2017年03月18日(土)23時58分
劇団TEAM SPOT JUMBLEの「SELECT!」なる舞台


少し心配したが、山城博治氏が保釈されることが決定した。その日に、沖縄の若者たちによる「コザ暴動」の芝居を観る偶然。
ロビーでは、大城弘明氏と山城博明氏というタイムスと新報を代表する報道カメラマンの写真展が開催されている。


この日のアフタートークは、その大城弘明さんと藤木勇人さんと、そして劇団を主宰する津波信一氏。
トークショーの中で、一枚の写真が紹介された。「コザ暴動」で、道の中央で焼かれてひっくり返されたアメ車を、翌日屈強な米兵が持ち上げてもとに戻そうとしている写真。沿道で、たくさんのウチナーンチュがその様子を眺めている。その中に一人の少年が写っている。実はその子こそ偶然そこに居合わせていた幼い藤木勇人さん。その写真を撮影した松村久美さんが、この日客席にいらしていた。1969年から72年、74年から76年、トータル5年間沖縄に住んで、コザの街を撮影し続けた写真家、大城弘明さんとも旧知の間柄なのだと、後で聞いた。
一昨年、大城弘明さんの写真展と金城実さんの彫刻展のコラボ企画をM.A.P.でやった時に、そういえば藤木さんが金城さんに会うためにウチの事務所に来たっけ。
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-4522.html
この日発売されたAERAには、山城博治氏の特集記事が掲載されていて、その記事の写真は大城弘明さんが撮影。それもまた何とも不思議な偶然である。


※クリックすると大きくなります
芝居が終わって、今夜も大城弘明さんと飲みに行くことになった。

ロビーで記念撮影した6人、弘明さんと、弘明さんの妹さんと、弘明さんの糸満高校の同級生、昨年閉店した阿佐ヶ谷のグル君のマスター神谷さんと、そして藤木さんと松村久美さん。あとから、神谷さんの奥様、かのこさんも合流する。
Twitterで、山城さんの保釈の様子を、ボク宛にメンションを送って実況してくださる方がいた。とても有難い。
※日付をクリックすると、実況の全てを見ることが出来ます。
「博治さんの保釈のこと、こっちの新聞に載りますかね」山城博治さんが間も無く保釈、会見有りですってよ!!
— yagihiro (@yagiutina) 2017年3月18日
jupiterjennyさんのツイキャスライブ見てます!
「載らないでしょ、朝日と東京新聞が一段記事にするくらいじゃないかね」
そんな会話をしながら、とりあえず乾杯。

「権力は山城さんの存在が怖いんですかね」
「そうだと思いますよ。今、辺野古は元気がない。100人位しか集まらない。でも博治がいれば300人になる」
でも僕は、その大城弘明さんの答えを聞いて考え込むのである。
さっき見た「SELECT!」という芝居で、沖縄の若者たちが示した過去の「暴動」に対する理解、しかし一方で、現代の「戦い」への疑問もまた彼らは語ったのではなかったか。
もちろん、そんな話ばかりしていては楽しくない。
昨夜に続いて、だから今夜も糸満高校時代の話は尽きないのである。
以前にもブログで話題にしたことがあるかもしれないが、M.A.P.三線教室の川崎仙子先生も糸満高校、なんとおふたりとの同級生。それだけでもびっくりなハナシなのだが、さらに今日は不思議な偶然が続く。
この度、川崎先生は、色々な事情があって、先日の発表会を最後に、ウチの教室の先生をお辞めになった。つまり、ある意味ウチの三線教室は存続の危機にあった。教師免許を持った「先生」がいなければ、安冨祖流の看板を掲げて教室を開くわけにはいかないのであるから。
ちょうどこの日、沖縄で宇夫方女史が安冨祖流三線の教師免許の試験を受けていた。「SELECT!」の本番中にその発表があった。幕が下りて、携帯の電源を入れると、合格したというメールが届いていた。ああこれで、どうにかこうにかウチの教室も、新たな展開を迎えることができそうである。コンクールレースからリタイヤした僕も、「宇夫方先生」の代稽古という立場で教えることも可能らしい。ちっともやりたいわけではないが。
今日のこの日に、宇夫方女史が沖縄で教師試験に合格というのも、やはり不思議な偶然だという気がする。
僕が弘明さんと初めてお会いしたのは2015年の8月13日、僕が三線のコンクールで沖縄に行った時のこと。今日はそれ以来二度目なのだけれど、ちっともそんな感じがしない。ボクはコンクールからリタイアすることになったわけだが、もしもリタイアしていなければ、僕もこの日教師の試験で沖縄に行っていたのかもしれないし、もしもそうだったら、この日大城さんと神谷さんと一緒に飲むことはなかったのである。
もちろん松村久美さんとお会いすることもなかった。松村さんと色々な話が出来たことがホントに嬉しい。沖縄のこともさることながら、村松さんは最近奄美に嵌っていらっしゃるようで、かくいう僕も、近頃なぜか奄美が気になっている。
永田浩三さんと、氏が奄美の本をお出しになる前にちょっと奄美の話をした。
島尾敏雄氏の御子息である伸三さんには、度々M.A.P.でお話をしてもらっている。
敏雄さんとミホさんの評伝「狂う人」は、近頃もっとも刺激的な本だ。
奄美の黒糖酒、西平酒造のせれなちゃんとは対バンを企んでいる。
最近知り合った東京演劇アンサンブルの松下重人さんは喜界島出身。
さらにはこの日一緒に飲んだ藤木さんのルーツも奄美。
神谷さんの奥さんのかのこさんも奄美の人。
そういえば今度M.A.P.でライブをする斉藤哲夫さんの奥さんも奄美の方。
まだまだ数え上げればキリがない。
こんな偶然の重なった日に、松村久美さんとお知り合いになれたこと、なんだか奇跡のようだ。
「今後ともよろしくお願いします」
「こちらこそ!」
コザ暴動ではなく「騒動」であるとか、いや「蜂起」というべきだと、金城実さんはじめ、多くの方たちから聞く。僕もそう思っていた。しかし今、誇りを持って「暴動」という人たちがいるのだと、松村久美さんに教わった。
そして僕は、若い沖縄の俳優たちの、現代の「戦い」への微かな疑問について、やっぱりずっと考え続けていたのである。
2016年01月16日(土)23時59分
「オール狛江の会」結成会合?
市民大学の日の夜、こんな会合が泉の森会館であると知って、冷やかしに行った。


元狛江市長の矢野裕さんの奥様は奄美の御出身である。
(※写真に写っているのは奥様ではありません。)
その後、とある人が、食事をしたい、行ったことがないというのでミートステーションへ…

翌日呟いたこと…
「本当に勝つ気があるのか」
— 高山正樹 (@gajumui) 2016年1月16日
市議に、ミートステーションで説教してみた。
出会えて良かったと握手を求められた。
前から出会っていただろうと怒ってみた。
「オール狛江」とは何なのか。
この時は、ほんとうに単なる冷やかしだったのである。
tag: 矢野裕 泉の森会館 奄美 狛江_居酒屋.ミートステーション 狛江市の政治
2012年01月07日(土)23時00分
“たかぐら”で奄美の七草粥(1/7のツイートまとめ)
0.07μSv/h(DoseRAE2,RADEXは参考)

14:33、事務所内の線量……
0.07μSv/h(DoseRAE2,RADEXは参考)

gajumui
1月2日の福島市のセシウムの降下量(180+252MBq/k㎡)の補足。去年震災から3月26日までは福島市計測不能。27日はCs-137が790MBq/k㎡。以降多くても200程度、だいたい一桁から二桁前半で推移。多かったのは7月19日でCs合算1340。理由不明。
01-07 14:211月2日の福島市のセシウムの降下量(180+252MBq/k㎡)の補足2。去年3月20日から23日まで4日間の東京新宿のセシウム合算降下量は以下の通り。1110、10600、670、290。データを自分で調べてエクセルか何かに並べてみることを是非お勧めします。
01-07 14:27ubukatamichi
あ、また今年もやるんだ。 @okinawajohobot 【沖縄】沖縄市は「2012国際児童・青少年演劇フェスティバルおきなわ」(愛称・キジムナーフェスタ2012)で上演する「コザ物語」(脚本・嶋津与志、演出・ふじたあさや)の出演者を募集
01-07 14:40今日は朝から明日の敬老会の本番のために最後のお稽古をしました。今晩は新宿の“たかぐら”という奄美料理のお店に七草粥を食べに行きます。ついでに大切な打ち合わせもしてきます。
01-07 14:49大城立裕先生から年賀状を頂きました。うれしいです。先生は去年、「カクテルパーティー」がハワイで上演された際、現地まで行かれました。それを「最後の海外旅行になりましょう」なんてお書きになられて、いえいえ誰も信じていませんから。
01-07 14:57gajumui
なんで僕んとこには来ないの? @ubukatamichi 大城立裕先生から年賀状を頂きました……
01-07 15:04
まずは渋谷へ。

都立駒場高校の男子生徒の数が、やっと女子生徒の数と同じになった頃のこと。
後日なんか書きます。
過去よりも未来だと、早々に失敬して…
今日は正月の7日。新宿3丁目の奄美料理の“たかぐら”というお店で、一年に一度この日だけ、奄美の七草粥が食べられるというのである。

1月7日、奄美大島では数えで7歳になった子供が、親戚や近所の家をお椀を持って七軒回り、七草粥をもらう風習があるらしい。七草粥の中味には特に決まりはなく、奄美で採れる野菜を七種類入れたり、特徴といえば塩漬けの豚、沖縄風でいうところのスーチカでしょうか、そういうものを乗せたりするみたいです。
でもココ“たかぐら”はスーチカではなくソーキでした。きっとこれもありなんでしょう。

実に美味でありました。
亘さんも一緒。

奄美だけれど、最後はやっぱりカチャーシー。

とりあえず記事アップ。詳細は後日に。
http://t.co/eegYzEsd
tag: 沖縄居酒屋.たかぐら カチャーシーの光景 奄美 新城亘 311 大城立裕 MAP事務所の線量 駒場28 その他の登場人物
2010年08月01日(日)22時44分
いろいろあった“パインの日”
だーれだ?
でも、もうここには住んでないよ。○○クン、直してきてね。
それから今日は三線教室の日。
稽古前、自習中の高山正樹。
爪がなかったので車のキーで。
「奄美風だよ」
※奄美大島の三線は、爪ではなくて、爪楊枝みたいなもので弾くのです。
稽古場の様子は“はいさい狛江三線サークル”なるブログにて。
⇒http://haisaikomaesanshin.ti-da.net…
※でもさ、なんだか「サークル」っていう言葉、好きじゃないんだよなあ。そのうち変えようと思っているのだ。
「はいさい〜」のブログに書いてある新しい仲間とは、大城洋子さんとミュージシャンの糸井光さんです。
稽古が終われば事務所に戻って仕事です。
四男もだいぶ大きくなっている。
夜、自宅にて。
料理しようと切ったらもう種が赤かった!
こいつもギリギリだったということか。
⇒4日後のゴーヤーへ
⇒最初のゴーヤーから見る
ちなみに今日は……
8月1日、パインの日
…だよ。語呂合わせ。
tag: パイン 沖縄この日何の日 大城洋子 三線 ゴーヤー栽培.2010 山猫合奏団 地図の仕事 奄美 MAP三線教室
2010年07月17日(土)16時33分
名護の市民会館に寄りました
沖縄市に戻る前に、21日の山猫合奏団の公演会場である名護市民会館に寄ることにしました。今回の山猫合奏団のツアーは、名護市民会館のご協力がなければ実現できませんでした。だからこそ、少しでも多くのお客さんに来ていただかなければなりません。幸い名護の公演に先がけてキジムナーフェスタがあり出し物も違います。ならばキジムナーフェスタの会場で、名護の公演の宣伝をしようと思い立ち、チラシを受け取りにいくことにしたのです。

でも、もしキジムナーフェスタでの“どんぐりと山猫”の評判が悪ければ、却って逆効果になってしまうかもしれません。こいつは賭けだな、なんてね。
もういい歳なんだから、肩の力を抜いて楽しめる仕事をしたい、そんな思いでプロデュースを始めたのですが、どっこいなんだか若い頃を思い出すような、青臭い不安と期待。こんなはずじゃなかったのにな、と、この緊張感をちょいと楽しんでいます。
市民会館に到着すると、こんな案内が貼ってありました。今日の催し物の案内です。
しまくとぅば語やびら 名護市大会
見ていきたいなあ、と思ったのですが、今夜は沖縄市のコリンザでキジムナーフェスタの開会イベントやらパレードやらがあるらしく、是非参加をとスタッフの方から言われていて、何をするんだか勝手がよくわからないのですが、でも行かないわけにはいきません。仕方なく沖縄市へ向かいました。
なるほど、今の沖縄の子供たちは、もう島の言葉なんか見向きもしないのかなと思っていたのですが、一生懸命「しまくとぅば」を勉強している子供たちがたくさんいるんですね。頼もしい……
そうだ、いいこと思いついた!
【裏】
名護市には、今、話題の辺野古があります。その名護で公演をする、それがこの旅の、僕の憂鬱の原因のひとつでもあったのです。
名護市は沖縄本島の西海岸から東海岸までに亘っていて、(沖縄本島全域でいえることなのですが)賑やかなのは西海岸側、名護市民会館もそちら側にあります。辺野古は東海岸です。
基地に苦しむ市町村ほど財政は比較的豊かです。反対に、基地の無い行政区は大変厳しい。本土東北地方の原発みたいなものですね。
また、沖縄の東海岸は、豊かな自然があっても観光客が来るような目立った施設がない。
名護の基地は、東に辺野古弾薬庫とキャンプシュワブがあります。名護は決して基地に依存した市ではありませんが、もしかすると、このふたつの米軍施設がなければ、山猫合奏団の公演に予算などつかなかったのかもしれません。
そういえば、最近とんと聞かれなくなってしまいましたが、泡瀬の埋立も東海岸だったよなあ。
澤地久枝さんは、その名著「琉球布紀行」の中で、奄美大島でのエピソードを紹介しています。
「(奄美は)復帰以前は『米軍の占領下』という沖縄と同じ歴史を通っている。しかし沖縄の本土復帰よりも十九年早く、復帰は実現した。
『オキナワがうらやましい。……基地があるから』
初老のタクシー運転手の呟きには、おきざりになった島人の本音がにじんでいるようだった。」
この「運転手の呟き」に、昨日紹介した島尾伸三さんの文章が重なって、僕の眩暈はひどくなっていくようです。
僕の頭はこんなふうにゴチャゴチャしていたのですが、会館の方々と辺野古の「へ」の字もなく笑顔で挨拶を交わして、名護を後にしたのでした。
でも、皆様お願いです。だからといって、沖縄の多くの人が基地を望んでいるんだなどという固定観念を持つことは決してしないでください。大嫌いな軍隊なのに、その基地に頼らざるを得ない人々の深い苦悩というものを、どうか想像してみていただきたいと思うのみです。
2010年07月16日(金)12時16分
拝啓、智内好文さま【天空企画「ウチナー・パワー~沖縄 回帰と再生」】《3》
いよいよ「ウチナー・パワー〜沖縄 回帰と再生」が出版されましたね。おめでとうございます。早速お送りいただき、ありがとうございました。すぐにも読んで、宣伝をと意気込んだのですが、地味ながらその内容の重さに、しばしば立ち止まって沈思黙考、申し訳なく思っています。
今日から沖縄へ行ってきます。山猫合奏団の沖縄公演ツアーのためです。山猫合奏団の公演を沖縄で実現させる、それは、大げさに言えば僕の夢でした。山猫合奏団の仲間や、山猫合奏団を応援してくださる方々は、僕の最も大切にしなければならない人たちですが、そのみんなに、僕が30年間「沖縄」の何に拘ってきたのか、その一端を知ってもらえる機会がやっと訪れたのです。同時に、沖縄を通じて知り合った方々には、僕が沖縄とは関係の無いことにも一生懸命に関わっている人間だということを知ってもらえるのです。「沖縄問題」が全ての日本人にとっての課題であるならば、今回のような機会こそがとても大切なのだと、僕は思っているのです。M.A.P.after5なるブログは、このためにこそあったのかもしれません。
にもかかわらず、何故かとても憂鬱なのです。その原因を説明するのは、なかなか困難なのですが、僕は周期的に、沖縄に関わっていることがとても嫌になる、ちょうどその時期にあたってしまったようで、でもこんなことを言うと、沖縄に関する優れた仕事を継続的に続けてこられた智内さんから、きっと叱られるに違いありませんね。
沖縄へ向かう機内で、東京から持ってきた唯一の本「ウチナー・パワー」をツラツラと読んでいます。
沖縄が「沖縄」に「回帰」し、そして「再生」しようと声を上げれば上げるほど、どうやら僕の憂鬱は募っていくようなのです。
島尾伸三氏がプロローグを書いています。「夢幻琉球」という表題で。
「奄美大島で小・中学校を過ごした1950年代から60年代なかばまで、沖縄は輝いていました。沖縄にはアメリカの珍しいものや便利なものが何でもあって、道にあふれるほどいろんな自動車が走っていて、毎日たくさんの飛行機が町や村の上を飛んでいるというのです。(中略)その憧れは、1972年の沖縄への復帰後数年もしないうちに、奄美の人間にはすっかり色あせたものになってしまいました。その理由は(中略)アメリカ軍からの横流しや戦利品と呼ばれていた盗品を日本へ密輸して大儲けできる魅力が、失われたからです。」
なんという逆説でしょう。僕は、この島尾氏の文章に拮抗できる言葉を、たったひとつとして持ち合わせていないことに気づくのみです。
その代わりといっていいのかどうか、僕は、先日島尾伸三氏から聞いた話を、思い切って公開してしまおうと思ったのでした。
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog…
また、例えば新垣誠氏はこんなことを書いています。
「(前略)沖縄の独自性を訴え、ヤマトとの差異化を図った言説が一世を風靡してから久しい。(中略)近代国家に取り込まれて以来、沖縄は常に苦渋をなめてきた。国家の矛盾と日常をともにすればするほど、帰属意識は薄れ、独自のアイデンティティーを問い直す作業が始まることは自然なのかもしれない。」
「しかし、また、沖縄の独自性を構築する作業は、沖縄をエキゾチックな文化的他者として陳列・観察しようとする殖民者やオリエンタリストによって強奪・利用されてきた側面をもつ。」
「他者の理解とは、多くの矛盾と困難をはらんだプロセスだ。他者理解など、そもそも不可能なのかもしれない。唯一、底知れぬ忍耐と謙虚な姿勢が生み出す共感力のみが、他者へ近づく道なのかもしれない。ましてや、自己の世界観に他者を幽閉して展示物のように眺め、自己を定義する欲求によって他者を『理解』するプロセスは、暴力以外の何物でもない」
そんなこと、分かり過ぎるほど分かっていたはずなのです。それなのに、僕はあらためて自問しています。僕は、沖縄の何を理解し、何を伝えようとしているのだろうかと。そして再び沈思黙考するのです。
「ウチナー・パワー」をそっと閉じて機内誌を手に取りました。しかしそこにも観光客に向けた沖縄特集が。
沖縄は、逃れがたく僕のそばにあり、そしてどの記事にも、僕は「違う、違う」と呟いているのでした。
どんなに憂鬱でも、これから10日間、僕はいつもよりもずっと注意深く、沖縄を見てこようと思っています。もしかすると、今回の報告は、いつもにも増して、遅筆、かつ、時には重たいものになるかもしれません。でも、どうか山猫合奏団の記事がお目当ての皆様方にも、すこしばかり辛抱して、ぜひともお読みいただきたいと願っているのです。
智内好文さま。東京にもどったら、お会いしたいと思っています。どんな土産話ができるのか、定かではありませんが。
2010年06月26日(土)23時41分
《伊波洋一の講演》【普天間飛行場の危険】と【島尾伸三写真展】
宮森小学校米軍ジェット機墜落事件51周年と銘打った伊波洋一宜野湾市長による普天間基地関連の講演。
会場の様子ですが……

(前の席は仏教関係の方ですね。近頃、こうした集会によく参加されているようです。)
宇夫方女史がデジカメをサンディエゴに持っていったので、加えて携帯電話のカメラなんか滅多に使わないので、こんな写真しか撮れませんでした。
この会で配布された資料の中に、こんな記述がありました。
「サンディエゴ市のフェルナンデス上級政策補佐官は、『閉鎖される海外基地を多く受け入れたい』と語っており、普天間飛行場の受け入れ実現の可能性を示唆しました。」
このことについて、補足の説明が必要です。できれば、宇夫方女史がサンディエゴにいるうちに彼女に伝え、現地の人と話してきてもらいたいと思っていることなのですが、きっと間に合わないでしょう。
帳簿なんかと格闘していなければ、もっと準備ができたのにと、残念でなりません。
今日のことは、宇夫方女史が帰ってきたら、あちらの情報(たぶん不十分な情報)を一応聞き取り、それを合わせて整理して、日を改めてご報告したいと考えています。
※【追伸】(8月13日)
未だ報告できません。⇒理由はこちら
その後、水道橋から千駄ヶ谷へ。智内さんに誘われて、島尾伸三氏の写真展にお邪魔しました。青山タンバリンギャラリー。

(かりゆしウェアっぽい服を着ている後姿の方が島尾伸三氏です。)
今日が最終日ということで、到着した時には、もう皆さんビールを飲んでいらっしゃいました。
展示写真を片付け、近くの居酒屋へ。すっかりご馳走になってしまいました。
島尾氏からとても興味深いお話を伺ったのですが、果たしてどこまでブログに書いていいものか、ただ今思案中です。こちらはいずれ、本記事に追記したいと思います。お楽しみに。むふふ……
妻子に逃げられたらしい智内好文…w

【思い切って書いちゃうことにしました】
以前、M.A.P.after5でご紹介した話。まずはそちらをお読みください。
⇒文藝家協会訪問記(島尾ミホと宮城まり子)
この話を、島尾伸三氏にしたのです。すると、伸三さんの反応は意外でした。
「へえ、あのふたりはものすごく仲が悪かったのだが。島尾敏雄と吉行淳之介の方は確かに仲がよかったけれど。きっと、あんたが行くなら私もって張り合ったのでしょう」
真偽は分かりません。僕が島尾ミホさんと宮城まり子さんにお会いした時には、すでに島尾敏雄氏も吉行淳之介氏もお亡くなりになっていたのですから、嫌いなのに連れ立って出かける必要など、もうなかったようにも思いますし。でも仲が悪いということが、息子である伸三さんにしか分からないような、ミホさんもまり子さんもそぶりさえ見せないような微妙な真実だったとすれば……、いずれにしろ、島尾一家の、他人にはうかがい知れない深い影を、あらためて感じたのでした。
「僕はミホさんの父親役をやったのです。」
「そうですか。島尾敏雄の家は東北の田舎もんですが、奄美のファミリーはねえ。祖父はね、薩摩の目を盗んで、奄美の木を切りまくってシベリア鉄道の枕木のために売り飛ばした男です」
「へえ、いや、僕は島一番の名士で、単にいい人みたいに演じちゃいました。なんとも薄っぺらだったなあ。」
もうひとつ。奄美にやってきた若き特攻隊の隊長と島のおひーさまの恋について。
「ロリコン男がまだ何も分からない島の少女をたぶらかしたってことですよ。僕は、両親から何ひとつ恩恵を受けていない」
読者の皆様、この話も、決してストレートに受け取ることのありませんように。
物事は、まったくもって単純ではなく、見方を変えれば、全く違う相貌が現れるのだということを、この日、伸三氏は、ユーモアを持って、語ってくださったのだと思うのです。

2010年06月19日(土)23時00分
“たきどぅん”にて【あまみのユキへぃのライブ】
そして代田橋へ向かいます。
去年ゴーヤーがたわわに実っていた場所、黄色い花が一輪、もう咲いていました。
そうか、こんなふうにネットを張ればいいんだな。
今朝告知しましたが、あまみのユキへぃ君のライブを聞きに来たのです。
“たきどぅん”に入ると……
間もなく開演ですね。
奥でユキへぃくん(麦藁帽を被っている少年)が準備中。
鈴木修さんも来ました。宇夫方さんの影に隠れて、山猫合奏団のドラさんもいます。町田からそのまま拉致してきたのです。
いよいよ、ユキへぃ君登場!
では、ユキへぃくんのご紹介。
本名、福永幸平。鹿児島県奄美大島出身。2001年、NHK教育テレビ「真剣10代しゃべり場」に出演。そこで映画監督の河瀬直美氏と出会い、映画「沙羅双樹」の主演に抜擢される。「沙羅双樹」は、2003年カンヌ国際映画祭コンペ部門に出品された。
そんな経歴を持つユキへぃ君と初めてこの“たきどぅん”で会った日、ユキへぃ君がちょいと唄ってくれた奄美民謡は、まるで泣いているかのようで、深い哀愁があってすばらしかった。その唄をもう一度聞きたくて、このライブを開いてもらったのです。
でもまあ、ユキへぃ君、若いんだもんね。歌いたい歌があるんだよねえ。
例えばこんな感じ。
これはしっとりしていますが、彼の真髄はこんなもんじゃない。クラシックのドラさん「びつくり?」 youTubeにもあるんだけどね、あんまりだから紹介しません。
でもね、ユキへぃ君、奄美の方言なんかもちゃんと練習しているのです。
奄美民謡を期待していたお客さんたちの微妙なノリ。
宇夫方女史は三板(サンバ)で、ちょっと遅れて来た日高さんはタンバリンで盛り上げるのですが、こちらも微妙な空気です。
でも、後半にはしっかり奄美民謡も披露してくれたし、そうして、最後はやっぱりカチャーシーで盛り上がったのでした。
ライブが終われば……
tag: 鈴木修 カチャーシーの光景 山川夏子 日高 しまくとぅば 沖縄居酒屋.たきどぅん 奄美 福永幸平 ゴーヤー 三線
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