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しんゆり公演終了(コメントたくさん)

告知記事

変な調律師に感謝です。
変な調律師の新井さん

照明の須賀さんに感謝です。
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思いもかけず、ピンを当ててくれた鄭さんにも感謝。

音響の阿部さんにも感謝。
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そして、“注文の多い料理店”もやっっちゃいました。null

題字を書いてくださった、宇夫方隆士さんに感謝です。

アルテリッカしんゆり
「どんぐりと山猫」
(第3回)※高山29回
「注文の多い料理店」(第3回)※高山3回

そして誰よりも何よりも、観に来てくださった200名のお客様に感謝なのです。

急遽アンコールでチェロを弾いた大島純にも?※さてね…
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おじさんたち3人はグチャグチャ。
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※オフィシャルブログからの転載を差し込みます。

新井吉一氏、調律中……
調律中

そして幕が開く…
白石准

かつて白石准は、こんなことを言っていました。
“注文の多い料理店”の山猫の敗走の後日談として“どんぐりと山猫”があるという奇想天外な演出プランを僕は持っています。
“注文の多い料理店”で計画が頓挫してしまった山猫は、リヴェンジを期し、馬車別当という新たな部下も雇って一郎に挑戦状を送ったのです。
ゆえにこの愚かな作曲家は“注文の多い料理店”の音楽の中に密かに“どんぐりと山猫”の中にある山猫のモティーフを埋め込みました。
上演するなら“注文の多い料理店”→“どんぐりと山猫”の順であることが望ましく、この屈折した解釈は二つの作品を並べて聞けば納得してくれる人もいたりするでしょう


それが今日実現したのです。
注文の多い料理店



※この段階で付いたコメントたち

はるちゃんさんのコメント
初めてコメントさせていただきます。
今回初めて生で聴かせていただき、とっても楽しいステージでした。
個人的にはあの「1ベル」はツボでした(*^-^*)公演前に出演者が出てきちゃったのは初めてです。
「注文の多い料理店」は不気味な緊張感に引き込まれました。近くの席の女の子が、終わったとたんに「あ~、怖かった~!」とお母さんに抱きついていました。
「どんぐりと山猫」は登場人物(?)がどれも活き活きと表現されていました。
中でも私は「きのこのへんな楽隊」がとても気に入りました。「どってこどってこ」がとても「へん」でした。
どんぐりたちの言い合いの様子も3人でどう表現するのかと思っていたのですが、これも大変面白かったです。原作にはない「ばかやろー!」というセリフにも笑ってしまいました。
そしてアンコールの「セロ弾きのゴーシュ」。CDで聴いて「かっこう」の歌が気に入っていたので、とっても嬉しかったです。もちろん「インドの虎狩り」も生で聴けて大満足でした。
演劇とも朗読ともコンサートとも違う、とっても楽しいステージを見せて・聴かせていただき、どうもありがとうございました。心が温かくなる、幸せな時間でした。また次の機会にも是非伺いたいです。
2009年5月5日 20時46分

雪さんのコメント
歴史的な一日 おめでとうございます。
より立体感のある音の舞台だったと思います。ピアノの音が客席に立ち昇ってきて、語りに色をつけたように映像が浮かび上がってきました。
また、語りが両端に分かれることによって、ステレオ効果も働き、奥行きのある舞台だったと思います。
「注文」も「どんぐり」も、山猫と人間が描かれ、面白さの中にも人間とは・・みたいなことを考えてしまいます。そして、もう1つの共通点は、異界の風だと思います。賢治の作品のキーとも言える風です。その風を白石さんはとても魅力的に描いていると思います。ピアノの端から端まで駆け抜けるのです。会場にも!
そして、白石ワールドファンとしては、今回も新しい試みやサプライズがあり、とても楽しい日となりました。
「注文」
おどろおどろした風が吹いて異界の扉が開くわけですが、西洋料理店の建物が突然林の中に現れる様子が、音楽で立体的に表現されていると思います。そして、この不可思議な雰囲気は白石さんの心の中にある世界なんだなーと思うのです。
扉の注文を歌にするのも面白いし、その歌も扉を開けるたびに、少しづつ緊迫感を加え様変わりしてきます。こちら側も気持ちが昂揚してきます。そして、最後は異界の余韻を残すメロディー。これが結構 私は はまっています。心理描写でもあると思います。
「どんぐり」
これは、心理描写というより情景が音楽によく表されているような気がします。それと、言葉を音楽に置き換えたて、音楽とともに語るところがあって、そこがとても面白いと思いました。また、賢治独特の擬態語 擬音語も面白く音がつけられていて、これは賢治作品の魅力を上手く引き出しているなーとおもいました。今回はトロンボーンがついて、とても面白かったです。
山猫が出てくる前に例の風が吹きます。山猫様の出現にふさわしい威厳のある風で、かつ不可思議な風です。
アンコールは「セロ弾きのゴーシュ」からでした。「印度の虎狩」ミングル版も良かったけど、セロもやっぱりいい どちらもそれぞれの味があるんですね。
とてもとても贅沢な時間でした。ありがとうございました。
2009年5月5日 22時1分

do さんのコメント
准さんのピアノはもとより語り手お二人の「身体」という楽器も素晴らしい音色でした。「私はこの人たちの後輩です」と名乗りたくなるような誇らしい気持ちでした。ありがとうございました!m(__)m
さすがに「どんぐりと山猫」は練って練って作り上げた作品らしく、情景が見事に描き出されていてとっても楽しかったです。「ピーターと狼」のように、最初に登場人物を「ピアノでこんな表現にしますよ」という紹介があったので、客席でも「ああ、ほんとにそんな感じ」というような反応がありましたね。
私はピアノオンリーで表現された中では「滝」がよかったと思います。皆さんで演奏した「キノコ」も大変愉快でした。
「よかったですよ」だけで満足なさる先輩方ではないと信じて。
「風が吹いてきました」という所で、まずピアノがあってから台詞という順番での表現がありましたが、あそこは逆のほうが分かりやすいのではないでしょうか。
「注文の多い料理店」のほうはちょっぴり長く感じました。話自体が同じ事の繰り返しだから仕方ないのかもしれませんが…。
全体的な感想としては【語り入りの音楽】を聴くものなのかなと感じました。だから朗読を鑑賞したい人にはピアノの分量が多過ぎるような気が…。私は、語り手お二人が身体でも演じていらっしゃると感じましたし【音楽】としてだけでなく、ある意味【芝居】として成立しているように思いましたので、目をつぶらず舞台を見ていましたが、ピアノがずっと流れていたので、それが語り手のリズムを壊しているように感じられた部分もありました。無理に音楽に合わせているような感じというか。だからピアノの音が止んで語り手の声だけになったときに、ホッとするという事が…
もっと語り手に委ねちゃう部分があっても、いいんじゃないかなあと。
准さんの作る曲は確かに、難しいですね。でも宮沢賢治の世界には、何だか合っているような気がします。声をピアノに反響させるような遊び心も、すごく准さんらしくて、私は思わずニヤリとしてしまいました。
それから高山さん、音程がもしか外れていたとしても、准さんの曲だから、聞いてるほうには違ってるのか合ってるのか分かりませんから大丈夫です。
言い過ぎて後悔?
2009年5月5日 23時35分


いくつかコメントを頂いたあとにこの記事をアップしているので、ちょっと申し訳ないのですが。
ここから先は、後出しジャンケン的な高山正樹の私見であります。

白石准の企みが成功したかどうかは、お客さまに委ねるとして、“注文の多い料理店”の出来不出来は、きっと歌にかかっていると思うのです。
歌う高山正樹

この曲、実に難しい。この僕が、はたしてこの歌を歌いこなすことができるかどうかが、この作品の評価を分けてしまうかもしれません。もし今回、冗長に聞こえた方がいらしたとしたら、高山の歌の技術の未熟さの所為かもしれません。

いわゆる山猫のメッセージを、白石准は歌で処理したのですが、これをストレートプレイの芝居仕立てでやろうとすると、ある困難に突き当たります。この言葉の主は山猫であって、扉を進むに従ってどんどんと盛り上がっていきます。しかし、これを声に出して読むのは二人の猟師であって、彼らは、山猫とは逆に、不安に駆られてどんどんと弱々しくなっていく、この相反する心の動きをどう表出するか、黙読している段階では問題にならないことが、音にしようとするとき、はたと立ち止まることになるのです。

たいがいの場合、猟師の側で音を処理することになります。そのため、陰の方向へと物語は向かわざるを得ません。ところが白石准は、これを歌にすることで、極めて陽性の高揚を創造しダイナミックさの喪失を避けることに成功したといえるでしょう。
残念ながらそのように聞こえてこなかったとしたら、それは全て私高山正樹の責任、もっと修行しなくちゃ、ということであります。

というわけで、次回、お待ちしております。(次回っていつ?)

そして第二部は、いよいよ本日のメインディッシュ“どんぐりと山猫”。
山猫のスジを通すということで、今回はiTunes配信のバージョンとは逆に、楠定憲が一郎と地の文を、高山正樹がその他の色物系を担当しました。
楠定憲 高山正樹
楠氏はきのこの楽隊で、見事なトロンボーンを披露しました。

そしてアンコールには大島純さんも参加してセロ弾きのゴーシュより“カッコー”を。
アンコール

そして最後の曲、“印度の虎狩完全版”
印度の虎狩完全版

そして…
照明を含めたビジュアルに関しては、いろいろと考えるきっかけが出来ました。須賀さんには心から感謝です。
これらについては、またどこかでご報告いたします。

ともかく、ご来場くださったたくさんのお客様に、心より感謝いたします。
本当に、ありがとうございました。

Lucyさんのコメント
長いといえば「注文の多い料理店」の
ending。拍手が・・・できない。
「・・・もうもとのとおりになおりませんでした。」で拍手をちょっと受けてから、演奏してもらえると安心して聴いていられるような気がする。
2009年5月6日 12時15分

白石准のコメント
いろいろな感想興味深いです。
はるちゃん、開演のベルは、芝居的に言ったら、「馬車別当」がベルを持って練り歩くのもあると思います。
ベルの音が会場にはない(あたりまえだよね、学校の教室の一つなんだから)と聞いて思いつきでやってみました(爆)
>演劇とも朗読ともコンサートとも違う、
というところになんかこの作品とこの演奏団体を理解してもらうキーワードがあるのかもしれません。
doさん、久しぶりにといっても本当に20年ぶりくらいだろうか、しかもそれは電車の中で会ったくらいで、演奏を聴いてもらったのはもう30年くらいまえに、一緒に芝居を作ったころにさかのぼるね。
ありがとうございました。
ご感想の視点は興味深いです。
高山正樹が本文に書いちゃったけど、歌のせいでなにか不都合が起きていたというのは僕にはまったく感じません。
逆に彼の歌唱力なしにはこの雰囲気は成立しないと思いますから。
思い起こせば、この“注文の多い料理店”という素材は、誰かに頼まれなければ、作曲したくなる興味の沸くものでは全くといってありませんでした。
“どんぐりと山猫”や“セロ弾きのゴーシュ”にくらべてあまりに「動的」な展開が少ないからです。
でも請われて書いている間に、前述の二つの作品には無い魅力がそこにはあることを実感し、その二つの作品にはほとんどないやり方で作曲して、やっぱりほかの作品と一緒で、作曲してみてこの作品がとっても好きになりました。
いつも言うけど、これが僕の読書感想文なのです。
“どんぐりと山猫”の音楽のなかで、「そのとき、どうと風が吹いてきて」というくだりでのdoさんのご批判はもっともで、あれは、楠氏のミスです(爆) そのとき、という台詞のあと、僕の風の音楽があって、しばし収まったら、それ以降の台詞が続くはずでした。具体的にそういう箇所の指摘ができるほど真剣にきいてもらってうれしいです。
doさんご指摘の通り、“注文の多い料理店”が長いなと思うのは当然で、その山猫と二人の男の延々と続くのんきなやりとりにこそ、この話のファンタジーたるゆえんがあると僕は考えています。
それは、“どんぐりと山猫”だって、いろんな動物と出会うけれども、そのたびに違うことを言われ振り回されてやっと山猫にたどり着き、肝心(と思われている)裁判に参加する一郎だけど、あちこちにしつこく書いている様に、「めんどな裁判」を、禅のお坊さんの様に鮮やかに解決に導いたというストーリーではなく、その後からがこのストーリーの肝な気がするのです。
だから、どんぐりの音楽はある意味「肝」の部分はあまり貢献できず(爆)単に「背景」に見えるもの、そしてそれぞれの登場人物のキャラクターを音楽にしたようなものでしょう。
でもストーリーがロードムービーのように「動き」があるから音楽的にはメリハリがあってすくなくとも馬車別当と出会うところまでは書きやすかったです。
でも奇想天外なストーリー展開も重要ですが、一見無意味に見えるダイアローグの応酬がおもしろいとは言ってもそれに、どう音楽をつけるかというのは実に難しかった。
それに引き替え“注文の多い料理店”は最初どうしていいかまったくアイデアはなかったんです。
doさんご指摘の通り、二人の語り手で会話をしてしまったが故に、「語り付きの音楽」という路線から「芝居」に、つまり耳で聞くストーリーではなく、目で何かを期待するようなものに変質したのかもしれません。
先日も、“セロ弾きのゴーシュ”を演奏したところ、「音楽が主張しすぎ」という感想をいただきましたが、芝居だと思って観る人と音楽だと思って聴くひとの分かれ道がここですね。
だから、僕のこの一連の作品は、芝居を主にごらんになる聴衆からは結構批判が多いのがわかります。
>無理に音楽に合わせている
>もっと語り手に委ねちゃう部分があっても、いいんじゃないかなあ
この「不自然さ」を快感に変えるべく押し通そうと僕は三十年間やってきていますから(爆)、予想通りの御批評でまたファイトが出てしまうのです。
これ以上その点について僕の「方針」を述べつづけても、それはお客が気に入らないのはお客のせいと逆ギレする店主みたいなことになるので、また次の作品や次の演奏機会に行動で示そうと思います。
そういう意味でいくと、“注文の多い料理店”の二人の紳士の語り方の方針については、前日の最終リハーサルで、「新劇風にするのかファンタジーっぽくいくのか」ということは二人の語り手の中でも話し合われはしたし、ふじたあさや氏に聴いてもらったときにも全く同じことを問いただされました。
これはたぶん、一人で語ると起きないことかもしれませんね。
難しいね。
でも初めて二人で語ってみた経験値としてはおもしろかったとは思います。
逆に、かつて聴いたときより、ドアの数が少なく感じたという感想も当日会話の中であったのですが、それは、「二人でやったから」ということが原因だったのかどうかは、わからないけどいろんな見え方があって作曲家としてはおもしろいばかりです。
Lucyさんの「長いエンディング」ですが、僕は最初と最後にあれだけ長いピアノの独奏、しかもあの場面しか使わない「異界の森」の音楽(そういう題名はついてないけど)があってこそ、この話が成立しないのです。
そういう意味じゃ、拍手できない音楽もいいですよ、そここそ、芝居っぽいのかな(爆)
だから、拍手受けてから弾いたら、僕のあの曲の意味が完全に失われます。
それなら、弾かない方がいいということになります。
まあ少し短くはしてもいいけど、その間に誰もいなくなった森を想像してもらえれば、最初に目の前に広がった森とは違うかもしれないし、またいずれ誰かがここに迷い込んできたら山猫はまたトライしたかもというくらい「異界」は人間の前にいつも待ち構えていると思ってもよいと思います。
結局、宮沢賢治の言葉のまねみたいだけど、どうしてこうなるのかまで全部わかって書いているわけじゃないからね(爆)
山猫の張り紙をどう表現するかということについてのプロセスについて書きたいけどたぶんコメントの字数の制限を超えているので新たに投稿します。
山猫の張り紙をどう表現するかということについては、腹減ったのでこの一連の連続投稿からはちょっと間を空けて、書いた方がいいかやっぱりそこまで書くのはやっぱりおしゃれじゃないか考えてからにします。
それよりも、山猫合奏団のメンバーではなかったですが、今回、照明の須賀知恵子さんと、音響の阿部真心(まみ)さん、そしてそれをお手伝いくださったスタッフそして、このフェスティヴァルの担当者のみなさまに感謝です。
2009年5月6日 19時9分

雪さんのコメント
宮沢賢治のお話は、いろんな形で表現されていますね。アニメや演劇、朗読、人形劇もある。
私は、白石さんの舞台は、今までにない新境地だと思うのです。音楽も言葉のように語りかけてくるのです。
その絡み合いは、より想像の翼を広げてくれるように思うのです。音楽が言葉より前に出たり、後ろに下がったり、朗読や劇とは又違った味があります。
今回は、声のマイクも入っていたらしく、バランスよくピアノも思う存分響いていて、とても気持ちよかったです。
宮沢賢治のお話は、視覚的なものがないと、子供達には難しいと思いますが、それでもこれだけ惹きつけるのは、山猫合奏団の力だと思います。
2009年5月6日 20時52分

高山正樹のコメント
それにしても山猫合奏団の作曲家は良く喋る。
私たちは、巷のファンサイトにありがちな、批判を許さない雰囲気だけは避けたいと思っています。これからも、辛口なコメントをお待ちしています。ということは、また観に、聞きに来てください、ということですね。
「張り紙をどう表現するか」についての私の見解は、決して作り手である白石准のものと同じものではありません。というより、白石准は、さほどに論理的にモノを考える人種ではない(?)。
それは、作者の意図とは無関係に、はからずともこんな効果を生み出したという演劇的見地からの評論であります。
作り手が考えもしなかった批評を、他者が発信し始めてくれた時、作品は次の段階へ進んでいくものなのです。きっと。
すると、だんだんと作者は無口になるはずなんだが……
いやいや、准ちゃんが無口になったら心配しちゃうから、このままでいいか。
2009年5月6日 22時12分

白石准のコメント
山猫の張り紙は、本来声に出して読むとすると、二人の紳士たちの声でやるのが当然でしょう。
でもそれだと、紳士たちにとってどんどんそれは怖いものになっていく。
それじゃ、あのしつこさのなかで山猫の「もうすこしでありつけるぞ」という「よろこび」は気迫になり、単なるホラー話になってしまうような気がします。
僕はこの話を単純な「怖い話」としてとらえてません。
山猫の視点で楽しいけど最後は間抜けという話と乱暴にいえばそっちの方向から見ました。
だから、小説で「読む」ときにはない山猫の存在感が歌を使えば見えるような気がするのです。
普通に読むと、張り紙の書き手がだれなのかは最後に至るまで判らない。
それはそれでおもしろいけど、僕はこの山猫が好きなので、ビジュアルにはださないけど、「謎の声」として最初からちゃめっけたっぷりに歌って貰ったのです。
これが論理的であるかどうかは知らないが(爆)、不思議と、“セロ弾きのゴーシュ”にも、“どんぐりと山猫”にも“注文の多い料理店”にも「しゃべる=異界」の動物たちがでてくるが、なぜか犬が居ないね。
賢治にとっての異界の住人のなかには、犬はいないのでしょうか。
表現したいことが多すぎるから余ったエネルギーが作曲に向かうのかもしれません(爆)
なんか次の作品を書きたくなった。
2009年5月7日 11時14分

高山正樹のコメント
あれ、意外に准ちゃん論理的だった
(だーいばくしょーーーーう!)

ちなみに、「春の修羅」より「犬」

なぜ吠えるのだ 二疋とも      
吠えてこつちへかけてくる      
(夜明けのひのきは心象のそら)  
頭を下げることは犬の常套だ     
尾をふることはこはくない     
それだのに             
なぜさう本気に吠えるのだ    
その薄明の二疋の犬         
一ぴきは灰色錫           
一ぴきの尾は茶の草穂        
うしろへまはつてうなつてゐる    
わたくしの歩きかたは不正でない   
それは犬の中の狼のキメラがこはいのと
もひとつはさしつかへないため    
犬は薄明に溶解する         
うなりの突端にはエレキもある    
いつもあるくのになぜ吠えるのだ   
ちやんと顔を見せてやれ       
ちやんと顔をみせてやれと      
誰かとならんであるきながら     
犬が吠えたときに云ひたい      
帽子があんまり大きくて       
おまけに下を向いてあるいてきたので 
吠え出したのだ
2009年5月7日 11時38分


※差し込み終了。

そのまま打ち上げへ。
打上にぎやか

同窓生。
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右にちょっとはみ出ているのは同窓生ではありません。

関先生を囲んで。
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関先生も、ありがとうございました。
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“劇団あとむ”の美女ふたり…


二次会。
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白石准が梅干に見える…
同窓生の熟女たちに、精気を抜かれてしまったのでしょうか。

抜かれる前。
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抜いた人たち。


追伸【事務局から画像が届いた】(5月21日)
※Official_Blogから転載

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tag: 須賀知恵子  新井吉一  知り合い  その他の登場人物  しんゆり芸術祭  宇夫方隆士  山猫合奏団 

MINGLEを観て来ました。

そのころ、僕は大久保のMINGLEのコンサートへ。
2月27日に続いて二回目。
MINGLEのKAOさんが山猫合奏団に参加したことがある話は前回しました。実は彼女、数年前の3年間くらい、沖縄限定で放映されていた泡盛(瑞泉)のCMで、酒蔵の中でバッハを弾いていた女性バイオリニストです。沖縄の方で、憶えている人はいらっしゃいますかしらん?

この日のMINGLEのコンサートについては、山猫合奏団のブログをお読みください。
(高山正樹でした。)

※今回は山猫合奏団と少し関係あるので、こちらにも記事を書きました。ということで、今回も山猫ブログの記事を転載します。


聞いてきました。
演奏中
“印度の虎狩”のMINGLE版。いい感じ。
でも、僕はバラードの部分のチェロの優しさが好きだったので、そこのサックスの「主張」が、全体のメリハリを弱めてしまったような感じがしました。さあ白石准は、この素人の感想に対して、なんと宣うか。

只今、録音中です。
録音中

その“印度の虎狩”のMINGLE版が、4月5日の日曜日、龍谷寺の“みんなの音楽会”で聴けるらしい。
MINGLEが龍谷寺にやってくる!
何時ごろの演奏になるのかは不明。2回目だし、場所も違うし、どのくらい印象って変わるものなんでしょうか。楽しみ。僕自身の耳と脳みその、密やかな実験です。

では、4月5日、龍谷寺でお会いしましょう。
え?お前は何かやらないのかって、さあ、どうでしょう……

【今日の新井吉一さん】
開演前…
調律中
炭酸水を飲む…
シュワッ中
休憩中…
休憩中も調律中 片付中
おしまい…


【高山正樹の感想に対する白石准のコメント】
楽器の特性の違いは織り込み済みで、もちろん聴く方は「どっちが好きか」という感想が生まれるのは当然です。
オリジナルのチェロとピアノでのみ醸し出せる雰囲気と、今回の新しい編成で展開する世界は、もちろん根っこはつながっているけど、明らかに別物だと僕の中では認識されています。

中間部に関してはソプラノサックスには十分に主張がなされてしまうほどの、音域の高さが最後で待っているのでそれはしょうがない(爆)

“セロ弾きのゴーシュ”の中であの曲を「使った」まえに、本当のオリジナルの状態がシンセサイザーでかつて作られていたのですが、中間部のメロディは、今回のミングルの演奏にあったとおり、4度の音程でずっと二本の旋律で構成されていた(もともとはピアノの音色)ので、ある意味やっと僕が「最初」に発想した音が聞こえた喜びを今回は味わわせて貰ったのと、それ以外のダンス調のところは、二人が三人になった分音の厚みは拡がった気がします。

逆にこれを聴いた後チェロとピアノ版を聴いて貰って、あの「狂騒」がチェロとピアノの中に実際には聞こえないけど、実は内包されていると思ってくれたらとても嬉しいものです。

現実問題チェロを弾いているゴーシュには伴奏部分が聞こえているけど動物や観客には本当は聞こえないはずだから(爆)、僕にもチェロとピアノの演奏の他にいろんなメロディが実は聞こえていたのです。
2009年3月31日8時27分

tag: 植村薫  山猫合奏団  泡盛.瑞泉  新井吉一  別ブログへ 

やさしい予感

大迫秀春氏の造形展覧会「約束と貌」。
東京目黒の「ギャラリーやさしい予感」にて開催。
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ニーチェ好きの兄、隆一氏(左)と。
隆一さんは、写真を展示、また弟さんの作品に文章を寄せたりしていらっしゃいます。弟思いの兄ちゃんです。
ニイチャンとニーチェ、似てるね。

秀春氏のオブジェに囲まれて、架谷由紀子・作(朗読)、白石准・作曲(ピアノ)の“幻冬の詩”が上演されました。
千鳥格子のスーツで弾く白石准)
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饒舌は准氏に任せて、こちらは無口に…
ドラと雪……
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けしごむのくらいの……
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下ごころ

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お兄ちゃん。
わからなくていいのだと言いたいの?
それとも、まだ黄昏ていないと言いたいの?
「優しい予感」がしているの……

「約束」するのは辛いから
飛び立ったのは、カッコーくらいがちょうどいい。

1986年の高山正樹の、ミネルヴァの梟的日記。
 ⇒http://uramapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-239.html

tag: その他の登場人物  白石准  ドラ  新井吉一  裏へ 

芸能花伝舎で“ゴーシュ”試演会

名称:Try Theater“セロ弾きのゴーシュ”(第7回)※高山16回
 ⇒告知記事

試演会の様子は、こちらをご覧ください。
 ⇒山猫合奏団のBlog記事
   新井さん

※以下に転載します。理由は…めんどくさいから今日は言わない。


このイベントは子ども劇場首都圏の「活動交流会」の一環として行われました。
楠氏のスケジュールの関係で、今回は語り手一人というバージョン。
今後しばらくこの構成での演奏会はないかもしれません。

お昼から新井さんが調律。
新井さん調律中
結構、音が下がっていたので重労働。
新井さんに感謝です。

合わせ。
合わせ中
天才調律師、新井吉一氏は、もう口開けて寝てまーす。

この公演は、いわゆる試演会という位置づけ。
だからプレゼンもしたりして。
プレゼン中

お客さんは、各親子劇場子ども劇場の代表の方々。
「おしまい」でたくさんの拍手を頂きました。
演奏中
結構楽しんでいただいたようですが、さて、どうなりますことやら。楽しかったけど、子どもにはどうかなあとか、料金がねえとか、そういう感想もあるのかもしれないし。

いわゆるケツカッチンで、ホームページやCDのことを説明する時間がなくなっちゃいました。前半のコンサート、サービスし過ぎだったかも。ちょっと作戦失敗?



しかし、「セロ弾きのゴーシュ」を一人で語るのは、やっぱり結構ハードですね。

本番中の画像、一枚だけご紹介。
子ども劇場のおばさまたちを悩殺する大島純…
おばさんたちを悩殺する大島純

ところで、芸能花伝舎は、M.A.P.と何かと縁が深いのです。
大島君を始め、東京奏楽舎のメンバーが所属する日本音楽家ユニオン、三笑亭夢丸さんが所属する落語芸術協会は、ここの2階にあります。また演出家のふじたあさや氏は、ここでプロの俳優のための朗読セミナーをやっています。“おきなわおーでぃおぶっく”で「対馬丸」の朗読を担当した菅家ゆかりさんも、ここでよく仕事をされています。

今日は、東京奏楽舎の菅野恵子さんと、菅家ゆかりさんが観に来てくださいました。おっと美女ふたりの写真、撮り忘れました。

そして、先日の立川の朗読会に高山正樹をお誘いくださったお二人も、わざわざ足を運んでくださいました。こちらはちゃんと記念撮影。美男美女(?)。
河崎卓也さんと伊達裕子さん
河崎卓也さんと伊達裕子さんです。(河崎さんは花伝舎のワークショップによく参加されるのだそうです。)
お二人の輝かしき経歴は、お二人が参加する朗読ユニット“ことのは楽団・くぅ”のサイトをご覧ください。
「ことのは楽団・くぅ」のサイトのメンバー紹介のページ
次回の朗読会も、よろしくお願いします。

喜多見の事務所に戻って、魯園菜館にて食事。
魯園菜館での食事の後で
ピースサインしているのはお店の女の子。中国の方です。あ、名前聞いてないや。今度聞かなきゃね。

※山猫合奏団のBlog記事に寄せられたコメントを、以下に転載します。

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tag: 新井吉一  別ブログへ  喜多見_中華.魯園菜館  山猫合奏団  芸能花伝舎  ふじたあさや  菅家ゆかり  朗読  河崎卓也  伊達裕子