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沖縄の空も、暗く悲しく……(M.A.P.の墓碑銘)

また沖縄です。
お忍びでというわけでもないのですが、今回は時間がないので、特にどなたにも連絡していません。

朝5時15分。調布からバス。6月のこの時間はもう明るいのです。
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羽田。
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もう8時を過ぎているというのに、明るさはちっとも変わりません。むしろちょっと暗い感じ。

zzz…。
飛行機の中で金縛りになりました。不思議な経験です。「倒したシートを元に戻してください」という声が、はっきり聞こえるのだけれど、全く動けませんでした。
那覇空港に着くと、高山正樹から連絡が入った。この日未明の2時半頃に、お世話になった方が亡くなったという報せ。
もしかしたら、あの金縛りの時、会いにきてくださったのかもしれない…、でも、ちょっと時間が違うからなあと高山。確かにね、ただ疲れが溜まっていただけなのかもしれません。

“国立劇場おきなわ”に到着。
やっぱり暗い。明るいイメージの沖縄が暗いと、ますます暗く感じます。

でも、これから夜まで、劇場内にある第一稽古場にずっと篭りっぱなしなのです。
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今日も明日も、8月のコンクールに出るお弟子さんたちの稽古のお手伝いです。終ったら、すぐ東京へ戻ります。空をゆっくり見上げてる余裕なんかないかもしれない。
だから、今のうち、よく見ておきます。恩人が、昇天した空を……
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(本記事は、高山正樹が宇夫方路の報告を受けて、それを題材にして書きました。金縛りも、誰かが来ていたような気がしたということも、ほんとうのことです。心から、ご冥福をお祈りいたします。)



2009年6月20日午前2時30分
快読ショップYomuparaの代表、石田豊氏(享年54歳)逝去。

tag: 沖縄の旅_2009年6月  国立劇場おきなわ  石田豊  墓碑銘 

“Bar土”と知花昌一さん(6月の沖縄18)【沖縄通信 No.4】

“Bar土”がランチを始めたことは知っていました。100店シリーズの「昼ごはん夜ごはん」にも掲載されました。となればなんとしても行かねばなるまい、というわけで、沖縄に着いた日にごうさんに電話をしましたが、その時は繋がりませんでした。
そうしたら、昨日の夜になって、ごうさんの方から電話がかかってきました。
※お昼の土は9月をもって終了しました。残念。(9/30追記)

「携帯のデータが飛んじゃってさ。今、沖縄にいるの?」
「明日帰るけど」

帰りの飛行機の時間は19:30。じゃあ4時頃なら会えるねということで、今日、特別に早い時間から店を開けてくれて、ごうさんが出てきて待っていてくれました。
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特別に、食事も出してくれました。
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ごうさんがM.A.P.after5に初登場した時、ごうさんは「のんさん」でした。「のんさん」が「のんさん」を辞めたという話は聞いていないので、きっとまだ「のんさん」でもあるのでしょうが、表の世界での通り名は「ごうさん」のようです。

ごうさんは、最近、読谷に引っ越しました。夜のお店の営業は大西君に任せて、しばらく自分はお昼だけ出てきていたようですが、それも今は人に任せてしまいました。
ごうさんはいろいろと考えているようです。読谷で土を耕すこと。また“Bar土”での企画も盛りだくさんで、そのたんびにごうさんはお店に出てきて遊んでいるようです(失礼)。
大西君によると、“Bar土”は、今、沖縄で何かと注目されているのだそうです。でも、いったいどういう種類の人たちに注目されているのかなあ……

どんな催しを企画しているのかは、“Bar土”のブログでも覗いてください。
例えば、あの「日の丸事件」の知花昌一さんが、島唄を歌っていたり……
http://tsuchi2009.ti-da.net…
ちなみに、僕は知花昌一さんについて、ちょっとだけ書いたことがあります。
http://lince.jp/mugon/okuba…

ごうさんが知花昌一さんと初めて会った時に、知花さんから聞いた話を、ごうさんは「mixiという場所」で書いています。mixiという閉じられたところだけじゃもったいないから、ここに転載させていただくことにしました。
(まあ、ここで紹介しても、どれほどの方に読んでいただけるものか、あやしい限りですが、少なくともここは署名入りで全世界に公開しているわけで、それが、理念としてmixiとは違うのだと言いたい訳です。あれ、でもそういえば、ごうさんのほんとうのなまえ、知らないや。)

【沖縄通信 No.4】(from ごうさん)
あれは、高校国体が始めて沖縄に呼べると喜び、沖縄中で盛り上がってたんですね。
開催県は全ての種目にエントリー出来るので、必ず総合優勝出来るんですよ。
沖縄を総合優勝させることによって、大和に対する劣等感を払しょくさせ、自信をつけせるチャンスだったんです。
読谷村もその会場の誘致に懸命で、やっとその夢が実現する運びになりました。

しかし、大きなネックになったのが、国旗掲揚でした。

読谷村では4カ所で集団自決しているんですね。
僕が調査した「チビチリガマ」では85人が死に、83人が集団自決です。
そのうち12歳以下の子供が47人を占めています。
とても自分で死ぬことはできないわけで、その子たちは、お母さんに殺されたのです。
調査していて「あなたたちにはわからないかも知れないけど、当時はそういう教育だったんだよ」という話をある生き残った母親から聞きました。
降伏するくらいなら自決せよという軍国主義教育が母性さえ奪ったんだと思います。
沖縄戦は実は戦争が終わった後の9月7日まで散発的戦闘が続きました。
“最後の一兵まで戦闘せよ”と指令されていたからです。沖縄は、米軍の本土上陸を長引かせるために、まさに捨て石にされたのです。
また、戦闘の最中の5月に出た日本軍指令で、沖縄語をしゃべった者はスパイとみなして処刑されました。
こうした日本軍による住民虐殺や集団自決の象徴となったのが日の丸・君が代です。

当時、読谷村は村長も日の丸掲揚に反対していたし、議会でも日の丸強制反対決議を採択していたんですね。
国体のソフトボールの会場でも当初は掲揚しないことになっていた。
しかし、日本ソフトボール協会の会長が「日の丸・君が代をやらないのなら国体を他府県に移す」と言って紛糾したんです。
話し合いを重ねて妥協案が決まりました。
普通、旗のポールは5本だけど、6本目のポールを作って、その端っこに日の丸を立てる。
その反対側の端っこには非核宣言の旗を立てる。
メーンポールには国体旗を立てるというのが妥協案で開会式前日までこれで決まっていました。

村としても、がんばったんだし、端っこなら僕は焼くことはしなかった。
日の丸反対の横断幕を掲げるだけのハズでした。
ところが、当日になって協会長が「慣例なんだからメーンポールに立てろ」と強行したんです。
僕は、とっさにスコアボードに上って国旗を降ろし、燃やしました。燃やせば、もう揚げられないと考えました。
ところが、国旗に火をつけても、すぐに消えるんですね。
もう一度火をつけ、燃やすために火をつけた国旗を振りました。
そのことが、後になって、自分の行為を誇示したと見られ、裁判ではより重い刑が科せられる一因にもなったのですが。
スタンドから拍手喝采が起こりました。みんな、読谷村では当然のことと思ってたんでしょう。

その後、ぼくは逃げるつもりはなかったのですが、仲間が車を乗りつけ、逃げるんだ、早く乗れ。
と言うんで、成り行きでその車で家まで送ってもらいました。
家に帰り、妻に事情を話し、改めて警察に出頭しました。

以来、僕は「国賊」だと言われたりしましたが、本当に僕が国賊なら、僕の店はつぶれているハズです。
僕は30年間スーパーマーケットをやってきました。
日の丸を焼いた翌々日から右翼に店を襲撃され冷蔵庫を壊されました。翌年まで営業妨害を受けました。
でも、地域に支持されたから店はつぶれませんでした。
8年間闘って、裁判には負けました(一審で懲役1年執行猶予3年、二審で控訴棄却)けど、大変満足しています。
日の丸が大変な旗だということを全国で話すことができました。
日本人は、戦争で日の丸が果したことについてケジメをつけないとダメですよ。
それで新たに国旗を制定して日の丸が国旗になるのなら構わない。
でも、国旗が国内向けに必要なのでしょうか。旗というのは識別表示の記号であり思想を明示するものです。
船舶に立てたり、在外の大使館に国旗を立てるのは記号として当然です。
しかし、それが国内で自国民に向けて振られる時というのは、国が外へ出て行く意思表示をしている時、すなわち戦争につながると思っています。



M.A.P.としては、知花昌一さんの考えを全面的に支持するものではありません。というか、いかなる立場も主張することはいたしません。
また、ご紹介した文章の事実関係等を検証したわけでもありません。
あくまでも、“Bar土”のオーナーである「ごうさん」が、実際に知花さんとお会いして、そしてごうさんの頭の中に記憶された知花さんの話を、ごうさんが誠実に書き綴った文章があって、それをここに転載させていただきたいと思ったということであります。
(快く許してくださった「ごうさん」に心から感謝いたします。)
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ありがとう、そしてご馳走さまでした。

とまりんでレンタカーを返却して、空港へ向かいます。
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インターネットにある膨大な情報、その有効性を疑うものではありません。でもその恐ろしさを、この旅では考えさせられました。
あることを検索した結果、上位100個の記事全てに同じようなことが書かれていたとしたら、それを正しい情報だと信じてしまうのもいたし方ないことかもしれません。そしてその情報を、また自分のブログに書いたりしてしまいます。ところが実は、100個の情報の出所はたったひとつで、異論は101個目に押しやられている、しかし本当はその意見のほうが真実に近いということもよくあるのです。
間違っているかもしれない情報を、正しいものとしてしまうことに加担しないよう、あらためて肝に銘じています。

我々の過去の記事の中にも、安易に書いてしまった文章があるかもしれません。もし気づいたことがおありになりましたならば、是非ともご指摘くださいませ。

tag: 日の丸  沖縄の旅_2009年6月  100シリーズ  ごうさん  知花昌一  沖縄の呑食処.Bar土  沖縄の基地  チビチリガマ 

“JUDO CHOP”(6月の沖縄17)

今回の旅の大きな目的は、楽天市場の沖縄mapに作品を出してくださる皆さんと、会って話をすること。
その最後がJUDO CHOP!
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いつも寝ている看板猫のチャミ、ついに目覚めた一瞬を捕らえた。
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うふふ……

「え? いや、僕、猫は嫌いですよ…」
「いえ、好きなんでしょ」
「嫌いだよ」
「屈折してますにゃあ」
「君に言われる筋合いはにゃい…、あれ…」

JUDO CHOPのストラップ!
楽天市場“沖縄map”で販売開始!
http://item.rakuten.co.jp/okinawamap…

でも、もっと他の事も考えているのです。はたしてどうなりますことやら……

tag: 沖縄の旅_2009年6月  楽天市場  JudoChop   

おきなわワールドへ(6月の沖縄16)

おきなわワールドに行きました。
前回おきなわワールドへ行った時の記事

まずは機織工房“しよん”さんへ。
しよんの皆さんからのメッセージです。

〜忙しい日々の中、ほっとくつろげるような手作りの物に出逢ってほしい〜
そんな思いで、私たちひとりひとりは、手染め・手織りの一点一点を作っています。
沖縄の南、青い空、豊かな緑、色とりどりの花の中
赤瓦民家の工房で制作しています。
沖縄の大らかな風を感じてください。


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“しよん”さんの作ったマース袋の記事


そして、紙漉き工房“紙芳”さんへ。
“紙芳”さんは、おきなわワールドの直営の工房です。今日は上江洲睦さんがお休み。ということで、工芸部の伊敷さんとお話させていただきました。
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漉いた紙で作ったポチ袋や葉書やら、それはそれでとても素敵なのですが、本当は紙そのものを売りたいのです。
おきなわワールドという観光施設の中では、なかなかそれは難しい、でもM.A.P.なら、まだまだ力は不足していますが、そのお手伝いが出来るかもしれません。

例えばこのお酒…
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サトウキビのお酒です。そして、ラベルには“紙芳”さんの漉いたサトウキビの紙が使われていて、それに著名な書家の方が一瓶一瓶、文字を書いているのです。いわば酒造りと紙漉きと書道家のコラボレーション。紙そのものを提供すること、それは新たなものづくりの可能性を生み出すことでもあります。

伊敷さんは、会社の管理職という感じが全くしませんでした。謙虚すぎる(?)上江洲さんをはじめ、若きものづくりの人たちを、とても大切にしているいらっしゃるようにお見受けしました。まあ、会社だから、外からでは見えない様々なご苦労もあるのでしょうけれど。

いろいろと、アイデアを出し合って、頑張ってみましょうね。
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「ちょっと、いい写真を撮りましょう。キャッチライトで照らして」
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「いいですよ、そんな…」「いやいや…」

カシャ!
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ほら、素敵な笑顔、ありがとうございました!

tag: 沖縄の紙漉き  紙漉き工房“紙芳”  沖縄の旅_2009年6月  おきなわワールド  織物工房“しよん” 

恒例のおきなわ堂(6月の沖縄15)【沖縄語辞典】

“おきなわおーでぃおぶっく”のCDは…
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大城立裕先生の色紙と並んでます。
 →関連記事を読む(金城君の初コメントあり)

昨日、比嘉光龍さんがバイブルだと言っていた「沖縄語辞典」を発見。
間違えてはいけないので、さっそく光龍さんに電話。
「後ろに政府刊行物販売所一覧が載ってるページがありますか? なら大丈夫、それです!」
さっそく購入しました。

沖縄語辞典

国立国語研究所編、発行は財務省印刷局。初版は昭和38年。平成10年に沖縄県の人々や研究者の要望に答えるかたちで第8刷が刊行されるとアッという間に完売、そして平成13年に、若干の変更を加えられて刊行されたのが、この第9刷なのです。
光龍さんが持ってるのは、第8刷かな9刷かなあ。

店長さんのお話によると、この辞典、光龍さんが沖縄のメディアで紹介してから、よく売れているのだとか。
「光龍さんは、あの格好(甚平姿)で、よくおきなわ堂にもヒョコッといらっしゃるんですよ」

店長さん、こんど光龍さんがいらしたら、おきなわおーでぃおぶっくの宣伝もしてくださいませね。
よろしくおねがいします!

(右は変更される前のものです。)

tag: おきなわおーでぃおぶっく  おきなわ堂  比嘉光龍  沖縄の旅_2009年6月 

嘉例山房の“黒米カレー”(6月の沖縄14)100店(カフェ-001)

“嘉例山房(カリーさんふぁん)”
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「かせかけ(かしかきと読む)」の踊りで使う道具が飾ってあった。
平べったくて大きいのが「枠(わく)」、筒状なのが「綛(かせ)」
かせ
昨日、moso'sの工房で、ほんものの「かせ」を見せてもらったばかり。
その記事を読んでみる

朝昼兼用の食事。
黒米カレー800円。
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メニューには何も書いていないのに、グアバジュースがついてきた。
お水にはさりげなくシークヮーサーの果汁が入っている。
カレーは文句なし。間違いなく、たくさんの食材を長い時間かけて煮込んだのであろう深い味。

ぜんざい450円。
氷ぜんざい
沖縄で「ぜんざい」といえば氷ぜんざいのこと。豆は小豆ではなく金時豆。
この味も、国際通りあたりのぜんざいとは一味違って、どこか落ち着きがある。白玉も、いい意味で少し粉っぽくて嬉しい。

本当はこのお店の名物はぶくぶく茶。
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(メニューの向こうに置かれた龍の皿。
「沖縄における龍とシーサー」は研究課題。

20年くらい前、どこか南部の観光地でぶくぶく茶を飲んだ(食べた?)時、ああ、なるほどこういうものかと思って以来、特に敢えて飲みたいとは思わなかったのだが、このお店でカレーとぜんざいを頂いてみて、このお店のぶくぶく茶を頼まなかったことを後悔した。でも、もう追加で注文する時間がない。

「ここのぶくぶく茶はおいしいのに」と、お店のママ、大城さん。
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また来ます。その時は、絶対にぶくぶく茶を頂きます。

首里の路地裏にあるお店。知らなきゃきっと辿り着けない。
場所をお知りになりたい方は、100店シリーズの「カフェ」をご覧ください。

M.A.P.販売サイトへ
http://www.ownmap.jp/article…
楽天ならクレジットも使えます。
http://www.rakuten.co.jp/okinawamap…

他の商品と、併せてご購入くださいませ。

tag: ぶくぶく茶  ぜんざい  沖縄の呑食処.嘉例山房  沖縄の旅_2009年6月  100店.カフェ  沖縄の食物  別ブログへ 

隣人を愛するということ(6月の沖縄13)

金曜日の夜に続いて、今日もまた生活の柄へ。
生活の柄の入口

ちょっとまじめな感じでしょ。
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そうなんです。まじめに語り合っているのです。

今日は、サンパレス球陽館の木佐木さんと、一杯やりましょうとお約束していたのですが、そこにみんなが合流してくれました。
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「最近の沖縄のホテル、すごく安いと思いませんか?安くしないと、お客さんが来ないんです。」
確かに、ちょくちょく沖縄へ来なければならない私たちにとっては、安いホテルが多いのは、とっても嬉しいことだったのですが、問題は、そう単純ではないらしい……。
「ホテルで沖縄の地のものをお客様に提供したい、でも、そういうものは、とっても値段が高くて使えないんです。」
いいものなら高く売れる、そんなふうに考えていたのだけれど、そういうものが高いのは、それだけ手がかかっているからであって、決して作り手が潤っているわけではないのです。ただ、苦労に見合った値段というだけのこと、でも、そうしたものを手に入れることができるのが、内地のお金持ちだけなのだとしたら……。
それが、沖縄のもの作りを担う人たちの望んでいることなのでしょうか。

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誰もが皆、自分の経験からでしか考えられないのかもしれません。でも、隣にいる人の語る言葉を、あたかも自分が経験したことのように耳を傾けることならば、きっと出来るはずです。

そうだよね玉城さん。肝ぐりさの本当の意味を、どうかもう一度、教えてください。

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栄町の夜は更けゆく……
電気は煌々と点いていますが…
お店はもうやってません…

旅の続きへ

tag: 井上真喜  金城史彦  西岡美幸  栄町  玉城郁恵  沖縄の旅_2009年6月  沖縄工芸  沖縄の呑食処.生活の柄 

比嘉光龍(6月の沖縄12)

夕方の5時ごろ、比嘉光龍さんから電話が入った。
「今、ラジオ沖縄の本番が終ったところです。ココの一階を使わせてもらえることになったので、ココで待っていましょうね」
おっと、6時半にお会いする予定で動いていたので、ともかく大急ぎで恩名村から那覇へ向かいました。金城君と合流して、ラジオ沖縄に到着したら、「結局6時半だね」と、大きな声とおおきな笑顔の比嘉光龍さんが迎えてくれました。

初めてぃやーさゐ!
それとも
初めてぃ拝(をぅが)なびら
光龍さん、こういう場合、どちらが正しいの?
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ちょっとデカ過ぎますか?
でも、色々な意味で存在感はまさにこんな感じ。

那覇へ(なふぁかい)向かって、ラジオ沖縄に(らじおおきなわんかい)到着して…、という感じでしょうか。
この「〜かい」「〜んかい」、それに「〜なかい」については、日本語の「〜へ」と「〜に」とともに、現在さらに研究中、東京に戻ったらゆっくりとここで研究発表したいと思っています。
関連記事(6月6日の沖縄語を話す会のこと)を読む

「比嘉光龍」という名前を初めて聞いたのは、儀間進さんのお話からでした。うちなーぐちについて、いったいどんな方々にご指導をお願いしたらいいのかご相談した時に、儀間さんから出てきたお名前なのです。
儀間さんから光龍さんのことを聞いた日の記事を読む

光龍さんにお会いできることになったのは、金城史彦くんのお陰、金城君のお知り合いの親川志奈子さんが光龍さんをよくご存知で、それでご紹介いただいたのです。ふたりに感謝。
親川志奈子さんに会った日の記事を読む

今日のことは、“おきなわおーでぃおぶっく”のオフィシャルブログでも記事にしましたので、必ずお読みくださいね。
http://ameblo.jp/okinawaaudiobook…

比嘉光龍さんから頂いた名刺には「ふぃじゃ ばいろん」とルビが振られていました。
肩書きは「唄三線者」。
比嘉光龍さんについて、慌てて書くことはしません。ひとつひとつ、私たちも考え、理解したうえで、見極めたうえで書きたいと考えています。

とりあえず、今日は会ったということと、もしかすると、これから何かしら相談することになるかもしれないという報告。

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あ、それからもうひとつ、比嘉光龍さんは“沖縄語を話す会”の國吉眞正さん船津好明さんもよく知っていて、尊敬もしているらしいことが分かって、ふ~んと思ったことを申し添えておきたいと思います。
(問題は表記ということなのかな…)

tag: 比嘉光龍  金城史彦  うちなーぐち  おきなわおーでぃおぶっく  沖縄の旅_2009年6月  別ブログへ 

“カサラティーダ”(6月の沖縄11)100店(海-003)

ムーンビーチ入口の向かい側にある花屋さん。“フラワーショップ華絵”
ホームページはこちら…
http://www.hana-e.com/shop-info…

高山正樹は15年以上前に一度伺ったことがあります。時の流れは早いものです。

宇夫方路のお披露目公演にお花を贈ってくださったのは、華絵の奥様のルミさんです。このふたりと劇団昴の石井ゆきさんの三人は、演劇学校時代の親友なのです。

ルミさんは、お店での作業を従業員の方々に任せて、近くのレストランまで車で案内してくれました。
ちょっと南の“カサラティーダ”という素敵なお店。
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“カサラティーダ”のマスターはルミさんのお友達、ということで、売り切れの数量限定のランチメニューを、特別に用意してくださいました。
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せめてノンアルコールのビールで乾杯ぐらいしなくちゃね。
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デザートもついています。
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うるま市で、食事してきたのにねえ。おいしいものには勝てません。でも、これじゃあ痩せられない、困ったものです。

ルミさんは、近くのホテルやレストランに、丹精込めて育てたお花や観葉植物を届けて飾るのが仕事。ナイチャーのだんな様は、この時間ハウスでお花の世話をしていらっしゃいました。

近頃ムーンビーチ周辺のホテルが、みんな外資系にオーナーチェンジしてしまいました。何故かアメリカ人は大きな葉っぱが嫌いらしい。それで、ホテルのロビーからすっかり緑が消えて、全く趣きが変わってしまった。
従業員もみんな契約。アメリカ人はシビア、3ヶ月で結果が出なければ契約解除、要するにクビ。古い従業員の人たちは、それでみんないなくなってしまったらしい。
どうしてるんだろうなあ、かわいそうに…

完成間際にオーナー会社が倒産して、廃墟となってしまった大きなホテルが、この近くにあります。沖縄では有名なはなしです。巨大なゴミが、恩名村の美しい景観を壊しているのです。どこかが買い取るというような話も、この不景気では聞こえてきません。

ルミさんはそろそろリタイヤを考えています。そして、元気なうちに、誰かの役に立つようなことをしたいんですって。素敵ですね。

いろいろありますが、でも、“カサラティーダ”は頑張っています。100店シリーズの「海が見えるお店」にも掲載されています。
では、夜の“カサラティーダ”をご覧あれ!


ルミさん、ご馳走様でした。
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マスターは接客中で写真には入ってません。
また来ます。今度は是非とも夜、そしてアルコールもたっぷりと。

tag: 沖縄の旅_2009年6月  100店.海が見える  沖縄の呑食処.カサラティーダ  宮崎るみ 

北へ…(6月の沖縄10)

勝連の城跡のある、うるま市で食事をして…
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ある人にお会いして…
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それから、さらに北へ…

tag: 沖縄の旅_2009年6月  森山さんの石鹸  沖縄の食物