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大江健三郎の評論を朗読するということ【大川端語りの会】

1月24日以来、“そら庵”での語りの会。

“大川端 語りの会”
 ●川端康成「美しい日本の私」武順子
 ●大江健三郎「文学者の沖縄責任」高山正樹
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(※ブログあたりで、即日あっさりと語ることは、どうやらできそうにない。ややこしい話しは、だからいつものように、後日追記することにする。評判悪いこの「システム」、もう開き直っている。)

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左から、河崎卓也さん、そら庵の奥様、武順子さん、そしてどなたなのか残念ながらお名前を聞き損ねた謎の美女……

大江健三郎公認のファンクラブがあるということを、今日はじめて知った。
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西口さんです。つい先日、大江氏とお会いしたという。携帯に納められたツーショットの画像を見せていただいた。

文章はとことん納得いくまで何度でも推敲を重ねる。
「携帯でヒョイとメールを送るなんてもってのほかです」
大江健三郎語録だそうな。おっしゃる通りです。だから僕も後日追記するのです。
だが、その結果、文章はこねくり回され、結果“M.A.P.after5”は、分かりにくくてなかなか読んでいただけないブログになる。トホホ。
こらこら、文豪大江健三郎と一緒にしては、ファンクラブの方々に叱られます。

それでも僕は
無闇に段落を変えたり

行を空けたり

そんなことは絶対にしない

のだ

ともかく
後日追記します。

大江健三郎氏の書斎には、尊敬する川端康成氏の写真が飾られてあるということ以外の、ややこしいことついては。

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tag: 朗読  武順子  沖縄  高山正樹外部出演  高山正樹企画 

大江健三郎を朗読するという無謀な実験【“大川端語りの会”で朗読の実験】

毎月第4日曜日に、武順子さんが開かれている“大川端語りの会”に、高山正樹がゲスト出演することになりました。

日時:5月23日(日)午後3時開演
場所:そら庵
 (東京都江東区常盤1-1-1 Tel:050-3414-7591)
  ⇒そら庵のホームページ
  ⇒そら庵アクセスマップ
料金:1,500円(ワンドリンク付)
演目:川端康成「美しい日本の私」 朗読:武順子
    大江健三郎「文学者の沖縄責任」 朗読:高山正樹
  ⇒そら庵のブログの告知記事

(高山正樹のコメント)
好き嫌いではない。思想的な傾向をとやかく言いたくもない。ただ、僕にとって、大江健三郎という作家が特別な何者かであったことは間違いない。
“社長とは呼ばないで”にも「大江健三郎」という文字は何度も登場する。
例えばそのうちのひとつ……
 ⇒ 左右を良く確認して首を吊る
「社長とは…」は、停滞している極私的なブログだが、再開すれば《過去のノート》のカテゴリに「大江健三郎」はまだまだ顔を出すことだろう。

武順子さんより朗読会出演の依頼を頂いて考えた。「社長とは…」で、やはり中断している「朗読の形而上学」と同じ思い、かつて演劇において、演劇から文学性をとことん排除して本質を追及した結果、言葉のない「舞踏」が生まれたように、「朗読」もまた他者が書いた文章を読むということ、書き手の伝えたい論理を伝達するということの可能性(あるいは不可能性)を、とことん考える実験をしてみたいと思い、武さんに無理をお願いした。
今回の実験にとって、大江健三郎の沖縄に関する文章が、今の僕の関心にも重なって最適だと考えた。そして「沖縄日記」という題材を選んだ。

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上の画像は1971年の夏から73年の秋にかけて発刊された季刊誌『沖縄経験』である。季刊誌だが数が合わない。71年の冬と72年の夏が抜けている。72年の秋の4号のあと、一年後の73年秋に5号が出てそれが最後となる。
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編集は大田昌秀氏と大江健三郎氏。発行人は「大江健三郎」、発行所は「大江健三郎方」となっていて大江氏個人の住所が記されている。まさに自費出版の個人雑誌。
ちなみに、第一号には、大城立裕氏が「正直になろう」という一文を、儀間進氏が「コミュニケイションとしてのコザ反米騒動」という評論を寄せている。

「沖縄日記」は、この季刊誌に大江健三郎氏が連載していた時事評論である。

“おきなわおーでぃおぶっく”でお世話になっている日本文藝家協会を通じて、大江氏に許諾申請を出した。しかし、「沖縄日記」が書き直しを経ていない「テクスト」であるからという理由で、残念ながら許可してはいただけなかった。「お許しください」という丁寧な言葉が添えられていた。

ところで、この「沖縄日記」という季刊誌がなぜ5号で廃刊になったのか、昔から気になっていたのだが定かでない。(今度、大城さんか儀間さんに伺ってみれば何か教えていただけるのだろうか。)

大江健三郎の文章を朗読することは無理かとも思ったが、やはりどうも諦められない。今一度探してみた。
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『鯨の死滅する日』所収の「文学者の沖縄責任」
1926年、『中央公論』3月号に広津和郎の「さまよえる琉球人」が発表される。4月、沖縄青年同盟の抗議文が報知新聞に掲載、それを受けて広津は自ら「さまよえる琉球人」を永久に発禁とする。
1970年、沖縄側からの要望により「さまよえる琉球人」が復刻されることになるのだが、「文学者の沖縄責任」はその際、大江健三郎が『群像』に発表した文章である。

それをもって再度使用の許諾を打診していたが、本日大江健三郎氏より許可の連絡があった。

武順子さんが読まれるのは川端康成の「美しい日本の私」、これでノーベル賞作家を読むという当初の目論見を崩さずに済んだ。「美しい日本の私」で使われている言葉は、かなり難解らしい。大江健三郎の「文学者の沖縄責任」は、使われている単語そのものには特に難しいものはない。が、その論理性は一読してスッと理解できる代物ではない。
1927年と1970年と、そして現在の2010年の状況と、広津和郎とそれを論ずる大江健三郎と、それを読む僕と、その声を聞くお客様という、極めて複雑な関係性から何が見えてくるのか、今から楽しみである。
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(追伸)
辺野古が注目されている今、『鯨の死滅する日』とは、なんとも不思議な符号です。押し詰まっての告知ではありますが、お時間があれば、是非とも珍しき試み(苦痛な時間?)を味わいにおいでくださいませ。
(しかし、大江健三郎を朗読しようなんて変人はいらっしゃらないようで。でも大城立裕氏の「カクテル・パーティー」に較べれば……、いや、どっちもどっちかな。)

tag: 朗読  大城立裕  武順子  儀間進 

ある日曜日の森下のこと

去年の10月、ざわざ江東区の文化センターまで行って、担当の方と話をしたのです。
 ⇒江東区砂町文化センターのこと
このご時勢、どこを押してもなかなかお金なんか出てくるもんじゃありませんが、それでもいい感じで協力していただけそうだったのです。
たしかに、人事異動があるかもしれないとはおっしゃられていた。でもまさか、ここまで振り出しに戻るとは。始めっからまた同じ説明をしなければならないのですね。

芭蕉記念館です。
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あ、芭蕉だ、って、当たり前なんですけどね。
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やっぱり、バナナの仲間なんだ。不意に沖縄に出会ったみたいで、なんだか妙です。
 ⇒バナナの別名は「実芭蕉」

今の担当者は、ここにいらっしゃるとのこと。
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よっぽど入って挨拶しようかとも思ったのですが、日曜だしね、担当者はいないかもしれないし、それに作戦も立てていないし。いきあたりばったりはやめた方がいい。それに今日は別件でここまで来たのだから。

それにしても、お役所って、どうしてきちんと引継ぎしないのかなあ。
民間じゃあ、考えられない。
いや、そうでもないか・・・
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日曜日。
リュックを背負って自転車に乗った二人連れの会話が聞こえてきました。

「芭蕉記念館だってさ」
「ああ、でも俺は、昭文社の方が気になるなあ」

こういう若者たちには、昭文社ってけっこう人気あるんですよね。

今日は“そら庵”に来たのです。
 ⇒前回の“そら庵”の記事
店の外では、ワゴンで古書を販売していました。
古物商の認可は取っているのかな・・・
会社なんてやっていると、そういうことがとても気になるのです。
きちんとしなきゃいけない・・・

疲れている。仕事も溜まっている。受けなければならない定期健診をすっぽかしたママ、間もなく1年になる。医者には行けとみんな言うが、そう簡単にはいかないのです。予約と、検査と、結果で、3日つぶれる。この3日の意味を、誰もわかっちゃくれない。

日曜日に病院が開いていればねえ、なんて。どうなんだろう。

沖縄関係の本を3冊ばかり購入しました。
その中の一冊、「天才アラーキー写真の時間」。

第十章が「沖縄で沖縄を語る時間」。その中に東松照明氏のことが書いてありました。
 ⇒東松照明氏のことを書いた「社長とは呼ばないで」の記事

始まる前、そんな本に目を通していたら、ますますいろんなことが頭の中でうごめき出して、ちょっと遅れてはじまって、今ボクの目の前で演じられているものだけが、シャボン玉のように、それぞれがバラバラに、何ものとも繋がらずに、いくつか浮遊していたのです。

早乙女和完の三味線。
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語ったのは武順子さん。
なんだかね、できるだけでっかい世界に出て行きたいと、帰り道、ボクはムショウに思っていました。

tag: 武順子  沖縄 

芭蕉翁は朗読の韻律に何を想うか

俳句は「詠む」といいます。重要なのは韻律、言葉の調べです。それは時間の流れの中の強弱であり、抑揚であり、リズムです。言語学的には、文字で記録されない性質のことを「韻律」というのです。
俳句は元々庶民の遊びでした。やがて17世紀になって、松尾芭蕉が、その俳句の芸術性を高めたのだといわれています。

今日の芭蕉翁は、しっとりと雨に濡れていました。
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先日の松尾芭蕉翁の記事を読む。
お隣のそら庵で、野口田鶴子さんの朗読を聞きました。
須賀敦子の「アスフォデロの野をわたって」(『ヴェネツィアの宿』より)。
 大川端語りの会のチラシ クリックすると大きくなります。

野口さんの朗読は独特で素敵でした。それはきっと、オペラで鍛えられたしっかりとした声と息遣い、それに加えて、イタリア語の発音の素養も、きっと影響しているのではないかと思われて、それは余人には真似ができないものだと感じられました。
独特であるということは、表現者にとって貴重な財産ですが、その獲得は並大抵のことではありません。素人の、ちょっと変わった読み方とは、全く異質のものです。

英語圏では、歌や楽器の演奏と同列に、朗読という芸能があったと聞いています。例えば詩などは、いかに感情をこめて韻律を浮かび上がらせるかが、朗読の重要な要素でした。野口さんは、イタリア北部で語られる古詩の抑揚に魅せられた経験があって朗読を始められたとのこと、イタリアにも、朗読の伝統があるということなのでしょうか。

はたして、日本語はどうなのでしょう。
漢字という表意文字をふんだんに使うことによって、より豊かな内容を表現することを選んだ日本の近代小説は、表音文字の欧米とは全く事情が違います。
(※厳密には漢字は表意文字ではありません。厳密な表意文字は、音とは全く無関係な記号ですから読むことは出来ません。漢字のように、音で読むことの出来るものは表語文字というのが正確な表現です。)
つまり、日本語には音だけで意味を伝えることが極めて困難な文章がたくさんあるのです。難しい言葉を使っているからだということではありません。そのことはどんな言語でも同じことです。しかし日本語には、同音異義語がたくさんある、そこに困難のひとつの原因があるのです。
もうひとつ、欧米の言葉が強弱なら、日本語は高低、強弱はいくらでも変化がつけられますが、高低には限界がある……、これ以上のややこしい話は、また別のどこかでということにしましょう。

ともかく、もし日本で朗読というものに関わろうとするなら、音だけで意味を伝えるという課題にどう立ち向かうのか、演者は常に問われているのです。
しかし、そんなことは考えずに、韻律の美しさだけを追い求めればいいのだ、もしかすると、そういう朗読のあり方も、それはそれでありなのかもしれない、そんなことを考えさせられた今日の野口さんの朗読でした。しかしやはり一方で、それには意味を伝えることを諦めるという断固たる覚悟も、また必要なのかもしれないと感じて、正直に言うと、今日の天気のように、うす曇りで憂鬱な気分が、僕の脳みその半分を支配しているのです。
いずれにしても、この大きな課題に対する無頓着さが、日本における朗読の限界、いまひとつ超えられない「何ものか」の原因ではないかと思うのです。

芭蕉のような天才の出現を待つより他はない、なんて、ちょいと大げさに過ぎるでしょうか。

宮澤賢治の「虔十公園林」をお読みになった武順子さんに、車で送っていただきました。
武順子さん

ついつい話し込んで、結局、自宅の近くまで。ありがとうございました。
いずれ御一緒できることを、楽しみにしております。
それまでに、日本の文学を声に出して読むという営みが、いったいどういうことなのかを、もう少し見極めてみたいと思っています。
 ⇒朗読の形而上学連載中

tag: 朗読  武順子