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奇跡のトマト畑の最後

目当てはトマト。

空の上から

間もなく

約束は明日だったが、識名さんの農場へ直行することにした。
識名さんの農場

一日あちこち案内してもらって、やっぱり泊めて頂くことになった。
そうと決まれば、また歩いて飲みに行くのであった。
語る

識名さんから、ボクはずっと「ちむぐるしい」について聞かされていたような気がする。人に対して使ってはいけない言葉なのだと。それは相手を崖から突き落とすような言葉だと。金城実さんも、そう考えていると。
あしたはその実さんのアトリエに行く。いずれ、僕に何かが見えてきたら、どこかに書こうと思う。

tag: 沖縄の旅_2018年5月  富士山  識名盛繁 

1/08のツイートまとめ+

gajumui

昨夜、小田急線の人がふたり菓子折り持ってきた。いらないと言ったけれどおいていった。だから僕は、今からメガネを作りに行くんだ。
01-08 10:33

メガネを新しくする時は、必ず以前より度数を上げるものだと思い込んでいたが、この年になると下げるわけね。PC作業用のメガネの話です。こいつはもう夜の運転には絶対使えない。あーあ、なんだかなあ。“初老間近の俳優の呟き”←検索してみる?
01-08 11:34

本日、いずこかの着付けの発表会(そういうものがあるんだ)で、何故かM.A.P.琉球舞踊教室も頼まれて紅型の着付けをご披露することになり、どうせなら踊りましょうということになり、それなら三線も生でとなり、僕はこれから「四つ竹」と「浜千鳥」の地謡をやりに出掛けるのです。
01-08 12:32

老人ホームにて

今日も健康ゲーム。7km歩いて帰る。途中、多摩川大橋にて。
夕日と富士山…
夕日と富士山遠景
すごく美しかったので、足を止めて撮影してみたのだが…
夕日と富士山
ちっとも上手く撮れない。
自然にゃあ敵わねえと、スゴスゴとまた歩き始めた。

gajumui

@damdambooks プロデュースしたい…
01-08 23:11

@damdambooks 40を過ぎた頃から、瓢箪から駒という人生を歩んできました。
01-08 23:27

なるほど。考えてみれば瓢箪から駒が出てくるというのは怪談じみた話ですなあ。 @damdambooks ガジュマルからキジムナーみたいなことでしょうか?(笑)
01-08 23:44

@sugimaru35 @damdambooks 勉強させていただいております。
01-08 23:59


【メガネ追伸】

gajumui

小田急線本社の方ふたり、がんばって上に話したらしい。満額。彼らの出世を心配しております。って、俺にそんな力があるわけないよなあ。もしかしたら、マンマとしてやられたのかもしれない。いや、そこまで疑っちゃいかん。ふたりの将来に幸あれ、です。
01-09 19:32

tag: 富士山  健康ゲーム 

12/4のツイートまとめと12/5のツイートひとつ

大震災から268日目……
青い空です

青い空と富士山です

gajumui

「死の町」と「犯す」と何が違うのか。基地と原発と何が違うのか。「フクシマ」と宮森小学校と何が違うのか。懸命に考えているのだが……。結局、日本と沖縄と何が違うのかという問題に収束しそうで詰まらない。つまり、設問のたて方が間違っているということか。
12-04 09:25

「今回の震災であらためて人と人との繋がりを…」みたいな話にずっと違和感があった。若い頃考え続けて結局放棄してしまった「自由」についての形而上学なんだろうと思う。「オキナワ」といい「フクシマ」といい、それを比較する詰まらなさも畢竟それなんだ。
12-04 11:36

そういえば、光は波か粒子か、人間はありもしないエーテルに何を託していたのか、そんなことばっかり考えていたっけ。そうした時にオキナワと出会ってしまった。いや、その前にアイヌだった。でも「アイヌ」と「オキナワ」を結びつけることにいつも違和感があった。
12-04 11:46

僕は僕の「オキナワ」を、自由を許さない存在と定義した。そしてその世界観を受け入れることを選んだ。選んだつもりになっていた。しかし……。僕、決して沖縄と原発のことばっかり考えているわけではありませんから。なんで今日の空はこんなに青いんだ!
12-04 12:01


12:18、事務所外の線量……
0.08μSv/h(DoseRAE2,RADEXは参考)
12月4日の事務所外の空間線量

13:46、事務所内の線量……
0.06μSv/h(DoseRAE2,RADEXは参考)
12月4日の事務所内の空間線量

12万のフォロワーが泣かないから問題なんだ。 @nejimi @ikedanob Twitterをテメーのストレスの捌け口にするなよ。12万フォロワーが泣くよ。
12-04 19:27

ネタとしてフォローしてる人も結構いるようです。僕もブロックされるまではそうでした。?/12万が知りたい。 @nejimi ネタとしてフォローしてるならともかくあそこまでいい加減なのに未だに先生扱いする人がいるのは驚き。@ikedanob
12-04 19:33

だいたいいつもは @ikedanob を笑っているのだが、この記事には腹を立てた。「基地問題を沖縄問題から切り離せ」 http://t.co/7jNIv324 その理由は…(続く)
12-04 19:51

池田信夫は普天間基地の建設当時と今の航空写真を並べ、危険なところへ勝手に住民が移り住んだのだ(使い古された論考)というが、あまりに稚拙。例えば学校などは基地返還が前提にあって建設されたが、その後返還が反古になったという事情とか、つまり基本的知識が全く足りない。(続く)
12-04 20:09

例えばアメリカ国内の基地は、市民の住居とは数十キロ離す法律があって、仮に決まっている距離以内に誰かが住めば、移動しなければならないのは基地の方だという。だから基地を作る場合、その周は人が住んではいけないという法律をまず作るらしい。 http://t.co/JWi1zjMb
12-04 20:15

そして、普天間基地の傍に住む人たちと、汚染された土地を離れない人たちを、同じ図式に当てはめて語り始めるわけだ。ある人は「勝手に住んでいる」と言い、またある人は移住できない事情を構造に求める。僕は「オキナワ」と「フクシマ」の共通性に半ば同意しながら、何か違うと感じている。
12-04 20:53

大震災から269日目……

【宇夫方路の呟き】

ubukataicon ubukatamichi

やっと仕事が終わって、家に戻ってちょっとワイン。何気なくテレビをつけたら、スケートをやっていた。ショートトラックだって。なんとなく滑り始めた感じなのに、だんだんスピードが出てきて、最後は息を止めて見ていた。死ぬかと思った。
12-05 2:24


なんとも申し訳なく…
死なれたら困るのであるよ。

tag: 富士山  MAP事務所の線量 

(事務所線量)

大震災から255日目……
今日の富士山、遠景とアップ。サムネイル、つまりクリックするとでかくなる。
富士山遠景 富士山アップ

10:53、事務所外の線量……
0.07μSv/h(DoseRAE2,RADEXは参考)
11/21事務所線量


【この日呟いたこと】
gajumui

和装と琉装の着付けを比較して、美意識がずいぶん違うと思った。踊りの場合だけど、琉装はお尻を大きく見せるらしい。日本人て、美意識の違う人間とのコミュニケーション下手だよなあ。ん?日本人だけじゃないか。なんだ、面白いと思ったんだけど、結局つまらない話になった。
11-21 11:45

M.A.P.三線教室開設にあたって、最初にご相談したのが西江喜春氏先生でした。 @ryukyushimpo http://t.co/r4xybE6G 「至芸」観客を魅了 西江喜春氏人間国宝認定公演
11-21 11:50

例えば色んな名人上手が“かぎやで風”をやるけど、みんな全然違う。僕が“かぎやで風”をやると芸能に見識のある沖縄の人たちはみんなして「なんか違う」って言う。色々説明してくれるんだけどみんな違うことを言う。一冊の本が書けそう。#三線
11-21 11:57

20年も三線やってて最高賞まで取って師範免許も持ってて、首都圏で行われる大きな琉球舞踊公演の地謡をこなすヤマトの人の歌三線を、琉球舞踊の新人賞に何年も落ちているような沖縄のおばさんたちが「なんか違うさあねえ」ってみんなでゆんたくしてる。 #三線 #琉球舞踊
11-21 12:14

原発のこと考えてたら、沖縄の三線のこと、呟きたくなったのです。分かりにくい話。早川由紀夫さんに叱られそうだなあ。
11-21 12:18

お笑いの物まねと朗読って似てるところがある。物まねが面白いのは、真似する芸人と真似される人との距離に内包されている要素。朗読も同じ。読んでいるものにベッタリ寄り添っている朗読なんて気持ち悪くて聞けたもんじゃない。
11-21 16:55

津嘉山正種さんは朗読ばやりの昨今、時々朗読会なるものに案内されて仕方なく行くこともあるが、気持ち悪くなって帰るという。久米明さんも、そこまではっきりとではないが近いことを言われた。おふたりとも“おきなわおーでぃおぶっく”で朗読をお願いした名優。
11-21 16:59

(前ふたつのツイートから続く)僕は三線の古典を学びながら、どうやら三線(沖縄)とのなかなか埋まらない距離感を楽しんでいるらしい。その距離が埋まった時、初めて沖縄の人に認められるのかもしれない。それは弁証法道程か、あるいは弁証法に逆行する退行なのか、見極めかねている。 #三線
11-21 17:05

30年近く前、新宿の沖縄居酒屋でのこと。ある沖縄の方が、首里城の復元について、しきりに喜び「ニライカナイの心だ」とおっしゃっていた。青二才の僕はつい「首里城はオボツカグラではないですか」と言った。見る見る沖縄の方の機嫌が悪くなり「お前は何もわかってない」と言われた。(続く)
11-21 17:12

(続き)以来ヤマトンチュである僕は、琉球王朝に対する批判を口にしないと決めた。そういえば20数年前に死んだ義理の父は共産党好きのウチナンチュであったが、戦前の首里城は森に囲まれ、それはそれは桃源郷のように美しかったと言っていたっけ。(続く)
11-21 17:21

(続き)でも僕は、30年前の戒めをボチボチ破ろうかなと思い始めた。八重山と奄美の音楽が妙にいいという実感がそれを後押ししている。やってみたいなあ。それでも来年、安冨祖流の古典で三線の新人賞を受けようとは思ってるんですけどね。(さらに続く) #三線
11-21 17:30

(続き)僕は役者です。根無し草の河原者だと思っている。言ってみればチョンダラーです。だから親近感を覚えるのは「シュインチュ」でも「ナーファンチュ」でもなく「さまよえる沖縄人」なのかもしれないなあ、なんて。(まだ続く)
11-21 17:38

(続き)この文脈で「フクシマ」を考えるとね、移住できるのならその方がいいと思えてくるのです。語弊を怖れず言えば、3.11以前の「フクシマ」は「美しき伝説」になってもいいのではないかと。こんなことを言うと、「オキナワ」でも福島でも、たくさんの友達を失いそうです。(続く)
11-21 17:52

(続き)今日の僕の話は、自分でも本心なのかどうか分からないのです。だからどうか一旦忘れてください。あさって、下北沢のタウンホールで、ある企画に朗読で参加します。台本はかなり直してもらいました。おかげで本番はブッツケです。でも朗読ってむしろその方がいいと思う。河原者の呟き。
11-21 17:58



18:22、事務所内の線量……
0.06μSv/h(DoseRAE2,RADEXは参考)
11/21事務所内の線量

tag: 朗読  津嘉山正種  久米明  MAP事務所の線量  富士山  首里城 

なんともとりとめがない

大震災から246日目……
今日の富士山。
この日の富士山
新しいブログに移って、サムネイルとやらが使えるようになって、だからこの画像をクリックすると、どうやら大きな画像が見られることになったのだ。

【この日呟いたこと】
gajumui

今月の23日、下北沢タウンホールの台本構成の打ち合わせ、やっと今しがた終わった。くたくた。明後日の三線の練習、午前中ちょっとしかできなかった。今夜あったS1グランプリも行けなかった。明日も予定満載。ああどうしよう。ところで日本、今日はどうだったの。
11-12 22:07


出演だけして、ギャラ貰って終わり、それでも良いのかもしれないが、関わった以上、少しでも何とかしなければ。でも、お礼を言われる筋合いではない。あまりにプロの仕事から遠ければ、僕自身が何か言われかねないわけで。今さら共演者の技術の向上など無理なのだから、せめて台本をどうにかするしかないではないか。

そして測った事務所入り口外の空間線量……
22:54
0.08μSv/h(DoseRAE2)
11/12事務所線量

最近、花水木、多いねえ。
マイボトル
左はマイボトル。これにお好みのお酒を詰めてもらうのです。これがこの店のシステム。M.A.P.が入れたのは瑞泉の古酒。貼られた和紙に、小生、高山正樹が文字を書きました。

なんだかとりとめがない。
この落ち着きのなさは、全て3.11の所為だと思っている。

tag: 喜多見_居酒屋.花水木  富士山  MAP事務所の線量 

朝の妄想・昼間の現実

《10月4日(火)》
大震災から207日目……
本部のベランダ。今年の2月13日以来である。
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その間、殆ど富士山は姿を現さなかった。キーンと音がするような空気。水分が目に見えるわけなどないが、湿度の少ない空気は、しっかり見ただけで分かるものだ。ずっと東京あたりで暮らしてきた。アウトドアとは無縁な俺だが、それでもこの程度の感受性は持っている。やっぱり子供の頃の経験が大きいのだと思う。

決して目に見えないものによって穢されてしまった自然。怯える人間たちは、自然との正常な関係を放棄した。
「これからの子供はどうなっちまうんだろう」
「それは親の考えによるさ」

自然の中で自然と共に生きる、それを良しとする考えがずっと嫌いだった。自然を征服できるなどと勘違いしたことは一度もないが、自然に抗って絶望的な思索を続けることが、人間となってしまった存在の運命なのだと思っていた。

妙な屁理屈に聞こえるかもしれないが、欲望深き人間が、原発のようなものを生み出してしまうことは、至極自然なことだと思っていたのだ。だからこそ人間は、そういう人間の自然さに抗い続けなければならないのだと信じていた。
「若い頃のことさ」

「自然との共生」なんて言っている人間に、原発を作りたいと思う人間を止める力などありはしない。なぜなら、どちらもただ自分の思いのママに生きようとしているだけなのだから。どちらも自分が邪魔されない限り、相手の生き方に干渉などしないだろう。

「人間如何に生くべきか」、大きなお世話だと、誰もがそう思っていたのではないか。
しかし今や、ある者は「オレの行き方の邪魔をした」と対岸の者を責め立て、対岸の者たちは「大きなお世話だ」とこちらに向かって罵っている。

被災地の人たちのために、という、良き人々の一群。
「怪しいものだ」
「なぜ?」
「沖縄に向ける眼差しを持たぬ者たち」
「沖縄を絶対化するのはやめること。彼らも『フクシマ』を知って変わるだろう」
「福島を『フクシマ』と呼ぶことに嫌悪する偽善者たちが、『オキナワ』に対する眼差しを獲得することはない。彼らは、被曝して命を失った原発作業者から目を背けたがっている」
「お前は何者なのさ」
「息子の、父だ」
俺は、富士に一度も心動かされたことはない。実に分かりにくい喩えだが。

事務所。

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もう、終わりかな。
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外は0.07μSv。
null
中は0.05μSv。
null

薬が切れた。
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どうやら僕の腎臓が悲鳴を上げているらしい。

現実はややこしいハナシだから、後ほどゆっくりと。

【この日呟いたこと……】

16:20
そういえば最近ポックリ病って聞かなくなった。あれは核実験時代の放射能の所為で、だから低線量被曝は危ないみたいなハナシも最近チラホラ。これからまたポックリ病が増えるぞと。しかし、あのころ中年の人たちはよくこう言っていた、「ポックリ死ぬのがいい。ポックリ死ねたら幸せだ」って。

16:24
三線弾いて、「かぎやで風」歌ってたら眠くなってきて、思わずウトウトした。歌聴いて眠ってしまうことはしょっちゅうだが、楽器弾きながら唄歌いながら寝たのははじめてだ。三線の古典、おそるべし!

16:25
もしかしたらポックリ死ぬ寸前だったのかもしれない。




例えばチェルノブイリ事故の後、日本では心筋梗塞による突然死が頻発したという話も聞く。それが放射能の影響だったのかどうか。チェルノブイリの放射能が減少していくと、突然死もなくなっていったというのだが、ちっとも憶えちゃいない。

妄想もまた……
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tag: 富士山  MAP事務所の線量  ゴーヤー栽培.2011 

多摩の横山にモノノケが見えますか

今日はとっても空気が澄んでいる。また本部のベランダに出て、富士山を、というより多摩の横山を眺める。
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雪がうっすらとかかった連山は丹沢山系。その手前の緑っぽいところが多摩の横山だからね。でも稲毛三郎重成が最期を遂げたのはもっとずっと奥。でももうそこには緑はない。

さて、桝形城址の展望台は見えるかな。
富士山から左へゆっくりパン……
null null null null null
はあ、このさらに左にはでっかい建物が目の前にあって、もう見えません。

その昔の夏休み、母親の実家で、こんな山並みにキツネ火を見た。という記憶があるのだが、さてあれは夢だったのか。
「おい、キツネ火、見えるか」
母方の親戚のおじさんがそう言ったのだが、その記憶も今となってはなんだったのかわからない。

今の僕には、あの横山の頂に、鎌倉時代のモノノケたちが踊っている姿が見える。

「見えるわけがない。うそばっかり」

《追伸》
今度の市民劇で、音楽を担当してくださる川崎絵都夫さんが、僕が書いた記事にコメントしてくださった。弱ったなあ。僕はモノノケたちと話しているつもりだったのに。

tag: 「枡形城落日の舞い」  富士山 

広福寺から桝形山を歩く

今朝の富士には雲が乗っかっていた。
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何故か桝形の城址に行ってみたくなった。
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多摩の横山まで歩いていくことにした。
「そういううちにここはもう生田の杜。あれに見ゆるは、桝形の城跡……」
旅の僧は鎌倉から歩いてきた。多摩川沿い、今の府中街道あたりを歩いてきたのなら東からアクセスすることになるのだが、南や西からの道もあったのかどうか。今日の小生は世田谷街道、つまり北側の津久井道から桝形城址へ向かう。

null
この“くらやみ坂”を上り切れば桝形の城跡である。
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「このあたりに、桝形の城主・稲毛三郎殿と奥方を葬った御寺があると聞いたが……」
少し上がった右側に、広福寺はある。
広福寺の北の門。参道は少し一時の方向、つまり鬼門の方角に傾いている。正面に観音堂が見える。
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その門を入る。昨年の10月31日以来の再訪である。
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本堂は左側。
鐘越しに見た本堂 
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稲毛山廣福密寺とある。
承和年間(834〜848年)、慈覚大師円仁が開いた。その後荒れ寺になっていたが、1200年初頭、稲毛三郎重成が阿闍梨を招いて中興したと言われる。真言宗のお寺である。

御本尊は木造五智如来坐像。
1500年台の終わり、秀吉が天下を取った後、桃山の時代に作られた重成の坐像が祀られているのもこの本堂である。
本堂の反対側、つまり広福寺の東にはもうひとつ別の門がある。
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null
こちらは裏門なのだという。
しかし、本堂の正面にあるこの門が、方角からいっても本来の正門なのではないかとも思ったのだが、よく分からない。
再び境内に戻って観音堂への階段を上がる。
null null
「されば、稲毛三郎殿の奥津城は……」
「はい、あの奥に……」
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「奥方もともに葬られたとか……」
「お二方にふさわしく、比翼の塚でござりまする」
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null
手を合わせ、“くらやみ坂”を上って城跡へ向かう。
冬で木々に葉がないせいか、今日のこの坂は明るい。それでも、振り返れば、建物に遮られてもう広福寺は全く見えない。
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城跡まで、もう少し上らなければならない。
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そして……
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誰が書いたのか、四隅に東西南北の文字がある。
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今日は展望台に昇ってみることにした。
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エレベーターもあるのだが、もちろん健康ゲーム中の小生、階段を使う。
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いやはや、驚いた!
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こういう景色をご紹介するとなると、いいカメラが欲しくなる。ブログの横幅を拡げて、もっと大きなサイズの画像を貼り付けられるようにしたくなる。そうか、フォトなんとかみたいなサイトを利用してそこにリンクを貼ればいいのかな。
「どなたかお教えくだされ」
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いつも渡っている多摩川の橋も見えるではないか。
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そうか、ということは、あちらからもここが見えるわけだ。気がつかなかった。今度は向こうからこちらを撮影してみよう。

だんだんと曇が増えてきたが、富士山もまだ辛うじて見えた。
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新宿である。
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さらに右へ。
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スカイツリーが写っているのだが、お分かりになるであろうか。
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あ゛ー、いいカメラが欲しい。
ともかく、360°見渡せる絶景なのである。横浜も写したのだが残念ながらピンボケで使えない。

いつの間にか旅僧の静かな気分は何処へやら。いかんいかんと多摩の横山の連なりに目を凝らせば、よみうりランドが良く見える。
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しかし、すぐそこにあるはずの広福寺は、幾重もの木々の向こうに隠れている。
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灯台下暗し。そろそろ人生の半ばを大きく越えて、旅僧くん、少し遠くを見過ぎてはいないかと、自省している。

tag: 富士山  「枡形城落日の舞い」   

「枡形城」は今年3度目の稽古でした

多摩の横山のイメージが伝わるような写真がなんとか撮影できないかと考えているのですが。今日も本部のベランダからの風景を撮影。ずっと向こうにうっすらと写っている富士山、分かりますか。
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よく分からない? じゃあアップ。
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よみうりランドの観覧車が見えますが、そのあたりの距離のところに多摩の横山があるのです。
体調もやっと戻ってきました。今日は元気に市民劇、今年になって2回目の稽古です!というつもりで出かけて行ったのですが……
「あら、この前の稽古の日、旅僧さんどうしたんですか」
などと言われ??
どうやら「2回目の稽古」は一昨日の11日だったらしい。

わたくし、自分のスケジュールを明日までしか把握していないのです。朝事務所に行って、ボードを見てその日と次の日のスケジュールをチェックします。事務所に行かない日は電話で聞きます。明後日のことは聞きません。聞いても忘れるから。明後日のことは明日決める。そんなわけだから、10日にダウンして自宅で臥せっていた僕は、12日に何があるか、全く頭の中から抜け落ちていたのです。
どうしてもやらなければならないことがあれば、事務所の誰かが連絡くらいしてくるだろうと高をくくっていました。ところが、業務に関係していない市民劇のことなど、会社の連中の念頭には無かったようで。

というわけで、わたくし、11日の稽古のことは、すっかり失念しておりました。皆様、大変失礼いたしました。そこで、私の役名は「旅僧」ではありますが、その法名を「失念」とすることにいたしました。
「失念した」の「失念」のアクセントは(_ ̄ ̄ ̄)ですが、法名なら( ̄___)ですな、ハハ……。

この日の稽古のダメ出しで、あさや先生は「東国」を( ̄___)と発音していらっしゃいましたねえ。2回も。僕もそう読みたいなあ。

7日の稽古で、ふじたあさや氏は鼻濁音のことを指摘していました。11日の稽古のことは知らないのですが、この日の読み合わせでも、何にも変わってはいませんでした。
僕個人としては、いわゆる標準語のルールとは関係なく、鼻濁音とそうでない音を、場面や個性に応じて使い分ければいいと思うのですが、今の状態はそれとはだいぶ違う。きっと、最後までこのままでしょうね。アクセントも同じこと。

稽古が終わって、近くのお店でちょっと一杯。
居酒屋ますき
6回目の「飲み」。新しい方2名。累計19名。(※小川信夫先生宅へのお年始と、稽古場での親睦会は除く)
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左手前から時計回りにご紹介。
まずは石山海くん。日本映画学校演出科出身。今回の芝居では主人公の稲毛三郎重忠を演じます。彼、パパになったばかりらしい。彼の明るい性格がこの芝居を支えます。そしてそんな彼を支える奥さんは間違いなくもっと偉い。
そのお隣はミズノタクジ氏。超電磁劇団ラニョミリという集団の中心人物。どこやら海の向こうの大学で舞踏などを学んでいらしたらしい。
男優不足なので、頼朝と農兵の二役を演じます。残念ながら踊る場面はみられそうもありませんが。父上の水野哲夫氏が代表をなさっている京浜協同劇団を、彼が退団されたその理由は不明?
そして井上思麻さんは中西和久さんが主催する京楽座の女優さんです。彼女の役は侍女・楓。
最も上座には福留千惠さん。堂々と北条政子の役です。適役? 彼女の自己紹介は、「私のダンナは野球選手の福留孝介のいとこです」。
中谷麻由子さん。超電磁劇団ラニョミリの女優さんで、里の子どもを、手を抜くことなくちゃんと演じています。だから僕は、いつも感心しています。
海浩気くんも京楽座の所属。畠山二郎重保と北条義時を演じます。さて彼がいったいどんな「はんぱない」演技をするのか、ちょっと興味が沸いてきました。注目。
寄せ集めの今回の集団、散漫になりそうな読み合わせ、それをきっちり芯になって引き締めているのが隈本吉成先輩。小沢昭一氏が1975年から5年間限定で立ち上げた芸能座のご出身です。京楽座の中西和久さんは隈本さんの高校の一年先輩とのことですが、中西さんは隈本さんに一年遅れて芸能座に入団されました。現在はザ・スーパー・カムパニイに所属。
(因みに、演出のふじたあさや氏は、芸能座で若手の俳優に演技を教える講師をしていました。)
そして最後がとのぎひろこさん。最近、ミズノタクジ氏を追いやって、超電磁劇団ラニョミリの代表に就任しました。福留さんとダブルで北条政子を演じます。こちらは彼女の学歴のママに……

皆さんきっと芝居をこよなく愛していらっしゃる。というより、俳優として演ずるということが、皆さんにとって人生における最大関心事なんだろうと感じてしまったのです。
すると途端に僕は、自分がここにいてはいけないのではないかと考え始めた。そしてずっと、沖縄の言葉と、古の大和の言葉の、その対峙する文化、などということに思いをはせていたのです。僕は確かに現代の只中にあるのだが、「演ずる」という行為を、単なる個の感覚として語るだけなら、僕はそれよりも、「個」とは無関係に、「言葉」が背負っている過去の総体というものを想うほうに、はるかに関心があるのだ、というふうに。

また、僕の悪い癖が始まりました。

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tag: 「枡形城落日の舞い」  富士山  隈本吉成 

小川信夫先生のお宅へお年始に

昨夜は本部に泊まり。
そして朝。

12月4日の富士山
12月4日の富士山

そして今日の富士山
今日の富士山
富士山の手前に見える山並みは丹沢にしては少し近過ぎる。もう少し近距離の神奈川の山地であろうか。富士山は11月の半ばからもう真っ白で、以降どの日の画像の富士山も同じ様子だが、手前の立ち木の葉の繁り方が違う。

ここは8階である。狛江市の町並み、その先に多摩川が流れ、その向こう岸が川崎市多摩区、よみうりランドの高台も見える。
「桝形城・落日の舞い」に、こんな稲毛三郎重成の台詞がある。
「多摩川沿いに多摩の横山に並んだ稲毛一族の山城は、すべて鎌倉の北の守りだ。」
その「多摩の横山」あたりまで見渡せているはずだ。山といっても100mもない丘である。標高83.9mの桝形山は左の方、さらに低いところにある小沢城址は、画像中央から少し右といったところだろうか。

その横山の麓あたりでは、今でも“のらぼう(野良坊と書くとか)”という野菜が作られているらしい。僕は今度の台本で初めてそんな名産のあることを知った。家の連中にも教えてやろうと話してみたのだが、「知ってるよ」と、あっさりした無感動の返答が帰ってきた。年中ではないが、“のらぼう”は近くのスーパーでも売られているという。子供が通っていた小学校の給食には、ちょくちょく食材として使われていたらしい。なんのことはない、“のらぼう”を知らなかったのは、子供の運動会に一度も顔を出したことのない父親だけであった。

その小学校の校歌を作詞されたのが、「桝形城・落日の舞い」の作者である小川信夫先生。子供たちは、例えば沖縄で初めて芥川賞を受賞した沖縄文学界の第一人者、大城立裕先生と親父が仕事をしていても、「ふーん」てなもんだが、自分の小学校の校歌を作詞した先生に会ったと言ったら「すごい」ときた。

昨年暮れ、その小川先生からお誘いを受けていた。そこで今日、お年賀に伺った。「桝形城・落日の舞い」の制作を担当されている関昭三さんもいらっしゃった。関さんは川崎市民劇場の代表、その前身は、かの京浜労演で、関さんはその創設から携わっていらっしゃる。

1967年の山本安英の会「夕鶴」から始まる川崎の市民演劇鑑賞会のおおよそ300回の上演記録を眺めれば、日本の新劇の歴史そのものを見るようだ。

……文化座「炎の人」、劇団東演「どん底」、文学座「女の一生」、俳優座「人形の家」、東京芸術座「蟹工船」、三十人会「日本の教育1960」、東京演劇アンサンブル「ガリレオガリレイの生涯」、劇団仲間「森は生きている」、民藝「奏山木の木の下で」、テアトル・エコー「11ぴきのねこ」、青年座「からゆきさん」、劇団四季「エクウス」、文化座「サンダカン八番娼館」、前進座「さんしょう太夫」、五月舎「薮原検校」、フォーリーズ「おれたちは天使じゃない」、自由劇場「上海バンスキング」、文化座「おりき」、こまつ座「國語元年」、青年座「ブンナよ木からおりてこい」、知人会「薮原検校」、劇団昴「アルジャーノンに花束を」……

しかし、それよりも前、京浜工業地帯の労働者に演劇という文化の種を蒔こうとした時代の話が興味深かった。だいたい「労演」にしても「労音」にしても、政党的な匂いをどうしても拭い去ることができない。振り返れば、それが演劇にとって「正しいあり方」であったのかどうか、決していい印象ばかりではない。とはいえ、演劇に刺激を受けた労働者によって日本を変えるという野望が、大きなエネルギーを持っていたことだけは確かだ。だが、関昭三さんが半世紀もの間、演劇鑑賞会の仕事を続けてこられたのは、そんな大層な理由とは少し違うところにあったようだ。演劇に携わる人たちが、実に楽しそうに生き生きとしていた。その魅力が、きっと関さんをこの世界に繋ぎとめた。そうだからこそ、回りの人たちも関さんを信頼して支えてこられたのかもしれない。そんなお人柄が今の関さんからにじみ出ている。

川崎の労働者」と聞けば、僕はどうしても「沖縄」を思い起さずにはいられない。京浜労演はその立ち上げの頃、沖縄から出稼ぎに来ていた労働者の人々との関わりもあったのかどうか、でも、この日はそこまでお聞きすることはできなかった。いずれお伺いする機会があればとも思っているのだが。

左から、関昭三さん、岩崎明さん(小川先生の古いお知り合い)、そして小川信夫先生ご夫妻である。
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その後、僕と関さんが交代して記念撮影。
只今撮影中。
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小川先生、今日はご馳走様でした。
[subcate.枡形城・落日の舞い]
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