“琉球ホルモン”でちょいと一杯

《3月28日(月)-2》
東北地方太平洋沖地震発生から17日目の夜……
リュックの中に市民劇の台本が2冊。ありゃ、いったいどういうこと?
僕、昨日、殺陣の稽古をちょいと拝見して、お先に失礼したのだが、どうやらその時、すぐ近くに置いてあった殺陣練習中の石山海くんの台本を、自分の台本だと思ってひょいと持ってきちゃったらしい。

というわけで、台本を届けるついでに、経堂でちょいと一杯やることにした。

どうせなら取材を兼ねて、“琉球ホルモン”というお店。
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琉球のホルモンを使っているというわけではなく、琉球風な味付けでホルモンを料理するというわけでもなく、ただホルモン焼きの他に、沖縄料理もそこそこ取り揃えていますよっていうお店みたい。

保険の仕事を終えた宇夫方女史も合流。
シメで沖縄そばを食べたが、酔っ払っていて残念ながら味はよく憶えていない。これじゃあ取材になってねえなあ。
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奥様、本日ちょっと海くんをお借りしました。

何を話したかは、これもまた後日報告。

※なお、海くんの奥様は、生まれたばかりのお子様と一緒に、ここ数日実家に行っていると聞いていたので誘ったのです。でなけりゃね、奥さんの不安な気持ちを考えれば、こんな時にダンナさんを誘い出すなんて、とてもできないよなあ……。

tag: 「枡形城落日の舞い」  沖縄居酒屋.琉球ホルモン 

経堂散策の記

【今日呟いたこと……】

11:34
M.A.P.で働いてくれているあるミュージシャンの話。2年後には音楽のダウンロードは全てタダになる。そうしないレーベルは潰れるだろう。今の若者は音楽で大金が稼げるとは全く考えていない。僕は考えた。時代はライブ。そしていいCDは、細々とだが、きっとしっかり残るに違いない。


経堂。
高山正樹が生まれ育った町である。だからといって、そんなことは当ブログとは関係がない。
しかし、山猫合奏団のブログに、つい昔の写真などをアップして、タイミングよくたまたま今日経堂くんだりまで行ったものだから、なるたけM.A.P.after5っぽいものを拾って記事にしてみよう。

さていい飲み屋はないものかと界隈をうろつく。
まずは経堂駅の北側、すずらん通り。

おや、どこかで見たような。
豫園菜館
喜多見の魯園菜館とそっくり。「魯」の字を「豫」の字に変えて「豫園菜館」。ルビは「ロエンサイカン」のママ。
そういえば先日久しぶりに行った時に、マスターが4軒やってた店を大変だから2つにしたって言ってたっけ。ここがきっとそのやめた店のひとつなんだ。

呉服屋さん。もう閉まっていたがこんな張り紙がしてあった。
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沖縄の染織家の展覧会を開いていたシルクラブのことを思い出した。
権威を失った西陣織のことも。

目ぼしい店が見つからなくて、(北じゃなくて)南の農大通りへ向かう。

クレープ屋さん。
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ここはもともとは大黒屋という行きつけの居酒屋だった。高校からの腐れ縁の連中とよく飲んだ。
ある日、店がガラッと変わっていた。いつもカウンターの中で商売物の酒をあおっていた店のオヤジが(といっても今のボクよりずっと若いのだが)、白い洒落たキャップを被って女子高生と喋っていた。つまらなそうに。
ボクも、つまらないと思った。

こんな店があるんだな。知らなかった。
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でも今は身体のメンテナンス中。いくら沖縄でもホルモンは遠慮しておこう。

この道をこうして歩くのは何年ぶりだろう。
ボクはこのパチンコ屋でアルバイトをしていた。
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こういう名前だったかどうかは憶えていない。なにしろ30年以上も前のことだ。
オーナーらしき人は正体不明の美女だった。いつも黒いワンピースを着ていた。
2階の部屋に住み込んでいたイワクありげの30前の男に、閉店後、釘の見極め方を教わった。次の日の休憩時間に、今はもうないが、近くにあったもう一軒のパチンコ屋で腕試しをした。アルバイト代よりも、そっちのほうが稼ぎがよかった。

このパチンコ屋で、ボクは初めて楠定憲氏と話した。楠さんはよくこの店に打ちに来た。ボクがパチンコ台を開ける鍵の束をジャラジャラと人差し指の先で回しながらホールを歩いていると、楠さんは出る台を教えろとセコイことをボクに言った。ボクはそれは出来ねえと、やっぱりセコイことを答えた。

鳥八はちっとも変わっていない。
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ココには楠さんとほんとによく飲みに来た。学生時代から、卒業してもずっと。

そうして、ようやく入った店は……
それは別途記事で書くことにする。

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