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狛江の篠笛吹き、瀬戸洋平さんとコラボします!

瀬戸洋平 篠笛音楽会 vol.3
日時:12月20日(日) 19:00開場 19:30開演
会場:狛江 泉の森会館(3F)
料金:大人2,000円 学生1,000円


演目:耳なし芳一 その他

《チラシが完成しました!》
 ※クリックすると大きくなります。
瀬戸さんとコラボ1 瀬戸さんとコラボ2

《瀬戸洋平さんのFacebookイベントでのメッセージ》

気づけば2015年もいよいよ大詰め。
風邪なんかひく前に、クリスマスを楽しんでみたりする前に、
忘年会で飲みまくる前に、大掃除でピッカピッカにする前に、
かけ足で今年を終わらせてしまう前に、とにかくこちらだけはやります!!

2015年の締めくくりの第1弾!
瀬戸洋平篠笛音楽界Vol.3「吹き聴かせセット」
1つの物語をじっくり聴いてみませんか。
篠笛が語り、語り部が引き込むひと時の時間。

語り部として高山正樹さんをお呼びし、今回お届けする物語は、小泉八雲の名作「耳なし芳一」と他1編。
聴けば見えてくる、なつかしき物語の1ページをいっしょにめくり巡ってみませんか。

朗読と篠笛とのコラボは初のチャレンジ!
さあ、どのような世界がお届けできるのでしょうか…
是非お時間がございましたらいらしてください。

★出演★
瀬戸洋平(篠笛)
高山正樹(俳優)



私、高山正樹は、かなり楽しみにしています。
それには、色々な理由があるのですが…
かつて、琵琶法師を演じた時にアップした記事を三つ、ここでご紹介します。うん、さて関係があるのかないのか、ご興味あれば、お読みくださいませ。
 ⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-2088.html
 ⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-2089.html
 ⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-2093.html

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tag: 朗読  瀬戸洋平 

変わり種朗読会のお知らせ

変わり種朗読会

日時:11月21日(土)14時 開演(13時半開場)
会場:サロン 樂〜gaku
料金:2,500円


始まりは、ここだった…
 ⇒《告知》大江健三郎を朗読するという無謀な実験【“大川端語りの会”で朗読の実験】
その結果が…
 ⇒大江健三郎の評論を朗読するということ【大川端語りの会】

さて、今回はどうするか…
どうなるか…
どうなっちゃうのか…


【11月20日に追記】…つまり前日。
結局、自ら歩んできた思索の道程を簡単になぞりながら、その道すがら出会ったちょいと難しそうな文章を拾って構成してみることにした。と、そこまでは決めたのが、何のどこを読めばいいのか、まだこの期に及んで悩んでいる。

変わり種朗読会チラシ

tag: 朗読 

坂本遼展記念朗読祭・演奏会“セロ弾きのゴーシュ”の御案内

告知第二弾です。

今、福島県いわき市にある草野心平記念文学館にて、坂本遼展が開催されています。期間は10月6日から12月24日まで。その記念の催しに山猫合奏団が参加します。

坂本遼展記念朗読祭・演奏会
「宮澤賢治・坂本遼・草野心平 ~若き日の交友~

山猫合奏団の演奏会は…
日時:11月18日(日)14:30~15:30
会場:文学館小講堂
演目:宮澤賢治「セロ弾きのゴーシュ」・坂本遼「おかん」・草野心平「河童と蛙」
   (※いずれも白石准作曲)
出演:高山正樹(語り)、大島純(チェロ)、白石准(ピアノ)

参加費は無料です。
但し、文学館の観覧料が必要となるのかもしれません。詳しくは草野心平記念文学館にお尋ねください。
 ⇒いわき市立草野心平記念文学館のホームページ
ご参考までに…
観覧料:一般 420円 高・高専・大生 310円 小・中学生 150円

山猫合奏団の演奏に先がけて、14時から、一般参加の朗読会があるようです。個人的に楽しみです。当日受付ということなので、もし朗読する人が足りなかったら僕が申し込んじゃおうかなあ。

(※それぞれ画像をクリックし大きくしてご覧ください。)
坂本遼展のチラシ 坂本遼展のチラシ裏

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tag: 山猫合奏団  朗読 

(事務所線量)

大震災から255日目……
今日の富士山、遠景とアップ。サムネイル、つまりクリックするとでかくなる。
富士山遠景 富士山アップ

10:53、事務所外の線量……
0.07μSv/h(DoseRAE2,RADEXは参考)
11/21事務所線量


【この日呟いたこと】
gajumui

和装と琉装の着付けを比較して、美意識がずいぶん違うと思った。踊りの場合だけど、琉装はお尻を大きく見せるらしい。日本人て、美意識の違う人間とのコミュニケーション下手だよなあ。ん?日本人だけじゃないか。なんだ、面白いと思ったんだけど、結局つまらない話になった。
11-21 11:45

M.A.P.三線教室開設にあたって、最初にご相談したのが西江喜春氏先生でした。 @ryukyushimpo http://t.co/r4xybE6G 「至芸」観客を魅了 西江喜春氏人間国宝認定公演
11-21 11:50

例えば色んな名人上手が“かぎやで風”をやるけど、みんな全然違う。僕が“かぎやで風”をやると芸能に見識のある沖縄の人たちはみんなして「なんか違う」って言う。色々説明してくれるんだけどみんな違うことを言う。一冊の本が書けそう。#三線
11-21 11:57

20年も三線やってて最高賞まで取って師範免許も持ってて、首都圏で行われる大きな琉球舞踊公演の地謡をこなすヤマトの人の歌三線を、琉球舞踊の新人賞に何年も落ちているような沖縄のおばさんたちが「なんか違うさあねえ」ってみんなでゆんたくしてる。 #三線 #琉球舞踊
11-21 12:14

原発のこと考えてたら、沖縄の三線のこと、呟きたくなったのです。分かりにくい話。早川由紀夫さんに叱られそうだなあ。
11-21 12:18

お笑いの物まねと朗読って似てるところがある。物まねが面白いのは、真似する芸人と真似される人との距離に内包されている要素。朗読も同じ。読んでいるものにベッタリ寄り添っている朗読なんて気持ち悪くて聞けたもんじゃない。
11-21 16:55

津嘉山正種さんは朗読ばやりの昨今、時々朗読会なるものに案内されて仕方なく行くこともあるが、気持ち悪くなって帰るという。久米明さんも、そこまではっきりとではないが近いことを言われた。おふたりとも“おきなわおーでぃおぶっく”で朗読をお願いした名優。
11-21 16:59

(前ふたつのツイートから続く)僕は三線の古典を学びながら、どうやら三線(沖縄)とのなかなか埋まらない距離感を楽しんでいるらしい。その距離が埋まった時、初めて沖縄の人に認められるのかもしれない。それは弁証法道程か、あるいは弁証法に逆行する退行なのか、見極めかねている。 #三線
11-21 17:05

30年近く前、新宿の沖縄居酒屋でのこと。ある沖縄の方が、首里城の復元について、しきりに喜び「ニライカナイの心だ」とおっしゃっていた。青二才の僕はつい「首里城はオボツカグラではないですか」と言った。見る見る沖縄の方の機嫌が悪くなり「お前は何もわかってない」と言われた。(続く)
11-21 17:12

(続き)以来ヤマトンチュである僕は、琉球王朝に対する批判を口にしないと決めた。そういえば20数年前に死んだ義理の父は共産党好きのウチナンチュであったが、戦前の首里城は森に囲まれ、それはそれは桃源郷のように美しかったと言っていたっけ。(続く)
11-21 17:21

(続き)でも僕は、30年前の戒めをボチボチ破ろうかなと思い始めた。八重山と奄美の音楽が妙にいいという実感がそれを後押ししている。やってみたいなあ。それでも来年、安冨祖流の古典で三線の新人賞を受けようとは思ってるんですけどね。(さらに続く) #三線
11-21 17:30

(続き)僕は役者です。根無し草の河原者だと思っている。言ってみればチョンダラーです。だから親近感を覚えるのは「シュインチュ」でも「ナーファンチュ」でもなく「さまよえる沖縄人」なのかもしれないなあ、なんて。(まだ続く)
11-21 17:38

(続き)この文脈で「フクシマ」を考えるとね、移住できるのならその方がいいと思えてくるのです。語弊を怖れず言えば、3.11以前の「フクシマ」は「美しき伝説」になってもいいのではないかと。こんなことを言うと、「オキナワ」でも福島でも、たくさんの友達を失いそうです。(続く)
11-21 17:52

(続き)今日の僕の話は、自分でも本心なのかどうか分からないのです。だからどうか一旦忘れてください。あさって、下北沢のタウンホールで、ある企画に朗読で参加します。台本はかなり直してもらいました。おかげで本番はブッツケです。でも朗読ってむしろその方がいいと思う。河原者の呟き。
11-21 17:58



18:22、事務所内の線量……
0.06μSv/h(DoseRAE2,RADEXは参考)
11/21事務所内の線量

tag: 朗読  津嘉山正種  久米明  MAP事務所の線量  富士山  首里城 

《物語りたいことを物語る》【古屋和子“ストーリーテリングの力”】

事務所で仕事をしていると、あさやさんから電話が入った。
「今日の2時から4時まで、体、空かないか」
新百合ヶ丘の昭和音大で古屋和子さんとあさやさんのトークショーがあるらしい。なんでも古屋さんが琵琶を持ってきているとのこと。
北校舎の5階。
へえ、こんなホールがあったんだ。ラ・サーラ・スカラというコンサートホール。
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連続講座の第4回。
「心より心に伝うる~ストーリーテリングの力」
今回の語る人(ゲスト)は古屋和子さん。武順子さんの師匠で、チラシにはこんなふうに紹介されていた。
1947年京都市生まれ。ストーリーテラー。早稲田小劇場を経て、観世栄夫氏に師事。水上勉氏の「越前竹人形の会」「横浜ボートシアター」等で活躍した。その後は近松作品、説経節、泉鏡花作品などのひとり語りを行い、ここ20年ほどは、北米先住民など世界のストーリーテラーたち交流をふかめ、優れた語りや民俗音楽、絵本などの紹介につとめる。
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聞く人はふじたあさや氏。トークショーの前に古屋さんの語りを聞く。

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まずは近松門左衛門の「曽根崎心中」道行の場面。その後も「平家」などいくつか。予定の時間を大幅に超えて殆ど古屋和子独演会の様相、トークに残された時間は30分くらいになってしまった。

さて、ストーリーテラーとは何なのか。物語る人ということだが、いったいどう説明したらよいのだろう。朗読と物語ることとは何が違うのか。どうやら古屋さんは、ストーリーテラーとは、語るべきものを抱えて物語る表現者だといいたげである。

しかし、ならば「語るべきもの」とは何なのか。

古屋さんは言う。日本人は出自を聞かれても、たいがい親の出身地ぐらいしか答えられない。しかし例えばアメリカインディアンなどは、そういう時、自分のルーツを何代も遡って語り始めるのだと。
つまり「語るべきもの」とは、祖先の長い歴史の中で培われてきた自らも属する文化の記憶の総体と、それに対する祈りとでもいうべきものなのだろうか。

かつて古屋さんは、師である観世栄夫氏から、「上手くなったが悪くなった」と言われたという。その意味が古屋さんにはずっと理解できなかった。ざくっとハナシを端折ってしまうが、その壁を、古谷さんは「意味」でもなく「情緒」でもなく、「息」で克服しようとしてきた。

自分の話になるが、僕は学生の頃、歌舞伎研究で著名な今尾哲也氏から、「がっぽう」という芝居を通じて、台詞を息によってコントロールすることの重要性を教わった。呼吸は生理である。だから役者は無意識のうちに楽をして気がつかない。「止める」「吸う」「吐く」、呼吸を意識して操ることは極めて面倒な作業だが、それをしなければ碌な台詞など喋れない。
以来、古典を演ずる者にとって、息とは、古の言霊を復活させるために必要な、黄泉の国から吹いてくる風のようなものだという感覚が、ずっと僕にはあった。

「日本人は語るべきものを持っていない。沖縄とアイヌにはそれがあるけれど……」
ふじたあさや氏は、そう古屋さんに問いかけた。さすがふじたあさや氏、核心を突いた問いだと思った。さて、古屋さんは何と答えるか。
「そんなことないですよ。例えばおじいさんなら子供の頃の話をすればいいんです。みんなそれぞれ伝えたいことがあるでしょう、それを語ればいいんです。この本を読んで聞かせたい、それだけでもストーリーテラーなんですよ」
あさやさん、してやられたな。もう予定の時間。これ以上突っ込んだら終わらなくなる。
「なるほど、そういうことね。誰もがストーリーテラーになれる。大いに日本人も語れということだね」
「そうですよ」
僕としてはだいぶ残念な結末であったが致し方ない。
「しかし、昔はあなたのことを、ちょっと朗読の上手い役者がいるくらいに見ていたが、でもその頃のあなたの朗読は、どうだ!っていうような朗読だったねえ。それがずいぶん変わった」
「少しはよくなりましたか」
「うん、よくなった。変わるもんですねえ」
「そうですか、よかった、少しは私も成長したんですね」
「今日はたくさんの刺激的な話、ありがとうございました」

つまり、ただ語りたいという理由だけで「平家物語」が語れるわけはないということなのだ。自分が本当に語りたいものとして「平家物語」を語ることの困難さを、僕は思っていたのである。

世の朗読好きの方々、古屋和子さんのポジティブな結論に騙されてはいけません、ということかな。

それにしても、僕の琵琶の件はどうなっているのだろう。

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tag: 「枡形城落日の舞い」  アイヌ  朗読  ふじたあさや 

異界と交信する琵琶法師

前回の稽古の記事でちょっと紹介した岩波新書の「琵琶法師」。
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それには、“〈異界〉を語る人びと”という副題が付されている。

あさやさんの仕掛けた「壺」は深かった。というか、自分で勝手に穴を深くしているところもあるのだが。「聖と俗」、「異形のモノ」。書斎の本棚から、20数年ぶりに山口昌男氏の著作などを引っ張り出した。
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とても会社の業務の合い間に書くようなブログで扱える内容ではない。こいつらはもう“社長とは呼ばないで”の範疇だが、そっちはますます書く時間がない。だから過去の文章から関係ありそうなものを拾ってはみたのだが……
 ⇒“社長とは呼ばないで”のトリックスター「三太郎」のカテゴリ

「異形のモノ」のこと……
 ⇒《お天道様と友達になったオカマvs.つかこうへい》
 ⇒ジュネを装う三太郎
 ⇒生物多様性と自然淘汰

……いよいよややこしくなった。

だが、ここで絡まった糸を解すつもりもない。そんなことは無理である。トリックスターは矛盾に満ちている。善と悪。賢者と愚者。聖なるものと穢れたものが未だ渾然としていた原初の時の住人。そんな存在が今に現れれば、遭遇した者たちは過去を体現することになる。現代の権威は秩序を撹乱するトリックスターを抹殺する。だが、古の権力者たちは、道化を屋敷に招き興じた。トリックスターが世界を再生させることを、彼らは知っていたのだろうか。
トリックスターと山口昌男、とくればすぐに兎が思い浮かぶ。山口昌男はジュンク族の野兎噺と比較しながら、狂言の「月見座頭」について論じている。
野兎噺はここで紹介することを憚られるような大変グロテスクな物語である。簡単に言えば盲人を徹底的に苛めて愉しむ野兎の話。
「月見座頭」は、中秋の名月に虫の声を聞いている座頭と、月見に来た男の話しである。意気投合した二人は酒宴を楽しみ、その後、それぞれ帰途につく。
男は「さてもさても面白いことであった。座頭と月見を致いた。まず急いで戻ろう。が、いまひとしおの慰みに、作り声を致いて、きゃつに喧嘩をしかけてみょう」、そして男は座頭を小突き倒して去っていく。
失った杖をようやく見つけ、座頭は最後に言う。「アア、思えば思えば、今のやつは最前の人には引き代え、情けもないやつでござる。世には非道なる者もあるものじゃさて」

山口昌男は言う。
「(ジュンク族の野兎噺で)野兎が演じている役割というのは(中略)『シテ』を喚び出す『ワキ』の役割とでも言えるものである。野兎はまず、原野に出ることによって、日常のあたり前の世界から身を引いて、この世ならぬものに対して、反応しやすい状態に身を置く。この世ならぬ者(盲人・精霊・原野の霊・鍛冶師であるライオン等)が現れた時に彼が、その存在に対して対応する行為の『かたち』が時には呪文、時には歌、時には詐術、時には『食べる』という、つまり、日常生活に入り切らないか、入っても磁気を帯びすぎている行為である。こういった行為の『かたち』を通して、彼は、この世ならぬものに対する透視力を保証されているとも言えるだろう」

山口はこの「ジュンク族の野兎噺」と「月見座頭」に共通点があるというのである。
「偽善的告発ヒューマニズムの卑小さとは質を異にする強靭なヒューマニズムである。」
「何物かを欠くことによって、世界に決定的な何物かをつけ加える『シテ』的存在と、自ら何物か(知性・慎み深さ・道徳性)を欠くことによって、こういった存在の秘める濃い影を曳き出す力を帯びた『ワキ』的存在としてのトリックスターなのである。こういった位相において『シテ』と『ワキ』とは共犯関係にあるのであり、犯行は、我々を強靭なヒューマニズムに向って鍛え直すべく遂行されるのであり、演劇的舞台・神話が語られる場は、こうした祝祭が成立する特権的な場所なのである。」

僕が演じる旅僧の役どころは「ワキ」である。しかし、残念ながらトリックスターとは程遠い心優しき「お坊様」である。はたしてそんな偽善的坊主に、「この世ならぬもの」を呼ぶ出す力があるのだろうか。何かいい手はないものか。

演じるとは、狂気の自己を冷徹に監視するもう一人の自己が存在して初めて「深み」に到達できる行為だと信じてきた。というより、自分が役者であるならば、そうありたいと思い続けてきた。それ以外に、「世界」に匹敵する重層的な構造を表すことなどできない、それができなければ、僕にとって演じることは無意味であるというふうに。なんとも大げさなはなしであるが。

その文脈で、朗読の形而上学なるものも(今はすっかり中断しているが)書き始めた。また、このところずっと拘って書いているイントネーションについての能書きも同じことである。

さて、ふじたあさや氏に「読んどけ」といわれた兵藤裕巳著「琵琶法師」について、これから、語ろうと思うのだが、その内容は、「朗読の形而上学」や「イントネーションについての能書き」に冷水をぶちかけるかのように見えるかもしれない。だが僕自身はそうは思っていない。

僕は琵琶法師ではない。しかし彼らが住む島への橋はある。仮にその橋が絶望的に渡れぬ橋であったとしても、対岸に立ち込める霧も晴れる瞬間がある。盲ではない僕は、その時を逃さず異界を凝視することができるはずだ。

兵藤裕巳氏によると、平家物語の中には、「語りの『視点』がどこにあるのかわからない不思議な文章」があり、それは「『視点』という視覚性そのものを払拭したような文章」なのだという。いわば主語を探し出すことの困難な文章、というより、主語が刻々と変わっていく「非論理的」な文章。なぜそんな文章が生まれたのか。(この問い自体が、近代的論理に呪縛されている証拠なのかもしれないが。)
いくつもの時代の中で形成されていった平家物語には、数多くの人の記憶と、感情と、惧れと、作為とが重なり合っている。つまり「過去(むかし)の死者たち」の「異界」から折り重なって聞こえてくる声の複合体なのだ。それが主語の揺らぎの原因だとするならば、それは傷ではない。だが、これを語ることができる者とは、いったいいかなるものなのか。

兵藤氏は、異界との交流は聴覚によってなされるのだという。だが、視覚が声を文節化し、ざわめきをノイズとして除いてしまうのだ。ならば、盲目であることが、異界との交流を容易にする。
「聴覚と皮膚感覚によって世界を体験する盲目のかれらは、自己の統一的イメージを視覚的に(つまり鏡にうつる像として)もたないという点で、自己の輪郭や主体のありようにおいて常人とは異なるであろう」

だから盲目の琵琶法師たちは「自己同一的な発話主体をもたないモノ語り」になんの違和感も持つことは無い。むしろそれは彼らにとって親しい世界なのである。

琵琶法師は「不断に変身してゆく語り手」である。「『我』という主語の不在において、あらゆる述語的な規定をうけいれつつ変身する主体」なのである。

平家物語を語る琵琶法師について、「個々のペルソナ(人格)を統括するはずの語り手の『我』という主語が不在」なのだと兵藤氏は言う。「語り手がさまざまなペルソナ(人格)に転移してゆくのであれば、物語を語るという行為は、近代的な意味でのいわゆる『表現』などではありえない」。確かに「狂気の自己を冷徹に監視するもう一人の自己」などという「われ思うゆえにわれあり」的な「近代的な分裂」が、世界を小さく限定してしまったようだ。

「自己の輪郭を容易に変化させうるかれらは、前近代の社会にあっては、物語・語り物伝承の主要な担い手でもあった。」
まさに演劇の原点、これこそ「憑依体験」である。また、そうでなければ「見えないモノのざわめきに声をあたえること」など不可能であったのだろう。

彼らが母を神と崇めることについて、僕は母の愛の欠如を、古の語り手たちの共通項として読んでしまったのだが、それは間違いなのだろうか。
「母と子の神をまつり、父なるもの(規範)を他者としてもたないかれらは、『我』という主体を規定する根拠の不在につきまとわれるだろう」
「自己同一的な主体形成の契機となる父なる神(他者)が不在だということだ」
「そこに形成されるのは、自己同一的の不在において、あらゆる述語的な規定を受け入れつつ変身する(憑依する/憑依される)主体である」

だからきっと、彼らは「本質的に両性具有的」なのである。唐突ではない。僕は納得している。そして「両性具有的な主体こそ、非ロゴスの狂気のざわめきに声をあたえる」ことができるのだ。
「平家物語に頻出する慣用句、『あわれなり』は、人としてこの世に組みいれられてあることの根源的な矛盾とその哀感の表白である」
僕は深く深く同意している。

「言語化・分節化されないモノ(ことば以前の非ロゴス)」から言葉が「分離・発生してくる現場」
……ああ、あの頃の匂いがしてきた。そんな「事件」を舞台上に出現させる、しかし、なんとも困難な作業である。

トリックスターは命を賭けている。道化は、王の前でいつも死の危険と向かい合っているのである。しかし、ここは市民劇の現場なのだ。一緒に舞台に立つ方々は河原者ではない。
それでも僕は、少しでもそこに近づきたいと密かに思っている。そのために何ができるのか、例えばその一つがイントネーションにこだわることだと、僕は信じているのである。そうして、ことばひとつひとつに、なんとかして古の重なりあった言霊のざわめきを籠めようと、目を閉じて耳を済まして考えているのである。

僕は琵琶法師ではない。僕は、ロゴスによってしか言葉を考えることができない役者、ホントであれば舞台に立つ資格のない役者である。
だが、僕がやろうとしていることも、琵琶法師の非ロゴスの手法と根本的に矛盾するものではない、と、信じるしかないのである。

そうして更なる別の方法、しかしながら……

いや、それはまた、別のはなし。

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tag: 「枡形城落日の舞い」  朗読 

省エネ化した言葉から言霊が消えていく

きっと、まだ色はいらない。
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ふじたあさや氏から、読んでおけよと言われた岩波新書の「琵琶法師」。
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《いやはや、僕が背負っているものは、ただ琵琶だけではなかったのか》
「お前ならそこまで突っ込んで考えるだろうと思って旅僧の役をつけたんだよ」
また始まった。いつもあさやさんは、こうして能天気にうそぶく。ただ何となく成り行きでこうなってしまったことを、後から尤もらしい理由をくっつけて擽っているのだろう、と、分かっているのに、こうして考え込み始めているわけだから、あさやさんの思う壺にどうやらマンマと落っこちてしまったらしい。

「東国」のアクセントについても、ちょっと迷っている。それについてご説明するために、かなり遠いところから話を始めるが、どうかついてきて頂きたい。

日本語は、どんどんと平板化してきている。

さて、そもそもイントネーションの範疇でいうところの「平板」とは何ぞや。俳優たるもの、みんなそのぐらいのことは知っているはずと思いきや、正確に理解している役者はさほど多くはない。

日本語のイントネーションで意味を成すのは、音が上から下へ変化する時だけで、下から上への変化は、基本的には話し手も聞き手も意識してはいない。
いわゆる標準語では、「箸」は( ̄_)でなければならないが、「橋」の方は(_ ̄)でも( ̄ ̄)でも構わないのだ。もちろんアクセント辞典では(_ ̄)となっているが、意味を伝えることだけにおいては、どちらでも伝わるのである。つまり、単語だけを見れば、「橋」のアクセントは平板なのである。

(※もしかすると平板なのは「端」( ̄ ̄)じゃないのと思い違いしている役者もいそうだが、アクセント辞典では「端」も(_ ̄)である。では何が違うのかというと、続く助詞との関係が違うのである。「端」の場合、続く助詞も下がらない。「端を」は(_ ̄ ̄)となる。上昇点は無いのと同じなので、下降点の存在しない「端を」は平板である。従って「端」という単語は「平板型」である。
一方「橋」は、それに続く助詞が下がる。「橋を」は(_ ̄_)となる。こういう単語を「平板型」に対して「尾高型」と呼ぶ。因みに「箸」は「頭高型」だ。)
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(※「尾高型」は最後をカギ括弧で表す。「尾高型」は「尾高型」「頭高型」や後から出てくる「中高型」とともに起伏式の仲間で、平板式の「平板型」とは区別される。)

つまり「東国」を(_ ̄ ̄ ̄)と読めば平板である。( ̄___)というイントネーションのほうがたぶん古い。この「東国」しかり、「北條」しかり、「民藝」「親父」しかり、どれも同じように二通りのイントネーションがあるが、古い方のイントネーションが起伏式アクセント(つまり下降点を含む言葉)なのは、日本語の平板化の現象はずっと前からあったということを証明しているのではないか。

言語の平板化は、何も日本語に限ったことではないらしい。その例をここで上げることはできないが、どうやら発音の労力を軽減しようとする言語の省エネ化現象がその原因で、それは、長い時間をかけて変化していくあらゆる言語に共通した大きな方向性なのだという。
(※もうひとつ、日本語の場合には意味と関係する下降点をなくしてしまうことで、下降点を憶えなければならないという学習の負担を軽減しているらしい。また特定のグループ内でよく使われる言葉は、他の言葉と差別化する必要性が薄く、平板化していく。「彼氏とクラブ行く」、「彼氏」も「クラブ」も若者の世界では日用品だというわけだ。)

また「中仙道」や「赤とんぼ」の現代の標準的な発音は、途中で一旦上がってその後に下降点がくる「中高型」である。それに対して古い発音は、どれも最初の音が高い「頭高型」である。これはどちらも起伏式で、つまり平板ではないのだが、この「頭高型」から「中高型」への変化も、実は省エネ化らしいのだ。「頭高型」の言葉は、声を出し始める前から声帯を強く緊張させておかなければならない。まずだらだらとしゃべり始めて、助走がついてから音を上げるという「中高型」の新しいイントネーションの方が、ずっと楽なのだ。

言葉がコミュニケーションツールである限り、省エネ化されて使い易くなることが悪いわけではない。ただ、平板型より起伏型の方が、また「中高型」や「尾高型」より「頭高型」の方が、単語そのものは際立つ。
「平板化した言葉は、舞台での表現力に乏しい。言葉の平板化は、演劇にとって困った流れだ」
いつか、ふじたあさや氏がそう語っていたことがある。

また少し、話しが変わる。
はたしてついてきて頂けているだろうか。

次は、単語ではなく文章の話し。
主語と述語、修飾する言葉と修飾される言葉の関係を正しく伝えるためにも、下降するイントネーションをどう操るかが、役者にとって大きな課題となる。基本的には、主語は述語よりも高く、修飾する言葉は修飾される言葉よりも高くなければならない。その高低の差が大きければ、意味がはっきりして理知的に聞こえ、小さければ、意味よりも情緒が立つ。あるいは、高低の差がより大きければ感情的に聞こえ、小さければ冷徹だともいえる。これは正反対のようだがそうではない。例えば「高い」という形容を強調するかしないかは、ある時は感情であり、ある時は論理的な度合の数値に左右される。

若者は、音の高さをある程度強さで置き換えることもできる。声に力のない老人は、極端な高低差で表現する。

だが、いずれの場合も、修飾関係の基本的なルールを無視して、あちこちで正しい高低差を逆転させたりし始めると、感情も論理も年齢も関係なく、台詞から伝えるべき意味が消え、ただ節の付いた臭い芝居になってしまう。

最初の読み合わせの頃は、どなたもあまりこんな間違いはしない。しかし稽古が進み、感情が入り始めると、芝居に悪臭が漂いはじめる。雰囲気のことを言っているのではない。それは好みの問題である。そうではなくて、極めて論理的な話しなのだ。つまり、意図なく主語よりも述語の音が高くなり、修飾する言葉よりも修飾される言葉が強調されると、伝えることを無視した不思議な日本語が出現するのだ。記号として従わなければならない音の高低関係のルール崩壊である。今日の読み合わせでは、いたるところでそれが起こっていた。

意味に注意を払わなくても語れるくらい台詞に慣れて、台詞に感情を盛り込む余裕ができると、往々にしてこうなる。だが、これはきっと一過性のものだろう。意味を完璧に理解して設計図を引き、さらにそのプランが頭にしっかり定着すれば、きっと消えるものだろう。皆さん、役者なのだから。

芝居の稽古において、意味が不在になるこのエアポケットのような一時期に、役者が犯すこうした間違いの多くが、先に述べた省エネと関係しているように思えてしかたがない。

日本語は、その構造上、どうしても文章全体が高い音域から下降していき、述語の音が一番低いということになる。
「僕は」「とても(1)」「重い(2)」「荷物を(3)」「持って(4)」「歩く(5)」
主語の「僕は」の音は、(1)〜(3)との音とは直接的な修飾関係がないので、(1)〜(3)の単語に対して高くなければいけないというようなことはない。しかし、(5)の「歩く」よりは高くなければならない。
また、(1)〜(5)の音の高さは、特別な理由の無い限り、次のようでなければならない。
(1)>(2)>(3)>(4)>(5)
「>」は、それぞれ下降点であるとも言える。つまりこの文章を言うためには、これだけで最低5つの音階が必要ということになる。ところが、そう語らない役者が続出する。(1)>(2)>(3)までは問題なく来たが、さらに続けて(4)を(3)より下の音にするのはちょっと苦しいなんてことが起きる。意識して下っ腹に力を入れたりすれば出るような場合でも、それはやらない。そして(4)の頭でポンと音を上げたりする。きっと無意識である。すると途端に台詞が節に聞こえてきて臭くなる。

長い文章を語るのが難しいのは、その息の長さのためだけではない。意味を正しく伝えるために必要な音階の数は、修飾関係が多層的になればなるほど増えることになる。音階の数が多く必要になれば、当然それを表現する音域も広くなければ語れない。
(テクニカルなことを言えば、最初の(1)の始まりを高い音から始めるという緊張感を持てば、意味が分からなくても破綻なくクリアできることが多い。初見で、意味を瞬時に把握できないような複雑な文章を読まされる仕事の時は、この手を使ってきた。)

さらに各文節を見てみよう。
「荷物を(3)」「持って(4)」「歩く(5)」の中には下降点がある。この下降点のある言葉、つまり「荷物を(3)」と「持って(4)」の、その次の音がくせものなのだ。下降点のある単語を使った後は、楽に発音したいという理由で、次の単語の頭の音が高くなりがちなのである。上昇点は意識しないので、文章の論理的構造に無頓着な話し手は、音を上げることに躊躇がない。従って次の音は、上がりたいだけ上がった音で発せられるということになる。

「持って」の「も」が「荷物を」の「に」より低音の領域で収まっていればよいのだが、それを越えてしまうと、修飾関係が分からなくなる。何度も言うが、意味の抜けた状態で台詞を言うとそうなるのだ。イントネーションは論理の構造なくしてはありえないはずなのに、論理を失った台詞は、自分でコントロールしているつもりでも、実は無意識の領域で、省エネという全く別のエンジンに支配されていることがママある。

さて、この5つの音階を出すために必要な音域を獲得できていない役者は、どうやってこのエアポケットから脱出するのか。

極めて(1)=(2)=(3)=(4)=(5)に近くしてしまう。こうなると、もはやダイナミックな台詞は期待できないが、論理的な破綻からは逃れている。比較的ベテラン女優さんに多い。また、若い役者は強弱を駆使して補う。また語尾が消えたり、息になったりもする。
しかし話し言葉の文章におけるイントネーションの論理的構造を意識し始めれば、短期間の訓練で格段に音域は広がるであろう。逆に意識しなければ、きっといつまでも変わらない。

要するに下降点が少なければ少ないほど、日本語は楽に喋ることができるのだが、たぶん多くの役者が、自分が少エネというエンジンに捕らえられているということに気がついていないのではないか。
 ⇒関連記事【変わらぬ味・近代文学・変わりゆく言葉】

言葉は、長い時間をかけて省エネに向かって歩んでいる、それは確からしい。しかしである。ならば時代を遡れば遡るほど、人は広い音域を使って、話すという行為に、より大きな労力をあてがっていたということなのか。どうも、それは俄かには信じがたい。
もしかすると、世の中が進み、増大した情報を含む文章を(つまり複雑な修飾関係を)的確に伝達するために、せめて一個一個の単語をシンプルにする(余計な下降点は削る)必要性が出てきたということなのかもしれない。

論理は益々複雑になるが、それに伴って、ひとつひとつの言葉に存在していた言霊が、どんどんと失われていく。重要なのは関係性、そんな世界の中において、個は深化することをやめる。論理のしがらみによって平板化された言葉そのものは、古から受け継いできた豊かさを、つまり刻まれた歴史の記憶を捨て去っていく。

さてこの稽古場に集まった者たちは、ならばいったいどんな言葉を選ぶべきなのか。それを決めるのは、この芝居において、我々がどのように古の時代と対峙しようとするかにかかっている……

ずいぶんと回り道をした。最初の課題に戻ろう。
《なぜまだ「東国」のアクセントについて迷っているのか》
ここまで話せば結論は決まったように思える。古の言霊を自らの中で復権させるためには、「東国」は( ̄___)と発音されなければならないと。

しかし、それでは、まだ半分なのだ。
「足を伸ばして、東国の、鎌倉殿ゆかりの寺々に参ろうと思いまする」
短い文章である。僕はこの一節を、九州にあるボタ山のようなひとかたまりにして、まろやかに語りたいと思っている。その理由を説明するための確たる何かがあるわけではないのだが、まずはそんなものかと思って頂きたい。言霊には論理に納まりきらない姿があるということなのだ。

「東国」を(_ ̄ ̄ ̄)と発音すると、文章全体をボタ山に近づけることができるような気がする。しかしやはり「東国」は( ̄___)と言いたい。だが、そのように「東国」を「頭高型」で発音した瞬間、出現した下降点がボタ山を潰してしまうのだ。それは、僕の役者としての音域不足という技能の問題なのか、あるいは、小川信夫氏が書き、ふじたあさや氏が上演台本に手直したこの台本の文章が、現代の論理の呪縛に囚われているからなのか。
もう少し考えてみることにしようと思っている。

おまけだが……
今回の台本では、「最愛」と「友愛」と「慈愛」という言葉が使われている。それがどうもしっくりこない。鎌倉時代にそんな言葉あったのだろうか。一挙に現代に引き戻される感覚がする。そのことを問わずに放置しておいて、ちっぽけな「東国」にココまでこだわるというのも、おかしな話ではある。

でも「最愛」も「友愛」も「慈愛」も、人様の台詞だからなあ……

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ひとつBreakを置いて再び二重母音

ちょっとブレイクを入れるつもりが、すっかり手間取ってしまった。

再び、市民劇の稽古場である。
正しくは「連母音」なのかもしれないが、演技の話しなら「二重母音」の方がしっくりくる。
「滑舌(あるいは活舌か)をよくする方法」なんてネットで検索すればいくらでも出てくる。そんなものに興味はない。

ふたつの単語の連結部に生じる重母音。
「参ろうと-思いまする」mairooto-omoimasuru
「そういう-うちに」sooiu-utini
「三郎殿と-奥方を」saburoodonoto-okugatawo
「御寺が-あると」mideraga-aruto


いくらでもある。数え上げればきりが無い。
たぶん二重母音のふたつ目を言い直すような感覚があればそれで十分なのだろう。だが今回の僕は、きっちりとブレイクを入れて語ってみている。それが正解なのかどうか、ちっとも分からない。

もう5年前のこと。僕も出た芝居の稽古場にて。
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藤田傳氏が文学座出身の若い俳優にダメを出していた。
「おんなじ母音が続く時は、必ず間にブレイク入れるんだよ。じゃないと何を言ってるのか分からない。今の文学座はそんなことも教えないのか。江守徹は完璧にやってるぞ」

あえて強い表現を使っていたのだろうと思う。しかし、そこまで言われても、彼は芝居に没頭すると、言われたことが出来なくなった。言われたことを意識すると、芝居が崩れた。傳氏は彼に何を伝えたかったのか。

ここのところ、沖縄語の音韻に拘っている。そうしていると、興味深いことがたくさん出てくる。古の大和の言葉の世界へつながる門が、そこにあるような気がする。だが、このカテゴリの記事では語らない。沖縄語関連の記事で書く。

読み合わせに耳を傾けている。
二重母音を意識して台詞を読んでいる人がいるのかいないのか。意識しなければ台詞にならないと言っているわけではない。意識すれば台詞になると言っているわけでもない。ただ、役者であるなら、一度くらいはとことん意識して言葉の音そのものに拘ってみるべきだろうと思うだけだ。この中のどれだけの人が、それに同意してくれるだろうか。そんなことを考えていた。

言葉の中に長い歴史を探すことをしなければ、時代を語る芝居などできるはずはい。かつらを被ったファミリードラマなら、演らなくてもよい。

母音と母音の間で休んでいたい。
何を言ってるのだ。ボインなんて死後だよ。
死後に息を吹き込む。
あーあ、ダメだこりゃ。
さあ、自転車乗って帰ろう。自宅まで25km。精子が減少する。

少し捻り過ぎたな。川っぷちを走って頭を冷やせ!
凍えそうだよ……

色んなことが交錯している。

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再会しました【朗読の未来は……】

菅の薬師様の命日は9月12日で、常盤御前が御本尊で、菅の薬師堂は毎月2の付く12日と22日には本堂が開く。いったいどんなシステムに従っているのかな、さっぱり分からないが、ともかく今日は22日、朝、事務所に出かける前、菅薬師堂に寄ってみた。

実は10日前の12日、毛糸のキャップを本堂の中に置き忘れてきたのだ。

しかし、この日も本堂はまだ開いていなかった。
ところが……
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あらら、もしかして10日間ここにあったのかな。一日も雨は降らなかったみたいだし。ということならば、もっと早く来てみればよかった。
ともかく、帽子君と無事に再会しました、というハナシ。

その日の午後、ある朗読会に出掛けた。
そこで……
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宇夫方路は、サンディエゴで出会った羽島実優さんと再会。
高山正樹は、岡田和子さんと再会。いったい何年ぶりでしょうか、和子さんはふじたあさや先生の妹さんである。

宇夫方女史が、琉球舞踊専用ブログに実優さんとの再会ばなしを書くだろうから、それを待ってこちらの記事は後日追記することにしよう。

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「東国」のアクセントに拘ってみる

年明け最初の稽古です。
場所は、川崎区にある京浜協同劇団の稽古場。
京浜協同劇団の看板
「全日本リアリズム演劇会議」か、歴史を感じますねえ。

null僕の名前が抜けていたチラシですが、それも修正してくださいました。
しかし「順不同」ってなんなのでしょう。決してデジタルでランダムな処理をしたわけでもなさそうですし、後から付け加えた僕の名前が最後というのが、ランダムでない証拠。まあ「順不同」というのは、並べた順に特段の意味はありませんから気にしないでくださいという意味なのでしょうからいいんですけれど、これだけの人数の最後に並べられると、いくら「順不同」と但書があっても、なんとなくこそばゆい感じがするのです。真ん中あたりにそっと紛れ込まして頂ければ心穏やかだったのに、なんて。

新しいチラシでは最後なのですが、実際の舞台ではどうやら最初に声を発することになるらしい。役名は「旅僧(たびそう)」。いわば能におけるワキ。ストーリーテラーに話すきっかけを与え、それから始まる物語では聞き手という役どころです。

芝居は旅僧の名乗りから始まります。そして主人公稲毛三郎重成の妻である綾子の化身の蝶に誘われ広福寺にたどり着く。そこで、ひとりの老女に出会います。その老女は、かつて重成の侍女頭であった八重。この八重がこの芝居のストーリーテラーで、目の前の旅僧に昔を語って聞かせるという形で舞台の前半は進んでいくのです。
つまり、本筋だけなら旅僧なんていなくても十分成立するのですが、しかしそのスパイスみたいな存在によって、芝居は二重三重の構造となって深さが増すというわけ。古の平安を現代に繋ぐ役割といっては言い過ぎでしょうか。しかし、スパイスは好みの別れるところ、なんとも責任重大であります。


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さて、配役が100%決まっての初稽古、まずは頭から読み方や発音、アクセント(日本語の場合はイントネーションと言ったほうが適切かもしれませんが)などのチェックです。「鼻濁音が乱れていますねえ」という演出ふじたあさや氏の指摘。軽いジャブですな。

しかし、沖縄の言葉やその歴史を学び初めてから、僕は鼻濁音についての印象がすっかり変わってしまいました。特に最近、唄三線で古典を習うようになって、意識しないと出てしまう鼻濁音を、逆に封印する練習ばかりしているのです。鼻濁音を一切使わないというのもなかなか難しいのです。

でも、今回は平安の時代劇をやろうとしているわけですから、鼻濁音を「正しく」使うことは、必要なことなのでしょう。ただ、あたかも役者はいつでも「正しい鼻濁音」を使わなければならないと言い切ってしまうような表現は、それは違うのではないかと思うようになりました。

今までもM.A.P.after5や「社長とは呼ばないで」などで、鼻濁音について色々と書いてきました。そのいくつかをどうかお読みください。
 ⇒沖縄語の音韻講座、プロローグ(1)
 ⇒日本語の二大美点?
こんなことを言うから僕はまた敵を作るわけなのですが、性分なので仕方がありません。

仕方ないついでにもうひとつ言っちゃうことにします。

旅僧の「名乗り」は次のような台詞です。
「これは、諸国一見の僧です。このほど鎌倉に参り、寺社をめぐり、いくさの跡を尋ねての帰り道、足を伸ばして、東国の、鎌倉殿ゆかりの寺々に参ろうと思いまする。」

僕はこの中の「東国(とうごく)」のアクセントを( ̄___)と読んだのです。しかしこれに対して、ある超有名劇団のベテラン俳優さんからこんな御指摘を頂きました。「東国」を( ̄___)と読んでは「唐の国」に聞こえる。(_ ̄ ̄ ̄)が正しいのではないか。
ありがたき御教授、まず僕は、素直に受け入れて読み直することにしました。しかし何故かしっくりこない。
僕が「東国」を( ̄___)と読んだのには、それなりのワケがあって、僕の固い脳みそが、その「ワケ」をリセットできずにいるらしいのです。
「東国」を( ̄___)と読んで「唐の国」に聞こえるか否かはともかくとして、「東国」という言葉を実生活で使うことがあったとしたら、確かにおっしゃられる通り、僕も間違いなく(_ ̄ ̄ ̄)と発音します。にもかかわらず、この芝居において「東国」を( ̄___)と読みたいと思ったのは何故なのか。

その大きな要因として、この芝居の冒頭の「名乗り」を、「様式的」にしなければならないということがありました。
といって、能や狂言そのままに演ずるわけでもない。いったいどのように「様式的であること」を表現すればいいのか、まだまだ決めることはできません。そこでまず僕は、一音一音を浄瑠璃のように粒立てて語ってみること、そしてそれに加えて、「東国」を( ̄___)と読んでみることで、古典的な様式の「感じ」を付加することが出来るのではないかと思ったのです。
そう思ったのは感覚でしかありません。しかしその感覚は、僕のいくつかの知識やこれまでの経験によって、僕自身にはそれなりに根拠がありました。

日本語のアクセント(イントネーション※以後アクセントに統一)は、大雑把に言えば東と西の系統に大別され、いわゆる「標準語」はもちろん関東系、特段の地域性を芝居に持たせないのならば、たいがいそれ準じます。まして今回の芝居は東京に近い川崎の郷土劇なのですから、「標準語」のルールに従うのは当然でしょう。

しかし、古くは日本において関西のアクセントしかなかったという説を聞いたことがあります。少なくとも、古典的な芸能の多くは、京都あたりで成立したようです。「東国」を( ̄___)と発音するのが関西系のアクセントであるかどうか、その正確な知識は持ち合わせていないのですが、古典芸能のアクセントが、いわゆる標準語のアクセントとちょくちょくこれに類した差異を示すという感覚が僕にはあります。
そこで、(_ ̄ ̄ ̄)と発音するのが現代ではしっくりくる言葉を、あえて( ̄___)と発音することによって、一種の古典的な雰囲気が表現できるかもしれない、これが、僕がこのアクセントを選択した「ワケ」です。

そうした「理屈」が独り善がりなものであれば、勿論とっとと捨て去るべきですが、さて。

今から30年以上前のこと、「宗論」を演じたことがあります。しかしそれは狂言でも落語でもなく、台詞つきの日舞でした。
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指導してくださったのは名古屋の花柳流の重鎮、花柳芳五三郎師の御曹司である花柳伊三郎さんです。その冒頭にこんな台詞がありました。
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「まかりいでたる者は、都、東国の僧でござる。この度、思いたって……」

これが伝統的な台詞、文言であるのかどうかは不案内なのですが、少なくとも狂言の名乗りではありません。狂言の名乗りなら「このあたりの者でござる」というだけ、名乗らないのが狂言の名乗りで、こんな風に素性を明かしてしまう名乗りは狂言にはありません。
もしかすると、伊三郎さんの実験的創作であったのかもしれませんが。

この時、この「東国」を( ̄___)と伊三郎さんの口伝で語った微かな記憶が僕にはあるのです。とはいえ、名古屋出身の伊三郎さんですから、それだけの原因で( ̄___)と発音されたのかもしれません。だとすれば、これもいつまでもこだわるような話しではありませんが、確かにその時の経験によって、ひとつの感覚が植えつけられたということも事実のようです。

それから数年後こと、ひょんなことから、僕は講釈師の小金井芦州の弟子となり、今はなき本牧亭で前座を務めるような短い一時期がありました。
 ⇒28年の時を隔てて【小金井芦州のこと】
僕は芦州からよく「訛ってやがるなあ」と言われました。子供の頃3年ほど京都に住んでいましたが、これでも山の手生まれの山の手育ちです。訛っている自覚は全くないのですが、どうやら標準語と江戸弁の講談とでは、その発音もアクセントも似て非なるものだったようです。

講談には台本があります。しかし、修行はもちろん全て口伝です。
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最後の講釈師と言われた名人との一対一の稽古、それは貴重な時間でした。そしてこの経験においても、「東国」を( ̄___)と発音する「感覚」は、むしろ補強されたというふうに、今思い起こしてみると感じるのです。

最近、落語を演ずる機会がありました。三笑亭夢丸さんの新江戸噺のひとつ、「紅い手」という怪談噺を朗読するという企画です。
その「紅い手」の中に、「中仙道」という言葉が出てきました。普通に語れば「なかせんどう」は(_ ̄ ̄___)です。それが山の手で育った僕の感覚です。しかし、夢丸さんからお借りしたテープでは、師匠は( ̄_____)と語っていらっしゃいました。落語は個々自由な芸ではありますが、言葉の発音やアクセントなどの基本は口伝です。何度かその通りになぞっているうちに、なるほどこの方が、落語にはしっくりくると感じられ始めたのです。終演後、文芸評論家の大友浩さんとお話をさせて頂きました。その際、大友さんも中仙道をやはり( ̄_____)とおっしゃられたのを聞いて、なるほどとあらためて納得したのでした。

後で調べて分かったことなのですが、中仙道を( ̄_____)というアクセントは、少し古い言い方であるらしいのです。東海道もやはり古くは( ̄_____)といっていたらしい。そういえば小金井芦州の「芦州(ろしゅう)」も、若い人たちは(_ ̄ ̄先生)と言っていましたが、年配の方々は( ̄__さん)と呼んでいらっしゃいました。

因みに、僕の手元にあるNHK編の『アクセント事典』(昭和41年発行)には、「中仙道」も「東海道」も、そして「東国」も、ふたつのアクセントが併記されているということを付け加えておきましょう。しかし全て二字目上がりのほうが先の表示ではありますが。
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さてここで、ご存知の方も多いでしょうが、山田耕筰氏が作曲した「赤とんぼ」の歌詞の「あかとんぼ」のイントネーションについてお話しようと思いました。しかし、先にご紹介した大友浩さんが、それについて僕などよりはるかに深い薀蓄を書いていらっしゃるサイトを見つけたので、そのリンクを貼り付けておくことにします。是非お読みください。
 ⇒http://www.honza.jp/author/5/otomo_hiroshi…
(※但し『アクセント事典』では「あかとんぼ」は(_ ̄ ̄__)の記述しかなく、落語では常識という( ̄____)の記載はありません。)

さて、では「東国」をどうするか、いまだ結論は出ていないのです。しかしです。僕は始めに「『東国』を( ̄___)と読んで『唐の国』に聞こえるか否かはともかくとして」と書きました。しかし、舞台の上でお客様に言葉を伝えるのが仕事の役者たるもの、発した言葉が正確な意味で伝わるかどうかは、「ともかくとして」しまうようなことではないはずです。その意味では、僕のアクセントについて御指摘くださった大先輩のお言葉には、しっかりと耳を傾けなければならないのだろうと思います。
(文責:高山正樹)


ということで(というか、にも関わらず、というか)、色々な方に聞いてみることにしたのです。そしてまずは身近な方々に聞いてみることにしました。それから、今後も引き続き聞いてみようと思っているのです。粘着気質の役者の試み。それらは《続き》でご覧あれ……

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