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海洋博公園から伊江島を眺める

目的の「美ら海水族館」は海洋博公園の中にあります。とても広い公園です。
当時、海洋博開催のために土地を奪われ、それを苦にして自殺した人もいました。
海洋博ショックというものもありました。博覧会後、反動でたくさんのホテルなどが倒産し、ひどい不況が訪れたのです。残されたのは破壊された自然だけ。それをもって海洋博は悪であったとする論説も数多くあります。むしろそれは沖縄を良く知っているという多くの「文化人」の常識でもあります。

しかし海洋博の数年後、沖縄のリゾート産業は、海洋博の年の実績を、軽々と越えて発展していきました。「美ら海水族館」は、以来ずっと沖縄観光の花形のひとつであったということも事実です。

僕には、海洋博の功罪を云々することはできません。「美ら海水族館」はやはり魅力的なのです。一方で素直に楽しむことのできない自分もいる。
大和が沖縄に押しつけた「癒しの島」という役割。その象徴としての「美ら海水族館」。

大きな駐車場に車を停めて、水族館に向かいます。
伊江島が見えてきた。
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実は、僕は密かにこの島を、あらためて眺めて見たかったのです。いわゆる「集団自決」のあった島。
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それだけではありません。沖縄がまだ米軍の統治下にあった頃、この島では沖縄の復帰運動の原点といわれる土地闘争がありました。そんなこと、水族館を訪れるたくさん観光客の殆どは知らないんだろうな。

※『沖縄大百科事典』「伊江島と血闘争」より
「(前略)米国大統領・米国民政府・琉球政府などへの祈願・陳情、接収地における武装米兵との実力闘争、長期間の座り込み、沖縄全島に及ぶ〈乞食行進〉、世論の喚起など種々の戦術で粘り強い闘争を展開、100人余の逮捕者を出す。もっとも熾烈化したのは米国民政府令第109号「土地収用令」によって、1955年3月11日から米軍が武力を行使、真謝区の住戸13戸をブルドーザーで壊し、農作物とともに焼き払うという強行手段をとってからである。(後略)」

この闘争は復帰後まで続きました。その土地闘争の指導者、いまや伝説となった平和活動家、亜波根昌鴻氏が亡くなったのは2002年の3月、まだそれから10年も経ってはいないのです。

間もなく入り口。
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ドッカーン!
なんだかさ、普天間飛行場のソバで見上げた、飛び立ったばかりの米軍爆撃機を思い出してしまうのです。
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癒される前に腹ごしらえのバイキング。
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