fc2ブログ

久米島住民虐殺事件の日

日本のポツダム宣言受諾後の8月18日、つまり76年前の今日、久米島に配備されていた日本軍、鹿山正が率いた海軍部隊は、仲村渠明勇さんを「スパイ」だとして、妻子と共に虐殺し、その遺体もろとも家に火を放ち焼き払った。
久米島守備隊住民虐殺事件の日
那覇で捕虜になった久米島出身の仲村渠明勇さんは、自分の生まれ島(故郷)である久米島に上陸するアメリカ軍の計画を知り、自ら米軍の案内役を志願した。悲惨な戦闘を避けるため、山に隠れていた島の住民たちに投降を説得する役割を担ったのである。上陸前、彼はまず米軍に久米島が無防備であることを訴え、住民たちのいる山への艦砲射撃をやめさせた。「球美の島」と呼ばれる久米島の美しい自然は、こうして傷つけられずに残された。

沖縄で組織的な戦闘が終わった日とされる6月23日(慰霊の日)の3日後、6月26日に、米軍は久米島に無血上陸する。しかし米軍に捕まれば殺されると信じ、米軍から逃れて自死しようとする住民たち。そんな住民の多くが、明勇さんの「死ぬ必要はない、戦争は終わったんだから」という説得に応じてその命を長らえた。明勇さんは、島の人たちにとっては恩人だったのである。

そんな状況の中で、スパイとみなされ日本軍に殺された久米島のウチナーンチュは、明勇さん一家を含めて20人にのぼる…



Twitterで呟いた。
義父は久米島出身、76年前の今日、友が日本兵に殺されたんだと、生前、酔って僕に語ったのだ。

しかしホントは、「友」ではなく「親友」であり、「殺されたんだ」の前に「目の前で」というひと言があった。奥さんにも、子供たち(つまり僕の妻とその兄弟たち)にも語ったことのない話を、したたか酔って、ナイチャーの僕にだけ、知っておけと訴えかけるように語ったのである。

昨日のコマラジ、“ラジぼっくり”と“まんちゃーひんちゃー”、そのどちらかの番組でこの義父のエピソードをご紹介しようか考えていた。
まんちゃぼっくりの合間

義父がなくなったのは1989年の二月三日、今年は32年目、つまり三十三年忌であり、沖縄の慣習で「ウワイスーコー(終わり焼香=法要)」と言われ、これを境に、故人は家の守護神(祖霊)になると言われている。

大和のお盆は8月13日から16日でもう終わったが、沖縄の旧盆は20日からの三日間。その間にある昨夜の放送、久米島で仲村渠さん一家が虐殺された日がまさに昨日の8月18日、それらを考えれば、義父が酔って語った話を紹介するのに最適な日だったはずなのだ。しかし…

その久米島の重い話と、それに加えて、現代の表現者に対しての、ある「毒」を、番組のために準備していたのだが、“ラジぼっくり”が終わり、“まんちゃーひんちゃー”の放送の最中、最後まで迷いながら、結局、言の葉に乗せることができなかった。なんというか、大切な夏の日々を台無しにされている子供たちのことを話しているうちに、この日はあくまでも柔らかく、コロナの時に、このラジオという発信の場をボクが与えられていることに対する感謝だけを語ろうと思ったのである。

「本当に心底感謝しているのです」

そして、毒を認めたメモは胸ポケットの中に仕舞い込んだ。



引きこもりの夏を、少しでも応援しようと、まんちゃーひんちゃーでやった落語たち、その回を、夏休み限定で公開している。

それから「桃太郎」、続いて三本目の「風の神送り」も公開開始。

その他、巣ごもり中に楽しんでいただけそうなものを随時公開していこうと思う。


もうひとつ重要なこと。
ブログには転載しないが、そら姐さんと、実にくだらない(?)やり取りを延々とツイッターでやっていた。
※でもせっかくだからほんの一部だけ…

なんてことないやり取りのようだが、しかしこれは僕の思索にとって、極めて重要なピースだと思っているのだ。いかにして新しい人たちに伝えたいことを伝えるか、それを最も大切なことのひとつとして位置づけ、それを目指しながら、なかなか難しくてできなかったこと、そらぼっくりこと新田そらさんに、日曜日のイベントのアシスタントをお願いしたら、その「困難」を、ヒョイと乗り越えたと思った。もちろん、実際にびっくりするような広がりがあったというワケではない。しかし、どうやって今後イベントを展開していくか、光が見えた!という気がしているのだ。

新ユニット、まんちゃぼっくり❗️
まんちゃぼっくり

そういえば、まゆみちゃんのイベントに協力した時にも同じようなことを感じた。つまりそら姐さんは、まゆみちゃんに続く、このブログの重要な登場人物のひとりとなった。

このそら姐さん、僕がちょくちょく泉龍寺の読経会の話をするので、行きたいと言い出した。結構じゃないか。先週の日曜日に行く約束をしていたが、ちょっと変なものを食べて食あたり、で、残念ながらその日は断念。一昨日はイベントの日で、そらさんも僕も不参加。
一連のふざけたやり取りの後、そらさんから「日曜の泉龍寺、今度こそリベンジで伺いたいと思います!」というメッセージが来た。僕は「コロナの所為で、お経の後の座談がないかもしれません。それでもいいですかね?」と返信したら…

「勿論です!」

ちょっとうれしくなった。
とはいえ、僕らのような無信心な輩にとって、通い続けられるかどうかは、座談の楽しさにかかっているということも事実。かつて、寺子屋に子供たちが集まってきたように。
重要なのは信心? それはそうなのかもしれないが、きっと信心は、後からついてくるもの。信心が生まれなくても、それはそれ。このことはどうやら、ボクが開催するイベントと共通しているらしい。
まず、どうしたら来てもらえるのか、ということ。自治研の方々、分かって頂けるだろうか。




gajumui

僕のブログはエンディングノートなので、いちいち書いた記事をツイッターでご紹介などするのはやめようと思ったのだが、やっぱりどうしても読んでほしくなった。どうか、是非お読みください、ませ。久米島住民虐殺事件の日https://t.co/Y8HAQuuN9f
08-21 23:41

なぜどうしても読んでもらいたくなったのか。半年前の日の記事に追記した。俺は義父の思いを伝えようとしていただろうか。@bouheitai1958 さま。貴方様の久米島の記事を僕がRTした日は、義父の命日だったのです。2/3のツイートまとめ(半年たって鳥肌が立った!) https://t.co/BThlw8MR1W
08-21 23:53

tag: まんちゃーひんちゃー  名古屋奨  諸ちゃん  沖縄戦  まゆみちゃん  そらぼっくり  読経会  沖縄この日何の日 

04/28のツイートまとめ

gajumui

ネットで何かできないかと、考えるふりをして、すべてそこらあたりは宇夫方女史に指示を出す。そして俺はというと、今日明日のコマラジの落語の準備をしていたのだが、やはり基本アナログが性に合っているのだということに、今さら気がついた。10年くらい前に気づいていればよかったのだが。
04-28 00:03

《FBのある投稿にコメントしたこと》僕は、すべての人を差別なく「殺さない」という道を人類は選んだのだと思っているのです。それが生産性を追い求めてきた人類の、せめてものよき成果であり、「良心」なのだと。その人類全体が選択した思想が、。今、試されているのだと感じています。
04-28 00:13

狛江のこと。自宅に引き籠っているネットと無縁の方々を音楽で元気づけられる方法はないか、ということで、まずは多摩川住宅やハイタウンの中庭で、例えばバイオリンとか、ノンプラグでちゃんと遠くまで届く演奏ができないだろうかと思ったのです。皆さんはベランダに出て聴くのです。そこで…
04-28 00:18

宇夫方さんに進言して、音楽の街こまえの委員の方々に相談してもらったのです。もちろん中庭が混むことにならないように管理。でも、却下されたようです。正式に財団とかで取り上げて欲しかったわけではなく、賛同する演奏家はいないかなあと思ったのですが。だって、ひとりで出来るはず。
04-28 00:22

できる方法を考えるのではなく、できない理由ばかりを探すというのは、何も財務省や厚労省や、一群の政治家ばかりではなく、どうやらこの国に住む堅実な「日本人」の良心に共通した性質なのではないかと、新型コロナの災厄を通じて、その思いがより強くなっていくのです。検査しかり、遊びしかり。
04-28 00:30

今夜の #コマラジ まんちゃーひんちゃーは「時そば」と、その前に“おきなわおーでぃおぶっく”の「ノロエステ鉄道」です。CDに収録された久米明さんの朗読と、大城立裕さんのインタビューの一部を流します。そしてもうひとつの話題は大切なこと。今日4月28日は、沖縄の「屈辱の日」なのですから。
04-28 19:16



1052年(昭和27年)のこの日、サンフランシスコ講和条約が発効。日本独立。しかし同時に、沖縄・奄美は日本から切り離され、米国の沖縄統治が始まる。
だから沖縄の人々は、4月28日「屈辱の日」と呼ぶのである。

その年の7月、日本政府は米国民政府との連絡を担う那覇日本政府南方連絡事務所(南連)を設置、沖縄人を「琉球住民」と定義して沖縄在住の日本国籍を持つ「日本人」と区別した。

「日本人」は保護の対象だが
「琉球住民」は保護の対象ではない!


サンフランシスコ条約締結の4年前、昭和天皇は「ソ連の脅威」に対抗するため、沖縄を「25年ないし50年、あるいはそれ以上」米軍に提供したいと提案していたのだが、まさにその通りになったのである。

沖縄は、人権より軍事が最優先される「軍事植民地」となり、この日本国憲法が適用されない「都合のいい」沖縄には、「本土」から多くの基地が移転してくることになる…

tag: 沖縄この日何の日 

常磐津と守礼門

元来組織が大嫌い、権威なんてクソ食らえ、そんな人間が、三線で賞を貰おうなんてことを考えること自体あり得ないハナシだったわけで。でも、ひたすらに伝統を真似て、それでもなお滲み出てきてしまう個性、そんな古典芸能の魅力も十分に理解しているつもり。だから…

たとえ師匠が間違えても、弟子はそっくりそのまま、師匠が間違えたままなぞらなければいけないという理不尽さを、ボクは大いに面白がってもいたのだ。でもね、そうした魅力的な伝統に付随する醜悪さはやはり受け入れ難く。有り体に言えば、師匠だから偉いのは稽古場だけだということ。




首里城の守礼門は、中山門に続く首里城の第二の坊門として、第二尚氏第四代、尚清王代に創建された。『中山世譜』によれば、1528年と翌29年、二度にわたって請封使(琉球国王の冊封を要請する使節)を中国に派遣した際に加健されたとされる。つまり、冊封使を迎える文字通り一世一代のイベントに先駆けて、中山門に匹敵する国門を造営したのである。はじめ、この門には「待賢」の額が掛けられ、次いで「首里」、そして尚永王の代の時に「守礼之邦」の額が作られ、冊封使が滞在する間だけ掛けられた。尚質王の時にそれが常設となる。門の名称も、額の文字によって、「待賢門」「首里門」「守礼門」と変わっていった。

1933年(S8)、「国宝保存法」によって旧国宝に指定されたが、老朽化が激しく、所有者である那覇市は国庫の補助を受けて1936年(S11)の10月から8ヶ月かけて解体修理を行った。しかし1945年(S20)の戦災で、基盤、礎石、敷石の一部を残して破壊され焼失した。

その後1958年(S33)、個人が保存していた原図を基に復元。
今から60年前の今日1958年10月15日 は…
新しい守礼門の復元落成式のあった日 である。

そういえば、しばらく首里城に行っていない。だから画像もない。今度、あらためて訪れてみようと思う。

《追伸》
10月28日に首里城へ行ってきた。夜だけれど、守礼の門も撮影できた。
守礼門

そして11月30日、あらためて昼間の守礼門を撮影してきた。
2020年の守礼門

《再追伸》※2021年の10月に
沖縄県公文書館のサイト「守礼門の復元落成式」より抜粋~
戦後、沖縄の文化財は、戦闘中の損傷や米軍人の持ち出し、一部住民による破壊等により危機的状況にあった。民間有志や市町村は、焼け残った文化財の収集や博物館設置に尽力し、1954年(昭和29)6月、「琉球政府文化財保護法」が制定され、文化財の指定・保護行政が本格的に始まる。
1956年(S31)、沖縄の政財界、文化財関係者らは、那覇市長を会長にして守礼門復元期成会を結成。礼節を重んじる琉球王国の理想を伝えていくため、「守礼之邦」を扁額に掲げていた守礼門を復元する資金を集める取り組みを始めた。そして、総工費23,514$を、琉球政府や那覇市の補助金、琉米親善委員会や海外在住沖縄人、一般住民の寄付金によって捻出した。
翌57年(S32)着工。守礼門柱材を納入する儀式(木曳式)には首里高校の生徒や教職員も参加。工事終盤には琉球大学美術部の学生が彩色を施す等、多くの住民が関わった。
1958年(S33)10月15日の落成式には、当間重剛行政主席、安里積千代立法院議長、仲松恵爽上訴裁判所主席判事、そしてドナルド・ブース高等弁務官、オルコット・デミング総領事らが出席。門の前で「御前風」の演奏等、数々の余興が披露された。

所蔵している沖縄アーカイブ写真と別冊太陽『首里城』より
本二冊

守礼門の画像たち

戦前の守礼門
戦前の守礼門

tag: 沖縄この日何の日 

中秋の名月



大和の十五夜のことは以前記事にしたことがある。
 ⇒2011年9月12日「名月か」
十三夜は特に沖縄とは関係ないのだが記事にしてしまった。
 ⇒2017年11月1日「月が美しいのは十三夜」

ところ変われば色々。
さて、沖縄のこと。

旧暦8月15日、八月十五夜(ハチグヮチジューグヤー)

豊作祈願のお祭り。村によっては、月の様子を見て、この年の豊作不作を判断した。
お月お祭り(ウチチウマチー)という「月拝み」や「月見の宴」が催され、この日の前後3日間、村遊び(ムラアシビ)が行われる地域もある。各地で綱引き、村芝居(狂言・組踊り)、獅子舞、棒術、また宮古では伝統集団舞踊であるクイチャーが行われる。

火の神(ヒヌカン)、仏壇、床の間にフチャギ(吹上餅)を供える。
フチャギとは、餅粉に水を加え、こねて蒸したものに、塩茹でした小豆をまぶしつけた俵型の餅。 北陸地方での「ささげ餅」と同じような食べ物。おもちが「月」を表し、まぶした小豆は星で、「子ども」「子孫」を表すとされている。子孫繁栄のため、まぶす小豆は多ければ多いほど良いとされる。
沖縄大百科事典ではこんな感じ。
ふちゃぎ
フチャギ、気持ち悪いですか?でもね、この小豆は魔除けでもあるらしい。つまり、この小豆を気持ち悪いと感じてしまう人は、何か体の中に悪い虫がいるのかもしれないと、どこかのサイトに書いてあった。そういう人は、「すぐ食べた方がいい」とのこと。真偽は不明。

ヒヌカンに拝するヒラウコー(沖縄のお線香)は2枚と半分、つまり3枚目を半分に割って供える。
仏壇にはヒラウコー2枚。
お線香を「本」じゃなくて「枚」で数えるとか、半分に割るとか、いったいどういうこと? 分からないのも当たり前。こちらの記事に画像とちょっとした説明があるので是非ご覧いただきたい。
 ⇒2009年11月23日のブログ

沖縄大百科事典によると、古く南島では、麦の播種(たねまき)儀礼と籾種の発芽の試みが9月になされた。つまりそれは「死と再生」であり、その直前の時期は共同体の最大の危機と考えられていた。したがって、8月は「柴指八月」「遊び月(アシビジチ)」といって、祓えと予祝の行事が集中しているのだ。町では、8日から15日までを「ヨーカビー」といって、爆竹を鳴らして妖怪を退散させた。
(農村では、9日から11日まで「柴指」をして邪気を払い、八月遊びの村踊りを催したという。)

tag: 沖縄この日何の日  沖縄大百科事典  月のこと 

クソ忙しい…

片付け中です。

今日は旧暦12月24日ウグヮンブトゥチですが…
クソ忙しいので、説明は来年にさせてください…

tag: 沖縄この日何の日 

新規の企画に向けて…

休む間もなく、事務所の大整理を始めました。

整理開始

新規事業に向けて事務所の近くに小さな部屋を借りました。

全然関係がないのですが、今日2月6日久米島紬の日です。
何でかって? 2010年1月15日の琉球新報によると、久米島町の平良朝幸町長と久米島紬(つむぎ)事業協同組合の松元徹理事長は、2月6日を「久米島紬の日」に制定すると宣言したとのこと。だからです。

新規事業、せっかくだから、沖縄mapも頑張って、久米島紬とかも扱いたいなあ…

tag: 沖縄この日何の日  事務所の光景 

仏教と映画祭とふいご祝いとクリスマス


今日はクリスマスイブ? 知らん!なんてことは、泉龍寺の東堂さんは仰らない。
だから今日は旧暦の11月7日、沖縄ではふいご祝いの日だから、その話をしよう。
ウチナーグチではフーチェーとかフーチヌユエーとかいうらしい。
(お経の会でも、この話をすればよかったな…)

沖縄大百科事典の「フーチヌユーエー」の項には「鞴(ふいご)の祝い。鍛冶屋が一年中の安全息災を祈る行事」とある。全国的に分布している行事で、沖縄でも全域にあり、工具への感謝の祈願を行ったりと、地域によって祝い方は様々なようだが、城辺砂川のちょっと面白いお祭りが事典で紹介されてるので、それを転載してみる。

「鍛冶屋の製作した農具で殺生された地中の虫、草の霊が祟らないようにと、鍛冶屋の子孫と部落の代表が、鍛冶屋跡地で拝む。そのとき、豚の頭が供えられ、夜中に松明をともして村はずれのイビシ(拝所)までそれを捨てに行く。その行列の火を見ると祟られるといわれ、見た者はむこう3年間、11月8日にフーツキヨーカの祈願をしなければならない」

農業や漁業のお祭りは山ほどあるが、いわば工業のお祭りはこのふいご祝いだけ、かつては他のお祭りに較べてかなり重要な地位のお祭りだったらしい。鍛冶屋の仕事が神聖視されていた証なのかもしれない。
考えてみると、クガニゼーク(金細工)よりカンゼーク―(鍛冶屋)の方が庶民にはずっと馴染みのある言葉だったに違いないし、だからこそ明治になって、シバイシー(役者)が雑踊りの金細工に「カンゼーク―」という読み方を当ててしまった(というか、カンゼーク―という鍛冶屋の踊りに「金細工」という華やかな文字を当ててしまった)という混乱も、なんだか頷けるのである。

そういえば健次郎さんにずっと会っていない。「クガニゼーク」のことも、最後の詰めをしていない。
唐突だが、三上知恵監督の映画もやっていない。どちらもこのままテーゲーにしておいていいのだろうか。

無神論の僕にとって、どうやら今日は、なんでもない日なのだが、事務所では今日、子供たちを集めて琉球舞踊を踊らせて、そしてクリスマスをお祝いするのである。
なんともテーゲーである。

ほらね…
踊り収め?

クリスマス

節操のない一日。

tag: 泉龍寺  沖縄この日何の日  三上知恵  「クガニゼーク」のこと  金細工  沖縄大百科事典  MAP琉球舞踊教室  事務所の光景 

トゥンジーに鍋を食う

今日、12月22日トゥンジー(冬至)、トゥンジージューシーを作って、火の神(ヒヌカン)や仏壇にお供えをし、家族の健康と繁栄を願ってみんなで食べる。

ここ喜多見の秘密基地では、一組の夫婦を除いて、家族ではないみんなでジューシーならぬ鍋を食べてる。特に何も願うこともなく。
不思議なメンバー
※撮影は村上さん。

でも、氏ちゃんの奥様カヨティの誕生日。
みんなで祝ったのであった。
カヨティとケーキ

次の日に呟いた。

tag: 識名盛繁  西川郷子  沖縄この日何の日  事務所の光景 

カママーイの日に奉納舞、巨大竈を考える会の前日です

旧暦10月1日、カママーイ (竈回り)
かまどや屋敷の掃除を行う日。
昔、御嶽やシーサー像のある部落では、この日に火災防止の祈願を行った。村の有志が(王朝時代は役人が)各家をまわって火の用心を呼びかけたのだとか。きっと、火の神様を祭る“ヒヌカン(火の神)”にお供えをして祈願をしたんだろう。でも10月は神無月。もしかして、沖縄の火の神も、出雲に出張してしまうのだろうか。そんなわけない、文化圏が違うだろうと思っていたのだが、ネットで、そんなふうなことを書いているサイトを見つけた。守ってくれる神様が不在だから、人間同士で声かけあって、火の用心をしたのだと。
さて、よくわかりません。


考えてみると、竈の神様を祀る翌日に原発対話の会というのも、何だか意味深な巡り合わせだこと。
火の用心か…、皮肉だなあ。

そして夜は奉納舞。
荻窪天沼八幡神社入口
でも、神様いないんじゃないの?

今年も会えました。
 ⇒告知記事
熊手を売る出店


【追伸】この日の夜のことを、翌日呟きました。

尚家の家紋は“左三つ巴”、能舞台の暖簾にも“左三つ巴”
チームはいさい地謡部

チームはいさい地謡部の皆様。来年もよろしくお願いします。

tag: 沖縄この日何の日  宇夫方路踊る  高山正樹地謡 

月が美しいのは十三夜、泡盛でも飲みながら

今日11月1日泡盛の日でした。

“沖縄この日何の日”「泡盛の日」一巡目から。
「沖縄県酒造組合連合会が1989(平成元)年に制定。今日から冬に向けて泡盛製造が最も盛んな時期」

かつて酒の精度を泡を盛って確かめたらしく、その「泡を盛る(あーむい)」が語源なんだとか。泡盛も語り始めればキリがないので、詳しい話は三巡目にしましょ。
でもこれだけじゃちょっと申し訳ないので、沖縄の古いお酒についてだけ、少し。

沖縄大百科事典を参考に…
沖縄の酒の古い記録は『李朝実録』にあり、目録のなかの「天竺酒」について、「朝鮮王に贈った酒壺の中味は砂糖であった」という記事がある。その後の文献等にも「焼酒」や「焼酎」、「南蛮酒」などの名前はあるが「泡盛」は見当たらない。ずっと遅れて、1671年の幕府への献上品の目録に出てくるのが初見らしい。

「泡盛」の二巡目はここまで。



さて、本日は旧歴の話です。
今日は旧暦の9月13日。旧暦8月15日は誰もが知っている十五夜、そして9月13日の夜は密やかに十三夜。「中秋の名月」に対して「後の名月(のちのめいげつ)」と言われます。

十五夜は中国や韓国や香港、台湾など東アジアに広まる文化、平安時代に中国から日本にもたらされたようです。お供え物は、月餅から団子になりましたが。

芋名月とか、栗名月や豆名月と言われる名月もあります。芋名月は中秋の名月と同じ、つまり八月十五夜の月ですが、栗名月と豆名月はどちらも「後の名月」の別名。十五夜と違って日本独特の風習らしい。秋も深まり、食べごろになった栗や枝豆を供えて収穫を感謝するのですね。

十五夜と十三夜、この両方、どちらも月見しないと、片月見(かたつきみ)といって、良ろしくない、縁起が悪いなんて言われているの、ご存知でしたか?
でもまあ、いずれにしても、十三夜は沖縄に限った話ではなく、日本に広く共通しています。つまり、これだけでは「沖縄この日何の日」の範疇にはならない。

それはそうなんですけどね、ウチで販売している沖縄手帖には、旧暦が記されていて、その日の欄には沖縄にちなんだ記念日が記されているのです。

こんな感じ…
●

そこに「九月十三夜」とあるのが気になってきました。
でも、併記されている「灯台記念日」も「計量記念日」も沖縄とは関係ないし、つまり「十三夜」もそれらと同じ、日本共通のものとして載せているということらしい。この件はこれで終了かなと思ったのです。でも、ふと思い出した八重山民謡の“月のかいしゃ”

つきぬかいしゃ とぅかみっか
みやらびかいしゃ とおななつ

月が美しいのは十三夜
娘が美しいのは十七歳

なんだかねえ、こいつが頭にこびりついて離れなくなっちまったので、ちょいと「沖縄この日何の日」に追加しておくことにしました。
※でも「沖縄大百科事典」には、やはり「ジューサンヤ」の項目はありません。

旧暦9月13日、ジューサンヤ
沖縄では商売の神・金銭の神をまつる門中の例祭らしい。つまり、沖縄的特色もある。
もう少し調べてみれば、沖縄ならではの何かが出てくるのかもしれません。

というワケで、来年の沖縄手帖、ご予約受付中!
あら宣伝しちゃった。だって商売の神様の日だから、どうかお許しを。

Coccoの「月ぬ美しゃ」です。
きっとすぐ削除されてしまうので、お早めにどうぞ~~
※1年後、まだ削除されていないみたい。


因みに、十五夜の話は…
 ⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-2421.html

tag: 沖縄この日何の日  ダイアリー  月のこと