哲っちゃんには会えなかったけれど(5/16のツイートまとめ)

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沖縄関係ライブで有名な小岩の“こだま”、そこで今月25日渡久山英男さんのライブがあり、私は雑踊りの“貫花”と古典の“本貫花”を踊ります。沖縄古典音楽をライブで楽しんで貰おうという渡久山さんの試みがいよいよスタート。私もずっとお手伝いさせていただく予定です。ライブ詳細はいずれ。
05-16 10:39

ウクレレの上手な人のフラメンコギターみたいな右手の動きって、三板を叩く手の動きに似てるなあ。
05-16 10:44

gajumui

停滞していたゴフマンの「人間と放射線」についてのツイートを再開しようと思いたった。今までのゴフマン関連の呟きについては、ツイートが転載されるブログで、タグをつけて該当記事だけ見ることができる。http://t.co/ftnpPPug
05-16 15:02

ゴフマン「若年被曝の大きな危険度を見えなくしてしまうやり方の一つは、各年齢群をすべてあわせてガン誘発率を計算し、若年被曝の効果を薄めてしまう方法である」←これ、この期においても、相変わらず行政の放射能関連チラシに見られる常套手段である。
05-16 15:06

ゴフマン「若年の高感受性を軽視してしまう一方、老年の低感受性を過大視してしまう」、すると「それは違う、影響はガンだけではなく、突然死とか…」と忠告されるが、判断できずにいる。それは次の課題。悠長だと批判されても、僕には手間かけて学ぶことしか出来ない。間に合わず死んでも仕方ない。
05-16 15:33

メールが来た。だからこれから、久しぶりに、きっと元気になった哲っちゃん(斉藤哲夫氏)に会いに行きます。「そうさ、今日はいい天気だから」、ね。でも、吉祥寺じゃなくて高円寺だけどさ。
05-16 16:16

しかし、残念ながら哲っちゃんと会うのはまた持ち越しになった。でも、それでいい。いつかきっと、すっかり元気になった哲っちゃんと会うのがいい。

だからというわけでもないのだが、時間ができたから、下北沢あたりで飲む時間ができたわけで。特に報告するようなことではないが、ちょっとトッペイがいじらしかったのだ。

犬は飼い主に似るという話。
飼い主に似る1 飼い主に似る2

40周年記念の日から一日ズレた今日、何故かこの歌が聞きたくなった。きっと哲っちゃんに会えなかったから。/斉藤哲夫「日 の 丸」.wmv

僕のブログの「斉藤哲夫」のカテゴリ→ http://t.co/ZbjUsFwc
05-16 23:55

※追記:著作権云々で、動画は削除された。せめて歌詞の一部を…
  日の丸を背に君が代は 千代に八千代なれども
  我がジジババは 感激の涙にくれ
  我が心何の感激もわかず
  さてさて 日の丸とはいったい何者であるのか

続きを読む

tag: 斉藤哲夫  日の丸  震災・原発・放射能.ゴフマン「人間と放射線」 

喜多見氷川神社御輿巡幸

今日はお昼過ぎから第11回の三線教室だった。
三線教室の様子
 ⇒M.A.P.三線教室のブログ

そしてそのあと、喜多見の氷川神社に向かって出発したんだ。

昨日のこと、佐藤さんに電話をした。え?佐藤さんて誰だって? 8月28日に“ばりき屋”で出会った佐藤優さんのことさ。そしてお祭りに行くよと言ったんだ。そうしたら佐藤さん「うれしいなあ」と答えてくれたんだ。まさか一ヶ月以上も前に飲み屋でちょっと話したことを、ホントにするなんて佐藤さんは思っていなかったのかもしれない。

板塀に貼られたおまつりのビラ

そうか、神輿巡幸はお昼ごろ喜多見の商店街あたりを出発したらしい。もう夕方の5時だが、神輿はまだ神社には到着していないらしい。でもルートがわからないから、どこからか聞こえてくる賑やかな声が頼りだ。
そして追いついた。どうやらここで小休止するらしい。
お神輿発見
後で知ったのだが、こうやってところどころで休みながら神社に向かう。休む場所も決まっているらしい。
佐藤さんを見つけた。
佐藤優さんと役員さん
さあ、こっちきなよ、と、お呼ばれになった。
佐藤さんと乾杯
佐藤さんのふんどしはアンパンマン。
このご近所のお母さんたちの手作りおしんこ。
おしんこ
ただの見物の僕らが、頂いてしまっていいものだろうか。これも全て佐藤さんがいるからこそなのである。
これが最後の休憩。そしてここから神社までが担ぐ男の晴れ舞台。ちょいと数年前までは、背中にお絵描きした連中がいっぱいで、担がせろ担がせないの喧嘩が起きたが、今は、だいぶおとなしくなってしまったらしい。

お祭りは本来どこだって何月何日と日付が決まっていた。しかし今はその何月何日に一番近い日曜日みたいなことになっている。
「軟弱になった」
今でも日にちをきっちり守っているのは、府中の大国魂神社と深川だけなんだそうな。神輿を担ぐために生きていると言った深川の天ぷら“片山”のご夫婦を思い出した。

浅草の三社祭りはどうなんだろうと思ったら、年々「や」の関係の方々がどんどん多くなって、去年あたり神輿に上って担ぎ棒を壊したらしい。住民の人たちが祭りを地元に取り戻そうと、彼らを排除することにしたという。まあ僕みたいな素人には、お祭りになったら誰が「や」で誰が地元の兄ちゃんなのか、ちっとも区別はつかないだろうけど。

大人が飲んでいる隙に、ここぞとばかりにちっちゃな女の子たちが神輿にぶら下がっていた。
神輿と戯れるふたりの女の子
将来が楽しみ。

いよいよである。佐藤さん、定位置へ。
神輿出発
いざ出発。
神輿巡幸1 神輿巡幸2 神輿巡幸3 神輿巡幸4
佐藤さん、顔つきが違う。アンパンマンのふんどしをしているとは思えない。
そうだ。これは神事なのだ。
提灯を担ぐ白装束の人たち
間もなく、氷川神社である。
神輿巡幸5
神社では神輿の到着を待っている。
屋台で賑わう参道 お囃子
そこへ……
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いよいよクライマックス。宮入。
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しかし、そう簡単にはいかない。神輿がまっすぐに本殿に向かってこなければ、佐藤さんともう一人が神輿を追い返す。それが何度も何度も繰り返される。
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必ずしも担ぎ手は神輿をまっすぐに進めようとしているわけではない。むしろあえて曲げようとする。なぜなら、担ぎ手は今この時が至福の瞬間、いつまでもいつまでもこうして遊んでいたいのである。そして全ての人が、もういいだろうと、暗黙の了解をした時、神輿はまっすぐにお宮へ向かっていく。そして神主さんが柝を打てば、宮入が許された合図である。
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何度でも言う。これは神事なのだ。

急遽誘った中真水才クンがちょっと遅れてやってきた。沖縄にはこういう感じの祭りはない。だから気になっていたという。でもこんな大きなお祭りだとは思わなかった。彼は来年、必ずこの祭りに来ることだろう。

担ぎ手たちはもう酒を酌み交わしている。佐藤さんは僕たちのために席を作ってくれた。
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ただ物見遊山で来ただけで、普通はこんなところに座って酒を頂くことなどできるものではない。これも佐藤さんの力だ。たった一度、居酒屋で出会って飲んだだけのに。
やがて一気飲み大会(鉢洗いというのが正しい)が始まった。僕は健康ゲーム中。死ぬからやめろと止められた。代わって宇夫方路が行く。
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水才も行く!それに佐藤さんが付き合う。
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佐藤さん、何杯目?

神輿に魅せられた男とその奥さんと男の子ふたり。
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若き親父、一気やりすぎてもはや沈没寸前。奥さん曰く「あきらめてます」。このあと奥さんは、三人の子供を連れて帰っていった。

だいぶ記事が長くなったので、続きは次の記事で書く。ただその前に、語弊を恐れず、ちょっと思ったことひとつだけ……



ここは浅草でもなければ深川でもない。世田谷のはずれ、喜多見である。そこで、たくさんの神輿を担ぐ若者たちに出会って、日本の根っこは、ここにあるのかと思い知らされた。

そして、とても言いにくいことなのだが。

大和の若者たちと祭り。暴走族、日の丸、非合法組織、神道、天皇、……、今、僕に見えているこの連なりは、幻覚だろうか。
その連なりに、沖縄を繋げようとする人々、断固拒否する人々。

お互いの文化を理解し尊重し合ってこそ真の友になれる、というような尤もらしい言葉のマヤカシ。

ここは浅草でもなければ深川でもない、世田谷のはずれ、喜多見なのである。
喜多見喜翔睦

そして、裏には色んな話が(例えば派閥とか…)あるに違いない。

いろいろな睦

「喜多見氷川神社御輿巡幸その2」へ

tag: 喜多見_  日の丸  沖縄_MAP三線教室  #中真水才 

辺野古の前に(1)【日米安全保障条約50周年記念イベントの画像】

《辺野古のことを書く前に報告しておきたいこと》
※この記事は、実は8月13日に書いたものである。
沖縄ツアーの記事がなかなか書けずに、ようやく21日のご報告まで書き終わって、いよいよ22日というところで、ハタと止まった。22日は、朝、辺野古に行ったのだが、その報告をする前に、面倒な記事をふたつばかり書かなければならない。

ひとつめ
6月26日、僕は宜野湾市長伊波洋一の講演を聞きに行った。そして記事を書いた。
 ⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog…
その中で、サンディエゴ市の上級政策補佐官が、普天間飛行場受け入れを示唆している、という話をご紹介した。そして、その話には補足が必要なので、その時、ちょうどサンディエゴに行っていた宇夫方女史が帰ってくるのを待って、現地の情報を加味してあらためて書くと言った。その「ひとつめ」がまだ書けずにいる。
宇夫方路は6月29日に帰ってきているのだから、もうひと月半になる。それなのに、約束した記事が書けないのには理由がある。

僕は宇夫方女史に、はたしてサンディエゴの一般の住民たちは、基地のことをどう考えているのかということを聞いてきて欲しいと連絡をしたのだ。その実際に現地で聞いた声が、僕が加味したいと考えた情報であった。しかし残念ながら、僕のメッセージが彼女に伝わったのは、彼女がサンディエゴを離れたあとだったのである。

そこで宇夫方女史の帰国後、サンディエゴでお世話になった日本人向けフリーペーパー“ゆうゆう”のスタッフ、Noriko_Sato_Sahara(佐藤紀子)さんに宇夫方のほうからメールを送ってもらって、このM.A.P.after5を御案内したうえで、僕が知りたかった内容を質問してみたのである。
佐藤さんからは「週末に記事を読んで、お答えします」という嬉しいお返事をいただいた。
しかし、結局未だにそのお答えが届かない。多忙な方なので、もしかするとお忘れなのかもしれないとも思ったが、催促のメールを差し上げるのは控えている。

僕の質問をお送りするよりも前に、佐藤さんが取材で撮影されたサンディエゴの6月の催し物の画像を、こちらのブログで紹介してもよろしいということで大量にお送りくださっていた。そのうちの“赤い靴像除幕式”の画像は、既に7月4日の記事でご紹介した。“少女像贈呈祝賀昼餐会”の画像は、それより前の6月28日の記事に追加でアップした。
大量の画像データをお送りくださったことに感謝し、また大変お手間を取らせてしまったのではないかと恐縮もしている。

しかし、そんな面倒なことをしてくださったにもかかわらず、その後の質問に対するお答えは届かない。もしかすると、とても答えにくい質問を僕はしてしまったのかもしれない。我々はできるだけ中立にと記事を書いているつもりなのだが、それでも反米反基地の傾向は否めない。あるいはそれがお気に召さなかったのかもしれない。

ともかくここで、佐藤さんが送って下さった画像データのうち、まだご紹介していない画像、“赤い靴像除幕式”の前日(6月26日)に開催された日米安全保障条約50周年記念イベントの画像をアップしておくので、どうかご覧いただきたい。

質問のお答えは、今少し待ってみようと思っている。

※そして11月12日に追記。
いくらなんでも、もうお答えはいただけないだろう。残念ながら現地の一般の方々の声は聞かぬまま、伊波洋一氏(今現在沖縄県知事戦を戦っている)の講演で聞いたサンディエゴの基地事情をご報告したいと思う。

サンディエゴの基地は(サンディエゴに限らずアメリカ国内の基地は全てということらしい)、市民の住居とは数十キロ離れていて(法律で決まっているらしい)、騒音や危険が市民に及ぶことは決してない。仮に決まっている距離以内に誰かが住めば、移動しなければならないのは基地の方だという。だから、基地を新たに作った場合、その周り数十キロの範囲は人が住んではいけないという法律をまず作るのだという。サンディエゴにおける基地と住民は、基地はただ市民に利益をもたらす存在として、いたって友好な関係にあるというのだ。そしてサンディエゴ市には、まだまだ基地を受け入れる余地があり、誘致した基地は、さらに市を潤すことになる。従って、サンディエゴは普天間の米軍基地の受け入れを表明したのだと。

そんなサンディエゴの市民たちは、遠く離れた沖縄の基地事情を全く知らない。「世界一危険な基地」と呼ばれる普天間基地の航空写真をアメリカ人に見せると、こんな基地が存在するなんて信じられないことだと誰もが驚くという。アメリカだったら、絶対に許されない基地だと。

僕は8月13日にアップした日米安全保障条約50周年記念イベントの画像に一切コメントをつけるのをやめることにした。この記事の「続きを読む」にアップした大量の画像をご覧になって、皆さんは何を感じるだろうか。このM.A.P.after5は、なかなかコメントしていただけないブログ、歯がゆいが、全てこちらの責任と、半ば諦めている。

面倒な記事のふたつめは次の記事で。
次の記事「辺野古の前に(2)」へ

見ていただきたい画像は……

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tag: 日の丸  沖縄_戦争・基地など.普天間  沖縄_沖縄芸能.琉球舞踊.四ツ竹 

日の丸を打ち振るう日本人たち

6月29日22時32分。
ワールドカップ日本対パラグアイ戦、間もなくキックオフ。
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22時52分。
日の丸を先頭に、代表選手たちが入場してくる。
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スタンドには巨大な日の丸。
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ワールドカップが始まれば、きっと多くの日本人が普天間のことを忘れる、あるウチナーンチュがそう予言した。日本の活躍が予想外に続いて、その予言が現実になっている。
今、僕がそんな話しを誰かに言えば、間違いなく顰蹙を買う。
「それとこれとは全く関係がないだろう。日本人が日本のサッカー代表チームを応援しているんだ、それに水を差すようなことを言うなんて気が知れない……」

今夜の僕は、何故か当然のように日本を応援している。しかし、やはりこの記事を書かずにはいられないのだ。

30日。午前1時52分。
日本の敗北に落胆する若者たち。
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日本人よ。日本のサッカーを応援するエネルギーの半分でいいから、沖縄の普天間のために使ってみて欲しいと思うのだ。そして、日の丸を打ち振る前に、日の丸に嫌悪する人々の思いを想像して欲しいのだ。

それから3ヶ月経って、日本はワールドカップのことも普天間のことも、すっかり忘れてしまったかのようである。
実は9月19日に、この記事を、そっと書いているのだ。
すでに、顰蹙を買うことすらない。

そして…
 ⇒社長とは呼ばないで「本当に書きたかったこと」

tag: 沖縄_戦争・基地など.普天間  日の丸 

西山正啓監督作品上映会第一夜【ゆんたんざ沖縄(1987年)】

なんだかオリンピックみたい。
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さかさまだけど。
明日のゴーヤーの芽へ

きみはずいぶんおっきくなったねえ。
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けっしてないがしろにしているわけではないのだが。
しあさってのゴーヤーの苗へじゃあ、いってくるね。

狛江市中央公民館、第4会議室にて。

西山正啓監督が撮った沖縄
〜その原点と今〜
【連続上映会】第一夜
ゆんたんざ沖縄(1987年/110分)

沖縄タイムスと琉球新報から最近の新聞がドッと届きました。
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販売の準備もできました。
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上映前、お約束の三線の演奏です。
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ひとつのエピソード。
この日、隣の部屋では、近隣にお住まいのシルバー世代の方々が、囲碁を楽しんでいらっしゃいました。その中のお一人が、私たちの企画の貼り紙を見て声を掛けてくださいました。
「沖縄のことはとっても気になっていてねえ」
「そうですか、それなら是非ご覧になってください」
「この人たちは、日の丸に反対している人たちなの、ふーん。僕はね、日本人なら日の丸を大切にしなければいかんと思うんだ。」
そう言って、こちらの話は一切聞こうともなさらずに去っていかれました。
僕はここで、日の丸の是非について語ろうとは思いません。ただ、たとえば日本を愛し、素直に日本人として日の丸を掲揚できるようになりたいのだが、どうしてもそれができない、日の丸を強制的に押し付けられることを、どうしても感情的に受け入れることが出来ない、そういう人たちがいるのだということ、そして一番重要なことは、そういう人たちが、なぜそう思わざるえを得ないようになってしまったのか、その背景にある歴史を、まず知って頂きたいと思うのです。その上で、あらためて日の丸のことについても考えてほしい。
至極もっともらしく、自分の国の国旗に敬意をはらうのは当たり前だという単純な「モラル」を振りかざして、日の丸を見るだけで震えがくるほどにも心に深い傷を負っている人々の感情を理解することを、その入り口で拒否するような「日本人の良心」に、僕は疑問を覚えるのです。
「自分の国の国旗に敬意をはらうのは当たり前」だというなら、その前に、自国民をこれほどまでに長きにわたって他国の影響下に置いておくような国が、「当たり前の国」といえるのかということも、一度は問うて頂きたいと思うのです。
 ⇒知花昌一さんと日の丸のこと

本日の映画から。
ありし日の丸木位里さんです。
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丸木位里・俊ご夫妻が“沖縄戦の図”(佐喜眞美術館所収)を書かれた際、実際に沖縄戦を体験された方々にポーズをとってもらって描いたという話は、何かで読んで知っていました。まさにその場面が、この映画の中に納められています。

上映会の総括は、第二夜が終わった後で。

別の総括(要するに飲んだよというご報告)なら毎日でも。
泡盛の封を開けたら、まずキャップに注ぎ、酒の神様に供える。
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ハンサム・マーキーさんです。
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こんなメンバーです。
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僕も写りたい……
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あらトミヒサさん。あんなにご自身のブログで辛辣なことをお書きなのに、UCLAのTシャツを着ちゃったりなんかして、それってあり?
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シドロモドロ……

決してカツアゲされているわけではありません。
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アヤシイ関係でもありません。
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でも、叱られました。
「もっと早くからちゃんと宣伝しなくちゃだめだ」

ハンサム・マーキーさんについては、とても一言ではご紹介できそうにもありませんので、追々ね。

大槻紀子さんです。本日はお骨折り、ありがとうございました。
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そして、お疲れさまでした。

続きを読む

tag: 日の丸  沖縄_泡盛.泡盛のこと  沖縄_沖縄の人.知花昌一  こんな人あんな人_沖縄関連の人.大槻紀子  #ハンサム・マーキー  #とみ久さん  【MAPの公演】  こんな人あんな人_映画監督.西山正啓  沖縄_戦争・基地など.(その他)  ゴーヤー栽培記.2010年 

西山正啓作品上映会【ゆんたんざ沖縄】【チビチリガマから日本国を問う!】

この度、西山正啓監督の「シリーズ未来世」の新作、「チビチリガマから日本国を問う!」が完成し、現在東京の各地で連続上映会が開催されています。
 ⇒西山正啓監督の新作完成
この映画は去る4月6日から9日にかけて、金城実、知花昌一両氏が首相官邸前で行った普天間基地移設に対する緊急直訴行動を記録したものです。
M.A.P.は、来る5月28日に、この映画の上映会を急遽主催することといたしました。

金城実氏・知花昌一氏の今回の行動は、決して機を衒ったものではなく、お二人の長きに亘っての地道で持続的な活動の一環です。M.A.P.としては、そのことも併せて是非知っていただきたく、28日の「チビチリガマから…」上映に先駆けて、5月26日に「シリーズ未来世」の原点とも言うべき“ゆんたんざ沖縄”も上演させていただくことにしました。
 ⇒緊急告知!M.A.P.主催の上映会

“ゆんたんざ沖縄”は、西山監督が1986年から沖縄読谷村に滞在して「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」製作、強制集団死遺族の証言、読谷高校の卒業式で繰り広げられた「日の丸」強制に抵抗する高校生たちの行動を記録したドキュメンタリー映画です。

西山正啓監督が撮った沖縄
〜その原点と今〜
【連続上映会】

5月26日
ゆんたんざ沖縄(1987年/110分)

5月28日
《ゆんたんざ未来世シリーズ》
チビチリガマから日本国を問う!(2010年/106分)


料金:(カンパ制)
場所:狛江市中央公民館第4会議室(両日とも)

(小田急線狛江駅徒歩3分)
時間:18時15分開場 19時開演 (両日とも)

この機会に、是非ともこの2作品をご覧頂き
沖縄の心を深く理解するきっかけにしていただければと願うものです。


26日には、開演前に三線の演奏をお届けする予定です。
また、今回の上映会は急遽決定したため、残念ながら当日西山監督のご都合がつかずおいでいただくことができません。そこで本編の上映終了終、17日に開催された上映会での監督とお客様の質疑応答の模様を撮影した映像を、ご覧いただけるよう準備しています。

続きを読む

tag: 普天間  知花昌一  金城実  西山正啓  沖縄_戦争・基地など.(その他)  日の丸 

知花昌一と西山正啓

“じんじん”を出てBar“土”へと向かいました。
“土”では、今日からこんな上映会をやっているのです。

沖縄読谷平和学のチラシ
西山正啓監督の“知花昌一沖縄読谷平和学”
 (⇒PDFで読めます、ダウンロードも可)

今日の沖縄タイムスにその記事が出ていました。
朝刊か夕刊かって? 聞かないで、今年の3月から、沖縄タイムスの夕刊は廃止されました。
西山監督映画完成の沖縄タイムスの記事
結構でっかい記事にですね。
(クリックすると大きな画像で読めます。)


パラダイス通りから“土”への通路に潜り込むと、それらしき人たちとすれ違います。
ああ、青年座の飲み会はお開きになったのかな……
“土”の扉を開けると、案の定、制作の紫雲さんがお勘定の最中です。顔見知りの方々に挨拶し、最期に津嘉山正種さんと言葉を交わし見送って、僕はカウンターに座りました。

「儀間さんは」
と、マスターのごうさん。ごうさんは儀間進さんとゆっくりゆんたくしたかったに違いない。
「バスの時間があるから帰ったよ」
「残念」
「青年座は打ち上げもココでやるって?」
「どうかな、でも津嘉山さんは気に入ってくれたみたいで嬉しいねえ」
「それはよかった。ところで、津嘉山さんが涙を拭いたおしぼり、どうしたの」
「洗わないでとってあるさ」
 ⇒Bar“土”で津嘉山正種さんが嗚咽した日のこと

青年座の飲み会は上映が終わってすぐからやってたはずだから、もうかなり時間が経っている。ずいぶん長い間ここで飲んでたんだねえ。お店の中には、その熱気がまだ残っていました。

カウンターの向うでは、今日の主人公、知花昌一さんと西山正啓監督がグラスを傾けながらおしゃべりしています。何やらコアな話しが聞こえてくる。

「日の丸焼き捨て事件」「象の檻」……、「知花昌一」という名前はよく存じています。内ゲバのことは定かではありませんが。でも今は読谷村の議員さん。何我舎(ぬーがやー)という民宿も経営。想像していたよりもずっと体のでっかい方でした。
 ⇒ごうさんが書いた「知花昌一のこと」

お二人のゆんたくにお邪魔させてもらいました。とはいうものの、結構酔っていて、話しの細部までよく憶えていないのが情けないのですが。
「左翼」、「右翼」。最近の「ネトウヨ」「ネトサヨ」なる納豆のような軟弱な輩のことではなく、しかし右左の単純なカテゴリーでは語り尽くせない情念の如き思索。知花さんの通って来た過去は、きっと大きな体でなければ歩く事の不可能な道だったに違いないと、僕はひとり妄想していたのです。
きっと同じことが津嘉山正種という役者にも当てはまる。だが、その体の大きな津嘉山さんが、森口豁氏のフィルムを見て嗚咽したのだ。
「映像の力ですね」といった僕に、
「いえ、記録の力ですよ」と、西山さんは言われました。

記念に。左、知花昌一さん。右、西山正啓監督。
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「ねえ、ごうさん。日の丸ない? 日の丸バックにして撮りたいんだけれど」
酔っ払いのアイデアとしては面白い。
だが、そんなもの(?)、この非国民Bar“土”にあるわけなどないのでした。
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tag: 青年座  日の丸  沖縄の旅_2009年秋  西山正啓  知花昌一  沖縄の呑食処.Bar土 

11・8沖縄県民大会とともに(東京銀座)

水谷橋公園には、人が溢れていました。
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といっても、銀座にある小さな公園ですから、500人くらいかな。

「普天間基地の即時返還要求」
「辺野古を含む沖縄県内での新基地建設反対」

これが今日の集会の主旨。
ということであるならば、デモの先導車に「アンポをつぶせ」という横断幕を貼る必要があったのでしょうか。
先導車
「現状では日米安保条約の存続は致し方ないが、先の主旨には賛同する」という考えの人たちも、たくさんいると思うのです。「いや、安保の存在から問い直さなければ、根本的な解決にはならない」、それはよく理解しています。でも、今日ここに集ったのは、少なくとも普天間基地を縮小に向かわせ、辺野古で新基地の建設させないことが、緊急の課題だからではないのですか。大きな岩を、動かし始めるチャンスだとお考えではないのですか。
かつての学生運動は、理念の微妙な違いが原因で、憎しみまで伴って分裂していきました。同じ轍を踏んで欲しくはないのです。

デモはゆっくりと動き始めます。
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何故だか分からないのですが、涙が溢れてきたのです。
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でも、やっぱり言っておきたいことがあります。
デモの中では、あちこちでハンドマイクを持った人たちが、思い思いの主張をしています。

ある人がこう言っていました。
「今日、沖縄では3万人の集会が行われています……」
確かに沖縄の県民大会の主催者は3万人を目指すと語っていました。しかし、今この時、同時に始まっている沖縄の大会に何人集まっているのかなど分かるはずもない。
また、他の人は……
「沖縄では10万人が……」
それを言っちゃだめなんだ。公の場での自らの発言には、それなりの裏付けと、そして自分の発言に責任を取る覚悟が必要なんだ。こんな無責任なアジテーションなどいらないんだ……
 ⇒このことを危惧していた一週間前のブログ記事

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行進に遮られて左折できない車がイライラして、クラクションを暴力的に鳴らします。見ると、サングラスをかけた若者が、助手席の女の子と一緒に、こちらを睨んでいました。

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ありがちな街頭宣伝車もなく、通りすがりの人々は、特に興味なさそうに、デモに一瞥を与えるだけ……
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人々の目を引くためには、アジも必要なのかなあ……

デモは、有名な、かの“わしたショップ”の前に通りかかります。
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店内は、お客さんで大盛況です。
しかし、店員さんも含めて、誰一人としてデモに関心を示す人はいません。
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沖縄から観光に来たと思しきアベックのふたりも、振り返ることはありませんでした。

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都会では 自殺する 若者が 増えている
けれども 問題は 今日の雨 傘がない

でも、人のことをとやかく言えた義理ではないのです。
僕は、デモから離れて、新橋演舞場に向かいます。そうしないと、開演時間に間に合わない。もし、その予定がなければ、はたして僕は、今日ここへやってこようと思ったかどうか、あやしいものです。沖縄が変わることができずにいる原因が、この僕の中にもあるのです。
(文責:高山正樹)

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傘がないこと

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tag: 日の丸  辺野古  普天間基地 

森口豁inBar“土”vol.2【玉川大学】と【都立駒場高校を中退して大検】

沖縄に来た時は連絡する、それがBar“土”のごうさんと交わした約束。だから羽田で飛行機に乗る直前、ごうさんにメールしました。そしたら「今夜なら那覇にいる」との返信が来た。ということで、真喜ちゃんとの食事を終えて、金城君を誘って“土”へ行きました。

今日の“土”は、2階のギャラリーで「森口カフェin那覇」というイベントが開催されていました。元日本テレビの沖縄特派員でもあったジャーナリストの森口豁(かつ)さんが制作した映像作品を鑑賞し、その後、森口さん御本人を囲んでゆんたく(おしゃべり)するという企画です。今回はその第2回目、題して「人類館の舞台に立つ青年の足跡をたどるドキュメント」。

森口豁さんは1937年生まれ。森口さんがテレビ番組のために制作したドキュメンタリーは29本にのぼります。少ないですか? いえいえ、どれもこれも重い題材ばかり。そんな企画を中央のテレビというメディアに供給し続けることがどれほど大変なことであったか、想像するに難くありません。

この夜の「森口カフェin那覇vol.2」では、その中から、演劇集団「創造」の伝説の舞台、「人類館」の初演で調教師役を演じた内間安男さんを追い続けた『沖縄の十八歳 』シリーズの中から3本が上演されました。

第一作の「沖縄の18歳」は、沖縄の「祖国復帰」に先立つ1966年の作品。当時コザ高校の3年生だった一人の少年に焦点を当てたドキュメンタリーです。復帰を望んでデモにも参加するその少年の名は内間安男。
「熱い長い青春・ある証言から」(1972年)では、高校卒業後タクシーの運転手となった内間青年の目を通して、復帰しても何も変わらない沖縄の苦しみを見つめていきます。
まさかこの青年が、それから数年後、「人類館」の舞台に立つことになろうとは、森口さんはもちろん、内間さん自身だって知る由もありませんでした。
そして1978年、内間安男というひとりのウチナーンチュを、自分と重ね合わせるように追い続けた森口豁は「一幕一場・沖縄人類館」を制作します……

“人類館”の作者・知念正真氏の思いに関する記事
“人類館”初演時の台本についての記事

是非ともこの三作目を見たかったのですが、遅れて“土”に行ったバチが当ったのでしょうか、映像のトラブルがあって上映順が変わり、残念ながら第二作しか見ることが出来ませんでした。

上映が終わると、静かなゆんたくの時間。
森口豁さんです。
森口豁さん
まず森口さんのお話があって、そのあとお客さんから森口さんへの質問があったり、やがて森口さんの映像に触発された皆さんは、それぞれいろいろな思い出話を話し始めました。

復帰の頃、佐藤栄作首相が沖縄に来た時、歓迎のために振る日の丸を作るのが小学校の宿題だったという女性、復帰から6年経った1978年の7月30日(いわゆる「ナナサンマル」の時)、車がそれまでの右側通行から左側通行に変わったため、海へ行く道の右側にあった釣具店が、帰り道になってしまってたくさん廃業したというお話をされた男性、どれもこれも興味深く聞かせていただきました。

皆さんのいろいろな話を聞いていたら、やっぱり3本とも見たかった、見なきゃいけなかった、という気持ちになりました。
ねえごうさん、今日はちょっとお客さん少なかったから、11月に津嘉山正種さんの「人類館」が“国立劇場おきなわ”で上演されるはずだから、その時また来るから、それにあわせてもう一回この作品の上映会をやってくれないかなあ。国立劇場のお客さんにも宣伝してさあ。
津嘉山正種「人類館」沖縄公演のこと

イベントが終わって、久しぶりにごうさんと話をしました。
“土”のギャラリーでの様々な企画は、最近沖縄で密かに話題になっている、でも採算を考えると大変らしい。そりゃそうだよね、お客さんからお金取らないんだもん。

帰り際、ごうさんが「これ読んで」と壁に貼ってある詩を指差しました。
9.11の時に書いたんだって。
ちょっと長いけど画像を載せちゃおう。
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「ここのギャラリーでさ、何かやりたいことがあったら、早めに企画出してよ」
わかった。そうだよね、真剣に何か考えようと思っています。そのときは、よろしくです。
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でも、宇夫方路の夜は、まだ終らない……
(報告:宇夫方路、執筆:高山正樹)

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tag: 日の丸  人類館事件  沖縄(2009年秋)  沖縄の呑食処.Bar土  都立駒場高校_  こんな人あんな人_ジャーナリスト.森口豁  沖縄_沖縄の人.在住ヤマトゥンチュ.ごうさん 

“Bar土”と知花昌一さん(6月の沖縄18)【沖縄通信 No.4】

“Bar土”がランチを始めたことは知っていました。100店シリーズの「昼ごはん夜ごはん」にも掲載されました。となればなんとしても行かねばなるまい、というわけで、沖縄に着いた日にごうさんに電話をしましたが、その時は繋がりませんでした。
そうしたら、昨日の夜になって、ごうさんの方から電話がかかってきました。
※お昼の土は9月をもって終了しました。残念。(9/30追記)

「携帯のデータが飛んじゃってさ。今、沖縄にいるの?」
「明日帰るけど」

帰りの飛行機の時間は19:30。じゃあ4時頃なら会えるねということで、今日、特別に早い時間から店を開けてくれて、ごうさんが出てきて待っていてくれました。
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特別に、食事も出してくれました。
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ごうさんがM.A.P.after5に初登場した時、ごうさんは「のんさん」でした。「のんさん」が「のんさん」を辞めたという話は聞いていないので、きっとまだ「のんさん」でもあるのでしょうが、表の世界での通り名は「ごうさん」のようです。

ごうさんは、最近、読谷に引っ越しました。夜のお店の営業は大西君に任せて、しばらく自分はお昼だけ出てきていたようですが、それも今は人に任せてしまいました。
ごうさんはいろいろと考えているようです。読谷で土を耕すこと。また“Bar土”での企画も盛りだくさんで、そのたんびにごうさんはお店に出てきて遊んでいるようです(失礼)。
大西君によると、“Bar土”は、今、沖縄で何かと注目されているのだそうです。でも、いったいどういう種類の人たちに注目されているのかなあ……

どんな催しを企画しているのかは、“Bar土”のブログでも覗いてください。
例えば、あの「日の丸事件」の知花昌一さんが、島唄を歌っていたり……
http://tsuchi2009.ti-da.net…
ちなみに、僕は知花昌一さんについて、ちょっとだけ書いたことがあります。
http://lince.jp/mugon/okuba…

ごうさんが知花昌一さんと初めて会った時に、知花さんから聞いた話を、ごうさんは「mixiという場所」で書いています。mixiという閉じられたところだけじゃもったいないから、ここに転載させていただくことにしました。
(まあ、ここで紹介しても、どれほどの方に読んでいただけるものか、あやしい限りですが、少なくともここは署名入りで全世界に公開しているわけで、それが、理念としてmixiとは違うのだと言いたい訳です。あれ、でもそういえば、ごうさんのほんとうのなまえ、知らないや。)

【沖縄通信 No.4】(from ごうさん)
あれは、高校国体が始めて沖縄に呼べると喜び、沖縄中で盛り上がってたんですね。
開催県は全ての種目にエントリー出来るので、必ず総合優勝出来るんですよ。
沖縄を総合優勝させることによって、大和に対する劣等感を払しょくさせ、自信をつけせるチャンスだったんです。
読谷村もその会場の誘致に懸命で、やっとその夢が実現する運びになりました。

しかし、大きなネックになったのが、国旗掲揚でした。

読谷村では4カ所で集団自決しているんですね。
僕が調査した「チビチリガマ」では85人が死に、83人が集団自決です。
そのうち12歳以下の子供が47人を占めています。
とても自分で死ぬことはできないわけで、その子たちは、お母さんに殺されたのです。
調査していて「あなたたちにはわからないかも知れないけど、当時はそういう教育だったんだよ」という話をある生き残った母親から聞きました。
降伏するくらいなら自決せよという軍国主義教育が母性さえ奪ったんだと思います。
沖縄戦は実は戦争が終わった後の9月7日まで散発的戦闘が続きました。
“最後の一兵まで戦闘せよ”と指令されていたからです。沖縄は、米軍の本土上陸を長引かせるために、まさに捨て石にされたのです。
また、戦闘の最中の5月に出た日本軍指令で、沖縄語をしゃべった者はスパイとみなして処刑されました。
こうした日本軍による住民虐殺や集団自決の象徴となったのが日の丸・君が代です。

当時、読谷村は村長も日の丸掲揚に反対していたし、議会でも日の丸強制反対決議を採択していたんですね。
国体のソフトボールの会場でも当初は掲揚しないことになっていた。
しかし、日本ソフトボール協会の会長が「日の丸・君が代をやらないのなら国体を他府県に移す」と言って紛糾したんです。
話し合いを重ねて妥協案が決まりました。
普通、旗のポールは5本だけど、6本目のポールを作って、その端っこに日の丸を立てる。
その反対側の端っこには非核宣言の旗を立てる。
メーンポールには国体旗を立てるというのが妥協案で開会式前日までこれで決まっていました。

村としても、がんばったんだし、端っこなら僕は焼くことはしなかった。
日の丸反対の横断幕を掲げるだけのハズでした。
ところが、当日になって協会長が「慣例なんだからメーンポールに立てろ」と強行したんです。
僕は、とっさにスコアボードに上って国旗を降ろし、燃やしました。燃やせば、もう揚げられないと考えました。
ところが、国旗に火をつけても、すぐに消えるんですね。
もう一度火をつけ、燃やすために火をつけた国旗を振りました。
そのことが、後になって、自分の行為を誇示したと見られ、裁判ではより重い刑が科せられる一因にもなったのですが。
スタンドから拍手喝采が起こりました。みんな、読谷村では当然のことと思ってたんでしょう。

その後、ぼくは逃げるつもりはなかったのですが、仲間が車を乗りつけ、逃げるんだ、早く乗れ。
と言うんで、成り行きでその車で家まで送ってもらいました。
家に帰り、妻に事情を話し、改めて警察に出頭しました。

以来、僕は「国賊」だと言われたりしましたが、本当に僕が国賊なら、僕の店はつぶれているハズです。
僕は30年間スーパーマーケットをやってきました。
日の丸を焼いた翌々日から右翼に店を襲撃され冷蔵庫を壊されました。翌年まで営業妨害を受けました。
でも、地域に支持されたから店はつぶれませんでした。
8年間闘って、裁判には負けました(一審で懲役1年執行猶予3年、二審で控訴棄却)けど、大変満足しています。
日の丸が大変な旗だということを全国で話すことができました。
日本人は、戦争で日の丸が果したことについてケジメをつけないとダメですよ。
それで新たに国旗を制定して日の丸が国旗になるのなら構わない。
でも、国旗が国内向けに必要なのでしょうか。旗というのは識別表示の記号であり思想を明示するものです。
船舶に立てたり、在外の大使館に国旗を立てるのは記号として当然です。
しかし、それが国内で自国民に向けて振られる時というのは、国が外へ出て行く意思表示をしている時、すなわち戦争につながると思っています。



M.A.P.としては、知花昌一さんの考えを全面的に支持するものではありません。というか、いかなる立場も主張することはいたしません。
また、ご紹介した文章の事実関係等を検証したわけでもありません。
あくまでも、“Bar土”のオーナーである「ごうさん」が、実際に知花さんとお会いして、そしてごうさんの頭の中に記憶された知花さんの話を、ごうさんが誠実に書き綴った文章があって、それをここに転載させていただきたいと思ったということであります。
(快く許してくださった「ごうさん」に心から感謝いたします。)
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ありがとう、そしてご馳走さまでした。

とまりんでレンタカーを返却して、空港へ向かいます。
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インターネットにある膨大な情報、その有効性を疑うものではありません。でもその恐ろしさを、この旅では考えさせられました。
あることを検索した結果、上位100個の記事全てに同じようなことが書かれていたとしたら、それを正しい情報だと信じてしまうのもいたし方ないことかもしれません。そしてその情報を、また自分のブログに書いたりしてしまいます。ところが実は、100個の情報の出所はたったひとつで、異論は101個目に押しやられている、しかし本当はその意見のほうが真実に近いということもよくあるのです。
間違っているかもしれない情報を、正しいものとしてしまうことに加担しないよう、あらためて肝に銘じています。

我々の過去の記事の中にも、安易に書いてしまった文章があるかもしれません。もし気づいたことがおありになりましたならば、是非ともご指摘くださいませ。

tag: 日の丸  沖縄の旅_2009年6月  100シリーズ  ごうさん  知花昌一  沖縄の呑食処.Bar土  沖縄_戦争・基地など.(その他)