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炎上する日

12月20日コザ暴動のあった日
コザ事件かコザ騒動か、はたまたコザ蜂起か。この日のことは今まで何度も触れてきた。
 ⇒「コザ暴動」のタグを付けた記事
にもかかわらず、「沖縄この日何の日」の一覧から抜けていた。

アメリカ統治下の沖縄、1970年12月20日未明、コザの街が燃えた

沖縄コザ騒動50年~爆発した基地の街の怒り~


沖縄 コザ暴動 - 1970


『コザ暴動』から50年


コザの裏側vol.20 コザ騒動?いやコザ暴動!! 特集:コザ暴動

全て人さまがアップした動画をいくつか貼り付けてみた。いつ削除されるか分からないが、削除されればまた新しいのを見つけて貼り付ける。いくらでも拾えるだろう。日本という国が、中国のような国にならない限りは。それも怪しいのだが。



俺は、思い込みの強い人たちに、真っ赤なレッテルを貼られるのだろうか。





でもね…

なかなか発注した商品が届かないのだ。そのせいで、売り上げが激減している。これだけ商品の品切れ状態が続けば、当然注文は減り、キャンセルも相次ぐ。それはそれとして、不良在庫の保管のための経費、その原因に関して、腹立たしさをグッと抑えて黙ってきた。が、その糸も、いずれは切れるだろう。会社が倒れる時か、その前にか。

追伸
大量に余って、タダでも引き取り手のないアベのマスク、莫大な税金が保管料としてドブに捨てられている。22日の朝、年度内にすべて廃棄されることになったという報道。

世の中、ホントにおもしれえや。

tag: コザ暴動  沖縄この日何の日  まゆみちゃん  岡村しん  平井里美 

ドキュメントとフィクション(アート)の狭間

たぶん良き(←これが肝心)スポーツは、ドキュメントよりもはるかにアートたるフィクションに近い。
大谷翔平君がMVPに選ばれた。

gajumui

「国民として誇らしく思う」って、国民としてじゃないとどうなのさ。「個人として」とか「私として」とか。やっぱり政治はとことん性に合わない。
11-19 10:37





1968年、昭和43年の今日、未明に嘉手納基地でB52爆撃機が離陸に失敗し、知花弾薬庫近くに墜落した。
11月19日嘉手納基地でB52大爆発事故が起きた日なのである。
搭載していた爆弾に引火して爆発炎上、近隣住民16名が負傷、小学校を含めた400棟近い建物に被害が出る。

B52は主にベトナム戦争で運用された戦略爆撃機。1965年から沖縄に飛来するようになった。米国が本格的にベトナム戦争へ介入し始めた年である。B52は嘉手納で補給し、そしてベトナムへ出撃した。1968年からは、嘉手納はB52の常駐基地となる。沖縄から戦地へ向かうB52を見て、沖縄の人々は、再び戦争に巻き込まれるのではないかという不安を抱くようになる。

そしてその年の11月19日、この事故が発生する。
アークライト作戦に参加するため、ベトナムへ向けて、B52は爆弾を満載した状態で嘉手納飛行場からの離陸を開始。ところが何か不具合があったのか、途中で離陸を中断、滑走路の延長上で爆発、炎上する。あと250m先だったら、そこには知花弾薬庫があった。燃料と爆弾による爆発は、深さ9.1m、幅18mのクレーターを作り、爆風は4km四方にまで及んだ。なんと37km離れた那覇の空軍基地にあった薬局の窓が割れた。100mを超す高さまで真っ赤なキノコ雲が上り、原子爆弾が爆発したのではないかと多くの住民が避難を始める事態に、米空軍は、事故機には通常爆弾しか搭載されていなかったという発表をしなければならなかった。事故機に乗っていた搭乗員は火傷のため死亡、2人の沖縄人従業員が爆発で負傷した。

もし弾薬貯蔵庫に落ちていたらどうなっていたか、住民に与えた不安は非常に大きなものだった。

知花弾薬庫地区には通常の弾薬や高性能爆発物など数万発の他、数多くの核兵器弾頭が保管されていた。また、化学兵器貯蔵庫もあり、おそらく生物兵器も置かれていた。核兵器が保管されているのではないかという疑いもあった。この事故は、沖縄基地が存在することの潜在的な危険を顕わにした。そして沖縄返還運動がさらに盛り上がる大きな要因となったのである。

嘉手納村議会は、事故が起きたその日、即日抗議決議を全会一致で採択、米国大統領、日本の内閣総理大臣、琉球政府行政主席などに対して軍事基地の即時撤去を強く要求した。
※米軍は二度とこのような事故がないよう万全を期すと声明を出しながら、それから一か月も経たない12月2日、再びB52による事故が起きることになる。



それから53年、TVのワイドショーは、どこも似たり寄ったり、大谷翔平MVPと、そしてこの日の夕方から宵にかけて見られるかもしれない部分月食の話をしている。皆既月食ではないが、大部分が地球の影の中に入り込む「とても深い部分日食」なので、赤黒い月が見えるかもしれないと。

遠い沖縄でもこの月が見えるのだろうか、そんなことを考えながら表に出てみたのだが、厚ぼったい雲で月が探せない。事務所に戻り、少し時間をおいたら少し雲が薄くなったようだ。でも、どうやら月食も終わりに近い。


明後日の上映前に戦果アギヤーと沖縄ヤクザの話をする。ドキュメントではない世界を語りたい。そう考えてあらためて付箋を貼りつつ『宝島』読み始めたのだが…
宝島

B52が墜落したこの日に、ちょうどこの箇所を読んでいるという偶然。これも月の力なのかと考えてみたり。
墜落
夜のコマラジの番組に、その明後日の宣伝をしに行くことにした。

コマラジでもっともいい加減な番組"コマラジ井戸端会議"である。ハナからB52の墜落のことも戦果アギヤーの話もするつもりはなかったが、上映会の宣伝をまともにするのもなんだか気が進まなくなって、そうだ、そういえば先日の火曜日、まんちゃーひんちゃーの後、笠原ちゃこ君を誘って飲みに行ったその時に話した話をするくらいで始末をつけよう、そうだそうしようと、そこで彼女同伴で番組に乱入することにしたのである。ドキュメンタリーと劇映画の話。映画大学初代学長佐藤忠男さんのいくつかのエピソードを交えて。だって巨匠(?)笠原監督は、映画大学の前身、映画学校の卒業生だからね。

学長

イタズラ

これは10年前、佐藤忠男さんがウチの映画祭のゲストに来てくださった日に、ちょっと悪戯して撮影した画像。
 ⇒その日の記事「映画祭七日目の夜の宴会」(2014/6/1)
  ※もっとも重要なこの日の佐藤忠男さんのトークについては、なんと後日追記するので少々お待ちを。

その他、放送で話したエピソードは…
 ⇒「佐藤忠男氏神奈川文化賞受賞祝賀会」(2011/1/31)
 ⇒「ちんどん屋さんの深い話」(2014/5/27)

おかちゃん登場からの篠ちゃん、…からの立ち飲み屋。

Facebookで繋がるのかLINE交換か、いったい何がおかしいのか、そんなに笑わなくてもいいだろう、たとえどれほど主義主張が違うとしてもさ、だから、あくまでも例えばの話。
交換

物事を国家基準で考えさせようとする空気、それに影響された単純さに出会うと、こちらもつい分かり易い反駁ひとつだけして済ませてしまう。そんなシンプルな話ではないのにと、自分の手抜きを反省するのだが、しかし複雑な対話に持ち込む精力と忍耐力が、今の僕にあるのだろうかと考え、そして萎える。だったら何も語らず、黙って繋がっているだけの方が確かにずっといいに違いない…

tag: 沖縄この日何の日  大熊啓  篠浩司  佐藤忠男  笠原ちゃこ  嘉手納基地  狛江_居酒屋.ミートステーション 

11/16のツイートまとめ

gajumui

@komae_election 基本的に人には相談しない人間なので(笑)
11-16 08:28

明かな政治的発言より、政治的ではないと疑わずに流れてくる能天気な放送の方が、悪い意味で余程政治的。無自覚なサブリミナル。誰が喜んでいるのかという冷静な分析能力を失うな。TVから地方のコミュニティラジオまで、日本のメディアの劣化は惨い。勉強しよう。それが発信する者たちの責任。
11-16 08:43

@komaeAM_tue 痛いと言えば痛風~税金は痛い~痛風は税金…という三段論法。
11-16 09:12

美味しい食い物には裏がある。
11-16 09:13

@komae_election 「いいね」の数が、きちんと呟きを読んで受け止めてくれている指標だとは全く思わないので。あの一連のツイートにたくさん「いいね」が付くようだったら、あんな人の気分を害すかもしれないようなツイートは呟かないということです。意味不明な返信を挟まないと、躓いてもらえないから。
11-16 10:05

痛風までならまだ笑っていられるが、腎機能低下という重加算税はなかなかきついのである。透析になったらそれこそ拘留されたようなもの。透析患者は自業自得、そこに税金使う必要ないなんて発言した政治家もいたっけ、という話なのだが。そこまで話を拡げる番組はNGなのかどうか。 https://t.co/HL1Yo5QfKU
11-16 11:24

@Gidayu はい。肝に銘じます。そこで、ご都合のいい火曜日の夜、極めて真面目に透析のお話をお伺いしたいのです。是非ともまんちゃーひんちゃーのゲストに、御検討のほど、よろしくお願いいたします。
11-16 11:36

@Gidayu はい!
11-16 12:20


11月16日はゴロ合わせでいい色・琉球びんがたの日
一般社団法人「琉球びんがた普及伝承コンソーシアム」と「琉球びんがた事業協同組合」が2019年に、つまり一昨年に制定。まだまだ新しくて認知されていないのか、沖縄リゾートダイアリーにも未掲載。

第105回狛江市民まつり言いたい放題。イズミスイングオーケストラのヤマモモこと山本郁夫さんがゲスト。ブルボンを差し入れしてくださったともしびのドラマー古井さんも飛び入り参戦。でも静か(笑)

tag: 狛江_居酒屋.ミートステーション  紅型  沖縄この日何の日 

11/01のツイートまとめ

gajumui

落合くん。立憲君主を離れる潮時も近いのではないの。党の顔になってしまう前にさ。看板を掲げて当選したのだからすぐにというわけにはいかないだろうが。20代の若者たくさんと一緒に面白い勉強会をやろう。エンターテイメント? そうさ、上等じゃないか。
11-01 09:55

君がまだ、永田町に、政治の世界に毒されていないのならば。
11-01 09:56


16時。

東京都のコロナ関連データですが、10月30日に過去の感染者数が修正、4089人が追加されました。それに伴い狛江市の感染者も1445名から16名増えて1461名になりましたが、その日、同時についに入院者数が2から0に。したがって、増えた16名の中にはたぶん新規感染者はいないと思われ…
11-01 18:38

つまりその時点で、狛江市は、21日間連続で新規報告感染者0だったことになりますす。昨日も0だったので22日連続、しかし本日1名の報告があり、療養中の方も1名となりました。本日の東京都の新規感染判明者数は9名、そのうちのひとりが狛江の方ということです。いちおうお知らせまで。
11-01 18:43


19時。

「琉球踊り」ではなく「琉球舞踊」、あるいは「沖縄の踊り」にしてもらいたいのだけれど。これ、誰に言えばいいんだろう。文化を支える言葉は大切に。https://t.co/PRDmjLg2Sd
11-01 22:56





毎年M.A.P.で販売している沖縄リゾートダイアリーに掲載されていないのだが…
2002年の11月1日は、美ら海水族館が新装オープンした日。
因みに、旧館は1979年8月に開館、2002年8月31日に閉館している。

tag: 沖縄この日何の日  MAP三線教室  MAP琉球舞踊教室 

久米島住民虐殺事件の日

日本のポツダム宣言受諾後の8月18日、つまり76年前の今日、久米島に配備されていた日本軍、鹿山正が率いた海軍部隊は、仲村渠明勇さんを「スパイ」だとして、妻子と共に虐殺し、その遺体もろとも家に火を放ち焼き払った。
久米島守備隊住民虐殺事件の日
那覇で捕虜になった久米島出身の仲村渠明勇さんは、自分の生まれ島(故郷)である久米島に上陸するアメリカ軍の計画を知り、自ら米軍の案内役を志願した。悲惨な戦闘を避けるため、山に隠れていた島の住民たちに投降を説得する役割を担ったのである。上陸前、彼はまず米軍に久米島が無防備であることを訴え、住民たちのいる山への艦砲射撃をやめさせた。「球美の島」と呼ばれる久米島の美しい自然は、こうして傷つけられずに残された。

沖縄で組織的な戦闘が終わった日とされる6月23日(慰霊の日)の3日後、6月26日に、米軍は久米島に無血上陸する。しかし米軍に捕まれば殺されると信じ、米軍から逃れて自死しようとする住民たち。そんな住民の多くが、明勇さんの「死ぬ必要はない、戦争は終わったんだから」という説得に応じてその命を長らえた。明勇さんは、島の人たちにとっては恩人だったのである。

そんな状況の中で、スパイとみなされ日本軍に殺された久米島のウチナーンチュは、明勇さん一家を含めて20人にのぼる…



Twitterで呟いた。
義父は久米島出身、76年前の今日、友が日本兵に殺されたんだと、生前、酔って僕に語ったのだ。

しかしホントは、「友」ではなく「親友」であり、「殺されたんだ」の前に「目の前で」というひと言があった。奥さんにも、子供たち(つまり僕の妻とその兄弟たち)にも語ったことのない話を、したたか酔って、ナイチャーの僕にだけ、知っておけと訴えかけるように語ったのである。

昨日のコマラジ、“ラジぼっくり”と“まんちゃーひんちゃー”、そのどちらかの番組でこの義父のエピソードをご紹介しようか考えていた。
まんちゃぼっくりの合間

義父がなくなったのは1989年の二月三日、今年は32年目、つまり三十三年忌であり、沖縄の慣習で「ウワイスーコー(終わり焼香=法要)」と言われ、これを境に、故人は家の守護神(祖霊)になると言われている。

大和のお盆は8月13日から16日でもう終わったが、沖縄の旧盆は20日からの三日間。その間にある昨夜の放送、久米島で仲村渠さん一家が虐殺された日がまさに昨日の8月18日、それらを考えれば、義父が酔って語った話を紹介するのに最適な日だったはずなのだ。しかし…

その久米島の重い話と、それに加えて、現代の表現者に対しての、ある「毒」を、番組のために準備していたのだが、“ラジぼっくり”が終わり、“まんちゃーひんちゃー”の放送の最中、最後まで迷いながら、結局、言の葉に乗せることができなかった。なんというか、大切な夏の日々を台無しにされている子供たちのことを話しているうちに、この日はあくまでも柔らかく、コロナの時に、このラジオという発信の場をボクが与えられていることに対する感謝だけを語ろうと思ったのである。

「本当に心底感謝しているのです」

そして、毒を認めたメモは胸ポケットの中に仕舞い込んだ。



引きこもりの夏を、少しでも応援しようと、まんちゃーひんちゃーでやった落語たち、その回を、夏休み限定で公開している。

それから「桃太郎」、続いて三本目の「風の神送り」も公開開始。

その他、巣ごもり中に楽しんでいただけそうなものを随時公開していこうと思う。


もうひとつ重要なこと。
ブログには転載しないが、そら姐さんと、実にくだらない(?)やり取りを延々とツイッターでやっていた。
※でもせっかくだからほんの一部だけ…

なんてことないやり取りのようだが、しかしこれは僕の思索にとって、極めて重要なピースだと思っているのだ。いかにして新しい人たちに伝えたいことを伝えるか、それを最も大切なことのひとつとして位置づけ、それを目指しながら、なかなか難しくてできなかったこと、そらぼっくりこと新田そらさんに、日曜日のイベントのアシスタントをお願いしたら、その「困難」を、ヒョイと乗り越えたと思った。もちろん、実際にびっくりするような広がりがあったというワケではない。しかし、どうやって今後イベントを展開していくか、光が見えた!という気がしているのだ。

新ユニット、まんちゃぼっくり❗️
まんちゃぼっくり

そういえば、まゆみちゃんのイベントに協力した時にも同じようなことを感じた。つまりそら姐さんは、まゆみちゃんに続く、このブログの重要な登場人物のひとりとなった。

このそら姐さん、僕がちょくちょく泉龍寺の読経会の話をするので、行きたいと言い出した。結構じゃないか。先週の日曜日に行く約束をしていたが、ちょっと変なものを食べて食あたり、で、残念ながらその日は断念。一昨日はイベントの日で、そらさんも僕も不参加。
一連のふざけたやり取りの後、そらさんから「日曜の泉龍寺、今度こそリベンジで伺いたいと思います!」というメッセージが来た。僕は「コロナの所為で、お経の後の座談がないかもしれません。それでもいいですかね?」と返信したら…

「勿論です!」

ちょっとうれしくなった。
とはいえ、僕らのような無信心な輩にとって、通い続けられるかどうかは、座談の楽しさにかかっているということも事実。かつて、寺子屋に子供たちが集まってきたように。
重要なのは信心? それはそうなのかもしれないが、きっと信心は、後からついてくるもの。信心が生まれなくても、それはそれ。このことはどうやら、ボクが開催するイベントと共通しているらしい。
まず、どうしたら来てもらえるのか、ということ。自治研の方々、分かって頂けるだろうか。




gajumui

僕のブログはエンディングノートなので、いちいち書いた記事をツイッターでご紹介などするのはやめようと思ったのだが、やっぱりどうしても読んでほしくなった。どうか、是非お読みください、ませ。久米島住民虐殺事件の日https://t.co/Y8HAQuuN9f
08-21 23:41

なぜどうしても読んでもらいたくなったのか。半年前の日の記事に追記した。俺は義父の思いを伝えようとしていただろうか。@bouheitai1958 さま。貴方様の久米島の記事を僕がRTした日は、義父の命日だったのです。2/3のツイートまとめ(半年たって鳥肌が立った!) https://t.co/BThlw8MR1W
08-21 23:53

tag: まんちゃーひんちゃー  名古屋奨  諸ちゃん  沖縄戦  まゆみちゃん  そらぼっくり  読経会  沖縄この日何の日 

10/31のツイートまとめ

gajumui

やっぱりさ、さすがにDV問題までは考えられない…という男がダメなのであって、そこで、ロシアとか、コロナで増えているとか、在日の夫婦に多いらしいとか、そんなことを考え始め、気が付けば僕はとうとう川に子供を投げ込んだのは誰なのかを追求するピンボケ野郎になっちまったのである。でもね…
10-31 22:53

でも、DVの問題を芝居に仕立てて上演するということも、ピンボケ野郎と同じ穴に落ちているのではないか、などと…どうも、俺には肝心要の何かが見えていないのではないかという思い。つまり、右脳が働いていないという感触。あるいは、これは感度の劣化か。屁理屈は老害の始まり。
10-31 23:04



※スレッドも一緒に。


去年の今日。
10月31日は首里城が炎上した日。

tag: 沖縄この日何の日 

04/28のツイートまとめ

gajumui

ネットで何かできないかと、考えるふりをして、すべてそこらあたりは宇夫方女史に指示を出す。そして俺はというと、今日明日のコマラジの落語の準備をしていたのだが、やはり基本アナログが性に合っているのだということに、今さら気がついた。10年くらい前に気づいていればよかったのだが。
04-28 00:03

《FBのある投稿にコメントしたこと》僕は、すべての人を差別なく「殺さない」という道を人類は選んだのだと思っているのです。それが生産性を追い求めてきた人類の、せめてものよき成果であり、「良心」なのだと。その人類全体が選択した思想が、。今、試されているのだと感じています。
04-28 00:13

狛江のこと。自宅に引き籠っているネットと無縁の方々を音楽で元気づけられる方法はないか、ということで、まずは多摩川住宅やハイタウンの中庭で、例えばバイオリンとか、ノンプラグでちゃんと遠くまで届く演奏ができないだろうかと思ったのです。皆さんはベランダに出て聴くのです。そこで…
04-28 00:18

宇夫方さんに進言して、音楽の街こまえの委員の方々に相談してもらったのです。もちろん中庭が混むことにならないように管理。でも、却下されたようです。正式に財団とかで取り上げて欲しかったわけではなく、賛同する演奏家はいないかなあと思ったのですが。だって、ひとりで出来るはず。
04-28 00:22

できる方法を考えるのではなく、できない理由ばかりを探すというのは、何も財務省や厚労省や、一群の政治家ばかりではなく、どうやらこの国に住む堅実な「日本人」の良心に共通した性質なのではないかと、新型コロナの災厄を通じて、その思いがより強くなっていくのです。検査しかり、遊びしかり。
04-28 00:30

今夜の #コマラジ まんちゃーひんちゃーは「時そば」と、その前に“おきなわおーでぃおぶっく”の「ノロエステ鉄道」です。CDに収録された久米明さんの朗読と、大城立裕さんのインタビューの一部を流します。そしてもうひとつの話題は大切なこと。今日4月28日は、沖縄の「屈辱の日」なのですから。
04-28 19:16



1052年(昭和27年)のこの日、サンフランシスコ講和条約が発効。日本独立。しかし同時に、沖縄・奄美は日本から切り離され、米国の沖縄統治が始まる。
だから沖縄の人々は、4月28日「屈辱の日」と呼ぶのである。

その年の7月、日本政府は米国民政府との連絡を担う那覇日本政府南方連絡事務所(南連)を設置、沖縄人を「琉球住民」と定義して沖縄在住の日本国籍を持つ「日本人」と区別した。

「日本人」は保護の対象だが
「琉球住民」は保護の対象ではない!


サンフランシスコ条約締結の4年前、昭和天皇は「ソ連の脅威」に対抗するため、沖縄を「25年ないし50年、あるいはそれ以上」米軍に提供したいと提案していたのだが、まさにその通りになったのである。

沖縄は、人権より軍事が最優先される「軍事植民地」となり、この日本国憲法が適用されない「都合のいい」沖縄には、「本土」から多くの基地が移転してくることになる…

tag: 沖縄この日何の日 

常磐津と守礼門

元来組織が大嫌い、権威なんてクソ食らえ、そんな人間が、三線で賞を貰おうなんてことを考えること自体あり得ないハナシだったわけで。でも、ひたすらに伝統を真似て、それでもなお滲み出てきてしまう個性、そんな古典芸能の魅力も十分に理解しているつもり。だから…

たとえ師匠が間違えても、弟子はそっくりそのまま、師匠が間違えたままなぞらなければいけないという理不尽さを、ボクは大いに面白がってもいたのだ。でもね、そうした魅力的な伝統に付随する醜悪さはやはり受け入れ難く。有り体に言えば、師匠だから偉いのは稽古場だけだということ。




首里城の守礼門は、中山門に続く首里城の第二の坊門として、第二尚氏第四代、尚清王代に創建された。『中山世譜』によれば、1528年と翌29年、二度にわたって請封使(琉球国王の冊封を要請する使節)を中国に派遣した際に加健されたとされる。つまり、冊封使を迎える文字通り一世一代のイベントに先駆けて、中山門に匹敵する国門を造営したのである。はじめ、この門には「待賢」の額が掛けられ、次いで「首里」、そして尚永王の代の時に「守礼之邦」の額が作られ、冊封使が滞在する間だけ掛けられた。尚質王の時にそれが常設となる。門の名称も、額の文字によって、「待賢門」「首里門」「守礼門」と変わっていった。

1933年(S8)、「国宝保存法」によって旧国宝に指定されたが、老朽化が激しく、所有者である那覇市は国庫の補助を受けて1936年(S11)の10月から8ヶ月かけて解体修理を行った。しかし1945年(S20)の戦災で、基盤、礎石、敷石の一部を残して破壊され焼失した。

その後1958年(S33)、個人が保存していた原図を基に復元。
今から60年前の今日1958年10月15日 は…
新しい守礼門の復元落成式のあった日 である。

そういえば、しばらく首里城に行っていない。だから画像もない。今度、あらためて訪れてみようと思う。

《追伸》
10月28日に首里城へ行ってきた。夜だけれど、守礼の門も撮影できた。
守礼門

そして11月30日、あらためて昼間の守礼門を撮影してきた。
2020年の守礼門

《再追伸》※2021年の10月に
沖縄県公文書館のサイト「守礼門の復元落成式」より抜粋~
戦後、沖縄の文化財は、戦闘中の損傷や米軍人の持ち出し、一部住民による破壊等により危機的状況にあった。民間有志や市町村は、焼け残った文化財の収集や博物館設置に尽力し、1954年(昭和29)6月、「琉球政府文化財保護法」が制定され、文化財の指定・保護行政が本格的に始まる。
1956年(S31)、沖縄の政財界、文化財関係者らは、那覇市長を会長にして守礼門復元期成会を結成。礼節を重んじる琉球王国の理想を伝えていくため、「守礼之邦」を扁額に掲げていた守礼門を復元する資金を集める取り組みを始めた。そして、総工費23,514$を、琉球政府や那覇市の補助金、琉米親善委員会や海外在住沖縄人、一般住民の寄付金によって捻出した。
翌57年(S32)着工。守礼門柱材を納入する儀式(木曳式)には首里高校の生徒や教職員も参加。工事終盤には琉球大学美術部の学生が彩色を施す等、多くの住民が関わった。
1958年(S33)10月15日の落成式には、当間重剛行政主席、安里積千代立法院議長、仲松恵爽上訴裁判所主席判事、そしてドナルド・ブース高等弁務官、オルコット・デミング総領事らが出席。門の前で「御前風」の演奏等、数々の余興が披露された。

所蔵している沖縄アーカイブ写真と別冊太陽『首里城』より
本二冊

守礼門の画像たち

戦前の守礼門
戦前の守礼門

tag: 沖縄この日何の日 

中秋の名月



大和の十五夜のことは以前記事にしたことがある。
 ⇒2011年9月12日「名月か」
十三夜は特に沖縄とは関係ないのだが記事にしてしまった。
 ⇒2017年11月1日「月が美しいのは十三夜」

ところ変われば色々。
さて、沖縄のこと。

旧暦8月15日、八月十五夜(ハチグヮチジューグヤー)

豊作祈願のお祭り。村によっては、月の様子を見て、この年の豊作不作を判断した。
お月お祭り(ウチチウマチー)という「月拝み」や「月見の宴」が催され、この日の前後3日間、村遊び(ムラアシビ)が行われる地域もある。各地で綱引き、村芝居(狂言・組踊り)、獅子舞、棒術、また宮古では伝統集団舞踊であるクイチャーが行われる。

火の神(ヒヌカン)、仏壇、床の間にフチャギ(吹上餅)を供える。
フチャギとは、餅粉に水を加え、こねて蒸したものに、塩茹でした小豆をまぶしつけた俵型の餅。 北陸地方での「ささげ餅」と同じような食べ物。おもちが「月」を表し、まぶした小豆は星で、「子ども」「子孫」を表すとされている。子孫繁栄のため、まぶす小豆は多ければ多いほど良いとされる。
沖縄大百科事典ではこんな感じ。
ふちゃぎ
フチャギ、気持ち悪いですか?でもね、この小豆は魔除けでもあるらしい。つまり、この小豆を気持ち悪いと感じてしまう人は、何か体の中に悪い虫がいるのかもしれないと、どこかのサイトに書いてあった。そういう人は、「すぐ食べた方がいい」とのこと。真偽は不明。

ヒヌカンに拝するヒラウコー(沖縄のお線香)は2枚と半分、つまり3枚目を半分に割って供える。
仏壇にはヒラウコー2枚。
お線香を「本」じゃなくて「枚」で数えるとか、半分に割るとか、いったいどういうこと? 分からないのも当たり前。こちらの記事に画像とちょっとした説明があるので是非ご覧いただきたい。
 ⇒2009年11月23日のブログ

沖縄大百科事典によると、古く南島では、麦の播種(たねまき)儀礼と籾種の発芽の試みが9月になされた。つまりそれは「死と再生」であり、その直前の時期は共同体の最大の危機と考えられていた。したがって、8月は「柴指八月」「遊び月(アシビジチ)」といって、祓えと予祝の行事が集中しているのだ。町では、8日から15日までを「ヨーカビー」といって、爆竹を鳴らして妖怪を退散させた。
(農村では、9日から11日まで「柴指」をして邪気を払い、八月遊びの村踊りを催したという。)

tag: 沖縄この日何の日  沖縄大百科事典  月のこと 

クソ忙しい…

片付け中です。

今日は旧暦12月24日ウグヮンブトゥチですが…
クソ忙しいので、説明は来年にさせてください…

とは、言ったものの…


追伸
もったいぶるようなことではないので、いつとはなしに追記。

「ウグヮンブトゥチ」は「御願解き」、諸々の願(がん)を解(ほど)く日。
トートーメーやヒヌカン(火の神)、ヤシチガミ(屋敷の神)に今年一年の間に願いごとが叶ったり、幸せだったりしたことに感謝をする、そしてもしも不幸や災厄があるのならばこの日で消えてしまうという区切りの日。そして新年明けたらば、あらためてその年の願立てをする。

しかし、新暦ではもう2月である。今年の旧正月は一週間後の2月16日、新しい願を立てることなんて、きっと忘れてしまうだろう。なにせクソ忙しいのだから。

tag: 沖縄この日何の日