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第3回 沖縄映画祭⑭「シネマ組踊“執心鐘入”」+α

第3回 喜多見と狛江で小さな沖縄映画祭+α 上映作品22
「シネマ組踊“執心鐘入”」
(55分/2015年)
監督:大城直也

沖縄県外初上映!
“組踊”とは、沖縄の歌舞伎・狂言ともいうべき歌と踊りと音楽からなる琉球王朝の古典歌舞劇。今から約300年前、玉城朝薫が創始したとされる…
ここまでは“二童敵打”と同じ。1719年、重陽の宴で初めて演じられたことも同じ。
美少年として名高い中城若松は、言い寄って来る女を振り切って寺の鐘の中に身を隠す。追ってきた女は鐘にまとわりつき、ついには執着のあまり鬼女へと変身する…
いわゆる安珍と清姫の物語から生まれた「道成寺物」のひとつである。

 ⇒2009年11月17日のブログ「組踊“執心鐘入”考」

執心鐘入1 執心鐘入2

執心鐘入3 執心鐘入4

執心鐘入5 執心鐘入6

執心鐘入7 執心鐘入8

原作:玉城朝薫
舞台監督:宮城能鳳
出演:金城真次 佐辺良和 宇座仁一 親泊久玄 新垣悟 阿嘉修
地揺:新垣俊道 仲村逸夫 喜納吏一 池間北斗 入嵩西諭 大濱麻未 久志大樹

① 日時:1月31日(火)10:00~
会場:狛江中央公民館 講座室
② 日時:2月5日(日)10:00~
会場:M.A.P.


※“執心鐘入”が「道成寺物」のひとつだということ、つまり沖縄の組踊と大和芸能には深い関係がありました。そこで1月31日の+αは、日舞と琉球舞踊とはどんな違いがあるのか、かつて花柳紀寿郎の内弟子でもあった宇夫方路が、琉球舞踊と日舞の両方を踊ってお見せする企画にしてみました。さて、如何なりますことやら。お楽しみに!

そして2月5日の+αとして、眞境名正憲先生がトークに来てくださることになりました!
※本記事の後ろに、沖縄舞踊界若手No1、沖縄の玉三郎の呼び声高い佐辺良和さん(シネマ組踊でも最後に鬼に変貌する[宿の女]を演じています)から届いたメッセージを掲載しました。

瀬底正憲先生【眞境名正憲先生のプロフィール】
1956年琉球大学在学中に阿波連本啓、後に眞境名由康に師事し組踊と琉球舞踊を学ぶ。沖縄タイムス芸術選賞「琉舞大賞」受賞。沖縄県「文化功労者表彰」。眞境名由康組踊会長・宗家眞境名本流眞薫会会長・男性舞踊家「飛輪の会」会長・沖縄県ユネスコ協会副会長・伝統組踊保存会会長。
※因みに、伝統組踊保存会の副会長は、人間国宝の宮城能鳳、照喜名朝一のご両名。あらためて、瀬底先生(ご本名)って、ホントに偉いんですね!(宇夫方路)

M.A.P.と眞境名正憲先生との繋がりは、タグ「瀬底正憲」の記事一覧をお読みください。
※2015年7月、エコルマホール10周年記念の組踊公演の一座を率いてきたのも眞境名先生でした。
 ⇒タグ「瀬底正憲」の記事一覧

【チケット料金】
 前売り 1,000円(当日1,200円)
 学生及び75歳以上 前売り 500円(当日700円)

  ※受付で学生証・保険証等を提示してください。
  ※ご予約を頂けば、前売り扱いにて、チケットを受付にお取り置きいたします。
 11枚綴り 10,000円(1000円券×11枚)

 ⇒オフィシャルサイトのチケット購入ページ
  ⇒CoRich 直通(PC用)
  ⇒CoRich 直通(携帯用)

 ※介助の方と御同伴の場合は、お二人で一人分の料金、またはチケット1枚
  (なおM.A.P.会場は車椅子の対応が出来ていません。お問合せください。)


電話でのご予約・お問合せ:03-3489-2246(M.A.P.)
 総合案内記事へ

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tag: 佐辺良和  瀬底正憲  執心鐘入 

東京琉球舞踊協会公演 “翔舞Ⅳ”今日は【とうがんの日】

国立劇場小劇場。
東京琉球舞踊協会10周年記念公演“翔舞Ⅳ”

《昼の部》
幕開きはもちろん「かぎやで風」
その他「四ツ竹」「前の浜」「作田節」「高平良万歳」「金細工」「鳩間中岡」「繁昌節」など。最後は「エイサー」

《夜の部》
「かぎやで風」「四ツ竹」「前の浜」「高平良万歳」「金細工」は昼の部と同じ。その他「かせかけ」「諸屯」「若衆特牛節」「たらくじ」など。
そして組踊り「執心鐘入」
 中城若松 藤原悦子(真踊流佳藤の会藤原悦子琉舞道場)
 宿の女 野原千鶴(琉舞鶴之会野原千鶴琉球舞踊研究所)
 座主 眞境名正憲(瀬底正憲:国指定重要無形文化財「組踊」保持者)
 小僧一 諸見喜子(玉城流敏風会関東支部諸見喜子琉舞研究所)
 小僧二 宇夫方路
 小僧三 関りえ子(玉城流喜納の会関東支部関りえ子琉球舞踊研究所)
  ⇒昨年11月17日の稽古風景と「執心鐘入」について

宇夫方路先生は中城若松が隠れている鐘の見張をする小僧役で出演。
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(小僧の居眠りの場面のみ特別に許可を頂いて掲載しています。)
さて、出来はいかがだったのでしょうか。批評眼がないので何とも申し上げられないのですが。
横道萬里雄さんが見に来てくださいました。楽屋の方へとご案内したのですが、いえいえと丁重にご辞退されました。残念ながら、横道先生のことを知っていらっしゃる方は殆どいなかったようです。
でも、後で瀬底先生にお伝えしたら、先生は横道萬里雄さんをよく御存じで、観に来てくださったことにたいへん感謝されていました。
いずれ時をみて、横道先生にお礼を申し上げ、御感想でも伺ってみたいと思っています。ちょっとこわいけど。

打ち上げの様子は、タグが足りないので記事を分けましょうね。

《おまけ》
りっぱなプログラムです。
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そこに、喜多見で沖縄語を話す会の広告を掲載しました。

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そうしたら、紅型の風呂敷がM.A.P.に届きました。
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ちなみに今日は4月10日で、とうがんの日です。
冬瓜をウチナーグチで[sibui]という、だから4。10は「とうがん」だから。ウチナーグチと日本語の合わせ技の語呂合わせ。

tag: シブイ  うちなーぐち  ゆんたくの会  紅型  沖縄この日何の日  横道萬里雄  瀬底正憲  琉球舞踊  執心鐘入  関りえ子 

組踊り「執心鐘入」の稽古《東京琉球舞踊協会定例会議の日》

宇夫方です。
今日は東京琉球舞踊協会の定例会議の日です。

会議の後は、沖縄から瀬底先生を迎えて組踊り「執心鐘入」の稽古をしました。出演者は瀬底先生を含めて6名。組踊りに出演されない先生方10人くらいが見ている中での稽古、普通なら緊張するところですが、長年役者をやってきた経験のせいか、厚かましくて緊張しないんですよね。

3時間ほどの稽古が終って、夜は食事会です。
私と同じテーブルになったのは、宮城流豊舞(とよむ)会の久保頼野(よりの)先生(左)と宮城洋子琉球舞踊研究所の冨村博子さんでした。
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久保先生が組踊りの稽古を見て褒めてくださいました。
「うちなんちゅじゃないの、うまいねえ」
うれしい!
久保先生は以前立川で沖縄料理のお店をやっていたのだそうですが、踊りの関係でしょっちゅう沖縄に行かなければならず、両立ができなくて、結局踊りをとってお店の方をやめてしまったのだそうです。この選択って、やっぱり沖縄の人なんだなあと思います。
代田橋の沖縄タウンにある沖縄そば屋さんの「首里製麺」ですが、あのお店、実は久保先生が始められたお店なのだそうです。
沖縄タウンの立ち上げの際、声をかけられて(たきどぅんのママと一緒だ)お店を出して、若い男の子に任せたのだそうです。
でも立川にも店があり、遠くて頻繁に行くこともできず、管理ができないので、いずれは譲るつもりだったということもあり、その男の子に買ってもらったのだそうです。それが今の店長さん。「店を出すときに沖縄に行かせて勉強させたんだけどね、それっきりなんじゃないかなあ」と久保先生。入った時の印象は、やっぱりあんまり沖縄のことは詳しくないな〜という感じでしたね。

「今度行ったときに私のことを話してみて、びっくりするから」と久保先生は言われました。
実は今年も8月くらいに代田橋へ通うことになりそうなのです。その時にはまた首里製麺に行って、店長さんとお話してみようと思います。ちょっと楽しみ。けっして悪趣味じゃありませんから!

tag: 沖縄居酒屋.首里製麺  代田橋沖縄タウン  執心鐘入  琉球舞踊 

“さかさま「執心鐘入」”で笑いました!

沖縄定番のジミーで、ランチバイキング。食べ過ぎ。
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そして浦添の国立劇場“おきなわ”へ
国立劇場おきなわのHPのこの日の案内ページ
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正面玄関を入って、左の大劇場では大城立裕作の新作組踊“さかさま「執心鐘入」”。13時半開場、14時開演。
右の小劇場では、津嘉山正種ひとり語り“人類館”の公演。1回目が14時半開場の15時開演。2回目は18時半開場で19時開演。
両方のロビーでおきなわおーでぃおぶっくのCDを販売しています。
人類館は明日もあるので、今日は“さかさま「執心鐘入」”を観るのです。
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大劇場の入口では、おきなわ堂の金城さんが、“おきなわおーでぃおぶっく”の宣伝チラシを配るお手伝いをしてくださいました。
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それにしてもなんだろうこのふざけたポスターは!
ほんとうにこれが組踊りのポスターなのだろうか……
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琉球の国劇である組踊りを、馬鹿にしているのではないかという声が、昨日までの沖縄の旅で、全く聞こえてこなかったというわけではありません。しかし僕としては、このポスターを見て、密かに不謹慎な(?)期待がどんどんと高まっていったのです。

果たして、この日の舞台は期待以上のものでありました。会場は爆笑の渦に包まれて…… まあ、そのあたりのことは、他の誰かがきっとどこかでお書きになるでしょう。また、あの単純な筋立て、脚本を、ここまでに仕上げた演出をはじめとするスタッフ・役者を賞賛する劇評も、あっちこっちで語られることでしょう。だからここでは、ちょいと違った視点から。

演出家や役者の創造力を掻き立てるような本を書くことは、実はなかなか難しいのです。読んだ時にはすきだらけで一見物足りなく感じられる本の方が、結果的には生き生きとした素晴らしい舞台を生み出すということはよくある話です。大城立裕という劇作家は、そこのところを熟知しているのではないかと僕は思っています。考えてみれば、歌舞伎にしろ狂言にしろ、古典の本はスキだらけ、だからこそ歌と踊りと、役者の技量を引き出すことができるのだといってもいい。必要なのは、スペクタルな背景を感じさせる筋立てなのです。

前に、執心鐘入が、いわゆる「道成寺もの」の一つであるといわれているという話しをしました。
執心鐘入についての記事
その際、大和の「道成寺もの」が安珍・清姫伝説ではなく、その後日談を元に創作されているということもお話ししました。しかし「執心鐘入」は、「道成寺もの」の発端である元の物語、安珍・清姫伝説の方に似た筋で、こちらにはその後日談はありませんでした。
このことも、今回大城立裕氏が「執心鐘入」の後日談を書こうと企んだ動機のひとつではなかったのか、今度大城先生にお会いした時に伺ってみようと思うのです。

和歌などの世界に、すぐれた古い歌や詩などから、その発想や言葉を意識的に取り入れ、新しい歌を創造する「本歌取」という表現手法があります。元の作品の存在をはっきりと示し、またその作品に対するリスペクトを表明し、その上で独自の表現を加味して作るのです。しかし、この「本歌取」は簡単なものではありません。原作に対する深くて広い教養がなければ、優れた作品を生み出すことはできないのです。

その意味で、今日の“さかさま「執心鐘入」”は、まさに本歌取でした。

幕が下りても拍手は鳴り止まず、やがて手拍子に変わります。これは芝居のカーテンコールではなく、まるでコンサートのアンコールのようでありました。舞台中央に迎え入れられた大城立裕氏がカチャーシーを踊って、最後の幕となりました。
終演後のロビーは、あっちでもこっちでも満足そうな笑顔で満ち溢れていました。そのロビーで大城先生とお話しすることができました。
「最後は踊らされてしまったよ。」
そこへ見知らぬ女性が寄っていらして、大絶賛の言葉の嵐、絶対に再演しなければダメだと言って去っていかれました。

先に言った「本歌取」について、大事な要素がもう一つあります。「本歌取」は連歌の技法でもあるのですが、「本歌取」で作られた歌を受ける方にも、作り手と同じような教養が必要であるということなのです。今日の公演の大成功は、実は客席を埋めていた方々の組踊りに対する理解に支えられていたのだと思うのです。いかに「執心鐘入」という組踊りが沖縄の人たちに知られている演目であるかを、僕はあらためて知ったのです。
僕は今回の沖縄の旅で、玉城朝薫の組踊「執心鐘入」の稽古を見学させていただくことができました。もしその経験がなかったならば、はたしてこれほどに今日の“さかさま「執心鐘入」”の公演を楽しめただろうか、いささか疑問です。
「執心鐘入」の稽古を見学した日の記事
でもだからといって、そのことが“さかさま「執心鐘入」”の価値を落とすことにはなりません。沖縄を本当に楽しもうとするなら、沖縄をもっともっと深く勉強してみてはいかがでしょうか。これ、絶対にお薦めです。

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tag: 新作組踊  青年座  沖縄の旅_2009年11月  執心鐘入  大城立裕 

組踊“執心鐘入”考

宇夫方路は、今日も組踊りの稽古。僕はそれについて行く。
稽古場に入ると、先生は床を磨いていらっしゃった。
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だから、床はピカピカである。自然と、頭が下がる。

今日も、まずは読み合わせから。
読み合わせ

真ん中の、むこうの方に鏡に映った僕がいる……
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今日はカメラマンなのです。

指導してくださるのは瀬底正憲先生。
瀬底正憲先生
伝統組踊保存会の副会長である。そんな偉い方が、こちらへどうぞと、僕に座布団を勧めてくださるのである。
教えを受けているのは、来年の4月10日、東京琉球舞踊協会の10周年記念公演で、組踊“執心鐘入”の舞台に立つ面々。
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手前から、玉城流敏風会東京支部諸見喜子琉舞研究所の諸見喜子先生、宇夫方路、玉城流喜納の会関東支部関りえ子琉球舞踊研究所の関りえ子先生、流舞鶴之会野原千鶴琉球舞踊研究所の野原千鶴先生。
そして、本番には今回の稽古には参加できなかった真踊流佳藤の会藤原悦子琉舞道場の藤原悦子先生が加わる。
要するに、我がM.A.P.の宇夫方路以外の皆さんは、それぞれご自分の教室を持っている先生方。宇夫方路の出演は大抜擢なのだ。
 ⇒関連記事を読む

組踊については、下記記事で少し説明した。
 ⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry…
今日は、いわゆる「道成寺もの」と「執心鐘入」について、もう少し説明してみよう。

道成寺は、和歌山県にある新西国三十三箇所観音霊場の第五番札所。安珍・清姫伝説の舞台となった寺院である。
延長6年(929年)、熊野詣に来た修行僧安珍は、清姫の家に一夜の宿を求めた。清姫は安珍に一目惚れする。困った安珍は、熊野からの帰り道に再び立ち寄ると嘘の約束をして去る。約束の日になっても、安珍は来ない。裏切られたと知った清姫は、安珍の後を追う。日高川を毒蛇となって渡り、ついには安珍が逃げ込んだ道成寺で、鐘の中に隠れている安珍を、鐘ごと焼き殺したという伝説。
この話には、さらに400年後の後日談がある。道成寺は鐘を再興することにした。完成の折、女人禁制の鐘供養をした。すると白拍子の姿をした清姫の怨霊が現れ、蛇となって鐘を引きずり降ろし、その中へと消える。
この話しが、いわゆる道成寺ものの題材となった。
まずは能の「道成寺」、それを元に歌舞伎の「娘道成寺」が作られた。浄瑠璃の「道成寺」も名高い。
組踊の「執心鐘入」も「道成寺もの」のひとつとされている。確かに大和の芸能に造詣の深かった作者の玉城朝薫は、そのヒントを能などから得たのかもしれない。しかし、『沖縄大百科事典』の「執心鐘入」の項には、次のように書かれている。

「沖縄に古くから伝承されている中城若松にまつわる話をもとに南島独特な内容の組踊として創作されている。内容は、中城若松という美少年が首里王府へ向かう途中、日が暮れて山中の一軒家に一夜の宿を乞う。はからずも若松に恋慕していた女の家であり、女は好機とばかりに誘惑する。若松は女から逃れて末吉の寺に救いを求め、鐘の中に隠れる。女は鬼女と化すが法力によって説伏させられ、若松も助かるというもの。」

中城若松は、金丸(後の第二尚氏王統の始祖尚円)の息子だと伝えられ、ひたすらに首里へのご奉公のみを考える儒教道徳の権化だとされてもいる人物である。

ともかく、「執心鐘入」と「大和」との関わりを考える時、「安珍・清姫伝説」そのものではなく、大和から渡って来た修験者たちがもたらした熊野権現信仰を、その背景に見たほうが興味深い。
しかし、それはまた別のはなしである。

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八八八六、サンパチロクのリズムとは、何なのだろう。八は、五三か、三五か。その音の響きの中で、僕は揺蕩(たゆた)っている。突然に現れる七五の大和風が、静かだった心を乱して、緊迫した空気が立ち上がってくる。これは朝薫の計算なのか。
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再び八八八六。
あ、宇夫方の稽古着の柄に、トゥイグヮーが、などど、僕は呆けている……

お茶の時間。
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組踊の稽古の時は、喉のために黒糖が一番と瀬底先生。

そして立ち稽古。
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本番も、瀬底先生が、末吉の寺の座主を演じる。藤原悦子先生の若松は、今日の稽古では儀保政彦先生に代役をお願いした。
「されされ、座主加那志(ざすがなし)、露の身のいのち、救てたぼうれ」
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「すいさんな小僧(くずー)」たち。
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小僧3人が、なんともユーモラスなのである。まるで、大和風をパロディーにして、笑っているかのよう……

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本当に若松がシテで、鬼女がワキなのか。
何故若松は自ら若松と名乗る必要があったのか……
女は狂ったのではなく、狂わされたのではないのか……
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「禁止(きじ)もきじららぬ、とめもとめららぬ」
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……知我身者即身成仏

得られぬ貴重な時間を過ごさせていただきましたこと、皆様に心より感謝いたします。
高山正樹

tag: 沖縄大百科事典  東京公演“執心鐘入”  野原千鶴  沖縄の旅_2009年11月  関りえ子  執心鐘入  瀬底正憲 

宇夫方路が“執心鐘入”に出演します!【東京琉球舞踊協会10周年記念公演】

2010年4月10日。東京琉球舞踊協会10周年記念公演で、組踊“執心鐘入”が上演されます。その舞台に、M.A.P.の影のボス宇夫方路が「小僧2」の役で出演することになりました。
“執心鐘入”については、下記記事を是非お読みください。
http://lince.jp/hito/sinsaku…

また「沖縄のこと」の基本カテゴリの中に、「組踊」のカテゴリと「執心鐘入」のサブカテゴリを作成しました。
それに向けて、宇夫方女史は、勉強をはじめています。
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いくらなんでも早過ぎる? いえいえ、なにしろウチナーグチの発音を憶えなければいけないのですから大変なのです。
沖縄の音韻に関する記事

というわけで、沖縄語を話す会沖縄語を話す会の國吉眞正さんから、とっても力強いものを頂きました。
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玉城朝薫の組踊五番を、新沖縄文字で表記した資料です。
 ⇒新沖縄文字の記事
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さらに、沖縄語を話す会喜多見教室で勉強します。
そしてついに第一回勉強会の日程が決まりました。それについては別途記事にて。

《追伸》
この日、上原さんがこそっと…
 ⇒http://shop.plaza.rakuten.co.jp/okinawamap/diary/detail…

tag: 東京公演“執心鐘入”  新沖縄文字  執心鐘入  別ブログへ 

新作組踊“さかさま「執心鐘入」”の台本【冊封と組踊について】

15:00
大城立裕先生宅へ。
又吉健次郎さんの伝言は、しっかりお伝えしました。今年の11月21日、国立劇場おきなわで組踊りの公演がある、是非観てほしいなあ、と大城先生。そして貸してくださった台本です。
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大城立裕・作、新作組踊り「さかさま『執心鐘入』」。

組踊りについて簡単にご説明しましょう。
組踊りとは、韻文の台詞と音楽と踊りで構成された沖縄の伝統芸能で、大和の歌舞伎と能を足して2で割ったようなものともいわれます。中国からの冊封使(さっぽうし)を歓待するため、踊奉行の玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が創作し、1719年に冊封使の前で初めて演じられた「執心鐘入」などがその始まりです。冊封使とは、中国の明・清の時代に、朝貢国の王を冊封するために派遣された使者のことです。
(※《資料》参照)

では冊封とは何か(ああ、いちいち説明しなければならない、これほど日本人は、沖縄の歴史や文化を知らないということですね)、高山夫人が中学生の時、学校で配られた仲原善忠著『琉球の歴史』の上巻から、ちょっと長いですが抜粋して引用します。

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「国王が死ぬとあとつぎが立って王になる。数年のあと、使いをやってたのむと中国から正副の冊封使(名高い文人が多い)がやって来る。那覇にとまっていて、式日には首里城でさかんな儀式があり、『なんじを封じて琉球国中山王となす』という皇帝の勅語を読み国王は中国から正式に王としてみとめられる。式をやって王としてみとめることを冊封というのです。しかしこの式があってはじめて王になるのではなく、たのまなければ来ないのです。又あの王はいけないといってことわったこともなく、王が自分のいげんをつけるための儀式です。」
「中国はむかしから体面をおもんずる国です。そして中国がその時代はアジア第一の文明国で、他の国々はみな野蛮未開な国々と見ているから対等のつきあいはゆるさない。それで『臣』と称して貢物をささげて行って皇帝にあいさつするのでなければ有利な貿易は出来ないのです。」
「(琉球王国は)臣下という仮面をかぶって、有利な貿易をやったということです。」


話を組踊りに戻しましょう。琉球が中国に初めて使いを送ったのは1372年のことですが、この中国との貿易の利益を狙った島津藩が琉球に進攻した、いわゆる「島津入り」が1609年、つまり組踊りが誕生した1719年には、すでに島津藩が琉球王国を実質的に支配していたということです。しかし、琉球王国は存続させなければならなかった、なぜならば、琉球王国を介する以外に、中国と貿易する手段が、当時の日本にはなかったからです。これは、沖縄の芸能を考える上で、とても重要なことのように思われます。
玉城朝薫は薩摩や江戸に何度も派遣され、そこで能・狂言や文楽・歌舞伎など大和芸能の様式を学びました。それが組踊りの創作に大きく影響しています。
特に玉城朝薫の第一作といわれる「執心鐘入」は、もっとも大和文芸の影響を受けていて、いわゆる「道成寺もの」がその下書きになっています。

大城先生は、大和と琉球の狭間で、いかに玉城朝薫が組踊りを創作したのか、その苦悩を描いた小説や戯曲を書かれてきました。
※関連記事(「嵐花」公演のこと⇒http://lince.jp/hito/arasibana…

また大城先生は、これまで新作の組踊りをいくつも発表されています。
※関連記事(「真珠道」公演のこと⇒http://lince.jp/hito/madamamiti…
2001年には、それらを集めた琉球楽劇集が出版されています。

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この本は、上段に「歴史的仮名遣い」を、下段に読みをあらわすローマ字を配しています。
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ここでもやはり表記と発音の問題があります。それについて大城先生の興味深いあとがきがあるのですが、それはまたあらためてご報告します。
※関連記事(「古典音楽」の本のこと⇒http://lince.jp/hito/okinawamap/free…

さあ、ようやく今回の新作組踊り「さかさま執心鐘入」までたどり着きました。
これは大城先生のお話によると、「執心鐘入」の後日談のようなお話なのだとか。先生の作劇の動機がちょっと面白いのです。

「執心鐘入」の大道具の鐘は「執心鐘入」を上演する時にしか使われない、もったいないのでなんとかそれを使えないか…
「執心鐘入」に出てくる小僧さんたちの出番が少ない、その小僧さんのキャラクターをなんとかできないか…

稽古は5月くらいから始まっているそうです。組踊りの役者さんたちも、皆さんいろいろ仕事をしていかなければならないので、そろっての稽古が難しいと先生はおっしゃっていました。

本番が楽しみです。なんとか時間を作って、11月、また沖縄に来たいと思っています。
国立劇場おきなわホームページ
(宇夫方路の報告を高山正樹が目いっぱい膨らませてお伝えしました。)

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