ツイッターはユダヤを巡る連載小説&【外間守善氏死去の報を受けて…】

ubukatamichi

この記事にコメントしました。なんだか胸がしめつけられます。→“晴読雨読”「沖縄」に出会った一冊 http://t.co/m6eTsBpe
11-21 07:11


一方、僕のツイッターは時々連載小説。本日はまず注釈抜きで。

gajumui

始まりは昨日の最後の呟き…

4年前、俺は能天気な記事を書いていたもんだ。スタバやマックなら食わずにもいられるが、インテルやIBMがNGならMacも使えない。→/ http://t.co/UVPJq6XN (よろしかったらコメントも併せて読んでください。)
11-20 18:56

そして今日の呟きへ…

朝からずっと過去のイスラエル関係の記事を眺めている。あ、いかん、出かける時間、とっくに過ぎてる。9時に間に合いそうもない、ごめん! @ubukatamichi この記事にコメントしました。なんだか胸がしめつけられます。→ http://t.co/UVPJq6XN
11-21 07:55

2010年8月20日の記事。世界のユダヤ人ネットワークによる日本戦時国債の引き受けとか…もう一度考える。でも「会社のブログとしては間違っているのかもしれないな」/“~としては間違っている” http://t.co/XTIYiJt1
11-21 13:21

2009年7月18日のブログ。劇団コーロの「ハンナのかばん」を観て。「今、何故ホロコーストなのか」と、ホントはパレスチナの事を思いながら書いていたのだが。/「カバンにいっぱい詰め込んで」 http://t.co/Iv4GwvQJ
11-21 14:20

2010年9月8日(鈴木宗男氏の上告を最高裁が棄却し実刑が確定した日)のブログ。小沢一郎氏のことも少し…/密かに世界のことを考えている。【杉原千畝・鈴木宗男 vs.エリート官僚】 http://t.co/z78I0aRh 全てが3.11より前のこと。
11-21 14:51

僕は、曖昧な洒落を吐き出していたらしい。そんなつもりなかったのに。誠実でありたかったんだ。でも、顧みれば風の吹かないコンクリートの記憶。歯医者で貰った痛み止めは、たった一粒飲めばいいのかね。少しだけ忘れさせてください、お願いだから。寒さが体にこたえるくらいの冬になるまで。
11-21 15:16

ボスキャラ登場。「おい、コラ!そっちの方向じゃねえだろう。俺について来い。お前、もしかして、アラシクロバネか?」
(※11-21 15:29

前回の登場時は「小人」ばかりだったのだ…)
小人図鑑のボスキャラFin…
結局おちゃらけて終わるのか。
だが、僕が書いた過去の記事も同じようなものではないか。
実態を知らず、現実に匹敵する言葉を持たない僕が、それでもなんとか語ろうとすると、いつもこうして、何一つ責任を引き受けることなく、下卑たコメディアンが逃げ出すように転ぶ。
今の僕に、ガザの悲惨な状況について、何かを語る材料も能力も資格もない。ただ沈黙は暴挙に承認を与えている事と同じだという声に脅かされ、きっと僕は免罪符を求めているだけに過ぎないのだ。
世界に向けてみすぼらしい独り言を呟いてしまった。いまさら取り消すことはできない。


【外間守善氏死去の報を受けて…】

儀間進さんと外間守善氏のことを話した思い出。「外間守善氏のこと」 http://t.co/VCUFWqNL 嗚呼… ご冥福を心から心からお祈りいたします。/東京新聞:沖縄学の第一人者 外間守善氏死去:社会(TOKYO Web) http://t.co/PgKMe5TT
11-21 16:44

そうなんです。そして儀間進氏はその次の船で疎開されました。対馬丸が沈没した話はかん口令が敷かれていましたが、誰もが噂で知っていて、知りながら次の船に乗り込んだのだそうです。 @gyoruikonoehei 亡くなった外間守善氏の妹さんは、あの対馬丸事件の犠牲者なのか…。
11-21 17:30

※僕の裏ブログ、是非読んでいただきたい。
 ⇒儀間進氏の「ほんとうのはなし」

次の日の呟きだが…

かつて柳田國男の「椰子の実」も同じような利用のされ方をしました。「方言論」はさておき、文化で国家を語るやり口を僕は一切拒否します。 @ikuetamaki 小林よしのりが、『沖縄論』で、「外間守善氏は沖縄の言葉を日本の方言としている。だから、やっぱり沖縄は日本の一部なのだ」と…
11-22 10:01

呟いた順番が前後するのだが…

え?なんで僕の名前が新聞に!どうして、もう出ること決まってるわけ?もう断れないの?わかんないけど腹くくれってか。そんな、練習しなくちゃいけないじゃない。えっと、暗譜だよね、3曲。どうすんの。もうそろそろ今日も出かけなきゃいけないってえのに。あと何日あるんだ?
11-21 16:52

本件については明日に続く

その前に、本日の夜は川崎へ、でもそれはまた別の話。
あらためて次の記事にて。

tag: 儀間進  ユダヤとイスラエル  対馬丸  外間守善 

2/7のツイートまとめ

大震災から333日目……

gajumui

「アイヌ」と「沖縄人」はどちらも縄文人なので似ている、そんなことを未だに言う人たちがいる。もう何十年も前にそれは間違いという研究がたくさん発表され、ちょっとでも調べたことのある人なら「アイヌ」=「沖縄人」とは決して言わない。ところが数年前、MXTVで石原慎太郎は……
02-07 08:56

MXTVで、石原慎太郎は「アイヌ」=「沖縄人」があたかも科学的真実のように、全体重を踵に乗っけて語っていた。聞き手のアナウンサーとアシスタントは、もみ手しながら下僕のように頷いていた。科学的な間違いに加え、いわゆる「人種」と「文化」を混同する欺瞞的言説。これが都民が選んだ人。
02-07 09:03

去年他界した父は、尊厳死を希望していた。延命治療はしない、簡単なことだと思った。ところが現実は違った。点滴を延命だという人はいないだろうが、その点滴ですら何段階もあって、「三日に一度8時間最低限の栄養」から「毎日24時間最大限」まで、あたかも家族がカタログで寿命を選ぶかのよう。
02-07 09:10

一切会話ができないような状態ならば、簡単だったのかもしれない。しかし時々まともなやり取りができた。何度も家族会議をした。そして点滴は最大限やってあげよう、しかし胃ろうはやめよう、と決めた。一方、先が見えてきた自分のこれからと、我が死に方を考えた。寿命を延ばすための医療を考えた。
02-07 09:20

人類は弱者を切り捨てないという文明を選び取ったのだと思うのです。劣性の「雄」も徹底的に救って成人させる。障害を持った個体は生存できないという「惨い自然の摂理」に挑戦した人間の叡智。それは素晴らしいことだったと思うのです。しかし、それこそが原発を生んだ原動力のひとつでもあった。
02-07 09:39

原発というモンスターを作り出した責任は、我々一人ひとりにもあると僕が常々思うのは、便利な生活をしたいというような利己主義の話ではなく、全ての弱者を切り捨てない善意の思想のことを言っているのです。ところがその原発は、棄民を前提にしなければ稼動しないシステム、その根本的な矛盾。
02-07 09:53

原発は人類が選び取った道の帰結、人間のロマンなのだから、安易は反原発は野蛮なことだ、と、かの知事は言いたげです。しかし自然の摂理さえ否定して「進化」してきた人間に、今までの道を捨てることが出来ないはずはない。今こそ哲学を、と僕が思うのは、そこなのです。けれども……
02-07 10:46

原発を捨てることは、胃ろうや点滴の管を抜くことであるという覚悟も必要なのかもしれないと思うのです。人が良く生きるとは何なのか、そのことを深く問おうとすればするほど、身動きが取れなくなっていく、石原親子の話題が流れてくるのを眺めながら、漠と考えたことをいくつか呟きました。
02-07 11:00

原発をなくすと胃ろうが出来ないなんて暴論です。でも、原発を推進しながら胃ろうを「エイリアン」と感じるよりはマシかな。2006年にエネルギーのピークを迎え、これから人類は下山しなければいけない、エネルギー使用量と人工は比例するという話を聞いてから、ずっと考えていることなのです。
02-07 11:21

対馬丸の沈没は緘口令によって隠蔽された。しかし風の噂で、沖縄の誰もが知っていた。やがて沖縄の地上戦で、人々は対馬丸どころではなくなった。戦後、対馬丸はメディアで取り上げられ、興味を持つ人には知られる事件となったが、武州丸のことは殆ど誰も知らない。原発と、よく似ている。
02-07 13:06

ubukataicon ubukatamichi

昨日のことですね。見学者の方も見えて、最後は楽しい稽古になりました。 @gajumui 沖縄タイム、ちょっと遅れて開始。僕、地謡。ついでに歩きの練習に参加。明日、足が痛そう。@ubukatamichi 今日は「かぎやで風コース」の稽古日、まだだーれも来ない
02-07 14:54

今日はフラダンスの二回目のお稽古日。とりあえず仮称ですが「大城洋子フラダンス教室」です。小田急線の喜多見でやってます。
02-07 14:58


16:29、事務所外の線量……
雨だから、プラスチックの容器に入れて。
0.07μSv/h(DoseRAE2,RADEXは参考)
12年2月7日の事務所外の空間線量

tag: MAP事務所の線量  対馬丸 

狛食の奥様に知って頂きたくて

ひとつ前の記事で「ひめゆり」の上映会のチラシを紹介した。だから、お昼を“狛食”で食べることにした。

注文をとりにきたのは、奥様ではなく、若い男性だった。
「奥様、まだ悪いの」
「そうですねえ。でも薬で少しはいいのですが」
奥様は今、リュウマチで苦労されているのである。

黒酢の酢豚セットを薄味でお願いした。
酢豚セット
頼めば、味の調節はやってくれる。当たり前の話なのに、センターから半調理品が配送されてくるようなチェーン店が増えて、当たり前が当たり前でなくなった。

“狛食”はごく普通の中華食堂だが、店内を見渡せば、泡盛もあるしあちこち諸々「沖縄」がある。
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奥様のお母様はいわゆる「ひめゆりの生き残り」である。「生き残り」、嫌な言葉だ。チラシでは「ひめゆりの方々」となっている。それで分かるほど“ひめゆり”は認知されている。新聞などには「生存者」と書かれることが多い。

僕は“みやらび”の竹原くんに“狛食”にチラシ持って行ってみたらとすすめて、僕は遠慮していた。さて、チラシ、届いているかなと気になっていた。

若い男性に聞いても分からない。彼は厨房のご主人を呼んでくれた。
「今度、せんがわ劇場で“ひめゆり”って映画をやるんですけど、誰か、案内に来ました?」
「いや」
「そうですか」

ごちそうさま、と言って店を出た。
道を隔てた反対側に“中む食堂”があってお昼もやっている。そこには、竹原くんから預ったチラシを僕が届けた。そのチラシが残っているはずだ。

中村君夫妻
「この前はありがとうございました」
11月3日の試合のことである。
「どうするの、格闘技、やめるの」
「やめられなくなりました」
「そうか。また、夜来るね」
“ひめゆり”一緒に見に行こうよって言おうかどうしようか、迷っている僕がいた。結局それは言わずに、チラシを数枚戻して貰い、道を渡って狛食に戻った。

「うちに貼っておいても、誰も見ないよ」
「ともかく、奥さんにはお知らせしたくて。どうか奥さんにお渡ししてください。」
リュウマチを患っている奥様が、仙川まで来られることはないだろう。だが、近くに頑張っている若者がいるよということを、どうしても知ってもらいたかった。もしかしたら、奥様が案内してくだされば、小学校の関係とかで、来てくださる方もいらっしゃるかもしれないし。

竹原くんは、そのうちここへ来るのだろうか。一緒に行こうよと言ったのだが。僕はもしかすると先走って出すぎたことをしたのかもしれない。

一緒に行った宇夫方女史は、このあと、まず厚木へ向かった。今日は、厚木と狛江の琉球舞踊教室の日なのである。
 ⇒http://mapryukyubuyou.ti-da.net…

【追伸】
22日。Twitterで、竹原くんが(たぶんですけれど)狛食に行ったことを知りました。
 ⇒http://twitter.com/sengawahimeyuri…
「狛食」を「狛江」と間違っていたけれどそれはご愛嬌?
今度の上映会の後、竹原くんはどうするのだろう。なにか活動を続けていくのだろうか。ちょっと気になる。
何度もしつこく言って申し訳ないけれど、狛食の奥様のお母様は「ひめゆり」だが、お父様は「対馬丸」の生き残りだし、「ひめゆり」の他にも、たくさんの学徒隊の悲劇があったのだということを、多くの日本人が知らないということ、今度の“ひめゆり”を入口にして、是非とも知って欲しいと思うのです。そんなふうに繋がっていける映画であることを願って、僕も必ず見に行こうと思っています。

tag: 厚木教室  MAP琉球舞踊教室  ひめゆり学徒隊  対馬丸  沖縄居酒屋.中む食堂  狛江_居酒屋.中む食堂  #竹原学  狛江_中華.狛食  健康ゲーム 

「ひめゆり」上映会を応援する。そして……

連続ドラマ風に。
前記事のラストシーンから…

店は混んでいる。何もかも散漫な感じ。
それはこの用件で来たからだ。
映画「ひめゆり」の案内
みやらびの竹原学くんが中心になって、映画「ひめゆり」の自主上映会を開く。その話題になかなかたどり着けなくて、なんだか落ち着かない。
お客さんが途切れて、やっと少し話せそうになった。

「竹原くんがマーキーさんの後輩なんて驚いたよ」
「ねえ、僕もおどろいた」
「豊見城高校なんだってね。実はさ、俺のカミサンも豊見城高校」
「へえ、そうなんですか」

やっぱりなんだか少し空回りしている…


今日のドラマは此処からである。
10月23日に、●●さんからメールが届いた。その内容は、少し長いので、記事の「続き」で書いた。そちらを読んでいただきたい。

「この“ひめゆり”のさあ、柴田昌平って監督、俺の高校の後輩なんだよね」
それがどうしたという類のはなしである。

少し話しが飛ぶが、許して欲しい。
都立駒場高校の同窓会報、その86号に対馬丸の話題が載っていたことは、7月31日の記事の最後に会報の画像を載せてほんのちょっとだけ触れた。「ほんのちょっとだけ」しか触れなかったのは、同窓会費が未払いだからというだけではない。別にも理由があった。それはチエちゃんが言っていた武州丸のことが気になっていたからだ。

対馬丸の事件は大城立裕氏等が小説に仕立て、その映画まで出来たりして、それなりに多くの人に知られるようになった。それでも“ひめゆり”の知名度に比べれば全く足りないという思いから、我々M.A.P.でも、駒場高校で同窓だった元日テレアナウンサーの菅家ゆかりに声を掛け、対馬丸のCDを作ったのだ。
しかし、その頃の僕らは、武州丸なんて聞いたこともなかったのである。武州丸のことを知っている人って、いったいどのくらいいるのだろう。

武州丸とは奄美大島の学童疎開船。徳之島の疎開者など約200人を乗せて九州本島に向かう途中、トカラ列島沖で米潜水艦の魚雷によって沈没し、77人の子供を含む182人が命を落とした。

先日、都立駒場高校の同窓会報の87号が届いた。
都立駒場高校の同窓会報87号
そこに「ひめゆり」の監督である柴田昌平氏の記事が載っていた。「ひめゆり」に続く新作「森開き」を紹介するのが本旨だが、旧作「ひめゆり」のことも書いてあった。
「(ひめゆり)は誰でも知っている名だが、実は生存者本人たちが体験をきちんと語った映画記録はこれまでほとんどなかった。香川京子や吉永小百合主演の劇映画は、他者が想像をまじえて神話化していったものだった」
駒場高校は柴田昌平氏を招いて、「ひめゆり」の上映会とトークショーを開催したらしい。

おい柴田、お前は沖縄のことを必死に考え続けている先輩が喜多見にいることを知っているか。その先輩(俺の事だが…)は、少しでも多くの人たちに沖縄を知ってもらいたいと、ずっといろいろ活動を続けているのだ。同窓会報を作っている連中に、そのことを伝えて、是非とも高山正樹のことも記事にしろと伝えておけ!

因みに、柴田昌平は弟と同い年、弟は帝京と全国大会の東京代表をかけて戦った都立駒場サッカー部のキャプテンだった。その時に駒場に通っていたなら、よほどのガリ勉でもない限り、弟を知らぬはずはない。そこで弟を使ってコンタクトを取ってみるかなどと考えたりもしたが、柴田が、いやいや柴田君が天下の東京大学のご出身と知って、弟の伝手でなんとか柴田さんに繋がろうなんてお下品なことはやめることにいたしました、ハイ。自爆。

もちろん冗談ではある。しかしだ。柴田昌平は、対馬丸のこと、武州丸のこと、そしてずいせん学徒隊のことを知っているだろうか。ずいせん学徒隊の唯一の語り部である宮城巳知子さんがどんな思いで「ひめゆりは嫌いだ」と呟いたのかを知っているだろうか。
「僕たちもさ、上映会を企画して開いたことがあるんだけどさ」

西山正啓監の“ゆんたんざ沖縄”と“チビチリガマから日本国を問う!”の上映会2本。
5月18日に西山監督を連れて“みやらび”にやってきた日、竹原くんは不在だったけれど、西山監督は一生懸命店の女の子に話をしていた。その時のハナシ、女の子は竹原くんに報告してくれたのかなあ。

竹原くん、僕が上映会のチラシを持参して“みやらび”に来た日のこと、君は覚えているだろうか。

我々の上映会の日、5月26日と、5月28日、きっと竹原くんは仕事で忙しかったのだろうね。

結局、僕らがやった上映会に来てくださったお客さまはごくわずかだった。竹原くんが宣伝してくれなかったからだなんて言うつもりは全くない。集客できなかった原因は僕らの努力が全然足りなかったの一言に尽きる。

でも今度の竹原くんのやる上映会はきっと大丈夫だ。竹原くんにはたくさんのいい仲間がいるみたいだから。もちろん僕たちだって出来る限り協力するよ。といっても、自分たちの上映会にさえろくろくお客さんを呼べなかったのだから、偉そうなことは言えないね。

柴田くんの“ひめゆり”は、上映用のデータを借りる料金が一日3回上映の場合は20万、2回なら15万、チラシも一枚いくらで買うらしい。僕らの上映会は、少ない入場料をそのままお支払いしようとしたが、西山監督は何かの足しにしてよと言って、受け取ってはくださらなかった。

「チラシ、預かっていくよ」
映画「ひめゆり」のチラシ
チラシには宮本亜門の推薦文が印刷されていた。

「亜門は大学で一緒に演劇を学んでいた」
どうでもいい話である。

柴田昌平と西山正啓、いったい何が違うのだろう。
裏には僕のカミサンが大好きなCoccoがメッセージを寄せている。

僕は竹原学氏の今回の挑戦を精一杯応援しようと思う。11月の山猫合奏団の公演まで、きっとバタバタと忙しいが、それでも合間を縫って宣伝したいと思っている。

「狛江に狛食っていう中華の食堂があるの知ってる?」
「いや」
「あそこの奥さんのお母さんがひめゆりの生き残りなんだよ」
「そうなんだ、行ってみようかな」

結局、店を出たのは午前3時過ぎ。
白い看板の前で
ちょっと疲れた感じ。なんだって仕事は大変だ。客商売となれば尚更。誰もが「ひめゆり」のことを知りたいわけじゃない。

けれど、ひとつだけ竹原氏にお願いがあったのだ。“ひめゆり”のことをたくさんの人に知らせたいと考えた竹原君なら、僕らがやっている沖縄の色々なことにも、どうか目を向けて欲しい。たとえば、ひめゆり部隊とは違って引率の先生がいなかったために、殆ど記録の残っていない“ずいせん学徒隊”のことも、多くの人に知ってもらいたいという我々の思いに、今度の君の上映会で少しばかり協力してはもらえないだろうかということ。
でも、会場は調布市の施設だから難しいのかな。僕らは会社の事業としてやっている。だから営利だとみなされる。元さえ取れていない。それどころか大赤字なのにね。元が取れるとも思っていないけれど、ひどい赤字では続けていけない。だから君の今度の上映会も、絶対に成功して欲しいのだ。

ピンボケ写真
頑張って、そしてできることならばよろしくね。
もう午前3時半、今日のところは、おやすみなさい……


【追伸】
学徒隊の貴重な証言を集めた労作があります。あまり知られていませんが、大変貴重な資料です。そういうものもあるのだということも知って頂きたいと思うのです。有名なものだけがすばらしいわけではないということ、それを沖縄にこだわり続けることによって僕は教えらたのです。
 ⇒行田稔彦編『生と死・いのちの証言“沖縄戦”』のこと

【さらに追記】
監督の柴田昌平氏は民族文化映像研究所の御出身らしい。
民族文化映像研究所の姫田忠義氏のことを書いた記事が「社長とは呼ばないで」にあります。
そこに書いた僕のエピソードは、僕の沖縄経験の原点です。是非お読みください。
 ⇒物語の始まりのエピソード

そして今朝方自転車で自宅へ。書斎にてブログ記事のアップ方法を思案して、夜の8時、また自転車で事務所へ戻る。明日までに諸々支払い登録の手続きなどをしなければならない。でも、ちょっとした不手際があって、今日のところは中途までしかできなくなった。残りは明日。早いうちに片付けなければならないから、明日の朝は8時から作業開始だな。

というわけで今日は少し時間ができた。これから、昨日“みやらび”で預かったチラシを持って“中む食堂”に行く。今晩こそは午前様にならないように。

いったい健康ゲームなのか、不健康ゲームなのか。

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tag: #竹原学  狛江_中華.狛食  西山正啓  対馬丸から  都立駒場高校  沖縄戦  対馬丸  沖縄居酒屋.みやらび(つつじヶ丘)  健康ゲーム  ずいせん学徒隊 

対馬丸記念館で消えたミステリー

(この記事、実は10月の14日に書いたのです。)

玉那覇ウシ商店と対馬丸記念館はすぐ近くです。対馬丸記念館に行くのが本日の一番目の公式作業。でも画像はありません。
 ⇒どうして画像が無いのかを書いた明日の記事を読む
でも、もともと画像は写しませんでした。あまりその気にならなかったのです。
ちょっと残念なご報告をしなければなりません。
事務局長の瑞慶覧さんが突然お辞めになりました。お父様の具合が悪くなって、その介護をなさるというのが理由だと伺いました。ふっと、宮城文子さんのことを思い出しました。文子さんは義母の宮城巳知子さんが少し弱られたからという理由で、長年続けてきた仕事も辞めて東京から沖縄に行ったのです。仕事よりも家族、そんな沖縄の心みたいなものを感じます。

実は、ここ対馬丸記念館で、あるイベントが実現間近だったのです。それをすべて仕切ってくださっていたのが瑞慶覧さんでした。残念ながら、それが白紙に戻ってしまいました。瑞慶覧さんに任せっきりにしていたのが……、というような瑞慶覧さんの上司の方のお話でした。本当の理由はわかりません。例の事業仕分けも大きく影響しているのかもしれません。いいたいことは山ほどあるのですが(実際、この日全部申し上げてしまったのですが)、ここでご報告することは控えます。
仕切り直しをすれば実現できるのかもしれません。その糸口をちゃんと作っておくのが今日の仕事、無理に拝んだり、ごり押ししてやるものではありません。まずは気持ちよく何かを共有できるかどうか、その可能性の見極めることからやり直しです。

M.A.P.after5には“mystery”なるカテゴリがあって、その中に“消えたmystery”というサブカテゴリがあります。そこに加える記事がひとつ増えました。

瑞慶覧さん、きっとまたどこかでお会いできる日があることを願っています。

対馬丸記念館で、こんな本を買いました。
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(買ってきた本を後から撮影したのです。)
もう一度、きちんと勉強します。このツアーで、つい先日、プリティー千恵ちゃんから聞いた武州丸のこともあるしね。もしかすると、M.A.P.がやらなければならないのは、対馬丸ではなく武州丸なのかもしれません。

tag: 対馬丸記念館  対馬丸  沖縄の旅_2010年7月 

キジムナーフェスタ2日目【うやまいくとぅば・ずいせん・武州丸・630】

キジムナーフェスタの本筋は山猫合奏団のOfficial_Siteの方でご覧頂くとして。
 ⇒http://lince.jp/lince/acorns_history/korinza…

こちらはM.A.P.after5的話題を。
昨日ウチナーグチで口上したということはご報告しましたが、本日分をyouTubeにアップしました。ちょっと聞きずらいですが、まあお聞きください。最後は大島君の楽器紹介もあります。

やっぱりほとんど聞き取れませんな。ましてやウチナーグチ、ナイチャーに分かるわけないね。
では、実況中継風に文字に起こしてみましょうかね。
ぐすーよー、はじみてぃやいびーん(皆様、始めまして)」
(お客さん笑:まずナイチャーがウチナーグチを使ったというサプライズと親近感。これで掴みはバッチリ)
わんねー、山猫……ええと、ヤマ…マヤー小(ぐぁー)、合奏団ぬ、高山正樹やいびーん。みーしっちょーてぃくみそーれ(私は山猫合奏団の高山正樹です。お見知りおきくださいませ)」(お客さん拍手)
とーちょーから、飛行機から、ちゃーびたん(東京から飛行機で来ました)」
(笑い:「〜から」も「〜で」も、ウチナーグチはどちらも「から」を使います。そのあたり、くすぐりもうまくいきました。)
ゆたさるぐとぅうにげーさびら(よろしくお願いいたします)」
(ちょっと笑い。ここで前列のきょとんとしている子供たちをいじくってウケてますが、実はそれで時間を稼いで次の言葉を思い出していたのです。)
「今日は雨の中、(本当は「ちゅーやあみぬなーか」と言わなければならなかったのですが出てきませんでした。)わじゃわじゃめんそーち、うたびみそーち、(わざわざおいでをたまわりまして:ここでお客さんの小さな笑いが起こります。これ沖縄の人でもなかなか使いこなせないような、首里あたりのお年寄りが昔使っていたような、立派な敬語なのです。きっとびっくりされたんだろうな)いっぺーにふぇーでーびる(ほんとうにありがとうございます)」(大爆笑)

こうなれば、後はたいがい何をやっても大丈夫。そういう幸運な時間は、そうそうやってくるものではないのです。役者にとって至福の時間といっても過言ではありません。急遽電話で教えてくださった、親富祖恵子先生に感謝感謝です。

この日の公演から。“きのこの楽隊”チェロ入りバージョン!


プリティー千恵ちゃんが観に来てくれました。
宮城巳知子さんのオーディオブックを、早く作らなければいけないと思いつつママなりません。もしプリティー千恵ちゃんが東京の近くに住んでいれば、ことはトントンと運ぶだろうに、でもそうはいかない。この困難の中で、なんとしてもやらなければならない仕事なのです。
誰もが知っている“ひめゆり部隊”。ほとんど知られていない“ずいせん部隊”。伝えなければいけないことがあるのです。
この日、千恵ちゃんが言ったこと。「武州丸って知ってましたか、わたし知らなかった」
対馬丸は、どうにか多くの人に知られるようになったけれど、武州丸を知っている人はほとんどいません。なぜ?犠牲者が少なかったから?奄美の徳之島だから?
そのうち、M.A.P.after5で、詳しくお伝えできればと思っています。

会場のコリンザ一階のホールでは、集まる子供たちに向けた特設絵本売り場があります。そこで千恵ちゃん、お友達とバッタリ。お友達のお名前は磯崎主佳さん。
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(左から千恵ちゃん、主佳さん、宇夫方路)
磯崎主佳さんは数多く絵本の挿絵を手がけていらっしゃいます。そのうちの一冊がこれです。
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6月の空。先日ご紹介したばかりの宮森小学校米軍ジェット機墜落事件を題材にした絵本です。

本当に、日本人が知らないことがいっぱいあるのです。
 ⇒関連記事「ひめゆり部隊とずいせん部隊のこと」

お昼です。迷いに迷って、結局会場内で売られていた秋刀魚弁当を食べました。尻尾がはみ出しているのに思わず引かれて。
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プリティー千恵ちゃんが食後のデザートを奢ってくれました。
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高山正樹は唐辛子入りのアイスクリームを食べたのですが……
「決して不味くはないけどさ、入れる意味がわかんない……」

実は主佳さんはキジムナーフェスタ事務局の大池さんの奥様。
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今回、山猫合奏団は大池さんに何かとお世話になりました。また大池さんご夫婦は、沖縄に移り住む前はM.A.P.の事務所と比較的近いところにお住まいで、沖縄の居酒屋をひとつ教えていただきました。今度行ってみよう。

さて、あと一回最後のステージ、気を引き締めていきましょう。

tag: 沖縄の旅_2010年7月  ずいせん学徒隊  沖縄の食物  宮森小事件  対馬丸  プリティちえちゃん  うちなーぐち  キジムナーフェスタ  山猫合奏団  親富祖恵子 

狛食というラーメン屋さん

世田谷通りの狛江三叉路を、狛江の駅のほうに数十メートル、その辺りに「狛食」というラーメン屋さんがあります。
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奥様の西村康子さんです。
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康子さんは沖縄のコザの出身。かのコザ暴動を目の当たりにしていらっしゃる方です。
そして、お父様は対馬丸の生き残り、お母様はひめゆり部隊の生き残りなのだそうです。なんということでしょうか。

いろいろな資料や本を見せて頂きました。ご自分のお子さまが通う小学校で、沖縄戦のお話をされたそうです。
その学校の教頭先生が、あの牛島中将のお子様だったりして。
なんだか話が止まらなくなってしまいました。

また改めて来ますね、そういってお店を後にしました。
あ、お店の主役、ご主人と、一番重要な、酢の利いたおいしいお料理のことは、また後日きっちりと。

tag: 西村康子  狛江_中華.狛食  ひめゆり学徒隊  対馬丸  牛島満中将  コザ暴動 

大城立裕氏(沖縄2日目の午前中)

朝一番、対馬丸記念館へ。
下の画像にもありますが、あの中島高男さんの本が出版されました。
受付にて販売中  
 ⇒Official_Blogを読む
事務局長の瑞慶覧さんと記念撮影。
瑞慶覧さんと記念撮影
なんか変ですか…。
昔の美川憲一さんをちょいと太らせた感じ?
もすこし笑ってくださればいいのにね。
きっとカメラマンの問題ですねえ。

対馬丸記念館の裏には、琉球王府より特別な扱いを受けた八つの神社(琉球八社)のひとつ、波上宮があります。
波上宮の鳥居

波上宮の案内看板
なんだか大和風で、拍子抜けしますか? これも、沖縄です。
またその隣には波上山護国寺という沖縄最古のお寺もあるのです。察度王時代の1368年、波上宮の別当寺として建立され琉球王の勅願寺でした。境内には、明治初期のキリスト教宣教師ベッテルハイムの碑もあります。
いずれご紹介しましょう。
この護国寺と対馬丸記念館の関係は、こちらをどうぞ。
 ⇒対馬丸記念館のホームページ

そして、久米明さんのことをご報告に、大城立裕先生のお宅へ。
立裕オジイはカメラを向けると、いつも難しいお顔をされるので、なんとか笑わせて、写真家の石川真生さんが撮影したような笑顔をゲットしたかったのですが……。
大城さんのニコリ 大城さんのニヤリ

大城さんのオホホ
まあ55点というところでしょうか。
ちなみに、芥川賞決定の電話を受け大喜びの大城氏という、あの有名な写真は、実際の芥川賞決定報告の電話を切ったあとに、写真を撮りそこなった新聞記者に頼まれてポーズを取った「やらせ」なのだそうです。ああ、こんなこと、バラしてしまっていいのでしょうか。まあ、おめでたいことだし、やらせに乗ったのも喜びの延長の遊び心だったということは、皆さんの笑顔を見れば分かります。時効ということでひとつお許しください。
(文責:高山正樹)

大城氏のご自宅を辞して、さあ、金城くんと再会です。

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外間守善氏のこと

外間守善という方は、柳田国男とともに沖縄研究の祖師と仰がれるような存在です。伊波普猷の提唱した「沖縄学」、その志を引き継いだ人物で、沖縄を少しでもきちんと勉強しようとした人ならば、その名前を知らないということはない、そのような人です。
高山正樹の書斎にも何冊も外間さんの著作がありますが、なかでも「うりずんの島」という本は、高山のお気に入りです。
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27日のこと。《その日の記事を読む》
沖縄タイムスのロビーにて。儀間進さんのお話。
外間守善は戦争のことは全く話さなかったですよ。同級生の大田昌秀はよくしゃべるけどねえ。外間守善は、ちょっとでも戦争の話になると、体が震えだしてねえ。それが最近になって語り出したようだ。沖縄タイムスに自分の回想を連載していて、その中で、戦争のことも書いていたのではなかったかなあ」

「じゃあ、タイムス社からもう出版されているんじゃないですかねえ」
高山はそういって、受付の又吉さんのところへ向かいました。
「あのね、外間守善さんて、知ってる?」

又吉さんは、社員名簿を開くという失態を、またもやらかしちゃったのです。
「あーあ」
「あ、またやっちゃいましたか」
「やっちゃいました」…
 《前に「やっちゃった」時の記事を読む》

そうして入手した本です。
「回想80年 沖縄学への道」外間守善
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高山はさっそくパラパラとめくってみました。そうしたら、そこにびっくりする記述を見つけたのです。
「あ、外間さんの妹さん、対馬丸に乗船されていらっしゃったのですね。そして、あの事件で亡くなられたのですね」
「ほー、それは知らなかった…」

沖縄にいると、とてつもない話が、すぐ身近にあるといつも感じさせられます。
人もそうです。人間国宝がカルチャーセミナーみたいな企画で教えていらっしゃったり、居酒屋に行けば民謡の大物がすぐそばで歌っていたり、映画を見に行ったら隣に有名な映画監督が座っていたり、古本屋を探していると池澤夏樹や又吉栄喜の署名本がちょこちょこ出てきたり。

考えてみれば、いつも気楽にお話させていただいていますが、儀間先生だって、大変なお方、今でこそ沖縄のメディアではたくさんのウチナーグチの話題で賑わっていますが、儀間先生はそのパイオニア的存在なのですから。

実は、この日の儀間さんのお話ですが、この外間守善氏の話の前後に、もっとずっと長い物語がくっついているのです。でもそれは、ここでは手に負えません。いずれ高山が、「社長とは〜」に書くと申しておりますので、ややこしい続きは、そちらの方で。

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「対馬丸の悲劇」中島高男さんの講演

和光大学付属の小学校は、世田谷と町田の鶴川に2校あります。先日、世田谷の小学校にお伺いしたことはご報告しましたが(その時の記事へ)、その際、鶴川小学校の6年生の授業で、対馬丸の船員だった中島高男さんをお招きして体験談をお話していただくのだと伺って、是非参観させていただきたく校長先生にお願いしたところ、快くお許しくださいました。
行田校長先生です。鶴川と世田谷と、毎日交互にいらっしゃいます。
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そして今日がその授業の日、朝から鶴川小学校へお邪魔しました。
授業前の校長室にて。
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中島高男さん(左)です。右の方は、こども王国首脳会議事務総長の山本和昭さん。

中島さんは82歳。15歳で対馬丸の船員となり、それから2年後の17歳の時に、あの対馬丸の悲劇に見舞われたのです。船員で生き残られた方も何人かいらしたそうですが、現在御健在なのは中島さんおひとり。他の方は、もう皆さんお亡くなりになってしまわれました。

いよいよ子どもたちの前でお話が始まります。
まずは校長先生から、中島さんのご紹介です。
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戦争が始まった頃のお話から、当時対馬丸がどのような仕事をしていたか、そして疎開する子どもたちがどのように船に乗り、そうして……
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中島さんのお話しを、子どもたちも食い入るように聞いています。

中島さんは、特にことさら誇張してお話されたわけではありません。ただ体験されたことを淡々とお話になっただけです。ですから、ここでそれを文章にしてご紹介することも容易なことかもしれません。しかし、中島さんの肉声だからこそ現れてくる心と、思わず漏らされた中島さんの嗚咽を伝えることは決してできません。

「対馬丸のことをしゃべったら、軍法会議にかけて処刑する」
これは「かん口令」などではなく、中島さんにとっては、日本軍の「脅し」以外の何ものでもなかったのではないでしょうか。17歳の青年にとって、それがどれほどの恐怖であったか、想像に難くありません。
そうして中島さんは、結局33年間、口を閉ざすことになるのです。

今、沖縄の戦争の真実をめぐって、様々なことが言われています。だからこそ一方で、ようやく重い口を開き始める方もたくさんいらっしゃいます。そうした方を含めて、体験された方々の搾り出されるような「声」に耳を傾けることの重さを、今日は改めて思い知らされたのです。どこかの誰かの論説に影響されて、そして早急な結論を出す前に。

あっという間の1時間半、貴重なお話、本当にありがとうございました。


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