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コンクールと夕顔

今まで、琉球舞踊のコンクールの話題は折々に触れてきました。
去年の8月には、コンクール真っ最中の楽屋の記事をアップしました。
http://lince.jp/hito/kanpoo…

ここでちょっと、沖縄の芸能コンクールおよび琉球舞踊界のお話をしたいと思います。

沖縄には、大きなコンクールがふたつあり、それぞれ「沖縄タイムス」と「琉球新報」という新聞社が主宰しています。
「沖縄タイムス」は「沖縄タイムス芸術選賞」(1966年創設)の「伝統芸能部門」の中で、新人芸能家の登竜門としてコンクールを行っていて、琉球古典舞踊をはじめ6部門があり、「新人」「優秀」「最高」「グランプリ」の四つのクラスがあります。
一方、「琉球新報」が主宰するのは「琉球古典芸能コンクール」、今年で44回目を迎えます。部門は「舞踊」「三線」「箏」「太鼓」「笛」「胡弓」の6部門、そしてクラスは「新人」「優秀」「最高」の三段階です。

沖縄の古典芸能にはたくさんの流派があります。琉球舞踊に限っていうと、その流派(会派)は50ほどあり、その殆どが、「沖縄芸能協会」か「沖縄芸能連盟」のどちらかに参加していて、「協会」がタイムス、「連盟」が新報の系列で、琉球舞踊をやっている人は、自分が参加する研究所の流派が、どちら系列であるかによって出るコンクールが決まっているのです。
(ちなみに1989年の沖縄開発庁の調べでは、研究所は300ほどで、5,000人くらいの人がやっているとか。研究所の数はわかりませんが、実際の踊りの人口は、この統計よりもずっと多い感じがするのですがどうでしょう。)

私、宇夫方路が所属する「関りえ子琉球舞踊研究所」の流派は「玉城流喜納の会」で、連盟・新報系。ですから今までM.A.P.after5で話題にしてきたコンクールは、琉球新報の主催する「琉球古典芸能コンクール」のことでした。

日舞の名取制度との違いは、下記記事をお読みください。
http://lince.jp/hito/shoutikubai…

さて、今年度の琉球古典芸能コンクールが、いよいよ来月の1日から23日にかけて、琉球新報ホールで行われるわけですが、「関りえ子琉球舞踊研究所」は神奈川県の川崎にあり、そこからも今年5名がコンクールに参加します。今は詰めの稽古の真っ最中、ということで今日は稽古場へ先生の助手としてお手伝いに行きました。

今年優秀賞に挑戦するユウコさんが料理して持ってきてくださった夕顔をみんなで頂きました。
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冬瓜は「ふにゅー」ってなるけど夕顔は「ツルーン」っていう感じ。分かりにくい?

『沖縄大百科事典』より。
ユウガオ:(沖)ツフル、ツブル、(宮)ツグイ、ツブリ、(八)チィブリィ
戦前はニガウリ、ヘチマ同様さかんに栽培されていたが近年急激に少なくなり、宮古、八重山の一部に残っている。沖縄ではトウガンと同様、煮物、炒め物として食用に用いるが、本土ではカンピョウの原料として栽培されたり、スイカの台木としてさかんに利用されている。


夕顔の花言葉は「はかない恋」…
コンクール前の稽古には、ちょっと不向き?

tag: 沖縄大百科事典  宮古  琉球舞踊  沖縄芸能コンクール  沖縄の旅_2009年7月  沖縄の食物 

晩ご飯は“ばくだんおにぎり”

空港で買った“ばくだんおにぎり”
沖縄のカマボコで沖縄のご飯ものを包んだ沖縄にしかない(?)おにぎり。

じゅーしーと…
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…黒米です。

糸満の家庭料理なのだとか、真偽は分かりません。いずれにしても、沖縄の人ならみんな知っているというほどにはポピュラーな食べ物ではないようです。(高山正樹のカミサン情報。)そんな隠された名物を世に出すアイデアは素晴らしいのですが、それを真似した人たちが、ネットあたりで「沖縄の伝統料理」と宣伝して同じような商品を売っていたりするのです。

伝統って、何なのでしょう。

なんでもかんでも沖縄だったらOKみたいな風潮があるとしたら、それはいかがなものでしょうか。
日本全国、世界の到る所どこにも旨いものもあり不味いものもある、同じ名前の料理を食べさせても、旨い店もあれば不味い店もある、そういう至極あたりまえのことを忘れないようにと思っています。

それが楽天市場沖縄map のポリシー。
商売として成立させるためには、商品をたくさん並べることでお客さんを呼び、また各商品が相乗効果で売れ始める状況を作ることが必要、それには最低でも1,000点くらいの商品を揃えなければダメだという尤もらしい意見があります。これも真偽は分かりませんが、もしそれが正しいとしたら、自ら決めたポリシーを守るのは至難の技です。しかし、何としても頑張ってやっていきたいと思っています。

tag: ばくだんおにぎり  沖縄の旅_2009年7月  MAP扱い商品 

嘉例山房の“ぶくぶく茶”

15:30
“ぶくぶく茶”体験のため“嘉例山房”再訪
『沖縄大百科事典』より
(実際の嘉例山房の画像を交えてお送りします。また、赤字は、お店の大城さんからご教授頂いた補足です。)
ブクブク茶:茶を泡立てたもの。ブクブクーともいう。沖縄独特の茶道で、那覇の上流家庭に始まり、しだいに一般庶民にも広くたしなまれるようになった。(中略)本式には茶のたて方・飲み方・分量・茶器などに決まりがあった。

玄米を炒って作った煎米湯と清明茶(シーミー茶:中国茶)・番茶をブクブクーザラ(木製の大鉢)に入れ
(これは玄米です。)
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茶せん(長さ約22cm)で手早く泡立てる。
(全体をかき回さずに、一箇所でカシャカシャカシャカシャと動かしてください。2〜3分すると泡が立ってきますから…)
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それには熟練を要し、昔は専門家もいたほどである。
(10分くらい待ってください。そうしたら泡が固くなります。)
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茶碗に小豆御飯と熱い煎米湯を少量入れ
(お茶は何でもいいんです。冷たくても熱くてもお好みで。)
※ちなみに私はゴーヤー茶、金城君はさんぴん茶にしました。

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その上に山のように泡を盛り
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刻んだ落花生をふりかける。
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両手で持ち、箸を使わずに泡を飲み干す。さっぱりした後味がよく、戦前は婦人たちの集まりや船出の祝いなどに盛んにおこなわれたが、現在はほとんど姿を消してしまった。
(あの、私たち、今、飲んでるんですけれど…)

18:00
羽田空港。
プリティー千恵ちゃん、通訳の仕事が長引いて会うことかなわず、また次回。

tag: 沖縄大百科事典  沖縄の旅_2009年7月  沖縄の呑食処.嘉例山房  ぶくぶく茶 

スペインからの手紙

12:00
お昼。豚チリ丼580円をたべながら。
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私の両親は沖縄に今の居をかまえる前、14年間、スペインのカタルーニャ州にあるサンポールに住んでいました。サンポールはカタルニア地方の地中海に面した小さな町です。そこのお友達から、両親宛の手紙が届いていました。
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町のお祭りのことが書いてあるようです。

カタルニア語は、スペイン語よりもフランス語に近くて、フランス語とカタルニア語で話しても、意味が通じるそうです。つまり日本語とウチナーグチよりずっと近いということですね。母はスペイン生活の14年間、ずっとスペイン語とカタルニア語を勉強していて、今でもお友達と手紙のやり取りをしています。
でも、ずいぶんスペルが間違っているんだ、と話していました。

この町の年配の人たちは、カタルニア語を話し、文字も読めるのですが、書けない人が多いのだそうです。ここにも、沖縄にもあった言語と政治の歴史がありました。

現在のスペインのカタルニア地方とフランスのルシヨン地方は、昔はひとつの独立した国でした。しかし複雑な歴史を経て、スペインとフランスにそれぞれ分割併合されることになりました。それ以降の事情は、スペイン側とフランス側では全く違うようです。フランスについてはよくわからないのですが、スペインのカタルニアに限っていえば、フランコ政権の時代になると、カタルニア語の使用が禁止されました。自分たちの言葉で話すことが出来ない時代がありました。それでもカタルニア人は、密かに自分たちの言語を伝えてきたようですが、文字を書けない人が多いのは、やはりその時代の所為なのです。

でも、フランコの没後、新しい憲法が制定され、現在カタルニア地方では小学校3年生までカタルニア語で勉強していて、スペイン語を習うのは4年生からだと聞きました。
はたして、カタルニア語は守られたということなのでしょうか。

スペインの首都マドリッドと、カタルニア地方のバルセロナとは、まだまだほんとに仲が悪い。母がマドリッドで買い物をしていたら、店員からスペイン語が上手だとほめられ、どこで勉強したのかと聞かれたので、「バルセロナだ」と答えた。その途端、急に冷たくなって、それからは絶対にオマケしてくれなくなったそうです。

そういえば、踊りの世界でも、フラメンコといえばスペインだと思っている人も多いと思いますが、マドリッドの人は、フラメンコをスペインの踊りとは認めていません。フラメンコはアンダルシア地方のもの、アンダルシアは主に印度から流れてきたジプシーの住んでいるところで、つまり、フラメンコはジプシーの踊りだと差別されているのです。

多言語国家スペインが抱える問題は、まだまだ根が深いようです。なんとか仲良く出来ないものかなあと思う私は、考えが甘いのでしょうか。
(宇夫方路)

14:30
県立図書館へ。
大城立裕文庫開設待ち

tag: 沖縄の旅_2009年7月  宇夫方隆士  沖縄の呑食処.麺や晃凛  うちなーぐち 

石鹸と日食と結婚と

10:00
うるま市役所ちかくのA&W。
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森山さんご夫妻が販売用の石鹸をさっそく用意してくださったので、それを受取りに行きました。

なんだか薄暗くなってきた。雨かと思いましたが、ちょうど日食でした。
10:50
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11:10
MOSO’Sの工房へ
MOSO’Sは日食中でした。
隣の家の男の子が、すりガラスを貸してくれました。

きのこと大人の女とお団子と
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使ってみて、と、森山さんの石鹸を一つプレゼント。
石鹸使ったらコメント待ってます!
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(あれ、波々してるから安いほうあげたの?高山)

で、きのこさん、結婚するんだって!
で、ご主人の仕事の関係で、今月末には宮古島へ行っちゃうんだって!
でも、MOSO'Sは辞めないって!
三人はいつまでも一緒だって!

石鹸と日食と、そして結婚と。

工房を後にして、何だか感動している宇夫方路でした。

tag: 沖縄の旅_2009年7月  MOSO’S  沖縄の呑食処.A&W 

西原町のさがり花

家元の稽古場は西原町にあります。
さがり花は西原町の花。

23:00
稽古場からの帰り、正江先生に、近くの「さがりばな」を見に連れて行って頂きました。
ライトアップするお祭りは先週終わったそうですが、花はまだ咲いています。
県庁の脇の花は白い感じでしたが、ここの花はピンクでとてもきれいでした。

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tag: 沖縄の旅_2009年7月 

新作組踊“さかさま「執心鐘入」”の台本【冊封と組踊について】

15:00
大城立裕先生宅へ。
又吉健次郎さんの伝言は、しっかりお伝えしました。今年の11月21日、国立劇場おきなわで組踊りの公演がある、是非観てほしいなあ、と大城先生。そして貸してくださった台本です。
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大城立裕・作、新作組踊り「さかさま『執心鐘入』」。

組踊りについて簡単にご説明しましょう。
組踊りとは、韻文の台詞と音楽と踊りで構成された沖縄の伝統芸能で、大和の歌舞伎と能を足して2で割ったようなものともいわれます。中国からの冊封使(さっぽうし)を歓待するため、踊奉行の玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が創作し、1719年に冊封使の前で初めて演じられた「執心鐘入」などがその始まりです。冊封使とは、中国の明・清の時代に、朝貢国の王を冊封するために派遣された使者のことです。
(※《資料》参照)

では冊封とは何か(ああ、いちいち説明しなければならない、これほど日本人は、沖縄の歴史や文化を知らないということですね)、高山夫人が中学生の時、学校で配られた仲原善忠著『琉球の歴史』の上巻から、ちょっと長いですが抜粋して引用します。

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「国王が死ぬとあとつぎが立って王になる。数年のあと、使いをやってたのむと中国から正副の冊封使(名高い文人が多い)がやって来る。那覇にとまっていて、式日には首里城でさかんな儀式があり、『なんじを封じて琉球国中山王となす』という皇帝の勅語を読み国王は中国から正式に王としてみとめられる。式をやって王としてみとめることを冊封というのです。しかしこの式があってはじめて王になるのではなく、たのまなければ来ないのです。又あの王はいけないといってことわったこともなく、王が自分のいげんをつけるための儀式です。」
「中国はむかしから体面をおもんずる国です。そして中国がその時代はアジア第一の文明国で、他の国々はみな野蛮未開な国々と見ているから対等のつきあいはゆるさない。それで『臣』と称して貢物をささげて行って皇帝にあいさつするのでなければ有利な貿易は出来ないのです。」
「(琉球王国は)臣下という仮面をかぶって、有利な貿易をやったということです。」


話を組踊りに戻しましょう。琉球が中国に初めて使いを送ったのは1372年のことですが、この中国との貿易の利益を狙った島津藩が琉球に進攻した、いわゆる「島津入り」が1609年、つまり組踊りが誕生した1719年には、すでに島津藩が琉球王国を実質的に支配していたということです。しかし、琉球王国は存続させなければならなかった、なぜならば、琉球王国を介する以外に、中国と貿易する手段が、当時の日本にはなかったからです。これは、沖縄の芸能を考える上で、とても重要なことのように思われます。
玉城朝薫は薩摩や江戸に何度も派遣され、そこで能・狂言や文楽・歌舞伎など大和芸能の様式を学びました。それが組踊りの創作に大きく影響しています。
特に玉城朝薫の第一作といわれる「執心鐘入」は、もっとも大和文芸の影響を受けていて、いわゆる「道成寺もの」がその下書きになっています。

大城先生は、大和と琉球の狭間で、いかに玉城朝薫が組踊りを創作したのか、その苦悩を描いた小説や戯曲を書かれてきました。
※関連記事(「嵐花」公演のこと⇒http://lince.jp/hito/arasibana…

また大城先生は、これまで新作の組踊りをいくつも発表されています。
※関連記事(「真珠道」公演のこと⇒http://lince.jp/hito/madamamiti…
2001年には、それらを集めた琉球楽劇集が出版されています。

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この本は、上段に「歴史的仮名遣い」を、下段に読みをあらわすローマ字を配しています。
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ここでもやはり表記と発音の問題があります。それについて大城先生の興味深いあとがきがあるのですが、それはまたあらためてご報告します。
※関連記事(「古典音楽」の本のこと⇒http://lince.jp/hito/okinawamap/free…

さあ、ようやく今回の新作組踊り「さかさま執心鐘入」までたどり着きました。
これは大城先生のお話によると、「執心鐘入」の後日談のようなお話なのだとか。先生の作劇の動機がちょっと面白いのです。

「執心鐘入」の大道具の鐘は「執心鐘入」を上演する時にしか使われない、もったいないのでなんとかそれを使えないか…
「執心鐘入」に出てくる小僧さんたちの出番が少ない、その小僧さんのキャラクターをなんとかできないか…

稽古は5月くらいから始まっているそうです。組踊りの役者さんたちも、皆さんいろいろ仕事をしていかなければならないので、そろっての稽古が難しいと先生はおっしゃっていました。

本番が楽しみです。なんとか時間を作って、11月、また沖縄に来たいと思っています。
国立劇場おきなわホームページ
(宇夫方路の報告を高山正樹が目いっぱい膨らませてお伝えしました。)

続きを読む

tag: 新作組踊  執心鐘入  沖縄の旅_2009年7月  大城立裕  首里城 

又吉健次郎さんの房指輪と、Cocco~《色んな房指輪を比較してみました》

14:30
大城立裕先生のお宅に伺う前に、又吉健次郎さんの工房“金細工またよし”に寄りました。沖縄タイムス賞を受賞されてから初めてですね。この度はおめでとうございました。

房指輪の七つの房、その意味にまつわる秘密、だんだんと大袈裟な感じになってきましたが、その解読は今しばらくお待ちくださいませ。

それから、婚礼用房指輪と踊りに使う房指輪の違いについて、それも前にお話ししました。そして又吉健次郎さんは、踊り用の房指輪は作っていらっしゃらないということもお伝えしました。

楽天市場の沖縄mapでは、又吉さんに御無理をお掛けできないので、房指輪は扱っていないのですが、画像だけお借りしました。又吉さんの婚礼用の房指輪がこちらです。
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そして又吉さんが大切にされている作者不明の古い房指輪。(画像再掲載)
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一方、踊り用の房指輪……
まず喜納の会の先生から借りた房指輪。(画像再掲載)
喜納の会の先生から借りた房指輪

ジュードーチョップで作ってもらった房指輪。(画像再掲載)
ジュードーチョップの房指輪

踊り用の房指輪は鎖が長いのです。鎖まで全て銀の手作りとなると、鎖がくっついてしまって難しい。それが又吉さんが踊り用の房指輪を作らなかった理由でした。その説明を少し補足すると、1個1個の鎖の小ささが問題なのです。
ならば鎖をちょっと大きくすればいい、というわけでインターネット初登場、宇夫方路が注文して、そして出来上がった…
又吉健次郎作・踊り用房指輪がこれです!
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確かに、古典を踊るには又吉さんの房指輪はちょっと存在感がありすぎるのかもしれません。でも創作舞踊ならOK。これを付けて踊れるような作品を、いつか絶対に作ろうと、宇夫方路は心に決めたのでした。

木箱の蓋の裏には、又吉さんの琉歌が書かれています。
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神々ぬ月日
ひだてぃなく照やい
光風水に
花や咲かち

踊りには二つ必要なんです。
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一組60,000円なり。
「高いかもしれないけれど、これは代々持ち続けられるものだから、大事にしてください。どうもありがとう。」
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いえいえこちらこそありがとうございました。健次郎さんが作られた指輪、大切にしたいと思います。

そしてちょっとサプライズなお話。
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あのCoccoが、先日、突然に又吉さんの工房にやって来た。又吉さんの房指輪をつけて歌いたい。
Coccoに、健次郎オジイは言いました。
「君は、いつかココに来ると思っていたよ」
ふたりだけの不思議な会話、でも、このふたりならありそうな会話。
Coccoが又吉さんの房指輪をつけて歌う姿は、まもなく彼女のステージで見ることができるはずです。



最後にもうひとつ。
又吉さんのところに大城立裕先生から沖縄タイムス賞受賞のお祝いの葉書が届きました。でも、おそれ多くてまだ返事を出してないとおっしゃっていました。では、そのことは、今日、大城先生にお伝えしておきますね。
(宇夫方路、ゴーストライターMT)

tag: 沖縄の旅_2009年7月  大城立裕  又吉健次郎  房指輪 

“maru CAFE”

12:30
キリスト教学院の近くにあるmaru CAFEという店でお昼にしました。
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maru CAFEのホームページ

ランチは680円でサイドメニューと飲み物付き。サイドメニューはセルフでお代わり自由。安い。
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今日のサイドメニューは、かぼちゃのスープ、てびちの煮付け、サラダと卵焼き。
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でも、食べたのは15食限定スペシャルメニューのスパゲッティ。
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とてもおいしかったです。

厨房では若いおにいちゃんが一人で大奮闘。
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残念ながら100店シリーズには載っていませんが、お店の女の子に、ブログ見てねって名刺渡してきたので、是非とも紹介してくださいね、高山さん。

13:30
おきなわ堂で仕入れ。「BAR100」と「ゴーヤーレシピ」。
そして高山正樹に頼まれた本を購入。

tag: 沖縄の旅_2009年7月  沖縄の呑食処.maruCAFE  100シリーズ 

キリスト教学院の図書館へ【親富祖恵子さんのこと】

2008年9月、朝日新聞の「窓」というコラムで、沖縄キリスト教短大などで非常勤講師をされている親富祖恵子さんのことが紹介されています。「沖縄文字」を用いたユニークな授業を始めたという記事。
(※親富祖恵子さんは、儀間進先生がウチナーグチの上手な人として名前を上げられた中のおひとりです。)
 ⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog…

「沖縄文字」というのは、もう何度もご紹介している船津好明さんが1986年に考案されたものです。
沖縄語は発音が独特なので、「しゃ・しゅ・しょ」などと2文字のかな文字を組み合わせて表してきた、だが、本来は1音節1文字が望ましい、そこで独自の沖縄文字が考案された、というふうに、朝日新聞の「窓」では説明されています。でも、この記述では誤解されそうです。まるで「しゃ・しゅ・しょ」も、沖縄文字では新しい文字に置き換えられているかのようです。決してそんなことはありません。

また、その一ヶ月前の8月の沖縄タイムスでも、親富祖恵子さんの授業と船津好明さんのことが紹介されています。しかしこちらは「沖縄口には、2〜3の文字を一つの音で発音するものもある」とだけあって、それでその先どういう文字を考案したのかの説明がなされていないので、やっぱりよく分からないのです。

そこで、さらにその一ヶ月前、今度は琉球新報の記事ですが、これがなかなか分かりやすいので、ちょっと長いのですが、引用します。
「従来は『お前』を沖縄口で表記するのに『っやー』『っいゃー』など、仮名二、三文字を組み合わせて表記しなければいけなかったが、これらの表記法では、沖縄口を知らない人にとってはどこまでが一音か分かりにくく、読み間違いが多かったのだという。沖縄独特の音を分かりやすく表記したいと船津好明さんが一音を一文字で表す『沖縄文字』を考案。『てぃ』『とぅ』など沖縄独特の二十七の音を、一音一文字にしている」

ウチナーグチの表記について、今日のところはこれ以上の説明はいたしませんが、沖縄文字に興味のある方は下記からどうぞ。
沖縄文字一覧

今日は先日の「沖縄語を話す会」で頂いたお土産のはなし第一弾です。

最初にご紹介した朝日新聞のコラムの続き。
「船津さんとともに東京の『沖縄語を話す会』で活動する国吉真正さんは、ハングルやロシア文字のように、沖縄文字をパソコンで入力できるようにするソフトを開発した」

そのソフトが入ったフロッピーが、お土産第一弾です。
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また、右が2008年9月の朝日新聞の記事、左が8月の沖縄タイムス。
さらに7月の琉球新報の記事がこれです。
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親富祖恵子先生のお顔と沖縄キリスト教短大の授業風景の写真も載っていますね。

この沖縄キリスト教短大の図書館(沖縄キリスト教学院図書館)に、今日、宇夫方路がお邪魔しました。

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以下、宇夫方女史からの報告です。
11:45 
「父の紹介で、キリスト教学院の図書館へ。沖縄関係のものは収集したいということでおーでぃおぶっく4種類、そして、セロ弾きのゴーシュも含めて5枚お買い上げいただきました。その上、『県立図書館にも、行って御覧なさい、電話入れておくから』と、ありがたいお言葉を頂きました。お昼休みにかかってしまったので、慌てて失礼しました。」


キリスト教学院及び短大の学生さんたちへ。
どうぞ私たちのCDを、聞いてくださいね。そして気に入ったら、是非買ってくださいませ。“おきなわおーでぃおぶっく”は沖縄のあっちこっちで買えますし、“セロ弾きのゴーシュ”は普久原楽器沖縄市本店(沖縄市)か、リウボウFMステーション(那覇市)で買えます。

(なお、2008年7月22日の琉球新報の記事全文が下記から読むことが出来ます。)
http://ryukyushimpo.jp/news…

tag: 親富祖恵子  山猫合奏団  沖縄の旅_2009年7月  新沖縄文字  おきなわおーでぃおぶっく