2018年11月19日(月)10時57分
キタコマ映画祭6th「憲法九条・国民投票」
第六回 喜多見と狛江の小さな映画祭+α上映作品5
今年のテーマは“密室の対話”
憲法九条・国民投票
(ドキュメンタリー 98分/2018年)
監督:宮本正樹
市民14人が本音で議論して視えたもの

前回のキタコマ映画祭2017では宮本正樹監督の映画『第九条』を取り上げた。
⇒第五回 喜多見と狛江の小さな映画祭 上映作品5
それは台本のある劇映画であったが、今回監督は2018年2月に、『第九条』と同じような状況を実際に設定し、その集中的な議論の模様を記録してドキュメンタリー映画に仕上げた。憲法9条に関する模擬国民投票、熟議によって、はたして参加者の意見はどう変わっていくのか。
自前で文字起こしした日本語字幕付きで上映!
※スクリーン脇の別途スペースに縦書きで映写します。
①日時:12月14日(金)18:30~
①会場:狛江中央公民館 講座室
②日時:12月16日(日)13:30~
②会場:M.A.P.
※各回上映後、皆さんと色々お話をしたいと思います。
⇒Facebook個別上映作品イベントへ
【チケット料金】
前売り 1,000円(当日1,200円)
※介助の方と御同伴の場合は、お二人で一人分の料金、またはチケット1枚
(なおM.A.P.会場は車椅子の対応が出来ていません。お問合せください。)
学生及び75歳以上 前売り 500円(当日700円)
※受付で学生証・保険証等を提示してください。
※ご予約を頂けば、前売り扱いにて、チケットを受付にお取り置きいたします。
ご予約・お問合せ:
TEL:03-3489-2246(M.A.P.担当うぶかた)
FAX:03-3489-2279
Mail:kitamitokomaenoeigasai@gmail.com
⇒オフィシャルサイトのチケット購入ページ
⇒総合案内記事へ
集客が心許ない。
だからというワケではないのですが、この作品を取り上げるまでの経緯を、今まで既にブログに投稿した文章を再構成してここに掲載したいと思います。どうかお読みください。
宮本正樹監督の前作『第九条』の中で、最後に女性が次のような意見を表明する。戦争放棄してそのために殺されてしまうとしても受け入れる、それが未来の世界平和に繋がると信じると。でも、そういう意見は「お花畑」なのだろうか。
『第九条』の監督の考えは、きっと最後の女性の発言に託したのではないか、そんなふうに思う。つまりたとえお花畑と言われても、未来の世界中の人々のために、憲法第九条は維持すべきだと。実はその思いに、僕も心情的には深く同意する。
お花畑かどうかはともかくとして、たとえそのような感動的な文学的世界観があるとしても、一方それとは無関係に、選択を変えることのない一群の人たちがいるということ。たぶん、憲法擁護派には、現象数理学的な「理屈」が不足していることは確からしい。
昨年の映画祭で、『第九条』の一回目の上映会に、泉龍寺のお経の会でお会いする女性が見に来てくださっていた。その方は元々「改憲反対」の方であったが、映画を見た後、「憲法は変えた方がいいと思うようになった」という話を後日聞いた。伝えてくれたのはやはりお経の会のメンバーで、その方にチケットを売った実行委員のおひとり。
「そんなふうに変わってしまう映画を、わたし奨めてもよかったのかしら」
ボクはそれに対して、「へえ、そのはなしすごく面白い。問題ないです。かえってよかったと思いますよ」と答えた。
つまり、この映画には人を変える力があるのである。第九条と真摯に向き合い、維持か、破棄か、どちらの意見も公平に示して議論をするという「正しい対話」が、『第九条』という作品の根幹となっている証拠である。この映画は、観た者に、自ら深く憲法を考えるための扉を開かせる作品であるという証ではないか。
但し、ココから先こそが重要なのである。扉はただ開かれたに過ぎない。深い思索の森への入口。だからその扉を開けた者は、その先へと踏み出さなければならない。『第九条』を見て、維持から破棄へと考えが変わったというその人は、この問題について自分の頭で考えたことがないということを白状してしまっただけなのである。お花畑なのは「第九条」を維持するという結論の特性ではない。憲法は変えた方がいいと思うようになったその人は、いまだ「お花畑」の中にいるのである。「お花畑」は、「維持」か「破棄」かの違いとは関係ない。
二回目の上映会に、あのちんどん屋さんのボス嶋崎靖さんが観に来てくださった。そして上映後、次のようなことをおっしゃった。「この映画は、へたすると改憲のプロパガンダになる」
この嶋崎さんの御意見は、一回目の女性のエピソードを裏付ける。しかし、女性と嶋崎さんとが決定的に違うのは、この映画の改憲派の論理くらいでは嶋崎さんの意見が揺るがなかったということである。といっても、一回目の女性も、映画を見たことによって意見がすっかり変わってしまったのかといえば、ちょっと揺らいだくらいのことで、結局は今の憲法を守るという気持ちまで変わることはなかった。
女性は、感覚的に憲法は守るべきだと思っていらっしゃったのだが、この映画で展開される改憲派の「理屈」を聞いて、自分の思っていたことは違うのかもしれないと考えた。けれどたぶん、彼女の感覚まで変わることはなかったのである。
一方嶋崎さんは、もっと深く論理的に思考されているのだろうと推測する。だからこそ、この映画で改憲派が語る「理屈」を、冷静に、批判的に受け止めることがたのだろう。
しかし、と僕は思うのだ。
はたしてそこに決定的な違いはあるのだろうか、程度問題でしかないのではないかと。
篠崎さんにして、改憲派の理屈を完全に論破するだけの力のある論理を獲得しえているのだろうか。そして同様のことは日本の改憲反対論者のすべての方々に当てはまることでもあり、この僕、自分自身にこそ問わねばならないのである。
深い考えなしに「憲法改正反対」を叫ぶ人々が「お花畑」だというならば、やはり深い考えなしに権力の喧伝を鵜呑みにして改憲に賛成する人もまた「お花畑」だということは先に述べた。さらに思うことは、どうやらほぼすべての日本人が、真に「対話」する能力を欠き、結果自らの思索を深める機会を持たず、お花畑の中で分裂し、右左の陣営が、文字通りその中で右往左往している。右の左派と左の右派さえ、出会うことは稀という状況なのではないかということ。
このままではいけない。ひとつ上の段階の論理をそれぞれの人が持ち、そしてそれをもって対話できるような場を確立しなければいけない。なんとかそういう場を作ることができないだろうか。その第一歩として、この作品を、そういう意識のを持ってもう一度どこかでやりたいとこの時ボクは思ったのである。
(そう思うには、この映画祭に、狛江の共産党や革新系の方々が、殆ど来ないという現状も大いに影響している。対話が出来ない人々とまでは言いたくないのだが…)
そうして、あらためて上映会をやる、その方向で宮本正樹監督とやり取りをしていた。しかしなかなか色々事情もあって、その機会を作れずにいた。
そうしているうちに宮本監督があたらしい作品を完成させたことを知る。「第九条」は劇映画だったが、新しい作品は同じ状況をつくってそれを記録したドキュメンタリーである。
今回はなるべく劇映画をやりたいと考えていた。そのことは別の話だが、それから言えば第一作「第九条」の方が今回のコンセプトには合っている。しかしそれなのになぜそ新作のドキュメンタリーの方をやろうと思ったのか、それはネタバレになるので、今は控える。上映の際、来てくださった皆さんには、この経緯を語ってみたいと思う。映画祭が終わったらブログにも書こうと思う。
ただ、黙ってはいられないしょうぶんなので、謎めいた一言だけ。
会議に参加した人物たちの感情が動いたふたつの場面…
いずれにしても、宮本正樹監督の「さほど遠くない時期に必ず憲法改正を問う国民投票が行われることになる、しかしこのままみんなが深く考えていない状況で、国民投票が行われてしまうことに危機感を感じる」という問題意識は、大いに共感する。
是非とも、まずは深い思索の入口に、皆さんと一緒に立ちたいと思う。
今年のテーマは“密室の対話”
憲法九条・国民投票
(ドキュメンタリー 98分/2018年)
監督:宮本正樹
市民14人が本音で議論して視えたもの

前回のキタコマ映画祭2017では宮本正樹監督の映画『第九条』を取り上げた。
⇒第五回 喜多見と狛江の小さな映画祭 上映作品5
それは台本のある劇映画であったが、今回監督は2018年2月に、『第九条』と同じような状況を実際に設定し、その集中的な議論の模様を記録してドキュメンタリー映画に仕上げた。憲法9条に関する模擬国民投票、熟議によって、はたして参加者の意見はどう変わっていくのか。
自前で文字起こしした日本語字幕付きで上映!
※スクリーン脇の別途スペースに縦書きで映写します。
①日時:12月14日(金)18:30~
①会場:狛江中央公民館 講座室
②日時:12月16日(日)13:30~
②会場:M.A.P.
※各回上映後、皆さんと色々お話をしたいと思います。
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【チケット料金】
前売り 1,000円(当日1,200円)
※介助の方と御同伴の場合は、お二人で一人分の料金、またはチケット1枚
(なおM.A.P.会場は車椅子の対応が出来ていません。お問合せください。)
学生及び75歳以上 前売り 500円(当日700円)
※受付で学生証・保険証等を提示してください。
※ご予約を頂けば、前売り扱いにて、チケットを受付にお取り置きいたします。
ご予約・お問合せ:
TEL:03-3489-2246(M.A.P.担当うぶかた)
FAX:03-3489-2279
Mail:kitamitokomaenoeigasai@gmail.com
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集客が心許ない。
だからというワケではないのですが、この作品を取り上げるまでの経緯を、今まで既にブログに投稿した文章を再構成してここに掲載したいと思います。どうかお読みください。
宮本正樹監督の前作『第九条』の中で、最後に女性が次のような意見を表明する。戦争放棄してそのために殺されてしまうとしても受け入れる、それが未来の世界平和に繋がると信じると。でも、そういう意見は「お花畑」なのだろうか。
『第九条』の監督の考えは、きっと最後の女性の発言に託したのではないか、そんなふうに思う。つまりたとえお花畑と言われても、未来の世界中の人々のために、憲法第九条は維持すべきだと。実はその思いに、僕も心情的には深く同意する。
お花畑かどうかはともかくとして、たとえそのような感動的な文学的世界観があるとしても、一方それとは無関係に、選択を変えることのない一群の人たちがいるということ。たぶん、憲法擁護派には、現象数理学的な「理屈」が不足していることは確からしい。
昨年の映画祭で、『第九条』の一回目の上映会に、泉龍寺のお経の会でお会いする女性が見に来てくださっていた。その方は元々「改憲反対」の方であったが、映画を見た後、「憲法は変えた方がいいと思うようになった」という話を後日聞いた。伝えてくれたのはやはりお経の会のメンバーで、その方にチケットを売った実行委員のおひとり。
「そんなふうに変わってしまう映画を、わたし奨めてもよかったのかしら」
ボクはそれに対して、「へえ、そのはなしすごく面白い。問題ないです。かえってよかったと思いますよ」と答えた。
つまり、この映画には人を変える力があるのである。第九条と真摯に向き合い、維持か、破棄か、どちらの意見も公平に示して議論をするという「正しい対話」が、『第九条』という作品の根幹となっている証拠である。この映画は、観た者に、自ら深く憲法を考えるための扉を開かせる作品であるという証ではないか。
但し、ココから先こそが重要なのである。扉はただ開かれたに過ぎない。深い思索の森への入口。だからその扉を開けた者は、その先へと踏み出さなければならない。『第九条』を見て、維持から破棄へと考えが変わったというその人は、この問題について自分の頭で考えたことがないということを白状してしまっただけなのである。お花畑なのは「第九条」を維持するという結論の特性ではない。憲法は変えた方がいいと思うようになったその人は、いまだ「お花畑」の中にいるのである。「お花畑」は、「維持」か「破棄」かの違いとは関係ない。
二回目の上映会に、あのちんどん屋さんのボス嶋崎靖さんが観に来てくださった。そして上映後、次のようなことをおっしゃった。「この映画は、へたすると改憲のプロパガンダになる」
この嶋崎さんの御意見は、一回目の女性のエピソードを裏付ける。しかし、女性と嶋崎さんとが決定的に違うのは、この映画の改憲派の論理くらいでは嶋崎さんの意見が揺るがなかったということである。といっても、一回目の女性も、映画を見たことによって意見がすっかり変わってしまったのかといえば、ちょっと揺らいだくらいのことで、結局は今の憲法を守るという気持ちまで変わることはなかった。
女性は、感覚的に憲法は守るべきだと思っていらっしゃったのだが、この映画で展開される改憲派の「理屈」を聞いて、自分の思っていたことは違うのかもしれないと考えた。けれどたぶん、彼女の感覚まで変わることはなかったのである。
一方嶋崎さんは、もっと深く論理的に思考されているのだろうと推測する。だからこそ、この映画で改憲派が語る「理屈」を、冷静に、批判的に受け止めることがたのだろう。
しかし、と僕は思うのだ。
はたしてそこに決定的な違いはあるのだろうか、程度問題でしかないのではないかと。
篠崎さんにして、改憲派の理屈を完全に論破するだけの力のある論理を獲得しえているのだろうか。そして同様のことは日本の改憲反対論者のすべての方々に当てはまることでもあり、この僕、自分自身にこそ問わねばならないのである。
深い考えなしに「憲法改正反対」を叫ぶ人々が「お花畑」だというならば、やはり深い考えなしに権力の喧伝を鵜呑みにして改憲に賛成する人もまた「お花畑」だということは先に述べた。さらに思うことは、どうやらほぼすべての日本人が、真に「対話」する能力を欠き、結果自らの思索を深める機会を持たず、お花畑の中で分裂し、右左の陣営が、文字通りその中で右往左往している。右の左派と左の右派さえ、出会うことは稀という状況なのではないかということ。
このままではいけない。ひとつ上の段階の論理をそれぞれの人が持ち、そしてそれをもって対話できるような場を確立しなければいけない。なんとかそういう場を作ることができないだろうか。その第一歩として、この作品を、そういう意識のを持ってもう一度どこかでやりたいとこの時ボクは思ったのである。
(そう思うには、この映画祭に、狛江の共産党や革新系の方々が、殆ど来ないという現状も大いに影響している。対話が出来ない人々とまでは言いたくないのだが…)
そうして、あらためて上映会をやる、その方向で宮本正樹監督とやり取りをしていた。しかしなかなか色々事情もあって、その機会を作れずにいた。
そうしているうちに宮本監督があたらしい作品を完成させたことを知る。「第九条」は劇映画だったが、新しい作品は同じ状況をつくってそれを記録したドキュメンタリーである。
今回はなるべく劇映画をやりたいと考えていた。そのことは別の話だが、それから言えば第一作「第九条」の方が今回のコンセプトには合っている。しかしそれなのになぜそ新作のドキュメンタリーの方をやろうと思ったのか、それはネタバレになるので、今は控える。上映の際、来てくださった皆さんには、この経緯を語ってみたいと思う。映画祭が終わったらブログにも書こうと思う。
ただ、黙ってはいられないしょうぶんなので、謎めいた一言だけ。
会議に参加した人物たちの感情が動いたふたつの場面…
いずれにしても、宮本正樹監督の「さほど遠くない時期に必ず憲法改正を問う国民投票が行われることになる、しかしこのままみんなが深く考えていない状況で、国民投票が行われてしまうことに危機感を感じる」という問題意識は、大いに共感する。
是非とも、まずは深い思索の入口に、皆さんと一緒に立ちたいと思う。
2017年08月26日(土)23時14分
2017年「映画祭」5日目
本日五日目
— 喜多見と狛江の小さな映画祭+α (@KitamiFilmfes) 2017年8月26日
11:00「フリークス」
14:30「二十四時間の情事」
18:00「第九条」
映画祭3日目の「第九条」についての呟きから続く…
一回目の上映会で、元々「改憲反対」だった女性が、「第九条」を見たあと、「憲法は変えた方がいいと思うようになった」というエピソードを紹介した。
この日二回目の上映会に、あのちんどん屋さんのボス嶋崎靖さんが観に来てくださった。そして上映後、次のようなことをおっしゃった。「この映画は、へたすると改憲のプロパガンダになる」
この嶋崎さんの御意見は、一回目の女性の感想の適切さを裏付ける。しかし、女生と嶋崎さんとが決定的に違うのは、この映画の改憲派の論理くらいで嶋崎さんの意見が揺ることはないということかもしれない。といっても、一回目の女性も、映画を見たことによって意見がすっかり変わってしまったのかといえば、ちょっと揺らいだくらいのことはあったかもしれないけれど、きっと結局は今の憲法を守るという気持ちまで変わることはなかっただろう。
女性は、感覚的に憲法は守るべきだと思っていらっしゃったのだが、この映画の「理屈」を聞いて、そうではないかもしれないと考えた、けれどたぶん、彼女の感覚まで変わることはなかった。一方嶋崎さんは、もっと深く論理的に思考されているのだろうと推測する。だからこそ、この映画で改憲派が語る「理屈」を、批判的に受け止たのだろうと。
しかし、と僕は思う。はたしてそこに決定的な違いはあるのだろうか、程度問題でしかないのではないかと。
篠崎さんにして、改憲派の理屈を完全に論破するだけの力のある論理を獲得しえているのだろうか。そして同様のことは日本の改憲反対論者のすべての方々に当てはまることでもあり、この僕、自分自身にこそ問わねばならないのである。
深い考えなしに「憲法改正反対」を叫ぶ人々が「お花畑」だというならば、やはり深い考えなしに権力の喧伝を鵜呑みにして改憲に賛成する人もまた「お花畑」だということは、一回目の上映の後にTwitterで呟いた。今思うことは、どうやらほぼすべての日本人が、真に「対話」する能力を欠き、結果自らの思索を深める機会を持たず、お花畑の中で分裂し、右左の陣営が、文字通りその中で右往左往している。右の左派と左の右派さえ、出会うことは稀という状況。
ひとつ上の段階の論理をそれぞれの人が持ち、そしてそれをもって対話できるような場を確立することはできないだろうか。この作品、もう一度どこかでやりたいと今ボクは思っている。
(そう思うには、今回もこの映画祭に、狛江の共産党や革新系の方々が、殆ど来ないという現状も大いに影響している。対話が出来ない人々とまでは言いたくないのだが…)
tag: 嶋崎靖
2014年05月27日(火)03時39分
ちんどん屋さんの深い話
いよいよ今日です!@mapafter5 喜多見駅周辺、10:30~12:30頃、狛江駅周辺、13:00~15:00頃/チンドン屋さんがやってくる! http://t.co/dPOuuHM1qQ
— 喜多見と狛江の小さな映画祭+α (@KitamiFilmfes) 2014, 5, 25
午前10時、事務所にて、スタンバイ完了。

10時25分、まさに喜多見の街へ出向かんとしたその時…

時系列が後先になりますが、この日の夜に呟いたツイート。
gajumui
昨日の東京新聞武蔵野版に映画祭の記事が載った。とたんに今朝、消防署から3人来た。あさって、事務所に再び消防署の人と、東京都の建設事務所の役人が来るという。好むと好まざるとに関わらず、ステージがひとつ上がってしまったということか。潰されてはかなわないが、俺はきっと悶々と悩むだろう。
05-26 18:33
(※建設事務所ではなく、正確には建築指導事務所。後から気づいたのだけれど、この時すでに消防署と建築指導事務所は横の連絡を取っていた。元来縦割り行政なのに何故?それは追々分かってくるのです。)
まあ、んなこたあ忘れて、今日はちんどん屋を楽しみましょう。
消防署が来て少し手間取ったけれど、10分遅れくらいで出陣できました。小生はビデオカメラを持って後を追います。
宇夫方女史は紅型来てチラシを配る係りです。


- 喜多見駅前で記念撮影。
ubukatamichi
明日です!来てね!/三線・琉球舞踊の無料体験 http://t.co/uTjccr99OQ
05-26 23:59
4人で収まった記念撮影の写真、でっかい太鼓を叩いている女性が村上友子さんです。龍前照明の現場で知り合いました。うちの会社で、地図調査員として働いてくれていたこともあります。でも、役者さんなのです。
その隣の小生を飛び越えて、嶋崎靖さんがチンドン屋 U-Stageのボスです。芝居も書きます。演出もします。役者さんでもあります。
そして隈本吉成さん。ザ・スーパー・カムパニイの役者さんで、映画祭では30日の「カクテル・パーティー」にもご出演いただきます。
映画祭影のボス、チラシ配りの宇夫方路さんも今は琉球舞踊の先生ですが、やっぱり役者さんです。
ビデオ係りの小生を含め、要するにみ~んな役者なのです。
ちなみに、チンドン屋さんのルーツは無声映画時代の楽士さんたちだったのだとか。
そういえば、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」もこんな一節から始まります。
「ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係でした。」
映画がトーキーになって、映画館専属の演奏家たちは職を失いました。そんな彼らがちんどん屋さんになったのです。なるほど、つまり、チンドン屋さんと映画って、深いつながりがあるんですねえ。
その後、今度はサーカスの楽団の人たちが沢山ちんどん屋業界に入ってきました。きっとサーカスの興行も厳しくなってきたんですね。あの「天然の美」という曲、ちんどん屋さんの定番のように思われていますが、あれは元々サーカスの定番の曲だったのです。
僕らが子どもの頃、昭和30年台のちんどん屋さんは、和服着てズラを被っていました。ちんどん屋さんて、そういうものだと思っていました。でも違うんですって。あの頃、大衆演劇もどんどん下火になっていって、その役者さんたちが大挙してちんどん屋さんになったのだそうです。だからあんなカッコをしていたらしい。それより前からやっていたちんどん屋さんも、その流れに押されて、カツラを被らなければならなくなった一時期があるんですって。
あ~、ちんどん屋さんの歴史って、なんだか哀愁があるなあ。嶋崎靖さんはおっしゃいます。「ちんどん屋は芸人が最後に行き着くところ、吹き溜まりなんですよ」
それを聞いて、沖縄の京太郎(ちょんだらー)を思い出しました。日本の旅芸人が最後に行きついた沖縄。きっと居心地がよかったんだろうなあ、沖縄も、ちんどん屋も。
かの小沢昭一さんが最後に研究し残したのが沖縄の旅芸人チョンダラーでした。一緒に、と企んでいたのに間に合わなかった。隈本吉成さんは小沢昭一さんの弟子です。
労働の後は事務所でちょいとお疲れさまの一献。

コスチュームを脱げば只の人です。きっせいさんは学校で講師をやっているので先にお帰りになりましたが、U-Stageのボス、嶋崎靖さんと話が尽きなくなりました。そのあたりはいずれどこかに書きます。
友ちゃんにも、あえてここには書きませんが、本当に感謝なのです。今度は…、ね!
でもせっかくだからひとつだけ、嶋崎さんから伺ったちんどん屋さんの極意の話をご紹介しましょう。
「いかに姿を消すか」
ちんどん屋さんはあくまで宣伝係りです。主役はパチンコ屋さんだったりスーパーだったり、あるいは映画祭だったり。着替える場所がなければ、家から衣装と化粧のままで電車に乗り(今日もふたりはそうでした)、その恰好のまま町の食堂に入るのです(今日もそうでした)。さりげなく、目立たぬように。
ちんどん屋さんは人を集めません。集まってきたらこれまたさりげなく場所を移動します。つまり、町に迷惑を掛けては絶対にいけないのです。
ところが最近、修行の足りない若い人たちがちんどん屋業界に入ってきて、盛り上げるだけ盛り上げる。すると近所から苦情が来て、もう次の年からはちんどん屋さんは呼ばれなくなる。ちんどん屋って、ストリートミュージシャンや大道芸人とは本質的に違うんですね。実にストイックで、プロ、職人なのです。役者としても、考えさせられるところがたくさんあります。
もし、来年も映画祭が続けられるのならば、ちんどん屋さんは定番にしたい、心からそう思っています。僕自身が、ちんどん屋さんに転職していなければ、ですが(笑)
そして!
嶋崎靖さんが、あるお知り合いの方に電話してくださいました。それで6月1日の「非行少年」のゲストが決まりました。
日本映画大学の学長、佐藤忠男さんです!
もう、びっくりなのであります。
ともかく、チンドン屋さんには魔法がかかっているのではないか、そんな気がしてきました。だってみんな笑顔になるんだもん。今まで一度も話したことのないお店の方が、ニコニコしてお店から出てきて、喜んでチラシを受け取ってくれて、頑張ってねって言ってくれるのです。
映画祭のアンケートの、「どこでこの映画祭をお知りになりましたか」の選択肢に、「チンドン屋さん」を追加することにしました。
(※小生が撮影した動画はいずれアップします!他の写真も後ほどアップします!)
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