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“儀間進のウチナーグチコラムを読む”が形になった!

この日、北谷のニライセンターカナイホールでは、劇団大伸座公演“丘の一本松”が上演されていたはずです。
この公演について、色々なことをたくさんお話したいのですが、それは後日ということにして、取り急ぎ御報告したいことがあるます。

ついに…
儀間進のウチナーグチコラムを読む企画が形になりました!

もし手違いがなければ、今日ニライセンターのカナイホールでは、こんなチラシがお客様に配られたはずです。
うちなぁぐちフィーリングの仮チラシ

白黒の仮チラシなので、いくつか突っ込みどころもあります、ということで詳細は後日にいたしましょう。まだ、M.A.P.での販売体制も整っていないことですし。

ともかく、M.A.P.を応援くださる方々は、M.A.P.に直接購入予約いただけますよう、何卒お願い申し上げる次第です。

お問合せ等は… 03-3489-2246(M.A.P.担当うぶかた)まで。

tag: うちなぁぐちフィーリング  北村三郎 

8/9~10のツイートまとめ

大震災から517日目……

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もう今日です! @gajumui 沖縄タイムスの儀間進氏のコラム”語てぃ遊ばなシマクトゥバ”がオーディオブックになります。その公開録音を明日16時から、那覇バラダイス通りBar土2階ギャラリーにて。料金は無料。最低1ドリンク注文を。問合せ090-1651-6312(宇夫方)
08-09 07:10

gajumui

本日、朝はももちろん伊野波節の稽古。
午後からは儀間進さんのコラムの録音でした。
北村三郎さん越しの儀間進さん

儀間進さんと
儀間先生のウチナーグチに対する深い思い… やっぱり簡単には呟けないなあ。あ、考えているうちに、日が変わっちゃった。
08-10 00:05

というわけで大震災から518日目になってた……
※儀間進氏のコラム録音については、いずれゆっくりと記事にします。

大城立裕先生に伊野波節を聞いてもらっちゃったという僕の朝の呟きに「はぁっしぇ、沖縄の大御所ばかりで…」という反応を頂いたので、調子こいてさらにこんな呟きをしてしまいました。

もう昨日になりましたが、さっきまで映画監督の篠田正浩さんと飲んでました。篠田監督の沖縄考、いずれブログにて。
08-10 00:15

篠田正浩監督と
おや、篠田監督と僕の間に貼ってある学位免状は新城亘先生のもの、そう、ここはもちろん栄町の“うりずん”です。今夜も亘先生の三線で宇夫方女史が踊り、最後はやっぱりカチャーシーでありました。
カチャーシー

北野大のポスターそして入り口脇にはこんなポスター…

北野大(「ビートたけしの実兄」ってポスターにわざわざ書いてある)の対談があるらしい。その催しに新城亘さんも出るらしい。ポスターの左下は「鳥刺し」の亘さん。その右はきっと琉球鼓楽舞の三人だな。
 ⇒山マヤー一族の“京太郎の歌”

この催しについての新城亘氏の辛口コメントについては、まあたいしておもしろい話ではないので(ということにしておこう)ご紹介は差し控えることといたしましょう。

ともかく、ここ沖縄というところは、東京あたりにいるよりもはるかに有名人と近しくなる可能性が高いところなのです。そして近しくなれば、なーんだ、どんな有名人でも、人間みんなたいした違いなんかないんだ、ということがよーくわかる場所なのです。

那覇あたりで有名人や文化人が来るお店って、昔の新宿ゴールデン街にちょっと似てるのかもしれません。違うのは、普通の人にも敷居が低いということですかね。


追伸【この日のことを次の日に宇夫方女史が呟いた】
ubukataicon ubukatamichi

昨晩は榮町の うりずん へ行きました。いつものように新城亘しぇんしぇいの唄三線で踊りました。昨日は「浜千鳥」。お客様はフランスの方と、ベトナムの方と、そのほか観光客のお客様と、そして映画監督の篠田正浩さん御一行さまでした。篠田正浩さん、お若い!
08-10 09:29



【追伸】(2018年12月19日)
1999年「梟の城」

tag: 北村三郎  沖縄の呑食処.うりずん  新城亘  篠田正浩  うちなぁぐちフィーリング  儀間進 

8/6~7のツイートまとめ

大震災から514日目……

gajumui

儀間進“語てぃ遊ばなシマクトゥバ”のオーディオブック化企画、いよいよスタートです。午前中“伊野波節”を濱元先生に稽古してもらったあと、パラダイス通りの“土”にて儀間先生と打ち合わせ。八木政夫・北村三郎両大御所もお越しくださいます。(なんとしてもコンクールと両立させなければ…)
08-06 08:32

@sugimaru35 沖縄に来ています。実はご相談したいことがあったのですが、大変にお忙しそうなので、ご迷惑になってはいけないと控えました。でも、いつか…
08-06 08:35

@sugimaru35 僕のひとつふたつ前の呟きの件なのです。9日の2時から4時間位ライブ録音します。今後続けていくつもりです。もしお時間おありでしたら是非お遊びに。取り急ぎ。また夜にDMさせてくださいませ。
08-06 13:27


そして…
儀間進さんと北村三郎さん

大震災から515日目……

ひとねむりのつもりが、起きたら日が変わっていた。もう昨日のことなのだが、那覇パラダイス通りのBar土2階ギャラリーにて。儀間進さんと北村三郎さんとの濃密なシマクトゥバの時間。イベント告知は夜が明けたらにしよう。 http://t.co/FYyvi5qo
08-07 00:37

伊野波節を皆さんに聞いて貰った。北村三郎氏、「上等。安富祖流ですね、僕は野村だから」と。ウチナンチュの女性は「声は新人賞とは思えない、最高賞、でも言葉がちょっと違う。やっぱりヤマトの人」、喜んでいいのかどうか。「微妙に違う」、この感覚が、さっぱりわからんところなのです。
08-07 00:46

人間国宝クラスなら話は別だが、沖縄の歌三線には大和の芸能ほどに鍛えた声は不要。扱いを間違えると、むしろ鍛え上げられた声は邪魔にさえなる。でも今日の呟きはココまで。(大和の芸能を知らぬ方には異論もおありだろう。決してどちらの方が上等と申し上げているのではないことだけは御理解を。)
08-07 01:11

沖縄へ来てから、線量計は0.04μSv/hでずっと安定している。スーパーの食材の多くは県産ものか九州産。キャベツやレタスは北関東のものもあるが、放射能を気にするストレスは殆ど無い。東電という会社のことを伝えるテレビニュースは、どこか遠い国のトピックス。(俺の子供たちは、今…)
08-07 02:07

tag: うちなぁぐちフィーリング  沖縄の呑食処.Bar土  儀間進  北村三郎 

北村三郎さん(6月の沖縄3)【運玉義留(ウンタマギルー)】

今年の2月5日、金城君と待ち合わせたのと同じ場所で、今日も同じく金城君を待ちました。
2月5日と同じ場所で、空を撮影してみました。
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2月5日の空を見る
2月には無かった葉っぱがたくさん。

そしてこんな実もついていました。
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これ、何の木なんだろう。金城君、教えて。

はたして、私たちM.A.P.の「沖縄」という樹木にも、あれからいくつか実がついたのでしょうか。青く硬い実であるにしても。

車で、日航那覇グランドキャッスルへ向かいました。1973年に開業した首里の老舗のホテルです。
日航という名前は残っていますが、2007年に外資系の会社に売却され、今は別会社が運営しているようです。
今回の旅のテーマのひとつは、もしかするとホテルかな…。

一階のラウンジには、北村三郎さんがもうすでに来ていらっしゃいました。
ああ、また沖縄の「オジイ」(失礼)をお待たせてしてしまいました。申し訳ありません。沖縄全部が沖縄タイムだなんて、やっぱり間違っています。
関連記事を読む

北村三郎さんについては“おきなわおーでぃおぶっく”のオフィシャルブログに書きました。どうぞそちらをご覧くださいませ。
http://ameblo.jp/okinawaaudiobook…

ホテルの方にお願いして、記念撮影です。
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「ウンタマギルー」という映画をご存知ですか。1989年の映画、小林薫主演、監督は高嶺剛。その映画に、北村三郎さんは安里親方役で御出演されています。そればかりではなく、「方言指導」もなさっていたはずです。また「ウンタマギルー」は字幕スーパー付きの映画で、多分その翻訳も担当されていたのではないでしょうか。
この映画には、他にもたくさんの沖縄の芸能関係者が出演しています。間好子、平良トミ、玉城満、照屋林助、大宜味小太郎、藤木勇人、嘉手刈林昌。聞き覚えのある方だけでもこんなにたくさん。これからもっともっと沖縄と深く関わるようになれば、テロップで流れる方々のうち、さらにたくさんのお名前を知ることになるかもしれません。

北村三郎さん曰く、「僕も出てたけどね、あの映画はさっぱり訳がわからなかった」
シュールで好きな映画だったのですが、なんだか我々の青臭さを、たしなめられたような気もしたのでした。

Wikipediaの「ウンタマギルー」の項には、沖縄県西原町に伝わる民話「運玉義留」という記述がありますが(2009年6月時点)、1983年に沖縄タイムスから刊行された沖縄大百科事典では、船越義彰氏が、運玉義留は「沖縄芝居で有名な義賊」で、「あくまで明治以後発達した商業演劇の創作で、歴史上、運玉義留のモデルらしき人物はみあたらない」と書いています。
私たちにどちらの記述が正しいのかを判断する能力はありませんが、みんながWikipediaの記述の印象から判断して、「運玉義留」のことをインターネットに書き込むようになると、いつしか「運玉義留」は古くからの伝説であるということになってしまうのかなあと、ちょっと心配になりました。

「インターネットの情報とは」、そのことが、今回の旅の、ふたつ目のテーマかもしれません。
私たちも、こうして世界に情報を発信している限り、気をつけなければいけないのだと、あらためて襟を正しています。

私たちの記事においても、シーサーの歴史についての記述に誤りがあったことを発見し、直ちに修正をしました。
あたかも単体のシーサーが、もともとの沖縄土着の信仰であるかのような説明をしてしまったのですが、それは間違いでした。ここで謹んでお詫びを申し上げます。
修正した記事はこちら

また、修正した記事に対して、さらにここで補足の説明を掲載しておきたいと思います。
(『沖縄大百科事典』「シーサー」大城精徳氏による記述から)
「魔除けの獅子像のこと。(中略)獅子像を魔除けまたは守護神として用いる習俗は遠くオリエントにその源を発し、B.C.2世紀ごろ西域をへて中国に入り、中国―琉球の交流がさかんになった14,5世紀ごろ沖縄にもたらされたものと考えられる。(中略)明治以降瓦葺き建築がさかんになるにつれ、屋根に獅子像を据える習慣が一般に浸透していった。(中略)獅子像を据える形式には二通りあり、一つは開口・閉口の形態をもって対で据える形式で、城門や寺社の門に多く、いま一つは屋根獅子のように単躯のものである。」

今後は、十分注意をしていきたいと思っていますが、もし正確さを欠いた記述にお気づきならば、是非ともご連絡、コメントなどを頂きたいと思っています。よろしくお願いいたします。

【おまけ】
書斎で見つけた“ウンタマギルー”
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テレビ放映を録画したCDと、新里堅進さんの漫画。

旅の続きへ

tag: モモタマナ  沖縄大百科事典  金城史彦  北村三郎  沖縄の旅_2009年6月  シーサー  うちなぁぐちフィーリング  別ブログへ 

またもや宇夫方路の沖縄報告その3「島唄解説人」

新都心の住宅地、“パリのパン屋”
パリのパン屋
金城君お勧めの店。

寄宮と壷屋の間の道、島唄カフェ“いーやーぐぇゎー”
いーやーぐぇゎー
マスターの小浜司さん。その肩書きは「島唄解説人」。
1983年沖縄のお正月のTV番組“民謡紅白歌合戦”を見せて貰った。
八木政男さんが応援団長。北島角子さんや北村三郎さんのお顔も。審査委員長は今は亡き大宜見小太郎氏。
白組の勝ち。

【高山正樹の「あの…」】
 ?
【宇夫方路の「なに?」】
 ??
高山の疑問は続く…

tag: 八木政男  北島角子  北村三郎  沖縄の呑食処.パリのパン屋  小浜司  井上真喜  沖縄の呑食処.いーやーぐぇゎー  沖縄の旅_2009年3月  金城史彦 

「儀間進さんの長い雑談」の中で出た“うちなーぐち”の名手たち

ひとつ前の記事「儀間進さんの長ーい雑談」ではタグが足りない。そこで、儀間さんが名前をあげた“うちなーぐち”の名手たちのタグだけ、この記事に移すことにした。
それだけでは詰まらないので、その方々とのその後の交流を、追記していくことにした。
※2017年11月26日投稿

比嘉光龍
2009年6月14日に会う。しかし、のちにメールのやり取りをして分かったことだが、彼にとって尊敬すべき年長者は理念上の沖縄のお年寄りだけ。つまり「●●な人」であった。

親富祖恵子
2010年5月18日にまず宇夫方がお会いした。その後、2010年7月25日にゆっくりお話する機会があった。國吉さんに対する辛辣な評価なども含め、とても大切なお話を伺った。その時の写真は、残念ながらデジカメを紛失して残っていない。またお会いした時にと思っていたのだが、2012年11月10日に急逝されたという知らせが届く。もし生きてくださっていたら、たくさんのことを教えて頂くことが出来たに違いない。無念で仕方がない。

知念ウシ
その後、沖縄問題の周辺で、ウシさんの様々な話を聞く。そして2016年9月19日、ひょんなところでバッタリ会うのである。

伊狩典子
小那覇全人
玉城満

吉田妙子
2012年11月6日に共演。

八木政男
宇夫方路は、これ以前にも琉球舞踊の公演などで面識があった。2009年2月2日、あらためてお会いしてウチナーグチについてお話を伺う。

北村三郎
2009年6月12日にお会いする。そして2012年8月7日、うちなぁぐちフィーリングの録音にご協力いただくことになる。

北島角子
2012年11月6日に共演。

tag: 比嘉光龍  親富祖恵子  知念ウシ  伊狩典子  小那覇全人  玉城満  吉田妙子  八木政男  北村三郎  北島角子