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芸能祭は僕の柄ではない

前の記事から続く

芸能祭に間に合うように来たというワケではない。
懐かしい人に会った。宮城文子さん。
三人で…
俺はいいよ…
宮城文子さんと

踊り?
沖縄に帰ったらやめてしまったと。

ありがちなはなしだ、と思った。

「義母の介護も大変なんだけれど」
義母とは、宮城巳知子さんのこと。胸がチクッとした。

新しい琉球新報ホール。
新しい琉球新報ホール
やはり手すりから向こうの半分は、客席が引っ込むようになっている。コンクールの時には、前の席を格納して平土間にし、そこに長机をならべて審査員の先生方が座り、お客さんは後ろ半分のアリーナのようになった席で、息を殺して受験する人たちのパフォーマンスを見守るのである。拍手、声援厳禁の芸能コンクール。

でも今日はコンクールではない。芸能祭というのは、コンクールで受賞した人たちのお披露目公演である。

しかし、こんな僕だって10年も琉球舞踊を見てくれば、好むと好まざるとに関わらず、どうしたって多少は目が肥えてくる。でも意見を顔見知りの生徒さんたちに直接言うことはない。時々先生の宇夫方女史に伝える。そうすると、折を見て稽古の時に彼女がどうにかするのだろう。そこはきっとそれでいい。それがいい。

芸能祭集合写真
この集合写真について、何も語れないボク。
やっぱりさ、この記事は僕が書くべきではないのだよ、うぶかたさん。

次の記事へ

tag: 沖縄の呑食処.那覇ステーキ泉崎店  沖縄芸能コンクール  沖縄の旅_2018年11月  宮城巳知子  宮城文子  生徒が踊る  琉球新報ホール  鈴木里美  炭屋由美子 

10/15~16のツイートまとめ

gajumui

もう今日だが、忸怩たる疑問(妙な言葉)を抱え込みながら(なんと大袈裟な物言い)、僕は「平成25年度芸術文化振興基金助成対象活動募集等に関する説明会」に行く。革命家には遠く、無頼にもなれず、平然と飄々と歩く事もママならず。(ただ宇夫方女史が忙しいので、逃げられなかっただけのこと。)
10-15 00:02

助成金の説明会、知ったお顔もチラホラ。うちが新参者のせいでしょうか、どうしたらいいのやらさっばり。不正受給の指摘を受けて云々…。だから法人格云々…。まるで他人事のように、というか、きっとほとんどの人にとっては迷惑な話、なのかどうか…
10-15 16:06

沖縄のことを考えろと声高に言う僕、パレスチナのことをちっとも知らない僕… @mikairvmest 例えばあなたの町に、あなたの土地を接収して造られた他国の軍事基地と他国の国籍保有者用住宅と彼らの専用道路が・・ これがパレスチナの現状http://t.co/fP8luEOP
10-15 19:07

留守中に藤木さんから連絡があったらしい。防衛施設局の役人の役でいいですかと。もちろん何でもござれ、たくさんの沖縄の方々に交じって、ヤマトゥンチュなのに参加できる、それだけで大そう有難い。舞台の上だが、沖縄の怒りの声をこの身に受け止めてみる。
10-15 21:35

ubukatamichi

ぎゃー!地図~、いそがし~い。お腹減ったあ、とんかつ食って、それからビール飲みたいけど、仕事して、後で飲む!
10-15 22:49

あ!文子さんの義母さまの宮城巳知子さんだ。 @ryukyushimpo 「未来に伝える沖縄戦」 宮城巳知子さん(86)上 http://t.co/rTQ5LUQF
10-15 23:03

gajumui

安いエアアジアを使おうかなと、ネットにアクセスしてみるがややこしい。スカイマークの方がよっぽど上等だと思ってしまう自分。上げ膳据え膳の過剰なサービスが当たり前だと、そんな感覚に疑問を感じないで生きてきた情けなさ。頻便なのは、もしかするとウォシュレットの所為なのかもしれない。
10-15 23:31

忍び駒使ってビール飲みながら浜千鳥。だんだん酔いが進んでさ、忍び足のつもりが千鳥足のチュヰ~チュヰ~ナ~ときたもんだ。おや、七五調になってきた。うっさいよ~だ。あら、もう一時、イチジュヤ、ハヤイッテ、チュヰ~チュヰ~ナ~・・・ 安冨祖流と野村流、ずいぶん違うんだよな・・ #三線
10-16 01:24

【追伸】
ubukatamichi

(下)もあった! @ryukyushimpo <未来に伝える沖縄戦> 宮城巳知子さん(86)(下) http://t.co/69FSe9qQ
10-16 19:02

tag: 地図の仕事  宮城巳知子 

06/12のツイートまとめ

大震災から459日目……

gajumui

一年前に呟いたことを、今日また呟いてみる。「今に始まったことではない原発作業員の被曝、だがそのことについて、僕らはあまり触れようとしない。放射能に怯える僕らは、福一を押さえ込むためのスケープゴートの存在を、心の奥のどこかで密かに切実に求めているのでないか、悪魔の如く」
06-12 11:31

野田佳彦という人の「政治生命」なるものを万積み重ねても、例えば原発に携わり削られたひとつの命の万分の一にも満たない。そして僕は、「永久の別れ」を思い描きながら、伊野波節をゆっくりと歌ってみる。こじ付けと言うなかれ、古典を見つめることは、今を忘れることではないと信じている。
06-12 11:45

沖縄戦の女子学徒隊は“ひめゆり”だけでないことはご存知ですか。以前からM.A.P.と交流のある“ずいせん学徒隊”の宮城巳知子さんから御案内が届きました。田中正子写真展「女子学徒たちのウムイ」本日より7月の1日まで、相田みつを美術館にて。 http://t.co/dwhHsrzX
06-12 15:50

“ずいせん学徒隊”の語り部、宮城巳知子さん:ブログの“宮城巳知子”のタグ記事→ http://t.co/fLG0Jeop M.A.P.が企画する“おきなわおーでぃおぶっく”のブログより「宮城巳知子さんの辿った重い歴史の道を歩く」→ http://t.co/QBa7hOej
06-12 15:59

俺も… @ubukatamichi 私も出てます。 @YamanekoEns サッカー観戦が終わったあとは、FMつやまで、山猫合奏団「東京ニャイト倶楽部」をどうぞ。2130から。ネットでも聞けます。#fmtsuyama http://t.co/1s71poNL
06-12 18:38



ubukataicon ubukatamichi

3年後には優秀賞、長生きすれば師範もいける! @gajumui 若い頃から正しきルートで登り始めても、なかなか頂には立てない古典の世界。ならば50過ぎて理屈で楽しむもあり。 @ubukatamichi まだ新人賞も受けてないのに言う事は大家(たいか)みたいなM.A.P.代表
06-12 18:30

私も出てます。 @YamanekoEns サッカー観戦が終わったあとは、FMつやまで、山猫合奏団「東京ニャイト倶楽部」をどうぞ。今宵は劇団昴の高山佳音里さんがゲストで登場です。2130から。ネットでも聞けます。#fmtsuyama http://t.co/311BETFL
06-12 18:35

tag: ずいせん学徒隊  宮城巳知子 

“どぅたっち”で上映会【沖縄読谷平和学】そして《知花昌一さんのこと》

昨日は三鷹、今日は駒込。2日続けての西山正啓監督の「知花昌一・沖縄読谷平和学」の上映会にお邪魔しました。
今日の上映会の場所は、山手線駒込駅のソバにある“琉球センター・どぅたっち”
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普段は沖縄の物産品を売っているお店。でも、ここで三線教室をやっていたり、色々なイベントを開催していたり。
10月には読売新聞で紹介されました。
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 ⇒“琉球センター・どぅたっち”のブログ
上映中です。
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たくさんのお客様がいらっしゃっていました。
那覇のBar“土”での上映会は11日間で80名、結構大きな新聞記事にもなっていたのに、ちょっと少ない。宇夫方路が観た時はたった一人だったらしい。
 ⇒映画の解説はこちら
上映会の後は西山監督のお話です。
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「恨(ハン)之碑」があるということの意味。
学生達が映画の中で最後に語りあったこと。
「まるで外国に来たようだ」と日本の学生。
「自分の国に帰ってきたようだ」とベトナムの学生。
韓国の学生がベトナムの学生に、韓国がベトナムにしてきたことを涙を流して謝る。ベトナムの学生は「これから仲良くなればいい」と笑います。
男子学生の少ないことがちょっと残念。

西山監督は言います。
「読谷には沖縄の全ての問題が凝縮されている」

僕はきっと、本当の読谷を知らないのだろうと思います。
僕は、宮城文子さんのはなしを思い起こしました。文子さんは長くいた東京をこの12月16日に引き揚げて、沖縄で義理のお母様と暮らすことにしました。
文子さんの義母さんはずいせん学徒隊の語り部である宮城巳知子さんで、嘉手納にお住まいです。もちろん文子さんは、今までも何度も行っているし、お正月などは長く滞在することもあった。その時には特になんとも思わなかったのだけれど、これからずーっと暮らすと決めてお宅に入った時、米軍基地から飛び立つ戦闘機の音がものすごいことに気がついたというのです。そこで生活するのだと、地に足を着けた時にはじめて聞こえてくるもの、見えてくるものがあるのでしょう。
テレビで、元の防衛大臣が蛇のような目をして、「何度も沖縄に行った」と偉そうに語っていましたが、きっと何にも見えてはいないのだろうと思うのです。
そういえば初めて巳知子さんにお会いした時、「政治家は誰も基地の現状を見に来ない」と怒っていらっしゃいましたっけ。

今度、Bar“土”のオーナーごうさんに、是非とも読谷を案内してもらおうと、あらためて思ったのです。

昨日も今日も、西山監督は、僕におきなわおーでぃおぶっくのCDの宣伝をする時間をくださいました。その上“人類館”のCDをご購入くださいました。感謝です。

宴会開始です。
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スクガラス。アイゴの稚魚(スク)を塩蔵発酵させた保存食です。昔は酒の肴の定番でしたが、最近はあんまり見かけない。やっぱりちょっと塩っ辛過ぎるのかな。それにしてもこいつは魚がでかいなあ。ほんとにスクなのかしらん。
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にんじんしりしりーも出てきました。

そして、今日の影の主役です。西山監督の娘さん(左)とそのお友達(中)です。
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お父さんの映画会に来たのは今日がはじめて。お父さんのことは、やっぱり好きじゃなかったらしい。お父さんが何をやっているのか、全く興味もなかった。でもお母さんから父親の仕事を聞かされて、もしかすると、お父さんはすごい人なんじゃないかと思ったんだって。
お母さんが話したのがきっかけじゃありません。娘さんが変わったんだよね。そのタイミングを、お母さんはきっちり見逃さなかった。父は、きっと信じて待っていた。すばらしい親子です。 

しょうがないから父も仲間に入れてあげよう。
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もうひとりの女の子。(女の子じゃあ失礼かな)
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那覇で西山監督の映画の上映会が行われている時のある朝、パラダイス通りを歩いていた彼女は、「土」の看板を見つけた。こんなところにほんとにバーがあるのだろうか……
「すいません……」
って、声を掛けたって店の人はいない。ところがその日店では西山さんなんかが雑魚寝していた。それが縁で、今日の上映会にやってきたのです。

不思議な出会いだなあ……。でも、沖縄に関わっていればよくあることです。

そして、不思議なメンバーで二次会へ。
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今日のところは、皆さんのお名前のご紹介は控えておきましょう。きっとまたどこかでお会いすることがあると信じています。その時こそ、ちゃんとご紹介します。

続きを読む

tag: どぅたっち  沖縄の基地  スク  にんじんしりしりー  西山正啓  知花昌一  宮城巳知子 

南風原文化センターを見下ろす黄金森

「クガニゼーク」と「カンゼーク」のことを伺おうと、文化担当の平良さんという女性にお会いするために南風原町役場を訪ねたのは、一昨日の17日のことでした。
その日は組踊りの稽古を見学させていただいていたのですが、途中ちょっと抜けて、そこから500mほどのところにある役場まで歩いていきました。
案内所で伺うと平良さんは南風原文化センターにいらっしゃるとのこと。その文化センターは役場の隣にあったのですが、最近さらに500mほど先に移転したらしい。
「歩いて行かれるのですか」
もちろん歩きますとも。どうぞご心配なく。沖縄の人はほんとに歩かない。

新しい文化センターは旧陸軍病院壕跡のすぐそばにありました。
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大きな地図で見る

東京で電話した時、親切に対応してくださった学芸員の平良次子さんに、あらためてお話しを伺う事ができました。
まず電話で聞いた話の内容(11/14日の記事)を読む
残念ながら特に新しいお話しは出てこなかったのですが、それだけに電話でも精一杯の対応をしてくださったのだということがよくわかったのです。
さらに平良さんはその電話の後、金細工について詳しい方にわざわざ聞いてもくださったようで、ただ「カンゼーク」についてはやはりよくわからない、また「クガニゼーク」に「黄金細工」という文字をあてたのは、南風原文化センターで開催された「黄金細工と鍛冶屋展」以外にはないということを教えてくださいました。

今回の旅のテーマのひとつである「クガニゼーク」について、南風原文化センターで聞くことはもうありません。それなのに今日再度訪れたのには、ふたつのわけがあったのです。
そのひとつは、一昨日は時間がなくて見ることができなかった常設展を、どうしても見学したいと思ったからです。

「御真影」と「教育勅語」を保管する奉安殿のこと。
「慰安所」で「慰安婦」にされたのは、辻の女性(今回の旅の隠されたテーマ)であったということ。
「沖縄語を以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」の命令。新垣弓太郎が妻の墓に刻んだ「妻タガ子 日兵逆殺」という文字のこと。
南風原の、ある地域のこと。
一人でも戦死者が出た家79.9%
一家全滅した家17.6%

思った通り、細やかでじっくり練られたたいへん見ごたえのある展示でした。沖縄へ来て、とりあえず「ひめゆり」だけは押さえて、ついでにお土産屋さんをウロウロするというのもいいけれど、是非ともこの南風原文化センターと、裏の黄金森(クガニムイ)にある旧陸軍病院壕跡へ行くというコースを検討してみることをお勧めしたいと思います。

南風原町史第3巻「南風原が語る沖縄戦」
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1,000円は破格に安い。
「行政のやることですから利益を出してはいけません。印刷代を回収しようとも思っていません。皆さんに知って戴くことが重要なのですから」

「黄金森」です。
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あのナゲーラ壕も、ここ南風原と那覇の間にあるのです。
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あの宮城巳知子さんの、ずいせん学徒隊の辿った道なのです。
ナゲーラ壕に行った時の記事

そして、南風原文化センターを訪れたもうひとつの理由。それはここ南風原が、“琉球絣のふるさと”だということ。でもこれは、今日のところはミステリーということにしておきたいと思います。

平良次子さんと記念撮影。
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(撮影:高山正樹)

病院壕跡への入口。
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黄金森は、実に穏やかに佇んでいたのです。
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tag: 「クガニゼーク」のこと  金細工  宮城巳知子  沖縄の旅_2009年11月  沖縄戦 

成井俊美さんのご紹介

宮城巳知子さんの「ずいせん学徒隊」の挿絵をお書きになった成井俊美さんが、喜多見の事務所までおいでくださいました。
巳知子さんの御長女のご主人でいらっしゃいます。つまり、宇夫方路の琉球舞踊の仲間、宮城文子さんの義理のお兄様ということです。

ウチナームコのツーショットです。
成井俊美さんと(ウチナームコのツーショット)
沖縄の妻を持つヤマトの男でなければ分からないような、「それそれ、それ、ありますよねえ」という話がたくさん。

内地には、京都文化の亜流しかない、それを相対化できるような、京都文化に拮抗する文化は、この日本の中では琉球文化を措いて他にはないと、成井さんは語られました。
「京都文化の亜流しかない」という点については、アイヌ文化や、その他の地方文化についても不勉強なので、僕の意見は保留しますが、沖縄が大和を相対化するということは、全くその通りだと思うのです。われわれ「大和」の人間は、「沖縄」を鏡として、自らを常に見つめていかなければならないと思うのです。

その素晴らしい「琉球文化・沖縄文化」を、大和はどのように受け入れていくべきなのか、また、沖縄の人たちがその「文化」を「内地」に向けて発信していくことに、我々のような人間が協力できることはないのだろうか、話は尽きません。

しかし、沖縄の人たちだけでは、なかなか困難なのではないかという成井さんの語られる言葉は、様々な経験が背景にあって、とても重いものがあります。沖縄の若者たちにも、できれば素直に耳を傾けてもらいたいようなお話だと思うのです。

出る釘は打たれる、伝統という名目に固辞して、新しいものを受け入れようとしない、とても閉鎖的な一面が沖縄にはある……

我々のような「よそ者」は、無責任にそんな批評もするのだけれど、沖縄の若者たちは、沖縄を愛していればいるだけ、沖縄の地で一生暮らしていこうとしているわけで、そこで「我」を主張して生き難くなるようなことは慎しみたいと思うだろうことはよく理解できるのです。しかし、そこを打破しなければ、新しいことは、全て「内地」の根無し草たちに持っていかれてしまうでしょう。
なんとしても、古いシガラミを断ち切る勇気を持って欲しいと、ふたりのおじさんは思うのでした。

成井俊美さんは大先輩(失礼?)、今後、教えていただきたいことがたくさんあります。また、ご一緒できる「仕事」も、探っていきたいと思います。

「ビジネスにしなければいけないのです」

ビジネスについて、注釈なしに同意できることは、とてもうれしいことです。

成井様、これから、どうかよろしくお願いいたします。
(4/22投稿)

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tag: 京都  宮城巳知子  アイヌ  成井俊美 

うぶかたさんの沖縄通信その2

高山正樹が、立川で、柄にもなく朗読会なるものに出演し……
久米明さんが、NHKで、久しぶりに主演されたドラマが放送されている、その頃……
沖縄では……

津嘉山(つかざん)の民謡居酒屋「あやひめ」で、宮城文子さんプリティーちえちゃんこと宮城千恵さんのご対面。
宮城文子さんと宮城千恵さん
「M.A.P.」→そのスタッフの「宇夫方路」→その踊りのお仲間の「宮城文子さん」→その旦那さん→そのお母さんが「宮城巳知子さん」→その巳知子さんとずいせん学徒隊で一緒だった「宮城幸子さん」→その娘さんのプリティーちえちゃんこと「宮城千恵さん」。
いったい沖縄には何人の阿麻和利の子孫がいらっしゃるのでしょうか。
このシュールな展開は何?

お店では民謡ライブ。
お客さんとお店の女の子
お客さんとお店の女の子。すごくうまい!

お客さんの飛び入りが、次から次へと続きます。

大混雑の客席も歌ったり踊ったり、大盛り上がり中。
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東京じゃあ、体育会系の学生さんのコンパ以外、こんなノリは考えられません(?)。

鶴、一羽。
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「すごいですね」
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「うふふ…」

そして最後に、有名な徳原清文さんの登場です。
徳原清文さん
あんなに大騒ぎだった皆さんが、静かになって聞き入っていました。
清文さんは、以前行った普天間の民謡スナック“でいご”の店長、波田間武雄さんと同じ「フェーレー」のメンバーです。
でも、舞台から降りれば他のおじさんと区別がつきませーん。
徳原清文さん乾杯

このままずっと付き合っていたら大変。ではそろそろと、ちえちゃんと店を出ました。

さて、いよいよ琉球新報主催の“華の松竹梅”という踊りの公演が近づいてきました。
そのご案内のために「ななしん屋」へ。
なかじんさんと再会。
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ママを指差すなかじんさんでした。

本日の報告、終わり。

tag: 渡久山トヨ  沖縄の人  宮城文子  沖縄の旅_2009年2月  徳原清文  沖縄の呑食処.ななしん屋  宮城巳知子  プリティちえちゃん  なかじん  沖縄の呑食処.民謡居酒屋「あやひめ」 

プリティちえちゃん登場(6日その2)

和光小学校の修学旅行に同行し、宮城巳知子さんのお話を伺った時にお会いした“プリティちえちゃん”に再会しました。
といっても、本ブログでは初登場。
まずは和光小修学旅行の時に識名園の前で撮影した画像で、プリティちえちゃんのご紹介です。
識名園の前でプリティちえちゃんと
(10月28日撮影)
その日の記事
その日のOffcial_Blog(別窓で開くならシフトを押しながらクリック)

ところで、今回、宇夫方路の訪沖の最大の目的は芸能チャリティ公演に出演して太鼓を叩くこと。(それについては明日報告します!)その稽古をして、そのあと太鼓の知名先生と、嘉陽田早苗さん(知名先生の門下生)のお店「美風歌(びふうか)」にやってきました。
美風歌看板

で、プリティちえちゃんは南風原高校の英語の先生。(なんでプリティなのかは、まだ本人に聞いてません。)
この日は新報ホールで英語の大会があったそうで、プリティちえちゃんはその司会を担当、それが終わってから美風歌に駆けつけてくださいました。
時間も遅かったので、早々に切り上げようと思ったのですが、ここは沖縄、プリティちえちゃんが那覇西高校にいたときのPTA会長さんの源河さんご夫婦がお店にやって来られて、ご一緒することに。
美風歌にて

源河さんのご主人は安冨祖流の三線をやられていて、奥様は琉球舞踊敏風会の教師。さすが芸能の島、いたるところに芸能人がいらっしゃるのです。

で、宇夫方路が所属する喜納の会の会主である伊波正江先生のそのまた先生、つまり大先生は亡くなられた喜納初子先生なのですが、その初子先生と、源河さんの奥様が所属する敏風会の会主、宮里敏子先生とは、かつて名コンビと言われていたのです。

で、美風歌のオーナー嘉陽田早苗さんは、源河さんの奥様と幼なじみ。
で、なんだかんだ色々なつながりがあって、すっかり盛り上がってしまったのです。

みなさん、ここまでのややこしい話に、ちゃんと付いてこれましたか?
で、です。一番重要な話はここからです。

プリティちえちゃんのお母様はずいせん学徒隊の生き残り、つまり宮城巳知子さんの同窓生でいらっしゃいます。しかし、プリティちえちゃんのお母様は巳知子さんのように当時のことを人前でお話になることはありません。でもプリティちえちゃんは、お母様たちの経験を、なんとか語り継いでいきたいと考えている、そこで御高齢の宮城巳知子さんの後を継いで、巳知子さんの体験を題材に、語り部となるべく勉強をしていらっしゃるのです。

で、です。「おきなわおーでぃおぶっく」では、宮城巳知子さんの書かれた「ずいせん学徒の沖縄戦」を、プリティちえちゃんに読んでもらおうと、白羽の矢を立てたのです。
そして今日、それを快諾していただいたと、こういうわけなのです。

で、最後になりましたが、プリティちえちゃんの本名は宮城千恵さんです。なんでここまで本名を伏せて“プリティちえちゃん”で押し通したのかというと、ただでさえややこしい話なのに、宮城さんがたくさん出てきたらますますワケがわからなくなりそうだったからです。

あー説明、疲れました。明日、ちゃんと太鼓叩けるかしら。
(宇夫方路電話談、東京にて高山が代筆。疲れた…)

Official_Blogには、もう少し話が進んでから、ちょいと整理して記事を書きましょうね!

tag: 沖縄の人  プリティちえちゃん  沖縄の呑食処.美風歌  琉球舞踊  三線  宮城巳知子  ずいせん学徒隊  沖縄の旅_2008年12月  おきなわおーでぃおぶっく  識名園 

ほんとうの強行軍の記憶

沖縄に関わっていると、人と人の「つながり」ということを改めて思うのです。

高山正樹の奥方の親友に琉球舞踊の先生がいて(関連記事へ)、その方を舞台で共演していた宇夫方路に紹介してから、もう20年近くになります。その踊りのお仲間の宮城文子さん(関連記事へ)は、ずいせん学徒隊の語り部である宮城巳知子さんの義理の娘さんです。

巳知子さんのお話を是非とも伺いたいと思い、文子さんに紹介していただいて、沖縄の嘉手納で宮城巳知子さんにお会いしました。(関連記事へ)
その際に和光小学校の修学旅行のお話を伺い、世田谷にある和光小学校に校長先生をお訪ねして、その修学旅行に同行させていただけるようお願いすることにしました。(関連記事1へ)(関連記事2へ)

その修学旅行が今日だったのです。
その行程は、「おきなわおーでぃおぶっく」のOfficialサイトのブログで報告しているので是非お読みください。
《Officialサイトのブログ記事》
(別窓で開く場合はシフトを押しながらクリックしてください。)



2018年暮れ、「おきなわおーでぃおぶっく」のOfficialブログの更新をしなくなって久しい。いつ無くなってしまうか分からない。ということで、こちらに転載しておくことにした…

宮城巳知子さんの辿った重い歴史の道を歩く

沖縄戦で法的根拠無く駆り出された学徒隊は、「ひめゆり学徒隊」ばかりではありません。他にも白梅学徒隊、積徳学徒隊、梯梧(でいご)学徒隊など、たくさんの女学生が従軍看護部隊として組織されたのです。
県立首里高女の「瑞泉(ずいせん)学徒隊」もそのひとつで、最も早く最前線に送られた学徒隊でした。
4年生61名が動員され、そのうち33名が戦死したのです。
ずいせん学徒隊には引率する教師がいなかったことからひめゆりのような記録が残っていません。それを独り語り継いでいらっしゃるのが、ずいせん学徒隊の「生き残り」、宮城巳知子さんです。

昭和20年3月23日、ずいせん学徒隊は第六十二師団の野戦病院として使われていたナゲーラ壕(那覇市と南風原町の境界にある)に配置されました。5月下旬、南部への撤退命令が出され、もはや助かる見込みのない重傷患者を残し、宮城さんらは、まだかろうじて動ける兵隊に肩を貸して、砲弾の飛び交う中、南の識名壕、さらには米須壕へと移動して行きました。
そして6月23日、米須壕は米軍の馬乗り攻撃を受けるにいたり、もはや生き地獄より死を望んで、意を決して壕を出たところを、米軍に収容されました。

東京の和光鶴川小学校の6年生の修学旅行では、この宮城さんたちの「ずいせん学徒隊」が辿った道を、子供たちが追体験するのです。もう20年以上も続けていらっしゃいます。
この度、私たちは、その体験旅行に同行させていただけることになりました。

ナゲーラ壕は、那覇ICの近く、県道82号線から路地を降りていったところにあります。地元の方でさえ、ここにそのような壕があることを知らないのだそうです。

ナゲーラ壕

ナゲーラ壕への道…
ナゲーラ壕への道

ガマ見学

この奥には、迷路のように、ガマが広がっています。
ナゲーラ壕2
この中には、多くの遺骨が、まだ収集されずに残っていることでしょう。

次に、子供たちは識名壕へ向かいます。

識名壕は光明寺の脇の階段を上り…
光明寺

識名壕へは民家と民家の間…
識名壕へ入る入口

識名壕入口
細い隙間を降りたところに、入口があります。

識名壕
明かりなどありません。子供たちはこの後、各自持っている電灯を消して、一分間の闇を体験しました。蓬(よもぎ)の葉を鼻に詰めて耐えたという、昭和20年の死臭を想像しながら。

そして最後の米須壕へ。
米須壕

どの壕も自然のガマ(鍾乳洞)で、一般の方が所有する土地の中にあるものです。
沖縄には他にもたくさんのこうしたガマがあり、きっとそれらのひとつひとつに、それぞれの辛い過去があるに違いありません。
同行した「おきなわおーでぃおぶっく」の女性スタッフたちは、あまりに重い体験に、最初のナゲーラ壕だけでいっぱいいっぱい、後のふたつには近づくこともできませんでした。

最後に「ずゐせんの塔」で待っていてくださった、84歳の宮城巳知子さんから、お話を伺いました。
碑

宮城巳知子さんのお話

重傷の隊長さんが、もう助からないことを悲観して、持っていた手榴弾を爆発させ、周りにいた生き続けられる可能性のあった何人もの人々を巻き込んで自爆したという話。
それは、子供たちの想像力をはるかに越えた出来事のように思えました。

お話の後、和光小学校の子供たちは、一年間練習してきたエイサーを披露しました。
エイサー
エイサーは、ご先祖さまを供養する踊り。そりゃあ地元の子供たちの迫力には及ばないけれど、でも東京の子供たちが一生懸命に叩いたの太鼓の音も、きっとニライカナイにいらっしゃるずいせん学徒隊の皆さんのところにまで、しっかり届いたに違いない、そう感じられて、熱いものが込み上げてきました。

ずいせんの塔には、宮城巳知子さんの他にも、県立首里高女の同級生の皆さんが集まってくださいました。「ずいせん学徒隊の生き残り」の方もいらっしゃいます。

子供たちが帰ってから、記念撮影です。
記念撮影

宮城巳知子さん以外の方々は、半世紀経った今となっても、自分たちの戦争体験を語ることができないのだそうです。
皆さんはおっしゃいます。
「巳知子さんは偉いさー」
でも、沈黙する皆さんの無言の《声》も、宮城巳知子さんの語られる《言葉》と同様に、大変に重いものとして私たちに迫ってきました。

和光鶴川小学校の子供たちが供えた折鶴です。
折鶴

かの有名な「ひめゆりの塔」の脇には、こうしたお供えを保管し飾って置く場所があるのに、ここにはそれがありません。若くしてお亡くなりになった同級生を祀るここにこそ、子供たちのメッセージを置いておきたいのに、雨ざらしにしないためには持って帰るしかないと、宮城さんは淋しげに語られたのでした。



ここではOfficialサイトのブログでご紹介しなかった画像を一枚。

識名壕の中から見た入口。
壕の中から見た入口
四角くシルエットに見えるのはウガミ(拝み)の場所です。なんとなく、写真を撮ることも憚られたのだけれど、どうしても知ってもらいたくて、それでもOfficialブログではアップすることをためらった一枚です。
帰り際に、先生がお線香を供え、手を合わされていらっしゃいました。

Officialサイトのブログ記事を転載したら、タグが足りなくなりました。
記事をあらためます。

tag: 井上真喜  エイサー  別ブログへ  沖縄の旅_2008年10月  ずいせん学徒隊  宮城巳知子  ナゲーラ壕  識名壕  米須壕  ずゐせんの塔 

沖縄の声に耳を傾けること【行田稔彦編『生と死・いのちの証言“沖縄戦”』】

沖縄でお会いした宮城巳知子さんのご紹介で、和光学園小学校の行田稔彦校長先生にお会いしてきました。
今後、色々と勉強させていただくことが多々ありそうです。それらについては、随時ご報告してまいりますが、本日は…
生と死・いのちの証言“沖縄戦”
沖縄戦を体験した方々の証言を集めたDVDと、時間的な制約でDVDに記録できなかったたくさんの貴重な証言を何とかしたいとの思いで、行田稔彦先生が編集された書籍です。宮城巳知子さんのお話も収録されています。

まずは沖縄の生の声に耳を傾けること、そこからしか始らないのだろうと思うのです。

「おきなわおーでぃおぶっく」Official_Blogへ転記
(本の分厚さが分かる画像あり)

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