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儀間進さんの長ーい雑談【「わー」と「わー」のはなし】

今日午前中は宜野湾の嘉数で太鼓の稽古。
ということで宜野湾にお住いの儀間進さんと、普天間飛行場の南にある田園書房で1時にお会いすることにしました。2階の、テーブルと椅子が置いてあるちょっとしたスペースにて、儀間さんの「うちなーぐちフィーリング」をオーディオブックにする企画の現状報告、30分くらいのつもりでお話を始めました。

「たくさんの若い人たちを交えて読みたいのです。」

すると儀間さんから出てきた名前……

比嘉光龍(ばいろん)さん「正統派の方言をしゃべるねえ」
親富祖恵子さん「首里のおばあちゃんから首里言葉を教わったから上手だよ」
知念ウシさん「外国人と結婚してラディカルな考え方を持っている人だ」
伊狩典子さん「首里言葉は、日本で言うと京都の言葉みたいなところがあってね、首里言葉はお高くとまっていてねと思う人もいる、それがいいという人もいる」
小那覇全人さん「この人がいいかな」
玉城満さん「この人に言えば14、5人集まるんじゃないかな」
(註:この方はあの「笑築歌劇団」を主宰されている方。でも今は政治の道に。奥様がプロダクションをやっていらっしゃるという話は聞いたことありますとは高山正樹談でした。)
吉田妙子さん「女優さんだね」
そしてやっぱり
八木(はちき)政男さんと北村三郎さん。一番は何と言っても北島角子さん。「若い人たちを指導するなら八木さんが適任だろうな」
※以上の方々はタグが足りないので、別記事を立てました。(2017年11月25日)

こうして並べると、御年配の方も結構いらっしゃいますね。そしてみなさんこの道ではいっぱしの方々です。ご協力頂ければそれはそれは嬉しいのですが……。
ただしゃべっても生きた言葉にはならないよと儀間先生、そこはほんとにきちんとやらなければいけないと肝に銘じております。でも、だからといって、しゃべれる方々だけでこの企画をやっても、企画自体が生きたものになって拡がっていくかどうかはまた別です。たくさんの若者たちが、今はしゃべれないけれど、この企画を通して生きたウチナーグチを考え、八木政男さんのような方にご指導を受けて、一生懸命練習して、そうして出来上がったオーディオブックには、ちょっと拙いかもしれないけれど、色々な意味で彼らの生きた言葉が収録されている、そうなれば素敵だと思うのです。ハードルは高いけれど、なんとかやり遂げたいと思っているのです……
ということを、今度お会いしたときに儀間さんにお伝えしなきゃね。

「この間、目の前に八木さんが立っていたので、ポンと肩を叩いて、実はこういうふうな話があって、お声が掛るかもしれませんといっておきました」
先生、お気遣いありがとうございます。

それから儀間さんの話しは流れに流れて、あの伝説的な雑誌「琉大文学」のこととか、そして「わー」と「わー」のはなし。
 ⇒「わー」と「わー」をラジオでしゃべった時の記事
「わたし」と「豚」の発音の違い。そこで儀間さんは実演してくださったのですが、やっぱりよくわかりませんでした。どっちかが、「ゥわー」で、最初にウッと荷物を持つ時のように喉仏の下あたりに力を入れるのだそうです。
「ゥっ」「ゥを」「わゥッ」「ゴボ」「ブホ」「ゲポ」……、苦しい、だめだ、やっぱり、できない。無理です。
津嘉山さんは「う」と「わ」を一緒に言うのだとおっしゃっていましたが……
「をゥ」「オェ」、やっぱり無理です。

それから「やー」と「やー」も同じ。「家」と「あなた」
やっぱりどっちかが最初にイッと喉仏の下あたりに力を入れる。
「ィやッ」「うんや」「もういや」「いやん」「ばかん」「うっふん」……。できません。

方言のはなし。宮古は全く違う。沖永良部は沖縄に近い。鹿児島や熊本には沖縄と同じような言い方がたくさんある云々……。

このあたりですでに時間は2時半を回る。もう予定を大幅にオーバー。
「では、もうそろそろ……。」
「ごめんなさいね。僕は真面目な話がダメなんです。雑談が好きでね、雑談ばっかりなんですよ。教師をやっていた時も、教員室で雑談ばかり、後ろで聞き耳を立てている人がクスクス笑っていたり、お前うるさいからあっち行けと言われたりしたんです。だから今度高山さんが来た時はしゃべらないようにしますから」
「それはダメです。高山は儀間さんの雑談が大好きなんですから」
「いやいや」と儀間さんは笑っていらっしゃいました。
で、今回は儀間さんのお写真を撮るのを忘れてしまいました。

儀間さんとお別れして「おきなわ堂」へ御挨拶に。
本日の商品展示状況。
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あ、coccoの隣だ!

人類館のチラシを置いて頂きました。
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それからちょっと頼みごとがあって琉球新報へ。
今日はいい天気でした。
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tag: 津嘉山正種  琉球新報  沖縄の旅_2008年12月  おきなわ堂  おきなわおーでぃおぶっく  うちなぁぐちフィーリング  儀間進  声門破裂音  太鼓 

ご挨拶、稽古、そして深夜…

ふたりと別れたあと、沖縄県立博物館美術館へご挨拶。

館内入り口前の中庭に展示された、沖縄の古民家。
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そして入り口。
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入って正面奥にある売店。
“ミュージアムショップ ゆいむい
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展示品のように並べられた商品。さすがに博物館・美術館です。ドンキホーテとは違いますね。
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ズーム……
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ズーム!
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来年からは、ここに「人類館」も並びます。


そのあと夜遅くまで、来年の沖縄公演のための踊りの稽古……

そして、「土」へ
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2階のギャラリーへ上がる階段建設中。
斜めの線が嫌だというこだわりをわかってくれる大工さんがなかなかいなくて、やっと通じたのが宮大工さんだったとか。
宮大工さんて、沖縄の方なのかなあ?

その階段を背景にして
北海道から沖縄に移り住んで5年という今さんとお会いした記念に。
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ごうさん撮影)

ごうさん「人類館」の宣伝、よろしくお願いしますね。ごうさんが気にしていたこと、新しい「人類館」が本当は乗り越えるべきこと、それについては、いずれ高山正樹が、「社長とは〜」のブログに書くだろうと思います。
あれ、ごうさん「カクテル・パーティー」買ってくれるんじゃなかったっけ。ま、いっか……

というわけで、本日はこれまで。
(宇夫方路情報、高山正樹代筆)

 ⇒「土」に初めて行った日のこと
 ⇒ごう氏のコメントによると「カクテル・パーティー」を買ってくれるらしい?

tag: 琉球舞踊  沖縄の旅_2008年12月  沖縄在住のヤマトゥンチュ  沖縄県立博物館美術館  沖縄の呑食処.Bar土  おきなわおーでぃおぶっく  ごうさん  「人類館」  ゆいむい 

再会と、そして初対面と

パレットくもじ一階のステラおばさんのクッキー屋さんの前で待ち合わせて…
(※「ステラおばさんのクッキー」は全国展開のチェーン店らしい…)

お茶しました。
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金城史彦くんと再会。
玉城郁恵さん、始めまして。
金城君と玉城さんも、今日初対面です。

“おきなわおーでぃおぶっく”のこととか、なんだか、こっちの話ばっかりして、なんで二人の話をじっくり聞かなかったんだって、高山正樹に叱られました。

とにもかくにも、第一歩を踏み出すことができましたね。これからもよろしくです。

 ⇒金城君と初めて会った日のこと

tag: パレットくもじ  金城史彦  玉城郁恵  沖縄の旅_2008年12月  おきなわおーでぃおぶっく 

劇団昴“クリスマス・キャロル”

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池袋へ、芝居を観に行きました。
大島君と。

ミステリー……
※(2012年3月3日追記)もはや永遠のミステリーかな

宇夫方路は沖縄へ。
報告待ち。

tag: 劇団昴  大島純  沖縄の旅_2008年12月 

だってなんだもん!の補足

沖縄テレビの部長の船越義輔さんは、実は小説家船越義彰氏のご子息でいらっしゃいます。対馬丸を大城立裕先生と共に書かれた方。義輔さんは大城先生のことを、僕の父親のような人だとおっしゃっていました。



そして奇遇にも、義輔さんは東京の喜多見に住んでいらっしゃったことがあるのでした!

(実はタグが足りないので記事を分けたのです。)

tag: 対馬丸  沖縄テレビ  大城立裕  船越義輔  船越義彰  喜多見  沖縄の旅_2008年12月 

だってなんだもん!

朝、太鼓のお稽古。だって来年優秀賞取るんだもん。

昼から踊りのお稽古。だって来年2月21日に沖縄で行われる最高賞以上の受賞者しか出られない舞台で踊らして貰うんだもん。

夕方4:30、沖縄テレビの部長、船越義輔さんに御挨拶。だって、「おきなわおーでぃおぶっく」を宣伝して貰いたいんだもん。

そのあと5:30、NHK沖縄にも御挨拶。放送部長さんに会ってきた。NHKは宣伝なんかしてくれないけれど、だって大城立裕先生の紹介なんだもん。

そうして、これから東京に帰るんだもん。

補足へ

tag: NHK沖縄  太鼓  沖縄テレビ  沖縄芸能コンクール  沖縄の旅_2008年12月  おきなわおーでぃおぶっく  大城立裕  船越義輔 

民謡スナックでいご(7日その3)

何しろここは宜野湾市。いくら眠くてもひとりじゃ帰れない。というわけではないけれど、知名先生に行こうと誘われれば、どこまでだってついていきますとも。

というわけで、普天間にある“民謡スナックでいご”へ
波田間武雄さんのお店です。

波田間さんと知名先生のデュエット。
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波田間さんは沖縄で大人気のフェーレーという民謡グループの一員。
知名定夫がプロデュースし、憂歌団の内田勘太郎氏などがゲスト出演しているCDを発売中。



知名先生、ねむたそうな宇夫方路の顔を見て、
「みっちゃん、つまんなかった? ごめんね」
いえいえなんの、宇夫方路は、確かに目を開けて聞いていましたよ、先生。
頭の中はちょっと、ぐじゅぐじゅだったけど。

tag: 沖縄の旅_2008年12月  波田間武雄  沖縄の呑食処.民謡スナックでいご  知名文子 

差し入れと忘年会(7日その2)

コンクールの授賞式に出席していた人も合流して、チャリティー公演の打ち上げを兼ねての忘年会。
知名文子先生を囲んで記念撮影。
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お花を持っているのは今回コンクールで受賞した方です。

隣の部屋では、幸(みゆき)太鼓の会の面々が、やっぱりコンクール受賞のお祝いをしていました。会長の伊良波幸善先生は知名先生のお知り合い、ということでここでも記念撮影しました。
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伊良波先生は野村流音楽協会や沖縄伝統太鼓協会などの相談役もなさっていらっしゃいます。
「僕はイロハです。」
「え?」という顔をしていたら
「内地の人は、そう言うと名前を憶えてくれるんです」
ですって。

ともかく、沖縄には芸能者がたくさんいらっしゃるのです。
M.A.P.の事業とは直接関係ないようですが、沖縄ではこういう繋がりがとても大切なのです。

毎晩はちょっと大変ですけどね。

ところが、これで終わらないのが沖縄なのです。

tag: 笠原真理子  沖縄の人  太鼓  沖縄の旅_2008年12月  伊良波幸善  知名文子  沖縄芸能コンクール 

歳末チャリティー公演(7日その1)

今日は那覇マラソンでした。
モノレールの壷川駅から見た光景です。
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あちこちからゼッケンをつけた人たちが続々と集まってきて、奥武山公園のスタート地点に向かっていました。

というのを横目にしながら、宇夫方路は宜野湾市民会館へと向うのでした。
歳末たすけあいチャリティー公演「芸能の夕べ」。琉球舞踊、民謡、日本舞踊などいろいろな団体が出演。
宇夫方路は、この昼の部で「乾流太鼓段の会」のメンバーとして出演し、太鼓を叩きました。この日は琉球新報主催琉球古典芸能コンクールの授賞式と重なり、各先生方はほとんど出演できないので、東京の宇夫方路にまで声が掛ったということです。

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以前御紹介したもんじゃメンバー
と再会、一緒に舞台に立ちました。左が江端妙子さん、右が笠原真理子さん。笠原さんは宇夫方より後に太鼓を始めたのですが、宇夫方が忙しくて休んでいるうちに最高賞まで取ってしまいました。うーん、なんとか追いつかなくっちゃね。

江端妙子さんはM.A.P.の地図のお仕事のお手伝いをしてくださったこともあります。今はおまわりさんになられた息子さんの隆くんもM.A.P.で働いていたんですよ。)

おきなわ堂の店長、金城牧子さんが、観に来てくださって、差し入れもしてくださいました。
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あれ、おきなわ堂で売ってる商品とおんなじだ(笑)
ありがとうございました。

tag: 沖縄の食物  おきなわ堂  金城牧子  笠原真理子  太鼓  江端妙子  奥武山公園  沖縄の旅_2008年12月  沖縄芸能  MAPの人 

プリティちえちゃん登場(6日その2)

和光小学校の修学旅行に同行し、宮城巳知子さんのお話を伺った時にお会いした“プリティちえちゃん”に再会しました。
といっても、本ブログでは初登場。
まずは和光小修学旅行の時に識名園の前で撮影した画像で、プリティちえちゃんのご紹介です。
識名園の前でプリティちえちゃんと
(10月28日撮影)
その日の記事
その日のOffcial_Blog(別窓で開くならシフトを押しながらクリック)

ところで、今回、宇夫方路の訪沖の最大の目的は芸能チャリティ公演に出演して太鼓を叩くこと。(それについては明日報告します!)その稽古をして、そのあと太鼓の知名先生と、嘉陽田早苗さん(知名先生の門下生)のお店「美風歌(びふうか)」にやってきました。
美風歌看板

で、プリティちえちゃんは南風原高校の英語の先生。(なんでプリティなのかは、まだ本人に聞いてません。)
この日は新報ホールで英語の大会があったそうで、プリティちえちゃんはその司会を担当、それが終わってから美風歌に駆けつけてくださいました。
時間も遅かったので、早々に切り上げようと思ったのですが、ここは沖縄、プリティちえちゃんが那覇西高校にいたときのPTA会長さんの源河さんご夫婦がお店にやって来られて、ご一緒することに。
美風歌にて

源河さんのご主人は安冨祖流の三線をやられていて、奥様は琉球舞踊敏風会の教師。さすが芸能の島、いたるところに芸能人がいらっしゃるのです。

で、宇夫方路が所属する喜納の会の会主である伊波正江先生のそのまた先生、つまり大先生は亡くなられた喜納初子先生なのですが、その初子先生と、源河さんの奥様が所属する敏風会の会主、宮里敏子先生とは、かつて名コンビと言われていたのです。

で、美風歌のオーナー嘉陽田早苗さんは、源河さんの奥様と幼なじみ。
で、なんだかんだ色々なつながりがあって、すっかり盛り上がってしまったのです。

みなさん、ここまでのややこしい話に、ちゃんと付いてこれましたか?
で、です。一番重要な話はここからです。

プリティちえちゃんのお母様はずいせん学徒隊の生き残り、つまり宮城巳知子さんの同窓生でいらっしゃいます。しかし、プリティちえちゃんのお母様は巳知子さんのように当時のことを人前でお話になることはありません。でもプリティちえちゃんは、お母様たちの経験を、なんとか語り継いでいきたいと考えている、そこで御高齢の宮城巳知子さんの後を継いで、巳知子さんの体験を題材に、語り部となるべく勉強をしていらっしゃるのです。

で、です。「おきなわおーでぃおぶっく」では、宮城巳知子さんの書かれた「ずいせん学徒の沖縄戦」を、プリティちえちゃんに読んでもらおうと、白羽の矢を立てたのです。
そして今日、それを快諾していただいたと、こういうわけなのです。

で、最後になりましたが、プリティちえちゃんの本名は宮城千恵さんです。なんでここまで本名を伏せて“プリティちえちゃん”で押し通したのかというと、ただでさえややこしい話なのに、宮城さんがたくさん出てきたらますますワケがわからなくなりそうだったからです。

あー説明、疲れました。明日、ちゃんと太鼓叩けるかしら。
(宇夫方路電話談、東京にて高山が代筆。疲れた…)

Official_Blogには、もう少し話が進んでから、ちょいと整理して記事を書きましょうね!

tag: 沖縄の人  プリティちえちゃん  沖縄の呑食処.美風歌  琉球舞踊  三線  宮城巳知子  ずいせん学徒隊  沖縄の旅_2008年12月  おきなわおーでぃおぶっく  識名園