舞台に沖縄の風を吹かせることが出来たならば

gajumui

朝から、気分最低・・・/在特会などが辺野古テントへ妨害呼びかけ http://t.co/2JWMt234
02-19 10:37

ついに“四つ竹”まで。「初音ミク」も増殖するってことじゃ「ハルメリ」的か。便乗して宣伝ふたつ→ http://t.co/3J6kEWCwhttp://t.co/KStMGrJM /初音ミクの琉舞(四つ竹): http://t.co/7DJZeF2k
02-19 10:59

各地の稽古場近くの居酒屋に傘を配っている。このままだと本番までに事務所の傘が全部無くなる。今日は雪。川崎へ、4月の公演の打ち合わせ2件。その後、5月本番の芝居の稽古場に顔を出すかも。鹿島田の居酒屋にも傘が一本増えるかどうか。雪、止まなければいいのだが、予報は夜曇り。危ない…
02-19 13:20

ハルメリについての呟きはさておいて…

川崎駅そばにある文化財団へ。
以下が、5月上演の市民劇「大いなる家族」のフィナーレで踊られる“四つ竹”の出演者の一覧である。文化財団が川崎の沖縄県人会に話を持って行って決めてもらったらしい。
公演日舞踊※「研究所」省略三線※「研究所」省略太鼓
多摩市民館
 5月2日(木)佐久川・平良宮森平良豊子宮良政子宮島とみえ
 5月3日(金)新城・宮城宮森新城ヤス子前田裕美宮島とみえ
 5月4日(土)西原小那覇謝花静江湯浅満里子宮島とみえ
川崎教育文化会館
 5月24日(金)赤嶺宮城・前田長松照子宮良政子福嶋千恵美
 5月25日(土)阿波連金城山崎千鶴前田裕美福嶋千恵美
 5月26日(日)山崎金城前田利恵子鈴木福嶋千恵美

一言で沖縄芸能といっても一筋縄ではない。うまく出演者を選んでいただけるのだろうかと心配していたが、琉球舞踊に関しては、概ね川崎市で活躍されている大きな研究所は押さえられているようで、少し安心した。といっても、宇夫方路が所属する関りえこ琉球舞踊研究所は見当たらないが。まあ、川崎市の協会に参加していないので致し方なしではあるのだが。因みに関研究所は川崎に教室がありながら東京琉球舞踊研究所に属している。
さらに三線となると、古典だ民謡だ八重山だ、古典にも色々流派や協会や保存会などあり、またどの琉舞研究所はどこの三線に地謡を頼んでいるかみたいなことが複雑に絡んで、たった6日の公演で全て振り分けるのは不可能、つまりは出演する琉舞研究所の都合、きっとそれでいいのだろう。

財団の方と、諸々の意思疎通の確認を終えて、バスで川崎沖縄県人会のある川崎沖縄労働文化会館へ向かう。そこの2階にある集会室で、4月5日の金曜日に、渡久山英男さんのライブを行う。その下見と、財団で話したことを踏まえての打ち合わせである。
 ⇒渡久山英男特別公演「“かぎやで風”から“四つ竹”まで」の告知記事

会場はこんな感じ…
川崎沖縄県人会館集会室

今は殆どテーブルを置いての宴会か、カラオケ大会くらいにしか使っていないらしい。ここを、当日、なんとしても劇場にする。普段この施設を利用している人たちの固定観念、机を縦に並べて、舞台正面から横を向いて座り飲み食いするのが当然だろうという思い込みを取り除く、してみれば、この空間利用の可能性はものすごく広がるはずなのだ。小さな落語会やコンサートも出来るだろう。そうなればこの場所に、きっと町の人たちが戻ってくる。そのお手伝いを何とかしたい。僕は、電球が一個切れ、どうしてもこれ以上明るくならない舞台、顔に影が出来てしまう舞台を眺めながら、そう思っていたのだ。

帰り際、玄関脇に置いてあった2013年1月20日発行の川崎県人会便りを一部頂いて読んだ。その一部をご紹介したい。

「会員はじめ『沖縄』をキッカケにひとり一人力を合わせて困難を乗り切り、ともに助け合い、分ち合う沖縄県人会として再出発したいと考えております。
沖縄一世の方は戦前はもとより、戦後苦労されて、ここ川崎に生活の基盤を築きました。沖縄は本土と異質なものとして、その苦労は並々ならぬものがあったと思います。一世はもとより、二世三世の時代も沖縄人(ウチナーンチュ)として差別されてきたことでも分ります。今、二世、三世は一世の沖縄人(ウチナーンチュ)から何を継承すべきか、大いなる課題が与えられています。一世より学び、沖縄の文化を知り、生き方を学ぶことが次世代の誇りにつながると思われます。
そして本土の皆さまに沖縄を理解して頂き、ともに生き合う地域に開かれた県人会でありたいと思います。」


何十年も前の資料ではない。数ヶ月前に、川崎に住んでいらっしゃるウチナーンチュの方が書かれた文章である。「文責座覇」という署名がある。実はまだ掲載の許可を頂いていない。無断で、とりあえずこの文章を紹介してしまった。どうしてもご紹介したかった。後ほどお許しの確認をしたい。叱られれば、もちろん陳謝して即刻削除する。

川崎市民劇に参加する皆様、今一度、当時のここ川崎の「沖縄人の大いなる家族」を、人間一般の思考の存在を信じ、スタニスラフスキーの方法でもって演じる切ることが出来るのかどうか、深く考えてみて頂きたいのである。

取り急ぎ…

(※4月3日に、以上の文章に若干の改稿を加え、また以下の部分を追記した…)
その後すぐ、川崎市沖縄県人会を紹介してくださった久手堅さんを通じて座覇さんに文章掲載についてお伺いをした。そして快い承諾のお返事を頂いた。むしろ喜んでいらっしゃるのではないかと聞いて、安堵し、また嬉しかった。舞台の本番などがあって、今日までご報告が遅れてしまったことを大変申し訳なく思っている。

座覇さんはフルネームを座覇光子さんとおっしゃる。女性でいらっしゃったのかと再度の文章を読み返したりしている。因みに、どうやら僕は、座覇さんとお会いしたことがあるらしいのである。座覇さんが大崎の沖縄語を話す会のメンバーでいらして(わけあっておやめになられたとのことなので正確にはいらしゃったというべきだが)、そこで何度かお目にかかっていると、はて、どの方なのか、これもまた失礼千万で申し訳ない話だが、お会いするのが楽しみになった。

はじめ、この記事をアップしたとき、「僕の思いの詳細は後日書く」と記した。しかし、今あらためて読み返して、僕の思いは座覇さんの文章に尽きていると思う。そこにいかほども付け加えることはない。例えば、この日の会場の下見にわざわざ立ち会ってくれた久手堅さんから、会員が高齢化してきて、ずいぶんと人数も減り、新しく若い人たちが入ってこないと聞かされて、それで僕が何かを考えたのだとしても、座覇さんの今後に向けての決意に、僕の思いなどかき消されていいと思う。現状は現状、それを衰退の結果と見るか、あるいは始まりとするか、どちらがポジティブかは明らかである。

それにしても、「そのお手伝いを何とかしたい」などと偉そうな物言いをしながら、われながら、M.A.P.の集客能力のなさが悲しい。もう明後日に迫った渡久山英男特別公演のことである。「川崎市民劇と渡久山英男のコラボレーション」と銘打ちながら、市民劇に出演する若い役者たちを呼ぶことさえ出来ない。「ハルメリ」があって、一ヶ月市民劇の稽古を抜けざるを得なかったとはいえ、まさに僕の人徳の無さか。

それでも最後の悪あがきをしてみよう。とはいえ、彼らがこの文章を読んでくれてナンボの話ではあるのだが。

君たちは、座覇さんの文章の「沖縄は本土と異質なものとしてその苦労は並々ならぬものがあった」という一文をどう読むのだろうか。人間の本質は同じだという演出家、そうでなければ日本人にチェーホフが出来るわけがない、確かにこれまで多くの日本の役者がチェーホフの作り出した世界の中で「人間」を見事に演じてきたではないかと。そのことに限って言えば、僕もそれを否定しようとは思わない。しかし、日本人がチェーホフを演る場合は、ロシア人の本質を意識しはしないし、作者のチェーホフもまたそれを欲してはいないだろうと思う。なぜならチェーホフが描こうとしていたのは、「ロシア」から解放され「個」に目覚めようともがいていたアプリオリの人間であった。そんな時代であった。

しかし、その事例を日本人が日本の芝居において「沖縄人」を扱う場合に当てはめることはできないと、僕は断固として思う。「沖縄」と「本土」の「異質」は、個人個人それぞれが異質な存在であるということと本質的に違う話である。両者は決して相容れるものではない。視点が違うのである。

いったい「沖縄」は「本土」と比べてどう「異質」なのか、そこを探り考えないかぎり、決して「沖縄」は、軽々しく「本土」と繋がってくれることはないであろう。そしてその作業は、まず我々が丸腰で沖縄に対し謙虚であろうとしなければかなわぬことと自覚するべきなのだ。

僕自身のことを言えば、僕は30年間そこに到達できずに、芝居が書けずにきてしまった。もし、沖縄へのこだわりを捨てれば、もう少し違った演劇人生があったかもしれないとも思うが、後悔はしていない。
そんな僕の30年間が、今の沖縄に対して無頓着な稽古場に冒涜されていると、僕は感じている。

でも、せっかく関わる舞台である。たとえ共演者に理解されず嫌われたとしても、最後まで努力しよう。それが「本土」で「並々ならぬ苦労」をされ、「三世の時代」になってもまだ消えぬ沖縄の人々の苦労に対して、せめて僕ができることだ。

僕の声を聞いてくれた共演者とともに、ほんの少しでも本番の舞台に沖縄の風を吹かせることが出来たならば、それだけで本望としなければならない。
(※4月3日追記して脱稿 文責:高山正樹)

川崎市沖縄県人会館

tag: 沖縄_沖縄芸能.琉球舞踊.四ツ竹  川崎市_  川崎市民劇.「大いなる家族」  ハルメリ 

鮎ちゃんのお店に行きました!

渡久山英男沖縄古典居酒屋ライブの作戦会議。
(※後日執筆予定)

あゆちゃんのお店で

tag: 川崎市_  沖縄_神奈川の沖縄居酒屋.あゆ 

川崎市阿部市長の定例記者会見と…

大震災から549日目……

朝方ツイッターで知った情報。川崎市の阿部市長の定例記者会見。
「セシウム入り給食食材は、危険の中で生活していることを子どもたちに知って貰うために、今後も使い続ける」
ありえない発言だと思った。ツイッターをやらないfacebookの「友人」たちに、知ってもらいたいと思った。
「僕は、こんな市に住んでいます。そこの貴方も住んでいるんじゃなかったっけ?物言わぬ『良き人』たちが、この国の『安定した』システムを支え続けているらしい」

すると川崎市に住む高校時代先輩からコメントが来た。
「『そこの貴方』です。ワタシ的にはこの市長さん、以前からどうも解せません。福島出身だそうじゃないですか。それで逆にひねくれてるのでしょうかね…。」
この手の話題に反応してくれたのは初めてだったので、思わずひとりほくそ笑んだ。
だが、川崎市長が福島出身だとは知らなかった。僕は、ツイッターのリンク先のサイトにあった文言をそのまま紹介したのだが、それがどういう文脈で語られたのか、正確に知りたくなった。
そして見つけたのが、9月4日の記者会見の記録である。
 ⇒川崎市長記者会見記録
「教育のためにセシウム入り給食食材を使い続ける」
確かに要約すればそういうことになるのかもしれない。だが少し違う。この市長は、そうしなければ生産者が困ると本当に信じているのかもしれないと思った。市長と同じように考える「良き人たち」が、きっと身近にたくさんいる、と思った。この状況で「国を支えるシステム」を変えることは、並大抵な事ではない、と思った。

しかし、やはり市長の見解はゴマカシとすり替えに満ちている。今度の事故による放射能の影響は、その空間的・時間的広がりにおいて他の汚染と較べようもないほど大きく、またその犯罪性と予測不可能性と…、だが、それらのいちいちについて反駁する気力がなかった。その所為か、酷く腹が立たった。


gajumui

あっちにもこっちにも「~維新の会」。沖縄を鏡にして日本を見ると全く違った風景が見えてくる。明治維新とは何だったのか。沖縄にとっての明治維新を少しでも考えたことのある者なら、確信犯でない限り、「維新」と名付けることを躊躇するだろうに。
09-11 10:40

池田信夫「まさか1000年に1度の大津波が今すぐ来ることはないから、時間をかけて対策を講じればいいと考えている。それなのに津波の2次災害である原発事故は、今すぐ起こると錯覚して止めようとする」・・・中学生並みの頭脳。原発事故と大津波を同質の災害として比較する、愚かさの極み。
09-11 13:02

なんと薄っぺらな呟きだろう。これでは誰をも説得することなどできはしない。

だめだ。なんでこんなに腹が立っているのだろう。聞こえる事、目につく事のいちいちに文句が言いたくなる。直情的に呟けば収まるかと思ってツイートしてみたのだが、かえって気持ちが騒いでよろしくない。散歩して、人格、変えてこよう…
09-11 13:25



※【翌12日に追記】
東電が密かな(といっても、ネットでは既に言われていたことだが)発表、それをやはりツイッターで知って、それについてfacebookの近況(阿部市長の定例記者会見)に自らコメントして付け加えてみた。

今回の事故で放出された放射性物質は、チェルノブイリの4倍だったと東電が英語で発表したらしい。英語だけで。そして放射性物質はいまだに漏れ続けている。

98Bq/kgの栗が暫定基準以下になったからと出荷解禁になったらしい。福島県産の米は国が定めた暫定基準値100Bq/kgに満たなければ「安全です」というステッカーを貼って市場に出される。
たぶん、このようにしておけば食糧不足による財政逼迫を回避する事ができ、広大な福島の農地が壊滅することなく残り、20年もすれば何事もなかったかのように復活するのかもしれない。測っていない(あるいは公表していない)α・β核種が予想を超えるような悪さをしなければ、きっとそうなるのだろう。もうひとつ、フクイチの4号が崩れ落ちたり、新たな事故が起きたりしなければ。

貴方たちはそれを知っているから、福島の農家を応援するなどと言って、黙ってこれからの20年をやり過ごそうとしているのではないか。特にきっと、僕のFaceBookの「友人」たちの多くは、遠く沖縄に住んでいたり、比較的裕福で(あるいはとても裕福で)、少し高くても安全な食べ物を選ぶ事の出来る人たちなのだ。

でも、きっと確実に(そういう言い方が気に食わないのならば「もしかすると」と言い換えてもいいが)、たとえ保育園が弁当持参を許可してくれたとしても、家が貧しくて、弁当など持って行くことが出来ないような子どもたち1万人のうちの何人かが犠牲になるかもしれないのだが、貴方たちはそれを知りながら、20年後の安泰を信じて、黙っているのではないか。

たとえそんな気持ちは露ほどもないとしても、黙って声を上げず現状に甘んじていれば、同じことをしていると言えるのではないか。


すると、Tさんが初めてコメントを投稿してくれた。
「安全なものを提供したいというプライドはないのか。事故で出荷できない農家に死ねと言うのか。難しい。でも子どもにセシウム入りを摂取させることが傷みを知るという主張は…私には理解できません」
ほんとうにそうだ。実にまっすぐである。
しかし彼女も、そして僕も、ではどうすればよいのかという提案が出来ずにいる。ただ立ち竦んでいるのみだ。彼女に落ち度は全くない。問題は僕である。

2011年の6月、原発事故から3ヶ月、僕は次のようなツイートをした。
「今に始まったことではない原発作業員の被曝、だがそのことについて、僕らはあまり触れようとしない。放射能に怯える僕らは、福一を押さえ込むためのスケープゴートの存在を、心の奥のどこかで密かに切実に求めているのでないか、悪魔の如く」
僕は「貴方たち」の喉元に匕首を突きつけたのである。しかしそういう僕自身は何者なのか。人を責め立てながら、自分自身は何一つ解決策を持つわけでもなく、そのくせ人を責める事で自らはその責から逃れるかのような欺瞞。何ひとつ引き受けようとしない安全地帯からの「御意見」。それを自覚していたからこそ1年前、その時は「貴方」ではなく「僕ら」と言って逃げ道を作ったのだ。しかし匕首は僕自身を刺していたのである。

今回も同じ事であった。敢えて「貴方たち」と過激に問いかけてみたのだが、その「貴方たち」の中から僕自身を除外したつもりなど毛頭ない。
ただ僕は、自らの中にある国家との共犯性を自覚する以外に、僕がというか、僕らがというか、新たな道を覚悟を持って選択する方途はないと思っているのである。

※【さらに翌13日に追記】
Tさんのコメントに反応するとして、古い「友人」のSがコメントを寄せてくれた。彼は僕のfacebookの100数名の友人のうち、放射能についてコメントするほとんど唯一人の男である。彼は僕ほど女々しくはないから、提案することが出来るのである。ただし、それによって彼が何事かを引き受けたかといえば、それは怪しい。なぜなら彼は、この日本を捨てて、間もなくあの俗悪なアメリカへ移住しようというのであるから。そのSのコメントをここに転記して、この記事を終えようと思う。転載を快く許可してくれたS氏に感謝する。

Tさんの書かれていたことに反応してみます(笑。

残念ながら福一3号はMOX燃料を使用するプルサーマル炉なので、吹っ飛んだ3号機燃料格納プールは、チェルノブイリが足元にも及ばないプルトニウムなどの猛毒の核種をぶちまけました。もちろん今も福一は毎秒毎に高放射線物質を大量にたれ流し続けています。
高山が言う、今年5月に東電がさらっとゴメン間違ってましたと発表―日本国内では報道されず―した、福一はチェルノブイリの4倍(広島原発の4万倍)撒き散らしましたというのはあくまでもセシウムのみの話で、プルトニウムなど他の核種はまた別の話です。

つまりTさんが心配されているとおり、もう福島では農業も漁業も酪農も到底出来ないと見るのが妥当です。
そこで大事なのは、だからと言って農業漁業酪農が出来なくなった彼らに死ねと言うのではなく、だからと言って毒まみれの作物を作り続けろと言うのでもなく、福島を捨てた後に新しい生活が出来る保障をすることです。と言うより、それ以外の選択肢はあり得ないと思ってます。

ところが県や国は経済や地域の破綻を恐れ、福島に戻れ、福島を応援、などという政策を打ち出しています。そしてそのデタラメを可能にしているのが、他でもない福島県産食品を応援と称して買い続けている多くの日本人です。
福島を生殺し状態で維持しておけば、国が傾くほどの保障もしなくて済み、税収もこれまでどおり上がり、流通業者は福島県産食品を安く買い叩くことで大きな収益を上げ続けられる。そうした意図に支えられたデタラメな政策が、結局は福島を苦しませ続けます。
誰もが福島という土地を見捨て、福島に居続ける限り生きていけない状況を生み出せれば、国も本当の保障=本当の被災者救済に向かわざるを得なくなります。今の福島生殺し状態から福島以外での新しい生活の創生に取り組まざる得なくなるのです。
チェルノブイリ事故が起こった時、ソ連は膨大な人数の住民を強制移住させましたーーどうやら事故の5年後のことだったらしいのですが。
少なくとも当時のソ連ですら出来たことをこの国が絶対にしようとしないのは、ある意味興味深いことです。

事故で出荷出来ない農家に死ねと言わないために本当はなにをすべきなのか、食べて応援などという不謹慎な自己満足に陥ることなく、日本人はもっと真面目に考え行動すべきだと僕は思っています。

ちなみに文中の「福島」というのは福島限定の意味ではなく、福島県を含む高濃度汚染地域を指してます。

tag: 震災・原発・放射能_給食・弁当  川崎市_ 

川崎能楽堂へ

大震災から287日目……

gajumui

テレビ離れが唯一の希望の光だったのに。「家政婦のミタ」の視聴率40%で活気づいたTV界が、また暫らく旧態依然の夢を追う。この「暫らく」が曲者で、その間に東電がまた。日本、やっぱりダメなのか……。
12-23 01:35

意地悪ばあさんの最終回みたいだ。見たことないけど。 @HayakawaYukio (おとなが死んでも私は困らないが、子どもが死ぬと私は困る。私の年金払ってもらえなくなる。)
12-23 10:50


16:12、事務所外の線量……
0.07μSv/h
12月23日の事務所外の空間線量

川崎能楽堂にて。
川崎能楽堂の能舞台

佐辺良和君と嘉数道彦君と。
佐辺良和君と嘉数道彦君と
(※高山正樹が撮影。↑クリックするともっと大きくなります。)

川崎能楽堂

そして飲みに行きました。
あしびなあ

なんだか食べログみたいになっていますが…
ごーやー入り もずく酢 沖縄塩焼きそば
ゴーヤーとチーズ入りの何かと、モズク酢と、沖縄焼きソバの塩味、どれも画像をクリックすると大きくなります。特に大きくする理由もないのですが、おいしかったから。

あれ、劇団飛行船のカレンダーを見つけた。そうか、ここは川崎市だ。
ピノッキオのポスター
「ピノッキオ」作演出はふじたあさや。

【追伸】(※次の日に呟いたこの日のこと)

昨日は川崎能楽堂で国立劇場おきなわの第一回県外公演を観に行った。小さな能楽堂で、贅沢な催しであった。嘉数道彦君が優秀だという話は大城立裕さんから聞いていた。帰り際、そのことを伝えてきた。これからあちこちで名前を聞くようになるんだろうな。しかし、チラシの持田明美の写真が変だ。
12-24 18:21

川崎能楽堂で見た踊り。嘉数道彦君と佐辺良和君の加那ヨー天川はすばらしかった。佐辺良和君は沖縄の玉三郎だな。しかし天川はやっぱり指笛で始まんなきゃなあ。そういえば法政大学の公演の、地謡さんが笛を置いてさりげなくやった指笛には痺れた。
12-24 18:30


【宇夫方路の呟き】

ubukataicon ubukatamichi

持田明美さんはM.A.P.三線教室の先生のお一人です。本物の持田先生は変じゃありません! @gajumui チラシの持田明美の写真が変…
12-24 18:50

tag: 川崎市_  ふじたあさや  沖縄_沖縄的食物.沖縄そば  沖縄_沖縄的食物.ゴーヤー  沖縄_沖縄的食物.スヌイ  沖縄居酒屋.あしびなあ  MAP事務所の線量  佐辺良和  沖縄_沖縄の人.嘉数道彦  持田明美 

川崎でリック・タナカがエネルギーの話をした…

《10月7日(金)-2》
3.11以降(それだけが理由ではないのだが)、以前のように腰を落ち着けてブログの更新が出来ない。大量の書き掛けの記事。取り急ぎのご報告である。(2012年12月21日)

川崎……
リック・タナカがパーマカルチャーに関する話をする、そんな会があるらしい。もちろん、智内さん情報である。そこで川崎までやってきた。
川崎の会場
智内さんも智内さんらしく立っている。

リック・タナカとはいったいどういう素性の人間なのか、今まで付き合っている限りはよく分からないが、まあその辺は過去の「リック・タナカ」のカテゴリ記事を読んで(というか眺めてというか)していただくとして…
ともかく、こんな真面目な(というか殊勝なというか)リックの一面を初めて見た。
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この日の話は、ほぼエネルギーの話。こいつがなかなか興味深い話であった。しかし残念ながら、僕は夜に用事があって早退せざるを得ず、一つふたつ発言をして会場を後にしたのであった…

さてと…
(※以下2012年12月21日に記す)
この日から一年と2ヶ月、パーマカルチャーについてしっかり勉強して、この日のこの記事に追記しようと考えていたのだが、どうやらその必要がなくなった。2013年の一月に、この日のようなリック・タナカの話を聞く会を、喜多見のM.A.P.の事務所で行う事になったので、その日にパーマカルチャーのことはきちんと書くことが出来るだろう。したがってこの日の記事には、FaceBookに宣伝のために書いた文章を、ほとんどそのまま転載しておくことにする。なにしろその文章は、この日(2011年10月7日)のリックの話の記憶を辿ったものだから。

【パーマカルチャーの勉強会の宣伝文】
~リック・タナカの話を聞いて知ったこと~

※オレンジ色は2013年1月16日の催し「リック・タナカと話をしよう」のチラシのために書き加えた部分です。

新年1月中旬、喜多見のM.A.P.の事務所で、パーマカルチャーの勉強会を計画しています。原発をなくすその一方で、化石燃料のピークは過ぎ、人類は今後どのような生き方をしていくべきなのか。講師はデビッド・ホルムグレンの著作の翻訳を手がけるリック・タナカ氏です。

石油はそのピーク(埋蔵量の半分を消費した時点をオイルピークという)を過ぎたと言われています。まだ半分あるの? そうなんですけれどね、考えてみてください。たわわに実が成った樹木、人は手で届く果実から採り始めます。木の上の方の果実はハシゴを架けなければ収穫できません。
当初掘れば勢いよく噴出した石油は、1のエネルギーで10のエネルギーを獲得していました。しかし今や、ポンプで無理やり汲み上げなければならない、その上に質の悪い石油で、1のエネルギーで2しか取れないらしい。やがて「1で1」になり、さらに逆転してしまえば、もう誰も石油を掘ろうなんてしないでしょう。
つまり、化石燃料の枯渇は、言われているよりはるかに早く訪れるらしい。

え? じゃあやっぱり原発が必要なのかって? あのね、リックの話では、ウランの枯渇は石油よりもずっと早く訪れるんですって。そのあたりのこと、じっくり聞いてみたいなあ。
もうひとつ、実に興味深い話を。
今、世界中の原発を動かすために使われているウラン燃料の多くは、米ソの核軍縮協定により不要になり廃棄することになった核弾頭から抽出したものもそれに充てているのです。しかし米ソの核軍縮協定は間もなく切れる。そうなるとどうなるか、ウランが全然足りなくなるらしい。その具体的な数値は、リックからしっかり聞きましょう。びっくりしますから。そういうことが分かっているのに、なんで原発を新規に作ろうとしているのか。

揚水発電なんてものもあります。稼動したら昼夜動き続けるしかないのが原発、だからその夜間の無駄な電力を使って水を汲み上げて、その水を昼に落下させて水力発電しようというのが揚水発電です。もちろんそれで作り出す電力の総量は、水を上げるのに使われる電力よるずっと少ない。こんな馬鹿なことをするのは、エネルギーの本質を忘れて、電力コストを目先のお金だけで考えているからです。化石燃料の枯渇が現実的になってきた今、我々は、我々が使うエネルギーを、一度純粋にエネルギーコストで考えてみることが必要な時代になったのです。

だから電力も農作物も地産池消がいい…
ホントかな? 一見正しい。でも、大量生産したほうが効率よくない? 確かにそうだよね。そこもリックにじっくり質問してみよう。

日本の小規模農家で構成される農村は、世界で広がるパーマカルチャーの、優れたモデルになるはずだったらしい。ある意味で後進的な形態の日本の農家が、エネルギーピーク以後の世界を救う見本になる可能性があったというのです。もしもそうなら、福島の原発事故は、未来の手本とすべき世界的にも大切な地域を、滅茶苦茶にしてしまったのかもしれない、その意味でも、あの原発事故の罪は大変大きいということになる。

…というような事を、僕はパーマカルチャーに出会って(リック・タナカから聞いた話をきっかけにして学び、そして考えてみました。
個人的にはままだまだ疑問もたくさんあります。パーマカルチャーが全ての問題を解決に導いてくれる上等なシステムなのかどうか、自信をもって言う事もできません。でも、我々の、人類のこれからの生き方のヒント、ひとつの回答モデルが、ここにはありそうな気がしているのです。

沖縄の農業とも大いに関連があるかもしれない。
是非皆さん、一緒に知って、話し合い、そして考えてみませんか?

関連書籍販売中
 (↑クリックすると大きな画像になります。)

tag: リック・タナカ  川崎市_  震災・原発・放射能_  沖縄_沖縄的食物.* 

佐藤忠男氏神奈川文化賞受賞祝賀会

こんなご案内を頂きました。
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場違いだとは思いつつ、ちょっとお邪魔してみることにしたのです。会社なんかを始める前は、こういう会に出席するなんて考えられないことでしたが。

会場は新百合ヶ丘にある21ホール。
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“佐藤忠男先生神奈川文化賞受賞祝賀会”
佐藤さんは日本映画学校の校長先生です。そういえば今度の市民劇で稲毛三郎を演じる石山海君は日本映画学校の出身ですね。

まずは佐藤先生の記念講演です。演題は「私の映画人生」。予定を大幅に20分もオーバー、映画のことは全くの門外漢ですが、しかしお話しは大変面白かった。

そのあと立食パーティー。
乾杯のお話しが少し長めだったので、ビールの泡が消えちゃいました。
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食べ物が出てくるとつい撮影したくなる悪い癖。
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“アルテリッカしんゆり”副実行委員長の北條秀衛さんが発起人のおひとりで、会場にいらしたので御挨拶をさせて頂きました。

昭和音大の皆さんによるミニコンサート。
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右端の演台のところにいらっしゃるのが、今度のしんゆり芸術祭に山猫合奏団が参加するにあたり、お世話になった熊谷仁士先生です。昨年の公演も観てくださったのに、その時はご挨拶もせず大変失礼いたしました。今日はしっかりと最敬礼。
熊谷先生は「白石君はよく……」と言ったあと、何故だか思わずニヤッとされました。どういう意味かしらん?

ところで、日本映画学校が今年の4月から大学になります。
祝賀会の最後、再度登壇された佐藤先生が語ったエピソード(で、また長くなった)。故今村昌平氏曰く「高校中退のやつが面白い。日本映画学校にはそんな連中を入れよう」。でも、大学になったらそうはいかないというハナシ。ユーモアでカモフラージュされたペーソスとお上への皮肉。しかし……
「普通の大学にするつもりはありません」
その力強い宣言に、会場から大きな拍手が起こったのでありました。

新百合ヶ丘のアートセンターでは、佐藤忠男先生が選りすぐった世界各国の映画が観られるのです。
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これを機会に、小さな国の映画を観始めようかな。アメリカではない国々の文化が、きっとたくさんのことを教えてくれるに違いない。そんなふうに思った夜なのでした。



tag: 川崎市_ 

菅薬師堂の十二神将

今日は菅薬師堂の初薬師である。午前9時。僕はまだフラフラしている。
午後にはどうしても事務所に行かなければならない。薬師堂の厨子の撮影と例の十二神将の件は、今日を逃すと、いつになるか分からないので、なんとしても午前中に片付けたい。体は本調子に程遠く、もう少しゆっくり寝ていたかったのだが、気合を入れて薬師堂へ向かった。

しかし……
閉まっていた薬師堂

でも昨年10月に市民劇御一行様で訪れた時と同じ、薬師堂を管理されている奥様がいらっしゃって、今日も本堂の鍵を開けてくださった。
「何時からなんですか」
「人が来れば」
「初薬師なのに、人、少ないんですねえ」
お正月だけですねえ」
境内には焚き火の準備があった。護摩焚きをするらしい。午後から近隣の顔役の方々が集まってくる。本堂で食事をして、夕方くらいまでは飲んでいるらしい。

ご本尊が安置された厨子。三度目の挑戦だがやっぱりつまらない写真。
null
最近すっかりカメラ小僧の白石准ちゃんを呼ぼうかとも思ったのだが、そんなことしたら益々作曲しなくなりそうだ。せめて僕ひとりくらいは彼に無言のプレシャー(無言じゃないか)をかけておかないと、撮影旅行に行って来るなんて言い出しかねないからなあ。

さて、懸案の12人の怒れる男(?)たちなのであるが……
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近隣の御長老に伺えば何かが分かるかもしれないと思っていたのだが、午後まで待ってはいられない。
菅薬師堂の十二神将の説明
そこで、書斎に戻ってもう一度じっくりネットで調べてみることにした。
すると「十二神将が十二支のどれに対応するかは経典によってまちまちである」ということが分かった。毘羯羅を子として始め宮毘羅の亥で終わるというのが、確かに一番ポピュラーであるらしい。菅薬師堂にあった案内に則して言えば、左の毘羯羅から右端の宮毘羅に向かって「子」「丑」「寅」……とあてはめていけばいい。そうすると、正月の記事で書いたように、安底羅は「申」、摩虎羅が「卯」、迷企羅は「寅」となる。ネットの多くはこのパターンしか書いていない。
しかし、その逆周りのもの、つまり、宮毘羅を子にして毘羯羅の亥で終わるものもあるというのだ。それがここ菅薬師堂の十二神将のパターンではないか。つまり、間違いでもなんでもなかったのである。
そのほかにも、招杜羅を子にして真達羅を亥にするもの、毘羯羅を子にして招杜羅を亥にするものがあり、合計「四つのパターンがある」と書かれたサイトを見つけて、ひとつ懸案が消えたと僕は喜んでいる。
とはいうものの、それが本当に正しいのかどうか、保障の限りではない。ネットの情報を使うのは難しいとあらためて思う。

ところで、汚れたガラスがなければ、安物のデジカメでも、もう少しいい写真が撮れるのになあ。
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准ちゃん、なんかいい方法あるかね。
いやダメ、今の言葉忘れて。
憎まれ役のプロデューサー、強面の十二神将は、温和な本地仏の本性を隠しておかなければならないのである。

今日の午後は、喜多見の事務所で「東京ニャイト倶楽部」の録音である。准坊に作曲の進捗状況を厳しく聞かなければならない。むふふ……

tag: 川崎市_  山猫合奏団 

小川信夫先生のお宅へお年始に

昨夜は本部に泊まり。
そして朝。

12月4日の富士山
12月4日の富士山

そして今日の富士山。
今日の富士山
富士山の手前に見える山並みは丹沢にしては少し近過ぎる。もう少し近距離の神奈川の山地であろうか。富士山は11月の半ばからもう真っ白で、以降どの日の画像の富士山も同じ様子だが、手前の立ち木の葉の繁り方が違う。

ここは8階である。狛江市の町並み、その先に多摩川が流れ、その向こう岸が川崎市多摩区、よみうりランドの高台も見える。
「桝形城・落日の舞い」に、こんな稲毛三郎重成の台詞がある。
「多摩川沿いに多摩の横山に並んだ稲毛一族の山城は、すべて鎌倉の北の守りだ。」
その「多摩の横山」あたりまで見渡せているはずだ。山といっても100mもない丘である。標高83.9mの桝形山は左の方、さらに低いところにある小沢城址は、画像中央から少し右といったところだろうか。

その横山の麓あたりでは、今でも“のらぼう(野良坊と書くとか)”という野菜が作られているらしい。僕は今度の台本で初めてそんな名産のあることを知った。家の連中にも教えてやろうと話してみたのだが、「知ってるよ」と、あっさりした無感動の返答が帰ってきた。年中ではないが、“のらぼう”は近くのスーパーでも売られているという。子供が通っていた小学校の給食には、ちょくちょく食材として使われていたらしい。なんのことはない、“のらぼう”を知らなかったのは、子供の運動会に一度も顔を出したことのない父親だけであった。

その小学校の校歌を作詞されたのが、「桝形城・落日の舞い」の作者である小川信夫先生。子供たちは、例えば沖縄で初めて芥川賞を受賞した沖縄文学界の第一人者、大城立裕先生と親父が仕事をしていても、「ふーん」てなもんだが、自分の小学校の校歌を作詞した先生に会ったと言ったら「すごい」ときた。

昨年暮れ、その小川先生からお誘いを受けていた。そこで今日、お年賀に伺った。「桝形城・落日の舞い」の制作を担当されている関昭三さんもいらっしゃった。関さんは川崎市民劇場の代表、その前身は、かの京浜労演で、関さんはその創設から携わっていらっしゃる。

1967年の山本安英の会「夕鶴」から始まる川崎の市民演劇鑑賞会のおおよそ300回の上演記録を眺めれば、日本の新劇の歴史そのものを見るようだ。

……文化座「炎の人」、劇団東演「どん底」、文学座「女の一生」、俳優座「人形の家」、東京芸術座「蟹工船」、三十人会「日本の教育1960」、東京演劇アンサンブル「ガリレオガリレイの生涯」、劇団仲間「森は生きている」、民藝「奏山木の木の下で」、テアトル・エコー「11ぴきのねこ」、青年座「からゆきさん」、劇団四季「エクウス」、文化座「サンダカン八番娼館」、前進座「さんしょう太夫」、五月舎「薮原検校」、フォーリーズ「おれたちは天使じゃない」、自由劇場「上海バンスキング」、文化座「おりき」、こまつ座「國語元年」、青年座「ブンナよ木からおりてこい」、知人会「薮原検校」、劇団昴「アルジャーノンに花束を」……

しかし、それよりも前、京浜工業地帯の労働者に演劇という文化の種を蒔こうとした時代の話が興味深かった。だいたい「労演」にしても「労音」にしても、政党的な匂いをどうしても拭い去ることができない。振り返れば、それが演劇にとって「正しいあり方」であったのかどうか、決していい印象ばかりではない。とはいえ、演劇に刺激を受けた労働者によって日本を変えるという野望が、大きなエネルギーを持っていたことだけは確かだ。だが、関昭三さんが半世紀もの間、演劇鑑賞会の仕事を続けてこられたのは、そんな大層な理由とは少し違うところにあったようだ。演劇に携わる人たちが、実に楽しそうに生き生きとしていた。その魅力が、きっと関さんをこの世界に繋ぎとめた。そうだからこそ、回りの人たちも関さんを信頼して支えてこられたのかもしれない。そんなお人柄が今の関さんからにじみ出ている。

「川崎の労働者」と聞けば、僕はどうしても「沖縄」を思い起さずにはいられない。京浜労演はその立ち上げの頃、沖縄から出稼ぎに来ていた労働者の人々との関わりもあったのかどうか、でも、この日はそこまでお聞きすることはできなかった。いずれお伺いする機会があればとも思っているのだが。

左から、関昭三さん、岩崎明さん(小川先生の古いお知り合い)、そして小川信夫先生ご夫妻である。
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その後、僕と関さんが交代して記念撮影。
只今撮影中。
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小川先生、今日はご馳走様でした。
[subcate.枡形城・落日の舞い]
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2011年の最初の稽古へ

tag: 川崎市民劇.「大いなる家族」  沖縄_  川崎市_  #富士山  川崎市民劇.「枡形城落日の舞い」  小川信夫   

元日の菅薬師堂

《2011年元日》
徹底して無信心である。初詣など、行った記憶がない。
自宅から歩いて5分の菅薬師堂。
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へえ、結構たくさん来るんだなあ。

年とって、信心深くなったからというわけでもない。

去年の12月3日から、薬師堂の行事日程が気になっていた。
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なぜなら、「桝形城・落日の舞い」に、菅薬師堂の場面があったから。
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それでもって今日来たのかといえば、それも少し違う。喜多見氷川神社のお祭りの時にも思ったのだが、川崎の市民劇に関わることになって、自分の住んでいる土地について、あまりにも知らないということを、柄にもなく反省した。だから来たのである。

去年、特別に中を見せて頂いた本堂が、元日の今日は参詣者のために開かれていた。
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前回、ピンボケ画像をご紹介したご本尊が納められた厨子。
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本堂の外で手を合わせる方々になんとなく申し訳なくて、あわててシャッターを押したので、今回もつまらない写真しか撮れなかった。今月の12日、初薬師の日に再訪しようと思っている。

また本堂には薬師如来の信者を守護する十二神将も安置されている。今年の干支の卯、安底羅とある像を撮影してみた。
安底羅
因みに、安底羅の本地仏(ほんじぶつ)は観音菩薩らしい。本地仏とは本来の姿。本来の姿とは仏教の仏で、その仮の姿が神道の神だという。温和な顔をした像が怒りの表情の神に変身して悪を懲らしめる映画「大魔神」を思い出した。
しかし、いろいろと調べてみると、なんだかおかしい。安底羅は申(さる)の神らしいのだ。卯(うさぎ)なら摩虎羅(まこら)ではないのか。
隣の阿弥陀如来の化身である迷企羅も、寅(とら)ではなく酉(とり)だし、如意輪観音の??羅も辰(たつ)ではなくて未(ひつじ)らしい。
(※しかし、摩虎羅(まこら)の本地仏である大威徳明王は西方の守護者である。卯は正反対の東を指す。西なら酉。)
いったい、この食い違いは何なのだろう。さっぱりわからなくなってきた。まさか菅薬師堂の張り紙が間違っているなんてことはないだろうと思うのだが、なんとも謎である。

「桝形城・落日の舞い」の本番で、なんとかここの獅子舞を舞台に乗せようと画策しているらしいのだが、はたして実現するのかどうか。
小さな宝物殿に獅子頭が納められていて、ガラス越しに見ることができる。
ガラス越しの獅子頭
菅に獅子舞は近隣で農を営む名家の長男によって引き継がれてきた。その歴代の舞手の名が掲示されてある。
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境内で、甘酒が振舞われていた。
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よく見ると、皆さん獅子舞のはっぴを着ていらっしゃった。
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ご挨拶をしようかとも思ったのだが、ここに住んで20年、これまでの不義理が頭をかすめて迷った。そういえば今日はフト思いついて財布も持たずにサンダルがけでやってきた。賽銭箱を素通りして写真を撮って甘酒を頂いた。これでは挨拶などできるわけがない。一度家まで引き返して小銭を持って出直しても、10分とかからないほどの近所なのだが、正月の怠惰でそれもしなかった。まったくもっていやはやである。

薬師様の命日は9月12日。菅の獅子舞はその日に一番近い日曜日に行われる。ということは、今年は9月11日の日曜日だ。いずれにしても「落日の舞い」の本番前には、残念ながら見ることはできない。
その代わり、菅の獅子舞の画像がたくさん掲載されているサイトを見つけたのでご覧あれ。出演者が舞うことになるやも知れぬ。どうぞご参考に。
 ⇒http://hadachi0505.style.coocan.jp/sanpomiti/sisimai…

tag: 川崎市_  川崎市民劇.「枡形城落日の舞い」   

“忠兵衛”再訪

二ヶ月ぶり、2回目の忠兵衛です。
 ⇒前回10月18日の忠兵衛
前回の記事は、とりあえず喜多見のカテゴリに入れました。いずれ沖縄の中の単独サブカテゴリをと思っていたわけですが、その前に、川崎市のカテゴリができたので、そちらに喜多見から移動ですな。
お預けしてあったM.A.P.の沖縄関連案内チラシですが、お店のメニューのファイルに入れてくださっていました。感謝。
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でも、ひとりも問い合わせはないですけどね。

奥様に会えるかなと期待して来たのですが、残念ながら本日もお休みでした。また今度のお楽しみですね。

もうひとつ、わざわざこのお店まで足を伸ばしてやってきたのには、実はワケがあるのです。

狛江の中央公民館で、「安里屋ゆんた」と「安波節」をやろうということになって、僕は個人的に武富節の練習が減りそうで残念だということは、以前の記事に書きました。
 ⇒M.A.P.三線教室は稀有な教室
しかし僕は、秘かに武富節を練習して、「沖縄語を話す会」・「琉球舞踊教室」・「三線教室」合同の忘年会で披露してしまおう、さらには僕の唄三線に合わせて、宇夫方さんに「貫花」の前半を踊ってもらおうと思いついてしまったのです。
その忘年会の日が、いよいよ明日に迫りました。しかし、一度も踊りと合わせていません。もう前の日の夜です。音を出して怒られないような場所がない。
そこで思いついたのが、ここ“忠兵衛”だったのです。

電話をして、三線をお借りできるかを確認して、そしてやってきたのです。
でも、やっぱり踊るまではできませんでした。唄も、大きな声で歌う感じではなく、カウンターの隅に座って、小声で確認する程度。
帰り際にマスターがおっしゃるには、今日は珍しく沖縄の人がいなかった。もしいれば盛り上がったと思うのですが、ということでした。なるほどねえ、そういう事情もあるわけだ。確かに、ここは沖縄じゃあないんだもんなあ。この件も、また今度のお楽しみかな。

そういうことなら、沖縄居酒屋訪問記、前回に引き続き、お料理紹介ブログになるしかありません。
ゴーヤーの酢の物。
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ふーチャンプルー。
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アップ。もちろん塩なし。
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ポークたまごの海苔巻き、そんな名前のメニューだったと記憶しているのですが、ツマミのつもりで頼んで来てビックリ。ビックリして、照明あてて、ホワイトバランス間違えた。
ホワイトバランスを間違えたポークたまごの太巻
なるほど、こういうことでしたか。
この“忠兵衛”さんですが、まず安い。そして量が多い。たぶん、値段×量で考えると、普通の居酒屋さんの倍以上の量だと思います。
じーまみ豆腐にいたっては4倍かな。
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二人ではちょっと辛い。なるべく大人数で来たいお店。ところが、カウンターには一人で訪れる常連さんが多いようで、何か一品頼んで、それひとつをつまみにキープしてあるボトルの酒をのんびり飲んでいるのです。
ははあ、そうか、大盛りの料理を最初にひとつ出しておけば、後はお客さんは利益率の高いお酒を勝手に飲んでいてくれる。これってもしかするとうまい商売の方法ではないのか、そんな気がしてきました。まさかマスターがそんなしたたかな計算をしているとは思われませんが、結果的にそうなってうまくまわっているのではないか、だからこそ結構広いお店を、奥様が休んでマスターひとりでもやっていけてるのかもしれない。もう完全にそうに違いないと思えてきました。

でもやっぱり大人数で来て、三線弾いて盛り上がるのがきっと最高。踊るスペースだって十分。忘年会や新年会にとってもよさそうです。ただし、喜多見じゃないのと、登戸の駅からちょっと遠いのがネック。ここまでみんながスムースに来るいい方法はないかなあ。ちょっと思案してみようと思います。

新しいボトルを入れて、さて、今度来れるのはいつかなあ……
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