2013年07月01日(月)15時40分
後夜祭を残して(7/1のツイートまとめ)
datechibu
喜多見と狛江のちいさな映画祭会場、とても映画祭の会場には見えないローカルっぷり、とふぐしまの田舎もんに思わせるロケーション、素晴らしい。 http://t.co/mdf6Px7VN9
06-30 13:12 なんとなく嬉しい朝。KitamiFilmfes
喜多見と狛江の小さな映画祭、「夜じゃないけど後夜祭」を残して、全てのプログラムが終了しました。期間中、延べ400名をはるかに超えるお客様においでいただきました。そんな観客の皆様に、またなんらかのご尽力を頂いた全ての方々に、心からの謝辞を申し上げます。本当にありがとうございました。
07-01 08:15関係者、出演者、ゲストなどを含めれば来場者述べ500名位。大きなホールに比べては半日分ではありますが、なんのその!あのニーチェの馬を観た直後、全てのカットを覚えていたように、今はお越しいただいた方々全てのお顔を思い起こすことができます。一人ひとりに向けて、ありがとうございました。
07-01 08:20gajumui
仮に小さな映画祭が、山形あたりのそれみたいにでっかくなったとしても(でかくするつもりもないし、でかくなるわけもないのだが)、僕には心底笑うことはできないだろうと思う。新しいたくさんの人々と出会えたとしても、去った人々の向こうに連なる「広大な何か」。それは、説明し難い不在の感覚。
07-01 09:13ネガティブなことは語るべきではないと、多くの方々に暖かく忠告されます。一歩一歩だよと。よくやったよと。感謝いっぱいです。でもね、分ってもらえない、伝えられないといったことではないのです。いったいどう言葉にしたらよいのだろうと、昨日から考え続けているのですがママならないのです。
07-01 09:36見えぬ陰の中の存在(もしかすると存在しない何か)への想像力と共感。誰もが見向きもしなかったものにスポットを当てる。だがその瞬間から、陰の住人―「非存在」ではなくなるという矛盾。そして笑いを獲得した成り上がりものは、棄てられしモノから棄てる主体に変貌したことに気づくことはない。
07-01 09:49見捨てられしものは存在しないが如く、「非存在の代弁者」は、その名前そのものが自己矛盾であることに躓く。いったい非存在はどこにあるのか探すのだが、対象が非存在である限り見つかるはずもなく、想像妊娠のような陰の中からの眼差しに傷つきながら、ただ自らを見つめるしかない。不在の感覚。
07-01 10:32決してネガティブであるつもりはないのです。ただこの世界には間違いなくネガティブな場所が点在し、それを忘れては世界は変わらないと信じているのです。そしてそのことは、極めて具体的な事例から形而上の思索まで貫き、かつ個々バラバラに助けを求めているらしいという認識です。
07-01 11:05最後のプログラムが、混沌とした想念に名前をつけようとする営為、再びその厄介さに向かうきっかけに充分であったことを、櫻井篤史と加藤到という古き友人2人に感謝したい。不在の感覚に慄くまだ見ぬ多くの友人のために、僕はここから離れないと決めた。http://t.co/zzMoVBDiUS
07-01 11:25だが一方で、僕は一介の役者でありたいと、切実に思っているのである。
07-01 11:27RT @maYmaYuko_515: ブログを更新しました。 『ありがとうございました!』 http://t.co/8cbwJASFd0
07-01 11:28加藤到は山形国際ドキュメンタリー映画祭の副理事長らしい。30年以上前、やつはいつも俺に「お前の脳味噌を使って考える」と言った。やつの脳の貧弱さを補うために、優秀な脳を利用された俺の身にもなってみろ。(続く…
07-01 11:52…続き)そして加藤到はいつも、週刊誌のゴシップ記事のように、「自分の考え」をでっち上げるのであった。※さて、この連続悪たれツイート2発、他人さまはどう読むのでしょうかしらん。
07-01 11:57
そして後夜祭へ…
2013年06月21日(金)00時00分
櫻井篤史×加藤到 映像二人展
「まず知ることからはじめたい」
そんな言葉を冠したこの映画祭で、我々は何を知ることになったのか。しかし、そもそもドキュメンタりー映画が真実を映せるのかと、最後に問いかけてみるのもおもしろい、そう思った。
事実があって、一人の人間がカメラというモノを使ってひとつの形に固定する。その間にいったい何が起きるのか。観客は作者から提供された「事実」を眺めながら「真実」を読み取り知ろうとする、そして知ったような気になるのだが、最初の事実と「真実」は同じものではない。事実は、カメラを通り抜ける間に、どう変容してしまうのだろうか…
…というような二人展なるのかどうか、僕には分からないが、数十日前、映画祭に作品を出さないかと櫻井篤史に連絡した時にはそんな話になったはずだ。
櫻井も加藤も、かなりコアな付き合いをしていた僕の古い友人である。友人であり続けたかどうかは別にして。
ふたりとも、京都と山形、遠くに住んでいるので、なかなか細かな打ち合わせができない。特に加藤に到っては(洒落ではないが)、天下のNPO法人山形国際ドキュメンタリー映画祭の理事、きっと忙しいのだろうと慮ってはいるが、ここ数十日の僕の比ではないだろうと皮肉をひとつ飛ばしておこう。催促してもプロフィールさえ送ってこない。だからネットで調べて僕がでっち上げた。1990年以降の彼の経歴など、全く知らなかった。
今回の“喜多見と狛江の小さな映画祭+α”、作品を探す苦労は皆無であった。どのプログラムも、なにかしらの繋がりで、自然に無理なく集まった演目ばかりである。だからもしかすると、とても私的な傾向の映画祭になってしまったようにも思う。最後の二人展はその極みなのだが、そのことを、櫻井と加藤は受け入れるだろうか。この映画祭を最後に総括する「二人展」であれと、僕が期待していることに、さて、彼らは向き合ってくれるのだろうか。

「個人映画」は、その作家の想いが普遍化される事を前提にするなら、劇場でかかる、テレビに流れる、どのような商業主義的な商品としての映画・映像よりも興味横溢である!という想いを秘めて、この一見地味なジャンルに分け入り、迷い、出て来れない人間が、意外に沢山居る事を知って欲しい!
(※上映後は櫻井篤史×加藤到のトーク)
話が詰まらなければ、高山正樹が乱入するに違いない。
※6月30日は他に10時から「女たちのレジスタンス」、14時から「斉藤哲夫ライブ」がございます。是非併せてご覧ください。お得な3枚綴りチケットもあります。)
⇒喜多見と狛江の小さな小さな映画祭+α オフィシャルサイト
【櫻井篤史】
●『非同一性不可逆的反復再生』(15min./2000年)
過去のある時点に戻りたいという思いは、誰もが持っている筈だ。その分岐点から違う選択肢を辿っていれば‥‥という想像は、しかし無意味な事だろうか。今生きているこの現実が少なくとも当事者にとって真実であるとするならば、過去のある時点における別の選択肢の延長線上にある(だろう)生き方もまた真実であるに違いない。人は、同時に存在する無数の真実のひとつをたまたま生きているに過ぎないのだ。
●『Who?』(27min./2011年)
映画のカットそのものを擬人化する試み。人格を持った全てのカットが他の全てのカットと関係し、牽制し、干渉し、制御しようとして暴走し始める。そもそも映画のカットの尺はどのように決定されるのか。カット自体が編集そのものを支配しようとする時、この映画は一体誰が作っているのだろうか?
【加藤到】
●『Sparkling』(10min./1991年)
1991年の湾岸戦争は、テレビ史上初めて、実況中継による空襲の映像が世界中に配信された戦争だった。当時住んでいた東京のアパートの一室で、イラクの対空砲火の映像を見た私は、グラスに注いだスパークリングワインの気泡の様な美しさを感じてしまった。
●『ゴーランド』(10min./1981年)
シャッタースピードがテーマ。当時豊島園にあった年代物のエルドラドを露出時間を変えながら撮影した数百枚のモノクロ写真をアニメートした。露出時間は画面上にグラフィカルに表示される。
●『冬の遮眼子』(19min./2009年)
映像作家、批評家として著名な松本俊夫氏の企画構成で作られた6人の実験映画によるオムニバス作品のひとつ。「見るということ」の最初のパートとして、山形国際ドキュメンタリー映画祭2009で発表された日記映画。遮眼子とは、視力検査で使う片目を隠す用具の名称である。
【櫻井篤史+加藤到】共作
●『KAISEKI料理』(16min./2002年)
東京国立の映像作家佐々木健の経営する居酒屋『キノ・キュッヘ』が、開店10周年ということで、「食」をテーマにした新作の出品を頼まれた。この店には約10坪程度のスペースがあって、映画や芝居、ライヴ等の企画も行っている。山形の映像作家加藤到と二人で当初、映像書簡を企んだが、結局前後半に別れた「連作」となった。蟲毒(或いは蠱毒)は、中世日本でも行われたと言われている呪法である。登場する食品添加物は約1200。天然系を400程省いてもこれだけが我々の体内を通過しているのだ。我々は誰に呪い殺されようとしているのだろう。
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