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コリンザ改め

コリンザに行ってみたのだが…
なんか違う。
コリンザ改め
キジムナーで来た時の画像からコリンザの建物を撮影したものがないか探してみたのだけれど見つからない。
そこでネットで拾った。
コリンザ
なるほど、前にはあったコリンザのこの赤い文字が、今の画像にはもうないのだ。
壁の色も地味に塗り替えたらしい。

そういえば、コリンザが40億円近い負債を抱え清算し、はたして今後どうなるのかという話は、2011年のキジムナーフェスタに参加した時にもブログに書いていた。
 ⇒2011年07月29日「コザの街のこと」
それ以降の経緯については、これもネットで調べればあれこれ出て来るが、要は複合商業施設だったコリンザは、今は名称が「沖縄市雇用促進等施設」に変わり、九州地方最大の図書館が入っているということらしい。
大きな図書館
ただし三階にある劇場“あしびなー”はそのまま。それ以上のことは、今のところ僕には興味がない。

二階の催し場も閑散としていたが、その一角だけ、楽し気な(寂しげなともいえる)展示コーナーがあった。
なんか展示してる

展示

今まで、あしびなーでやった演目のチラシや芝居の小道具なんかを展示していた。
チラシ展示

小道具展示

それにしても人がほとんどいないのが、ちょっと痛い感じ。
あが…
アガ

「あしびなー」とは、ウチナーグチで「遊び場」っていう意味だからね。
ウチナーグチといえば、藤木勇人さんの次のイベントの日程とプログラムを、早いところ決めなければいけないのだが…
藤木さんはコザ育ち、もちろん「うちなぁ噺」のチラシもある。怪談話も悪くない。
うちなぁ噺のチラシ

芸能関連の新聞記事も掲示している。
林助の独立国

ふと、ある人を思い出した。沖縄の音楽を時代遅れの価値のないものと断言したあの渡久川君のこと。彼は今もそう考えているのだろうか。例えば照屋林助についてはどう思っているんだろうか。因みに照屋林助は、琉球古典音楽野村流の研究家・照屋林山の長男である。林助の息子林賢はいまさら言うまでもなくりんけんバンドのリーダーであり、藤木さんもメンバーだった。高嶺剛監督の映画、「パラダイスビュー」も「ウンタマギルー」も「ワタブーショウ」も、照屋林助がいなければ生まれなかった。その高嶺剛は、それ以降の沖縄の映画監督に、多大な影響を与えている。比嘉賢多もそのひとりだ。

伝統を守る、それはそれとして、そこから新しいものを生み出すということ。伝統を意識することなく、それでも伝統に、というか、沖縄のアイデンティティにしっかりと繋がりながら生まれ出て来る新しいもの、そう言い切ってみればそういうものだと思えてくるのだが、一方で、沖縄と隔絶されている者たち、つまり我々にとって、では、この僕に見えている沖縄的なモノには、どのようにもがいてみても、決して手の届くことはないのかと、沖縄の人たちに突如現れる拒絶、その体験を、今ボクは思い起こしている。

そうだ、コザには照屋林助の三線店がる。シアタードーナツに行く前に、寄ってみようか。

tag: 沖縄の旅_2018年11月  コリンザ  あしびなー  うちなーぐち  藤木勇人  比嘉賢多 

カジマヤーとキジムナー


今日は……
旧暦9月7日、カジマヤー

数え年97歳のトゥシビーに長寿の祝いをする。「風車」とか「風車祭」とか表記する。

トゥシビーについてはこちらを…
 ⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-1428.html

カジマヤーとは「風に舞うもの」の意。かざぐるまをそんなふうに呼ぶ。美しいと思う。転じて十字形のものもカジマヤーといい、四辻(十字路)などもカジマヤーである。
老いれば童心に帰るからカジマヤーなのだというふうに言われているが、古来は模擬葬式であったらしい。昔は人が死ぬと、墓まで七つの四辻を渡っていった。それを模して、例えば名護では97歳の老人に死装束を着せて盛大にパレードをする。七か所の十字路では人々が待ち受けていて、ご当人から風車を貰ってその長寿にあやかる。
「もうあの世に行かれる歳になりました。どうぞお引き取り下さい」
そんな内容の祈願でもあったのだと聞けば、なんだか悲しくもある。

映画監督のOさんがOさんと一緒にやって来た。ややこしい。ひとつは、11月31日の中央公民館の会議が終わった後に発表する。もうひとつ、というかふたつというか、来年一月の沖縄映画祭の上映作品のこと。Oさん(監督の方)から、連絡を待って発表する。

今日は他にもやらなければいけないことが山積み、でもそれらはそっちのけで、やっぱりあれこれ大嫌いな政治がらみのことを考えていたのだ。しかし、もうそれどころではない。あしたは保育園での本番。ちゃんとした仕事である。
ふと、思いついた。宇夫方女史をカジマヤーならぬキジムナーに仕立てよう。童心に返ってもらう。よし、これで行こう!そう決めたら腹が減っていることに気がついた。マーチャンそばに飯を食いに行くことにした。

肉野菜炒め

Yさんが今夜も飲んでいた。そのYさんから、Yちゃんに(またややこしい)殴り掛かられたという話を聞いて、またひとつ呟けない話を聞いてしまったのである。

【追伸】
この日の新聞に、上原成信さんがお亡くなりになったという記事が載った。

上原成信逝去1 上原成信逝去2

思わず声が出た。
成信さんと初めてお会いしたのは、大崎の“沖縄語を話す会”(2009年7月)であった。その時に成信さんからゴーヤーの苗を頂いた。今年は忙しくてゴーヤーまで手が回らなかったが、以来事務所で栽培するゴーヤーは、苗ではなくその前年に収穫したゴーヤーの種から育てているもので、つまり成信さんに貰った2009年の苗の子孫たちなのである。

上原成信さんとは2010年の忘年会が最後になってしまった。2014年に沖縄へ戻られていたことは知らなかった。
2016年の沖縄映画祭比嘉賢多「沖縄/大和」を上映したが、その映画には上原成信さんが登場されていた。普天間に立つ元気な上原成信翁をスクリーンに観て、成信さんはいてもたってもいられずに時々沖縄に行かれているのだろうと思っていたのだが、「沖縄/大和」は2014年の作品、その頃に沖縄に戻られたということか。

しかし、「沖縄/大和」の中の上原成信氏は、ネトウヨに毛が生えたような若者たちと議論してかみ合わず、むしろ論理的には負けていた。でもそれは、成信翁の責任ではないと僕は感じたのだ。なんというか、彼らを説き伏せるだけの力を持つ思想を構築して来なかった「内地」の運動の脆弱さを思ったのである。さて、そのシーンを撮って映画に使った比嘉賢多はどう思ったのか、今度会ったら聞いてみたいと思う。

自宅の書斎の本棚から、上原成信さんが2009年に出版した「那覇軍港に沈んだふるさと」を引っ張り出してきた。
那覇軍港に沈んだふるさと

装丁は三線で使われる蛇皮の柄、そして上原成信さんの言葉が書かれている。
「沖縄の基地をめぐる状況は、64年余、基本的には何ひとつ変わっていない。しかし、若いウチナーンチュたちが中心となり、闘っていくことでいつか基地のない沖縄がくることを信じている」
それからもう8年、相変わらず何も変わらない沖縄。むしろ状況は酷くなっている。

享年90歳。普通なら大往生なのかもしれない。しかし死因が膵臓がんだと聞けば、まだまだ戦っていらっしゃたのに違いないと思えてくる。カジマヤーを迎える前に死ぬことは、ウチナーンチュにとっては早すぎると、僕はそう思う。

最近、このブログに登場する方のタグリストなるものを作った。
 ⇒このブログに登場する沖縄の人たちのタグリスト
亡くなられた方には、△印をつける。その数がずいぶんと増えてしまった。上原成信さんにも今から△をつける。僕はこちらに住んでいらした成信さんしか知らないので、「内地」在住のウチナンチュのママにしておこうと思う。

間もなくこの僕も還暦である。まだまだ小僧である。世相を越えてゆったりした存在になれる日が、はたしてこの僕に来ることはあるのだろうか。

上原成信さんの御冥福を心からお祈りしている。

tag: 比嘉賢多  沖縄この日何の日  うちなーぐち  喜多見_居酒屋.マーチャンそば  上原成信 

比嘉賢多と森口豁という組み合わせ

次の日の朝に呟く。

tag: 森口豁  比嘉賢多 

「沖縄/大和」を告知してみる

「沖縄」と「大和」の間にあるラインとは何か…
「沖縄/大和」
※字幕付きで上映します。
ドキュメンタリー(99分/2014年)
監督:比嘉賢多

沖縄大和1

「揺れ動く監督の心の向こうに現在の沖縄が見えてくる」

この映画を評して、どなたかが考えたコピーである。僕はそれをそのままここにペーストしてみたのだが、本当にそうなのだろうかと、ハタと考え込んでしまった。

また、こんな解説も見つけた。

「オスプレイファンクラブリーダーへのインタビューは、中立の視点から彼らへインタビューする資料がほとんどない現在において貴重」
…としながらも、
「対立した意見をいわれるたびに自身が揺れる、そのポジションをつなぎあわせているというのが『編集されたもの』となっている。その提示は、それを観る沖縄人、『日本人』にどう捉えられるのか。それが上映会という場なのだろうが、私にはそれを積極的に語ろうという意志は生まれにくかった」
…という評論。

さて、本当に比嘉賢多は揺れ動いているのだろうか。そのように理解した「大和の批評家」たちは、実は比嘉賢多が提示した「沖縄」、きわめて「沖縄的」なるもの、その表層しか捉えることができていないのではないか…

とりあえず今日はここまで。このまま続けると、映画祭実行委員の立場を逸脱してしまう。何よりも時間がないのである。この作品に関わっていると、映画祭の幕が開かなくなってしまう(笑)
文責:高山正樹

日時:2月5日(金)14:30〜
会場:M.A.P.(第1会場)
※上映後、監督のトークを予定しています。
料金:
一般 1,200円
    学生及び75歳以上 500円 ※受付で学生証・保険証等を提示してください。
      前売りチケット1,000円あり
      ※ご予約を頂けば、前売り扱いにて、チケットを受付にお取り置きいたします。
      ※11枚綴り 10,000円(1000円券×11枚)

 ⇒オフィシャルサイトのチケット購入ページ
  ⇒CoRich 直通(PC用)
  ⇒CoRich 直通(携帯用)
 電話でのご予約・お問合せ:03-3489-2246(M.A.P.)

 ⇒総合案内記事へ

沖縄大和2

tag: 比嘉賢多 

沖縄復帰前夜の「神々の深き欲望」

沖縄復帰前夜、沖縄と大和は、どう対峙していたのか…
「神々の深き欲望」

(175分+休憩/1968年)
監督:今村昌平

構想6年
撮影2年
今村昌平 初のカラー作品

沖縄の孤島で神話的伝統を受けついで生活する人々。
因襲と近代化の狭間で翻弄される彼らの生活を描く。


① 日時:1月30日(土)10:00〜
  会場:M.A.P.(第1会場)
② 日時:2月4日(木)15:30〜
  会場:スペース103(第2会場)M.A.P.(第1会場)
料金:
一般 1,200円
    学生及び75歳以上 500円 ※受付で学生証・保険証等を提示してください。
      前売りチケット1,000円あり
      ※ご予約を頂けば、前売り扱いにて、チケットを受付にお取り置きいたします。
      ※11枚綴り 10,000円(1000円券×11枚)

 ⇒オフィシャルサイトのチケット購入ページ
  ⇒CoRich 直通(PC用)
  ⇒CoRich 直通(携帯用)
 電話でのご予約・お問合せ:03-3489-2246(M.A.P.)

 ⇒総合案内記事へ

とても語り尽くせない…
だから、極めて個人的な興味を、取り留めなく繋いでみることにする…
『神々の深き欲望』のモチーフのひとつに、戯曲『パラジ・神々と豚々』(今村昌平・長谷部慶治共著)がある。この戯曲は、当時小沢昭一が主宰していた俳優小劇場(劇団俳小の前身)が、昭和37年に上演した作品。出演者は座長の小沢昭一他、北村和夫 加藤武 など。その時、舞台監督を務めたのが藤田傳で、藤田は今村昌平に招かれて『神々の深き欲望』のチーフ助監督となるのである。
当時の撮影現場でのことは、竹中労が『鞍馬天狗のおじさんは』の中で、嵐寛寿郎の「告白」を紹介している。三國連太郎が破傷風に罹って足一本失うところだったとか、沖山秀子と監督との、とてもここでは語るのを憚られるような話とか…

そんな裏話をも思い浮かべながら、出演者を列挙するだけで、想像は限りなく膨らんでいく…

太 山盛(主人公・亀太郎の祖父) 嵐寛寿郎
太 根吉(山盛の子)三國連太郎
太 ウマ(根吉の妹、竜立元の妾) 松井康子
太 亀太郎(根吉の息子) 河原崎長一郎
太 トリ子(亀太郎の妹、知的障害の娘) 沖山秀子

竜 立元(クラゲ島区長) 加藤 嘉
竜 ウナリ(立元の妻) 原 泉

里 徳里(傷痍軍人・吟遊詩人) 浜村 純
里 ウト(徳里の妻) 中村たつ
麓 金朝(漁労長・立元の部下) 水島 晋

刈谷技師(東京から来た測量技師) 北村和夫
島尻技師(前任の測量技師) 小松方正
比嘉  (沖縄本島からの行商人) 殿山泰司

刈谷夫人(刈谷技師の妻) 扇 千景
東光悌夫人(刈谷の会社の社長夫人) 細川ちか子


一文字苗字が多いことから、元々奄美を想定して台本が書かれたことが想像されるが、実際のロケ地は南大東島や波照間島であった。

因みに、この映画には、いかにも怪しい踊りの場面があるのだが、その振付けをしたのは、関谷幸雄である。

大城立裕と犬猿の仲である新川明は、その場面を次のように批判した。

いくらかでも島における祭り、とくに映画で「ドンガマ祭り」というふざけた名前で描かれる「アカマタ祭り」を知り、またその祭に対する島の人たちの心情を知るものとしていえることは、ああいう形であの祭りを描かれていることは、あたかも、自分の心の中に、土足でズカズカと入りこまれたような感じでやり切れなかった。島の人たちにとっては、誇張ではなく、真実、言語に絶する苦痛を覚えることだと思う。
芸術家の、作品形象化における非情さというものは百も承知だが作品創造に際しての作家のエゴイズムは、やはりその描くべき事象(祭りであれ何んであれ)の本質の意味を、確実に、ゆがみなくとらえた上でこそ許されるべきであり、みずからのテーマ追求の表現材料の範囲で、恣意的に皮相な描写、設定のまま〝利用〟するということは許せない態度だと思う。


「神々の深き欲望」は1968年に公開された。その1968年を記録した映画に、第一回の「喜多見と狛江でちいさな沖縄映画祭」でも上映した東陽一の「沖縄列島」がある。それについて川田洋は、「映画批評」の1971年7月号に「〈国境〉と女たちの夜明け」と題して次のように書いた。

ヤマトから〈沖縄〉へ視線を向けるとき、この「観光地」性に足をすくわれない保証は誰にもない。ビジネスであろうが「闘争」であろうが、訪れる人々をいやおうなく「観光客」にしたてあげてしまう圧力が、あの群島には確実に存在する。東プロの『沖縄列島』は、最も水準の高い左翼観光映画であり、〈みにくい日本人〉・大江健三郎は、その映画に姿を見せた若い観光バス・ガイドに一目会いたいとコザの市中をうろついた。おそらく「観光客」としての規定性から完全にまぬがれえた沖縄訪問者がいるとすれば、この数年の間にかぞえられるのは防衛庁長官中曽根と、第三次琉球処分官山中だけだったのではあるまいか。
権力者は、まさにその権力者として持つ意志の力によって「観光客」たることからまぬがれたのだ。だとすれば、「観光客」から脱出しようとするなら権力者の階級性とサシでわたりあうに足る階級性を身に帯びるか、さもなければ一人の〈生活者〉として沖縄の〈生活〉へのめりこんでゆくしかない。


今回の映画祭全体から見た時、大和の人間にとって最も理解困難という意味において極めて重要な作品である高嶺剛の「つるヘンリー」、その対極にあるのがこの「神々の深き欲望」である。決して分かりやすいという意味ではなく、当時の大和の代表的知識人たちが描いた沖縄という意味合いにおいて、やはり最重要の作品であることに間違いない。

はじめて沖縄の人間だけで制作されたという「琉球カウボーイ、よろしくございます。」の三つの作品に、高嶺剛の影を見るのは、それらが徹底的に沖縄の感性で作られているからであるかもれない。また、大和の女性が監督した「戦場ぬ止み」とアメリカ人が撮った「うりずんの雨」について、比嘉賢多は、その二作品に自作の「沖縄/大和」が加わらなければ完結しないと豪語するのであるが、ボクもそれには深く同意する。そして比嘉は、最も評価する映画に高嶺剛の作品群を上げるのである。

沖縄出身の若き映画監督たちに多大な影響を与えている高嶺剛であるが、今回の映画祭で、平良とみさん追悼プログラムとして追加ラインナップを検討したが叶わなかった「オキナワンチルダイ」(1979年)において、高嶺は小沢昭一に出演依頼を送っていて、それが雑誌「青い海」に掲載されているのだが、それが実に興味深い。

ご存知のように日本復帰、そして琉球の大和化への一つのきっかけにしようとした海洋博を予想通りの不評の内に終わり、“さあ、沖縄はいよいよニッポンだ”と侵略者たちのざわめきと共にやってくる“素朴”な大和人〈ヤマトンチュ〉インスタントレジャー南国組が、ジャルのカバンを肩につるして、“失われたニッポンを求めて”とばかりに、互いに観光客にうんざりし合いながらも、ハードスケジュールをこなす季節が、ここ琉球の地にいよいよやってこようとしています。(中略)私達の前には、大和というものがあまりにも大きく立ちふさがっています。そこで思うに大和人は、琉球入りした場合は少なくとも「日本人宣言」をすべきではないでしょうか。お上のざわめきに便乗して“沖縄はパスポートも要らないし、便利になったワイ。どれ、一つ行ってみるか”では、あまりにも“素朴”すぎます。いや“ずる”すぎます。かって琉球人が日本入りした場合、強制的に“やらされた”様に、同様にとまではいかないかも知れませんが、“日本人宣言”をすべきです。
つきましては、誠に勝手なお願いですが、貴殿にあえてその悪役たる大和人の役で、今回の琉球映画への出演をお願い申し上げます。


小沢昭一がいったいどういう気持ちでこの出演依頼を読んだのか、今となっては確かめようもないが、もし出演していたら、小沢はいったいどのような「日本」を背負った人物を造形したのだろうか。

「神々の深き欲望」は、当時の日本の進歩的知識人が、どのように復帰前の沖縄を見ていたかを教えてくれるのではあるが、はたして現代の日本人が、その「日本的発想」からどれほど解放されているのか、極めて疑わしいのである。

神々の深き欲望1

神々の深き欲望2

神々の深き欲望3

神々の深き欲望4

神々の深き欲望5

神々の深き欲望6

tag: 比嘉賢多 

比嘉賢多という男


tag: 比嘉賢多