチを相当勉強されたことがあるのだと確信した。最近、ウチナーグチを復活させようと沖縄ではだんだんと盛り上がってきているが、しかしそれがそんなに簡単なことではないということを、藤木さんは深く理解されていると思ったのである。

一口にウチナーグチといっても、地域地域によって大きく違う。ウチナーグチを残すというと、たいがい首里言葉の権威がちらつき始める。しかし、首里言葉を「正しく」復活させることは、同時に各地域の言葉を殺すことにもなるという現実。
そう藤木さんが言ったわけではないが、僕はそう理解した。
藤木さんに奄美の血が流れているということもあるのかも知れないと、僕は勝手に思っていた。

M.A.P.の沖縄語を話す会は、この藤木さんのような思いを、決して忘れないということを第一義にしなければならない。あらためてそれを確認しなければいけないと、僕は襟を正したのである。

この日、テレビマンユニオンの田中さんという方が、藤木さんの「落語」を絶賛していた。どういうふうに絶賛したか、残念ながらそれもブログでは書けないこと。
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テレビマンユニオンといえば超有名な制作会社だが、予算が大きく減らされて、テレビ業界は大変らしい。

シーサー玉城さんちゃんと一緒に記念撮影。
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シーサー顔みっつだってさ。

 ⇒この日の続きに続く……

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tag: #シーサー  沖縄_首里  沖縄_しまくとぅば  沖縄_沖縄の人.知念正真  沖縄_沖縄の人.津嘉山正種  人類館事件  沖縄_沖縄の人.シーサー玉城  沖縄_沖縄の人.藤木勇人  沖縄_うちなーぐち. 

津嘉山正種ひとり語り“人類館”in おきなわ

沖縄、浦添、国立劇場おきなわ、楽屋口。
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本番前、津嘉山正種さんは屋外の喫煙所で、ひとり風に打たれていらっしゃいました。煙草を吸っていたのかどうか、それはわかりません。
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色々ありましたが初めてこの沖縄で、聞かせていただきます。
「カミサンの実家の家族を招待したのです」
津嘉山さんはニッコリと笑われました。

ロビーへ。
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拝啓、津嘉山正種様。
舞台、拝見させていただきました。この舞台を、CDとして残したことが間違いではなかったと、あらためて確信しました。そして、その仕事をさせてくださった津嘉山さんはじめ青年座関係の皆様に、重ねて感謝申し上げたい気持ちでいっぱいです。
招待した妻の家族が、今日の舞台にどんな感想を持ったのか、とても興味があるのですが、僕はきっと、それについて聞くことはしないでしょう。
僕は、妻の家族から、敢えて離れて座りました。それは、彼らが舞台を観て泣くにしても笑うにしても、僕はその傍にいてはならないという気がしたからなのです。僕を知らない人ならば、僕が隣に座っても、僕は見知らぬ路傍の石なので、その人は自由に笑うことも泣くこともできるでしょう。でも、妻の家族にとっては、もはや僕は路傍の石ではありえないのです。
やがて客席の明かりが落ちていきます。密かに僕は、この後この劇場が、津嘉山さんのウチナーグチで大きな笑いに包まれることを期待していました。30数年前の、あの伝説の舞台がそうであったように。
しかし、そうはなりませんでした。それが残念なことなのかどうか、僕にはよくわかりませんが、きっと今日のお客様は、70年代の沖縄の人々よりもはるかに冷静であり、幸福であり、そして、諦めに包まれているのかもしれないと思ったのです。そして、みんな静かに涙されていた。
とすると、僕が人類館をCDにしようと決意した個人的な一つの事件、家事をしていた僕の妻が、青年座にお借りした人類館の記録DVDから流れ出てくる言葉、僕には全く理解できない言葉を聞いてゲラゲラと笑っていたのは、妻が不幸だということなのでしょうか。まあ、たとえそうだとしても、妻はまだ諦めてはいないのだと納得しておきましょう。
昨日は、隣の大劇場で大城先生の新作組踊りがあって、僕はそちらを観るために来ていたのですが、一般のお客さんに混じって、ロビーの椅子でひとり小劇場の開場を待っている知念正真さんをお見かけしました。
「ちょっと早く来すぎてしまった」
僕は開場前の小劇場に潜り込んで、制作の紫雲さんに、知念先生が既に来ていらっしゃることを伝えました。紫雲さんはあわてて知念さんを呼びにいかれた。
「彼は人付き合いが下手でね」
そんな幸喜さんの言葉を思い出したのです。
今度、もう一度知念さんを訪ねて、たくさんのお話を聞かせて貰おう、今、なぜかとてもそう思っています。今日の舞台のことも、妻の家族には聞けないが、知念さんには是非とも聞いてみたいと思うのです。もし聞けたなら、またお手紙でご報告します。
これからも、津嘉山さんがこの舞台を持って全国を巡り、沖縄の心を伝え続けられますこと、心より願っております。
今日は、ほんとうにありがとうございました。
(2009年11月22日 高山正樹)

是非、下記記事をお読みください。
知念正真さんにお会いした日のこと。爆笑に包まれた初演のこと。
つかこうへいの芝居は泣けてしかたないといった加藤新吉氏のこと。

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ロビーで、人類館以外のCDも売ってくださいました。
諸々清算。
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ありがとうございました。

妻の実家へ戻ると、こんなCMをやっていた。
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介護保険のご案内。
「だいわはうちゅ」とは全く違う、泥臭い沖縄の普通のおじさん。
そういえば、役所広司さん相手の映画監督役、変わりましたねえ。ところで、あのコマーシャルは沖縄でやってたのかなあ。

tag: 沖縄_沖縄の人.知念正真  沖縄_おーでぃおぶっく.人類館  青年座  沖縄_沖縄の人.津嘉山正種  沖縄(2009年秋)  人類館事件 

内間安男と津嘉山正種

森口豁さんの“人類館”のフィルムがどうしても見たい。高山正樹の我がままを、Bar“土”のごうさんが森口さんに繋いでくれた。そうして実現した、たった一人のための上映会。
見れなかった前回の上映会のこと

その話を青年座に連絡したら、津嘉山正種さんが是非見たいといっているという連絡が来た。幸喜さんにも知念さんにも、青年座の方から連絡してもらうことにした。結局、幸喜さんは仕事、知念さんは体の具合で来られなかったけれど。

津嘉山さんが来ることを伏せて、上映会の告知をしてみたが、結局他には誰も来なかった。

約束の時間、パラダイス通りへ出てみた。案の定、遠くの方で、紙切れを持った津嘉山さんが、きょろきょろしていた。僕は大きく手を振った。津嘉山さんはこちらを見て、ちょっと笑った。

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カウンターで、生ビールを飲んで森口さんを待った。
「オリオンはないんですか」
「ありません。エビスだけです。」
「沖縄では、地元のオリオンを飲むことにしているのだが」
「メンテナンスが悪いんです。生ビールのサーバーは毎日洗わなければならないのはもちろんですが、週に一度くらいはメンテナンスに来てもらわなければならない、それなのに、いくら頼んでも来てくれなかった」
「アサヒ系列になってからそうなったの」
「いえ、その前からです」
「それはいけないですね。コマーシャルの話があるのだが、考えなくちゃいけないな」
「津嘉山さんが上に言ってくれれば変わるかもしれない」

(高山君、こんなこと、書いていいの)
(それで変わってくれればいい。変わってほしいから書くのです。)

2Fギャラリーにて
「沖縄の18歳」と、「一幕一場・沖縄人類館」の2本。

上映が終わって、宇夫方路が明かりをつけても、津嘉山さんは、しばらく振り返ることはなかった。

左から、関りえ子、土のオーナーごう、津嘉山正種、森口豁、高山正樹。
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その車座を、宇夫方路が撮っている。

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あの日、腕組みをして微動だにしなかった男が、調教師を演じた内間安男という男を褒めた。
「内間がいたから、この芝居ができたのだろう」
微動だにしなかったこと
その日の《表》の記事

津嘉山さんは、「人類館」をひとりで演じることの苦労を語った。泣けて泣けて仕方がない。しかしあまり泣いてしまうと、調教師役ができなくなる……、そう言った津嘉山さんの目から涙があふれた。
ごうさんの差し出したタオルで、津嘉山さんは涙をぬぐった。
「なんで俺は泣くのかなあ」

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「津嘉山さんは、何故この芝居をひとりでやろうと思ったのですか」
ある時、津嘉山さんは、東京の役者たちと沖縄の芝居をしたことがあった。津嘉山さんは方言指導も兼ねていた。稽古の最中、他の役者の言葉ばかりが気になった。稽古が終ると
「なんでネーネー(二回目のネーが下がる)というのかなあ、なんでネーネー(限りなく平板)と言わんかなー」
人類館をやりたいと思った時、やれる役者を東京で探すのは無理だと思った。
「ひとりでやるしかなかった」

ある芝居を、沖縄の連中とやったことがある。朝10時の稽古開始なのに、昼過ぎても集まらない。いつも早く来る役者は決まっているので、いつも同じところの稽古ばかり。「なんで時間通りに来れないかー」と聞くと「歯医者があってさー」。
蜷川幸男の芝居で稽古に遅れたら大変。稽古初日から立ち稽古だから、それまでにみんな台詞を入れてくる。
「そんな稽古を沖縄でやったら、三日で役者はみんなやめるね」

津嘉山さんは、この後予定が入っていてケツカッチンだったはずなのに、一時間も長くいて、あわてて帰っていった。

ちなみに、宇夫方路の踊りの先生で、高山正樹のカミサンの親友である関りえ子はミーハーであることが判明した。
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ごうさんの携帯が鳴った。
「ビール代を払うのを忘れました」
「いえいえ宇夫方が払うと言っているから大丈夫です」
おいおい、ごうちゃん、そんなこと言ってないぜい。
「やった、津嘉山さんの電話番号ゲット!」
ごうさんも、ミーハーであった。
(文責:高山正樹)
[subcate.人類館事件]
[subcate.Bar土]
《そういえば…》
人類館の初演で辻の女性を演じた北島角子さんは、とっても若くてかわいいのでした。

tag: 青年座  人類館事件  沖縄の呑食処.Bar土  ごうさん  沖縄(2009年秋)  関りえ子  津嘉山正種  森口豁 

森口豁inBar“土”vol.2【玉川大学】と【都立駒場高校を中退して大検】

沖縄に来た時は連絡する、それがBar“土”のごうさんと交わした約束。だから羽田で飛行機に乗る直前、ごうさんにメールしました。そしたら「今夜なら那覇にいる」との返信が来た。ということで、真喜ちゃんとの食事を終えて、金城君を誘って“土”へ行きました。

今日の“土”は、2階のギャラリーで「森口カフェin那覇」というイベントが開催されていました。元日本テレビの沖縄特派員でもあったジャーナリストの森口豁(かつ)さんが制作した映像作品を鑑賞し、その後、森口さん御本人を囲んでゆんたく(おしゃべり)するという企画です。今回はその第2回目、題して「人類館の舞台に立つ青年の足跡をたどるドキュメント」。

森口豁さんは1937年生まれ。森口さんがテレビ番組のために制作したドキュメンタリーは29本にのぼります。少ないですか? いえいえ、どれもこれも重い題材ばかり。そんな企画を中央のテレビというメディアに供給し続けることがどれほど大変なことであったか、想像するに難くありません。

この夜の「森口カフェin那覇vol.2」では、その中から、演劇集団「創造」の伝説の舞台、「人類館」の初演で調教師役を演じた内間安男さんを追い続けた『沖縄の十八歳 』シリーズの中から3本が上演されました。

第一作の「沖縄の18歳」は、沖縄の「祖国復帰」に先立つ1966年の作品。当時コザ高校の3年生だった一人の少年に焦点を当てたドキュメンタリーです。復帰を望んでデモにも参加するその少年の名は内間安男。
「熱い長い青春・ある証言から」(1972年)では、高校卒業後タクシーの運転手となった内間青年の目を通して、復帰しても何も変わらない沖縄の苦しみを見つめていきます。
まさかこの青年が、それから数年後、「人類館」の舞台に立つことになろうとは、森口さんはもちろん、内間さん自身だって知る由もありませんでした。
そして1978年、内間安男というひとりのウチナーンチュを、自分と重ね合わせるように追い続けた森口豁は「一幕一場・沖縄人類館」を制作します……

“人類館”の作者・知念正真氏の思いに関する記事
“人類館”初演時の台本についての記事

是非ともこの三作目を見たかったのですが、遅れて“土”に行ったバチが当ったのでしょうか、映像のトラブルがあって上映順が変わり、残念ながら第二作しか見ることが出来ませんでした。

上映が終わると、静かなゆんたくの時間。
森口豁さんです。
森口豁さん
まず森口さんのお話があって、そのあとお客さんから森口さんへの質問があったり、やがて森口さんの映像に触発された皆さんは、それぞれいろいろな思い出話を話し始めました。

復帰の頃、佐藤栄作首相が沖縄に来た時、歓迎のために振る日の丸を作るのが小学校の宿題だったという女性、復帰から6年経った1978年の7月30日(いわゆる「ナナサンマル」の時)、車がそれまでの右側通行から左側通行に変わったため、海へ行く道の右側にあった釣具店が、帰り道になってしまってたくさん廃業したというお話をされた男性、どれもこれも興味深く聞かせていただきました。

皆さんのいろいろな話を聞いていたら、やっぱり3本とも見たかった、見なきゃいけなかった、という気持ちになりました。
ねえごうさん、今日はちょっとお客さん少なかったから、11月に津嘉山正種さんの「人類館」が“国立劇場おきなわ”で上演されるはずだから、その時また来るから、それにあわせてもう一回この作品の上映会をやってくれないかなあ。国立劇場のお客さんにも宣伝してさあ。
津嘉山正種「人類館」沖縄公演のこと

イベントが終わって、久しぶりにごうさんと話をしました。
“土”のギャラリーでの様々な企画は、最近沖縄で密かに話題になっている、でも採算を考えると大変らしい。そりゃそうだよね、お客さんからお金取らないんだもん。

帰り際、ごうさんが「これ読んで」と壁に貼ってある詩を指差しました。
9.11の時に書いたんだって。
ちょっと長いけど画像を載せちゃおう。
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「ここのギャラリーでさ、何かやりたいことがあったら、早めに企画出してよ」
わかった。そうだよね、真剣に何か考えようと思っています。そのときは、よろしくです。
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でも、宇夫方路の夜は、まだ終らない……
(報告:宇夫方路、執筆:高山正樹)

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tag: 日の丸  人類館事件  沖縄(2009年秋)  沖縄の呑食処.Bar土  都立駒場高校_  こんな人あんな人_ジャーナリスト.森口豁  沖縄_沖縄の人.在住ヤマトゥンチュ.ごうさん 

神田古書店街

古書がデータベースで管理されるようになってから、神田は巨大な一軒の古書店と化し、掘り出し物が殆ど消えた。以来、めっきり神田に足を運ばなくなった。
しかし、ここ数年、すっかり出力と入力のバランスが崩れていて、特に最近ブログなどを書かされて言葉を垂れ流すようになってからというもの、妙に神田が懐かしくなっていた。新刊本の活字ではダメなのだ。信用がおけない感じがしてスッと入ってこないのである。

今日の夜は銀座に用があって、その前にちょいと時間が出来たので、ほんとうに久しぶりに神田をぶらついてみることにした。
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神田に通っていた頃にも、決して立ち寄らなかった店がある。それがこの、演劇映画関連の書籍を専門に扱う矢口書店だった。戯曲やシナリオなども揃っている。
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当時芝居に嫌気がさしていて、演劇の理論書など、その背表紙が目に入ることさえ不愉快だったのである。だが、今はそんな屈折した思いはどこかに消えた。とはいえ、今日、特に意識なく最初に向かったのがこの矢口書店だったというのは、いったいどういうことだろう。

道に面した廉価本の書棚の中に見つけた一冊の演劇誌、ちねんせいしん作「人類館」が掲載された1977年の『テアトロ』2月号である。
「人類館」は、その後「沖縄文学選」というアンソロジー本で活字にされているのだが、それは当初の台本とは違って、かなりナイーブな部分が書きかえられている。沖縄の劇団創造が上演する現在の台本も、青年座の津嘉山正種さんの独り語りも、また我々が制作したCDも、全て書き換えられたものを定本にしているのだ。もはや伝説となった初演時の台本は入手困難、作者の知念正真さんの手元にもない代物、それがこのテアトロで読めるのだ。大枚200円なり。これが掘り出し物でなくてなんであろうか。

人類館については先日の沖縄語を話す会で、國吉眞正さんから頂いたお土産、我々のCD「人類館」のウチナーグチの部分を、國吉さんが正確な音で起こしてくださったテキスト、まったくありがたいことで、この資料と青年座の台本と、そして今日手に入れた「テアトロ」と、それらを比較検討するのは、きっとわくわくするほど楽しい作業だろう。その研究結果を、ブログやホームページなどで記事にすることを考えなければという条件付ではあるが。
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今日はそのほか、沖縄語の資料など数冊購入して、総額1,000円にも満たない。鞄はすこし重くなったが、気分はすっかり軽くなった。

tag: 沖縄_沖縄の人.知念正真  人類館事件  沖縄_おーでぃおぶっく.人類館  沖縄_うちなーぐち. 

“晴読雨読”「沖縄」に出会った一冊

25日付け琉球新報が届きました。
さて、高山正樹の執筆記事は載ったかな……
あった。
晴読雨読の記事
おほ、五木寛之の「親鸞」の上だぜい!
原稿料は、まあ数時間で書いたから、マクドナルドのアルバイトよりはだいぶマシかな。でも、五木寛之先生の、ずーっと下ですね。

マクドナルドと言えば、しばらく、マックのハンバーガーは控えようかな。痩せなきゃいけないし、イスラエル支援企業だし。
しかしイスラエル支援企業ということならマイクロソフトも同じ、ということは、ブログやめなきゃいけないのでしょうか。WindowsからMacに切替えてみても、最近Macにもintel入ってるし……
マックとMac、ややこしいなあ。

しかし、マクドナルドにお勤めの方々もたくさんいらっしゃるわけで。不買運動というものは、どこかヒステリックで、ちょっと危ない感じもあります。風評被害とまでは言いませんが。

ともかく、自動車乗ってるから温暖化問題について語る資格はないのだというような、幼稚な論理に陥らないことは大切ですね。じゃないと、世の中変わらない。自分のことを棚に上げて主張すべきこともあるということです。

いけないいけない、最近少し太り過ぎ、じゃない、語り過ぎです。反省。

話を元に戻して。
琉球新報の「晴読雨読」、高山正樹が大城立裕「カクテル・パーティー」について書いた記事の全文を、Officialのブログに掲載しました。
 ⇒http://ameblo.jp/okinawaaudiobook…

いくら画像でご紹介しても、目の不自由な方にはお伝えできませんので、テキストデータで掲載すれば、音声変換ソフトで聞いていただけますから。
(そうだ、だから画像にきちんと名前つけることも重要なんだよね。記事を書く時のひと手間が面倒で、殆ど「null」になっていますこと、陳謝いたします。時間を見て、順次画像に名前をつけていく所存です。「弱者」の方々に対する想像力が足りない。それこそ反省しなければ。)

ところで、音声変換ソフトってWindowsとMacと、共通なのかな。

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tag: ユニバーサルデザイン  知念正真  イスラエル  人類館事件  大城立裕  琉球新報  カクテル・パーティー 

早稲田大隈講堂「人類館」にて

早稲田大隈講堂で行われた、沖縄のアマチュア劇団“創造”による「人類館」の公演に行きました。
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公演の詳しい情報などはOfficial Brogの方に掲載するとして…

私たちは、ふじたあさや先生と大隈講堂前で待ち合わせました。
というわけで話しは横道に。

先日、新宿の紀伊国屋劇場へ青年座のお芝居「MOTHER」を観に行ったときに見つけたチラシ…
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どうも写真は以前のものの使いまわしのようで、そこにはいらっしゃらないのですが、よく読むと、戌井市郎だ瓜生正美だという、生きながら既に伝説になってしまっているような方々のお名前に混ざって、ふじたあさやの文字が、それも演出とか脚本ではなく役者で参加しているらしい。まあ、基本的に出たがりだということは薄々感づいてはいたのですが、まさか…

というわけで、この日、ご本人に直接お伺いしてみたのです。そうしたら…
「見たの、ちらし…」
あら、ほんとだったんだ…
「30年ぶりかな、みんな楽しんでやってるよ」
ですって。
「今日も稽古してきたんだ。流山児もここに来るかもしれない」

流山児とは、もちろん流山児祥氏のこと。ショッキングピンクのチラシのパラダイス一座の「続々オールド・パンチ」という、なんとも怪しげな芝居の演出を担当。役者を含めたメインのメンバーで一番若い61歳というのだからおぞましい(?)。

この寒空に御高齢のふじた先生を立ちんぼにさせておくなどできるわけありません。ふじた先生になりかわり、高山正樹が流山児さんをお待ちしました。(結局、本日はいらっしゃいませんでしたが。)

大盛況のうちに終演。
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我々は、津嘉山正種さんたちと打ち上げへ。
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知念正真さん、幸喜良秀さん、津嘉山正種さんのスリーショットです。

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津嘉山さんはそっと若者たちに語り始められました。
やがて…
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明日は、おきなわおーでぃおぶっくの「人類館」の波音の録音が、朝早くからあります。どんなに立派な志があったとしても、まずはいいものを作ること、それが大切なことなのだと、改めて自らに言い聞かせて、我々は帰途についたのでした。
表現とはいかにあるべきか、熱く語られる津嘉山さんの姿に後ろ髪ひかれながら。

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