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沖縄からトンボ返り

《1月25〜26日》
※宇夫方路2011沖縄旅日記(4)
25日。
松山のホテルで一休みをして西原町にある家元の稽古場に。
6月4日の公演の演目の相談と、沖縄の先生方の協力のお願いをしました。
その後、稽古も見て頂き、家元の車で那覇に戻ったのは夜中の2時でした。私の稽古自体は12時頃に終わったのですが、その後、家元の息子さんのたかひろ君を待っていたのです。たかひろ君は組踊りの研修生になり、発表会のため稽古が1時過ぎまであったのです。

ともかく、沖縄での芸能関係の稽古は夜遅い場合が多いのです。それにはワケがあるのですが。

今度から教師会(教師の勉強会)が水曜日になります。参加するためには、最低平日1日半事務所に行くのを休まなければ行かれなくなりました。困ったなあ。

26日。
沖縄から、事務所に直行です。
沖縄のファミリーマートで買ったおみやげ。
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それから幸地さんが両親へのお土産にと買ってくださったチャーリーレストランのアップルパイ
夜の第24回ゆんたくの会で、皆さんにお裾分けしました。
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(宇夫方路)
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【追伸】
宇夫方路女史は、1月18日の合同新年会のことを“ゆんたくの会”専用ブログで記事にして、その中で、例のいろは歌の巻物のことを國吉先生に聞いてみよう、と、書きました。
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そして今日、“ゆんたくの会”で、それをせっかく國吉先生に聞いたのに、宇夫方さん、専用ブログには何にも書かないんだもんねえ。ほんとにワジワジするさーって言う感じ。やっぱり表記が問題なんだそうです。
これについてはいずれ別途記事できっと報告します。


tag: 沖縄の旅_2011年1月 

あっちこっち【おきなわ堂】【工房“PEANUT'S”】【いしだ文栄堂】

※宇夫方路2011沖縄旅日記(3)
健次郎さんの所をお暇して「おきなわ堂」にちょっと寄りました。
お店は昔の半分の広さになったけど、こじんまりして落ち着いた感じになりました。
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金城店長、じゃない、金城オーナー、頑張ってますよ、高山さん。
 ⇒前回訪問時の記事

そして宮城さんの工房“PEANUT'S”へ。去年の精算です。S-1グランプリvol.4のトロフィーの代金のお支払もしました。2種類作ってもらって、ハンサム・マーキーさんに渡しましたものです。そのうちのひとつが、S-1グランプリで優勝した岡村聡士君の手に渡っているはずです。
【2月3日に追伸(1)】
ハンサム・マーキーさんが持っているはずのもうひとつのトロフィーは、どうやら今年のS-1グランプリvol.5で使うことになったらしい、と久しぶりに現れた山川夏子さんが言ってました。こんどマーキーさんに聞いてみよう。

宴会シーサー。宮城さん制作ミニチュア版です。
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ああ、悪い画像。実はデジカメを忘れてきてしまったのです。
実は今回の重要な仕事のひとつが、おととしの暮れにご紹介したでっかいシーサーの商品紹介用の写真を撮影することだったのに。M.A.P.での注文販売が決定して、前回キジムナーのツアーの時にお邪魔してデジカメで撮影したのですが、そのデジカメをなくしてしまったあの事件がなければ、今頃は東京のいくつかの沖縄料理のお店に、宮城さん制作のでっかいシーサーが飾られてあったかもしれないのに。

今回ともかくコンパクトカメラを買って撮影してみたのですが、どうかなあ……。

【2月3日に追伸(2)】
現像してみた結果。この画質じゃあシーサーが可哀想です。
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只今、今後の対策を検討中です。

それから、いしだ文栄堂へ行きました。
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新しい商品がたくさん出たのです。

【2月3日に追伸(3)】
これが新商品です。あとでデジカメで撮影しました。
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これSくん。はやく販売サイトにアップしなさい!

そうして、とりあえず松山のホテルにチェックインしたのでした。でも、今日はまだ終わらないのです。
夜の部の報告はあらためて。
(ちっとも宇夫方女史が記事を書かないので、仕方なく高山正樹が代筆)
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tag: 岡村聡士  PEANUTS  沖縄の旅_2011年1月 

又吉健次郎さんの工房へ《もう一人の「首里のまたよし」修さんの影》

※宇夫方路2011沖縄旅日記(2)
又吉健次郎さんの工房です。
健次郎さんの結び指輪を、結婚何周年かの記念にと注文される方が時々いらっしゃるのです。その度、健次郎さんに結婚記念日に間に合うよう制作をお願いします。今日もそうして仕上がった結び指輪を受け取りにきたのです。

でも今日は健次郎さんはお留守でした。なんでも若い女性とどこかへ出掛けたとか。さて、何時に帰るか分からない。夜は夜でやっぱり若い女の子と桜坂劇場にCoccoのライブを観にいく約束があるらしい。お元気だこと。

主人不在の仕事場
仕方がないので、いつもと変わらない仕事場だけ撮影させていただいて帰ろうと立ち上がったところへ、健次郎さんがお帰りになりました。まあいいタイミング。
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実は先日の1月15日、M.A.P.after5のアクセス数が突然倍になりました。検索ワードを調べてみると、又吉健次郎さん関連の記事を目当てに来る人がその原因らしい。そこで井上真喜ちゃんに「何かあった?」と電話で聞いてみたのです。そうしたら、なんでも世界不思議発見というテレビ番組で、健次郎さんの房指輪が紹介されたのだとか。

M.A.P.では房指輪は扱っていませんが、それでも結び指輪の注文がバタバタといくつか入りました。うちのサイトでもそうなのだから、さぞ工房“またよし”は大変だったはず、こちらに入った注文の制作をお願いして大丈夫かなあと心配したのですが、いつもの通り気持ちよく請けてくださいました。

coccoの時もすごかったけれど、それにも増して今回はたくさんの問い合わせあったらしい。全国放送のテレビって、やっぱり影響力大きいんですねえ。M.A.P.にも取材来ないかなあ。

さて、高山正樹氏に頼まれたことを聞かなくっちゃ。ある小道具屋さん(実は外間小道具店)で聞いたもうひとりの金細工師のこと。
少しここまでのことを整理します。浦添美術館での展覧会の時は三人の又吉さんの作品が展示されました。又吉健次郎さん(首里の又吉)と開南で小道具店を開いていた又吉さん(那覇の又吉)と、そしてもう一人の「首里の又吉」さん(実は修さんとおっしゃいます)。那覇の又吉さんはすでにお亡くなりになりました。
 ⇒関連記事を読む
「もう修さんも作っていないはずだよ、見に行ったけど道具もなかった。小道具屋は叩いて作っているというけど、本当はもう作る人はいなくて、外国で作っているんだよ」これが健次郎さんのお答えでした。
真喜ちゃんによると、修さんはまだ作っているはず。でも、健次郎さんと修さんは同じ門中ではあるけれど、それほど親しくない。そして健次郎さんは、踊りや芝居の小道具には興味がないから、修さんのことは分からないのだと思うとのこと。

仲嶺舞踊小道具店の仲嶺眞永さんのお話しを思い出しました。
「コンクールとかに出るようなときは、いいものを挿すでしょうが、普段はもっとね。でも、それを作る人がいなくなってしまって」

民具として、本物のジーファーにこだわる健次郎さんは、それを作る技術が途絶えてしまうのはいけないと思っています。若い金細工師がいないのは食べていけないから。だったらみんなで若い職人さんを育てて、琉球舞踊の先生になったら、その人から道具を買うというシステムにすればいい。これは健次郎さんのアイデアです。
でも琉球舞踊の人たちは、家元レベルの方々でも、小道具が本物かどうかにはあまりこだわってはいません。また、たとえこだわったとしても、本物のジーファーはとっても丈夫で、母から娘に、先生から弟子にと伝えていける道具だから、新規の需要はあまりないでしょう。上等な漆器が、何百年経っても使えるために却って新しいものが売れないという事情と同じです。

一方、房指輪は手に入らなくて琉球舞踊の人たちは困っています。でもそれも、琉球新報の舞踊コンクールのルール変更で、房指輪を使わなくてはならなくなったから、それだけのことなのです。

ともかく、「もうひとりの首里の又吉」=修さんにお会いしたくなりました。もしかすると、修さんこそ「クガニゼーク」ではない小道具を作る職人「カンゼーク」なのかもしれない……

やっぱり、小道具屋さんに何度も通って、こちらの諸々の思いをお話しして、修さんに伝えてもらうしかないのかなあ、そんな風に思ったのでした。
(宇夫方路から報告を受けた高山正樹が、宇夫方路のフリをして代筆をしました。)
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tag: 井上真喜  房指輪  沖縄芸能コンクール  「クガニゼーク」のこと  又吉健次郎  沖縄の旅_2011年1月 

機織工房“しよん”の新工房【南城市のチャーリーレストランでお昼】

※宇夫方路2011沖縄旅日記(1)
昨日の夜は山猫合奏団と東京奏楽舎の合同新年会で午前様。朝3時に目覚ましをかけ仮眠。調布駅4時半発のリムジンバスで羽田へ。飛行機の中で爆睡して無事那覇に到着。そうして、5ヶ月ぶりに沖縄へやって行きました。

6月4日の公演の事で、家元にお願いと相談を兼ねてご挨拶に行くのが今回の旅の一番の目的です。
でも、沖縄にはしばらくご無沙汰だったので、取引先にも行かなければなりません。沖縄で動くには車がないととっても不便。父の知り合いの幸地さんにご無理をお願いをして、車を出して頂きました。

まずはしよんさんの工房へ。
しよんさんの工房は沖縄ワールドの中にありました。最後のお伺いしたのは去年の7月16日です。その時「沖縄ワールドの工房を訪れるのはこれが最後、“しよん”さんはついに自前の工房を開設することになったのです」とお知らせしました。その後、9月1日から南城市の新工房に移転するという御案内を頂きました。
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ご紹介しなければしなければと思いつつ、タイミングを逸していました。ごめんなさい。やっと今日来ることができたので、遅ればせながらあ、機織工房“しよん”の新工房のご紹介です。
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新しい工房では販売はせずに作るだけと聞いていましたが、時々訪ねてくる人がいるので、今では少しですが商品を置いて販売もしているとのこと。皆さん、お近くに行く機会があれば、一度お寄りになってはいかがですか?

新しいマース袋をおあずかりしました。まもなくM.A.P.販売サイトと楽天市場沖縄mapにアップする予定です。
 ⇒機織工房しよんのホームページ
 ⇒機織工房しよんのブログ
しよんさんの工房を出るともうお昼の12時を過ぎていました。どうりでお腹が空いていると思いました。そこで、南城市の有名なチャーリーレストランに行きました。
チャーリーレストラン
終戦後すぐアメリカ人相手に開店したお店で、当時はドライブインとして休憩所や売店もあったそうです。
店に入るとすぐ目に入るのはショーケースに並んだたくさんのパイ。
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アップルパイ、ブルーベリーパイ、チェリーパイ、おいしいと評判なんだって。
幸地さんが両親へのお土産にと、アップルパイを一つ買ってくださいました。何から何まですいません。
食事はステーキとかもたくさんあるのですが、私は煮付け(てびち)定食、幸地さんは魚汁の定食を頼みました。
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てびちも魚もでっかい。これこそ沖縄の定食、というか、アメリカ人仕様なのかな。戦後の沖縄は長寿の称号を失いつつあります。

さあお腹一杯です。またよしさんの工房へ向かいました。
(宇夫方路)
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tag: 沖縄の旅_2011年1月  織物工房“しよん”  沖縄の呑食処.チャーリーレストラン