2021年11月19日(金)23時59分
ドキュメントとフィクション(アート)の狭間
たぶん良き(←これが肝心)スポーツは、ドキュメントよりもはるかにアートたるフィクションに近い。
大谷翔平君がMVPに選ばれた。
1968年、昭和43年の今日、未明に嘉手納基地でB52爆撃機が離陸に失敗し、知花弾薬庫近くに墜落した。
11月19日は嘉手納基地でB52大爆発事故が起きた日なのである。
搭載していた爆弾に引火して爆発炎上、近隣住民16名が負傷、小学校を含めた400棟近い建物に被害が出る。
B52は主にベトナム戦争で運用された戦略爆撃機。1965年から沖縄に飛来するようになった。米国が本格的にベトナム戦争へ介入し始めた年である。B52は嘉手納で補給し、そしてベトナムへ出撃した。1968年からは、嘉手納はB52の常駐基地となる。沖縄から戦地へ向かうB52を見て、沖縄の人々は、再び戦争に巻き込まれるのではないかという不安を抱くようになる。
そしてその年の11月19日、この事故が発生する。
アークライト作戦に参加するため、ベトナムへ向けて、B52は爆弾を満載した状態で嘉手納飛行場からの離陸を開始。ところが何か不具合があったのか、途中で離陸を中断、滑走路の延長上で爆発、炎上する。あと250m先だったら、そこには知花弾薬庫があった。燃料と爆弾による爆発は、深さ9.1m、幅18mのクレーターを作り、爆風は4km四方にまで及んだ。なんと37km離れた那覇の空軍基地にあった薬局の窓が割れた。100mを超す高さまで真っ赤なキノコ雲が上り、原子爆弾が爆発したのではないかと多くの住民が避難を始める事態に、米空軍は、事故機には通常爆弾しか搭載されていなかったという発表をしなければならなかった。事故機に乗っていた搭乗員は火傷のため死亡、2人の沖縄人従業員が爆発で負傷した。
もし弾薬貯蔵庫に落ちていたらどうなっていたか、住民に与えた不安は非常に大きなものだった。
知花弾薬庫地区には通常の弾薬や高性能爆発物など数万発の他、数多くの核兵器弾頭が保管されていた。また、化学兵器貯蔵庫もあり、おそらく生物兵器も置かれていた。核兵器が保管されているのではないかという疑いもあった。この事故は、沖縄基地が存在することの潜在的な危険を顕わにした。そして沖縄返還運動がさらに盛り上がる大きな要因となったのである。
嘉手納村議会は、事故が起きたその日、即日抗議決議を全会一致で採択、米国大統領、日本の内閣総理大臣、琉球政府行政主席などに対して軍事基地の即時撤去を強く要求した。
※米軍は二度とこのような事故がないよう万全を期すと声明を出しながら、それから一か月も経たない12月2日、再びB52による事故が起きることになる。
それから53年、TVのワイドショーは、どこも似たり寄ったり、大谷翔平MVPと、そしてこの日の夕方から宵にかけて見られるかもしれない部分月食の話をしている。皆既月食ではないが、大部分が地球の影の中に入り込む「とても深い部分日食」なので、赤黒い月が見えるかもしれないと。
遠い沖縄でもこの月が見えるのだろうか、そんなことを考えながら表に出てみたのだが、厚ぼったい雲で月が探せない。事務所に戻り、少し時間をおいたら少し雲が薄くなったようだ。でも、どうやら月食も終わりに近い。
明後日の上映前に戦果アギヤーと沖縄ヤクザの話をする。ドキュメントではない世界を語りたい。そう考えてあらためて付箋を貼りつつ『宝島』読み始めたのだが…

B52が墜落したこの日に、ちょうどこの箇所を読んでいるという偶然。これも月の力なのかと考えてみたり。

夜のコマラジの番組に、その明後日の宣伝をしに行くことにした。
コマラジでもっともいい加減な番組"コマラジ井戸端会議"である。ハナからB52の墜落のことも戦果アギヤーの話もするつもりはなかったが、上映会の宣伝をまともにするのもなんだか気が進まなくなって、そうだ、そういえば先日の火曜日、まんちゃーひんちゃーの後、笠原ちゃこ君を誘って飲みに行ったその時に話した話をするくらいで始末をつけよう、そうだそうしようと、そこで彼女同伴で番組に乱入することにしたのである。ドキュメンタリーと劇映画の話。映画大学初代学長佐藤忠男さんのいくつかのエピソードを交えて。だって巨匠(?)笠原監督は、映画大学の前身、映画学校の卒業生だからね。


これは10年前、佐藤忠男さんがウチの映画祭のゲストに来てくださった日に、ちょっと悪戯して撮影した画像。
⇒その日の記事「映画祭七日目の夜の宴会」(2014/6/1)
※もっとも重要なこの日の佐藤忠男さんのトークについては、なんと後日追記するので少々お待ちを。
その他、放送で話したエピソードは…
⇒「佐藤忠男氏神奈川文化賞受賞祝賀会」(2011/1/31)
⇒「ちんどん屋さんの深い話」(2014/5/27)
Facebookで繋がるのかLINE交換か、いったい何がおかしいのか、そんなに笑わなくてもいいだろう、たとえどれほど主義主張が違うとしてもさ、だから、あくまでも例えばの話。

物事を国家基準で考えさせようとする空気、それに影響された単純さに出会うと、こちらもつい分かり易い反駁ひとつだけして済ませてしまう。そんなシンプルな話ではないのにと、自分の手抜きを反省するのだが、しかし複雑な対話に持ち込む精力と忍耐力が、今の僕にあるのだろうかと考え、そして萎える。だったら何も語らず、黙って繋がっているだけの方が確かにずっといいに違いない…
大谷翔平君がMVPに選ばれた。
gajumui
「国民として誇らしく思う」って、国民としてじゃないとどうなのさ。「個人として」とか「私として」とか。やっぱり政治はとことん性に合わない。
11-19 10:37
金城実さんから、この小説をお前に託すから芝居にせい!と言われていたことを思い出した朝。ワシが死んでからでもかまわんとも言っていたけれど、いや、必ず実さんが生きているうちにと思う。そうだ、映画でもいい、むしろその方がピッタリくるかもしれない…
— 高山正樹 (@gajumui) November 19, 2021
すると、あれこれ脳みそが騒ぎ出した。 pic.twitter.com/JUXwja7ITo
1968年、昭和43年の今日、未明に嘉手納基地でB52爆撃機が離陸に失敗し、知花弾薬庫近くに墜落した。
11月19日は嘉手納基地でB52大爆発事故が起きた日なのである。
搭載していた爆弾に引火して爆発炎上、近隣住民16名が負傷、小学校を含めた400棟近い建物に被害が出る。
B52は主にベトナム戦争で運用された戦略爆撃機。1965年から沖縄に飛来するようになった。米国が本格的にベトナム戦争へ介入し始めた年である。B52は嘉手納で補給し、そしてベトナムへ出撃した。1968年からは、嘉手納はB52の常駐基地となる。沖縄から戦地へ向かうB52を見て、沖縄の人々は、再び戦争に巻き込まれるのではないかという不安を抱くようになる。
そしてその年の11月19日、この事故が発生する。
アークライト作戦に参加するため、ベトナムへ向けて、B52は爆弾を満載した状態で嘉手納飛行場からの離陸を開始。ところが何か不具合があったのか、途中で離陸を中断、滑走路の延長上で爆発、炎上する。あと250m先だったら、そこには知花弾薬庫があった。燃料と爆弾による爆発は、深さ9.1m、幅18mのクレーターを作り、爆風は4km四方にまで及んだ。なんと37km離れた那覇の空軍基地にあった薬局の窓が割れた。100mを超す高さまで真っ赤なキノコ雲が上り、原子爆弾が爆発したのではないかと多くの住民が避難を始める事態に、米空軍は、事故機には通常爆弾しか搭載されていなかったという発表をしなければならなかった。事故機に乗っていた搭乗員は火傷のため死亡、2人の沖縄人従業員が爆発で負傷した。
もし弾薬貯蔵庫に落ちていたらどうなっていたか、住民に与えた不安は非常に大きなものだった。
知花弾薬庫地区には通常の弾薬や高性能爆発物など数万発の他、数多くの核兵器弾頭が保管されていた。また、化学兵器貯蔵庫もあり、おそらく生物兵器も置かれていた。核兵器が保管されているのではないかという疑いもあった。この事故は、沖縄基地が存在することの潜在的な危険を顕わにした。そして沖縄返還運動がさらに盛り上がる大きな要因となったのである。
嘉手納村議会は、事故が起きたその日、即日抗議決議を全会一致で採択、米国大統領、日本の内閣総理大臣、琉球政府行政主席などに対して軍事基地の即時撤去を強く要求した。
※米軍は二度とこのような事故がないよう万全を期すと声明を出しながら、それから一か月も経たない12月2日、再びB52による事故が起きることになる。
それから53年、TVのワイドショーは、どこも似たり寄ったり、大谷翔平MVPと、そしてこの日の夕方から宵にかけて見られるかもしれない部分月食の話をしている。皆既月食ではないが、大部分が地球の影の中に入り込む「とても深い部分日食」なので、赤黒い月が見えるかもしれないと。
遠い沖縄でもこの月が見えるのだろうか、そんなことを考えながら表に出てみたのだが、厚ぼったい雲で月が探せない。事務所に戻り、少し時間をおいたら少し雲が薄くなったようだ。でも、どうやら月食も終わりに近い。
調べて撮ってみたけど。もうあんまり欠けてないし、やっぱり曇っているし。なので事務所の月を。これね、今村昌平さんの息子、現映画大学学長天願大介氏作・演出「なまず」の美術担当加藤ちかさんが描いた月なのさ。 pic.twitter.com/Nj0nz47vpc
— 高山正樹 (@gajumui) November 19, 2021
明後日の上映前に戦果アギヤーと沖縄ヤクザの話をする。ドキュメントではない世界を語りたい。そう考えてあらためて付箋を貼りつつ『宝島』読み始めたのだが…
B52が墜落したこの日に、ちょうどこの箇所を読んでいるという偶然。これも月の力なのかと考えてみたり。
夜のコマラジの番組に、その明後日の宣伝をしに行くことにした。
また、盗撮。。。 https://t.co/qejhTby9aF
— 宇夫方 路 (@ubukatamichi) November 23, 2021
コマラジでもっともいい加減な番組"コマラジ井戸端会議"である。ハナからB52の墜落のことも戦果アギヤーの話もするつもりはなかったが、上映会の宣伝をまともにするのもなんだか気が進まなくなって、そうだ、そういえば先日の火曜日、まんちゃーひんちゃーの後、笠原ちゃこ君を誘って飲みに行ったその時に話した話をするくらいで始末をつけよう、そうだそうしようと、そこで彼女同伴で番組に乱入することにしたのである。ドキュメンタリーと劇映画の話。映画大学初代学長佐藤忠男さんのいくつかのエピソードを交えて。だって巨匠(?)笠原監督は、映画大学の前身、映画学校の卒業生だからね。
これは10年前、佐藤忠男さんがウチの映画祭のゲストに来てくださった日に、ちょっと悪戯して撮影した画像。
⇒その日の記事「映画祭七日目の夜の宴会」(2014/6/1)
※もっとも重要なこの日の佐藤忠男さんのトークについては、なんと後日追記するので少々お待ちを。
その他、放送で話したエピソードは…
⇒「佐藤忠男氏神奈川文化賞受賞祝賀会」(2011/1/31)
⇒「ちんどん屋さんの深い話」(2014/5/27)
おかちゃん登場からの篠ちゃん、…からの立ち飲み屋。ちと、いい話し過ぎた? pic.twitter.com/d9wk5DGjm6
— 高山正樹 (@gajumui) November 19, 2021
いい話をし過ぎたので、ミートへちょいとちょっかい出しに、そしたらこんな方に声をかけられて、立ち飲み屋に大熊くんが日曜のイベントで使うものを届けてくれたというスッカスカな与太咄。ピンポン🏓は何の関係もないただの埋草。 pic.twitter.com/if2bXwtieM
— 高山正樹 (@gajumui) November 22, 2021
Facebookで繋がるのかLINE交換か、いったい何がおかしいのか、そんなに笑わなくてもいいだろう、たとえどれほど主義主張が違うとしてもさ、だから、あくまでも例えばの話。
物事を国家基準で考えさせようとする空気、それに影響された単純さに出会うと、こちらもつい分かり易い反駁ひとつだけして済ませてしまう。そんなシンプルな話ではないのにと、自分の手抜きを反省するのだが、しかし複雑な対話に持ち込む精力と忍耐力が、今の僕にあるのだろうかと考え、そして萎える。だったら何も語らず、黙って繋がっているだけの方が確かにずっといいに違いない…
2008年09月13日(土)15時11分
沖縄3日目その1(嘉手納で宮城巳知子さんに会う)
嘉手納へ
道の駅「かでな」名物のでっかいチーズバーガー

長寿日本一は崩れていく。今やNo.1メタボ県なんだとか。
左は基地、右が嘉手納の町。

宮城巳知子さんにお会いしました。
8月14日の記事でご紹介した宮城文子さんの義理のお母様です。

県立首里高等女学校ずいせん学徒隊員として従軍、沖縄戦の語り部。
※ここにamazonで販売されている宮城巳知子さんの本「ずいせん学徒の沖縄戦」へのリンクを埋め込んでおいたのですが、表示されなくなったので削除しました。
戦争を語ってくださらない方々もたくさんいる。その理由は様々です。高山の義理の父はもう死んでしまったし、お義母様も何故か多くを語らない。無理に聞くこともできません。でも語ってくださる方がいるのなら、まずその声に耳を傾けることをしなければならないのじゃないかな、と、そう思ったのです。
また、ひとつの「はじまり」です。
これから、国立劇場「おきなわ」へ行きます。
道の駅「かでな」名物のでっかいチーズバーガー

長寿日本一は崩れていく。今やNo.1メタボ県なんだとか。
左は基地、右が嘉手納の町。

宮城巳知子さんにお会いしました。
8月14日の記事でご紹介した宮城文子さんの義理のお母様です。

県立首里高等女学校ずいせん学徒隊員として従軍、沖縄戦の語り部。
※ここにamazonで販売されている宮城巳知子さんの本「ずいせん学徒の沖縄戦」へのリンクを埋め込んでおいたのですが、表示されなくなったので削除しました。
戦争を語ってくださらない方々もたくさんいる。その理由は様々です。高山の義理の父はもう死んでしまったし、お義母様も何故か多くを語らない。無理に聞くこともできません。でも語ってくださる方がいるのなら、まずその声に耳を傾けることをしなければならないのじゃないかな、と、そう思ったのです。
また、ひとつの「はじまり」です。
これから、国立劇場「おきなわ」へ行きます。
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