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“〜すん”か、“〜しゅん”か

【以下、無駄な前書き】(※お急ぎの方は読み飛ばしてください。)
ブログならブログらしく、その日のことはその日の内にアップしたいものです。
しかし、M.A.P.after5の記事は、情報の正確性をきちんと検証して、できるだけ掘り下げた内容のものでありたいと考えているので、なかなか「早さ」を実現できずにいます。
そこで、ともかく伝えたい情報を盛り込むことさえできれば、「てにおは」や文体の良し悪しには目をつぶって、とりあえず公開してしまうという、なかなか微妙な舵取りをやっています。
というわけで(それに加えて担当する高山正樹が多忙なため)、アップした記事に目を通す暇さえなく出掛けてしまうという場合もよくあって、お恥ずかしいのですが、しばらくして時間の空いた時に改めて読み直し、誤字脱字を発見したり、説明不足や分かりにくい箇所を直したりしているのです。記事によっては、何度も推敲を繰り返したり、極端な場合は半年後に文章の手直しをするというようなこともあります。
(ああ、新聞記者はつくづく偉いと尊敬いたします。)
どうぞ新しい記事で、分かりにくかったりおかしいなとお感じになった場合は、よろしければ数日後にもう一度読み直しなどしてくだされば嬉しいです。特に、記事内で別記事にリンクを貼っているような場合、そのリンク先の記事は、若干の修正をしていることも多いので、是非併せてお読みください。
また、新しい関連情報などがあったり、まれに情報に間違いを発見してそれを修正したりした場合は、古い記事でもコメントにて補足していますので、それについては、サイドバーの新規コメント欄からお読みくだされば幸いです。さらには、昔の記事にでも間違いなど発見された方は、どうかコメントなどでご指摘くださいませ。
(前書きおしまい)

閑話休題。
「にんじんしりしりー」の記事を書いた時の宿題です。
(下記記事のコメントを参照してください。)
http://lince.jp/hito/sirisiri…

「〜する」を首里の言葉にしたとき、「〜しゅん」が正しいのでしょうか、それとも「〜すん」でいいのでしょうか。
(※実は「沖縄語辞典」では明確に「su(ス)」と「sju(シュ)」の区別があり、「〜する」にあたる沖縄(首里)語は「〜sjuN」だと説明されているのです。)

この質問に、沖縄語を話す会の國吉眞正さんから、次のようなお答えを頂きました。

「『すん』です。[suN][sjuN]も『すん』と発音しています。例えば『首里』のことを[sjui]と書いていますが、『すい』と発音されています。しかし首里の方で『しゅい』に近い発音をしている方が居ました。その辺は私も勉強しなければならないと思っています。現状『しゅ』と『す』、『さ』『しゃ』は地域差で許容範囲として、私は全部受入れております。」

また本日、比嘉光龍さんからは次のようなメッセージが届きました。

「はい、うちなぁんいっぺー、暑さいびーん。
『しゅん』ですが、これは現代ではすべて『すん』となります。
首里言葉には『しゃ、しゅ、しょ』という発音がありますが、それは現代ではすっかり失われてしまい、すべて『しゃ』が『さ』、『しゅ』が『す』、『しょ』が『そ』と発音されるようになっています。
例をあげると、『しゃんぴん茶』というのが本来の首里言葉の発音ですが、現在では当の首里ん人も『さんぴん茶』と発音します。私が調べる限りでは、現在100歳以上の首里ん人ならば『しゃんぴん茶』という発音していたと言えると思います。私の首里言葉の先生である首里金城町生まれで士族の系統でいらっしゃる93歳のおばあさんは『さんぴん茶』と発音します。その方のご両親、また祖父母はどうでしたか?と尋ねても『さんぴん茶』としか聞いていないとのこと。『しゃ』の発音、また『しゅ、しょ』も、93歳の首里の方が聞いていないというのですから、相当昔に消えてしまった発音だと言えるでしょう。
また『しゅい』と発音するのが本来『首里』のことなんです。しかし、これも、とっくの昔に消えてしまっていて、当の首里ん人は『すい』と発音します。
『しょ』ですが、『しょーぐゎち』と本来発音するのが『正月』で、今では『そーぐゎち』と言うのが一般的です。
『しゃ、しゅ、しょ』ですが、消えたと言っても、琉球古典音楽や組踊には残っています。組踊は国立劇場が出来たせいか、わりと、この古来の発音は残して演じられますが、古典音楽は、私に言わせれば…(後略)」


この後は、また別の話題の時に。今は秘密にしておきましょう。
光龍さん、いつもいつも大変ご丁寧に説明くださり、心より感謝しております。

「す」が「しゅ」に変わる言語学的現象を「口蓋化」といって、ウチナーグチの特徴でもあります。これは「沖縄語の音韻講座」の中で詳しく説明したいと思います。
ダイワハウチュのこと

しかし、なぜ首里の言葉において「しゅ」が「す」に戻ったのか。これについては、只今研究中、「口蓋化」の説明時に研究成果が出ていればいいのですが。

tag: 【音韻講座】  國吉眞正  比嘉光龍 

“沖縄語を話す会”夏の宴【沖縄の“乾杯”は“かりー”なのか】

ウチナーグチの勉強は小休止。
大崎の沖縄語を話す会、その“夏の宴”です。
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何人かの方の御挨拶やお話は、もちろん全てウチナーグチです。
我々の理解度は…
 國吉眞正さんの主宰者挨拶:高山10%、宇夫方10%
 船津好明さんの柳宗悦に関する話:高山90%、宇夫方10%
 Yさんの御挨拶:高山3%、宇夫方10%
 演芸大会の沖縄芝居のせりふ:高山0%、宇夫方0%
 雑談:高山93%、宇夫方95%
  (時々顔を出すウチナーグチが分からない)
 乾杯の音頭(かりー):高山0%、宇夫方100%
  (要するに知っていたかどうかの違い)


でも、この「かりー」、昭和38年に国立国語研究所が出した「沖縄語辞典」には載っていませんし、「乾杯」という意味のウチナーグチ自体が、この辞典には全く見当たりません。

比嘉光龍さんは、琉球新報の『光龍ぬアハー!うちなぁぐち』というコラムで、次のように書いています。
「『嘉例(かりー)』は日本語の『かれい』から来ているらしく、意味は広辞苑に『めでたい先例』だとある。」
「これが乾杯の意味で使われだしたのはどうやら戦後のようで、うちなぁの経済界の有志たちがはやらせたようだ。」
「うちなぁぐちには『乾杯』に当たる言葉がなかったようだ。」


なるほど、してみると、やっぱり「うちなーぐち」と「うちなーやまとぐち」の線引きは、なかなか難しいですね。

するとまた、日本における乾杯の起源が知りたくなりました。
取り敢えず、こんなサイトを見つけました。
http://www.uraken.net/zatsugaku…
真偽のほどは、各自でお調べくださいませ。

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演芸大会のスナップです。
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へえ、琉球舞踊にも歌謡曲で踊る新舞踊があるんですねえ。
驚いたのは、おじいさんおふたりの手が、宇夫方路があんなに苦労した、琉球舞踊の手になっていたことです。

廃藩置県直後の沖縄の葛藤を描く沖縄芝居を
ウチナーグチで語られました。
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宇夫方路は「海のチンボーラー」と「加那ヨー」を踊りました。
「海のチンボーラー」は、津嘉山正種さんの「人類館」の中で歌われている歌です。
画像は「加那ヨー」。明治期の創作舞踊です。
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(※実は「海のチンボーラー」も比較的新しい唄。その元唄については、なかなか面白い話がありそうです。いずれしっかり調べてご紹介します。)
「ウチナーンチュよりもウチナーンチューさー」
皆さんからの有難いお言葉。
でも、着ている服は、二分式の(上下二つに分かれる)和服の普段着です。沖縄のものではありません。

新舞踊の先生も踊ってくださいました。
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最後は、カチャーシーではなく“ボケない小唄”
いいんです。それで。
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そしてこの日、上原成信さんからゴーヤーの苗を頂きました!

2009年のゴーヤー栽培記の始まりです。

tag: 内地在住ウチナーンチュ  沖縄関連の人  上原成信  比嘉光龍  沖縄語を話す会  うちなーぐち  ゴーヤー栽培.2009  加那よー 

光龍さんからの回答【うちなぁやまとぅぐち:ミクストランゲージ:スラング】

比嘉光龍さんにお会いした時に頂いたプリントと同じものが、ネットにアップされました。
「日本語」と、「うちなぁぐち」と、「うちなぁやまとぅぐち」を比較した表です。
これは、光龍さん自身によるものです。
http://blog.goo.ne.jp…

実は先ほど、光龍さんにふたつほどの質問のメールを送っていたのです。それに対して、さっそく丁寧なお返事が届きました。
まず質問その1です。
日本語=「おじいさん」
うちなぁぐち=「たんめー(士族)」「うすめー(平民)」
うちなぁやまとぅぐち=「おじぃ」

比嘉光龍さんは、「うちなぁやまとぅぐち」について、言語学では「ミクストランゲージ(Mixed Language)」に分類され、「スラング(俗語)」と同じような言葉と定義されているとし、次のように書いていらっしゃいます。
「それをもう少しくだけて言うと『タメぐち』のようなものだと思って下さい。仲間うちで使う、仲間だけしか知らない言葉のようなものです。それは、目上の人や学校の先生などには使えない」

確かに、沖縄の地方紙のコラムなどで、お年寄りを「オジイ」や「オバア」と呼ぶ最近の風潮は失礼でけしからんというなご意見を目にしたこともあります。(僕としては、敬意と愛情を持って使われれば「スラング」も悪くはないと思っていたのですが。)
では、沖縄のお年寄りを、ウチナーグチで呼ぼうとしたとき、どのように呼べばよいのでしょうか。
目の前にいるお年寄りが元「士族」か「平民」かなどわかりません。元士族の方に「うすめー」と言ってしまったら、気を悪くされるかもしれないし、かといって誰でも彼でも「たんめー」では、男性のお客さんだれかれ構わず「社長さん」と呼ぶ安キャバレーのホステスさんみたいで、これも気が進みません。というか、どちらにしても、そうした区別のある呼び方を使うことはどうなのだろう。言葉狩りはしたくはないが、なんだか難しい。沖縄語を話す会の國吉眞正さんは、もう今は、みんな「たんめー」でいいのではないですかとおっしゃっていました。
そこで、光龍さんのご意見も、聞いてみたくなったのです。

1「おじいさんのことをどう呼べばいいのでしょうか。今はどのご老人に対しても『たんめー』でいいのでしょうか。」

それに対する光龍さんのお答えは、次のようなものでした。

これは、そうは呼べませんと答えておきます。一つに統一した呼称が必要だとの考え方から、少し視点を変えて考えてみて頂きたいのですが、明治12年までは琉球王国で身分制度が存在したので、二つ、もしくは三つの「おじいさん」の呼称が存在しました。しかし、現在のうちなぁは、複雑かつ日本と言う国の一部です。そこに琉球王国時代の身分制度の呼称をあてはめようとするとかなり無理が生じます。そこで、相手にどう呼んでほしいのか問うということが面倒でも必要だと思います。個人はそれで対応できるのでしょうが、お年寄りの総称ですが、うちなぁぐちでは「御年寄い(うとぅすい)」、もしくは「思しーじゃ方(うみしーじゃかた)」と呼べばとても丁寧ですので、お年寄りよりは良いと思います。

なかなか難しいですねえ。みなさんはどうお考えでしょうか。
僕はチョイ悪おやじ。元不良なので、スラング万歳「オジイ」で、いっちゃおうかなあ。今度、儀間進先生にお会いした時に「オジイ」って、最大限の親しみを込めて呼んで見ようかな。そうしたらどうなるのでしょうか。

質問その2は長母音について。
光龍さんの作った表では、唯一「うちなぁ」だけ二重母音の二番目に小さな平仮名を使って、後は全て「ー」の文字を使っています。それは何故なんだろう。そういえば、ウチナーグチには二重母音は無いのだろうかということを考えながら、質問してみようと思ったのです。

2「うちなぁ」と「うちなー」、さらには「うちなぁー」もありそうですが、これには何かルールのようなものがあるのでしょうか。

光龍さんの回答。

これは、確かに問題ですね。私は「うちなぁ」と表記します。しかし、語尾の小さな「ぁ」ですが、これは棒線でも良いと思います。私は、うちなぁぐちを表記する時に、カタカナは何かうまく表現できていない気がしてひらがな表記にすることにしました。それらは、実践うちなあぐち教本の著者比嘉清さんや、ラジオ沖縄の伊狩典子さん、また、私のうちなぁぐち師匠である、うちなぁ芝居の名優「真喜志康忠(まきしこうちゅう)」先生の芝居を漫画化した新里堅進さんの本(琉球新報出版から三冊出ています)などを参考にする所が大きいです。

ただ、語尾の母音を棒線にするか、それとも、母音を文字化するかどうかは、私自身試行錯誤、変更に変更を繰り返して、母音はすべて棒線で書くことにしました。それならば「うちなぁ」は「うちなー」と表記しなければなりません。ただ、「うちなぁ」と言う表記だけは「ぁ」にしています。それは、沖縄タイムス紙に二年近く「光龍ぬピリンパランうちなぁぐち」と題して連載をしたのと、琉球新報紙にも「光龍ぬアハーうちなぁぐち」、また現在、おきなわJOHOという月刊情報誌に「光龍ぬうちなぁぐちアリンクリン」と書いてきたので、慣例でというところが大きいです。

(中略)

表記は高山さん御自身でお考え下さい。では、また、いつでもご質問下さい。御無礼さびら。
比嘉光龍(ふぃじゃ ばいろん)


この中略の部分には、表記について、もっと突っ込んだことが書かれてありました。光龍さんの主張は、基本的には柔軟にということなのですが、これについては当方勉強不足、もう少しそのあたりの現状を把握してからあらためてご紹介いたします。

このメールを公開することをお許しくださった比嘉光龍さんに、心から謝辞を申し上げます。

tag: 比嘉光龍  【総合講座】  二重母音 

恒例のおきなわ堂(6月の沖縄15)【沖縄語辞典】

“おきなわおーでぃおぶっく”のCDは…
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大城立裕先生の色紙と並んでます。
 →関連記事を読む(金城君の初コメントあり)

昨日、比嘉光龍さんがバイブルだと言っていた「沖縄語辞典」を発見。
間違えてはいけないので、さっそく光龍さんに電話。
「後ろに政府刊行物販売所一覧が載ってるページがありますか? なら大丈夫、それです!」
さっそく購入しました。

沖縄語辞典

国立国語研究所編、発行は財務省印刷局。初版は昭和38年。平成10年に沖縄県の人々や研究者の要望に答えるかたちで第8刷が刊行されるとアッという間に完売、そして平成13年に、若干の変更を加えられて刊行されたのが、この第9刷なのです。
光龍さんが持ってるのは、第8刷かな9刷かなあ。

店長さんのお話によると、この辞典、光龍さんが沖縄のメディアで紹介してから、よく売れているのだとか。
「光龍さんは、あの格好(甚平姿)で、よくおきなわ堂にもヒョコッといらっしゃるんですよ」

店長さん、こんど光龍さんがいらしたら、おきなわおーでぃおぶっくの宣伝もしてくださいませね。
よろしくおねがいします!

(右は変更される前のものです。)

tag: おきなわおーでぃおぶっく  おきなわ堂  比嘉光龍  沖縄の旅_2009年6月 

比嘉光龍さん(6月の沖縄12)

夕方の5時ごろ、比嘉光龍さんから電話が入った。
「今、ラジオ沖縄の本番が終ったところです。ココの一階を使わせてもらえることになったので、ココで待っていましょうね」
おっと、6時半にお会いする予定で動いていたので、ともかく大急ぎで恩名村から那覇へ向かいました。金城君と合流して、ラジオ沖縄に到着したら、「結局6時半だね」と、大きな声とおおきな笑顔の比嘉光龍さんが迎えてくれました。

初めてぃやーさゐ!
それとも
初めてぃ拝(をぅが)なびら
光龍さん、こういう場合、どちらが正しいの?
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ちょっとデカ過ぎますか?
でも、存在感はまさにこんな感じなのです。

那覇へ(なふぁかい)向かって、ラジオ沖縄に(らじおおきなわんかい)到着して…、という感じでしょうか。
この「〜かい」「〜んかい」、それに「〜なかい」については、日本語の「〜へ」と「〜に」とともに、現在さらに研究中、東京に戻ったらゆっくりとここで研究発表したいと思っています。
関連記事(6月6日の沖縄語を話す会のこと)を読む

「比嘉光龍」という名前を初めて聞いたのは、儀間進さんのお話からでした。うちなーぐちについて、いったいどんな方々にご指導をお願いしたらいいのかご相談した時に、儀間さんから出てきたお名前なのです。
儀間さんから光龍さんのことを聞いた日の記事を読む

光龍さんにお会いできることになったのは、金城史彦くんのお陰、金城君のお知り合いの親川志奈子さんが光龍さんをよくご存知で、それでご紹介いただいたのです。おふたりに心から感謝です。
親川志奈子さんに会った日の記事を読む

今日のことは、“おきなわおーでぃおぶっく”のオフィシャルブログでも記事にしましたので、必ずお読みくださいね。
http://ameblo.jp/okinawaaudiobook…

比嘉光龍さんから頂いた名刺には「ふぃじゃ ばいろん」とルビが振られていました。
肩書きは「唄三線者」。
比嘉光龍さんについても、またその考え方についても、ご報告したいことはたくさんあります。でも慌てて書くことはしません。ひとつひとつ、私たちも考え、理解したうえでご紹介したいと考えているからです。

とりあえず、今日はお会いしたということと、これからいろいろとご相談することになるであろうということのご報告でした。

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あ、それからもうひとつ、比嘉光龍さんは“沖縄語を話す会”の國吉眞正さん船津好明さんもよくご存知で、尊敬もしていらっしゃることが分かって、たいへんうれしく思ったことだけは申し添えておきたいと思います。
(問題は表記ですね…)

tag: 比嘉光龍  金城史彦  うちなーぐち  おきなわおーでぃおぶっく  沖縄の旅_2009年6月  別ブログへ 

「儀間進さんの長い雑談」の中で出た“うちなーぐち”の名手たち

ひとつ前の記事「儀間進さんの長ーい雑談」ではタグが足りない。そこで、儀間さんが名前をあげた“うちなーぐち”の名手たちのタグだけ、この記事に移すことにした。
それだけでは詰まらないので、その方々とのその後の交流を、追記していくことにした。
※2017年11月26日投稿

比嘉光龍
2009年6月14日に会う。しかし、のちにメールのやり取りをして分かったことだが、彼にとって尊敬すべき年長者は理念上の沖縄のお年寄りだけ。つまり●●な男であった。

親富祖恵子
2010年5月18日にまず宇夫方がお会いした。その後、2010年7月25日にゆっくりお話する機会があった。國吉さんに対する辛辣な評価なども含め、とても大切なお話を伺った。その時の写真は、残念ながらデジカメを紛失して残っていない。またお会いした時にと思っていたのだが、2012年11月10日に急逝されたという知らせが届く。もし生きてくださっていたら、たくさんのことを教えて頂くことが出来たに違いない。無念で仕方がない。

知念ウシ
その後、沖縄問題の周辺で、ウシさんの様々な話を聞く。そして2016年9月19日、ひょんなところでバッタリ会うのである。

伊狩典子
小那覇全人
玉城満

吉田妙子
2012年11月6日に共演。

八木政男
宇夫方路は、これ以前にも琉球舞踊の公演などで面識があった。2009年2月2日、あらためてお会いしてウチナーグチについてお話を伺う。

北村三郎
2009年6月12日にお会いする。そして2012年8月7日、うちなぁぐちフィーリングの録音にご協力いただくことになる。

北島角子
2012年11月6日に共演。

tag: 比嘉光龍  親富祖恵子  知念ウシ  伊狩典子  小那覇全人  玉城満  吉田妙子  八木政男  北村三郎  北島角子