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「原発対話の会」Vol.23のテーマは“トリウム溶融塩炉”

今日は泉龍寺の読経会であった。
ようやく告知記事までたどり着いた。

これまでの経緯をたどって頂ければありがたい。

 ⇒2014年4月12日 シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」
  ※2016年8月14日 はじめて参加したお経の会の後、木下幹康さんと話す
  ※2017年6月5日 木下さんの発言「原発のことは専門家だけで決めるべきではない」
 ⇒2017年7月2日 長瀨隆「トリウム原子炉革命」
 ⇒2017年9月3日 トリウム溶融塩炉の話
 ⇒2017年12月6日 自民党の勉強会を侮ってはいけない
 ⇒2018年6月14日 動き始めた溶融塩路
 ⇒2018年6月17日「そもそも論」ということ
  ※2018年8月9日「原発対話の会」Vol.23 開催日程決定

そして昨日呟いたこと。


「原発対話の会」Vol.23
今回のテーマは、“トリウム溶融塩炉”です!

~トリウムは、未来エネルギーの救世主となりうるのか~

※追伸
木下さんから、SMR(Small Modular Reactor=小型原子炉)の文字が、7月のエネルギー基本計画に乗ったというメッセージが来た。アメリカのメーカーは、水を使った原子炉を考えているらしいが、それでは廃棄物問題は解決しない。
また今回北海道で起こったようなブラックアウトは、今の原発の1/5くらいの大きさのモノをたくさん作っておけば解決できるとのこと。さて、皆さんはどう考えるのか。ともかく、まずは知って、そして考えましょう
(以上9月14日追記)


●日時:9月16日(日) 14時 Start (開場30分前)
●参加費:500円(資料代含む)
●会場:M.A.P.
 03-3489-2246
  (小田急線喜多見駅徒歩5分)
  狛江市岩戸北4-10-7-2F 島田歯科の2階
  ⇒会場アクセス
●講師:木下幹康 (NPOトリウム溶融塩国際フォーラム理事長)

《原子力災害に、溶融塩炉の復活で向き合う木下幹康氏からのメッセージ》
理論数学系の物理屋です。
原子力エネルギーは人類にとって使いこなせるものなのか。福島の事故を二度と起こさない、そのような原子力の技術はほんとに可能なのか。高レベル廃棄物を含んだ使用済み燃料や福島原発の溶け落ちた炉心の後処理をする、そんなことができるのか。
1960年代に発明された溶融塩炉は、今の原発よりはるかにシンプルな仕組みで動く原子炉で、事故の原因となるメカニズムがほとんどありません。安全性を最大限考慮しながら、国会議員(自民党も野党も)の後押しも得て、溶融塩炉の実現に汗をかいています。
福島原発の溶け落ちたデブリを焼却することが第一の目標ですが、まずは、太陽の光を受け止める技術、太陽の光で高い温度で直接水を分解して水素を作ったりできる技術として普及させたいと考えています。
最終目標は、溶融塩炉によって余剰プルトニウム(47トン)や使用済み燃料、福島のデブリを燃して実害を最小限にすることです。
3·11(2011年)の東日本大震災・原子力事故では、私が住む狛江にも3月14日から放射性ヨウ素が降りました。
狛江は電力中央研究所発祥の地でもあります。今回は、その狛江で、溶融塩炉開発現場のプレーヤーの一人としてお話をします。

【木下幹康氏プロフィール】
電力中央研究所に数十年奉職し原子力を担務。もんじゅ高速増殖炉、福島、大間、伊方、大飯の原発の安全審査、原子炉内の強い放射線で材料の「秩序が回復する」プロセスをテーマに、2004年から5年間、原子力委員会の特命研究プロジェクトリーダーを務める。
現在、NPOトリウム溶融塩国際フォーラムの理事長、
   熔融塩技研/MSLab(株)(調布の電通大アライアンスセンター内)社長

主催:原発対話の会
 ⇒FBのグループページ
 ⇒FBのイベントページ

お問合せ・ご予約
03-3489-2246(M.A.P.)


≪これまでの講演・勉強会・イベントなど≫
2013年
12/2(土)「どうする原発?異なる意見で対話する会」
      参加者:澤田哲生さん(東工大)他

2014年
5/10(土)「福島原発で働く人たちの今、福島浜通りの未来」
      講師:吉川彰浩さん(元東電社員、AFW代表)
5/18(日)「福島原発事故と甲状腺がん」(監督:木村修)試写会
7/27(日)「3.11以降の原子力研究開発、その目的と課題」
      講師:倉田正輝さん(原子力開発機構研究主席)
9/6(土)「3.11福島事故の現在と未来」
      講師:畑 孝也さん(原子力・放射線部門の技術士)
10/5(日)「原発事故の健康被害とは」
      講師:越智小枝さん(公衆衛生修士、医学博士、相馬中央病院勤務)
12/4(日)「リスクコミュニケーション”を考えよう!」講師:寿楽浩太さん(東京電機大)

2015年
2/27(金)・3/29日(日)「福島第一原子力発電所視察報告会」講師:吉川彰浩さん
5/31(日)「福島原発事故の真実」講師:菅直人元内閣総理大臣
11/1(日)「福島第一原発最新情報」講師:吉川彰浩さん
12/12(土)「鹿目久美さん(母ちゃんずメンバー)とおしゃべりしませんか」

2016年
3/12日(土)「Sv(シーベルト)の勉強をし直そう!」
        ~電中研の佐々木道也さんを迎えて~
4/9(土)「政治における原発問題の現状」~衆議院議員落合貴之さんと話そう~
5/28(土)「放射能汚染とどう向き合うべきか?」講師:今中哲二さん
8/24(水)「原発事故から5年半、その心の軌跡」~吉川彰浩くんを迎えて~
11/19(土)「原発事故を考える」講師:おしどりマコさん

2017年
2/11(土)「半谷輝己のここだけの話」
4/24(月) 原発対話の会主催福島第一原発視察
7/23(日)「第一原発の現状と復興本社の取り組み」
      東電復興本社前代表の石崎芳行氏を迎えて
10/7(土)「徹底的にトリチウムを考える」講師:電力中央研究所の佐々木道也さん
10/14(土)「"想い"をたずさえて 未来への道のり」
      講師:篠原美陽子さん(浪江から避難)
11/19(日)「東電特別顧問石崎芳行氏を迎えて“続編”」
12/19(火)「アトミック・カフェ」上映会

tag: 泉龍寺  木下幹康  溶融塩炉 

「お経の会」と「平和フェスタ」、そして原発対話の会へ


そして狛江平和フェスタ。
今年は市長の挨拶があった。セクハラ市長の一年目、やってきた市長が、受付に共産党員がいたことに激怒し、以来、挨拶どころか、市との共催もやめたという。しかし、それは確信犯だったのではないか。

tag: 泉龍寺  木下幹康  溶融塩炉 

「対話の会」は会うことから

会わなければ動き出さない、ということ。
疲れていたって、会えば元気になる。そう信じてきた。それは間違いではなかったと、会えばそう思える。問題は、誰だってそうそう会い続けてばかりはいられないということ。

久々の人たち

※この日の記事は、8月25日にアップした。従って、以下のツイートにある「少しずつお話ししたい」ことは、既に過去の記事にて「木下幹康」や「溶融塩炉」のカテゴリで投稿している。

これできっと、また会える。

tag: 木下幹康  溶融塩炉  鹿目久美 

「そもそも論」ということ

泉龍寺の読経会。
木曜日に衆議院議員会館であった「熔融塩炉」のイベントの話になる。木下さんが案内したので、このお経の会からも参加した方がけっこういたのである。

皆さん、「溶融塩炉」について、難しいことは分からない。だが皆さんの多くは、最後に舞台に並んで、原発の研究をさせて欲しいと訴えた若い科学者たちに、少なからず驚かれたようである。特に、もんじゅもやめるべきではないと、エキセントリックに語った学生に対して、どうして?と感じられたようだ。

僕は去年12月の自民党の勉強会の話をした。議員もみんな勉強していて、なかなか緊張感のある部会だったこと、野党は頑張らないと勝てないと感じたこと。ただそれに付け加えて、僕は、しかしあれでは、「そもそも論」ができない不安を感じたということを言った。そもそも、原子力発電などあってはならないものなのではないか、再生可能の自然エネルギーだけで、やっていけるのではないか。そんな「そもそも」をすっ飛ばしていいのかどうか。
もちろん、「そもそも」ばかりを声高に語る反原発原理主義、とくにそれが政治を担う野党だとしたら、それはそれで問題ありとは思うのだけれど。

「大変無駄のない会だったけれど、テンポが速すぎて深く思索する間がない、立ち止まって考える余地がない、そのことがとても気になった、つまり哲学がないのです」

(※この記事は8月25日に書いてるのだが…)
そのお経の会の翌日、月曜日に木下さんからLINEが来た。私信なので公開を躊躇するが、とても重要なことで、かつ僕の木下さんに対する信頼が、そのメッセージによって増したということがあって、そこで、長文のメッセージから、ごく一部を抜粋要約してご紹介させていただくこと、どうかお許しいただきたいと思う。

「そもそも論とは、集団での意識固定化からいっぺん離れてみることだと思う。集団に属するのは、生きていく以上仕方がないこと、しかしそれに縛られてはならない。ミイラ取りがミイラになる話。たとえ利権集団に入っても、明確に発言して出たり入ったりできるなら、ミイラにならずに済むだろう。波に飲まれもみくちゃにされてしまう状況になっても、我を忘れないでいられるのは、たぶんお経の会に来ているからではないかと思う」


【追伸】
この木下さんのメッセージで、思い出したことがある。2014年04月の木下さんも参加されていたシンポジウムの時に購入した森中定治氏の本「プルトニウム消滅!」に、小林正弥氏が寄せた文章の中の一文である。

プルトニウム消滅「著者は、民主主義や政治哲学に関する重要な論点についても考察し、“未来の人類の利益”という共通の具体的な目的を明確に認識して対話を行い、私的利益を離れて、対峙する双方がより正しい道を見つけ出し合意することが民主主義の理想である、と述べる。これは、公共哲学における将来世代の観点や、“熟議民主主義”と共通する考え方である。また『ポジション・トーク』を離れて考えることを主張しているが、これもジョン・ロールズの正義論をはじめとする政治哲学において重要な考え方である」

ひとつ、視野が開けたような気がしている。「溶融塩炉」が、ほんとにいいものなのかどうか、いまのところちっとも分からない。ただ、「溶融塩炉」を題材にして考えるということには、とても大きな意味があると、僕にはますますそう思えてきたのである。

木下さんに心から感謝している。

さらに…
もしかすると、溶融塩炉を買いかぶり過ぎているのかもしれない。だからこそ、2014年04月の記事に、トリウム溶融塩炉に可能性は無いと断ずる小出裕章氏の講演の動画を貼ったのである。
これについては、対話の会において、木下さんにきちんと質問して、その意見を聞きたいと考えている。“未来の人類の利益”という共通の目的のための対話である。

tag: 泉龍寺  木下幹康  溶融塩炉 

動き始めた溶融塩路


衆議院第一議員会館・B1F大会議室
「熔融塩炉・第2回推進総会」
講演者は、徐洪傑博士、夏暁彬博士(上海応用物理研究所)、山脇道夫・東大名誉教授、木下幹康・NPOトリウム溶融塩フォーラム理事長、David Holcomb博士(米国オークリッジ国立研究所)。

こんなブログを見つけた。
 ⇒原田よしあき自由民主党衆議院議員のブログ
「現在の軽水炉型原発は、様々の課題を克服しつつ、当面は運転を継続していくが、中長期的には次世代型原子炉の研究、開発は不可欠であり…」と書かれている。なんとも気持ちの悪いブログである。

最後に、若い大学生や研究者たちが登壇し、3.11以降、原発の研究が出来なくなった現状を訴え、これでは世界から取り残される、是非とも研究させて欲しいのだと、参加者に向かって「熱い」メッセージを発したのである。

いずれにしろ、熔融塩炉は、自民党の力を得て、動き始めたらしい。

【追記:後日の呟き】

tag: 木下幹康  311  溶融塩炉 

自民党の勉強会を侮ってはいけない

【前日のツイート】

そして今日。
朝早い。久々の通勤電車。
通勤電車を待つ行列1 通勤電車を待つ行列2
黒装束の人々が、整然と並んでいる。
これが日本人だ、と思う。

自民党本部。
自民党本部

まさか、この俺がこんな場所に来ることになるなんて、思いもよらなかった。「溶融塩炉の自民党部会、来て見ませんか」そう言ってくださった木下幹康さんの所為(おかげ)である。

「あ、入れたね」の言ったのは木下幹康さん。誘っておいてそれはないだろう(笑)

自民党の勉強会

議員たちが座る席には、朝食の弁当が用意されている。朝早いのは、きっと分刻みで動いている国会議員たちが仕事を始める前、たった1時間だがコンパクトな場を作って、集中して話を聞き、質疑までやろうということらしい。

てっきり、溶融塩炉を日本に売り込みたいアメリカベンチャー企業のプレゼンか、あるいはそれを導入したいと考える利権議員の、太鼓持ち集会なのかなと想像していたのだが、少なくとも表面上は、そんな雰囲気は全くなかった。文科省の役人の挨拶、なんだかダラダラとしゃべりそうになると、幹事の自民党議員が「そんな余計な話はいらん、時間の無駄だ!」と一括して本題へ向かう。議員を含め、参加者たちはきっちりメモを取っている。
「2030年時点でのベース電源ということを考えているが、このシステムはそれに間に合うのか。それまでに世論を説得しえるほどの高い安全性を確立できるのか、その保障があるとは思えない」
そんな厳しい質問が、自民党の議員から次々と出てくる。「頑張ってください」みたいな、にやついた発言は一切ない。

正直、この緊張感のある部会に、少し驚いた。野党は、よっぽど褌を締めてかからなければ、この長年与党の座に君臨してきた自民党には、とても勝てないだろうとさえ思った。

帰り際、国会議事堂前には社会科見学なのだろうか、大型バスでやってきた小学生たちが行儀よく並んでいた。
小学生たち

なんとしても原発対話の会は続けていかなければならないと、僕は思っていた。

tag: 木下幹康  溶融塩炉 

トリウム溶融塩炉の話

tag: 読経会  木下幹康  溶融塩炉 

長瀨隆「トリウム原子炉革命」


以下『トリウム原子炉革命』より抜粋・要約
※順次追加していきます。
「(米ソ冷戦の時代)軍と軍需産業が多大の発言力を行使してきた。すなわち核弾頭の製造に多量のプルトニウムが必要だったので、商業用原子炉の製造にあたって、天然ウラン(を燃料とする原子炉)が選ばれ、プルトニウムを極めて微量にしか産せず安全なトリウム(原子炉)が忌避された」

「トリウム熔融塩炉の開発研究は、その実験炉段階での未曾有の成功にもかかわらず、既得権益を獲得していた政産軍複合体の圧力により、陰謀的に予算を停止され、挫折せしめられた」

「1979年にスリーマイル島原発で事故が発生し、この結果米国では原発の新設が停止になったのに対し、日本ではラッシュ状態になり、ついに2011年の3.11を迎えたわけである。トリウム溶融塩炉が採用されていたならば、起こらなかった事故であった」

「(日本でも)1981年、トリウム・エネルギー学術委員会が発足する。これに呼応して会員108名の自民党トリウム利用推進議員懇話会が発足する。経団連会長の土光敏夫も動く。しかしこれらすべては中曽根政権によって潰された。米国の産軍複合体と同じように、中曽根はプルトニウムをもたらさないトリウムを嫌ったのである」

「原子力ムラ=体制は多少は変化してきていて、2013年5月、吉岡律夫と木下幹康が原子力委員会に呼ばれて報告し、それが資料として採用された。しかし安倍内閣のもとで『もんじゅ』の続行は決定され、トリウム熔融塩炉が採用される可能性は無い」

「(対立する反・脱原発と推進・擁護の双方とも原発をウランを燃料とする原発だと)それ以外にはないと認識していることにおいて一致共通している」

「(日本で早くからトリウム熔融塩炉に強い関心をもち、生涯一筋に研究し、福島原発事故の年に84歳で亡くなった理学博士古川和男は、反原発派が)ウラン原発を否定することには賛成するが、エネルギー問題の解決を再生可能な自然エネルギー(だけ)に求めたり、ライフスタイルの転換(節約)に求めることには同意しないのである。(中略)したがって古川和男の理想の実現のためには、これら反・脱派の『改宗』もまた望まれ、差し当たって対話を目指し、『プルトニウム消滅!―脱原発の新思考』の著者である森中定治は(中略)シンポジウム(※僕が参加した2014年4月12日の催し)を主催、反・脱派の論客小出裕章を招いた」
「小出は『トリウムに夢をかけようとする人もいるがそれも誤りである』と述べ、一切の核分裂によるエネルギー取得に反対した」
※著者の長瀨隆氏は、続けて「不勉強も甚だしい」と言うのだが、どこがどう不勉強なのか、残念ながらきちんと説明されていないと僕には思える。

tag: 泉龍寺  木下幹康  溶融塩炉  311 

痛風第二波、瀬島龍三の話をしてしまえばいい

痛風第一波から14か月。


痛風でも、ここでやるイベントを中止にはできない。

告知記事はこちら…
 ⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-4582.html



仕方がない。そのうち、僕が瀬島龍三のことを話そう。
失うものがないので、怖いものはない。

tag: 小野寺通  木下幹康  溶融塩炉  痛風 

4日から5日の狭間で呟く

tag: 泉龍寺  木下幹康  溶融塩炉