喜多見駅前の放射線量【喜多見・狛江周辺の放射線量のカテゴリ作った】

《8月26日(金)》
大震災から168日目……

【この日のFBへの投稿】
(10:58)
ガイガーカウンターのInspector+。定価500ドルらしいのだが、日本だと20万。「震災利用して足元みるようなことはしません」という「善良な業者」が足元見ながら10万で売っている。
どなたか海外にお知り合いのある方、なんとか5万円以下で入手できませんでしょうか。


事務所で沖縄。安心果物。今日も元気に仕事ができる?
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午後1時30分。
小田急線、喜多見駅前の広場で、放射線量を測ってみました。
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ふーん……
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おお……
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0.11μSv/h


使用機種は“DoseRAE2”
詳細は……
 ⇒http://lince.jp/hito/keisokutai…

【追伸1】
喜多見周辺の放射線量というサブカテゴリを作りました。
 ⇒“喜多見周辺の放射線量”

【追伸2】
“測ってガイガー!”というサイトに、喜多見駅前9月11日18時の測定結果がアップされました。
 ⇒http://hakatte.jp/spot/13175
計測機種は“HORIBA PA-1000Radi”、屋外(アスファルト) 地表1mで0.10μSv/hだったようです。「駅から離れると少し低くなるので建造物由来の放射線の影響があるかもしれません」というコメントがついていました。

午後3時、ざっと雨が降ってきました。さっそく事務所内を測ってみました。
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0.06μSv/h。特に変化なし。

退社。書斎にて仕事。と、母屋から電話。
「BSテレビつけて、又吉さんが出てるさ」
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歪められた情報だらけのテレビだが、まだまだ影響力は大きいらしく、特にNHKは全国津々浦々。でもBSはどうなんだろう。
ともかく、うちで扱っている商品が売れるとしたら有難い。
島田紳助あたりがテレビで宣伝してくれたら、ドカンと売れて助かるに違いない。仮にそんな申し入れがあったとして、その条件が原発反対を一切言わないことだとしたらどうするか。
「断固断るさ」
「そんなこと、できるだろうか」
即時全原発停止。しかし、大きな岩から小さな礫まで、障害物は数限りなくあるのだろうと思うわけで。

便乗して宣伝です。
 ⇒M.A.P.販売サイトの“金細工またよし”のページ
 ⇒楽天市場“沖縄map"の“金細工またよし”のページ
他にも色々、選りすぐりの沖縄関連グッズを販売しています。よろしくお願いいたします。

【追伸】
このTV番組で注文が増えたということは、一切ありませんでした。(11月8日)

tag: 又吉健次郎  喜多見_周辺の放射線量  喜多見_MAP事務所の線量  震災・原発・放射能_あちこち測る 

観光か仕事か

《7月28日(木)》
あの大震災から139日目。
鈴木雄介氏が撮った勝連城。
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海中道路を通って伊計島へ。
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沖縄そばを食べて……
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又吉健次郎さんの工房。
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そしてピーナッツさんへ。
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それから……
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すべて後日報告。

tag: 沖縄の呑食処.ロコブルー  又吉健次郎  沖縄_縁の・・・.PEANUTS 

今日の又吉健次郎さん

《5月29日(日)-2》
時には東日本大震災から何日目かなんてことは忘れて記事を書いてみよう。

今日の又吉健次郎さん。
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しかし、なかなか忘れられない。色々なモヤモヤのない日に、あらためて書く。



tag: 又吉健次郎 

又吉健次郎さんの工房へ《もう一人の「首里のまたよし」修さんの影》

※宇夫方路2011沖縄旅日記(2)
又吉健次郎さんの工房です。
健次郎さんの結び指輪を、結婚何周年かの記念にと注文される方が時々いらっしゃるのです。その度、健次郎さんに結婚記念日に間に合うよう制作をお願いします。今日もそうして仕上がった結び指輪を受け取りにきたのです。

でも今日は健次郎さんはお留守でした。なんでも若い女性とどこかへ出掛けたとか。さて、何時に帰るか分からない。夜は夜でやっぱり若い女の子と桜坂劇場にCoccoのライブを観にいく約束があるらしい。お元気だこと。

主人不在の仕事場
仕方がないので、いつもと変わらない仕事場だけ撮影させていただいて帰ろうと立ち上がったところへ、健次郎さんがお帰りになりました。まあいいタイミング。
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実は先日の1月15日、M.A.P.after5のアクセス数が突然倍になりました。検索ワードを調べてみると、又吉健次郎さん関連の記事を目当てに来る人がその原因らしい。そこで井上真喜ちゃんに「何かあった?」と電話で聞いてみたのです。そうしたら、なんでも世界不思議発見というテレビ番組で、健次郎さんの房指輪が紹介されたのだとか。

M.A.P.では房指輪は扱っていませんが、それでも結び指輪の注文がバタバタといくつか入りました。うちのサイトでもそうなのだから、さぞ工房“またよし”は大変だったはず、こちらに入った注文の制作をお願いして大丈夫かなあと心配したのですが、いつもの通り気持ちよく請けてくださいました。

coccoの時もすごかったけれど、それにも増して今回はたくさんの問い合わせあったらしい。全国放送のテレビって、やっぱり影響力大きいんですねえ。M.A.P.にも取材来ないかなあ。

さて、高山正樹氏に頼まれたことを聞かなくっちゃ。ある小道具屋さん(実は外間小道具店)で聞いたもうひとりの金細工師のこと。
少しここまでのことを整理します。浦添美術館での展覧会の時は三人の又吉さんの作品が展示されました。又吉健次郎さん(首里の又吉)と開南で小道具店を開いていた又吉さん(那覇の又吉)と、そしてもう一人の「首里の又吉」さん(実は修さんとおっしゃいます)。那覇の又吉さんはすでにお亡くなりになりました。
 ⇒関連記事を読む
「もう修さんも作っていないはずだよ、見に行ったけど道具もなかった。小道具屋は叩いて作っているというけど、本当はもう作る人はいなくて、外国で作っているんだよ」これが健次郎さんのお答えでした。
真喜ちゃんによると、修さんはまだ作っているはず。でも、健次郎さんと修さんは同じ門中ではあるけれど、それほど親しくない。そして健次郎さんは、踊りや芝居の小道具には興味がないから、修さんのことは分からないのだと思うとのこと。
仲嶺舞踊小道具店の仲嶺眞永さんのお話しを思い出しました。
「コンクールとかに出るようなときは、いいものを挿すでしょうが、普段はもっとね。でも、それを作る人がいなくなってしまって」

民具として、本物のジーファーにこだわる健次郎さんは、それを作る技術が途絶えてしまうのはいけないと思っています。若い金細工師がいないのは食べていけないから。だったらみんなで若い職人さんを育てて、琉球舞踊の先生になったら、その人から道具を買うというシステムにすればいい。これは健次郎さんのアイデアです。
でも琉球舞踊の人たちは、家元レベルの方々でも、小道具が本物かどうかにはあまりこだわってはいません。また、たとえこだわったとしても、本物のジーファーはとっても丈夫で、母から娘に、先生から弟子にと伝えていける道具だから、新規の需要はあまりないでしょう。上等な漆器が、何百年経っても使えるために却って新しいものが売れないという事情と同じです。

一方、房指輪は手に入らなくて琉球舞踊の人たちは困っています。でもそれも、琉球新報の舞踊コンクールのルール変更で、房指輪を使わなくてはならなくなったから、それだけのことなのです。

ともかく、「もうひとりの首里の又吉」=修さんにお会いしたくなりました。もしかすると、修さんこそ「クガニゼーク」ではない小道具を作る職人「カンゼーク」なのかもしれない……

やっぱり、小道具屋さんに何度も通って、こちらの諸々の思いをお話しして、修さんに伝えてもらうしかないのかなあ、そんな風に思ったのでした。
(宇夫方路から報告を受けた高山正樹が、宇夫方路のフリをして代筆をしました。)
次の記事へ

tag: 「クガニゼーク」のこと  又吉健次郎 

「クガニゼーク」と「カンゼーク」の謎

このミステリーの終着駅はどこにあるんだろう、一日ずっと考えていました。
「クガニゼーク」と「カンゼーク」の謎。どうもただ言葉だけの問題ではない、ずっと思っていたことです。

だから、この件に関連する記事の一覧を表示したページを作ったりもしたのです。そしてそのページを久しぶりに更新しました。
 ⇒【「クガニゼーク」と「カンゼーク」に関する主な記事一覧】
きっかけは大山街道ふるさと館のそばにあった川崎市の案内板なのですが。

少し、これまでのことを整理したいと思います。

現在沖縄で残っている「金細工」の職人さんは、もう又吉健次郎さん一人だと、僕は頭からそう思っていました。
以下がそれに関する記事です。
 ⇒首里のジーファーと那覇のジーファー

ところが、ある時、まだ見ぬ「金細工」職人がいるらしいという噂が耳に入りました。僕は、期待を抱いてその影を追いかけたのですが、結局それは、又吉健次郎さんの影でした。そのことを書いた一連の記事がこれです。
 ⇒2009年12月22日の記事その1(仲嶺舞踊小道具店のジーファー)
 ⇒2009年12月22日の記事その2(まだ見ぬ金細工師の顛末)
 ⇒2009年12月22日の記事その3(顛末を健次郎さんに話す)

しかし、これらの記事を今回あらためて読み直してみて、確かに昔ながらの方法でジーファーを作っているのは、もう健次郎さんしか残っていないのかもしれないけれど、簡易的な叩き出しの方法で作っている方ならどこかにいるかもしれない。その結論はまだ出ていないということに思い当たったのです。

今年の8月、宇夫方路は沖縄のある小道具屋さんに立ち寄りました。
 ⇒8月11日の記事を読む
そのお店で聞いたある情報。それは、これまでの流れから考えれば、すぐにも御報告したいことでした。しかし、言っていいものかどうか、迷ったのです。
もう少し調べてからと考えました。しかし、忙しさにママなりませんでした。

そこで、年の瀬になって、意を決してお話ししてしまおうと決めました。

健次郎さんとは別に、ジーファーを作っている職人さんがいるということ。
そして、その方が誰にも言わないでくれとおっしゃっているということ。

もしかすると、「クガニゼーク」とは違う「カンゼーク」のことを知りそして語ることのできる方かもしれない。もう引き返すことはできません。またもや竜頭蛇尾の結果に終わるのかもしれませんが、「クガニゼーク」と「カンゼーク」の謎を解く糸口がありそうならば、あきらめず追いかけてみたいのです。

ただ、願わくば、どなたにも御迷惑がかかりませんように。

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tag: 「クガニゼーク」のこと  ジーファー  又吉健次郎  井上真喜 

溝の口と濱田庄司

川崎の市民劇「枡形城・落日の舞い」は、毎週火曜日、溝の口にある大山街道ふるさと館という施設で稽古をやっています。いや、違うな。稽古なんかやっていません。なにしろまだ配役が決まっていないんですから。ホントは前回決まるはずだったんですけどね、なんだか人が足りないらしい。

ここに来るのは今日でもう5回目だというのに、ふるさと館の隣の喫茶店の前にある案内板を、全然読んでいませんでした。
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おや、浜田庄司って、あの濱田庄司なの?

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ということは、この“YAMATO”というCOFFEEショップが、濱田庄司のお母さんの実家ってことか。

ここ川崎で生まれた濱田庄司は、京都の陶芸試験場で上薬の研究をしました。30歳からは沖縄の壷屋でも学んでいます。

もちろん、東京の大学を出て、イギリスにも渡り、益子で焼き物を作り始めるのですから、いくら川崎と京都と沖縄がこのM.A.P.after5のカテゴリにあるからと言って、それだけをことさら取り立てて不思議がることもないのだけれど、もしも濱田庄司という陶芸家がいなければ、今の又吉健次郎さんはなかったのだろうし、また健次郎さんに濱田庄司に対する尊敬の念がなければ、僕が健次郎さんの工房に通うことにもならなかったに違いないのだから、やっぱりこの看板をここで見つけて、僕はちょっとワクワクしたのです。
 ⇒濱田庄司さんと6代目の又吉誠睦さんのこと

さて、「枡形城・落日の舞い」ですが、今日も配役の発表はありませんでした。しかし、どうやらもう最後までいきそうなので、「川崎市」のサブカテゴリに「枡形城・落日の舞い」を作ることにしました。
そして、今日はこんな感じ。
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4回目。新しい方2名で累計13名。
お名前の方は、配役が決まってから追々ご紹介ということに。役がなければ役者は何者でもないのですから。何者でもないまま4週間は、ちと長い。

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tag: 丸尾聡  「クガニゼーク」のこと  金細工  川崎市民劇.「枡形城落日の舞い」  川崎市_  京都  又吉健次郎 

粟国恭子さんの講演

今回の宇夫方女史の沖縄出張は、なかなかタイトなスケジュールだったようで、又吉健次郎さんから懸案の「クガニゼーク」についての話を聞く時間的余裕は全くなかったようです。

従って、健次郎さんからの新しい情報を待ってからと考えていた井上真喜ちゃんに貸してもらったDVDですが、ここでその内容をご紹介してしまおうと思います。

このDVDには2007年の夏、浦添美術館で開催された「沖縄の金細工」という展覧会で行われた粟国恭子さんの講演が収録されています。
 ⇒粟国恭子さんの自己紹介
粟国さんについては、BOOKS“じのん”店長の天久さんも、金細工のことならたぶん一番詳しい方なのではないかとおっしゃっていました。

さて、今僕が一番知りたいことは、元来「金細工」は「くがにぜーく」といわれていたことはほぼ確からしいが、それが何故現在の沖縄の多くの人が「かんぜーく」という呼んでなんとも不思議と思わなくなってしまったのか、その背景にはどんな状況の変遷があったのかということである。
首里王朝末期から、その崩壊とともに「金細工」という職人も歴史の表から消えていったのだが、その直前にはどう呼ばれていたのか、やがて戦後大和の濱田庄司や棟方志功などによって又吉一族の「金細工」が見出されることになるだが、その時はぞれぞれどう呼ばれ、あるいはどう名乗っていたのか。

結論からいうと、このDVDは、残念ながら僕の疑問に答えてはくれませんでした。この展覧会で扱っているのは沖縄の金属加工全般で、その興味は、今残っているジーファーや房指輪というごく一部の工芸ではなく、むしろ歴史の中で失われてしまった極めて高度な細かい彫金や刀を作る技術などのに向けられているようで、近代の歴史には全く言及されませんでした。
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それでも、「くがにぜーく」と「かんぜーく」という名称について全く触れられなかったというわけではありません。そのあたりの粟国さんの解説をいくつか拾ってみましょう。

今の職人さんには「かんぜーく」でいいよという方もおられることや、今や「かんぜーく」の方が一般的だと思っている人たちが多いということを認めながら、この時の展覧会の表記を「くがにぜーく」という言葉に統一したことの理由として、1534年の冊封使・陳侃の使録に「金」のことを「孔加尼(クガニ)」と記録されていることを上げています。ただ粟国さんは、これはウチナーグチではないとおっしゃる。しかし、「孔加尼」というのは実音に当てられた文字なのではないか、ならば当時の琉球では、金を「くがに」と言っていた証拠ではないのかと思ったのですが、そのあたりは、収録された講演ではさらりと通り過ぎました。いずれにしろ、「かんぜーく」でも「くがにぜーく」でも間違いではないというご見解のようです。
僕には彼女が言葉に関してさほどの興味を持ってはいらっしゃらないのではないかという印象を受けました。「金細工」をどう呼ぼうとも、こうした研究に障壁はないということなのでしょう。でもだからといって、僕の疑問と興味が消えるものでもありません。

去年の9月、琉球王府の金属に関する奉行所について色々と調べてこのブログでもご報告しました。
 ⇒又吉健次郎の「黄金細工」とは(09/11/14)
その時も、文字は残っていても、それをどう読んでいたのかについては、やはりどうもはっきりしませんでした。
粟国さん講演でも、「金細工」の管轄が「金奉行」→「小細工奉行」→「鍛冶奉行」というふうに移っていって、結局鉄を扱う「鍛冶奉行」が金属全てを管理するようになったということを説明されていますが、「金奉行」の読み方については、「くがにぶぎょう」でいいだろうという学者の意見を紹介するだけで、それも当時どう呼んでいたか(分からないといえばそれまでなのですが)ではなく、ただ今の研究において使う言葉として適切かどうかに限った話のように聞こえました。

できれば粟国さんにお会いする機会を作って、是非とも僕の疑問について、ご教授いただきたいと思っています。

tag: 「クガニゼーク」のこと  又吉健次郎 

5月沖縄出張報告《1》【親富祖恵子さん・湖城三線店・金武酒造の酒蔵】

酔っ払いの高山正樹氏と西山監督をほったらかして、那覇への1便に乗りました。色々と問題のあるスカイマークですが、背に腹は変えられません。

《この日、お邪魔したところ・お会いした方々リスト》
湖城三線店
●又吉健次郎さんの工房 ⇒[subcate.又吉健次郎]
●森山さんご夫妻 ⇒[subcate.沖縄の石鹸]
○金武酒造(…ここは観光)
●MOSO'Sの工房 お団子さん ⇒[subcate.moso's]
●水道局の会議室 親富祖恵子先生と沖縄語を勉強するチーム琉球のみなさん
 ⇒“おきなわおーでぃおぶっく情報”のこの日の記事
●“しよん”の長池朋子さん ⇒[subcate.しよん]
手話ダンスの真栄城麻利子さん

それぞれに発表間近のミステリーがあったりなかったり。

※そして後日追記しました…

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tag: 沖縄_泡盛.龍  沖縄_あんなとここんなとこ.金武の鍾乳洞  沖縄_沖縄の人.親富祖恵子  又吉健次郎 

又吉健次郎さんに電話をしました。【Coccoと対談したんだよ】

又吉健次郎さんがCoccoと対談するという話は、もう去年の11月20日に健次郎さんから伺っていた。決まったら教えるさと言われていたけれど、どうやら対談は終わったらしいという情報が先にやってきた。まあ、予想通りといえば予想通り。こちらも忙しくて、そのままになっていたけれど、今日思い出して又吉さんに電話をしてみた。そしたら……
「ああ、出た出た」
……だって。何がどう出たのかよくわからない。まあ、このテーゲーな感じが又吉さんらしくっていいのですが。

あ、工房またよしのブログに、その時のことが書いてありました。
 ⇒金細工またよし工房日誌
しばらく中断していたブログを再開したんですね。
またまた「かんぜーく」と「くがにぜーく」の話ですが、ホームページのTOPは相変わらず「かんぜーく」のママ。でも再開第一号の記事では「金細工(くがにぜーく)」となっています。ところが次の2番目の記事では、「金細工(かんぜーく)秘話を物語りたげな風情のジーファー」なんて文章があったり、さらに興味深いのは年明け2月の記事に「琉球王朝の金細工(くがんぜーく)最後の職人」とあるのです。

この工房日誌はどなたが書いているのでしょう。今度いろいろゆっくりと伺ってみたいと思います。

沖縄タイムスのサイトにCoccoさんとの対談の動画がアップされていました。
(※いつまで見られるのか分かりませんが。)
 ⇒http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-04-17…

詩画集「幻影」の宇夫方隆士おじいもそうだったのだけれど、健次郎おじいもこの対談の中で「金細工」をやっぱり「くがにぜーく、くがにぜーく」と言っている。テロップは全部「くがにぜーく」となっているのに。又吉さんに聞けば「くがにぜーく」が正しいとおっしゃるのですが、長年の癖がしみついちゃってるようですな。
まあ、この点については、誰がいつからどんな事情で「金細工」を「かんぜーく」と呼ぶようになったのか、もう少しはっきり調べてからにしましょう。(ちょっと近頃多忙で研究が進んでいないのですが、忘れたわけではありません。)ともかく、そのうちどうでもいいみたいなことになってしまうのはいかがなものかとひとりのヤマトゥンチュは思っているのですが。沖縄の伝統や言葉の“現在”には、共通してそういうふうなところがあるのではないか。いい意味でも悪い意味でもちょっとテーゲー?

又吉健次郎さんによると、Coccoとの対談以降、今までとは違ったタイプの人たちからも問い合わせが来るようになったそうです。ああ、ますます「かんぜーく」になっちゃうねえ、きっと。

【12月に追伸】
2010年12月、健次郎さんとCoccoが対談した4月17日の新聞記事の画像を、4月17日の日付で差し込みました。

 ⇒又吉健次郎さんとCoccoの対談

なお、沖縄タイムスは、サイトで記事が見られる期間が比較的短いのでお知らせしておきますが、Coccoのおじいちゃんは沖縄芝居の名優、真喜志康忠さんであります。
そして、真喜志康忠さんは、比嘉光龍氏のウチナーグチの師匠です、と光龍さんのメールにありましたっけ。

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Coccoが愛する又吉健次郎さんの金細工は私たちの販売サイトでもお買い求めいただけます。
 ⇒M.A.P.販売サイト

tag: 沖縄_MAP販売商品.  「クガニゼーク」のこと  又吉健次郎  結び指輪 

又吉健次郎さんとCoccoの対談

井上真喜ちゃんが、沖縄タイムスの真久田さんと又吉健次郎さんを呼んで、沖縄を離れる宇夫方隆士さん夫妻の送別会を開いてくれた翌々日、沖縄タイムスに又吉健次郎さんとCoccoの対談の記事が掲載されました。

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tag: 又吉健次郎