2013年02月05日(火)23時55分
2月5日のことを呟いたツイートをまとめてみました
【2月5日のことを呟いたツイートをまとめてみました】
gajumui
(※昨日のツイートをひとつ再掲)
明日は朝早い。高江に行ってきます。姪っ子を連れて。ちょっと寄るだけしかできないけれど、それが始まりだと思って。只のきっかけ。躓くかどうか、後は彼女が考えること。
02-04 23:18(※ここからは6日に呟いたツイート)
高江に行くとムーランに寄る。「活動」している人たちとは少し違う「佇まい」に、だらしない僕は脱力して、広がる山原の森を眺める。同行した母は、高々30分の「高江体験」で「意識の高い人」になったらしく、親父さんに色々と話し掛ける。「そんなに簡単なじゃない」と僕。奥さんがそっと頷いた。
02-06 09:09辺野古のフェンス横の砂浜。米軍の監視カメラと目が合う。笑顔でピースしてみた。ふと足元を見るとヤドカリ。見渡すと、そこら中でヤドカリ達が、それぞれ自分の家を背負って歩き回っている。近くで、ふたりの男性と小さな船が、漁に出る準備をしていた。
02-06 09:27恩納村の海の見える素敵なレストランで昼食。オーナーは元ライオンズクラブ会長の美しき女性。知り合いなのである(自慢です)。「高いよ」と母親を脅かしてテラスに席を取る。20食限定ランチ、コーヒーとデザートがついて1000円。「なんだ、高いって言うから…」「ここは、沖縄だよ」
02-06 10:07
コバルトブルーの海に漁船が何隻か浮かんでいる。聞けばモズク漁だという。ここの夜のメニューには一品数千円が並ぶ。モズクを使った料理なんてあるのかな。なんだかアンバランスな光景だと、僕は面白がっていた。
02-06 10:19(※ツイート中断と再開…)
昨日の報告ツイートの続き。残波岬ででっかいシーサーと特牛節の歌碑をカメラに納め、金城実氏のアトリエに向かう。母親は「今日はどうも…」みたいな挨拶を始めるが、当然そんなのに興味を示さず。「姪っ子が彫刻をやってるんですよ、それで、今日連れて来たんです」途端に金城実の目が光った。
02-06 18:36「俺の作った大獅子、見たか」「ハイ、ここへ来る前に」ここからの金城さんの話が実に面白かった。殆ど彫刻の話だけを語る金城実、そんなの初めて。でもやっぱり「金城実」なのである。ああ、間もなく搭乗開始の時間。残念。続きはブログにて。東京の雪、どうやら大丈夫みたい?
02-06 19:36(※6日はこれで時間切れ、以下は東京に戻ってからのツイート)
予告風に。「ある日金城実のアトリエに、彫刻勉強中の19歳の女の子が訪れた。金城さん曰く《彫刻をやっている人間が此処に来たのは初めてだ》デッサンなんかくそ食らえ、大阪の銭湯で、じいさんの裸を一日中眺めて人間の骨格を覚え込んだ金城実の熱い話が始まる。彫刻家・金城実、近日ブログにて!」
02-07 13:30何度も言うが「金城実的彫刻爆裂談義」はブログの方に書くとして、金城さんのアトリエをお暇した後、普天間飛行場をぐるりと回り、カミサンと母と姪をカミサンの実家で下ろし、小生はレンタカーを小禄まで返しに行き、モノレールで見栄橋へ、そこからタクシーで安謝の隣、港町の宝隆軒へ向かった。ふ~
02-08 08:49「玄羽さんから紹介されて」と言ったら御夫婦途端に満面の笑顔、大サービスして頂きました。伊勢海老、ラフテー・・・もう最高!お酒込みで一人様~円… 内緒。ありがとうございました。今度は是非御一緒に。後ほどブログに画像アップ。 @b25225 宝隆軒も味のある店でしょう。楽しんでますか?
02-08 08:58宝隆軒は日銀とか海上保安庁の御用達、だが極めて庶民的なお店。時の日銀総裁も、沖縄へ来ればこの店に訪れる。義理の妹夫婦が、お店の方のちょっとしたイントネーションを聞き分けて宮古の人だねと。ともかく暖かい。高江のムーラン、金城実夫妻、宝隆軒、この日会った三組の御夫婦。それぞれの沖縄。
02-08 09:12

tag: 沖縄の呑食処.カサラティーダ 高江 辺野古 沖縄の呑食処.宝隆軒 金城実 沖縄の呑食処.夢蘭 宮古 沖縄の旅_2013年2月
2011年08月03日(水)15時17分
今年も高江に行ってきた《少し言い過ぎることを許してください》
名護での本番は夜である。少し時間があるから、今年も、宇夫方女史と高江まで行ってみることにした。日本は震災でとてつもないことになって、みんなそちらにばかり気を取られているが、高江はもっとずっと前から大変なことになっているのだ。
途中、再び辺野古の海を通る。しっかりと写しておこうと車を停めた。
大浦湾は近づく台風の影響でざわめいている。

しかし、その波が砂浜までやってくることはない。

波は沖合いのリーフに当って砕け、轟音は風の音にかき消されてここまでは届かず、白波のスローモーションを、まるで別世界の出来事のように眺めるのみである。

海は、台風の大きさを知らせているはずなのだが、この島のことを知らぬ旅人には、その警告はなかなか理解できない。
⇒寄せる波が破壊し返す波が奪い去る
一年ぶりの高江。是非とも去年の記事も読んでいただきたい。
⇒高江のこと知っていますか?【米軍海兵隊の北部訓練場】
⇒ヤンバルの高江は自然の宝庫《キノボリトカゲ・ノグチゲラ》
⇒高江で見つけた看板の表と裏【マングース対策事業で仕掛けたられた罠】
⇒危機一髪!アメリカ海兵隊から逃げる

「お久しぶりです」

でも、なんだか今日は騒がしい。たくさんの車が並んでいる。

なんでも、車でバリケードを張っているのだという。
防衛局の職員がウロウロしている。

彼らはこうして車をチェックし、場合によってはナンバーを撮影して、あとで駐車違反などで摘発するのだと聞いた。

「やり方が陰湿だよ」
突然今日、ヘリパッド建設工事の準備調査のために現われたのだという。
「もうすぐ台風が来るんですよ。あんたたちがいると、台風の準備しなきゃいけないのに、それができないんですよ。なんで今日来るか。帰ってください!」


なるほど、そういうことか。今年の旧正月にもそんなことがあったっけ。沖縄の人たちにとって、旧の正月がどういうものか、知った上でのこと。新正月なら日本中から批判されるが、旧正月では多くの日本人は忙しく働いていてニュースにはなりにくい。台風だって、内地のそれとはまったく威力が違う。台風に備えておかないとどういうことになるか、下手すれば命にだって関わるというのに。

彼らは、本当に日本人なのだろうか。というより、これが日本人の正体なのかもしれない。

今年も夢蘭(むーらん)でお昼を食べることにした。台風は近づいてきているけれど、雨は降りそうもない。でもたとえ雨が降ったとしても、きっともう屋上席にはおじさん手作りの屋根が完成しているはずだ。
あら?

おや?

「おじさん、屋根は?」
実はおじさん、ちゃんと屋根を作った。すっごく頑丈なやつ。ところがこの前のでっかい台風の時、それが羽みたいになっちゃって、あんまり頑丈に作っちゃったもんだから、家ごと飛びそうになって、えらくおっかない思いをしたんだそうで。台風が去った後、すぐに取り壊したのだとか。

「そういうことなわけよ。」
「ふーん」
それにしてもこのおじさん、新城亘先生にソックリじゃありませんか。これから夢蘭のおじさんのことを高江の亘しゃんしぇいと呼ぶことに決めたっと。
お食事は今回もここで。


今年もパインを頂いた。サービス。

「ヘリコプター来るの?」
「最近多くなった。真夜中、すごい音でさ。真っ暗だろ。ヘリコプターは明かり点けてないから。家の屋根にライトつけてるんだけど、突然その明かりの中に真っ黒いのが現れるわけさ。恐ろしいよ」
「真夜中、ひでえなあ」
「もう慣れた」
「高江のヘリパッド工事、賛成している人もいるんでしょ」
「農協から金借りてたり、補助金もらってたりするとね、なんとなく反対って言えない」
「みんな反対なんですか」
「基地があったほうがいいなんて誰も思ってないんじゃないかね」
「賛成派の人たちと話したりしないんですか」
「しないさ。でも向こうの集まりに酒もっていったりする、基地の話しなんか何にもしないで一緒に酒飲んでくるだけさ。でもそうしているうちによ、ポロっと本音が出てくるわけさ、ホントは基地なんかいらないってさ」
世界がややこしくなければ、基地など無いほうがいいに決まっている。その至極当たり前なことが、世界がややこしいから、基地のハナシは政談になる。
もともとこのM.A.P.after5なるブログは会社のブログである。政治のハナシはしない、というのが基本方針。それは今も変わってはいない。
ただ、沖縄の基地のことは、日本人の誰もが考えなければならない問題で、それは政治などという表層的なことではないと、僕は確信しているのである。
キジムナーフェスタ開催期間中、どこの会場でも、スタッフの間でも、閉会式においても、沖縄の基地のハナシを持ち出す人は誰もいなかった。もちろん“コザ物語”のように基地に題材を取った作品もあるにはあったが、それは例えば、山猫合奏団が宮沢賢治を作品の材料にしていることと同じレベルのことだ見做される。それはそれでかまわない、というか、それは正しいと思っている。世界の舞台芸術の祭典を、ただ沖縄市という街で開いたというだけのこと、そこに基地問題を殊更に持ち込む必要は全くない。山猫合奏団の僕も、そのスタンスに同意する。
しかしながら株式会社M.A.P.は、様々な沖縄関連の事業を展開している会社である。その代表としては、たとえ沖縄とは無関係な山猫合奏団の公演ツアーとはいえ、ここ沖縄にやってきて、「全ての日本人が考えるべき沖縄の基地のこと」に、一切触れずに帰ることはできないと思っているのである。
何度でも言うが、このことは山猫合奏団とは全く関係のないことである。また、普天間や辺野古をどうすべきかについて、たとえ僕の意見がどうであれ、M.A.P.after5で、つまり会社として何かを言うことも避けたいと思う。ただ見たこと聞いたことの事実だけをご紹介するのみである。それでも、その「事実」の切り出し方が、ある方向に傾いてしまっているということがあるかもしれない。それについてそうではないと確信を持って反論する自信はない。気になったことしか目に入らず聞こえてこないということは十分にある得ることだろう。しかし、決して意図的に事実を選り分けるようなことはしていないと、申し上げておきたいと思うのだ。
もうひとつ、沖縄の基地が福島と決定的に違うことがひとつある。原発はそこに住む人々が拒否すればやってくることはなかった。(そうではないと主張する人たちがいることも承知している。が、沖縄とはやはり違うと思う。)だが沖縄の基地は、どんなに沖縄の人々が反対だと言っても、日本人から押し付けられてきたのである。沖縄県人もまた日本人ではないかという者には、沖縄の歴史を学ぶべきだと言おう。その歴史を知ってもなおそう主張する者どもとは、僕は決別しても構わないと、あの3.11以来公言することにした。
「沖縄の基地についてとてもあれこれ言えないよ」という一見良心的な日本人たち。しかし、沖縄県に対して強権を発動し続ける政府を選んできた責任は、そういう君たちにもあるのだ。そういう君たちにこそ、沖縄の人たちは苛立っている。その「君たち」の中に、僕も含まれている。
何度でも言う。「オキナワ」は「政治」ではない。日本という国に生きる人間ならば決して避けてはならない「何か」であると、せめて何も出来ない僕は言い続けようと思っている。

「また、必ず来ます」
「ありがとーねー」

沖縄やんばる海水揚水発電所。去年は全く気がつかなかった。見ていたのかもしれない。でも気に留めることなどなかった。3.11まで、エネルギーという重大かつ緊急の課題が、人類の眼前に横たわっているということにあまりにも無頓着だった。
揚水発電所とは夜間電力需要の少ない時に水を高い場所へ汲み上げておいて、その水を昼間落下させて発電しようというもの。発電施設いうより蓄電施設と言うべきものなのである。
普通は川の上下にダムを二つ作って揚水発電所を建設する。ここ高江にある揚水発電所は海水を使う世界唯一の揚水発電所らしい。作るダムは上だけ、下のダムは広大な海である。
しかし、揚水発電所が蓄電目的である限り、10のエネルギーを作るために、倍の20近い電力を使わなければならないのだ。一般家庭の電力料金を節約しようというような話をしているのではない。水を汲み上げるために必要な電力はどこから来るのか。もし枯渇寸前の化石エネルギーが必要だとしたら、膨大な建設費(もちろんエネルギーもだが)を使って建設すべき施設なのだろうか。
そんな発電所が、ひっそりとここ高江にある。なぜ高江なのか。
去年も撮影した入り江。

色も波も違う。
さあ戻ろう。なかなか変わらない気分だが、なんとか切り替えて。
2010年10月15日(金)19時37分
《沖縄通信no.7》【九十九龍氏による東村・高江の記録】
本当は、トミヒサさんの最終決定稿も、やっぱりトミヒサ節顕在、思いが迸る文章で、これではニュートラルな状態の方々にはなかなか読んではいただけないのではないかと、僭越ながら感じました。だから何とかそのことをトミヒサさんにお伝えして、出来ればもう少し、また短く端的に書き直していただければと思っていたのです。
結果だけ言えば、どうしても欲しかった高江の概略については、なんとか高山正樹が他の方の書いた資料を抜粋紹介する形ででっちあげ、それを(ずいぶんと前の記事ですが)7月17日の記事(トミヒサさんが高江にて座り込みをしているところへ陣中見舞いに行ったときの記事)に追記しました。そして、トミヒサさんから頂いた文章は、そっくりそのままご紹介することにしました。しかし、トミヒサさんの文章を掲載させていただくにあたって、M.A.P.としてどうしても申し添えておきたいことがあります。トミヒサさん、どうか笑って許してくださいね。
例えば、トミヒサさんの文章では、いきなり「日米軍事同盟」という言葉が、何の注釈もなく当然のように使用されます。「だってそうだろう」というトミヒサさんの声が聞こえてきそうです。トミヒサさんの気持ちはよく分かります。でもね、こう書いた瞬間、高江を知って考えてくださる可能性のある方の何パーセントかを失うのではないかと危惧するのです。むしろ日米安保条約に特に何の疑問も持っていないような方々にこそ、具体的な事例として高江のことを知って欲しいのに、これではその道の大半を失うでしょう。そういうことが分からない人が書いたと思われる文章は、僕も読みたいとは思わないのです。「日米軍事同盟に及ぼす影響」とは言わず、さらりと「日米関係に及ぼす」と書けばいい、それだけのことだと思うのです。
「普天間基地の移転問題」をどうするか、それが「好戦国アメリカの尻馬に乗って世界中へ自衛隊を送り込む軍事国家へ衣替えするか、あるいは唯一の被爆国として憲法9条の抑止力のもとに軍事力拡大を進める保守勢力に『否』を突きつけるか」、その分岐点だということですが、その表現はどうなのでしょう。何度でもいいます。トミヒサさんの気持ちはよく分かります。しかし僕は思うのです。普天間基地の辺野古移転賛成の人々全員が、あたかも軍事国家へ日本が移行することに同意しているかのような物言いは、せっかく高江のことをたくさんの人たちに伝える能力がトミヒサさんに備わっているのに、その芽を摘むことになってしまう。
トミヒサさん、僕は順序が逆だと思うのです。普天間のこと、辺野古のこと、グアムのこと、さらには高江のことを、極力ニュートラルな事実としてまず知ってもらうこと、重要なのはそれであり、それを知ってもらった後で、日本がどこへ向おうとしているのか、それが軍事国家なのかどうか、それぞれの人たちに判断してもらえばいいことなのではないでしょうか。
失礼ながらトミヒサさんの文章は、最後まである立場の色でいっぱいです。にもかかわらず、僕がここにトミヒサさんの文章を丸ごと掲載するのは、日本人の多くが殆ど高江のことを知らず、今もなお米軍基地が沖縄の人たちに日々苦悩を与えていることを、多くの日本人が忘れているからに他なりません。是非、トミヒサさんの労作をお読みくださいと、僕はみんなに言いたいと思います。トミヒサさんの文章は、その熱い言い回しと表現を除けば、これまでの経緯を大変分かりやすくまとめてくださっていますから。
その前に7月17日の記事も読んでくださいね。あらためて……
⇒トミヒサさんが高江で座り込みをしているところへ行った時の記事)
今日は第二金曜日。第19回の沖縄語を話す会です。
さあ、トミヒサさん、一緒に楽しくウチナーグチの勉強しましょ。
※(おまけ)トミヒサさんから届いた画像
ムーラン(変な外人)と。国へ帰れば大学の助教授だとか……
2010年07月17日(土)13時14分
ヤンバル高江は自然の宝庫《キノボリトカゲに会った・ノグチゲラの動画見た》
トミヒサさんに、色々と高江の説明をしてもらっていたその時、ふとすぐソバの木になにやらゴソゴソとうごめくものが。
キノボリトカゲ。トミヒサさんが教えてくれました。環境庁指定の絶滅危惧種です。
トミヒサさんたちは、ここで寝泊りしているわけではないのですが、突然ブルドーザーがやってきた時、身体を張って工事を阻止するために、昼間は毎日ココに詰めているのです。
今日は地元の方はいらっしゃらないようでした。
そんな仲間の一人の青年が、このテントのすぐソバで撮影したという動画を見せてくれました。
ノグチゲラです。沖縄県の県鳥。開発による生息地の破壊、また人為的に持ち込まれたジャワマングースなどに食べられて、その数は減少し、1972年に国の天然記念物、1977年に特別天然記念物、1993年には国内希少野生動植物種に指定されるという「輝かしい」経歴を持った鳥です。そうした生き物が、ココでは簡単に見れるのです。撮影した動画は、いずれネットにアップするとのこと。
その彼に、希少価値の全くない我々を写してもらいました。
彼の腕が悪いのではありません。主役は背景のN-4ヘリパッド。我々なんかどうでもいいから、画像をトリミングしちゃいました。
ここでは、トミヒサさんはみんなから親しみを込めて(?)チョロキュー、じゃないトミキューさんと呼ばれています。
ちょうどお昼時。チョロキュー、じゃないトミキューさんに案内してもらって“夢欄(ムーラン)”というお店に行きました。
と、いきなりスコールです。
まあすぐに収まると思ったのですが、あんまり激しい雨なので席はビショビショ、もう晴れても、すぐには座れそうにありません。残念ながら眺めのいい席はあきらめて、雨の吹き込まないところへ行ってお食事にしました。
“夢蘭”の建物は殆どご主人の手造りです。今も改築中。屋上のテーブル席に屋根を作っている最中でした。
沖縄ソバにはもれなくモズクが付いてくる。
高山正樹は食後にぜんざいも食べました。
さらに旬のパイン。ご主人のサービスです。ホッペタが落ちそう。
間もなく、雨はすっかり上がりました。さっきの雨がウソのようないい天気。自然豊かなヤンバルの森を見渡すことが出来ました。
僕は生物多様性についてややっこしいことを書きましたが、要するに人間とはエゴから逃れることはできないよ、きれいごとを聞くと眉に唾をつけたくなるよ、ということを申し上げたかったのです。なにしろ、生物多様性から受けた先進国の恩恵分を、その生物が生息する発展途上国にお金で支払えみたいなことになっているのですから。
しかし、この森を実際にこうして眺めていると、やっぱりこの自然は無条件に守らなければならないという気持ちが沸き起こってきます。この感覚は理屈ではなく、もしかすると、人間の太古のDNAが影響しているのかもしれない、なんて思ってしまうのです。
この後、もうひとつのテントが近くにあるというので、トミヒサさんに案内してもらいました。
tag: 沖縄の旅_2010年7月 その他の登場人物 沖縄そば パイン スヌイ ぜんざい 沖縄の自然 高江 とみ久さん 沖縄の呑食処.夢蘭
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