FC2ブログ

630の講演会で

《7月2日(土)-1》
東日本大震災から113日目。

今日は大崎の沖縄語を話す会恒例の夏の宴の日。
 ⇒2009年7月4日の夏の宴
去年の夏の宴は知人の結婚式で出られず、今年は是非にと思っていたのだが、急遽思わぬオファーがあって、夏の宴の方を失礼することにした。

※後で聞いたことだが、今年の夏の宴には藤木勇人さんが来たとのこと。しょうがない。体はひとつしかないからね。しかし残念。

「630事件を忘れてはいけないという講演会で琉球舞踊を踊ってくれないか」
…と、オファーしてくれたのは“ゆんたくの会”の日高氏。
講師は去年と同じ、あの牛島満中将の御子息の牛島貞満さんとのことであった。
 ⇒去年の講演会の記事
 ⇒630宮森小学校米軍ジェット機墜落事件のこと
 ⇒「慰霊の日」と牛島満中将のこと

沖縄戦や沖縄の基地問題などの市民運動に参加する「内地」の方々は、総じて琉球舞踊のような今の現実の沖縄の文化にはあまり興味を持っていない。僕は常々、それでは沖縄の諸問題も、その表層しか見えないのではないかと思っていた。
(逆に、大崎の沖縄語を話す会は、ウチナーンチュが7割くらいだが、そこで基地問題が話されることは殆どない。例えば東京沖縄県人会では基地の話はタブーだとも聞いたことがある。)

いい機会である。どうせなら三線の演奏も、ということで参加させていただいた。
会場は明治大学のリバティーホールの教室。踊りの様子と三線演奏の様子はそれぞれの専用ブログにてご覧あれ。
 ⇒琉球舞踊の専用ブログ記事
 ⇒三線教室の専用ブログ記事

※各ブログ合体中。以下に、それぞれの記事を転載する。

琉球舞踊のブログから
明治大学リバティーホールで行われた講演会で踊りを踊りました。

宮森630を伝えるつどい
トモダチ作戦?それでも米軍基地はいらない
沖縄・宮森小学校 米軍ジェット機墜落事件から52年

52年前、沖縄県うるま市(旧石川市)の宮森小学校に、米軍のジェット戦闘機が墜落炎上した事件についての講演会です。

開会にあたりご挨拶をされたのが、明治大学現代史研究会の生方卓先生。
この先生、出身が岩手県盛岡なのだそうです。私が宇夫方という姓で盛岡出身と聞いて「親戚かもしれません」とおっしゃっていました。けど、名刺をいただいたら「生方」となっていました。
機会があったら、もう一度詳しく聞いてみたいと思います。

ご挨拶の後、「四ツ竹」を片野すゞ子さん、金城多美子さん、佐藤理恵さんが踊りました。黒田さんは残念ながら仕事になってしまって来られませんでした。
四つ竹踊り

その後、三線のメンバーの演奏、そして最後に私が「繁昌節」を踊りました。
繁盛節踊り

踊りの後、東京の小学校教員で平和活動をしていらっしゃる牛島貞満さんの講演でした。
三線のメンバーは聞けたようですが、踊りのメンバーは着替えがあるので残念ながらお話を伺うことはできませんでした。別の機会にちゃんと勉強したいと思います。
関りえ子琉舞研究所で一緒の佐藤美智子さんは宮森小学校出身。煙がすごかったという話しを聞いたことがあります。そういえば、今お休みしているけど、厚木教室の西里さんも宮森小学校出身だったはず。
同じ沖縄出身の人でも、那覇の方の小学校だった人は、この事件についてあまり覚えがないようです。
(宇夫方路)


三線教室のブログから
ゆんたくぬくゎいの日高さんからお声がかかって、7月2日、明治大学へ行きました。

52年前の6月30日、沖縄のうるま市(旧石川市)の宮森小学校に米軍のジェット戦闘機が墜落炎上し、死者17名、負傷者212名を出す大惨事がありました。墜落の原因が整備不良だったということが発表されたのは、事故から40年たってからでした。
この事件や「沖縄戦」をテーマに平和授業を実施してきた、東京の小学校教諭である牛島貞満さんが公開授業を行うということで、その公演の前に踊りと三線の演奏をお願いしたいというお話しでした。
トモダチチラシ

3月のつどいコンサートのようにみんなで弾いて踊りの人たちに踊って欲しいと思ったのですが、先生がどなたも来られないということで、無理はやめて、踊りはテープで踊り、三線は演奏だけということにしました。
今回の出演者は4名。
和情久美さん、上地直輝さん
三線演奏1
高山正樹さん、鈴木雄介さん
三線演奏2
「安波節」と「安里屋ゆんた」の2曲を演奏しました。だんだん上手になって行くのが楽しみです。

また、演奏前に高山さんが話された、何故ここで三線を弾くのか、という話しも興味深かったです。
(これ、誰が書いたのだろう。微妙に正確さに欠けるが…)


そのあと、牛島貞満さんの講演。
null
1959年の6月30日の17名の命を奪った米軍ジェット戦闘機の宮森小学校墜落事件も、沖縄でさえ風化しつつあるという。しかし、と僕は思う。沖縄戦で命を落とした住人(軍人を含まない)は10数万人を越える。これがいかに異常な数であるか、沖縄という小さな県だけで、今度の震災での死亡者行方不明者3万人の数倍の人が、天災ではなく、人の手によって殺されたのだということを想像すれば、実に空恐ろしくなる。そして終戦後も、さらには日本に復帰した後も、次々と繰り返される基地がらみの事件。宮森小学校墜落事件がどんなに理不尽な事件であったとしても、それは沖縄で起こった数え切れない出来事のうちのひとつのエピソードにしか過ぎないのだ。630事件の真実を知れば知るほど、そんな悲惨な事件にもかかわらず、沖縄では単なるひとつのエピソードにしかならないということに愕然とする。それなのに、何故「内地」の日本人がこれほど沖縄問題に無頓着でいるのか、「それは絶対に許されることではない」と大声で叫びたくなるのだ。

原発の即時停止を主張する者たちを、非現実的でヒステリックな馬鹿だと見下す経済学者や政治家は、これまで数十年間、原発で命を削っていた最下層の労働者を見ようともせず、中央から離れた過疎の町に原発を押し付け、遠い未来の子孫に廃棄物の処理を丸投げしている。彼らは、階級と空間と、そして時間における辺境の者たちに対する想像力を完全に失っているとしか思えない。

「2番じゃいけないのですか」
それどころじゃない。3番だって10番だって50番だってかまわない。某政治家が、今のこの日本の豊かさを子孫に伝えたいと、良き爺さんのように語れば語るほど、世界中にどれほど貧しい人たちがいるのか、その数は、豊かな人々よりはるかに多いという事実をどう考えているのかと聞きたくなる。日本が良ければそれでいいのか。僕が貧しい国の親であったなら、きっと殺意すら覚えるに違いない。

そしてそれは、日本が沖縄に対してしてきたことと重なるのである。沖縄は辺境であり続けたのだ。だが、「沖縄」と「原発」の辺境は必ずしも重ならない。棄てられた者は棄て去っていた者でもあり、棄て去られてきた者が今度は棄て去る。そして僕は、いつも辺境から遠く、棄て去り続けていたのではないか……

そう思うと、琉球舞踊の静かな歩みと、三線の音の違和感が、ひどく身に染みるのである。

会の後、お誘いを受けた。牛島さんはじめ、皆さんと色々とお話をしたかったのだが、生憎この後約束があって失礼することにした。きっと毎年おやりになるのだろう。来年こそは、大崎の夏の宴と重なることがないことを期待して。

だけど、来年、いったいこの日本はどうなっているんだろうなあ。

(※7月18日に追記)
菅直人、国内で脱原発を言い、リトアニアやベトナムやトルコには原発輸出。本当なら許しがたい。日本から見ればリトアニアもベトナムもトルコも辺境。

tag: 牛島貞満  宇夫方路踊る  日高  別ブログへ  藤木勇人 

蛇は大っ嫌い、にょろにゃんぴー


朝、本部のあるマンションの外階段を降りていくと、一階に入る鉄扉のところから、オレンジ色の蛇が十センチほど顔を出していたのです。
「ぐわー、ぎゃあほ、へびゃだ、でいや、ぼほー」
と、カバンからガサゴソとデジカメを取り出そうと慌てているうちに、奴はジリジリ後ずさり、消えてしまいました。
null
「あやや、間に合わなかったか。証拠画像なしで、この遭遇をどなたか信じてくれる人はいるだろうか。この気持ち悪さをひとりで背負っていくなんて、僕には不可能だ、にょろにんきゅー」
と、そこへ僕の大騒ぎを聞きつけて、管理人さんたちがやってきてくれました。
null
「あ、いるいる!」
なんと、暗がりの奥に光るふたつの目。しかしそれもつかの間、すっかり姿を消してしまいました。

この季節になると、毎年野川沿いの草を刈ります。そうすると、蛇がノコノコ、じゃないにょろにょろと出てくる、おー、ひひん。その一匹が、道を横断してやってきたというわけ。うにゃあ。3月11日の地震で、この古いマンションにも亀裂が入ったというのです。その亀裂の中に、にゅるりんと入り込んだらしい。うー、むにゃもにょん、びるうんぼー。

ここ、坂一個上がれば天下の成城ですよ。しかし、もう何があってもたいがい驚かなくなってしまいましたが、うにゅううう。

事務所へ。

ゴーヤーの種から芽が出てきました。
null
蛇の頭みたいだなって、ぐりいんぷー、よしなさいって。
土に植えたいのですが、時間がなかなかない。

日高さんが事務所にやってきました。
null
何の打ち合わせかは今のところミステリー。問題は我々が準備する時間を作れるかどうかです。
日高さん、被災地へ行くらしい。
僕も行きたいなあ、時間があれば……

東日本大震災から97日目。
「しつこいなあ、お前も」
「ああ、蛇のように怨念深く、いけるところまでいってみるさ」
因みに、僕、蛇は大っ嫌いです。うぎょー、また思い出した、ぞろぞろろんひゅう。

続きを読む

tag: ゴーヤー栽培.2011  松原通_居酒屋.あさの  日高  事務所の光景 

玄羽さんの送別会

《6月8日(水)》
東日本大震災から89日目。
5月23日の沖縄語を話す会に初めていらっしゃった玄羽さんですが、それからまだ一ヶ月ちょっとだというのに、広島に転勤ということで、もうお別れということになってしまいました。
null

玄羽さんはこれからたびたびM.A.P.after5に登場するという確信があったのですが、いやはや残念であります。
玄羽さんのことは後日たっぷりと追記することにしましょう。
null

酒菜で送別会です。
null
しかし、たとえ玄羽さんが広島へ行かれたとしても、どうもこのままでは終わりそうにない。
とりあえず、玄羽さんが広島へ発つ前に、もう一度会えることになりました。

しゃもじのたーにーに電話する玄羽さん。
null
え?しゃもじのなんだって?

では、今度は新宿で……
null

さて、もう一軒。

tag: たーにー  玄羽哲雄  日高  喜多見_居酒屋.酒菜  國吉眞正  ゆんたくの会 

東電の下請け作業員

東日本大震災から25日目……

地震以来、当ブログへのアクセス数が半分になった。東北地方からのアクセスは、ほとんどなくなった。

地震の前、僕は原発の記事を二つほどアップしていた。
 ⇒《電力中央研究所の中に原子炉がある(?)という噂》(2011/1/15)
 ⇒《日立と旧武蔵工大にあった原子炉のこと》(2011/2/3)
これらの記事を、いったいどのくらいの方が読んでくださったのだろう。被災された方々の中にも、もしかしたらお読みくださった方がいるのかもしれない。今読み返してみれば、なんともぼんやりした記事である。僕はいったい、どうしちまっていたんだろう。
2/3の「日立と旧武蔵工大~」の記事では、僕は原発で働く下請け作業員のハナシを、ひとつの「都市伝説」であるかのように紹介したのだ。真実に違いないと思っていたにもかかわらずである。「都市伝説」なんて言葉を使ってしてしまえば、きっと誰も耳を貸さない。僕は、いったい何に拘っていたのか。

また日高さんからメールが届いた。

山谷の食堂が閉鎖される前(閉鎖は1996年3月で私は93年1月から専従していました)のことです。福島原発の老朽炉をリニューアルする作業に従事して、放射能被曝で体調を崩して怖くなり飯場から逃げ出してきた日雇い労働者の話を聞く集会がありました。そこで驚くべき非人間的な労働現場の実体を知りました。
原発の燃料棒を抜きとった原子炉隔壁容器の中に、彼ら日本のホームレス労働者100人と、アメリカから黒人のホームレス労働者100人を、10~15人ずつ3分交代で入れて、原子炉内部の壁に分厚くこびりついたカス状の放射能酸化物を雑巾で拭き取らせるという話でした。
アメリカではロボットにさせる作業だが、コストを減らす目的から、身寄りがなく、誰からも文句を言われる恐れがなく、使い捨てにできる日米のホームレスを、簡単な短時間の仕事で高額報酬を払うという約束でかき集め、福島原発をはじめとする各地の過酷な環境現場で働かせていたという話。
手配師は暴力団系で、「60歳以下で住所不定の、家族との関係が切れて友人知人もいない孤立したホームレス」という条件で人を集め、飯場では逃げないように、監視役の暴力団員が大勢事務所にたむろしていたらしい。彼らには毎日現金が支払われたが、食費、宿泊費、入浴費、洗濯などの費用を徴収され、手元にはタバコ銭ほどしか残らなかったというのです。
原子炉容器は、隠語で「シュラウド」と言われていたそうです。調べてみると「シュラウド」とは「死装束」や「京帷子」を意味する"shroud” だと分かりました。
福島原発の原子炉の製造元はアメリカのジェネラルエレクトリック社(GE)ですが、GEから始まった俗称を東電もそのまま使ったのでしょう。使い捨て人夫としてかき集められた日米のホームレスたちは、放射能被曝で遠からず死ぬ運命にさらされたわけで、彼らは生きたまま京帷子(原子炉)を着せられたのです。
私の記憶ですと、福島原発から始めて、その後全国の他の原発でもホームレスを動員して同じ作業をする予定だと聞いたように思います。


日高さんの話について、僕は原発の作業現場など実際に見たわけでもないので、真偽はまったくわからないと申し上げるしかない。
日高さんは沖縄語を話す会のメンバーで、とても穏やかな紳士である。でも、時々広瀬隆氏の資料などを持ってきて配ったりする。山谷で行われた集会も、藤田祐幸氏のキャンペーンだったようだ。広瀬氏も藤田氏も、「~のデマ」とネット検索すれば、彼等を詐欺師だと断じるような記事がたくさんヒットする。
日高さんが嘘を言うとは考えられない。しかし、藤田祐幸氏がやらせのイベントをやった、あるいは話をした作業員が何らかの理由で嘘を語っていたという可能性をまったく否定できるものでもない。だから、後はどうかご自分で判断していただきたい。

ああ、僕はまだ何かに拘っている。

朝日新聞の、3月26日の記事。
null
それは、次のように結ばれている。
「東電は今後、放射線量が高く変化する可能性がある場所で作業する場合、事前に放射線管理計画を提出させた上で、社員が作業員に同行する。」
この記事を注意深く読めば、東電という会社が、かつてそんなとんでもないことをやっていたとしても、ちっとも不思議ではないと感じる。

それから3月29日の記事では、作業員の話がいくつか紹介されている。
null
「給料は日給制で、1日1万数千円。『俺らは東電から仕事を受注した元請け企業から仕事をもらう立場。今回の状況であいつらは来なかったと思われたら、その後の仕事はどうなると思う?』」
「東電の孫請け会社に勤める、第一原発の近くで生まれ育った40代男性は、避難所で会社からの呼び出しを待つ。『ここは原発以外に働くところがないから』」


2/3日のコメントで紹介した動画を、あらためてここに貼り付けてみることにする。
“隠された被曝労働~日本の原発労働者~”
1995年、イギリスで放映されてTV番組である。


2・3・4は続きにて…

続きを読む

tag: 日高 

あくまでも僕個人の感覚です

《4月2日(土)-1》
東日本大震災から22日目……

【この日呟いたこと】

11:17
八百長相撲と福島原発の記者会見。妙に重なる。「八百長なんかやってない」と「嘘は言ってない」。もし「八百長やって何が悪い」「嘘も言わねばならぬ時がある」って本音を言ったら、いったいどうなるんだろう。

12:05
例えば首都圏で今放射能を浴びている人の30%が10年後死ぬというのが真実だとして、それを知り、かつ日本を動かせる立場にいる人間はいったいどういう選択をするだろう。真実を公表すれば日本国は機能を失う。安全だと言い続ければ細胞(人間)を入れ替えながらも日本という「入れ物」は生き続ける。続く……

12:25
つまり、東電や政府や保安院の発表には明らかな隠蔽がたくさんあるのに、能天気に暮らしている人々を見ていると、そういうことがあってもおかしくはないと思ってしまう。できれば嫌なことは忘れていたいという人間の性を知り尽くしているからこそ言える大本営の見え透いた嘘。


池田信夫が「地震で分譲マンションがパーになるリスクは大きい。だから私は賃貸」と呟いていた。原発は大丈夫で地震は怖いという御都合主義、そんな疑問を素朴に呟いたら、途端にブロックされた。呆れた。

14:09
原発に関して二項対立の概念を持ち出すことに違和感がある。一見、推進か反対かという単純な二者択一的思考を止揚しているように見えるが、根源的な哲学が不在。池田信夫はただの経済学を振りかざして人々を傲慢に見下しているが、人間はもっと高度な概念によって生きていると僕は信じている。


腎臓ガンの再発防止の定期健診、レントゲンのことについて書いた記事を、どうかお読みください。
 ⇒http://lince.jp/hito/koukai…(キーワードは「後悔しないこと」)

続きを読む

tag: 井上真喜  日高  311 

(とりあえずのご報告)

《3月9日(水)-1》
午前中から山猫合奏団の合わせ。
白石准氏がまた書いているよ。
 ⇒http://juninho.blog16.fc2.com/blog…

お昼過ぎ。おじさん3人、テクテクと八王子の市街地に向かって歩き出す。目的地は芸術文化会館(いちょうホール)。林隆三氏の朗読の公演を視察しようという魂胆。

“林隆三と楽しむ「宮沢賢治・童話の世界」”

どうだったかって? なんか、書きずらいなあ。
そういえば東京ニューシティーオーケストラの「無声慟哭」の記事もまだ書いてないや。いつの日か、まとめて「宮沢賢治考」あたりで書くことにしよう。急いで書くようなことでもないし。

夜は“ゆんたくの会”だった。
 ⇒“喜多見で沖縄語を話す会”専用ブログの記事へ

あっちで書いていないことを、後日こっちで書くつもり。
とりあえず画像を一枚。
null
と、もう一枚。
null

ああ、また刺身が食いたくなった……

tag: 日高 

日高さんが来ただけのことなのに……

久方ぶりに日高さんが“喜多見で沖縄語を話す会”にやってきました!
……という記事を書こうと思ったのですが、M.A.P.沖縄関連教室合同新年会のことをまだアップしていなかったので、まずはその記事を先に書きました。
 ⇒「M.A.P.の沖縄サークル合同新年会」の記事

それから、日高さんから届いていたレポートが二つばかりあったので、それも先に御紹介しておかなければと思ったのです。

まずは【ネオニコチノイド】のこと。
でも、これについては添加物を使っていないというセブンイレブンのお弁当のことと一緒に記事にしたかったので、まず「セブンイレブンの社長に会ったぞ」という記事を、さらに先に書くことにしました。
というわけで……
 ⇒《同窓会でセブンイレブンの社長に会った》
 ⇒【ネオニコチノイド】のこと

日高さんのもうひとつのレポートは川崎市にあった【原発】の話し。
こっちはもっと大変です。この原発がかつての多摩の横山の範囲にあったのと、狛江市の“鳥研”の前にある電力中央研究所の中にも原発があったとかなかったとかで、まずもって川崎市民劇の暫定記事と“鳥研”の暫定記事を仕上げなければなりません。
というわけで……
 ⇒「2011年初“鳥研”」の記事
 ⇒「電研のこと」と「狛江市のカテゴリ」の記事
 ⇒市民劇《省エネ化した言葉から言霊が消えていく》
 ⇒市民劇《広福寺から桝形山を歩く》
 ⇒市民劇《異界と交信する琵琶法師》
 ⇒市民劇《稲毛の今昔物語》多摩の横山に【原発】があったという話

これでやっとこの日の日高さんについて書けるようになりました。
というわけで……

日高さんが“沖縄語を話す会”にやってきました!
null
まるで、ヘリコプターから降って来たようないでたちです。
“沖縄語を話す会”でどんな勉強をしたかについては、専用ブログをご覧ください。
 ⇒「第25回ゆんたくぬくゎい(喜多見で沖縄語を話す会)」

たったこれだけのことを書くために、どんだけ手間取ったのでしょうか。

M.A.P.after5はいくつもの連載記事で成り立っているのです。
めんどくせえブログ。

【追伸】
狛江の「中央公民館のつどい」では、“沖縄語を話す会”のメンバーが、ウチナーグチで司会をします。

http://www.facebook.com/kumaso.hidaka

tag: 日高   

稲毛の今昔物語《日立と旧武蔵工大にあった原子炉のこと》

枡形山からここが見えたのだから、ここから枡形山が見えるはず。
null
おん……?
ズーム。
null
見えた!
null
しかし、相変わらず多摩の横山は、開発の波にさらされているんだね。
null
確か神野美奈実さんはこの辺りに住んでいるんじゃなかったっけ。

少し話しが逸れるのだけれど、でも多摩の横山の範囲のこと。
【ネオニコチノイドのこと】に続けて、日高さんの昨年夏のレポート。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
null

川崎市麻生区と横浜市青葉区の境に原子炉が2基あります。今日、その辺りを見てきました。

付近は、かつて大規模に開発された分譲宅地であったらしく、小綺麗な個人住宅が並んでいました。
原子炉は、一見手つかずの自然であるかのような鬱蒼と繁った樹木に覆われていて、みごとに目隠しされていました。
枝の重なりが少し薄めの場所では、日立の建屋らしき建築物の輪郭が見えましたが、携帯でとらえた建物は煙突風の塔屋のみでした。
塔屋を写した私の背後は丘陵地でして、東側約3kmに東急田園都市線が走り、たまプラーザ駅やあざみの駅があります。

null

直線道路の突き当たりの「森」が、旧武蔵工大の王禅寺キャンパスです。
※武蔵工大は今春から「東京都市大学」へ名称変更になりました。
「武蔵工業大学の研究用原子炉の廃炉が決定」という記事を見つけました。

 ⇒kawasakiseisou/news…
null
なぜ今頃になって日高さんのレポートをお知らせしたのか、鳥研で原発のハナシを聞いたから。
原発の掃除は、貧しい人々によって行われていて、定められた被爆量に達すると、もうそれ以上仕事は続けられないという噂。このブログで、まことしやかに「都市伝説」とやらを語りたくはない。ネットの世界では、正史と伝説の各々の擁護者たちが、お互いを罵倒し合っている。日立の成瀬くん、本当のこと、教えて欲しい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ただ、これだけは言えるんだ。かつて土地を耕すことでさえ、大地を傷つける行為であると、人々は「地神」の崇りを畏れていた時代が確かにあったのだ。「平家物語」を語る座頭は、大地の守護神を宥めるために「地神経」をも読誦していたらしいが、一級史料(正史)には殆どその記録はないらしい。

そして、僕は今日も鹿島田の稽古場まで自転車に乗って行くのです。

「琵琶法師」の中で兵藤裕巳氏は、17世紀の筑前の「座頭」の持ち芸として「浄瑠璃」「小唄」「稽」があったという永井彰子さんの研究結果を紹介している。「稽」とはなんだろう。チャリという「戯物語」だというのだが、初めて聞いた。
「稽」とは、元来「考える」という意味である。つまり、「稽古」は古(いにしえ)について考えを巡らすことに他ならない。昔を研究し、つまり物の道理や故実を学び、今やるべきことを考える。
「稽」という「戯物語」、なんだか興味をそそられる。「戯れに古を考えてみる」、いいじゃないか。

あれ、女性しか写っていない。決して意図的ではありません。
null
大地を守護する神は女神であったとか。
北條時頼率いる一万の軍勢が、南から稲毛領に向かってくる。稲毛三郎重成は、郷の民百姓を戦いに巻き込まぬために、城から出て南で待ち構えることに決める。
「稲毛の郷を人馬に踏み荒らされることは断じて許さぬ」
心優しき男は、歴史の表舞台から消え去るのが必定。でも、河原者は、常に隠された裏の物語を語るのです。

しかし、重成の思いも、あるいは今でもあちこちで行われている五穀豊穣の祭りも、大地に対する畏れを忘れて、ただのヒューマニティーや御利益宗教で理解しようとしたら、何にも見えてこないのかもしれませんねえ。そして何も伝えられない。

人間、この先いかなる道を選ぶべきなのか、そのためにこそ古(いにしえ)を考えて、なんてね、そんなことしている暇があったらまず台詞を憶えろ、少ない台詞なんだからってか、おっしゃるとおりであります、はい。

それを考えるのは男の仕事。女性はただ美しく蝶の如く舞っていればいいのでしょうか。宇夫方路さん、教えておくれ。
null
 ⇒「琉球新報“晴読雨読”本物だと信じる踊り」を読む
やっぱり“晴読雨読”じゃなくて“晴耕雨読”じゃなきゃダメなんだよね。

そしてもうひとつ、役者って、女性の範疇じゃないの、と、いうこと。

1月28日発行の「タウンニュース多摩区版」に、関昭三さんの記事が掲載されているのを発見しました。
null
役者より、制作のほうが断然偉い。だって「演劇を通じて地域交流」しようなんてお考えなのだから。役者は自分勝手に楽しんでいるだけ。でも僕は演劇を通じて古(いにしえ)と現代を結ぼうと思っているのですが、俺の仕事じゃねえか……

すいません、チケット、ちっとも売れなくて。

【2月28日追記】
この日は厚木カルチャーの琉舞教室でした。やっとその記事が、琉舞専用ブログにアップされました。どうやら新しい仲間ができたようです。知らなかった……
 ⇒http://mapryukyubuyou.ti-da…

tag: 「枡形城落日の舞い」  日高 

枡形城の勉強会と見学会【旧陸軍登戸研究所のこと】

《10月31日その4》
今日はこんなことをやっているのである。

「枡形城」現地見学会のチラシ

枡形城は、秩父党の末裔、稲毛三郎重成が建てたと伝わる。
で、いったい何でこのところ唐突にこんな話ばかりを書き始めたのか。
実は自分でも、もうひとつはっきりとしていないのだ。
ともかく、ふじたあさや氏が川崎の市民劇の演出をすることになった。その市民劇は鎌倉時代の、ここ多摩区の丘陵あたりが舞台であり、稲毛三郎重成がその芝居の中心的な登場人物であるらしい。本番は来年の5月。ずいぶんと先のことなのだが、それがもう動き出したということなのだ。で、それが高山正樹とどんな関係があるのかなのだが、はて、それがどうもモヤモヤしている。まあそれについては、今しばらくお待ちいただきたい。もう少し見極めたいことがある。

ともかくだ。本日午前中の小沢城址&菅の薬師堂ツアーは、市民劇関係者が参加しての催しだったようだが、午後からは一般の市民の方々を交えての稲毛三郎重成についての勉強会と枡形城の見学会である。

薬師堂の本堂を閉めにいらした奥様にお礼を申し上げて、登戸にある専修大学まで歩いていくことにした。これも健康ゲームである。

ここから先は、我が家からかなり離れたことでもあるし、もう詳しいご説明はやめよう。

配られた資料

ただ、秩父一族の中の河越氏が、島津氏の祖だというちょっとした話が、M.A.P.的には妙に気になったのではあるが。

専修大学での地元の研究家の方による講義を終えると、本日の御一行は、枡形城址と重成の縁の広福寺を巡った。
薄くなったあさやさんの頭 稲毛館跡の碑
広福寺は重成の屋敷跡であったとも伝えられている。

夕方、現地解散とあいなった。

そして、小生は新しく「川崎市」というカテゴリを作成したのである。


【追伸】
「枡形城 落日の舞い」の作者は、小川信夫氏です。あのNHKの名古屋支局制作の中学生日記の仕掛け人でもいらっしゃいます。この日の帰り、お車で送っていただきました。途中、ちょっとファミレスに寄って、結局3時間ほど、たっぷりとお話を伺いました。別役実のこと、桜美林で観た学生演劇のこと、今回の市民劇の前身である子供ミュージカルのこと、果ては徳之島の「湯たんぽ」の危なっかしい逸話まで、ここでご紹介する余裕はありませんが、とても興味深いお話をたくさん伺いました。

その中で、登戸という土地の近代史には暗い一面のあること、多少は聞いたことのある話ではあったのですが、それが朝鮮戦争のころまでも続くことだったとは、全く知りませんでした。
いずれ勉強して、お話できる段階になったら御紹介したいと思います。

川崎市のカテゴリを作ったのも、もっと足元をもう少しきちんと見なければならないと、柄にもなく反省したからでもあります。

そこで、今日はディープなお話をひとつ。
M.A.P.の沖縄語を話す会で一緒に学んでいる川崎市在住の日高さんから、8月くらいに送られてきたメールの抜粋です。1939年に開設された旧陸軍登戸研究所のことです。私にはコメントする能力がありません。全くの無知なので、真偽についての憶測も一切いたしません。ただ、こうした話のある施設が、身近にも存在するのだということを、知ってもいいのではないかと考えるのみです。

現存している建物のひとつ、正門近くにある「動物慰霊碑」。中国での人体実験は、南京1644部隊が1941年5月以降、731部隊が1943年12月以降、この頃に登戸研究所は陸軍技術有功賞を受賞した。
1989年、新宿区戸山の旧陸軍軍医学校跡地から多数の人骨が発見された。鑑定の結果、銃創痕や実験的な手術の痕が明らかにされた。
中国で人体実験をした犠牲者の骨を持ってきたとは考えにくいので、登戸研究所で人体実験の犠牲になった中国・朝鮮のひとたちのものではないかと、確証はないけれど、私は疑います。
登戸研究所において、無造作に埋めていた人体実験の犠牲者の人骨を密かに堀出し、そこに「動物慰霊碑」を建立したのかも知れないと思うのです。

「旧陸軍登戸研究所の保存を求める川崎市民の会」

tag: 小川信夫  「大いなる家族」  「枡形城落日の舞い」  川崎  日高 

《伊波洋一の講演》【普天間飛行場の危険】と【島尾伸三写真展】

M.A.P.after 5に度々登場する怪しいおじさん(日高さん)のカテゴリーを作りました。
その日高さんのご案内で、水道橋の文京区民センターまで、こんな会に参加するために行ってきました。
null
宮森小学校米軍ジェット機墜落事件51周年と銘打った伊波洋一宜野湾市長による普天間基地関連の講演です。

会場の様子ですが……
null
(前の席は仏教関係の方ですね。近頃、こうした集会によく参加されているようです。)
宇夫方女史がデジカメをサンディエゴに持っていったので、加えて携帯電話のカメラなんか滅多に使わないので、こんな写真しか撮れませんでした。

この会で配布された資料の中に、こんな記述がありました。
「サンディエゴ市のフェルナンデス上級政策補佐官は、『閉鎖される海外基地を多く受け入れたい』と語っており、普天間飛行場の受け入れ実現の可能性を示唆しました。」
このことについて、補足の説明が必要です。できれば、宇夫方女史がサンディエゴにいるうちに彼女に伝え、現地の人と話してきてもらいたいと思っていることなのですが、きっと間に合わないでしょう。
帳簿なんかと格闘していなければ、もっと準備ができたのにと、残念でなりません。

今日のことは、宇夫方女史が帰ってきたら、あちらの情報(たぶん不十分な情報)を一応聞き取り、それを合わせて整理して、日を改めてご報告したいと考えています。
※【追伸】(8月13日)
 未だ報告できません。⇒理由はこちら

その後、水道橋から千駄ヶ谷へ。智内さんに誘われて、島尾伸三氏の写真展にお邪魔しました。青山タンバリンギャラリー。
null
(かりゆしウェアっぽい服を着ている後姿の方が島尾伸三氏です。)
今日が最終日ということで、到着した時には、もう皆さんビールを飲んでいらっしゃいました。
展示写真を片付け、近くの居酒屋へ。すっかりご馳走になってしまいました。

島尾氏からとても興味深いお話を伺ったのですが、果たしてどこまでブログに書いていいものか、ただ今思案中です。こちらはいずれ、本記事に追記したいと思います。お楽しみに。むふふ……

でも智内さんの秘密は書きません、絶対。
null
(哀愁の智内さん)

続きを読む

tag: 宮森小事件  奄美  島尾伸三  智内好文  日高  普天間