2010年11月07日(日)21時44分
【岡田由記子ひとり舞台“日本昔話〜さすぺんす編〜”】
岡田由記子さんのひとり芝居を観に行きました。
岡田由記子ひとり舞台vol.17
「日本昔話〜さすぺんす編〜」

場所は、今年の9月にあさやさんが出演したリーディングをやった中野の小さな劇場、スタジオ“あとくれ”です。
劇場前で川岸さんと待ち合わせ。その川岸さんからメール。
「開演の20分くらい前にいった方がいいです。ぎりぎりに入ると前の方になって岡田さんの餌食になってしまいます」
ん〜?何が起きるのかな。。。。
ところが私がちょっと遅れてしまったため、会場はすでに一杯。どうしよう。でも、前列は小学生くらいの子供たちがズラっと並んでいます。よかった。私たちは隙間を見つけて、一番端の席に座りました。ここなら餌食にならないみたい。お客さんは小さな子供から結構な年配の方まで、年齢層が幅広いです。
笑いあり笑いあり(途中ちょっとほろっと)、2時間近いパワフルな舞台を楽しみました。前の子供たちは、話しかけられたり、布を配られて投げさせられたりしていましたが、みんな喜んで参加していました。
終演後の岡田由記子さんと、一緒に行った川岸さんです。

岡田さんは川岸さんのお友達です。
岡田さんは1年に一回、自分で台本を書いて、自分で演じる一人芝居を15年続けてきたのだそうです。そういえば藤木勇人さんの一人芝居の打ち上げでシーサー玉城さんと意気投合していました。今日のお芝居のパワーを見て、なるほどと納得したのでした。
岡田由記子ひとり舞台vol.17
「日本昔話〜さすぺんす編〜」
場所は、今年の9月にあさやさんが出演したリーディングをやった中野の小さな劇場、スタジオ“あとくれ”です。
劇場前で川岸さんと待ち合わせ。その川岸さんからメール。
「開演の20分くらい前にいった方がいいです。ぎりぎりに入ると前の方になって岡田さんの餌食になってしまいます」
ん〜?何が起きるのかな。。。。
ところが私がちょっと遅れてしまったため、会場はすでに一杯。どうしよう。でも、前列は小学生くらいの子供たちがズラっと並んでいます。よかった。私たちは隙間を見つけて、一番端の席に座りました。ここなら餌食にならないみたい。お客さんは小さな子供から結構な年配の方まで、年齢層が幅広いです。
笑いあり笑いあり(途中ちょっとほろっと)、2時間近いパワフルな舞台を楽しみました。前の子供たちは、話しかけられたり、布を配られて投げさせられたりしていましたが、みんな喜んで参加していました。
終演後の岡田由記子さんと、一緒に行った川岸さんです。

岡田さんは川岸さんのお友達です。
岡田さんは1年に一回、自分で台本を書いて、自分で演じる一人芝居を15年続けてきたのだそうです。そういえば藤木勇人さんの一人芝居の打ち上げでシーサー玉城さんと意気投合していました。今日のお芝居のパワーを見て、なるほどと納得したのでした。
(宇夫方路)
2010年10月08日(金)22時48分
新城亘さんと勝方=稲福恵子先生【早大オープン講座“琉球弧の音楽概説”】
昨日ご案内しましたが……
早稲田大学8号館、「沖縄学」オープン講座「琉球弧の音楽概説」に伺いました。
講師は我らが新城亘御大です。
⇒講義の内容は三線ブログにて
こちらではM.A.P.after5的な御報告。
新城亘先生、ライブ中、じゃない講義中。

亘さんのこんな真面目な顔、見たことありません。

奄美については持田明美先生が担当。

胡弓も披露されました。

この日の授業の中で、新城亘先生が、ワシントン大学で一年間講師をされていた時の様子を撮影したフィルムが映されました。まあ亘先生の若くて精悍なこと。見とれてデジカメで写すの忘れました。
若いといえばもっと若い頃、亘さんが毎日飲み屋に泊まるような生活をしていた頃のことです。宇夫方路の琉球舞踊の先生であり、高山正樹のカミサンの親友である関りえ子は、当時最年少で琉球舞踊コンクールの優秀賞を受賞するなど、輝かしい経歴を持っていながら、東京に出てきてからはもう舞踊をやってはいませんでした。そんな時、下北沢の居酒屋で、新城亘と出会います。そして新城亘からやめるのはもったいないと言われ、再び踊る決心をしたのです。もしそのことがなければ、今、関りえ子は踊ってはいなかっただろうし、そうすれば高山正樹が宇夫方路に関りえ子を紹介することもなかったでしょう。そして今のM.A.P.はきっと存在しませんでした。
当時、関りえ子と高山正樹のカミサンは一緒に住んでいました。そのアパートに、宿無しの新城亘が、何度か屋根を借りに転がり込んできたこともあったようです。
「なんにもなかったさ、ただ寝るところがね」
講義終了後、酒食三昧“紅梅”というお店へご一緒させていただいて、そんな昔話しもしたのでした。
お通しです。

本日は居酒屋紹介ではないので料理の撮影はこれだけ。しかし小生健康ゲーム中、皆様には減塩にご協力いただき、ありがとうございました。
早稲田大学国際教養学術院教授、早稲田大学琉球・沖縄研究所所長の勝方=稲福恵子(Keiko Katsukata=Inafuku)先生と新城亘先生のツーショットです。

勝方先生か、稲福先生か、どうお呼びするのか悩みますが、先生は早稲田の「沖縄学オープン講座」の担当教授、概論を担当され、もちろん学生の成績は先生がつけるのです。
また、2008年の12月16日に行われた劇団創造の「人類館」にも先生が所長を務められている早稲田大学琉球・沖縄研究所が特別協力という形で関わっていました。そんなこともあって、高山正樹はブログではなかなか書けないことを、いくつかお話させていただきました。
※“社長とは呼ばないで”に書いた関連記事みっつ……
⇒破綻し、言葉を失っていく
⇒寄せられたコメントと、その返答
⇒本当に書きたかったこと
みなさんと記念撮影です。

右側の女性は南谷美緒さん。持田先生のお弟子さんで、エイサーの地謡をやっていらっしゃいます。その左、高山正樹の隣の女性は亘先生のお知り合い、青学の大学院生で高橋優季さんです。アイルランドの詩人で劇作家のイェイツを研究していらっしゃいます。意外にも(失礼)亘先生、イェイツに御興味があって勉強を始めたんです。若い。エライ。またM.A.P.after5にはコアな場面でちょくちょく登場する川岸さん(画像一番左)もイェイツには相当通じているらしい。
かく言う高山正樹も、イェイツについては申し上げたいことがいくつかあるのですが、今日のところはこのあたりでやめておきましょう。ただ、沖縄とアイルランドには色々と共通項があるということであります。
最後にお店のご主人と奥様のご紹介です。

毎週金曜日、勝方=稲福先生は、「沖縄講座」の各回の講師の先生を連れてこの“紅梅”にいらっしゃるそうです。
そっと金曜日にこのお店にやってきて、おいしいお酒と肴を頂きながら、隣のテーブル席で交わされている沖縄についてのコアな話題に耳を澄ましてみる、そういうのも面白いかも。ああ、でもダメだ。小生、面が割れちゃった……
早稲田大学8号館、「沖縄学」オープン講座「琉球弧の音楽概説」に伺いました。
講師は我らが新城亘御大です。
⇒講義の内容は三線ブログにて
こちらではM.A.P.after5的な御報告。
新城亘先生、ライブ中、じゃない講義中。
亘さんのこんな真面目な顔、見たことありません。
奄美については持田明美先生が担当。
胡弓も披露されました。
この日の授業の中で、新城亘先生が、ワシントン大学で一年間講師をされていた時の様子を撮影したフィルムが映されました。まあ亘先生の若くて精悍なこと。見とれてデジカメで写すの忘れました。
若いといえばもっと若い頃、亘さんが毎日飲み屋に泊まるような生活をしていた頃のことです。宇夫方路の琉球舞踊の先生であり、高山正樹のカミサンの親友である関りえ子は、当時最年少で琉球舞踊コンクールの優秀賞を受賞するなど、輝かしい経歴を持っていながら、東京に出てきてからはもう舞踊をやってはいませんでした。そんな時、下北沢の居酒屋で、新城亘と出会います。そして新城亘からやめるのはもったいないと言われ、再び踊る決心をしたのです。もしそのことがなければ、今、関りえ子は踊ってはいなかっただろうし、そうすれば高山正樹が宇夫方路に関りえ子を紹介することもなかったでしょう。そして今のM.A.P.はきっと存在しませんでした。
当時、関りえ子と高山正樹のカミサンは一緒に住んでいました。そのアパートに、宿無しの新城亘が、何度か屋根を借りに転がり込んできたこともあったようです。
「なんにもなかったさ、ただ寝るところがね」
講義終了後、酒食三昧“紅梅”というお店へご一緒させていただいて、そんな昔話しもしたのでした。
お通しです。
本日は居酒屋紹介ではないので料理の撮影はこれだけ。しかし小生健康ゲーム中、皆様には減塩にご協力いただき、ありがとうございました。
早稲田大学国際教養学術院教授、早稲田大学琉球・沖縄研究所所長の勝方=稲福恵子(Keiko Katsukata=Inafuku)先生と新城亘先生のツーショットです。
勝方先生か、稲福先生か、どうお呼びするのか悩みますが、先生は早稲田の「沖縄学オープン講座」の担当教授、概論を担当され、もちろん学生の成績は先生がつけるのです。
また、2008年の12月16日に行われた劇団創造の「人類館」にも先生が所長を務められている早稲田大学琉球・沖縄研究所が特別協力という形で関わっていました。そんなこともあって、高山正樹はブログではなかなか書けないことを、いくつかお話させていただきました。
※“社長とは呼ばないで”に書いた関連記事みっつ……
⇒破綻し、言葉を失っていく
⇒寄せられたコメントと、その返答
⇒本当に書きたかったこと
みなさんと記念撮影です。
右側の女性は南谷美緒さん。持田先生のお弟子さんで、エイサーの地謡をやっていらっしゃいます。その左、高山正樹の隣の女性は亘先生のお知り合い、青学の大学院生で高橋優季さんです。アイルランドの詩人で劇作家のイェイツを研究していらっしゃいます。意外にも(失礼)亘先生、イェイツに御興味があって勉強を始めたんです。若い。エライ。またM.A.P.after5にはコアな場面でちょくちょく登場する川岸さん(画像一番左)もイェイツには相当通じているらしい。
かく言う高山正樹も、イェイツについては申し上げたいことがいくつかあるのですが、今日のところはこのあたりでやめておきましょう。ただ、沖縄とアイルランドには色々と共通項があるということであります。
最後にお店のご主人と奥様のご紹介です。
毎週金曜日、勝方=稲福先生は、「沖縄講座」の各回の講師の先生を連れてこの“紅梅”にいらっしゃるそうです。
そっと金曜日にこのお店にやってきて、おいしいお酒と肴を頂きながら、隣のテーブル席で交わされている沖縄についてのコアな話題に耳を澄ましてみる、そういうのも面白いかも。ああ、でもダメだ。小生、面が割れちゃった……
2010年07月10日(土)21時54分
藤木勇人の「南島妄想見聞録」【打ち上げその1】
ぼちぼち時間だ。今から出れば余裕、開場前には劇場に着くだろう。
喜多見で電車を待っていたが、いっこうに電車が来ない。しばらくして止まっているというアナウンス。運転開始のメドも立っていないという。なんでもっと早く知らせないんだ。事務所まで走って戻って、車で中野まで行くことにした。
車をコインパーキングに止め、10分ほど歩いて住宅街の中にある劇場へ。20分の遅刻。
藤木勇人の「南島妄想見聞録Vol.22」

NHKの朝の連続小説なんて、真剣に見たことなどない。でも、毎朝カミサンは時計替わりにテレビをつけていたから、あの「ちゅらさん」で民宿のオヤジ役をやっていた沖縄のタレント「藤木勇人」という名前には聞き覚えがあった。その名前をはっきり認識したのは、儀間進さんに、ウチナーグチのコラムを読むために、どなたから指導を受けたらよいかをご相談していた時だった。
⇒http://lince.jp/hito/okinawamap/zatudan…
でも、その時書いた記事には、「藤木勇人」の名前は書かなかった。つまり、ウチナーグチの指導者として、藤木勇人さんは儀間進先生のお眼鏡に適ってはいなかったのである。
後になって、「ちゅらさん」の「方言指導」を藤木勇人氏が担当していたということを知った。あの番組で使われる「方言」は、決してウチナーグチではなく、ほとんどがいわゆるウチナーヤマトグチであったが、聞くとはなしに耳に入ってくる堺正章や田中好子の台詞に、僕でさえ違和感を覚えた。カミサンの実家でも、みんな変だと言っていたし、あれは「ちゅらさん語」だと眉をしかめるウチナーンチュも多いと聞いた。
藤木勇人は沖縄では知名度が高いから、彼の発信する間違った情報が、ウチナーグチを乱しているというような話も、しばしば聞いたことがあった。
それについて、僕に判断する能力があろうはずも無い。だから、僕は基本的に意見なしであった。しかし、3月14日の沖縄かりゆし寄席の記事を読み返してみると、沖縄の、どちらかといえばお年を召した方々の「正しく厳格な見解」に、僕は多分に影響されていたようである。
確かに、3月14日のかりゆし寄席の時の藤木勇人氏は、他の芸人たちの中に埋没した感じで存在感が薄かった。しかし今日、あらためてじっくり落ち着いて「藤木勇人」を体験して、彼の芸は、あの刺激の強いドタバタ芸と並べて観るものではないと実感したのである。
今日の藤木勇人は実におもしろかった。かりゆし寄席の若手の芸がつまらなかったというのではない。それはそれで大いに笑ったのだが、今となって何がどうおもしろかったのかと聞かれると、もはや大方が忘却の彼方なのである。しかし今日の藤木勇人の舞台は、きっと僕の記憶にずっと残るに違いない、そう思っている。

(かりゆし寄席では漫才を披露していたシーサー玉城さんがお手伝いをしていた。宇夫方女史に右側の桟に隠れた青い服の女性。)
打ち上げに誘われた。いつもなら辞退するのだが、今日の舞台が気に入ったので、車で来ていて飲めないにもかかわらず、ずうずうしくお邪魔することにした。打ち上げの場所の案内の紙を頂いて、トボトボと歩き出す。
その途中にあった沖縄居酒屋“にぬふぁ星”。打ち上げ会場は駅のそばの大手居酒屋チェーン店で、残念ながらここではない。

大城洋子さんがそのお店のご亭主と挨拶を交わしていた。どうやらお知り合いらしい。と、宇夫方路が「このお店知ってる」と言い出した。宮城文子さんに連れられて来たことがあるという。ここのご亭主と文子さんはお友達。なんという狭いネットワークなのだろう。この大東京には、「沖縄人」の、小さくて、そして極めて強固なコミュニティーが存在しているのだ。

宇夫方路は、今やその輪の中にすっかり溶け込んでいるように見える。が、きっと、それは上辺だけのことなのだろう。宇夫方女史も、まだまだ「沖縄のお客様」に過ぎないのだ。
打ち上げの店に到着。
このふたりも一緒に行った。

筋金入りの重度沖縄病患者の川岸さん(左)とお友達の岡田由記子さん。岡田さんは女優さん。鳥獣戯画出身。今は退団して一人芝居をやっている。
(※川岸さんは今までもM.A.P.after5にちょこちょこ登場しています。喜多見で沖縄語を話す会の仲間です。)
みんなぐるっと一通り自己紹介をした。川岸さんは「私の沖縄病は一生完治の見込みはありません」とスピーチして受けていた。
お友達の岡田さんの番、「私は沖縄のこと、なーんにも知りません」!
そんな彼女は、シーサー玉城とすっかり意気投合した。沖縄を全く意識しないヤマトゥとベタベタのウチナーンチュとはとても気が合う、そういうパターンはよくある話。ウチナーンチュにとって一番厄介なのは、小生高山正樹のようなタイプである、って、ほっといてちょうだい……
さて、ここまでは軽いプロローグ。コアな話はこれからなのだが、あんまり長くなりそうなので、別途、次の記事にて。
⇒次の記事へ続く……
喜多見で電車を待っていたが、いっこうに電車が来ない。しばらくして止まっているというアナウンス。運転開始のメドも立っていないという。なんでもっと早く知らせないんだ。事務所まで走って戻って、車で中野まで行くことにした。
車をコインパーキングに止め、10分ほど歩いて住宅街の中にある劇場へ。20分の遅刻。
藤木勇人の「南島妄想見聞録Vol.22」

NHKの朝の連続小説なんて、真剣に見たことなどない。でも、毎朝カミサンは時計替わりにテレビをつけていたから、あの「ちゅらさん」で民宿のオヤジ役をやっていた沖縄のタレント「藤木勇人」という名前には聞き覚えがあった。その名前をはっきり認識したのは、儀間進さんに、ウチナーグチのコラムを読むために、どなたから指導を受けたらよいかをご相談していた時だった。
⇒http://lince.jp/hito/okinawamap/zatudan…
でも、その時書いた記事には、「藤木勇人」の名前は書かなかった。つまり、ウチナーグチの指導者として、藤木勇人さんは儀間進先生のお眼鏡に適ってはいなかったのである。
後になって、「ちゅらさん」の「方言指導」を藤木勇人氏が担当していたということを知った。あの番組で使われる「方言」は、決してウチナーグチではなく、ほとんどがいわゆるウチナーヤマトグチであったが、聞くとはなしに耳に入ってくる堺正章や田中好子の台詞に、僕でさえ違和感を覚えた。カミサンの実家でも、みんな変だと言っていたし、あれは「ちゅらさん語」だと眉をしかめるウチナーンチュも多いと聞いた。
藤木勇人は沖縄では知名度が高いから、彼の発信する間違った情報が、ウチナーグチを乱しているというような話も、しばしば聞いたことがあった。
それについて、僕に判断する能力があろうはずも無い。だから、僕は基本的に意見なしであった。しかし、3月14日の沖縄かりゆし寄席の記事を読み返してみると、沖縄の、どちらかといえばお年を召した方々の「正しく厳格な見解」に、僕は多分に影響されていたようである。
確かに、3月14日のかりゆし寄席の時の藤木勇人氏は、他の芸人たちの中に埋没した感じで存在感が薄かった。しかし今日、あらためてじっくり落ち着いて「藤木勇人」を体験して、彼の芸は、あの刺激の強いドタバタ芸と並べて観るものではないと実感したのである。
今日の藤木勇人は実におもしろかった。かりゆし寄席の若手の芸がつまらなかったというのではない。それはそれで大いに笑ったのだが、今となって何がどうおもしろかったのかと聞かれると、もはや大方が忘却の彼方なのである。しかし今日の藤木勇人の舞台は、きっと僕の記憶にずっと残るに違いない、そう思っている。
(かりゆし寄席では漫才を披露していたシーサー玉城さんがお手伝いをしていた。宇夫方女史に右側の桟に隠れた青い服の女性。)
打ち上げに誘われた。いつもなら辞退するのだが、今日の舞台が気に入ったので、車で来ていて飲めないにもかかわらず、ずうずうしくお邪魔することにした。打ち上げの場所の案内の紙を頂いて、トボトボと歩き出す。
その途中にあった沖縄居酒屋“にぬふぁ星”。打ち上げ会場は駅のそばの大手居酒屋チェーン店で、残念ながらここではない。
大城洋子さんがそのお店のご亭主と挨拶を交わしていた。どうやらお知り合いらしい。と、宇夫方路が「このお店知ってる」と言い出した。宮城文子さんに連れられて来たことがあるという。ここのご亭主と文子さんはお友達。なんという狭いネットワークなのだろう。この大東京には、「沖縄人」の、小さくて、そして極めて強固なコミュニティーが存在しているのだ。
宇夫方路は、今やその輪の中にすっかり溶け込んでいるように見える。が、きっと、それは上辺だけのことなのだろう。宇夫方女史も、まだまだ「沖縄のお客様」に過ぎないのだ。
打ち上げの店に到着。
このふたりも一緒に行った。
筋金入りの重度沖縄病患者の川岸さん(左)とお友達の岡田由記子さん。岡田さんは女優さん。鳥獣戯画出身。今は退団して一人芝居をやっている。
(※川岸さんは今までもM.A.P.after5にちょこちょこ登場しています。喜多見で沖縄語を話す会の仲間です。)
みんなぐるっと一通り自己紹介をした。川岸さんは「私の沖縄病は一生完治の見込みはありません」とスピーチして受けていた。
お友達の岡田さんの番、「私は沖縄のこと、なーんにも知りません」!
そんな彼女は、シーサー玉城とすっかり意気投合した。沖縄を全く意識しないヤマトゥとベタベタのウチナーンチュとはとても気が合う、そういうパターンはよくある話。ウチナーンチュにとって一番厄介なのは、小生高山正樹のようなタイプである、って、ほっといてちょうだい……
さて、ここまでは軽いプロローグ。コアな話はこれからなのだが、あんまり長くなりそうなので、別途、次の記事にて。
⇒次の記事へ続く……
2010年04月03日(土)22時30分
金城さんの沖縄料理を食べる会Part2(その4)

鍋も踊ってる?

最後はぐちゃぐちゃ。(左の方で、食ってるやついるし……)
松尾慎吾さま、本日はほんとうにありがとうございました。
おまけ【とみひさ写真館】
※青字コメントはとみひささん語録。
元気娘
片平なぎさ(※?)
七味さん(※五味さんのことらしい。)
※ふ~・・何とか10個のタグで収まりました。収めたというか・・
しかし、この日はまだ終わらないのであった……
tag: カチャーシーの光景 五味正伸 金城多美子 松尾慎吾 とみ久さん 山川夏子 川岸さん 駒場28 國吉眞正 喜多見_喫茶店.PushPull
2010年04月03日(土)22時30分
金城さんの沖縄料理を食べる会Part2(その3)

松尾さんはライブ活動の他、色々なところで三線を教えていらっしゃいます。近いところでは仙川のカルチャーセンター。宇夫方路が琉球舞踊を教えていたカルチャーセンターです。松尾慎吾さんが教えているのは民謡が中心らしい。一方、M.A.P.主催の三線教室は安冨祖流の古典。仲良くしましょ。
※松尾さんの沖縄には2種類の[i]と[u]があるのだというはなし。M.A.P.音韻講座的話題で興味深い。高山正樹の研究課題になりそう。
インターネットであっちこっち松尾さんの記事を探していたら、この日の松尾さんのBlog発見。
⇒http://matsuoshingo.blog…
コメントしちゃおっと。
山猫合奏団、チェリストの大島君も参加してくれました。

川岸さんもいます。國吉先生もいらっしゃいました。水才君も来てくれた。もちろんトミヒサさんも。

やっぱり最後はカチャーシー。

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