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高山正樹は悶々と、宇夫方路は働いています!

昨年の大晦日の終わりごろからなんとなく体に変調が。
2013年元日は起きるでもなく寝るでもなく。
昨日の二日はフラフラしながらも毎年恒例のお宅へお年始。
そして本日、事務所にてグダグダしております。

皆様まだ「幸せ」な感触の中にいらっしゃるのでしょうから、ちょっと気がひけるのですが。

gajumui

この一年半、せめて見たり聞いたりして、そして考えてもらいたいと、ちょいと強引な「誘い」もしてみた。しかし、こちらの提供する事実を見ない聞かない人に限って「自分だって知っているし、考えているのはあなただけでない」という反応をする。
01-03 15:05

「我々も電気を使ってきた」とは言うが、「我々も沖縄を差別してきた」とは言わない。自分の幸せが「棄民」のシステムの上にあることには一切触れない。沖縄や福島やパレスチナ…、そこでの日々のささやかな幸せと、ここ東京でのささやかな幸せが、個人の次元では全く同質だから厄介な訳で、量?さて…
01-03 15:19


宇夫方女史の正月は、一日の朝、ご両親と一緒に食べた雑煮、たったそれだけだったとか。なんだか涙が出てきそうになるが、幸せを表面的な量で競ってみてもしかたありません。
幸せかどうかはともかくとして、正月明けに納品する地図の仕事の段取りをしたり、年賀状を書いたり。こうなったらもう裏も表も、M.A.P.のボスは宇夫方路ですな。

ありふれているけれど、宮沢賢治の「ほんとうのさいわい」のことを考えてみたりしています。ただ、宮沢賢治もそうだったけれど、「ほんとうのさいわい」を探す余裕のある芸術家って、たいがい金持ちのボンボンなんだよなあ。

振り返って、僕は…
なんだかツイッターでの「呟き」をネタにするようになってから、どんどん裏ブログ(社長とは呼ばないで)の感じに近づいてきています。特に年が明けてからなおさらで、こいつはまことによろしくない傾向です。

tag: 地図の仕事  沖縄  宮澤賢治   

選挙の前日に再開した健康ゲーム(ツイートのまとめ)

gajumui

沖縄って「学会」が多いんだよなあと実感させられた日。真っ当な理屈とは別の次元での選択。政教分離なんて名ばかり。乗り越えなければならない得体の知れぬ空気がある。僕は、貧しいアンマーにそっと語りかけてみた。「ニライカナイは、東に行っても見つからんよ」と。
12-15 12:19

弁解ではないが、3.11の頃、僕は人生最後の健康ゲームに挑もうとしていた。でも、3.11で、東京の空気の中を走る気力がなくなって、そして太り始めた。ブログも、ボロボロになったのは、きっと3.11と無関係ではない。今、もう一度、僕のこの体も、ブログも、少しづつだが立て直そうと思う。
12-15 17:36

斉藤哲夫氏が倒れる3ヶ月前の画像を、その日のブログに追加でアップした。動画もある。なんだか身に染みるなあ。健康になろうかな。/「永井宏・詩写真集刊行記念展」と斉藤哲夫のミニライブ http://t.co/t1dJ2spy
12-15 17:41

斉藤哲夫が哲学者と言われる所以。
当時の流行りだった「四畳半」とは遠く隔たっていた。
ぴかぴかに光って、斉藤哲夫の人生は狂ったのか否か。



どっちだっていい。
僕は今の哲ちゃんの友達なんだと、大きな声で、「どうだ」とばかりに威張って言おう。

つまりね、また健康ゲームを始めようと思ったのは
たとえ明日どんな結果になろうとも、絶望だけはすまいと決めたのさ。
12-15 18:11

やっぱりアイコンが悪い
12-15 18:11

今日は自宅から事務所まで、雨の中7km歩いた。明日の朝も歩いて自宅へ戻り、選挙に行く。チベット体操も再開。あとはどのくらい酒を減らせるか。
12-15 23:44

tag: 健康ゲーム  沖縄  斉藤哲夫 

“琉球鼓楽舞”「五周年記念公演」があるよ!

あの“琉球鼓楽舞”「五周年記念公演」が目前に迫ってきました。
あの~、というのは、「京太郎の歌」で観客を魅了する創作エイサーを披露してくれたあの・・・
“琉球鼓楽舞”(照屋真也・平義信・安田辰也の諸君)
・・・だからです。
 ⇒2011年7月29日沖縄キジムナーフェスタ
 ⇒2012年3月18日那覇テンブス
 ⇒2012年3月30日東京新大久保R'sアートコート

琉球鼓楽舞「五周年記念公演」のチラシ (←クリックすると大きくなります。)

日時:8月25日(土)昼 15:00開演 夜 20:00開演
 (※会場は各回開演の30分前)
会場:うるま市民芸術劇場
料金;大人2,000円 小人1,000円(※3歳~高校生)

出演はチーム琉球鼓楽舞の3名の他……
日出克、城間健市、創作芸団REQUIOS、琉球國祭り太鼓、鼓衆若太陽、男塾 武-Doo

残念ながら僕は行けませんが、沖縄にいらっしゃる皆様、是非見てきてくださいませ。絶対に素晴らしい、と確信している高山正樹なのです。

tag: 沖縄 

辺野古2011(5)

《8月3日(水)-1》
あの大震災から145日目……
去年の恩名村ではライオンズクラブさんがすばらしいお宿を用意してくださった。そして今年……
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「わ」ナンバーは殆どない。つまり、沖縄のお金持ちの別荘群。一番手前の軽自動車だけがレンタカー。僕が借りた車。こんなショボイ車は他には見当たらない。
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こんな豪勢なところに泊めていただいて、園長さんの御主人の会社の持ち物らしく、御主人の御計らいに感謝である。
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ん?
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波が……
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台風が近づいている。
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tag: 沖縄 

“酒菜”の記事は毎回読み切り

《1月20日25時》
“ばりき屋”の記事は連載小説になりそうですが、“酒菜”はそうはなりそうもありません。つまり、もう出来上がっているんですね。

健康ゲームを始めてから、席に座れば頼まなくてもスーさんが何かしら特別に作ってくれます。今日は大根の葉っぱの炒めもの。
すごい量です。
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もちろん薄味。卵はトロトロ。好みです。
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いったいいくらかって?知りません。全然気にしていません。

“酒菜”は連載小説にはなりませんが、一回一回読み切り記事にするための登場人物には事欠きません。それは、隣合ったお客さんとすぐに会話が始まるから。そしてその殆どの方が、ブログに顔と名前が出ることを嫌がらないのです。きっとこの“酒菜”は、人生を堂々と歩いている(歩けている)人たちにとって、とても居心地のいいお店なのだ、そんな気がしてきました。
でもそこが、人生を堂々と歩くことのできない屈折した高山正樹の、今ひとつ“酒菜”で落ち着けない原因なのかもしれません。

今日も新しい人とお話ししました。伊藤明世さんです。新婚さんです。
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職場で知り合ったご主人の理敬さんは、この左側で水才くんと話し込んでいたのでほっときましょう。
彼女、沖縄が好きなんだって。ダンナ様が好きで、それに影響されて。
「沖縄のどこが好きなの」
「きれいな海とか」
「わたしも初めて沖縄へ行った時、飛行機から見えた海がものすごくきれいでびっくりした」
「そうですよねえ」

この先の会話は、たとえば沖縄の海岸の砂は珊瑚のかけらだから白いんだよとか、そういう展開で進めていけばいいのに、高山正樹の場合はそうならないんです。

「20年前の沖縄の海は、今よりもずっときれいだった。でも、もっと昔を知っている人は、その30年前の海のさらに何十倍もきれいだったって言う」
だからさ、確かに津嘉山正種さんがそんなハナシをしてました。
 ⇒津嘉山正種さんが語った“美ら海”の記憶でも、そんなことを意味深な雰囲気を醸し出しながらで語っちゃうから、聞かされた人もどう答えたらいいのか分からなくなって、結局、自分が堂々と生きられなくなっちゃうんですよね。弱ったものです。

というわけで、本日の読み切り短編はこれでおしまいです。
(高山正樹が宇夫方路のフリして書きました。って書かなくてもバレバレ。)

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tag: 喜多見_居酒屋.酒菜  健康ゲーム  沖縄 

狛江の“サイゴン”にて《意外に知らないことってたくさんある》

※1月15日の昼です。
守備範囲を狛江まで拡げて、かつ軽い記事でもよしということに自分で決めちゃったので、少し楽しくなりました。

世田谷通り沿いにあるサイゴンへお昼を食べに行きました。M.A.P.after5としては昨年6月以来2度目の訪問記事です。

サイゴンラーメン。
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ハノイカレー
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サイゴンは今のホーチミン市。ハノイはベトナムの首都。知ってるようで知らないこといっぱい。

でっかいナン。
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でもナンて、インド料理ですよね。中央アジアにもあるらしいけれど、ベトナムはどうなんだろう。
そういえばベトナムカレーってあるのかしらん。
今ではベトナムでもカレーは日本と同じように一般的な家庭料理らしい。要するに、たとえば日本のカレーは本場インドあたりのカレーとは似て非なるもの、それにあえて名前をつければ「日本カレー」。「ベトナムカレー」も同じようなことなのかもしれません。この話し、全く根拠のない僕の想像なので、鵜呑みにして断定的に他で話さないでくださいまし。

このサイゴンというお店、決してベトナム料理専門店ではないようです。エスニック料理全般に亘って、少し日本人の口に合うようにアレンジして出している、そんな感じなのかもしれません。泡盛も置いてあるのは、沖縄もエスニックの範疇っていうこと?

あら、怪優、梅津栄さんのお写真が貼られてありました。
梅津栄さんのお写真
ネット情報では、“サイゴン”は俳優の梅津栄さんがオーナーだとか、あるいは常連だとか、色々出てきます。そこで、お店の方にちょっと聞いてみました。
「顧問みたいにお世話になってます」
ふーん……。

狛江市にお住まいなのだから、山猫合奏団と何か御一緒できたらおもしろそうですねえ。そのためにも我々の狛江市での認知度をまず上げなければならないということかな。

さらに、梅津さんは書家でもいらっしゃるってご存知でしたか。ばりき屋のゆかりさんが着ていたあの海人のTシャツの「海人」の字は梅津さんが書いたのだとか。

なんだか連想ゲームみたいに出てきますね。こんな調子で狛江散策していこうっと。

tag: 狛江_アジアン料理.サイゴン狛江店  沖縄 

小川信夫先生のお宅へお年始に

昨夜は本部に泊まり。
そして朝。

12月4日の富士山
12月4日の富士山

そして今日の富士山
今日の富士山
富士山の手前に見える山並みは丹沢にしては少し近過ぎる。もう少し近距離の神奈川の山地であろうか。富士山は11月の半ばからもう真っ白で、以降どの日の画像の富士山も同じ様子だが、手前の立ち木の葉の繁り方が違う。

ここは8階である。狛江市の町並み、その先に多摩川が流れ、その向こう岸が川崎市多摩区、よみうりランドの高台も見える。
「桝形城・落日の舞い」に、こんな稲毛三郎重成の台詞がある。
「多摩川沿いに多摩の横山に並んだ稲毛一族の山城は、すべて鎌倉の北の守りだ。」
その「多摩の横山」あたりまで見渡せているはずだ。山といっても100mもない丘である。標高83.9mの桝形山は左の方、さらに低いところにある小沢城址は、画像中央から少し右といったところだろうか。

その横山の麓あたりでは、今でも“のらぼう(野良坊と書くとか)”という野菜が作られているらしい。僕は今度の台本で初めてそんな名産のあることを知った。家の連中にも教えてやろうと話してみたのだが、「知ってるよ」と、あっさりした無感動の返答が帰ってきた。年中ではないが、“のらぼう”は近くのスーパーでも売られているという。子供が通っていた小学校の給食には、ちょくちょく食材として使われていたらしい。なんのことはない、“のらぼう”を知らなかったのは、子供の運動会に一度も顔を出したことのない父親だけであった。

その小学校の校歌を作詞されたのが、「桝形城・落日の舞い」の作者である小川信夫先生。子供たちは、例えば沖縄で初めて芥川賞を受賞した沖縄文学界の第一人者、大城立裕先生と親父が仕事をしていても、「ふーん」てなもんだが、自分の小学校の校歌を作詞した先生に会ったと言ったら「すごい」ときた。

昨年暮れ、その小川先生からお誘いを受けていた。そこで今日、お年賀に伺った。「桝形城・落日の舞い」の制作を担当されている関昭三さんもいらっしゃった。関さんは川崎市民劇場の代表、その前身は、かの京浜労演で、関さんはその創設から携わっていらっしゃる。

1967年の山本安英の会「夕鶴」から始まる川崎の市民演劇鑑賞会のおおよそ300回の上演記録を眺めれば、日本の新劇の歴史そのものを見るようだ。

……文化座「炎の人」、劇団東演「どん底」、文学座「女の一生」、俳優座「人形の家」、東京芸術座「蟹工船」、三十人会「日本の教育1960」、東京演劇アンサンブル「ガリレオガリレイの生涯」、劇団仲間「森は生きている」、民藝「奏山木の木の下で」、テアトル・エコー「11ぴきのねこ」、青年座「からゆきさん」、劇団四季「エクウス」、文化座「サンダカン八番娼館」、前進座「さんしょう太夫」、五月舎「薮原検校」、フォーリーズ「おれたちは天使じゃない」、自由劇場「上海バンスキング」、文化座「おりき」、こまつ座「國語元年」、青年座「ブンナよ木からおりてこい」、知人会「薮原検校」、劇団昴「アルジャーノンに花束を」……

しかし、それよりも前、京浜工業地帯の労働者に演劇という文化の種を蒔こうとした時代の話が興味深かった。だいたい「労演」にしても「労音」にしても、政党的な匂いをどうしても拭い去ることができない。振り返れば、それが演劇にとって「正しいあり方」であったのかどうか、決していい印象ばかりではない。とはいえ、演劇に刺激を受けた労働者によって日本を変えるという野望が、大きなエネルギーを持っていたことだけは確かだ。だが、関昭三さんが半世紀もの間、演劇鑑賞会の仕事を続けてこられたのは、そんな大層な理由とは少し違うところにあったようだ。演劇に携わる人たちが、実に楽しそうに生き生きとしていた。その魅力が、きっと関さんをこの世界に繋ぎとめた。そうだからこそ、回りの人たちも関さんを信頼して支えてこられたのかもしれない。そんなお人柄が今の関さんからにじみ出ている。

川崎の労働者」と聞けば、僕はどうしても「沖縄」を思い起さずにはいられない。京浜労演はその立ち上げの頃、沖縄から出稼ぎに来ていた労働者の人々との関わりもあったのかどうか、でも、この日はそこまでお聞きすることはできなかった。いずれお伺いする機会があればとも思っているのだが。

左から、関昭三さん、岩崎明さん(小川先生の古いお知り合い)、そして小川信夫先生ご夫妻である。
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その後、僕と関さんが交代して記念撮影。
只今撮影中。
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小川先生、今日はご馳走様でした。
[subcate.枡形城・落日の舞い]
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2011年の最初の稽古へ

tag: 「大いなる家族」  沖縄  川崎  富士山  「枡形城落日の舞い」  小川信夫   

「銀の滴降る降るまわりに 首里1945」

「銀の滴降る降るまわりに 首里1945」を観てきました。
銀の滴降る降るまわりにチラシ表 銀の滴降る降るまわりにチラシ裏

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やっぱり、詳細は後で……

tag: 沖縄  アイヌ  その他の登場人物 

僕を置いていかないで《「枡形城 落日の舞い」稽古(2)》

完全な脱力状態から、どこにどのくらい力を入れればいいのかを、ゆっくりと見極めながら楽しむことができるのかなと思っていたのです。しかし、なんだか初めから立ち位置を決めなければいけないような、回りのことは考えないで、ともかく演技方針を提示しなさいと言われているような。

今日は前回の皆さんに加えて、こんな若者たちと飲みました。
オフィスプロジェクトMの和田くんと小山くんと横澤さん

市民劇なんだからさ、ゆっくりやろうよっていう感じ。
小学校の頃の国語の時間。教科書を気持ち込めて読んだりするの、みっともないことだって思わなかった? その感覚、僕は普通で好きなんだけどなあ。でも、生き馬の目を抜く世界。その中で生きていこうとする若者なら、どんな現場でも精一杯やって当然ですよね。

でも、僕はおっさんなもんで。
とはいえ、天下の民藝さんのような方法論があるわけではないのです。ただ、まず初めは何もしたくなかっただけのこと。ところが皆さん何かしようとなさるので、「しない」ことが却って「している」みたいに見えてきた。それでも我関せず我が道を行くという芸当が僕にはできず、といって何かをする気にもならず、なんとも弱った3時間でした。

ネットのどこかで、M氏が役者の質が見えたみたいなことを呟いていらっしゃったようだけれど、本当かしらん。初見では箸にも棒にも引っ掛からないのに、むしろそうだからこそ本番になると誰よりも生きているみたいな役者さんもいるわけですし。そういう役者さん、今日もいたし。舞台未経験の方なら尚更です。だから半年近くも稽古するんだもんねえ。

僕の参加目的は山猫合奏団の宣伝活動?
いえ違います。そんなこと、口が裂けても言いません。

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tag: 「枡形城落日の舞い」  山猫合奏団  沖縄 

ハイビスカスが咲いた【アカバナー・仏葬華・グソーバナ】

7月11日に伊江島の踊りを見に行った時に、ロビーで配っていたハイビスカスの苗。ゆっくりゆっくり成長していました。ちょっと窮屈になったので、大きいプランターに変えました。それからもゆっくりゆっくり、それでも確実に伸びてきました。

そして、何日か前からつぼみが出来ていたのですが、それがとうとう今日、花が開きました。寒い東京で、南国の花ハイビスカスが咲きました。
ハイビスカス
これ、部屋に入れてあげた方が良いのかしら……
(宇夫方路)
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tag: 沖縄  沖縄大百科事典