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東京琉球舞踊協会の新年会

毎年恒例の東京琉球舞踊協会の新年会が、霞ヶ関にある東海大学校友会館で行われました。
 ⇒去年の新年会の記事

来賓の中に、去年の宮古郷友会のふるさと祭りでお世話になったクイチャーパラダイスの草野さんを見つけました。

草野さんのこの日のブログを見つけました。
 ⇒http://quipara.ti-da.net…
ちょっとおもしろ不思議な方みたい?

仲宗根善久先生もいらしていました。善久先生は現在沖縄と東京半々の生活なんだそうです。
「東京に彼女でも出来たらずっといるんだけどね」
(危ない発言、ばらしちゃって、いいのかしらん)

沖縄の映像制作会社映画、シネマ沖縄という会社の末吉真也代表とも名刺交換をさせて頂きました。何か一緒にできるかもしれない、またご連絡しますと仰ってくださいました。
後で分かったのですが、実は井上真喜ちゃんが制作を担当したDVDを、M.A.P.が委託販売するという話があるのですが、そのDVDを作ったのがシネマ沖縄だったのです。
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※このDVDについては、正式にM.A.P.での販売が決まってからご紹介します。
シネマ沖縄は1970年代にできた歴史ある会社です。真喜ちゃん情報だと、沖縄で一番のんびりした制作会社らしい。なんとおそろしい、いったい販売開始までどのくらいかかるのでしょうか。でも一度お会いしたので、少しは話しが進むかも、と真喜ちゃんは言っていました。

ともかく、沖縄は狭い。

【おまけ】
関琉球舞踊研究所の余興です。
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来賓の方たちに、テーブルごと3チームに別れて頂き、コップに洗濯ばさみをひたすらくっつけ、どこのチームが一番早く付けられるかというなんともくだらないゲーム。それを仕切っただけなんですけどね。でも、盛り上がりました。善久先生が必死に頑張って、善久先生のチームが1等賞を取りました。
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(左端が善久先生です。)
商品はちんすこう。実はこのゲーム、介護施設のボケ防止のゲームなんだって。これ内緒です。

琉球舞踊の専用ブログにこの日のことを書きました。そちらがオフィシャルかな?
 ⇒http://mapryukyubuyou.ti-da.net…
(報告:宇夫方路、代筆:高山正樹)

tag: 琉球舞踊  井上真喜  仲宗根善久 

本家“沖縄語を話す会”の忘年会(まだ執筆途中の記事です)

《2010年12月4日(土)》
今日の富士山。
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お昼の1時から、大崎の本家“沖縄語を話す会”の忘年会にお邪魔しました。
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 ⇒2009年の夏の宴
 ⇒2009年の忘年会

お弁当です。
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沖縄とは全く関係ないお弁当です。いいんです、それで。

上座には長老3名がお座りになられています。
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左の方は「那覇軍港に沈んだふるさと」をお書きになった一坪反戦地主会関東ブロック代表(現在は顧問かも)の上原成信さん、平和運動家ならそのお名前を知らない人はいないという方です。(残念ながら僕は平和運動家ではないので、大崎でお会いするまで存じ上げませんでしたが。)右の方は野村琉古典音楽保存会の師範、仲宗根善久先生です。(只今秘かにミステリー進行中?)

上座で思い出しました。おきなわおーでぃおぶっくのカクテル・パーティーのページで、書こう書こうと思っていながら、一年以上もほったらかしになっていたことがありました。それを急遽書いてアップしました。
 ⇒大城立裕「カクテル・パーティー」の“後来坐上”の場面について

しかし、本当の長老は……
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(以下暫定虫食い状態です。後日更新します。)

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本日、大槻紀子さんは欠席でしたが……
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今日は沖縄芸能フェスティバル2010のリハーサルがあって、善久先生は途中でお帰りです。
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それでも予定よりかなり時間オーバー、大丈夫なのかなとちょっと心配しましたが、そこはきっと沖縄タイムでクリアなのでしょう。
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tag: 大槻紀子  とみ久さん  沖縄語を話す会  鈴木修  炭屋由美子  金城驍  富士山  仲宗根善久  上原成信 

沖縄芸能フェスティバル2009

九段会館大ホールで「沖縄芸能フェスティバル2009」が開催され、関りえ子琉球舞踊研究所も出演しました。

昼の部は13時開演。「浜うりてぃ語ら」と「エイサー」を踊り、「浜うり」にはM.A.P.カルチャーのメンバーも参加しました。
みんなの着物の色が白と黄色の2種類だったので、リハーサルで前列と後列を色で分けることにしました。そのため、まだ慣れてないメンバーが前列に入ることになってしまい、その緊張と、地謡に慣れていないせいもあって、ちょっと踊りが乱れてしまいました。一応順番どおりには踊ってはいたのですが、上手と下手で音のとり方が違ってしまったのです。真ん中の人は大変。ちょっと残念でした。
でも踊りの後半は、なんとか盛り返して、最後のポーズでは拍手を頂きました。とても暖かいお客様に感謝いっぱいでした。

昼の部が終って、國吉さんが見に来てくださっていたので、今回の私たちの踊りの地謡をお願いした仲宗根善久先生の楽屋へ、二人でご挨拶に伺いました。何故國吉さんと御一緒したのかは内緒、いまのところミステリーです。
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左の方が、野村琉古典音楽保存会の師範、仲宗根善久先生でいらっしゃいます。
写真を撮ってくださったのは、やっぱり今日の昼の部を見にきてくださった五味さんです。いつもいつも撮影をお願いしているので、五味さんが写ることはあんまりありません。いつもありがとうございます。

夜の部は、昼とは出し物が違います。「エイサー」は同じですが、もう一つは「繁昌節」を踊りました。みんな稽古の時よりも良かった。客席からも手拍子があがって、それに乗って踊れたみたい。

終演後の九段会館ホール玄関口。
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帰りに、昼の部で踊った「浜うり」を来年もう一回踊りたいという意見がありました。このまま終わらせては悔しいというのです。そういう気持ちが大切。是非やりましょう!リベンジです。

今日の舞台を見てくださったお客様へ。もしこの記事をお読みくださった方がいらっしゃいましたら、是非率直な感想をコメントでお寄せください。それを糧に、来年も頑張ります!
(宇夫方路でした)




宮城文子さんは、いよいよ今月の16日、沖縄へ引きあげます。今日がみんなと踊る最後の舞台、「繁昌節」で花を飾ることができました。良かった。
(うぶかた)


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沖縄タイムス系、琉球新報系、また野村流系、安冨祖流系、それが一同に会しての公演でした。流派が違うと地謡も若干違う、それが踊りが乱れた原因? いえいえあくまで未熟の所為です。

(2009年10月11日、沖縄タイムスの特集記事「至宝の舞 次世代へ」より)
1954年。沖縄タイムスが主催する「第1回新人芸能祭ベストテン」(後の琉球古典芸能コンクールの前身)が開催されます。この時ベストテンに選ばれたのが真境名由苗と由乃の姉妹、喜納幸子、根路銘房子、嘉手苅静子、屋嘉澄子、比嘉ヨシ、仲里澄子、饒波ゆう子、亀川美年子の10人。
それが1965年に中断されるのですが、その理由は、一部の関係者が出演料を要求したことにあったらしい。それから2年後の67年に、第1回の芸能コンクールとして再開されるのですが、その間に琉球新報ホールが完成し、琉球新報主催の芸能コンクール祭が66年に開かれ、その時一部の芸能家がそちらへ移動して、以来「タイムス系」「新報系」の二大派閥ができたといいます。
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ちなみに、高山正樹の義理の妹は、どちらの派閥にも属さないところで琉球舞踊を習っていたといいます。今でも、その頃から続いている孤高の教室というのもあるのでしょうか。
(高山正樹)

tag: 宇夫方路踊る  琉球新報ホール  琉球舞踊  沖縄芸能コンクール  五味正伸  國吉眞正  仲宗根善久  MAP琉球舞踊教室