10/24のツイートまとめ

昨日の琉球新報が事務所に届いた。
大城立裕氏と坂東玉三郎

gajumui

@nasaki78 大城立裕氏の新作組踊は、時に批判を受けてもきました。しかし氏は、組踊について基本的に自由度の高い表現であると考えていらっしゃるようです。「さんぱちろく」という形式を守ること、それだけが条件なのだと。140字では誤解されそうなので、いずれブログに書きます。
10-24 12:20

2009年11月、沖縄への旅の一日。組踊の稽古風景。/組踊“執心鐘入”考 http://t.co/iw3bL1MD
10-24 16:01

tag: 沖縄_沖縄の人.大城立裕  沖縄_沖縄芸能.組踊.新作組踊 

世田谷で組踊り“饒辺真山戸”(暫定記事)

《9月23日(金)》
大震災から196日目……
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ちょっと雨が降ったので、プランターの土を測ってみた。
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0.11μSv/h……
9月8日も18日も0.09μSv/hだった。空間線量はいずれも0.07μSv/hだから、その差が0.02から0.04と倍になった。何もかもが正確ならば、この前からの台風や雨で、汚染が進んだってことになるわけだが。

世田谷区民会館へ。
琉球舞踊と組踊「饒辺真山戸(ユフィンメーマトゥ)」特別鑑賞会。
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集合写真撮影中
報告後日。

事務所に戻って室内の線量計測。
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9月28日の計測へ


【この日呟いたこと……】
22:45
今、地球に落下しつつある米国の大気観測衛星。人に破片が当たる確率は3200分の1で、特定の1人に当たる確率は20兆分の1以下。1/3200の数字に注目すれば相当危険。1/20兆なら問題にしないだろう。きっと確率によって判断してはいけないことがある。やっぱり哲学。

23:08
全く科学的根拠ないんですが、現在54歳の極私的安心基準。γ線の空間線量は0.3μSv/h以下なら気にしない。食品に関しては核実験時代でさえ日本人の平均摂取が一日1Bqだったらしいので、一食3Bqまでかな。もっと勉強すれば変わるはずですが、現時点では500Bq/kgはすごく嫌。

23:18
あした多摩川河川敷でBQ。「横浜で女子のトライアスロン世界大会をやるのと匹敵する」と言ったら「気になるならやめたら」と言われた。「いやいやトライアスロンに匹敵するほど健康に良さそうだって意味だ」半分ウソ、半分ホント。

tag: 照喜名朝一  喜多見_MAP事務所の線量  沖縄_沖縄芸能.組踊.新作組踊  ゴーヤー栽培記.2011年 

「遁(ひん)ぎれ、結婚(にーびれ)」の告知【おきなわ芸能の今 そしてこれから?】

昨夜(というか既に今日だったのだが)、ようやく仕事を終えて事務所を出たのは午前2時頃。そして今朝は10時に出社。
仕事納め? 笑うしかない。

すると、国立劇場から案内が届いた。
(郵便屋さんは頑張って働いてるんだなって思うと、少し救われる……)

今年の1月に開催された「おきなわ芸能の今 そしてこれから」の第2弾。
「おきなわ芸能の今 そしてこれから?」
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“おきなわおーでぃおぶっく”のOfficial_Blogでは大きな画像でご覧いただけます。
http://ameblo.jp/okinawaaudiobook/entry…

日時:1910年3月6日(土)、7日(日) 両日とも午後2時開演。
場所:国立劇場小劇場
料金:一般4,000円 学生3,000円
第一部:琉球舞踊
第二部:新作組踊「遁(ひん)ぎれ、結婚(にーびれ)」
     (作・大城立裕 演出・玉城満)

1月13日から予約開始。
「遁ぎれ、結婚」は平成7年に国立劇場おきなわで初演、残念ながら僕は観ていませんが、今までの経験上、絶対面白いと確信しているのです。
お正月、テレビにあふれ返るお笑い。たくさんの芸人さんたちがそれぞれ趣向を凝らしていますが、それがどれほど画一的な笑いであるのか、きっとこの舞台を観ると、そのことに気づかされるに違いありません。
騙されたと思って、是非とも劇場に足を運んでみてはいかがでしょうか。
(ああ、ほんとは人さまの公演を宣伝する余裕はないのですけれど。高山正樹)



tag: 沖縄_沖縄の人.大城立裕  沖縄_沖縄芸能.組踊.新作組踊 

“さかさま「執心鐘入」”で笑いました!

沖縄定番のジミーで、ランチバイキング。食べ過ぎ。
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そして浦添の国立劇場“おきなわ”へ
国立劇場おきなわのHPのこの日の案内ページ
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正面玄関を入って、左の大劇場では大城立裕作の新作組踊“さかさま「執心鐘入」”。13時半開場、14時開演。
右の小劇場では、津嘉山正種ひとり語り“人類館”の公演。1回目が14時半開場の15時開演。2回目は18時半開場で19時開演。
両方のロビーでおきなわおーでぃおぶっくのCDを販売しています。
人類館は明日もあるので、今日は“さかさま「執心鐘入」”を観るのです。
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大劇場の入口では、おきなわ堂の金城さんが、“おきなわおーでぃおぶっく”の宣伝チラシを配るお手伝いをしてくださいました。
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それにしてもなんだろうこのふざけたポスターは!
ほんとうにこれが組踊りのポスターなのだろうか……
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琉球の国劇である組踊りを、馬鹿にしているのではないかという声が、昨日までの沖縄の旅で、全く聞こえてこなかったというわけではありません。しかし僕としては、このポスターを見て、密かに不謹慎な(?)期待がどんどんと高まっていったのです。

果たして、この日の舞台は期待以上のものでありました。会場は爆笑の渦に包まれて…… まあ、そのあたりのことは、他の誰かがきっとどこかでお書きになるでしょう。また、あの単純な筋立て、脚本を、ここまでに仕上げた演出をはじめとするスタッフ・役者を賞賛する劇評も、あっちこっちで語られることでしょう。だからここでは、ちょいと違った視点から。

演出家や役者の創造力を掻き立てるような本を書くことは、実はなかなか難しいのです。読んだ時にはすきだらけで一見物足りなく感じられる本の方が、結果的には生き生きとした素晴らしい舞台を生み出すということはよくある話です。大城立裕という劇作家は、そこのところを熟知しているのではないかと僕は思っています。考えてみれば、歌舞伎にしろ狂言にしろ、古典の本はスキだらけ、だからこそ歌と踊りと、役者の技量を引き出すことができるのだといってもいい。必要なのは、スペクタルな背景を感じさせる筋立てなのです。

前に、執心鐘入が、いわゆる「道成寺もの」の一つであるといわれているという話しをしました。
執心鐘入についての記事
その際、大和の「道成寺もの」が安珍・清姫伝説ではなく、その後日談を元に創作されているということもお話ししました。しかし「執心鐘入」は、「道成寺もの」の発端である元の物語、安珍・清姫伝説の方に似た筋で、こちらにはその後日談はありませんでした。
このことも、今回大城立裕氏が「執心鐘入」の後日談を書こうと企んだ動機のひとつではなかったのか、今度大城先生にお会いした時に伺ってみようと思うのです。

和歌などの世界に、すぐれた古い歌や詩などから、その発想や言葉を意識的に取り入れ、新しい歌を創造する「本歌取」という表現手法があります。元の作品の存在をはっきりと示し、またその作品に対するリスペクトを表明し、その上で独自の表現を加味して作るのです。しかし、この「本歌取」は簡単なものではありません。原作に対する深くて広い教養がなければ、優れた作品を生み出すことはできないのです。

その意味で、今日の“さかさま「執心鐘入」”は、まさに本歌取でした。

幕が下りても拍手は鳴り止まず、やがて手拍子に変わります。これは芝居のカーテンコールではなく、まるでコンサートのアンコールのようでありました。舞台中央に迎え入れられた大城立裕氏がカチャーシーを踊って、最後の幕となりました。
終演後のロビーは、あっちでもこっちでも満足そうな笑顔で満ち溢れていました。そのロビーで大城先生とお話しすることができました。
「最後は踊らされてしまったよ。」
そこへ見知らぬ女性が寄っていらして、大絶賛の言葉の嵐、絶対に再演しなければダメだと言って去っていかれました。

先に言った「本歌取」について、大事な要素がもう一つあります。「本歌取」は連歌の技法でもあるのですが、「本歌取」で作られた歌を受ける方にも、作り手と同じような教養が必要であるということなのです。今日の公演の大成功は、実は客席を埋めていた方々の組踊りに対する理解に支えられていたのだと思うのです。いかに「執心鐘入」という組踊りが沖縄の人たちに知られている演目であるかを、僕はあらためて知ったのです。
僕は今回の沖縄の旅で、玉城朝薫の組踊「執心鐘入」の稽古を見学させていただくことができました。もしその経験がなかったならば、はたしてこれほどに今日の“さかさま「執心鐘入」”の公演を楽しめただろうか、いささか疑問です。
「執心鐘入」の稽古を見学した日の記事
でもだからといって、そのことが“さかさま「執心鐘入」”の価値を落とすことにはなりません。沖縄を本当に楽しもうとするなら、沖縄をもっともっと深く勉強してみてはいかがでしょうか。これ、絶対にお薦めです。

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tag: 沖縄_沖縄芸能.組踊.新作組踊  青年座  沖縄(2009年秋)  執心鐘入  大城立裕 

恒例、大城立裕先生宅訪問

夏からずっと楽しみにしていた「さかさま執心鐘入」、いよいよ明日ですね。
特に何か用事があったわけではないのですが、ちょいとご挨拶に伺いました。
お馴染みの大城立裕先生宅です。
null最近、親子みたいです。用が無くたって教えて頂きたいことがたくさんあります。
まずは「クガニゼーク」と「カンゼーク」のこと。「クガニゼーク」のことは、はっきりしてきました。それは「クガニゼーク」が首里王朝に関わっていて、少なからず資料が残っているからです。でも今の僕が知りたいのは「カンゼーク」のことです。残念ながら大城立裕先生でも、はっきりしたことはお分かりにはなりませんでした。
立裕先生は書斎からこんな本を持って来られました。
「琉球舞踊歌劇地謡全集」です。(画像はM.A.P.所蔵本)
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この本には、こんな写真も掲載されています。
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昨夜も一緒だった関りえ子さん。
「黒島口説(くるしまくどき)」というコメント付き。

この地謡全集の40ページに、懸案の雑踊り「金細工(かんぜーく)」の歌詞が載っているのです。
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(※雑踊り「金細工(かんぜーくー)」については、過去記事に説明がありますので、どうぞそちらをお読みください。⇒http://lince.jp/hito/okinawa/kogane…
雑踊り「金細工」は明治18年に創作されたものです。
(※沖縄の廃藩置県、いわゆる「琉球処分」が明治12年ですから、首里城が明け渡されて6年後の作。「琉球処分」について⇒http://lince.jp/hito/arumise…
その地謡には、「金細工」と「鍛冶屋」(「かんじやえ」とルビが振られている)と、両方の言葉が出てきます。このことは、立裕先生も認識してはいらっしゃらなかったようです。
「伊波の金細工の加那阿兄」と「上泊鍛冶屋」。
沖縄県の運営する情報サイト「Wonder沖縄」では、それぞれ「美里村伊波の鍛冶屋の加那兄」と「上泊の鍛冶屋」と訳しています。人を指す場合と、仕事場を指す場合と、そんな区別がされているような感じです。

加那兄は、親譲りの「鞴(ふうち)」と「金具(かなぐ)」を売って辻遊廓の遊女の揚げ代を工面しようとします。「鞴」は「ふいご(吹子)」で、溶けて真っ赤になった鉄に風を送り続けて、その温度を1400℃以上に保つために必要な道具です。また「金具」のほうは、前出の「Wonder沖縄」では、「かなとこ」と訳されています。「かなとこ」を漢字で書くと「金床」で、すなわち鍛冶や金属加工を行う際に用いる作業台のことです。

果たして、遊女の真牛(モーシー)は、遊郭でジーファーを挿し、房指輪をつけて踊っていたのかどうか、加那兄は真牛に結び指輪を作ってやったことがあるのかどうか。

ところで、そもそも琉球舞踊ってなんなんだろう。琉球舞踊の現状についてはちょっと書いたことがあるし、岡本太郎の能書きも知ってはいます。でも基本的な成り立ちと変遷については、よく知らなかったなあと反省。そこで、まずはそれを調べてみよう。ということで、「カンゼーク」については、本日ココまでということに。(※琉球舞踊についての勉強成果は本記事の後ろに追加してあります。)

今日は、もうひとつ大城立裕先生に聞きたいことがありました。
船津好明さんが考案した新沖縄文字のこと。船津さんは大城立裕氏について、いつもこうおっしゃっていました。
「大城さんはウチナーグチはなくなってもいいという考えで、僕のやっていることには批判的だと思う」
しかし僕は決してそんなことは無いと思うのです。大城立裕という文学者は、その文学活動の当初から、沖縄の言葉に対して深い思いを持っていたのだと思う。ただ時代が、大城立裕の内面の襞を見なかったのです。船津さんも、大城立裕の一面だけを見て判断していらっしゃるのではないだろうか。たとえ大城さんが、ウチナーグチはなくなっていいと船津さんに言われたのだとしても、本意はそう単純なことではなかったはずだと、大城立裕の仕事を知れば知るほど、僕はそう思うのです。

でも、新沖縄文字についてはどうだろう。立裕先生は「おもろ」などの古典的表記にも造詣が深い。そういう方にとって、船津さんの新しい文字はどういうふうに受け止められるのだろうか。
そこで僕は、思い切って、この旅の始めに西岡敏先生に語ったのと同じことを、ウチナーグチを殆ど分からない者が学ぶのに、新沖縄文字が如何に有効なアイテムであるかということを、大城先生に説明してみたのです。
沖縄国際大学の西岡ゼミの研究室に伺った時の記事
すると、大城立裕先生は即座にこう答えられました。
「なるほど、そういうふうには考えたことはなかったなあ」
この反応には驚きました。こんな若造の言うことを、とてもニュートラルに受け入れてくださった。その柔軟さに、大城立裕という文学者の、物事を極めて多面的に捉えるあり方の根本を見たような気がしたのでした。
「大城立裕」は、その一面だけしか見ない多くの論者たちから、ずっと誤解されているのかもしれません。

大城立裕先生。今日はありがとうございました。
また明日、浦添の劇場でお会いしたいと思います。

《追伸》
2001年8月に出版された『琉球楽劇集真珠道』の「口上」で、大城立裕氏は次のように書いています。
(画像再掲:関連記事⇒http://lince.jp/hito/sinsaku…
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「書く動機になったのは、琉球語(うちなーぐち)のネイティヴ・スピーカー(日本とのバイリンガル)として、組踊りの書けるおよそ最後の世代ではないか、という自覚によるもので、ほとんど責任感に発しています。」
「古典を読みなおしてみたら、あらためて自分の語彙の貧しさを嘆いています。」
また「凡例」では
「歴史的仮名遣いは『沖縄語辞典』『沖縄古語大辞典』『琉歌古語辞典』に多くを負ったが、拗音、音便などについては、現代仮名遣いに拠ったり、さらにたとえば『召しおわれ』を『召しょうれ』とするなど、若年読者のための配慮である。」とあり、さらにローマ字表記についての説明では、沖縄的音韻にも、正確を期す配慮がなされていることがわかります。(※表記についての興味深いあとがきについては、少し長いので、後日あらためて。)

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tag: 沖縄_うちなーぐち.新沖縄文字  金細工  沖縄_沖縄芸能.琉球舞踊.金細工  沖縄_沖縄芸能.組踊.新作組踊  沖縄(2009年秋)  大城立裕  沖縄_遊郭 

M.A.P.の真珠道はどこへ続くのか

現在の真珠橋。
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旧真珠橋は、沖縄戦で破壊された。

真珠橋には人柱伝説があった。それを聞いた役者、平良良勝が「真珠橋(またんばし)由来気」」(「七色元結」)という芝居を書く。初演は昭和10年頃。
そして大城立裕氏は小説『花の碑』を、また「嵐花」という芝居を書き……
「嵐花」のパンフレット
さらに2004年、新作の組踊「真珠道」を発表するのである。
《関連記事》
http://lince.jp/hito/arasibana…
http://lince.jp/hito/madamamiti…
組踊「真珠道」が東京の国立劇場で上演されたことはこのM.A.P.after5でも記事にした。だがそれ以上のことは語らなかった。というより、その背景にある歴史・文化・政治の深さを知れば、簡単に語れるものではなかったのだ。だが、今は、いずれ書いてみたいと思っている。

ちなみに、この大城氏の書いた「真珠道」を、横道萬里雄氏がその論評の中で絶賛したということを、後で知ったのである。
《横道萬里雄さんのこと》
 ⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/…

気軽に、無責任に始めてしまったブログなのだが、だんだんと、そういうわけにはいかなくなってくる。

亘さんの弟子(?)の前城さんのお陰で、RBCテレビを訪れることができた。八木政男先生とお会いした時以来の琉球放送。前城さんも付き合ってくださった。感謝である。
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《一昨日のこと》
 ⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/…
そういえば、亘さんも、横道萬里雄さんは大変な方だと言っていたっけ……。

RBCに、何しに行ったのかって? なんでもかんでも書いてしまうことは、もう許されないのかもしれない、と、思い始めているのさ。
そば家鶴小(ちるぐゎー)で…
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牛肉そば680円を食す。
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ボリュームがあって、安くて、おいしくて、こんなことなら、いくらでも書けるのだが。

tag: 沖縄_沖縄的食物.沖縄そば  沖縄の呑食処.そば家“鶴小”  大城立裕  沖縄(2009年秋)  沖縄_沖縄芸能.組踊.新作組踊    こんな人あんな人_横道萬里雄 

新作組踊“さかさま「執心鐘入」”の台本【冊封と組踊について】

15:00
大城立裕先生宅へ。
又吉健次郎さんの伝言は、しっかりお伝えしました。今年の11月21日、国立劇場おきなわで組踊りの公演がある、是非観てほしいなあ、と大城先生。そして貸してくださった台本です。
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大城立裕・作、新作組踊り「さかさま『執心鐘入』」。

組踊りについて簡単にご説明しましょう。
組踊りとは、韻文の台詞と音楽と踊りで構成された沖縄の伝統芸能で、大和の歌舞伎と能を足して2で割ったようなものともいわれます。中国からの冊封使(さっぽうし)を歓待するため、踊奉行の玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が創作し、1719年に冊封使の前で初めて演じられた「執心鐘入」などがその始まりです。冊封使とは、中国の明・清の時代に、朝貢国の王を冊封するために派遣された使者のことです。
(※《資料》参照)

では冊封とは何か(ああ、いちいち説明しなければならない、これほど日本人は、沖縄の歴史や文化を知らないということですね)、高山夫人が中学生の時、学校で配られた仲原善忠著『琉球の歴史』の上巻から、ちょっと長いですが抜粋して引用します。

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「国王が死ぬとあとつぎが立って王になる。数年のあと、使いをやってたのむと中国から正副の冊封使(名高い文人が多い)がやって来る。那覇にとまっていて、式日には首里城でさかんな儀式があり、『なんじを封じて琉球国中山王となす』という皇帝の勅語を読み国王は中国から正式に王としてみとめられる。式をやって王としてみとめることを冊封というのです。しかしこの式があってはじめて王になるのではなく、たのまなければ来ないのです。又あの王はいけないといってことわったこともなく、王が自分のいげんをつけるための儀式です。」
「中国はむかしから体面をおもんずる国です。そして中国がその時代はアジア第一の文明国で、他の国々はみな野蛮未開な国々と見ているから対等のつきあいはゆるさない。それで『臣』と称して貢物をささげて行って皇帝にあいさつするのでなければ有利な貿易は出来ないのです。」
「(琉球王国は)臣下という仮面をかぶって、有利な貿易をやったということです。」


話を組踊りに戻しましょう。琉球が中国に初めて使いを送ったのは1372年のことですが、この中国との貿易の利益を狙った島津藩が琉球に進攻した、いわゆる「島津入り」が1609年、つまり組踊りが誕生した1719年には、すでに島津藩が琉球王国を実質的に支配していたということです。しかし、琉球王国は存続させなければならなかった、なぜならば、琉球王国を介する以外に、中国と貿易する手段が、当時の日本にはなかったからです。これは、沖縄の芸能を考える上で、とても重要なことのように思われます。
玉城朝薫は薩摩や江戸に何度も派遣され、そこで能・狂言や文楽・歌舞伎など大和芸能の様式を学びました。それが組踊りの創作に大きく影響しています。
特に玉城朝薫の第一作といわれる「執心鐘入」は、もっとも大和文芸の影響を受けていて、いわゆる「道成寺もの」がその下書きになっています。

大城先生は、大和と琉球の狭間で、いかに玉城朝薫が組踊りを創作したのか、その苦悩を描いた小説や戯曲を書かれてきました。
※関連記事(「嵐花」公演のこと⇒http://lince.jp/hito/arasibana…

また大城先生は、これまで新作の組踊りをいくつも発表されています。
※関連記事(「真珠道」公演のこと⇒http://lince.jp/hito/madamamiti…
2001年には、それらを集めた琉球楽劇集が出版されています。

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この本は、上段に「歴史的仮名遣い」を、下段に読みをあらわすローマ字を配しています。
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ここでもやはり表記と発音の問題があります。それについて大城先生の興味深いあとがきがあるのですが、それはまたあらためてご報告します。
※関連記事(「古典音楽」の本のこと⇒http://lince.jp/hito/okinawamap/free…

さあ、ようやく今回の新作組踊り「さかさま執心鐘入」までたどり着きました。
これは大城先生のお話によると、「執心鐘入」の後日談のようなお話なのだとか。先生の作劇の動機がちょっと面白いのです。

「執心鐘入」の大道具の鐘は「執心鐘入」を上演する時にしか使われない、もったいないのでなんとかそれを使えないか…
「執心鐘入」に出てくる小僧さんたちの出番が少ない、その小僧さんのキャラクターをなんとかできないか…

稽古は5月くらいから始まっているそうです。組踊りの役者さんたちも、皆さんいろいろ仕事をしていかなければならないので、そろっての稽古が難しいと先生はおっしゃっていました。

本番が楽しみです。なんとか時間を作って、11月、また沖縄に来たいと思っています。
国立劇場おきなわホームページ
(宇夫方路の報告を高山正樹が目いっぱい膨らませてお伝えしました。)

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tag: 沖縄_沖縄芸能.組踊.新作組踊  執心鐘入  沖縄(2009年夏)  大城立裕