「ひめゆり」上映会を応援する。そして……

連続ドラマ風に。
前記事のラストシーンから…

店は混んでいる。何もかも散漫な感じ。
それはこの用件で来たからだ。
映画「ひめゆり」の案内
みやらびの竹原学くんが中心になって、映画「ひめゆり」の自主上映会を開く。その話題になかなかたどり着けなくて、なんだか落ち着かない。
お客さんが途切れて、やっと少し話せそうになった。

「竹原くんがマーキーさんの後輩なんて驚いたよ」
「ねえ、僕もおどろいた」
「豊見城高校なんだってね。実はさ、俺のカミサンも豊見城高校」
「へえ、そうなんですか」

やっぱりなんだか少し空回りしている…


今日のドラマは此処からである。
10月23日に、●●さんからメールが届いた。その内容は、少し長いので、記事の「続き」で書いた。そちらを読んでいただきたい。

「この“ひめゆり”のさあ、柴田昌平って監督、俺の高校の後輩なんだよね」
それがどうしたという類のはなしである。

少し話しが飛ぶが、許して欲しい。
都立駒場高校の同窓会報、その86号に対馬丸の話題が載っていたことは、7月31日の記事の最後に会報の画像を載せてほんのちょっとだけ触れた。「ほんのちょっとだけ」しか触れなかったのは、同窓会費が未払いだからというだけではない。別にも理由があった。それはチエちゃんが言っていた武州丸のことが気になっていたからだ。

対馬丸の事件は大城立裕氏等が小説に仕立て、その映画まで出来たりして、それなりに多くの人に知られるようになった。それでも“ひめゆり”の知名度に比べれば全く足りないという思いから、我々M.A.P.でも、駒場高校で同窓だった元日テレアナウンサーの菅家ゆかりに声を掛け、対馬丸のCDを作ったのだ。
しかし、その頃の僕らは、武州丸なんて聞いたこともなかったのである。武州丸のことを知っている人って、いったいどのくらいいるのだろう。

武州丸とは奄美大島の学童疎開船。徳之島の疎開者など約200人を乗せて九州本島に向かう途中、トカラ列島沖で米潜水艦の魚雷によって沈没し、77人の子供を含む182人が命を落とした。

先日、都立駒場高校の同窓会報の87号が届いた。
都立駒場高校の同窓会報87号
そこに「ひめゆり」の監督である柴田昌平氏の記事が載っていた。「ひめゆり」に続く新作「森開き」を紹介するのが本旨だが、旧作「ひめゆり」のことも書いてあった。
「(ひめゆり)は誰でも知っている名だが、実は生存者本人たちが体験をきちんと語った映画記録はこれまでほとんどなかった。香川京子や吉永小百合主演の劇映画は、他者が想像をまじえて神話化していったものだった」
駒場高校は柴田昌平氏を招いて、「ひめゆり」の上映会とトークショーを開催したらしい。

おい柴田、お前は沖縄のことを必死に考え続けている先輩が喜多見にいることを知っているか。その先輩(俺の事だが…)は、少しでも多くの人たちに沖縄を知ってもらいたいと、ずっといろいろ活動を続けているのだ。同窓会報を作っている連中に、そのことを伝えて、是非とも高山正樹のことも記事にしろと伝えておけ!

因みに、柴田昌平は弟と同い年、弟は帝京と全国大会の東京代表をかけて戦った都立駒場サッカー部のキャプテンだった。その時に駒場に通っていたなら、よほどのガリ勉でもない限り、弟を知らぬはずはない。そこで弟を使ってコンタクトを取ってみるかなどと考えたりもしたが、柴田が、いやいや柴田君が天下の東京大学のご出身と知って、弟の伝手でなんとか柴田さんに繋がろうなんてお下品なことはやめることにいたしました、ハイ。自爆。

もちろん冗談ではある。しかしだ。柴田昌平は、対馬丸のこと、武州丸のこと、そしてずいせん学徒隊のことを知っているだろうか。ずいせん学徒隊の唯一の語り部である宮城巳知子さんがどんな思いで「ひめゆりは嫌いだ」と呟いたのかを知っているだろうか。
「僕たちもさ、上映会を企画して開いたことがあるんだけどさ」

西山正啓監の“ゆんたんざ沖縄”と“チビチリガマから日本国を問う!”の上映会2本。
5月18日に西山監督を連れて“みやらび”にやってきた日、竹原くんは不在だったけれど、西山監督は一生懸命店の女の子に話をしていた。その時のハナシ、女の子は竹原くんに報告してくれたのかなあ。

竹原くん、僕が上映会のチラシを持参して“みやらび”に来た日のこと、君は覚えているだろうか。

我々の上映会の日、5月26日と、5月28日、きっと竹原くんは仕事で忙しかったのだろうね。

結局、僕らがやった上映会に来てくださったお客さまはごくわずかだった。竹原くんが宣伝してくれなかったからだなんて言うつもりは全くない。集客できなかった原因は僕らの努力が全然足りなかったの一言に尽きる。

でも今度の竹原くんのやる上映会はきっと大丈夫だ。竹原くんにはたくさんのいい仲間がいるみたいだから。もちろん僕たちだって出来る限り協力するよ。といっても、自分たちの上映会にさえろくろくお客さんを呼べなかったのだから、偉そうなことは言えないね。

柴田くんの“ひめゆり”は、上映用のデータを借りる料金が一日3回上映の場合は20万、2回なら15万、チラシも一枚いくらで買うらしい。僕らの上映会は、少ない入場料をそのままお支払いしようとしたが、西山監督は何かの足しにしてよと言って、受け取ってはくださらなかった。

「チラシ、預かっていくよ」
映画「ひめゆり」のチラシ
チラシには宮本亜門の推薦文が印刷されていた。

「亜門は大学で一緒に演劇を学んでいた」
どうでもいい話である。

柴田昌平と西山正啓、いったい何が違うのだろう。
裏には僕のカミサンが大好きなCoccoがメッセージを寄せている。

僕は竹原学氏の今回の挑戦を精一杯応援しようと思う。11月の山猫合奏団の公演まで、きっとバタバタと忙しいが、それでも合間を縫って宣伝したいと思っている。

「狛江に狛食っていう中華の食堂があるの知ってる?」
「いや」
「あそこの奥さんのお母さんがひめゆりの生き残りなんだよ」
「そうなんだ、行ってみようかな」

結局、店を出たのは午前3時過ぎ。
白い看板の前で
ちょっと疲れた感じ。なんだって仕事は大変だ。客商売となれば尚更。誰もが「ひめゆり」のことを知りたいわけじゃない。

けれど、ひとつだけ竹原氏にお願いがあったのだ。“ひめゆり”のことをたくさんの人に知らせたいと考えた竹原君なら、僕らがやっている沖縄の色々なことにも、どうか目を向けて欲しい。たとえば、ひめゆり部隊とは違って引率の先生がいなかったために、殆ど記録の残っていない“ずいせん学徒隊”のことも、多くの人に知ってもらいたいという我々の思いに、今度の君の上映会で少しばかり協力してはもらえないだろうかということ。
でも、会場は調布市の施設だから難しいのかな。僕らは会社の事業としてやっている。だから営利だとみなされる。元さえ取れていない。それどころか大赤字なのにね。元が取れるとも思っていないけれど、ひどい赤字では続けていけない。だから君の今度の上映会も、絶対に成功して欲しいのだ。

ピンボケ写真
頑張って、そしてできることならばよろしくね。
もう午前3時半、今日のところは、おやすみなさい……


【追伸】
学徒隊の貴重な証言を集めた労作があります。あまり知られていませんが、大変貴重な資料です。そういうものもあるのだということも知って頂きたいと思うのです。有名なものだけがすばらしいわけではないということ、それを沖縄にこだわり続けることによって僕は教えらたのです。
 ⇒行田稔彦編『生と死・いのちの証言“沖縄戦”』のこと

【さらに追記】
監督の柴田昌平氏は民族文化映像研究所の御出身らしい。
民族文化映像研究所の姫田忠義氏のことを書いた記事が「社長とは呼ばないで」にあります。
そこに書いた僕のエピソードは、僕の沖縄経験の原点です。是非お読みください。
 ⇒物語の始まりのエピソード

そして今朝方自転車で自宅へ。書斎にてブログ記事のアップ方法を思案して、夜の8時、また自転車で事務所へ戻る。明日までに諸々支払い登録の手続きなどをしなければならない。でも、ちょっとした不手際があって、今日のところは中途までしかできなくなった。残りは明日。早いうちに片付けなければならないから、明日の朝は8時から作業開始だな。

というわけで今日は少し時間ができた。これから、昨日“みやらび”で預かったチラシを持って“中む食堂”に行く。今晩こそは午前様にならないように。

いったい健康ゲームなのか、不健康ゲームなのか。

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tag: #竹原学  狛江_中華.狛食  西山正啓  対馬丸から  都立駒場高校  沖縄戦  対馬丸  沖縄居酒屋.みやらび(つつじヶ丘)  健康ゲーム  ずいせん学徒隊 

本当に“美ら島”に歓迎されているのか

那覇空港に着くと、こんな横断幕が張られていました。
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「歓迎 美ら島沖縄総体2010」
※ウチナーグチの「ちゅら」という言葉に「美しい」という字を当てることはおかしい、「清ら」が正しいのですと、いつもいつも國吉先生はおっしゃいます。「ちゅら」が大和の「美」だと理解してしまったら、沖縄の文化は正しく伝わらない。そのことをいつか書かなければと思っていながら、ここまで来てしまいました。この旅の間に、どこかであらためて書ければいいのですが……

私事ではございますが、わが母校、東京都立駒場高校が、あの強豪帝京高校とともに東京都のサッカー代表で出場するらしいのです。さらに私事ですが、今から数十年前、全国高校サッカーの東京予選決勝で、東京都立駒場高校は帝京高校に延長で3-4のスコアーで破れ、惜しくも全国大会出場を逃したことがあります。その時の駒場のキャプテンが、僕の弟でした。弟は準決勝の本郷戦で、ファールを受けて骨折し、決勝には出られなかったのですが、松葉杖を突いてベンチ入りした弟は、決勝戦のテレビ放送のおいしい話題であったようで、何度も何度も画面に登場し、アナウンサーはその度に準決勝での弟の活躍を水増しして伝え、「おれを国立へ連れて行け」などとドラマチックに絶叫し、おかげで弟は、他のどの選手よりも目立っていました。
その試合を、僕はスタンドで観戦していましたが、その時の駒場側の応援スタンドレポーターが、やはり駒場の同級生、日テレの新人アナウンサー、菅家ゆかりさんでした。その彼女が今、おきなわおーでぃおぶっくの「対馬丸」を読んでくれているのだから不思議なものです。

さて、本題です。
今、沖縄の少年たちは、サッカーや野球に一生懸命です。そして、子どもより一生懸命なのが、親であるらしい。
数年前、沖縄でこんなことを聞いたことがあります。今の沖縄では、現実的な夢を持つことができない。だから大人たちは、自分の子だもたちが、プロのサッカー選手や野球選手になるという夢を追って、何をも差し置いて、子どものスポーツ活動を優先している、それがちょっと問題なのだというはなし。

「歓迎 美ら島沖縄総体2010」
そして僕は、ますます憂鬱なのでありました。

tag: 都立駒場高校  「美ら」  菅家ゆかり  対馬丸から  沖縄の旅_2010年7月 

対馬丸通信が届きました。

Official_Blog にも書きましたが、対馬丸記念館から「対馬丸通信」18号が届きました。
対馬丸通信のロゴ

それには昨年9月23日に琉球新報に掲載された“おきなわおーでぃおぶっく”の記事が紹介されていました。

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他に記事がなかったのか、あんまりCDが売れないからか、いずれにしてもご紹介くださることはとても有難いことで感謝なのですが、今日ご紹介したいのは、その右ページの記事のことです。
「沖縄通信no.2」でご紹介した沖縄戦の遺骨発掘収集活動をしていらっしゃる「ガマフヤー」の具志堅隆松さんが、対馬丸記念館で講演をされました。その時の要旨が掲載されているのです。その中に、具志堅さんでなければ書けない一文がありました。それをここで、ちょっとご紹介したいと思うのです。
注釈なしで……

「壕内の収集でよく見られる、上半身が無い遺骨の原因が解ったときはショックでした。なぜ上半身が無いのか、それは手榴弾による自爆者の遺骨なのです。日本軍は兵士に手榴弾を2個与え1個はアメリカ兵を殺すため、もう1個は捕虜になる前に自分を殺すために使えと命令しています。(中略)そしてその遺骨の傍らには、アメリカ兵に対して使うことのなかった手榴弾が残っています。」

tag: 具志堅隆松  自死  対馬丸から  対馬丸記念館 

amazonから“おきなわおーでぃおぶっく”

おきなわおーでぃおぶっくCD、“カクテル・パーティー”及び“対馬丸から”を、amazonで販売開始しました。

さっそくサイドバーに貼り付けてみました。

こうしてみると、なんだかちょっと色合いが淋しいけど……、まあ控え目(?)な私たちには、ちょうどいいくらいでしょうか。
おまけ。夜、渋谷にて密談?
インターネット戦略について…
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持つべきものは…

tag: amazon  旧友  おきなわおーでぃおぶっく  対馬丸から  カクテル・パーティー 

菅家ゆかり「対馬丸」を読む

大城立裕「対馬丸」の録音。
菅家ゆかりさんは保幸氏よりさらに左のブースの中。
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助手の中島君。
ディレクターの高山正樹は手前のソファー。

収録3時間を終えて、恵比寿ビアガーデンへ直行。

tag: 旧友  おきなわおーでぃおぶっく  対馬丸から  菅家ゆかり 

菅家ゆかりサンプル録音の日

おきなわおーでぃおぶっく、大城立裕シリーズ第2弾「対馬丸」を読む。
元日テレアナウンサーの菅家ゆかりさんが、狛江にあるM.A.P.の企画室でテスト録音をしました。
七夕の日以来の喜多見ですね。
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さすが、昔とった杵柄、スイスイとお読みになる。しかし、それでOKとならないところが難しい。NEWS原稿じゃないからね。

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ディレクターは高山正樹。sibuya-hokouはプロデューサー?本日のエンジニアは佐々木大。

tag: 朗読  おきなわおーでぃおぶっく  対馬丸から  旧友  MAPの人  菅家ゆかり