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小禄の目白

私、高山正樹は、6月20日の記事にコメントをつけ、そこでおきなわおーでぃおぶっくの“儀間進のコラムを読む”という企画に関して、次のように書きました。
「儀間さんの視点は、首里を飛び出し、大和の田舎から奄美、果てはいわゆる『先島』にまで及んでいます。この儀間さんの実に奥行きのあるコラムの下に、どうしたらたくさんの若者が集まってくれるのか、毎日毎日、切実に考えています。」

このことについて、もう少し説明したいと思います。

儀間進さんのコラム「うちなぁぐちフィーリング」および「語てぃ遊ばなシマクトゥバ」で扱っているのは、沖縄で標準語的な役割を果たしている首里の言葉が中心です。儀間さん自身が首里の御出身ですから、そうなるのは当然でしょう。でも首里の言葉をメインの食材にして出来上がった料理は、冷静に首里を見つめ、さらには首里以外の地域にも気を配り、結果、重層的な奥深い味付けになっています。
単なる地域の比較にとどまらず、沖縄全体を地理的・歴史的に俯瞰する視点によって、儀間さんのコラムは優れた沖縄社会学としても読み応えのあるものになっているということを、お伝えしたかったのです。

儀間さんは、「首里だらぁ」という言葉について、あるコラムの中で次のように書いています。

「(この言葉は)首里ン人(スインチュ)が口にするものではない。ためしに『沖縄語辞典』を調べてみたがなかった。士族たちが、働きもせずに、だらりと日を暮らしているからともいわれ、首里ことばが悠長で、ゆったりしていることから、ともいわれるが、いずれにしても、悪口であることにかわりはない。色が生白くて、生活能力のない街育ちの首里ン人への侮蔑である。」

続けて「ンムニー カディン 首里ン人」の説明が始まるのですが、これ以上はネタバレ、もうじきデータ配信されますので、携帯電話からでもダウンロードしてお聞きください。

また、先日の沖縄語を話す会で、こんな話を聞きました。那覇空港の東に小禄という地域がありますが、その小禄の言葉は汚いと、那覇や首里から差別されているというはなし。小禄では犬の鳴き方も違うらしい。
船津好明さんによると、あの伊波普猷でさえ 「小禄の目白」という文章で、小禄の言葉の汚さに言及しているというのです。
僕はそれがどうしても読みたくて、宇夫方女史におきなわ堂へ寄った時に探してくれるように頼んだのです。そして7月22日に届いた本がこれです。

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伊波普猷全集第十巻。
「小禄の目白」は次のように始まります。

「子供の時分、大人たちにつれられて、目白を捕りに能く大嶺辺に出かけたものだが、その為に小禄に行つたことはつひ一度もなかった。といふのは、小禄の方言は語調が悪いので、目白も自然その影響を受けて、音がだみてゐる、といふ理由からであった。」

たとえ本当に小禄の語調が悪かったとしても、まさかそれがメジロの鳴き声に影響するとは思えません。

そういえばもう40年も前のことでしょうか、僕の母方の田舎は千葉の佐倉あたりなのですが、鳥モチやカスミ網を仕掛けて、小さな野鳥を捕獲し(もう時効ということでお許しを)、その泣き声を楽しんでいました。若い鶯には、その鳥籠に黒い布切れをかぶせ、それを優秀な鳥の籠の傍に置いて鳴き声を憶えさせていたのを、子供心に不思議な思いで眺めていた記憶があります。

佐倉あたりの言葉は、とても汚ないという評判でした。しかしそれが鶯の鳴き声を乱したという話など、もちろん聞いたことはありません。
そんなことよりも、佐倉の言葉は汚いというような会話は、田舎の人たちとよく笑いながらしていたし、それでもって誰かを傷つけたというようなことは全くなかったように思うのです。(本当は違うのでしょうか。)
それが沖縄の小禄ということになると、どうしてこれほど気にかかるのでしょう。

ともかく、伊波普猷の「小禄の目白」が書かれたのは昭和14年という昔のこと、今はもうそんな差別はないと思いたいものです。

でも、沖縄語を話す会で、少しナイーブな話を聞きました。
現在の首里と小禄はどちらも行政的には那覇市ですが、東京にある那覇の人たちの集まりには、久しく首里や小禄の出身者は参加していませんでした。しかし同じ那覇市だからと、首里や小禄の人たちに参加を薦めたときのはなしです。
「小禄」は、やっと「那覇」の仲間入りができると喜んだ、しかし「首里」はいい顔をしなかった、そして今でも首里の人たちは「すいの会」で活動しているとのこと。

ちなみに「すいの会」の「すい」は純粋の「粋」の字を充てているのだそうです。

首里(スイ)や揃(ス)リィ揃(ジュ)リィ 那覇(ナーファ)なあはいばい
首里ン人はいつも揃って連れだち、那覇ン人は離ればなれ…

tag: 伊波普猷  儀間進  うちなーぐち  うちなぁぐちフィーリング  首里 

「三母音」について(沖縄語の勉強会)うちなーぐち講座《1》

昨夜は鳥の研究。本日はガラっと変わってウチナーグチの研究です。

ウチナーグチの母音について、[e]が[i]に、[o]は[u]に変わるので、だから[a]、[i]、[u]の三つしかないのだというような言われ方を、よく耳にすることがあります。これって、ちょっと昔、かの伊波普猷先生が、何かの書物で書いてしまって、それが定説っぽく伝わったので、そう思い込んでいる人たちが多いということらしいのです。

ちなみに、[e]が[i]に、[o]が[u]に変わることを高舌化(高母音化)といいます。[a]と[i]と[u]は、極めて区別しやすい安定した母音なので、この三つしか母音を持たない言語は、アラビア語やブライ語など、世界中にいくらでもあります。

しかし実際は、沖縄語の母音は三つだけではありません。確かに、短母音での[e]と[o]は極めて少ないのですが、皆無ではありません。例えば「蝶」のことをハベル(haberu)というように、[e]や[o]の短母音も存在するのです。
また、連母音[ai]は長母音[e:]に、同様に[au]が[o:]に変わるというのも、ウチナーグチの特徴で、つまり[e]と[o]も、長母音でならいくらでも存在するということですね。

この[ai]→[e:]、[au]→[o:]という変化は言語学的には普遍的な現象で、この変化によって3母音体系から5母音体系に移行した言語も多いのです。サンスクリット語などもそれです。逆に5母音から3母音へ単純化された言語もあり、ウチナーグチもそのひとつだということになっていますが、ということは、ウチナーグチはその後、再び[e]と[o]を、[e:][o:]という形で組み込んだということなのでしょうか。

もともと日本語の母音は8音だったとか6音だったとか、いろいろな説があるのですが、ともかくそれよりもずっと前の紀元300年くらいに沖縄と大和のことばは分化されたというのが、今のところ一番有力な説ではあるらしいのです。しかし、もともと大和の言葉の基本母音は3音であって、だからウチナーグチは、こうした音韻に関しても古い大和言葉を残しているのかもしれないというような試論もないわけではありません。だとすると、大きく変化したのは大和の言葉のほうだということになりますね。でも、この説はちょっと無理があるかな。

それはそれとして、ウチナーグチに見られる変化と同様の現象は、大和の言葉にもあります。
ちゃきちゃきの江戸弁では、大根を「でーこん」、大概にしろは「テーゲーにしやがれ」といいます。どうです、これ、ウチナーグチで起こった変化と全く同じです。といってもこの音の変化は、やっぱり世界中にある現象なので、特にウチナーグチと大和の言葉を、ことさら関連付ける類の話ではありません。

ほかにも東北弁と比較するのもとてもおもしろいのですが、今日のところはこの辺で。

さて、今、僕に興味があるのは、こうした変化が何故起こるのかということなのです。もちろん政治や経済の「力」が大きく影響してきたということも否定できません。時にその「力」が、理不尽な「暴力」であったこともあるわけで、それは決して許されることではありません。しかし、長い歴史における言葉の変化を知れば知るほど、行きつ戻りつ、大きなうねりを伴いながらも、人智の及ばない根源的な何ものかへ向かって変わっていこうとする「言葉の不思議」も見えてくるのです。そうしたとき、言葉の平板化も、鼻濁音の衰退も、「ら抜きことば」も、言葉の乱れとは全く別の顔を見せ始めるのです。

[e]が[i]に、[o]が[u]に変わる高舌化は、口や舌の動きが小さくなるので、一種の省エネですね。そのようして労力を減らしておきながら、空いた[e]と[o]の席に、まったく別の出自をもつ連母音を長母音化して座らせたウチナーグチ。これ、勉強を始めたばかりの僕には、なんとも不思議なことなのです。
1から24までの正方形の駒を、1個の隙間を利用して順番に並び替えていく、あの懐かしいパズルを思い浮かべます。
今のコンピューターには、ハードディスクの中のデータを整理してくれる「デフラグ」という機能があります。あれ、結構時間が掛かりますよね。なんだか言葉も、それに似た作業を、気の遠くなるような年月をかけて行っているのではないのか、そう思えてきたのです。

生きたウチナーグチを残す、そうしたいと思って「おきなわおーでぃおぶっく」の新しい企画を始めたわけですが、しかしほんとうの意味での生きたウチナーグチとはどういうものなのだろう、甘受すべき変化も、見極めなければならないのではないか、なんだか迷宮の入口に立っているような、そんな不安に僕は包まれています……

というようなことを考えながら、「沖縄語を話す会」の勉強会へお伺いしたのでした。
上級者と初心者に別れての勉強。僕は初心者のテーブルに席を頂き、見学させていただきました。
本日のテーマは「無(ね)ーらん」の二つの使い方について。
「飲んでない」をこの表現を使っていうと「ぬでーねーらん」といいます。
「飲んでしまった」は「ぬでぃねーらん」といいます。
これって、よく使われる表現なのですが、難しくないですか。飲んだのか飲まないのか、真逆の意味です。病院で薬を飲んだか飲まないか、間違えて看護士さんに伝えたら大変なことになってしまいます。

グループごとの勉強会を適当なところで切り上げて、後半はみんないっしょになって昔物語(んかしむぬがたい)を読みます。
今日の題材は「大里ぬ鬼(うふじゃとぅぬうに)」です。
このはなし、オバアから聞いたことがあるよとか、うちのほうではこういうんだとか、実に楽しく豊かなひと時です。

あっという間の2時間半、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。もっとたくさんのことをご紹介したいのですが、間違ったことをお伝えしてはいけないので、僕自身もう少し勉強してから、お話ししたいと思っています。

【復習】
この勉強会で習っているのは、基本的には首里の言葉ということで、帰ってからちょっと調べてみたのですが、沖縄本島の中部、今帰仁(なきじん)地方では、なんと「飲んでない」も「飲んでしまった」も、どちらも
「ぬでぃねん」
というのだそうです。では、どのように区別するのでしょうか…
それは「飲んでない」の方を
「ぬでぃ ねん↑」
と微妙な間を入れて上昇調で言うことによって区別するのだそうです。
うーん、ウチナーグチのCD、やはりハードルはかなり高そうですねえ。

訳あって、もう「さき、ぬまん」

tag: 【総合講座】  【音韻講座】  伊波普猷  首里  沖縄語を話す会  高舌化  三母音  うちなぁぐちフィーリング 

外間守善氏のこと

外間守善という方は、柳田国男とともに沖縄研究の祖師と仰がれるような存在です。伊波普猷の提唱した「沖縄学」、その志を引き継いだ人物で、沖縄を少しでもきちんと勉強しようとした人ならば、その名前を知らないということはない、そのような人です。
高山正樹の書斎にも何冊も外間さんの著作がありますが、なかでも「うりずんの島」という本は、高山のお気に入りです。
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27日のこと。《その日の記事を読む》
沖縄タイムスのロビーにて。儀間進さんのお話。
「外間守善は戦争のことは全く話さなかったですよ。同級生の大田昌秀はよくしゃべるけどねえ。外間守善は、ちょっとでも戦争の話になると、体が震えだしてねえ。それが最近になって語り出したようだ。沖縄タイムスに自分の回想を連載していて、その中で、戦争のことも書いていたのではなかったかなあ」

「じゃあ、タイムス社からもう出版されているんじゃないですかねえ」
高山はそういって、受付の又吉さんのところへ向かいました。
「あのね、外間守善さんて、知ってる?」

又吉さんは、社員名簿を開くという失態を、またもやらかしちゃったのです。
「あーあ」
「あ、またやっちゃいましたか」
「やっちゃいました」…
 《前に「やっちゃった」時の記事を読む》

そうして入手した本です。
「回想80年 沖縄学への道」外間守善
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高山はさっそくパラパラとめくってみました。そうしたら、そこにびっくりする記述を見つけたのです。
「あ、外間さんの妹さん、対馬丸に乗船されていらっしゃったのですね。そして、あの事件で亡くなられたのですね」
「ほー、それは知らなかった…」

沖縄にいると、とてつもない話が、すぐ身近にあるといつも感じさせられます。
人もそうです。人間国宝がカルチャーセミナーみたいな企画で教えていらっしゃったり、居酒屋に行けば民謡の大物がすぐそばで歌っていたり、映画を見に行ったら隣に有名な映画監督が座っていたり、古本屋を探していると池澤夏樹や又吉栄喜の署名本がちょこちょこ出てきたり。

考えてみれば、いつも気楽にお話させていただいていますが、儀間先生だって、大変なお方、今でこそ沖縄のメディアではたくさんのウチナーグチの話題で賑わっていますが、儀間先生はそのパイオニア的存在なのですから。

実は、この日の儀間さんのお話ですが、この外間守善氏の話の前後に、もっとずっと長い物語がくっついているのです。でもそれは、ここでは手に負えません。いずれ高山が、「社長とは〜」に書くと申しておりますので、ややこしい続きは、そちらの方で。
そして…

またタグが足りなくなりました。続きは次の記事にて。

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tag: うちなーぐち  沖縄タイムス  外間守善  儀間進  対馬丸  又吉千夏  裏へ  伊波普猷