“どぅたっち”で上映会【沖縄読谷平和学】そして《知花昌一さんのこと》

昨日は三鷹、今日は駒込。2日続けての西山正啓監督の「知花昌一・沖縄読谷平和学」の上映会にお邪魔しました。
今日の上映会の場所は、山手線駒込駅のソバにある“琉球センター・どぅたっち”
null
普段は沖縄の物産品を売っているお店。でも、ここで三線教室をやっていたり、色々なイベントを開催していたり。
10月には読売新聞で紹介されました。
null
 ⇒“琉球センター・どぅたっち”のブログ
上映中です。
null

null
たくさんのお客様がいらっしゃっていました。
那覇のBar“土”での上映会は11日間で80名、結構大きな新聞記事にもなっていたのに、ちょっと少ない。宇夫方路が観た時はたった一人だったらしい。
 ⇒映画の解説はこちら
上映会の後は西山監督のお話です。
null

null

「恨(ハン)之碑」があるということの意味。
学生達が映画の中で最後に語りあったこと。
「まるで外国に来たようだ」と日本の学生。
「自分の国に帰ってきたようだ」とベトナムの学生。
韓国の学生がベトナムの学生に、韓国がベトナムにしてきたことを涙を流して謝る。ベトナムの学生は「これから仲良くなればいい」と笑います。
男子学生の少ないことがちょっと残念。

西山監督は言います。
「読谷には沖縄の全ての問題が凝縮されている」

僕はきっと、本当の読谷を知らないのだろうと思います。
僕は、宮城文子さんのはなしを思い起こしました。文子さんは長くいた東京をこの12月16日に引き揚げて、沖縄で義理のお母様と暮らすことにしました。
文子さんの義母さんはずいせん学徒隊の語り部である宮城巳知子さんで、嘉手納にお住まいです。もちろん文子さんは、今までも何度も行っているし、お正月などは長く滞在することもあった。その時には特になんとも思わなかったのだけれど、これからずーっと暮らすと決めてお宅に入った時、米軍基地から飛び立つ戦闘機の音がものすごいことに気がついたというのです。そこで生活するのだと、地に足を着けた時にはじめて聞こえてくるもの、見えてくるものがあるのでしょう。
テレビで、元の防衛大臣が蛇のような目をして、「何度も沖縄に行った」と偉そうに語っていましたが、きっと何にも見えてはいないのだろうと思うのです。
そういえば初めて巳知子さんにお会いした時、「政治家は誰も基地の現状を見に来ない」と怒っていらっしゃいましたっけ。

今度、Bar“土”のオーナーごうさんに、是非とも読谷を案内してもらおうと、あらためて思ったのです。

昨日も今日も、西山監督は、僕におきなわおーでぃおぶっくのCDの宣伝をする時間をくださいました。その上“人類館”のCDをご購入くださいました。感謝です。

宴会開始です。
null

スクガラス。アイゴの稚魚(スク)を塩蔵発酵させた保存食です。昔は酒の肴の定番でしたが、最近はあんまり見かけない。やっぱりちょっと塩っ辛過ぎるのかな。それにしてもこいつは魚がでかいなあ。ほんとにスクなのかしらん。
null null
にんじんしりしりーも出てきました。

そして、今日の影の主役です。西山監督の娘さん(左)とそのお友達(中)です。
null
お父さんの映画会に来たのは今日がはじめて。お父さんのことは、やっぱり好きじゃなかったらしい。お父さんが何をやっているのか、全く興味もなかった。でもお母さんから父親の仕事を聞かされて、もしかすると、お父さんはすごい人なんじゃないかと思ったんだって。
お母さんが話したのがきっかけじゃありません。娘さんが変わったんだよね。そのタイミングを、お母さんはきっちり見逃さなかった。父は、きっと信じて待っていた。すばらしい親子です。 

しょうがないから父も仲間に入れてあげよう。
null

もうひとりの女の子。(女の子じゃあ失礼かな)
null
那覇で西山監督の映画の上映会が行われている時のある朝、パラダイス通りを歩いていた彼女は、「土」の看板を見つけた。こんなところにほんとにバーがあるのだろうか……
「すいません……」
って、声を掛けたって店の人はいない。ところがその日店では西山さんなんかが雑魚寝していた。それが縁で、今日の上映会にやってきたのです。

不思議な出会いだなあ……。でも、沖縄に関わっていればよくあることです。

そして、不思議なメンバーで二次会へ。
null

null

null
今日のところは、皆さんのお名前のご紹介は控えておきましょう。きっとまたどこかでお会いすることがあると信じています。その時こそ、ちゃんとご紹介します。

続きを読む

tag: どぅたっち  沖縄の基地  沖縄_沖縄的食物.スク  沖縄_沖縄的食物.にんじんしりしりー  西山正啓  知花昌一  宮城巳知子 

もうひとつの沖縄(4)

今回の沖縄の旅、最後の晩餐。
null
ゆし豆腐。にんじんしりしりーがある。それ以外には、特に沖縄っぽいものはない。
オリオンビールに続いて島酒。
琉球酒豪伝説とやらを飲んでおくと、次の日が楽らしい。
null

進貢船の模型が飾ってある。
null
そういえば“おきなわワールド”の進貢船は復活したのだろうか。最近は裏の業者用通用口から入ってそこから出るのでわからない。
ダッコちゃんがウィンクしていたり……
null null
アンガマのウシュマイとンミーのお面が微笑んでいたり。

お隣の与儀さんから貰ったアダンの手作り草履。
null
神輿を担ぐ下町では分からないが、東京の山の手あたりの人間は、手作りの草履なんて観光地で売られている民芸品のレプリカくらいでしかお目にかからない。それが、まだここでは生きている。でも、貰ったはいいけれど、たぶんきっと誰も履かないで、このまま部屋の隅っこにずっと転がっているんだろう。そしていつしか古い記憶の中でしか見つけることができなくなるんだろうな。

命名札だって同じ。
null
数年前まで、居間の壁には数十枚の命名札が貼られてあったが、家の内装を変えてから、新しい数枚だけ捨てずに取ってある程度になった。
沖縄の命名儀礼も、調べればちょいと面白い。今日のところは深入りはやめるけれど、最近の僕は、こういう時いつも、日本ではどうだったのだろうと考えるようなった。沖縄は僕にとって、日本を知る糸口でもあるらしい。

昔の話を始めると、昭和一桁生まれの義母からは、興味深い話がたくさん出てくる。
義母の童名(わらびなー)はチル。今でもヤンバルの田舎へ行けば、みんなから「ちる小(ちるぐゎー)」と呼ばれる。童名とは、戸籍上の名前とは違う、家庭内とか近所の友達の間で呼び合う名前のことである。
だが、義母には童名と今の戸籍上の名前と、その他にもう一つの名前があった。「鶴」という「やまとなー(と義母は言った)」。近所の女の子は、みんな大概「ツル」か「カメ」だった。こっちは姉がツルで妹がカメ、あちらは姉がカメで妹がツル。ツルカメだらけ。同じ苗字も多かったので、名前の前に「〜の」という屋号が必要だった。
ある時、小学校の先生がこれでは拙いということで、片っ端から名前をつけた。あんたは「きみ子」あんたは「よし子」というように。その日から、義母の「やまとぅなー」は「とみ子」になった。この日はじめて聞いた話しである。
null
僕は、義母の童名が「ちる」だなどとは全く知らずに、十数年前、生まれた娘に「なちる」と名づけたのである。その命名札が、今も残っているのかどうか、何となく聞くことはしなかった。

明日の朝早く、沖縄を発つ。トートーメーに線香をあげる。トートーメーの棚には、大和風の線香と平御香(ひらうくー)が置いてある。
null
平御香とは沖縄の線香。6本の線香が板チョコのように並んでいて、割って使う。
この線香を見ると、いつも思い出すことがある。20年前の義父の葬式でのこと。大和から送り込まれていたのであろう若い坊主の説教。「平御香は香りがない。こんなものを使っていては、亡くなった人は成仏などできない。香りのある大和の線香を使わなければいけない。」
当時、沖縄で線香といえば、平御香の他にはなかった。僕は怒りに震えた。しかし、家族はみんな穏やかに黙って聞いている。そうでなければ、僕はその坊主をぶん殴っていたに違いない。今も思い出すたびに殴っておけばよかったと、後悔するのである。
でも、最近は平御香に火をつけた憶えが無い。今日も結局、「大和の上等線香」に火を点けて、そして手を合わせたのである。

《おまけ》
義母にも「カンゼークー」のことを聞いてみた。
「来ていたさ、なーびなくーさ。鍋とかヤカンとか、直しにきていたさ」
「いつごろですか?」
「戦前かねー」
眞永座の仲嶺眞永さんのお話とはずいぶん違う……

tag: 沖縄の旅_2009年11月  沖縄_沖縄的食物.にんじんしりしりー  沖縄_沖縄的食物.ゆしどうふ 

もうひとつの沖縄(3)

親戚10名ほどで飲みに出る。こういう場合、沖縄では「〜人」とは言わず、たいがい「〜名(めい)」という。でも、普天間移転反対の集会に集まった人数は21,000名とは言わない。それは沖縄でも21,000人という。
この「〜名」と「〜人」の使い分けの基本は、名前の把握できるリストがあれば「〜名」、不特定多数ならば「〜人」ということらしい。それならば、言葉が乱れているのは「大和」の方だ。
今のマスコミは客観性を装って「〜人」しか使わない。「日本人」は、それに影響されたのか。
マスコミが「〜名」を避けるのは「〜名」が軍隊で使われていたからというような話もあって定かではないが、それなら沖縄から最初に「〜名」が消えてもよさそうなものだがそうはなっていない……

てなことを考えているうちに、おもろまち(新都心)の居酒屋に着いた。
null
大きな居酒屋。

その昔、沖縄の飲み屋には泡盛などなかった。主流はスコッチやウィスキー。島酒は家で飲むもの、高いお金を出して飲むようなものではないと、沖縄の人たちは思っていた。
1960年、岡本太郎はこう書いた。
「聞くと、ここの人はあまり泡もりを飲まなくなった、せいぜい場末のおでん屋か屋台みたいなところで、肩身せまくこっそりやっているという。そこで製造業もだんだん衰えて廃業するものが出てきているそうだ。もっとも酒にかぎらず、土地で出来たものというとどうも卑しいように思いこみ、舶来はすべて上等と考える沖縄的コンプレックスがある。――なんてことを聞くと、くすぐったくなってくる。それなら日本の方が御本家だ。」

今は沖縄の飲み屋で泡盛のない店など見たことがない。

今や泡盛と沖縄料理と三線、それが沖縄の飲み屋の定番。ところが、そういう店は地元の年配の方か観光客ばかりで、沖縄の若者たちはあまり見かけない。
でも、この店にはたくさんいた。逆に、観光客らしい人はいない。何の不思議もない、当たり前のこと。

といって、メニューに沖縄的料理がないのかといえば、そんなことはない。各種チャンプルー、ラフティー、しまらっきょのてんぷら、たいがいある。
でも、みんなは焼き鳥や寿司を頼む。にんじんしりしりーなんて頼むのは僕だけだ。
null
細くて、なよなよしている。カミサンの作るにんじんしりしりーはもっとシャキシャキしていて旨いのだが。

カラオケボックスなんぞに行ってみた。
普通の歌(って、何が普通なのかよく分からんが)に交じって、沖縄のインディーズの曲があったりする。
null
これがなかなかいい。
そして、手拍子も掛け声も、全て裏打ちなのであった。

tag: 沖縄の呑食処.ぴかり魚  沖縄の旅_2009年11月  沖縄_沖縄的食物.にんじんしりしりー