2018年10月27日(土)23時41分
「初心」を見つけに南部へ


※三日後に、どうしても帰る前に呟こうと思って呟いたこと。
土曜日は、初心に帰って南部を廻る。今から30年前、今は亡き義父に案内された旧海軍壕跡。変わらぬモノ、変わったコト。帰ったら、落ち着いて考えてみる。 pic.twitter.com/TcOHrb1Vnq
— 高山正樹 (@gajumui) 2018年10月29日
アメリカの人なのかな。


三月に前田高地に行った時も、やはり米軍族関係者と思われる外国人が多かった。ただあの頃は、映画ハクソーリッジが公開されていたから、きっとその影響なのだろうと思った。だがたぶん、30年前にここを訪れたあの時代に較べれば、今は、沖縄の戦跡に対するアメリカ人の興味ははるかに増している、そう思えて仕方がない。
しかし、それがいいことなのかどうか、アメリカンビレッジのハロウィンに感じたのと同じ思いに駆られるのだ。
この土産は、いったいどういう人が買って行くのだろう。


定番の戦跡へ。


修学旅行生たちが大挙してやってきた。


少し安堵している俺がいた。


ひめゆり。

ひめゆりの塔には、10年前に寄ったことがある。しかしその時は、お土産のシーサー以外一枚も写真を撮っていない。それほど、僕にとっても、当たり前すぎて興味のない場所になっていたのだ。
平和祈念資料館。

摩文仁。

30年ぶりの「初心」
本当かな。ボクは考え続けていた。
tag: 日の丸 沖縄の旅_2018年10月 ひめゆりの塔 旧海軍壕 平和祈念資料館
2017年08月10日(木)23時07分
大盛況じゃないか
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-4599.html
大盛況じゃないか。よかったね、真由美さん。 pic.twitter.com/YKCnrknzUb
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年8月10日
でも、主催である「こまえ平和フェスタ」のイベント会場でお見掛けするような方々は、僕はこの日まったく見つけることが出来なかった。義理で来ている関係者以外には。
この画像(↓)はTwitterには使わなかった。日の丸嫌いだから。

もしかしたら「こまえ平和フェスタ」のお客様は、日の丸が嫌いだから来なかったのかな、なんてね。

打ち上げはミートステーション。
狛江自民党市議の篠ちゃん(ボクと日の丸のことで大喧嘩した男だw)と、それから、え~と、え~と、知る人ぞ知る人達らしい。今回、こんなに人が集まったのは、この方々の力が大きいらしい。

ツノダヒロカズ(ちょんまげ隊長ツンさん)
シンディー(ものまね芸人)
ロック総統(元電撃ネットワーク、サッカー文化革命家)

やっぱり「原発対話の会」のような懇親会にはならなかった。ほとんど、サッカーのハナシ。
やっぱり、イベントの最後に一言、喋らせてもらうべきだったと、退出時間を気にして遠慮するべきではなかったと、僕はホントに後悔したのだった。
2017年07月24日(月)23時46分
真由美さんが実現させた“ツンさんの福島支援報告”
御紹介するのは、平和フェスタ2017の関連企画です。
Facebookで、平和フェスタの実行委員のひとり、この企画に理解があると思われる大熊啓さんがイベントを立ててくれましたので、まずはその記事から転載します。
ツンさんの福島支援報告
主催: こまえ平和フェスタ
こまえ平和フェスタ2017の関連企画として、この間こまえ平和フェスタの展示コーナーで活動が紹介されていました、「ちょんまげ隊長ツンさんの福島支援」について、ツンさんご本人を招いてお話をうかがう場を設けました。
ドキュメンタリー映画「MARCH」の上映と合わせて、ツンさんより、福島の今も伝えていただきます。
2011年3月の東日本大震災、福島第一原子力発電所の事故以降、こまえ平和フェスタでは「戦争によって壊される平和」だけでなく、「自然災害や事故により壊される日常(平和)」についても、展示や講演などで取り上げてきました。
7月30日のこまえ平和フェスタと合わせて、ぜひこちらの企画にもご参加をお願いいたします。
この企画、知り合いの井上真由美さんがずっとやりたいと思っていたもの、僕もそのことは知っていました。それが狛江平和フェスタという狛江の大きなイベントの一環としてやれることになったと聞いて喜んでいました。ところが、実行委員の方々は皆様忙しいらしく、この企画は真由美さんひとりで進めなくてはいけない状況になったと知って、それならばと、特に当日の映写など、できるだけ協力して差し上げようと決めました。
あらためて…
ちょんまげ隊ツンさんの被災地報告会&MARCH上映会
日時:8月10日 18時半開場 19時開演
会場:狛江市立中央公民館2F講座室
入場無料
※ツンさんから送られてきた狛江用のチラシです。

※ツンさんのプロフィールと、MARCHについての詳細は、この記事の最後にあります。
【追伸】
ゲストのおしらせです!
ロック総統(元電撃ネットワーク、サッカー文化革命家)
シンディー(ものまね芸人)
いったい何が起きるのだろう…
ツンさんから送られたチラシを元に
平和フェスタの方が作った狛江用のチラシ…

これを印刷する時は、白黒にするようです。ボクはこのチラシと元のチラシを較べて見て、はあ、もしかすると平和フェスタの方は、日の丸が嫌いなのかもしれないと思った。
もしもそうだとすると、実はこの僕も、その気持ち、分からないではないのです。いや、むしろよく分かる。
2010年の六月、あの大震災の前年のことですが、僕はブログにこんなことを書きました…
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-1634.html
そんな日の丸のことは、真由美さんにも伝えました。だから、この話はもういいだろう、と思っています。
もしかすると、まだまだ線量の高い被災地に子どもたちを集めるような、そんなこと絶対にあってはいけないのだと、そういうふうに考えて、この映画を見る前から判断している人がいるかもしれません。そんな人に、是非読んでいただきたいブログがあります。これも震災の前年、5月の記事です。やはり、日の丸がらみのことなのだけれど…
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-1585.html
このイベントは、なんとか「原発対話の会」と合わせて告知したかったのです。でも結局、間に合いませんでした。そのことを23日、呟きました…
@komakomachi 24時を回る前につんさん(@tsunsan)のイベントを告知したかったのですが、間に合わず。ゴメン。「違いは最後の岐路を右に行くか左に行くかあるいは立ち尽くすか、その選択にしかない」それは“原発対話の会”と同じ、だから一緒に告知したかったのだけれど…
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年7月22日
誰もが安全を信じ切って戻ってきたわけではありません。本当にいいのだろうか、みんな悩みながら選んだことなのです。そんな人たちに、ここ狛江から思いを馳せてみようよ、そんな真由美さんの思い。
もうこれ以上語るのはやめましょう。
というか、きっともう語りすぎです。





イベントが終わったら、懇親会あるのかな、「原発対話の会」みたいに…
2015年09月13日(日)23時31分
日の丸のことを考え続けている
ある方から「アメラジアンなのです」と告げられた。僕のTwitterでも読まれたのか、もしそれで、この人なら話せるかもしれないと思われたのだとしたら、僕にとってこの上なく光栄である。ただ、その方の思いは、単純ではないかもしれない。僕は、ひたすら謙虚に、想像するのみである。
— 高山正樹 (@gajumui) 2015年9月13日
お昼を金城さんと一緒に食べた。アメラジアンの話になった。金城さんは自分の土地から強制的に追い出されたという伊江島の話をしてくれた。そうした人々の悲しみに対して、今の日本国は誠実ではない。そこで沖縄振興予算を持ち出すなら余りに無知。 http://t.co/BPS534K49p
— 高山正樹 (@gajumui) 2015年9月13日
沖縄ばかりではなく、「アイヌ」「部落出身」「在日」、移民認定されない人々、そんな知り合いがたくさんできた。その方々の殆どは、堂々と自分の意見を述べ、多くの人に支援もされ、発言する場を持っている人たちである。だが、僕が君たちに伝えたいのは、そうした人たちのことではない…
— 高山正樹 (@gajumui) 2015年9月13日
ひっそりと静かな思いを抱え、日の丸や君が代にどうしても深い悲しみを呼び覚まされてしまう人たち、寄り添おうとしても拒絶に出会い、それでもなお他者を想像する努力を自らに課せば、僕はやはり、国家とは関係のない催しで、日の丸や君が代を受け入れる気持ちにはならないのだ。 @gajumui
— 高山正樹 (@gajumui) 2015年9月13日
日の丸や君が代に対する理不尽な敵意についててはなく、日の丸や君が代から呼び起こされる悲しみが、世界中から消えるような奇跡の日が来れば、僕はアナーキストであることをやめ、日の丸を掲揚し、君が代を斉唱することができるようになるのかもしれない。個と組織という本質的な課題は残りつつも。
— 高山正樹 (@gajumui) 2015年9月13日


tag: 日の丸
2015年09月11日(金)23時54分
日の丸のことを居酒屋で議論したら…

この日のことを次の日に呟いた。
痛い話。ひとつ目。
— 高山正樹 (@gajumui) 2015年9月12日
とある年配の社民党の地方議員…
「社民党議員団は福島第一原発の視察には行かない。なぜなら放射能が恐いから」
これは狛江の社民党市議の発言。
そして…
ふたつ目の残念。国際的催しや代表チームのユニフォームに国旗を使用することと、国である徽章が不要な場面で国旗を掲揚することの異質性を理解せず、国旗を嫌悪することと国旗を掲揚したい気持ちを、単なる個人的嗜好の違いで片付ける。私的領域の理屈を、公の場にも持ち出す政治家の詭弁。
— 高山正樹 (@gajumui) 2015年9月12日
仮に個人的嗜好なら、嫌悪する人の気持ちに寄り添うべき。つまり煙草と同じ。自分の家での喫煙は自由だが、公共の場では禁煙。吸う吸わないは青色が好みか赤が好みかの違いとは本質的に違う。 @gajumui
— 高山正樹 (@gajumui) 2015年9月12日
だが、本質は別にある。たぶんこれは、個と全体という地平で考え始めなければならないのだろう。国旗に対する思いは、ここではじめて個人的嗜好の問題として捉えることも可能となるが、その「嗜好」の根を自覚的に考察する義務が、社会を構成する人員にあると確信するのだ。 @gajumui
— 高山正樹 (@gajumui) 2015年9月12日
そこから先、国家や国旗について、論理的帰結が否定的なモノになるはずだなどというつもりはない。少なくとも、議論の出発点はそこでなければならないはずだと言っているのみである。 @gajumui
— 高山正樹 (@gajumui) 2015年9月12日
tag: 喜多見_居酒屋.桃次朗食堂 日の丸 篠浩司 狛江市議会議員
2012年05月16日(水)23時59分
哲っちゃんには会えなかったけれど(5/16のツイートまとめ)
ubukatamichi
沖縄関係ライブで有名な小岩の“こだま”、そこで今月25日渡久山英男さんのライブがあり、私は雑踊りの“貫花”と古典の“本貫花”を踊ります。沖縄古典音楽をライブで楽しんで貰おうという渡久山さんの試みがいよいよスタート。私もずっとお手伝いさせていただく予定です。ライブ詳細はいずれ。
05-16 10:39ウクレレの上手な人のフラメンコギターみたいな右手の動きって、三板を叩く手の動きに似てるなあ。
05-16 10:44gajumui
停滞していたゴフマンの「人間と放射線」についてのツイートを再開しようと思いたった。今までのゴフマン関連の呟きについては、ツイートが転載されるブログで、タグをつけて該当記事だけ見ることができる。http://t.co/ftnpPPug
05-16 15:02ゴフマン「若年被曝の大きな危険度を見えなくしてしまうやり方の一つは、各年齢群をすべてあわせてガン誘発率を計算し、若年被曝の効果を薄めてしまう方法である」←これ、この期においても、相変わらず行政の放射能関連チラシに見られる常套手段である。
05-16 15:06ゴフマン「若年の高感受性を軽視してしまう一方、老年の低感受性を過大視してしまう」、すると「それは違う、影響はガンだけではなく、突然死とか…」と忠告されるが、判断できずにいる。それは次の課題。悠長だと批判されても、僕には手間かけて学ぶことしか出来ない。間に合わず死んでも仕方ない。
05-16 15:33メールが来た。だからこれから、久しぶりに、きっと元気になった哲っちゃん(斉藤哲夫氏)に会いに行きます。「そうさ、今日はいい天気だから」、ね。でも、吉祥寺じゃなくて高円寺だけどさ。
05-16 16:16 しかし、残念ながら哲っちゃんと会うのはまた持ち越しになった。でも、それでいい。いつかきっと、すっかり元気になった哲っちゃんと会うのがいい。40周年記念の日から一日ズレた今日、何故かこの歌が聞きたくなった。きっと哲っちゃんに会えなかったから。/斉藤哲夫「日 の 丸」.wmv
僕のブログの「斉藤哲夫」のカテゴリ→ http://t.co/ZbjUsFwc
05-16 23:55
だからというわけでもないのだが、時間ができたから、下北沢あたりで飲む時間ができたわけで。特に報告するようなことではないが、ちょっとトッペイがいじらしかったのだ。
犬は飼い主に似るという話。


日の丸を背に君が代は 千代に八千代なれども
我がジジババは 感激の涙にくれ
我が心何の感激もわかず
さてさて 日の丸とはいったい何者であるのか
2010年10月17日(日)21時45分
喜多見氷川神社御輿巡幸
⇒M.A.P.三線教室のブログ
そしてそのあと、喜多見の氷川神社に向かって出発したんだ。
昨日のこと、佐藤さんに電話をした。え?佐藤さんて誰だって? 8月28日に“ばりき屋”で出会った佐藤優さんのことさ。そしてお祭りに行くよと言ったんだ。そうしたら佐藤さん「うれしいなあ」と答えてくれたんだ。まさか一ヶ月以上も前に飲み屋でちょっと話したことを、ホントにするなんて佐藤さんは思っていなかったのかもしれない。
そうか、神輿巡幸はお昼ごろ喜多見の商店街あたりを出発したらしい。もう夕方の5時だが、神輿はまだ神社には到着していないらしい。でもルートがわからないから、どこからか聞こえてくる賑やかな声が頼りだ。
そして追いついた。どうやらここで小休止するらしい。
後で知ったのだが、こうやってところどころで休みながら神社に向かう。休む場所も決まっているらしい。
佐藤さんを見つけた。
さあ、こっちきなよ、と、お呼ばれになった。
佐藤さんのふんどしはアンパンマン。
このご近所のお母さんたちの手作りおしんこ。
ただの見物の僕らが、頂いてしまっていいものだろうか。これも全て佐藤さんがいるからこそなのである。
これが最後の休憩。そしてここから神社までが担ぐ男の晴れ舞台。ちょいと数年前までは、背中にお絵描きした連中がいっぱいで、担がせろ担がせないの喧嘩が起きたが、今は、だいぶおとなしくなってしまったらしい。
お祭りは本来どこだって何月何日と日付が決まっていた。しかし今はその何月何日に一番近い日曜日みたいなことになっている。
「軟弱になった」
今でも日にちをきっちり守っているのは、府中の大国魂神社と深川だけなんだそうな。神輿を担ぐために生きていると言った深川の天ぷら“片山”のご夫婦を思い出した。
浅草の三社祭りはどうなんだろうと思ったら、年々「や」の関係の方々がどんどん多くなって、去年あたり神輿に上って担ぎ棒を壊したらしい。住民の人たちが祭りを地元に取り戻そうと、彼らを排除することにしたという。まあ僕みたいな素人には、お祭りになったら誰が「や」で誰が地元の兄ちゃんなのか、ちっとも区別はつかないだろうけど。
大人が飲んでいる隙に、ここぞとばかりにちっちゃな女の子たちが神輿にぶら下がっていた。
将来が楽しみ。
いよいよである。佐藤さん、定位置へ。
いざ出発。
佐藤さん、顔つきが違う。アンパンマンのふんどしをしているとは思えない。
そうだ。これは神事なのだ。
間もなく、氷川神社である。
神社では神輿の到着を待っている。
そこへ……
いよいよクライマックス。宮入。
しかし、そう簡単にはいかない。神輿がまっすぐに本殿に向かってこなければ、佐藤さんともう一人が神輿を追い返す。それが何度も何度も繰り返される。
必ずしも担ぎ手は神輿をまっすぐに進めようとしているわけではない。むしろあえて曲げようとする。なぜなら、担ぎ手は今この時が至福の瞬間、いつまでもいつまでもこうして遊んでいたいのである。そして全ての人が、もういいだろうと、暗黙の了解をした時、神輿はまっすぐにお宮へ向かっていく。そして神主さんが柝を打てば、宮入が許された合図である。
何度でも言う。これは神事なのだ。
急遽誘った中真水才クンがちょっと遅れてやってきた。沖縄にはこういう感じの祭りはない。だから気になっていたという。でもこんな大きなお祭りだとは思わなかった。彼は来年、必ずこの祭りに来ることだろう。
担ぎ手たちはもう酒を酌み交わしている。佐藤さんは僕たちのために席を作ってくれた。
ただ物見遊山で来ただけで、普通はこんなところに座って酒を頂くことなどできるものではない。これも佐藤さんの力だ。たった一度、居酒屋で出会って飲んだだけのに。
やがて一気飲み大会(鉢洗いというのが正しい)が始まった。僕は健康ゲーム中。死ぬからやめろと止められた。代わって宇夫方路が行く。
水才も行く!それに佐藤さんが付き合う。
佐藤さん、何杯目?
神輿に魅せられた男とその奥さんと男の子ふたり。
若き親父、一気やりすぎてもはや沈没寸前。奥さん曰く「あきらめてます」。このあと奥さんは、三人の子供を連れて帰っていった。
だいぶ記事が長くなったので、続きは次の記事で書く。ただその前に、語弊を恐れず、ちょっと思ったことひとつだけ……
ここは浅草でもなければ深川でもない。世田谷のはずれ、喜多見である。そこで、たくさんの神輿を担ぐ若者たちに出会って、日本の根っこは、ここにあるのかと思い知らされた。
そして、とても言いにくいことなのだが。
大和の若者たちと祭り。暴走族、日の丸、非合法組織、神道、天皇、……、今、僕に見えているこの連なりは、幻覚だろうか。
その連なりに、沖縄を繋げようとする人々、断固拒否する人々。
お互いの文化を理解し尊重し合ってこそ真の友になれる、というような尤もらしい言葉のマヤカシ。
ここは浅草でもなければ深川でもない、世田谷のはずれ、喜多見なのである。

そして、裏には色んな話が(例えば派閥とか…)あるに違いない。

⇒「喜多見氷川神社御輿巡幸その2」へ
2010年07月22日(木)06時06分
辺野古の前に(1)【日米安全保障条約50周年記念イベントの画像】
※この記事は、実は8月13日に書いたものである。
沖縄ツアーの記事がなかなか書けずに、ようやく21日のご報告まで書き終わって、いよいよ22日というところで、ハタと止まった。22日は、朝、辺野古に行ったのだが、その報告をする前に、面倒な記事をふたつばかり書かなければならない。
ひとつめ。
6月26日、僕は宜野湾市長伊波洋一の講演を聞きに行った。そして記事を書いた。
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog…
その中で、サンディエゴ市の上級政策補佐官が、普天間飛行場受け入れを示唆している、という話をご紹介した。そして、その話には補足が必要なので、その時、ちょうどサンディエゴに行っていた宇夫方女史が帰ってくるのを待って、現地の情報を加味してあらためて書くと言った。その「ひとつめ」がまだ書けずにいる。
宇夫方路は6月29日に帰ってきているのだから、もうひと月半になる。それなのに、約束した記事が書けないのには理由がある。
僕は宇夫方女史に、はたしてサンディエゴの一般の住民たちは、基地のことをどう考えているのかということを聞いてきて欲しいと連絡をしたのだ。その実際に現地で聞いた声が、僕が加味したいと考えた情報であった。しかし残念ながら、僕のメッセージが彼女に伝わったのは、彼女がサンディエゴを離れたあとだったのである。
そこで宇夫方女史の帰国後、サンディエゴでお世話になった日本人向けフリーペーパー“ゆうゆう”のスタッフ、Noriko_Sato_Sahara(佐藤紀子)さんに宇夫方のほうからメールを送ってもらって、このM.A.P.after5を御案内したうえで、僕が知りたかった内容を質問してみたのである。
佐藤さんからは「週末に記事を読んで、お答えします」という嬉しいお返事をいただいた。
しかし、結局未だにそのお答えが届かない。多忙な方なので、もしかするとお忘れなのかもしれないとも思ったが、催促のメールを差し上げるのは控えている。
僕の質問をお送りするよりも前に、佐藤さんが取材で撮影されたサンディエゴの6月の催し物の画像を、こちらのブログで紹介してもよろしいということで大量にお送りくださっていた。そのうちの“赤い靴像除幕式”の画像は、既に7月4日の記事でご紹介した。“少女像贈呈祝賀昼餐会”の画像は、それより前の6月28日の記事に追加でアップした。
大量の画像データをお送りくださったことに感謝し、また大変お手間を取らせてしまったのではないかと恐縮もしている。
しかし、そんな面倒なことをしてくださったにもかかわらず、その後の質問に対するお答えは届かない。もしかすると、とても答えにくい質問を僕はしてしまったのかもしれない。我々はできるだけ中立にと記事を書いているつもりなのだが、それでも反米反基地の傾向は否めない。あるいはそれがお気に召さなかったのかもしれない。
ともかくここで、佐藤さんが送って下さった画像データのうち、まだご紹介していない画像、“赤い靴像除幕式”の前日(6月26日)に開催された日米安全保障条約50周年記念イベントの画像をアップしておくので、どうかご覧いただきたい。
質問のお答えは、今少し待ってみようと思っている。
※そして11月12日に追記。
いくらなんでも、もうお答えはいただけないだろう。残念ながら現地の一般の方々の声は聞かぬまま、伊波洋一氏(今現在沖縄県知事戦を戦っている)の講演で聞いたサンディエゴの基地事情をご報告したいと思う。
サンディエゴの基地は(サンディエゴに限らずアメリカ国内の基地は全てということらしい)、市民の住居とは数十キロ離れていて(法律で決まっているらしい)、騒音や危険が市民に及ぶことは決してない。仮に決まっている距離以内に誰かが住めば、移動しなければならないのは基地の方だという。だから、基地を新たに作った場合、その周り数十キロの範囲は人が住んではいけないという法律をまず作るのだという。サンディエゴにおける基地と住民は、基地はただ市民に利益をもたらす存在として、いたって友好な関係にあるというのだ。そしてサンディエゴ市には、まだまだ基地を受け入れる余地があり、誘致した基地は、さらに市を潤すことになる。従って、サンディエゴは普天間の米軍基地の受け入れを表明したのだと。
そんなサンディエゴの市民たちは、遠く離れた沖縄の基地事情を全く知らない。「世界一危険な基地」と呼ばれる普天間基地の航空写真をアメリカ人に見せると、こんな基地が存在するなんて信じられないことだと誰もが驚くという。アメリカだったら、絶対に許されない基地だと。
僕は8月13日にアップした日米安全保障条約50周年記念イベントの画像に一切コメントをつけるのをやめることにした。この記事の「続きを読む」にアップした大量の画像をご覧になって、皆さんは何を感じるだろうか。このM.A.P.after5は、なかなかコメントしていただけないブログ、歯がゆいが、全てこちらの責任と、半ば諦めている。
面倒な記事のふたつめは次の記事で。
⇒次の記事「辺野古の前に(2)」へ
見ていただきたい画像は……
2010年06月30日(水)01時52分
日の丸を打ち振るう日本人たち
ワールドカップ日本対パラグアイ戦、間もなくキックオフ。
22時52分。
日の丸を先頭に、代表選手たちが入場してくる。
スタンドには巨大な日の丸。
ワールドカップが始まれば、きっと多くの日本人が普天間のことを忘れる、あるウチナーンチュがそう予言した。日本の活躍が予想外に続いて、その予言が現実になっている。
今、僕がそんな話しを誰かに言えば、間違いなく顰蹙を買う。
「それとこれとは全く関係がないだろう。日本人が日本のサッカー代表チームを応援しているんだ、それに水を差すようなことを言うなんて気が知れない……」
今夜の僕は、何故か当然のように日本を応援している。しかし、やはりこの記事を書かずにはいられないのだ。
30日。午前1時52分。
日本の敗北に落胆する若者たち。
日本人よ。日本のサッカーを応援するエネルギーの半分でいいから、沖縄の普天間のために使ってみて欲しいと思うのだ。そして、日の丸を打ち振る前に、日の丸に嫌悪する人々の思いを想像して欲しいのだ。
それから3ヶ月経って、日本はワールドカップのことも普天間のことも、すっかり忘れてしまったかのようである。
実は9月19日に、この記事を、そっと書いているのだ。
すでに、顰蹙を買うことすらない。
そして…
⇒社長とは呼ばないで「本当に書きたかったこと」
2010年05月26日(水)23時04分
西山正啓監督作品上映会第一夜【ゆんたんざ沖縄(1987年)】
さかさまだけど。
⇒明日のゴーヤーの芽へ
きみはずいぶんおっきくなったねえ。
けっしてないがしろにしているわけではないのだが。
⇒しあさってのゴーヤーの苗へじゃあ、いってくるね。
狛江市中央公民館、第4会議室にて。
〜その原点と今〜
【連続上映会】第一夜
ゆんたんざ沖縄(1987年/110分)
沖縄タイムスと琉球新報から最近の新聞がドッと届きました。
販売の準備もできました。
上映前、お約束の三線の演奏です。
ひとつのエピソード。
この日、隣の部屋では、近隣にお住まいのシルバー世代の方々が、囲碁を楽しんでいらっしゃいました。その中のお一人が、私たちの企画の貼り紙を見て声を掛けてくださいました。
「沖縄のことはとっても気になっていてねえ」
「そうですか、それなら是非ご覧になってください」
「この人たちは、日の丸に反対している人たちなの、ふーん。僕はね、日本人なら日の丸を大切にしなければいかんと思うんだ。」
そう言って、こちらの話は一切聞こうともなさらずに去っていかれました。
僕はここで、日の丸の是非について語ろうとは思いません。ただ、たとえば日本を愛し、素直に日本人として日の丸を掲揚できるようになりたいのだが、どうしてもそれができない、日の丸を強制的に押し付けられることを、どうしても感情的に受け入れることが出来ない、そういう人たちがいるのだということ、そして一番重要なことは、そういう人たちが、なぜそう思わざるえを得ないようになってしまったのか、その背景にある歴史を、まず知って頂きたいと思うのです。その上で、あらためて日の丸のことについても考えてほしい。
至極もっともらしく、自分の国の国旗に敬意をはらうのは当たり前だという単純な「モラル」を振りかざして、日の丸を見るだけで震えがくるほどにも心に深い傷を負っている人々の感情を理解することを、その入り口で拒否するような「日本人の良心」に、僕は疑問を覚えるのです。
「自分の国の国旗に敬意をはらうのは当たり前」だというなら、その前に、自国民をこれほどまでに長きにわたって他国の影響下に置いておくような国が、「当たり前の国」といえるのかということも、一度は問うて頂きたいと思うのです。
⇒知花昌一さんと日の丸のこと
本日の映画から。
ありし日の丸木位里さんです。
丸木位里・俊ご夫妻が“沖縄戦の図”(佐喜眞美術館所収)を書かれた際、実際に沖縄戦を体験された方々にポーズをとってもらって描いたという話は、何かで読んで知っていました。まさにその場面が、この映画の中に納められています。
上映会の総括は、第二夜が終わった後で。
別の総括(要するに飲んだよというご報告)なら毎日でも。
泡盛の封を開けたら、まずキャップに注ぎ、酒の神様に供える。
ハンサム・マーキーさんです。
こんなメンバーです。
僕も写りたい……
あらトミヒサさん。あんなにご自身のブログで辛辣なことをお書きなのに、UCLAのTシャツを着ちゃったりなんかして、それってあり?
シドロモドロ……
決してカツアゲされているわけではありません。
アヤシイ関係でもありません。
でも、叱られました。
「もっと早くからちゃんと宣伝しなくちゃだめだ」
ハンサム・マーキーさんについては、とても一言ではご紹介できそうにもありませんので、追々ね。
大槻紀子さんです。本日はお骨折り、ありがとうございました。
そして、お疲れさまでした。
tag: 狛江市中央公民館 日の丸 泡盛.(泡盛のこと) 知花昌一 大槻紀子 ハンサム・マーキー とみ久さん 西山正啓 沖縄戦 ゴーヤー栽培.2010
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- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-白石准の返信
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- 2019-03-15 MAP : 【田中寺公演】本番と打上げ-山猫ブログへのコメント転載3
- 2019-03-15 MAP : 【田中寺公演】本番と打上げ-山猫ブログへのコメント転載2
- 2019-03-15 MAP : 【田中寺公演】本番と打上げ-山猫ブログへのコメント転載1
- 2019-03-15 MAP : みそかです-山猫ブログのコメントを転載
- 2017-08-06 ひだまりのお話 : 久米明さんにお会いしました。《懐かしい過去たちに囲まれて》-街話§J街通信[95]酒舎かんとりぃ
- 2012-12-31 初老間近のしがない俳優の呟き : (まもなく)-実験は続く…
- 2012-12-10 M.A.P.after5 : 玄羽さんの送別会-沖縄芸人ライブ“ぱんみかす”(そっと内緒に追記して再投稿)
- 2012-11-20 M.A.P.after5 : 体育会系居酒屋-出ないなら出る練習をする
- 2012-11-20 M.A.P.after5 : お久しぶりです浅野さん!-出ないなら出る練習をする