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“仲嶺舞踊小道具店”再訪

兎にも角にも、開いていることを電話で確認をして、まず仲嶺舞踊小道具店へ伺いました。ジーファーを作っているというまだ見ぬ職人さんを紹介していただくために。

今日は、お店で娘さんが帳簿を付けていらっしゃいました。奥さまも店に出ていらっしゃいました。

ジーファー作りの職人さんを紹介していただく前に、どうしても気になっていたこと、前回購入したアルミのジーファーとカミサシは、本当に叩いて作っているのかを、再度聞いてみました。

 奥さん:流し込みでしょ
 ご主人の仲嶺眞永さん:いや、叩いているさ
 僕:どんな方が作っているのですか
 眞永さん:中国とかベトナムとかで作らせている
 僕:え……


なるほど、中国やベトナムなら、叩き出しでも3,000円で出来るのかもしれない。でも、これで又吉健次郎さんとは違う系列の金細工師への糸が、ひとつプッツリ途切れました。

 眞永さん:でも品質が悪くて、10本に2,3本は不良品ですね

中に空気が入っていると、そこから折れてしまうのだそうです。

 僕:だからちゃんと叩いて空気を抜かなければいけないということなんですね

合金で作られたメッキのジーファーについても聞いてみた。

 眞永さん:ありますよ、銀の本メッキで本物とまったく変わらない。上等ですよ。
 僕:でも、メッキだから、曲がっても叩いて直すことはできないということですね
 眞永さん:そうですね、メッキが剥れてしまうからね
 僕:それが欲しいんですが、お幾らですか
 眞永さん:いくらだったかな
 娘さん:6,000円です


そして探してくださったのですが、在庫はもうありませんでした。

 僕:これを作っている方は?
 眞永さん:もう、いない


つまり、この方が那覇の又吉さんだったのです。その那覇(開南)の又吉さんがいなくなって、「クガニゼーク」は健次郎さんだけになってしまった。
奥さんのお話では、那覇(開南)の又吉さんの仕事場を訪れたことがあって、その際、ジーファーの材料となる棒を、機械で回転させながら作っていたという。それは、僕の知っている健次郎さんの仕事っぷリとは全く違うものです。つまり、叩いて作るといっても、健次郎さんのように小さな四角い塊から叩き出していくとは限らないということがわかりました。
津波三味線店で、4,500円で売っていた合金メッキのジーファーは、この仲嶺舞踊小道具店で扱っていた那覇の又吉さんのものとも異なって、ベトナムあたりで作らせたものではないかと思われたのです。
(この件については、いずれ津波三味線店に伺って聞いてみようと思っています。)

 僕:ということは、もう手に入らないということですか?
 眞永さん:いや、入りますよ


よくよく聞いてみると、注文すると持ってきてくれる人がいるのだというのです。但し、その入手先はよく分からない。持っている人を探して買ってくるのか、どこかで作らせているのか。奥さまによると、それは教えてくださらないらしい。いずれにしても、入手が困難になっているのは確かで、眞永さんはジーファーを作る技術を持っている方になんとか頼めないかと模索されているらしい。

 眞永さん:ちょっと待ってくださいね

そして見せてくださったのがこれです。
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(※ご紹介が遅れましたが奥様のみどりさんです。なんと去年の12月にエコルマホールで宇夫方路が一緒に踊った佐藤美智子さんの親戚です。)
長くて軽いアルミの棒。
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そうか、こういう棒から叩き出すのか。ここから先の作業専用金槌でも作れば、比較的簡単に仕上げることができるかもしれない。
でも、それは、健次郎さんが自ら名乗り、そして僕が探していた「カンゼーク」の姿ではありませんでした。もしこれが現代のカンゼークなら、健次郎さんはやっぱり「クガニゼーク」と名乗るべきだと思ったのでした。

ともかく、残された道は、紹介していただけるというまだ見ぬ金細工師にお会いすること。自前の地図を見せて、その場所を教えていただきました。

 眞永さん:有名だから、このあたりで聞けばみんな知っていると思いますよ

お礼を言い、再訪のお約束をして、僕たちはお店を後にしたのです。

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tag: 沖縄の旅_2009年12月  「クガニゼーク」のこと  仲嶺眞永  琉球舞踊 

仲嶺舞踊小道具店のジーファー

きのう閉まっていたお店へ、諦めきれずに再訪しました。
それは仲嶺舞踊小道具店。
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踊りで使うジーファーは、ここで売っているものがいいという噂を聞いたのです。ジーファーを作っている「クガニゼーク」は、もう又吉健次郎さんしかいない。ならば、ここで売られている踊り用のジーファーを作っているのは、いったい誰なのだろう。もしかすると、「カンゼーク」の謎を解く手掛かりがあるかもしれない……

しかし、残念ながら今日も人の気配はありません。仕方が無い、あきらめて帰ろうとしたその時でした。
向かいのお店のお兄さんが、近くで遊んでいた子どもに声を掛けた。
「お客さんが来ているよ」
すると、その子どもがこちらに向かって
「ちょっと待ってください。今おじいちゃんを呼んできます」
そう言って、お隣のお家に消えたのです。
「ありがとうございました。」と、向かいのお店にお礼を言って待つこと数分。
「お待たせしました」と、お店を開けてくださったのがこの方です。
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どことなく垢抜けして、キリリとしたお顔立ち。後で名刺を頂いて分かったことなのですが、劇団眞永座の座長、仲嶺眞永さんでいらっしゃいました。納得であります。
昭和10年のお生まれ。昭和28年に沖縄芝居の役者になったが、昭和46年、生活のために小道具製作に専念することにした。でも、やはり舞台への想いが強く、2年前、眞永座を旗揚げた。その舞台には、八木政男さんも、北村三郎さんも出演された。

「カンゼークについてお伺いしたいのですが」
「カンゼークというのは鋳掛屋ですよ。壊れた鍋やヤカンを直す職人です。ナービナクークーサビラー、鍋の修理をいたしましょうと掛け声をかけながら旅をした。数年前までこのあたりにも来ていましたよ」
数年前というのは、果たしていつごろなのだろう……
「鍛冶屋の仲間ですよ」
「カンジャーヤーとはどう違うのですか?」
「カンジャーヤーは仕事場を持っていて、もっと大きなものも作ったが、カンゼークは小さな道具箱を持って小さなものを直す仕事。カンジャーヤーより下に見られていた。」

これが、僕の探していた答えなのでしょうか。よくわからない。だが、まだ繋がらないものがある。辻の遊女が踊っていた踊り。その頭に挿していたジーファー。それはいったい誰が作っていたのか。そのジーファーは又吉健次郎さんが受け継ぐ「クガニゼーク」の作るジーファーと何がどう違うのだろう。
仮に、雑踊の「金細工(カンゼーク)」のように、遊女のジーファーを直していたのが「カンゼーク」であったとしたら、僕が持ち込んだジーファーを直してくださる健次郎さんは、それこそ「カンゼーク」の仕事をしているということなのではないか……。

お店で売っているジーファーを見せていただきました。
ジーファーとカミサシ(男性用のかんざし)、どちらも3,000円とのこと。カミサシの方は他に耳かきのような押差(オシザシ)がついて2本セットです。
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軽い。
「アルミです。」
「流し込み(鋳型)ですか」
「いえ、叩いて作っていますよ」
「そうなんですか」
僕には、道具を見る目はありません。でも、どうしても眞永さんの言葉を信じることができない。眞永さんは、何か勘違いをされているのではないだろうか。いくらアルミとはいえ、叩いて3,000円はあり得ない。
(※ちなみに「津波三味線店」という那覇のお店では、踊り用の合金メッキのジーファーが4,500円で売っています。また、健次郎さんのおっしゃっていた那覇の又吉さんが、アルミのジーファーも、ちゃんと叩いて作っていたという話を聞いたことがあるのですが、まさか3,000円ということはなかったと思うのです。)
  ⇒那覇の又吉さんについて書いてある記事
「又吉健次郎さんがジーファーを作っていますよね」
「ああ、コンクールとかに出るようなときは、いいものを挿すでしょうが、普段はもっとね。でも、それを作る人がいなくなってしまって」
「その方は、那覇の又吉さんでは」
「いや、なくすわけにはいかないのでね。頼んで作ってもらっています。」
何だか頭の中がシクシクしてきました。「クガニゼーク」を継承する又吉さんたちではなく、僕の全く知らない別の「金細工」の世界が、どこかにあるのでしょうか。
「その人のところへご案内しましょうか」
「え、それはうれしい。ありがとうございます。」
「今日はこれから出かけなければならないので、明日か……」
「明日、東京に戻らなければならないのです。今度来た時に是非とも」

僕は、ジーファーとカミサシのセットを購入して、お店を後にしたのです。
  ⇒上原直彦氏が書いた仲嶺真永さんのこと

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