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ドキュメントとフィクション(アート)の狭間

たぶん良き(←これが肝心)スポーツは、ドキュメントよりもはるかにアートたるフィクションに近い。
大谷翔平君がMVPに選ばれた。

gajumui

「国民として誇らしく思う」って、国民としてじゃないとどうなのさ。「個人として」とか「私として」とか。やっぱり政治はとことん性に合わない。
11-19 10:37





1968年、昭和43年の今日、未明に嘉手納基地でB52爆撃機が離陸に失敗し、知花弾薬庫近くに墜落した。
11月19日嘉手納基地でB52大爆発事故が起きた日なのである。
搭載していた爆弾に引火して爆発炎上、近隣住民16名が負傷、小学校を含めた400棟近い建物に被害が出る。

B52は主にベトナム戦争で運用された戦略爆撃機。1965年から沖縄に飛来するようになった。米国が本格的にベトナム戦争へ介入し始めた年である。B52は嘉手納で補給し、そしてベトナムへ出撃した。1968年からは、嘉手納はB52の常駐基地となる。沖縄から戦地へ向かうB52を見て、沖縄の人々は、再び戦争に巻き込まれるのではないかという不安を抱くようになる。

そしてその年の11月19日、この事故が発生する。
アークライト作戦に参加するため、ベトナムへ向けて、B52は爆弾を満載した状態で嘉手納飛行場からの離陸を開始。ところが何か不具合があったのか、途中で離陸を中断、滑走路の延長上で爆発、炎上する。あと250m先だったら、そこには知花弾薬庫があった。燃料と爆弾による爆発は、深さ9.1m、幅18mのクレーターを作り、爆風は4km四方にまで及んだ。なんと37km離れた那覇の空軍基地にあった薬局の窓が割れた。100mを超す高さまで真っ赤なキノコ雲が上り、原子爆弾が爆発したのではないかと多くの住民が避難を始める事態に、米空軍は、事故機には通常爆弾しか搭載されていなかったという発表をしなければならなかった。事故機に乗っていた搭乗員は火傷のため死亡、2人の沖縄人従業員が爆発で負傷した。

もし弾薬貯蔵庫に落ちていたらどうなっていたか、住民に与えた不安は非常に大きなものだった。

知花弾薬庫地区には通常の弾薬や高性能爆発物など数万発の他、数多くの核兵器弾頭が保管されていた。また、化学兵器貯蔵庫もあり、おそらく生物兵器も置かれていた。核兵器が保管されているのではないかという疑いもあった。この事故は、沖縄基地が存在することの潜在的な危険を顕わにした。そして沖縄返還運動がさらに盛り上がる大きな要因となったのである。

嘉手納村議会は、事故が起きたその日、即日抗議決議を全会一致で採択、米国大統領、日本の内閣総理大臣、琉球政府行政主席などに対して軍事基地の即時撤去を強く要求した。
※米軍は二度とこのような事故がないよう万全を期すと声明を出しながら、それから一か月も経たない12月2日、再びB52による事故が起きることになる。



それから53年、TVのワイドショーは、どこも似たり寄ったり、大谷翔平MVPと、そしてこの日の夕方から宵にかけて見られるかもしれない部分月食の話をしている。皆既月食ではないが、大部分が地球の影の中に入り込む「とても深い部分日食」なので、赤黒い月が見えるかもしれないと。

遠い沖縄でもこの月が見えるのだろうか、そんなことを考えながら表に出てみたのだが、厚ぼったい雲で月が探せない。事務所に戻り、少し時間をおいたら少し雲が薄くなったようだ。でも、どうやら月食も終わりに近い。


明後日の上映前に戦果アギヤーと沖縄ヤクザの話をする。ドキュメントではない世界を語りたい。そう考えてあらためて付箋を貼りつつ『宝島』読み始めたのだが…
宝島

B52が墜落したこの日に、ちょうどこの箇所を読んでいるという偶然。これも月の力なのかと考えてみたり。
墜落
夜のコマラジの番組に、その明後日の宣伝をしに行くことにした。

コマラジでもっともいい加減な番組"コマラジ井戸端会議"である。ハナからB52の墜落のことも戦果アギヤーの話もするつもりはなかったが、上映会の宣伝をまともにするのもなんだか気が進まなくなって、そうだ、そういえば先日の火曜日、まんちゃーひんちゃーの後、笠原ちゃこ君を誘って飲みに行ったその時に話した話をするくらいで始末をつけよう、そうだそうしようと、そこで彼女同伴で番組に乱入することにしたのである。ドキュメンタリーと劇映画の話。映画大学初代学長佐藤忠男さんのいくつかのエピソードを交えて。だって巨匠(?)笠原監督は、映画大学の前身、映画学校の卒業生だからね。

学長

イタズラ

これは10年前、佐藤忠男さんがウチの映画祭のゲストに来てくださった日に、ちょっと悪戯して撮影した画像。
 ⇒その日の記事「映画祭七日目の夜の宴会」(2014/6/1)
  ※もっとも重要なこの日の佐藤忠男さんのトークについては、なんと後日追記するので少々お待ちを。

その他、放送で話したエピソードは…
 ⇒「佐藤忠男氏神奈川文化賞受賞祝賀会」(2011/1/31)
 ⇒「ちんどん屋さんの深い話」(2014/5/27)

おかちゃん登場からの篠ちゃん、…からの立ち飲み屋。

Facebookで繋がるのかLINE交換か、いったい何がおかしいのか、そんなに笑わなくてもいいだろう、たとえどれほど主義主張が違うとしてもさ、だから、あくまでも例えばの話。
交換

物事を国家基準で考えさせようとする空気、それに影響された単純さに出会うと、こちらもつい分かり易い反駁ひとつだけして済ませてしまう。そんなシンプルな話ではないのにと、自分の手抜きを反省するのだが、しかし複雑な対話に持ち込む精力と忍耐力が、今の僕にあるのだろうかと考え、そして萎える。だったら何も語らず、黙って繋がっているだけの方が確かにずっといいに違いない…

tag: 沖縄この日何の日  大熊啓  篠浩司  佐藤忠男  笠原ちゃこ  嘉手納基地  狛江_居酒屋.ミートステーション 

映画祭七日目の夜の宴会

この日、しんゆり映画祭からシネマうま隊がやって来た。


ブログはこちら…
 ⇒「喜多見と狛江の小さな映画祭+α」に行ってきたウマ

とりあえずこちらでも画像2枚くらいはアップしておこう。

左はしんゆり映画祭の古株、最近高山正樹と仲良しの高徳さん。右は映画プロデューサーの安岡卓治さん。そして右上で語っているのは…
高徳さんと安岡さん

映画大学学長の佐藤忠男先生であります。
佐藤忠男先生と

tag: 佐藤忠男 

佐藤忠男氏神奈川文化賞受賞祝賀会

こんなご案内を頂きました。
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場違いだとは思いつつ、ちょっとお邪魔してみることにしたのです。会社なんかを始める前は、こういう会に出席するなんて考えられないことでしたが。

会場は新百合ヶ丘にある21ホール。
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“佐藤忠男先生神奈川文化賞受賞祝賀会”
佐藤さんは日本映画学校の校長先生です。そういえば今度の市民劇で稲毛三郎を演じる石山海君も日本映画学校の出身ですね。

まずは佐藤先生の記念講演です。演題は「私の映画人生」。予定を大幅に20分もオーバー、お話しは大変面白かった。

そのあと立食パーティー。
乾杯のお話しが少し長めだったので、ビールの泡が消えちゃいました。
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食べ物が出てくるとつい撮影したくなる悪い癖。
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“アルテリッカしんゆり”副実行委員長の北條秀衛さんが発起人のおひとりで、会場にいらしたので御挨拶をさせて頂きました。

昭和音大の皆さんによるミニコンサート。
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右端の演台のところにいらっしゃるのが、今度のしんゆり芸術祭に山猫合奏団が参加するにあたり、お世話になった熊谷仁士先生です。昨年の公演も観てくださったのに、その時はご挨拶もせず大変失礼いたしました。今日はしっかりと最敬礼。
熊谷先生は「白石君はよく……」と言って何故かニヤッと。どういう意味?どうでもいい。

ところで、日本映画学校が今年の4月から大学になります。
祝賀会の最後、再度登壇された佐藤先生が語ったエピソード(で、また長くなった)。故今村昌平氏曰く「高校中退のやつが面白い。日本映画学校にはそんな連中を入れよう」。でも、大学になったらそうはいかないというハナシ。ユーモアでカモフラージュされたペーソスとお上への皮肉。しかし……
「普通の大学にするつもりはありません」
その力強い宣言に、会場から大きな拍手が起こったのでありました。

新百合ヶ丘のアートセンターでは、佐藤忠男先生が選りすぐった世界各国の映画が観られるのです。
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これを機会に、小さな国の映画を観始めようかな。アメリカではない国々の文化が、きっとたくさんのことを教えてくれるに違いない。そんなふうに思った夜なのでした。

tag: 川崎  事務所の光景  佐藤忠男