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「おきなわの声」が届く

毎月頭に、東京沖縄県人会の発行する「おきなわの声」が届く。

おきなわの声11月号

毎号M.A.P.と何かしら関係のある記事が掲載されている。2017年11月号も、トップニュースこそ京都で開催された全国沖縄県人会の記事だが、他に「沖縄芸能フェスティバル」「安冨祖流朝一会関東支部公演」「豪徳寺沖縄祭り」「関東沖縄IT協議会のパーティー」「S1グランプリ」「第80回沖縄芸能大会」などなど、繋がりのある情報がいっぱいなのである。

でも、今月は少し特別。

おふたりの訃報

川口喜代子さんは、ただの(大変失礼)沖縄好きのナイチャーなのかと思っていたが、台湾生まれの那覇育ちでいらっしゃるとは存じ上げなかった。うぶかた女史も、川口先生から「わたしはヤマトゥンチュ―、那覇に住んでいる時に踊りを習った」としか聞いていなかったという。
また、「おきなわの声」を創刊されたのが、あの上原成信さんだったということも知らなかった。

そういえば、かつていろいろな人の死亡記事を切り抜いて集めている知人がいたっけ。死亡記事は、その人の人生を端的に、極めて適切にまとめられている、だからそれを集めれば、上質な人物名鑑ができるというのが、収集の理由だった。なるほど、である。

11月号にはこんな記事も掲載されていた。10月11日の事件のことである。
へり不時着の記事

基本、沖縄県人会に政治的党派的な色合いはない。つまり、沖縄の基地問題は、沖縄の人たちにとっては政治ではないのだということ。「オール沖縄」などという手垢に塗れた言葉を使う気は毛頭ない。

オマケ。
「うちなー噺と琉球舞踊とぶくぶく茶」の告知記事。小さいけど。
ブクブク茶のイベント紹介
いつもいつも感謝です。
(でも、MAPじゃなくて、M.A.P.だって毎回お伝えしているはずなんだけどなあw)

tag: 上原成信  川口喜代子  高江  普天間  藤木勇人  「おきなわの声」 

森口豁さんの「激突死」と「若きオキナワたちの軌跡」上映決定

【追伸】

もうひとつ。
この日の午後5時過ぎ、米軍普天間基地所属のCH53E大型輸送ヘリコプターが、東村高江の民間牧草地に不時着し炎上した。

tag: 森口豁  高江  普天間 

暫定投稿(普天間空港の南の空き地から)

高江からの帰り…
普天間飛行場の南にある空き地にて。

オスプレイではないけれど、ひっきりなしの軍用機。反応の悪いスマホのカメラでなんとか撮ってみました。とりあえずその画像だけ先行してアップします。詳細は後日。

(※一切、ズームとかしていません。つまりそれだけ近いということです。)
(※それぞれの画像をクリックすると、もっと大きな画像になります。)

普天間飛行場に帰還する軍用機(1)

普天間飛行場に帰還する軍用機(2)

普天間飛行場に帰還する軍用機(3)

普天間飛行場に帰還する軍用機(4)

「騒音に負けない花」は、美しいのか、どうか…
騒音に負けない花を


gajumui

今、那覇空港です。帰ります
11-08 21:00

tag: 普天間 

10/1のツイート

大震災から570日目……
※毎日のカウントは今日までにすることにしました。区切り区切りで表示します。

gajumui

とうとう普天間にオスプレイが来た。「どう思う?」と、妻に聞いた。「でも、沖縄に来なければ、どっかに行くんでしょ」と、沖縄生まれの彼女は答え、目を涙でいっぱいにした。僕はそれに気がつかないフリをしていた。
10-01 14:16

「何にも言わない友人が一杯いる」と呟いてみた。聞こえたかどうか。「腹が立たないのか」と今度ははっきり問うてみた。「ずっと長いこと離れているから、悪くて…」、どういう意味だろう、でもそれは聞かなかった。聞いても「わからん」としか返ってこないのを知っているから。彼女の生まれ島のこと。
10-01 14:31

出来たらすぐに知らせてくださいね。借りたスクリーン、まだ吊るしたママですから。(それにしても普天間が気になって、仕事が手につきません。) @asibana3yui 「主権在民パート2~原発いらない福島の女たち」の編集がもうすぐ終わる。タイトルはまだ仮題。
10-01 16:33

今日は地図の作業を手伝わねばならなかったのだが、原発のこと沖縄のことが気になって、日本人に腹が立って腹が立って、どうしても仕事をする気にならなかった。それでも、わざわざKさんが届けてくださった島バナナは美味しく頂いたのだし、“かぎやで風”の地謡を楽しく務めたりしていたワケなのだ。
10-01 22:52

どんな思いで“おきなわおーでぃおぶっく”を始めたのか、何も変わらぬ日本。2009年1月26日の僕のブログ、あの頃の振り返って、自分の無力を感じています。/“晴読雨読”「沖縄」に出会った一冊 http://t.co/UVPJq6XN
10-01 23:04

Amazonの「いいね」の実験…/カクテル・パーティー (おきなわおーでぃおぶっく) 大城 立裕 http://t.co/PGMmjRHY @AmazonJPさんから
10-01 23:21



ubukataicon ubukatamichi

@motoniini なんだか不思議なご縁です。宇夫方は沖縄の血は流れていませんが両親が岩手です。そのうえ千葉にお住まいなんですね。宇夫方も千葉の柏に20年ほど住んでいたらしい。今後とも、本人ともどもよろしくお願いします。(宇夫方のコピーロボット)
10-01 15:46

月曜の夜は、M.A.P.琉球舞踊教室の「かぎやで風コース」です。昔わたし少林寺拳法やってました。昨日はその関係の集まりで琉球舞踊を踊らせていただきました。そういえば琉球舞踊には、唐手(空手)の影響を受けた踊りがたくさんあるんですよねえ。
10-01 19:45

tag: 普天間  MAP琉球舞踊教室 

大城立裕先生との楽しき時間(暫定記事)

大震災から371日目……

今日は大城先生との記念撮影を、携帯を使ってセルフポートレートで挑戦してみました。

大城先生動く
「先生、動かないでください」
「そうか」

大城先生のおでこ
「先生おでこしか写ってません」
「それはダメだ」

大城先生手振れしました
「すいません、手振れしました」
「しっかりしなさい」

「あ、いい感じに撮れました」
「どれ、見せなさい」
大城先生いい感じに撮れました

「うん、上等だ」

そして深夜呟いた。
gajumui

今日は大城立裕先生のお宅にお邪魔しました。
03-16 23:59


※この日、ずっとカメラで遊んでいたわけではありません。これはたっぷりお話を伺ったあとのお遊びです。先生のお話は、後日必ず追記します。


さて…
【追記(12月10日)】
取り急ぎ(…といったってもう半年も経ってしまったが)、この日に立裕先生から伺ったたくさんの話の中から、坂手洋二氏の書いた戯曲「普天間」についてのちょっとした感想を、まずご紹介しておこう。

「普天間」は、青年劇場が昨年上演した舞台の上演台本である。(僕は、東京を直撃した台風の所為で観にいくことを断念した。)確かそのプログラムに、立裕先生が文章を寄せていらしたのではなかったか。僕は読んでいないが、それを執筆するあたって、坂手氏から送られた戯曲を立裕先生は読まれたのだと思う。もちろん先生も実際の舞台を見てはいらっしゃらない。その上でのお話である。
「難しい芝居を書いたもんだねえ。何でもかんでも盛り込んで、あれで芝居になるのかねえ」

僕は、ふじたあさや氏から昨年の「普天間」の舞台の感想を聞いていた。「坂手洋二の膨大な言葉を、役者は一生懸命語ってはいるが、消化し切れずただ言わされているようだった」というのが、あさやさんの評だった。

この時点では、僕もまだ舞台を見ていなかったので、ココで僕の意見は控えるが、この日大城先生の話を聞いて、僕は以前先生が木下順二の「沖縄」について話してくださった事を思い出した。
「最初戯曲だけ読まされたときには、ずいぶんと観念的な芝居でねえ、はたしてこれでは芝居になるんだろうか、ならないだろうと思ったのだが、実際に舞台を見てびっくりした。いやあ、役者の力というものはたいしたもんだなあと思わされた」

木下順二氏の「沖縄」は1963年に「ぶどうの会」によって初演された。沖縄の「日本復帰」の9年前、立裕先生が「カクテル・パーティー」で芥川賞を取る4年前、その舞台には久米明さんが喜屋武朝元役で出演していた。立裕先生が見られた舞台にも久米さんが出ていたと記憶されていたようだが、いつどこで上演された舞台なのか、いまだ聞きそびれている。
 ⇒久米明さんが語った木下順二の「沖縄」(←是非これも読んでみてくださいませ♪)
そして僕は、「普天間」の再演の舞台は、必ず観に行こうと思ったのである。

(※続く…)

tag: 大城立裕  坂手洋二  久米明  普天間 

《沖縄通信no.7》【九十九龍氏による東村・高江の記録】

博多のTさんとは富久さんのこと。ペンネームは九十九龍。僕はトミヒサさんに、高江を知らない人が高江を理解する糸口となるような文章を書いていただけないだろうかと、ずっとお願いをしていたのです。何度か書き直しをお願いしていて、先日、これでどうだと届いた文章をいよいよご紹介したいと思います。

本当は、トミヒサさんの最終決定稿も、やっぱりトミヒサ節顕在、思いが迸る文章で、これではニュートラルな状態の方々にはなかなか読んではいただけないのではないかと、僭越ながら感じました。だから何とかそのことをトミヒサさんにお伝えして、出来ればもう少し、また短く端的に書き直していただければと思っていたのです。

結果だけ言えば、どうしても欲しかった高江の概略については、なんとか高山正樹が他の方の書いた資料を抜粋紹介する形ででっちあげ、それを(ずいぶんと前の記事ですが)7月17日の記事(トミヒサさんが高江にて座り込みをしているところへ陣中見舞いに行ったときの記事)に追記しました。そして、トミヒサさんから頂いた文章は、そっくりそのままご紹介することにしました。しかし、トミヒサさんの文章を掲載させていただくにあたって、M.A.P.としてどうしても申し添えておきたいことがあります。トミヒサさん、どうか笑って許してくださいね。

例えば、トミヒサさんの文章では、いきなり「日米軍事同盟」という言葉が、何の注釈もなく当然のように使用されます。「だってそうだろう」というトミヒサさんの声が聞こえてきそうです。トミヒサさんの気持ちはよく分かります。でもね、こう書いた瞬間、高江を知って考えてくださる可能性のある方の何パーセントかを失うのではないかと危惧するのです。むしろ日米安保条約に特に何の疑問も持っていないような方々にこそ、具体的な事例として高江のことを知って欲しいのに、これではその道の大半を失うでしょう。そういうことが分からない人が書いたと思われる文章は、僕も読みたいとは思わないのです。「日米軍事同盟に及ぼす影響」とは言わず、さらりと「日米関係に及ぼす」と書けばいい、それだけのことだと思うのです。

「普天間基地の移転問題」をどうするか、それが「好戦国アメリカの尻馬に乗って世界中へ自衛隊を送り込む軍事国家へ衣替えするか、あるいは唯一の被爆国として憲法9条の抑止力のもとに軍事力拡大を進める保守勢力に『否』を突きつけるか」、その分岐点だということですが、その表現はどうなのでしょう。何度でもいいます。トミヒサさんの気持ちはよく分かります。しかし僕は思うのです。普天間基地の辺野古移転賛成の人々全員が、あたかも軍事国家へ日本が移行することに同意しているかのような物言いは、せっかく高江のことをたくさんの人たちに伝える能力がトミヒサさんに備わっているのに、その芽を摘むことになってしまう。
トミヒサさん、僕は順序が逆だと思うのです。普天間のこと、辺野古のこと、グアムのこと、さらには高江のことを、極力ニュートラルな事実としてまず知ってもらうこと、重要なのはそれであり、それを知ってもらった後で、日本がどこへ向おうとしているのか、それが軍事国家なのかどうか、それぞれの人たちに判断してもらえばいいことなのではないでしょうか。

失礼ながらトミヒサさんの文章は、最後まである立場の色でいっぱいです。にもかかわらず、僕がここにトミヒサさんの文章を丸ごと掲載するのは、日本人の多くが殆ど高江のことを知らず、今もなお米軍基地が沖縄の人たちに日々苦悩を与えていることを、多くの日本人が忘れているからに他なりません。是非、トミヒサさんの労作をお読みくださいと、僕はみんなに言いたいと思います。トミヒサさんの文章は、その熱い言い回しと表現を除けば、これまでの経緯を大変分かりやすくまとめてくださっていますから。
(文責:高山正樹)

その前に7月17日の記事も読んでくださいね。あらためて……
 ⇒トミヒサさんが高江で座り込みをしているところへ行った時の記事)

今日は第二金曜日。第19回の沖縄語を話す会です。
さあ、トミヒサさん、一緒に楽しくウチナーグチの勉強しましょ。

※(おまけ)トミヒサさんから届いた画像
ムーランさんとトミヒサさん
ムーラン(変な外人)と。国へ帰れば大学の助教授だとか……
(トミヒサさんによるコメント)

続きを読む

tag: オスプレイ  沖縄の呑食処.夢蘭  ゆんたくの会  高江  とみ久さん  普天間 

辺野古に行って考えたこと

この記事を読む前に、ふたつの記事を是非読んでいただきたいのです。
 ⇒辺野古の前に(1)【日米安全保障条約50周年記念イベントの画像】
 ⇒辺野古の前に(2)【第27回 6・23 国際反戦沖縄集会にて】(沖縄通信no.6)

《そして……》
朝、ちょっと早起きして、楠定憲さんと宇夫方路さんと、辺野古まで行ってみました。
宇夫方さんは、昨日の喧騒の後片づけがあるから行かないと言ったのですが、無理やり引っ張っていきました。M.A.P.で、これだけ沖縄のことに関わっているのだから、一度は見ておいて欲しいと思ったからです。
楠さんも黙って付き合ってくれました。若い頃、酒を飲みながら、アイヌのこと、沖縄のこと、ずいぶん話しました。たいがい楠さんは聞き役だったけれど。
 ⇒“社長とは呼ばないで”の「アイヌのこと」のカテゴリ
 ⇒“社長とは呼ばないで(旧ブログ)”の「沖縄のこと」のカテゴリ

沖縄らしくない小雨が降っています。空はどんよりと曇っています。
coccoの“ジュゴンの見える丘”、そのyouTubeの画像の中でcoccoが呼んだ「馬鹿みたいにきれいな海」を僕は見たいと思っていました。しかし……

車を小半時ほど走らせると、ジュゴンが棲息するという大浦湾が見えてきました。
大浦湾から滑走路が計画されている辺野古崎を望む
この海が、大規模なアオサンゴ群のある生物の宝庫なのか。僕は曇った空を恨めしいと思いました。もしも降り注ぐ太陽の光に照らされた海が、圧倒的な美しさで僕たちに迫ってきてくれたとしたら、僕の脳みそに巣食う政治的なあらゆる理屈を消し去ってくれたかもしれない。そうすれば無条件に美しい海を守ろうという感情が僕を満たしたに違いない、僕はそうなることを、少し恐れながらも期待していたのです。

しかし、空も、海も、沿道の集落も、「内地」の伊豆あたりの、梅雨時の風景と、少しも変わることはありませんでした。否応なしに、僕の中で全てが冷静に相対化されていきます。
路沿いの「大浦湾を守れ」という立て看板
日々間断ない現実の生活と、ジュゴンが棲む海の観念的な美しさが、天秤を静かに揺らし続けています。

何かを理由に、基地の移設に反対をする人々。
新基地移設絶対反対の横断幕を抱えて座り込む人たち
「私たちの土地に」と書いてあるのだから、きっと地元の人なのでしょうね。
座り込む人たちと演説する人とそれに聞き入る支援者たち
支援者らしい皆さんは、いったいどこから来たのだろう。普段、何をしている方たちなのだろう。国際反戦沖縄集会で、「大和から来た人たちは沖縄で活動しないで大和に帰ってください」と言ったUさんのような人たちが増えていることを、この方たちは知っているのだろうか。
雨の中に立つ支援者たち
(※Uさんとは誰なのか、いずれお話ししたいと思っています。)

ここで、6月26日の伊波洋一氏の講演で聞いた話、知った事実をご紹介したいと思います。
伊波洋一氏の講演会で配られた克明な資料
普天間の海兵隊基地の移転先はグアムに決定していて、その米軍の計画は既定路線としてすでに進められているというのです。移転先がグアムになった経緯と理由は色々とあるのですが、ともかく、ここ辺野古に普天間の基地機能が移転してくることは100%ないと伊波氏は語りました。しかし、アメリカ政府はそのことを認めない。日本外務省も、たとえグアム移転という米軍情報を得ていたとしても、表向き政府間の協議で決められたことしか公式には認めることはしません。ではなぜ、これほど辺野古の話が持ち上がるのか。そのもっとも大きな理由は、海兵隊海外移転費用を日本に負担させる条件を整えるためです。

またこんな話も聞かれました。最後の質疑応答で、高江についての質問が出た時、伊波氏はそれに対して、沖縄の米軍基地が国外に移転する場合、それに見合った基地を日本のどこかに作る(それは現状沖縄でしかないのですが)という決まりがあり、それが「高江のヘリパッド」なのだ答えました。
びっくりしました。本当なのだろうか、本当だとしたら、どれだけの日本人がその事実を知っているのだろうか。

基地を1減らせば、どこかで1を増やす。これはアメリカが日本に対しての威信を維持しておくために必要な措置で、それ以外に特段の理由はなく、ただ基地の量に応じて支払われる「思いやり予算」がこれを支える実質的な背景だというのです。本当にそんなことで、住民の生活がズタズタにされてしまうというのか。

もしも普天間のグアム移転が既に決まっていることだとしたら、反対すればするほど、日本が米軍に出すお金を引き上げるためだけにやっていることになりはしないか。そんなふうにも考えられてしまうことが実に厄介なのです。
(※例えば、沖縄の基地反対運動は、基地の賃貸料を引き上げるためにあるという話も、まことしやかに語られることでもあります。)

来た道を帰ります。まだ通行止めだけれども、ほぼ完成している立派な直線道路は、新基地へおおきな車輌でもいけるようにと作られている道です。旧道は新しい道にウネウネとまとわりつくように通っています。
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なぜ? 基地ができないことが分かっているのになぜ?
ひとつは土建業者の利権。それも本土の業者。もうひとつ、自衛隊としては米軍の要求で基地ができることを願っているらしい。その後を自衛隊が使うため。土地が返還されてしまったあとに、自衛隊基地を作ることは不可能だから。

色々なことが絡み合っていて、僕にはこの中から真実を見極めることが全くできないのです。考えれば考えるほど、口は重たく閉じようとします。それでも僕は、必死に語り伝えたいと思っています。僕が見たもの、聞いたもの、考えたこと。

さらに口を重たくするサイトを見つけました。辺野古の人たちと基地の友好的な関係を案内するサイトです。
 ⇒http://www.henoko.uchina.jp/index…
 ⇒http://www.henoko.uchina.jp/base…
サンディエゴでの日米安全保障条約50周年記念イベントとイメージが重なっていきます。

辺野古の海が決定的に美しかったならば、こんな憂鬱に見舞われることはなかったのではないだろうか。まず現実を知ること、それが一番大切なことなのだと思うことに変わりはないのですが、しかし現実を見て知って物事を判断することの危うさもまたあるのだということを、僕は思っていたのでした。
 ⇒沖縄を見ずに「沖縄」を書くと決めた木下順次のこと

tag: 普天間  山猫合奏団  辺野古  高江  沖縄の旅_2010年7月 

辺野古の前に(1)【日米安全保障条約50周年記念イベントの画像】

《辺野古のことを書く前に報告しておきたいこと》
※この記事は、実は8月13日に書いたものである。
沖縄ツアーの記事がなかなか書けずに、ようやく21日のご報告まで書き終わって、いよいよ22日というところで、ハタと止まった。22日は、朝、辺野古に行ったのだが、その報告をする前に、面倒な記事をふたつばかり書かなければならない。

ひとつめ
6月26日、僕は宜野湾市長伊波洋一の講演を聞きに行った。そして記事を書いた。
 ⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog…
その中で、サンディエゴ市の上級政策補佐官が、普天間飛行場受け入れを示唆している、という話をご紹介した。そして、その話には補足が必要なので、その時、ちょうどサンディエゴに行っていた宇夫方女史が帰ってくるのを待って、現地の情報を加味してあらためて書くと言った。その「ひとつめ」がまだ書けずにいる。
宇夫方路は6月29日に帰ってきているのだから、もうひと月半になる。それなのに、約束した記事が書けないのには理由がある。

僕は宇夫方女史に、はたしてサンディエゴの一般の住民たちは、基地のことをどう考えているのかということを聞いてきて欲しいと連絡をしたのだ。その実際に現地で聞いた声が、僕が加味したいと考えた情報であった。しかし残念ながら、僕のメッセージが彼女に伝わったのは、彼女がサンディエゴを離れたあとだったのである。

そこで宇夫方女史の帰国後、サンディエゴでお世話になった日本人向けフリーペーパー“ゆうゆう”のスタッフ、Noriko_Sato_Sahara(佐藤紀子)さんに宇夫方のほうからメールを送ってもらって、このM.A.P.after5を御案内したうえで、僕が知りたかった内容を質問してみたのである。
佐藤さんからは「週末に記事を読んで、お答えします」という嬉しいお返事をいただいた。
しかし、結局未だにそのお答えが届かない。多忙な方なので、もしかするとお忘れなのかもしれないとも思ったが、催促のメールを差し上げるのは控えている。

僕の質問をお送りするよりも前に、佐藤さんが取材で撮影されたサンディエゴの6月の催し物の画像を、こちらのブログで紹介してもよろしいということで大量にお送りくださっていた。そのうちの“赤い靴像除幕式”の画像は、既に7月4日の記事でご紹介した。“少女像贈呈祝賀昼餐会”の画像は、それより前の6月28日の記事に追加でアップした。
大量の画像データをお送りくださったことに感謝し、また大変お手間を取らせてしまったのではないかと恐縮もしている。

しかし、そんな面倒なことをしてくださったにもかかわらず、その後の質問に対するお答えは届かない。もしかすると、とても答えにくい質問を僕はしてしまったのかもしれない。我々はできるだけ中立にと記事を書いているつもりなのだが、それでも反米反基地の傾向は否めない。あるいはそれがお気に召さなかったのかもしれない。

ともかくここで、佐藤さんが送って下さった画像データのうち、まだご紹介していない画像、“赤い靴像除幕式”の前日(6月26日)に開催された日米安全保障条約50周年記念イベントの画像をアップしておくので、どうかご覧いただきたい。

質問のお答えは、今少し待ってみようと思っている。

※そして11月12日に追記。
いくらなんでも、もうお答えはいただけないだろう。残念ながら現地の一般の方々の声は聞かぬまま、伊波洋一氏(今現在沖縄県知事戦を戦っている)の講演で聞いたサンディエゴの基地事情をご報告したいと思う。

サンディエゴの基地は(サンディエゴに限らずアメリカ国内の基地は全てということらしい)、市民の住居とは数十キロ離れていて(法律で決まっているらしい)、騒音や危険が市民に及ぶことは決してない。仮に決まっている距離以内に誰かが住めば、移動しなければならないのは基地の方だという。だから、基地を新たに作った場合、その周り数十キロの範囲は人が住んではいけないという法律をまず作るのだという。サンディエゴにおける基地と住民は、基地はただ市民に利益をもたらす存在として、いたって友好な関係にあるというのだ。そしてサンディエゴ市には、まだまだ基地を受け入れる余地があり、誘致した基地は、さらに市を潤すことになる。従って、サンディエゴは普天間の米軍基地の受け入れを表明したのだと。

そんなサンディエゴの市民たちは、遠く離れた沖縄の基地事情を全く知らない。「世界一危険な基地」と呼ばれる普天間基地の航空写真をアメリカ人に見せると、こんな基地が存在するなんて信じられないことだと誰もが驚くという。アメリカだったら、絶対に許されない基地だと。

僕は8月13日にアップした日米安全保障条約50周年記念イベントの画像に一切コメントをつけるのをやめることにした。この記事の「続きを読む」にアップした大量の画像をご覧になって、皆さんは何を感じるだろうか。このM.A.P.after5は、なかなかコメントしていただけないブログ、歯がゆいが、全てこちらの責任と、半ば諦めている。

面倒な記事のふたつめは次の記事で。
次の記事「辺野古の前に(2)」へ

見ていただきたい画像は……

続きを読む

tag: 日の丸  普天間  四ツ竹 

たった一日の新聞なのに【2010年7月17日の沖縄タイムス】

《7月17日-1》
朝早く目覚めてしまうのは、暑さのせいか、齢のせいか。真夏は沖縄より東京の方が暑いのだし、西に位置する沖縄は、夜は8時頃まで明るいが、朝はなかなか明けないのだ。つまり、早起きはやっぱり齢のせいだな。

庭に出てみる。
null
でっかいゴーヤーだ。
あっちにピント合わせたり……
null
こっちにしてみたり……
null

そんなことしていたら、お義母さんに声を掛けられた。
「早いねえ」
去年食べたゴーヤーの種を庭にちょこっと植えただけ。これが南国の力なんだな。豊かさは所得金額だけじゃあ計れないということ。

家に入って、お義母さんにいれてもらったコーヒーを飲みながら、トートーメーに供えられていた朝刊に目を通す。

キジムナーフェスタ、いよいよだ。
null
山猫合奏団は明日からだけどね。

連載してたんだ。
null

あ、沖縄水産高校だ。裁監督がいなくなってからダメだって聞いてたけど、野球部、頑張ってるんだね。
null
糸満ダービーだ。
その、糸満であった出来事……
null
こういうことを、ここからずっと東の方の日本人たちは、殆ど知らない。
遠い遠い、どこかの国の政治家の言葉……
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生物多様性。最近流行の言葉。だけれども、それだけを見ていると、きっと「事の本質」を見逃す。
僕は今日、コザや名護や辺野古よりもずっと北の、ヤンバルの森まで行ってこようと思っている。
null
もし、あの噂が本当なら、死ぬのはジュゴンや海藻どころの話ではない。

そうか、今日の夜は海洋博公演で花火大会があるのか。
null
少し遅れると、花火大会から帰る車の大渋滞にはまってしまうらしい。毎年のことなんだって。いったい何人の人が集まるんだろう。そのうち、県外からの観光客はどのくらいなんだろう。

さあ、そういうことなら、早く出かけましょう。
お義母さま、お世話になりました。僕の父母が健在なうちに、どうぞ東京の方にもいらしてくださいませ。もし、お嫌でなかったならば。

たった一日の新聞なのに、ずいぶんとたくさんのネタが拾えたなあと思いながら、また、この角を右に曲がって、58号線を北上するのである。
null
この突き当たりに、石巌当はない。

tag: 高江  普天間  辺野古  CampKinser  ゴーヤー  キジムナーフェスタ  沖縄の旅_2010年7月 

「沖縄は訴える」と「沖縄戦新聞」

すでに鳩山政権は無くなり、後を継いだ菅政権も支持率が下がり、普天間の問題は消費税の影に隠れて、まるで終わったことのような有様。

というわけで今更ではあるのですが、というか、むしろだからこそあらためて……

先の5月におこなった西山監督の映画上映会の際、会場で販売した琉球新報社刊「沖縄は訴える」および「沖縄戦新聞」を、遅ればせながら“M.A.P.販売サイト”“楽天市場沖縄map”で扱うことにしました。
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「沖縄は訴える」は4・25県民大会の模様をはじめ、現在の沖縄米軍基地の実態を伝えた大判グラフ書籍、また「沖縄戦新聞」は、太平洋戦争時、もし正しく戦況を伝える新聞があったとしたら、こんな新聞であっただろうと、琉球新報が精力を込めて制作した仮想新聞です。
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どちらも日本(本土・内地・大和、うまい言葉がみつかりません)の書店では購入困難なものです。

是非、この機会にお買い求めください。
 ⇒“M.A.P.販売サイト”から購入
 ⇒楽天市場「沖縄は訴える」のページ
 ⇒楽天市場「沖縄戦新聞」のページ

tag: 「沖縄戦新聞」  「沖縄は訴える」  楽天市場  普天間  沖縄戦