“沖縄語を話す会”喜多見分室(ゆんたくの会)

午前中は代田橋で無伴奏デクノボー奏鳴曲の稽古。
そして……
第一第三土曜日は大崎の“沖縄語を話す会”

今M.A.P.の事務所で育てているゴーヤーは、もともと“沖縄語を話す会”の夏の宴でいただいた苗。その苗からこんな立派な(?)ゴーヤーが出来ましたという御報告と御礼のため、一本収穫して持っていきました。
 ⇒夏の宴の記事
 ⇒頂いた時の苗

黒糖と一緒に、お別れの記念撮影。
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さて、本日の会話のお勉強は接尾語「しが」

わんねー、うちなーんちゅやいびーしが、うちなーぐちぇー、じょーじぇーあいびらん。ならいぶさいびーしが、ちゃーさらーましやいびーがやー。

前回の“沖縄語を話す会”の時の記事に、重要な告知は後日などと書きながら、まだ告知していなかったことを……
 ⇒前回の“沖縄語を話す会”の時の記事
ようやく本日告知いたします。

この度、國吉眞正さんの御協力を得て……
喜多見近辺で“沖縄語を話す会”分教室を開くことにいたしました。

國吉眞正氏のお写真再掲。
國吉眞正さん

日時や会場などの詳細は、お仲間が何人か集まった段階で、皆さんのご都合を考慮しながら決定しようと考えています。
興味のある方、ウチナーンチュかナイチャーか、そんな区別は一切いたしませんので、是非ともご一報ください。
 ⇒問い合わせフォーム

また、9/26の記事「ずっとウチナーグチを学んでいくために」で、ちょっと触れましたが、沖縄の那覇においても、同様の教室開催を模索してまいります。
 ⇒「ずっとウチナーグチを学んでいくために」

さあ、おもしろくなってきたぞ!

tag: うちなーぐち  國吉眞正  ゆんたくの会  ゴーヤー栽培.2009  沖縄語を話す会 

沖縄語を巡るフリートーク(かぎやで風・なんくるないさー・チムグルサン)

今日の“話す会”は、あれやこれやフリートーク。

“沖縄語を話す会”の表記法は、僕のようなウチナーグチ初心者には、極めてわかりやすいものです。僕は、“おきなわおーでぃおぶっく”の儀間進さんのコラムを読む企画を立てた張本人ですが、自分が読み手として参加することなど思いもよりませんでした。しかし、“沖縄語を話す会”の表記法を知ってから、もう殆ど参加するつもりになっています。

ただ、さらに深く関わっていくと、沖縄の表記について、ただ単に沖縄語の初等教育のテクニカルな問題だけでは収まらない背景も見えてきます。

たとえば「かぎやで風」。
琉球古典音楽のひとつで、その歴史については省きますが、歌詞も付いている楽曲です。
また「かぎやで風」には老人踊りも振付けられていて、古典の中ではもっとも知られた踊りです。
沖縄で何かお祝いの席などがあると、その冒頭で必ずといっていいほど踊られるし、また沖縄の結婚式に「かぎやで風」抜きなんて考えられません。それはもう「てんとう虫のサンバ」の比ではないのです。
ずいぶん前の小生の結婚式でも、かみさんの妹が踊ってくれましたし、先日の宇夫方路さんのお披露目公演の最初の演目も、やはり「かぎやで風」でした。

しかし、この「かぎやで風」を、そのまま「かぎやでふう」と読んでしまったら間違いです。「かじゃでぃふー」というのが正しい。
つまり、「かぎやで風」と書いて「かじゃでぃふー」と読むのが「正しいこと」なのです。

でも、それでは何もわからないウチナーグチの初心者には難しすぎます。日本人が歴史的仮名遣いを放棄したように、この「かぎやで風」も、音のママに「かじゃでぃふー」と表記してくれれば、きっと分かり易いでしょう。
しかし、沖縄の踊りの先生や三線の先生方が、それを認めるとは到底思えません。なにしろこれは伝統的表記なのですから。沖縄で一番偉いのは、きっとこうした先生たち、その方たちの御意向に背いてことは進みません。

題名ばかりではなく、歌詞も同じようなことがいえます。
でも、沖縄の先生たちが守ろうとしているこの伝統的な表記が、極めて大和風であることを、沖縄の人たちはどう感じているのでしょうか。

もうひとつ、「かぎやで風」という表記ですが、実はこれ比較的新しい表記で、古くは「かぢやで風」でした。その変化は受け入れたのに、なぜ、さらなる変化のほうは受け入れ難いのでしょうか。これは研究課題です。

いずれにしろ、この問題を解決するのは、ウチナーンチュの人たち自身であるより他にはありません。私たちは、ただ見守ることしかできません。

そんな話をしていたら、実はねと、國吉眞正さんが見せてくださった一冊の本。
「現代仮名遣いで易しく読める沖縄の古典歌詞118」

沖縄の古典音楽歌詞 沖縄の古典音楽歌詞の1頁
(↑)1頁目です。
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まだ、試作品ですが、國吉さんたちが編まれたものです。
やっぱりTOPは「かぎやで風」です。
上段に伝統的表記が書かれ、下段に、“沖縄語を話す会”の表記での歌詞が書かれています。

國吉さんはおっしゃいました。
「私たちは伝統的な表記を尊重しています」
(ほんとかな…)

これが出版されれば、宇夫方路はじめ、特に東京で琉球舞踊などを習っている人たちの中には、欲しいと思われる方がたくさんいるだろうとは思いました。はやく出版できるようになればいいですねえ。M.A.P.にお手伝いできることがあれば嬉しいのですが。

話はさらに巡ります。

沖縄の言葉を、大和の言葉に直訳しても、なかなかその本当の意味が伝わらないということはママあることです。

例えば「なんくるないさー」。
どうにかなるさ、沖縄好きの若者に人気のウチナーグチです。
しかし、その本当の意味は、むしろ人事を尽くして天命を待つに近い。何にもしないでどうにかなるだろうと、ダラッとした心もちをいうのではありません。とことんできることをやりつくした後に、ようやく言える言葉なのです。

もうひとつ。肝苦しい(チムグルシー)。これも沖縄フリークのヤマトゥンチュにはよく知られたことばです。でもまずそれが間違い。これはウチナーヤマトゥグチ。
正しくは「チムグルサン」。
そしてその意味。直訳すれば「かわいそう」。

しかしこの言葉には、直訳しては伝わらないニュアンスがあります。
先日、沖縄で会った、玉城さん(玉城さんは「キリ学=キリ短に併設」の学生さんです)が、この話をしていました。
その日の記事へ
玉城さんに、もう一度教えてと頼んだら、メールを送ってくれました。感謝です。

では、そのご紹介。
「本田哲郎さんというカトリックの神父さんによると、日本語の『同情』や『憐れみ』という言葉が上から目線のニュアンスがあるのに対して、この沖縄の言葉の『肝(チム)グルサ』というのは、『相手の痛みに共感する』、『やむにやまれぬ気持ちで、腹わたが突き動かされる』というようなニュアンスがある」
そしてそれは、キリストの精神に近いものだと、彼女は説明してくれました。

沖縄タイムス社が刊行した『沖縄大百科事典』の「チムグルサン」の項目には、こう書かれています。
「<かわいそう>が不憫な人や気の毒な人を、できるならなんとか救ってあげたいと、自分のいる安全な高みから発しているのにたいして、<チムグルサン>は相手を見下ろす立場からではなく、気の毒な状態にいる相手のところまで降りて、相手の痛みを自分の痛みとして感じる心の働きである。」
なお、この項目を担当して執筆しているのは、儀間進さんです。

おじいさん子だった玉城さんは、バイリンガルです。日本語とウチナーグチの。

そうだ思い出した。『沖縄大百科事典』をプレゼントしてくれたのは、沖縄タイムスを定年退職してすぐ死んでしまった義理の父親。きっと玉城さんのおじいさんと、生きていれば同じくらいの歳だったんじゃないのかな。

それから、玉城さんはさらにこんな話をしてくれました。

「ぬでぃん八十、ぬまんでぃん八十、ぬまんとぅちゃーすが」
どういう意味?
「酒飲んでも飲まなくても、同じ八十歳ならば、飲まなくてはどうしようか」
いいねえ、そういう言葉が沖縄にあるんだ。
少し首を傾げて考えた玉城さん、ちょっとの間があってから
「玉城家の家訓かな」
大ウケです。

これも、おじいさんの教えなのでしょうか。

僕の目標は、半年後くらいに、玉城さんとウチナーグチで会話をすることです。その時は玉城さん、よろしくね。

ということで、沖縄語を話す会の第3回のご報告を終ります。
長々と、ありがとうございました。
(文責:高山正樹)

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tag: 沖縄語を話す会  うちなーぐち  新沖縄文字  三線 

「三母音」について(沖縄語の勉強会)うちなーぐち講座《1》

昨夜は鳥の研究。本日はガラっと変わってウチナーグチの研究です。

ウチナーグチの母音について、[e]が[i]に、[o]は[u]に変わるので、だから[a]、[i]、[u]の三つしかないのだというような言われ方を、よく耳にすることがあります。これって、ちょっと昔、かの伊波普猷先生が、何かの書物で書いてしまって、それが定説っぽく伝わったので、そう思い込んでいる人たちが多いということらしいのです。

ちなみに、[e]が[i]に、[o]が[u]に変わることを高舌化(高母音化)といいます。[a]と[i]と[u]は、極めて区別しやすい安定した母音なので、この三つしか母音を持たない言語は、アラビア語やブライ語など、世界中にいくらでもあります。

しかし実際は、沖縄語の母音は三つだけではありません。確かに、短母音での[e]と[o]は極めて少ないのですが、皆無ではありません。例えば「蝶」のことをハベル(haberu)というように、[e]や[o]の短母音も存在するのです。
また、連母音[ai]は長母音[e:]に、同様に[au]が[o:]に変わるというのも、ウチナーグチの特徴で、つまり[e]と[o]も、長母音でならいくらでも存在するということですね。

この[ai]→[e:]、[au]→[o:]という変化は言語学的には普遍的な現象で、この変化によって3母音体系から5母音体系に移行した言語も多いのです。サンスクリット語などもそれです。逆に5母音から3母音へ単純化された言語もあり、ウチナーグチもそのひとつだということになっていますが、ということは、ウチナーグチはその後、再び[e]と[o]を、[e:][o:]という形で組み込んだということなのでしょうか。

もともと日本語の母音は8音だったとか6音だったとか、いろいろな説があるのですが、ともかくそれよりもずっと前の紀元300年くらいに沖縄と大和のことばは分化されたというのが、今のところ一番有力な説ではあるらしいのです。しかし、もともと大和の言葉の基本母音は3音であって、だからウチナーグチは、こうした音韻に関しても古い大和言葉を残しているのかもしれないというような試論もないわけではありません。だとすると、大きく変化したのは大和の言葉のほうだということになりますね。でも、この説はちょっと無理があるかな。

それはそれとして、ウチナーグチに見られる変化と同様の現象は、大和の言葉にもあります。
ちゃきちゃきの江戸弁では、大根を「でーこん」、大概にしろは「テーゲーにしやがれ」といいます。どうです、これ、ウチナーグチで起こった変化と全く同じです。といってもこの音の変化は、やっぱり世界中にある現象なので、特にウチナーグチと大和の言葉を、ことさら関連付ける類の話ではありません。

ほかにも東北弁と比較するのもとてもおもしろいのですが、今日のところはこの辺で。

さて、今、僕に興味があるのは、こうした変化が何故起こるのかということなのです。もちろん政治や経済の「力」が大きく影響してきたということも否定できません。時にその「力」が、理不尽な「暴力」であったこともあるわけで、それは決して許されることではありません。しかし、長い歴史における言葉の変化を知れば知るほど、行きつ戻りつ、大きなうねりを伴いながらも、人智の及ばない根源的な何ものかへ向かって変わっていこうとする「言葉の不思議」も見えてくるのです。そうしたとき、言葉の平板化も、鼻濁音の衰退も、「ら抜きことば」も、言葉の乱れとは全く別の顔を見せ始めるのです。

[e]が[i]に、[o]が[u]に変わる高舌化は、口や舌の動きが小さくなるので、一種の省エネですね。そのようして労力を減らしておきながら、空いた[e]と[o]の席に、まったく別の出自をもつ連母音を長母音化して座らせたウチナーグチ。これ、勉強を始めたばかりの僕には、なんとも不思議なことなのです。
1から24までの正方形の駒を、1個の隙間を利用して順番に並び替えていく、あの懐かしいパズルを思い浮かべます。
今のコンピューターには、ハードディスクの中のデータを整理してくれる「デフラグ」という機能があります。あれ、結構時間が掛かりますよね。なんだか言葉も、それに似た作業を、気の遠くなるような年月をかけて行っているのではないのか、そう思えてきたのです。

生きたウチナーグチを残す、そうしたいと思って「おきなわおーでぃおぶっく」の新しい企画を始めたわけですが、しかしほんとうの意味での生きたウチナーグチとはどういうものなのだろう、甘受すべき変化も、見極めなければならないのではないか、なんだか迷宮の入口に立っているような、そんな不安に僕は包まれています……

というようなことを考えながら、「沖縄語を話す会」の勉強会へお伺いしたのでした。
上級者と初心者に別れての勉強。僕は初心者のテーブルに席を頂き、見学させていただきました。
本日のテーマは「無(ね)ーらん」の二つの使い方について。
「飲んでない」をこの表現を使っていうと「ぬでーねーらん」といいます。
「飲んでしまった」は「ぬでぃねーらん」といいます。
これって、よく使われる表現なのですが、難しくないですか。飲んだのか飲まないのか、真逆の意味です。病院で薬を飲んだか飲まないか、間違えて看護士さんに伝えたら大変なことになってしまいます。

グループごとの勉強会を適当なところで切り上げて、後半はみんないっしょになって昔物語(んかしむぬがたい)を読みます。
今日の題材は「大里ぬ鬼(うふじゃとぅぬうに)」です。
このはなし、オバアから聞いたことがあるよとか、うちのほうではこういうんだとか、実に楽しく豊かなひと時です。

あっという間の2時間半、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。もっとたくさんのことをご紹介したいのですが、間違ったことをお伝えしてはいけないので、僕自身もう少し勉強してから、お話ししたいと思っています。

【復習】
この勉強会で習っているのは、基本的には首里の言葉ということで、帰ってからちょっと調べてみたのですが、沖縄本島の中部、今帰仁(なきじん)地方では、なんと「飲んでない」も「飲んでしまった」も、どちらも
「ぬでぃねん」
というのだそうです。では、どのように区別するのでしょうか…
それは「飲んでない」の方を
「ぬでぃ ねん↑」
と微妙な間を入れて上昇調で言うことによって区別するのだそうです。
うーん、ウチナーグチのCD、やはりハードルはかなり高そうですねえ。

訳あって、もう「さき、ぬまん」

tag: 伊波普猷  首里  沖縄語を話す会  高舌化  三母音  うちなぁぐちフィーリング 

新宿で会って食って飲んで…

一夜明ければ、次へ向かって走り出さなければなりません。
船津好明さんのご紹介で、「沖縄語を話す会」の事務局長、國吉眞正さんに、新宿でお会いしました。
國吉眞正さん
(國吉さんの右には、もう一人いらっしゃるのですが、今日のところはご紹介を控えます。)

たっぷりと5時間近く、お話ししました。ウチナーグチについて、お伝えしたいことが山のようにあるのですが、しかし、ブログというような時間にせっつかれた場所では、なかなかご報告することは困難です。したがって、慌てて語ることは諦めました。いずれアカデミックに、“おきなわおーでぃおぶっく”のOfficial_Siteに専用のページを作成して、そこできちんとまとめようと考えています。

とはいえ、今までのブログ記事と関連のあることを、エピソードっぽくご披露しましょう。
でもそれは次の記事にて、「うちなーぐち講座」というカテゴリーを立てて。


おなかがすいた…
そうだ、喜多見のお寿司屋さんにいた菊地さんとこ行こう!
「おや、久しぶりだねえ」
菊地さん
今は歌舞伎町で板さんやってます。
花粉症で鼻声(ハナムニー)の男が江戸前の寿司を食う…
ご馳走さんでした。

さあ、帰ろう(けえろう、これも、高舌化なのかな?)…
夜の新宿

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