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芸能祭は僕の柄ではない

前の記事から続く

芸能祭に間に合うように来たというワケではない。
懐かしい人に会った。宮城文子さん。
三人で…
俺はいいよ…
宮城文子さんと

踊り?
沖縄に帰ったらやめてしまったと。

ありがちなはなしだ、と思った。

「義母の介護も大変なんだけれど」
義母とは、宮城巳知子さんのこと。胸がチクッとした。
※後年知ったのだが、この時はもう己知子さんはお亡くなりになっていたはずなのだが…

新しい琉球新報ホール。
新しい琉球新報ホール
やはり手すりから向こうの半分は、客席が引っ込むようになっている。コンクールの時には、前の席を格納して平土間にし、そこに長机をならべて審査員の先生方が座り、お客さんは後ろ半分のアリーナのようになった席で、息を殺して受験する人たちのパフォーマンスを見守るのである。拍手、声援厳禁の芸能コンクール。

でも今日はコンクールではない。芸能祭というのは、コンクールで受賞した人たちのお披露目公演である。

しかし、こんな僕だって10年も琉球舞踊を見てくれば、好むと好まざるとに関わらず、どうしたって多少は目が肥えてくる。でも意見を顔見知りの生徒さんたちに直接言うことはない。時々先生の宇夫方女史に伝える。そうすると、折を見て稽古の時に彼女がどうにかするのだろう。そこはきっとそれでいい。それがいい。

芸能祭集合写真
この集合写真について、何も語れないボク。
やっぱりさ、この記事は僕が書くべきではないのだよ、うぶかたさん。

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tag: 沖縄の呑食処.那覇ステーキ泉崎店  沖縄芸能コンクール  沖縄の旅_2018年11月  宮城巳知子  宮城文子  生徒が踊る  琉球新報ホール  鈴木里美  炭屋由美子 

沖縄から手抜きのメッセージ

沖縄の宇夫方女史からコメント付きの画像がちょこちょこ届く。
それが本日みっつ。

要するに、コメントも適当に膨らまして投稿しておいておくんなさいなってことらしい。
てやんでい、こっちだってヒマじゃねえんだ。

えい、そうときたら、その手抜きのコメントはそのまんま、三つ纏めて投稿しちまうことにした。

羽田の端っこ 里美さん ツリー

「沖縄~。沖縄の人たち半袖~」
「明日はここで踊るんだ❣️と里美さんです。」
「パレットの前はクリスマス」

※ここでの「ここ」とは、新しい琉球新報ホールです。

tag: 沖縄の旅_2018年11月  琉球新報ホール  鈴木里美 

あいちゃんが沖縄で踊ります!

色々考えて、M.A.P.の琉球舞踊教室は、沖縄で開催されるこどもたちの舞踊大会に出演することにしました。といっても、あいちゃんひとりですが、玉城流喜納の会の、本場沖縄のこどもたちと一緒に鳩間節を踊ります。

普通ならビビっちゃう。でもあいちゃんは「行く!出る!」って。すごいなあ!!

第51回こども舞踊大会
日付 : 7月25日 (土)
会場 : 泉崎 琉球新報ホール
時間 : 18:00開演


【チケット】
前売り券 : 大人 1,500円 中学生以下 700円
当日券 : 大人 1,800円 中学生以下 1,000円

出番は何番目なのか、詳細が分かり次第お知らせしますが、でもねえ、遠いですもんねえ。でもその時期、夏休みとかで沖縄へ行かれる方がいらっしゃいましたなら、是非見てください。絶対に楽しいし、きっと感動するに違いありませんから。

お問い合わせ先:琉球新報社読者事務局
TEL : 098(865)5255

M.A.P.にも割当チケットが何枚かあります。

《7月24日に追記》
すでに大会は始まっています。7月21日の模様がすでにyouTubeにアップされていました。もしかして、地謡さんも子供達の生演奏? ちょっと台風が心配ですが、色々またご報告しますね。お楽しみに!

tag: 琉球新報ホール 

第46回琉球古典芸能コンクール

《8月6日(土)-2》

第46回琉球古典芸能コンクール。

後日書きますが……
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【この日久しぶりに呟いた3連発……】
16:23~54

琉球新報ホールで舞踊コンクールを見ています。新人賞の女踊り。一切拍手禁止、妙な緊張感。

今FM局からのお迎えを待っています。本日6時から糸満のFMタマンの生放送に出演。打ち合わせ無しのぶっつけ本番です。

生放送の後、那覇で2時くらいまで飲んで、深夜4時発のスカイマークで東京へ戻ります。沖縄の皆さま、大変お世話になりました。又来ます。



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tag: 沖縄芸能コンクール  沖縄の旅_2011年8月  琉球新報ホール 

「風評被害」と言う前に【家元の伊波正江先生が初登場!】

宇夫方女史は朝6時20分羽田発のスカイマークで沖縄へ。6月4日の公演に向けて、色々とやっておかなければならないことがあるらしい。

東日本大震災から66日目……
【この日呟いたこと】
11:25
風評被害風評被害って、だんだん腹が立ってきた。俺は気にせず食ってるさ、だけど、「風評被害」だって言うのなら、ちゃんと線量表示するくらいの努力をしたらどうだ。そうすれば、大丈夫というレベルの汚染なら、僕は敢えて被災地のものを選んで買って食べる。


宇夫方からメールが届いた……

【沖縄からの報告】

まずは琉球新報ホールへ行きました。
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琉球新報ホールでチャリティー公演が開催されていて、喜納の会も「繁昌節」で参加するのです。6月4日の公演に出演してくれる予定の伊波妙さん、長田えり子さん、比嘉道子さん、大城美恵子さん、神谷美枝子さんも踊ります。

午後のリハーサルが終わると急いで着物を着替えて、天久にある新報の本社に向かいました。6月の公演の記事を書いていただくお願いをするためです。一緒に行ってくださったのは家元の伊波正江先生、喜琉の会の中村志津子先生、そして関りえ子先生です。沖縄の文化や琉球舞踊への思い、それから生まれ故郷の岩手への思いなど、色々と話しを聞いてくださいました。

ロビーにて記念撮影。
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和服の方は、左から中村志津子先生、関りえ子先生、そして伊波正江先生です。そういえば、家元はお顔、満を持しての初登場ですね。お洋服の方は、偶然お会いした歌手の方で、10年位前までは東京で活動していらしたそうですが、今は沖縄に帰っていらして、関先生と「まあ、お久しぶり~」と挨拶をされていました。

夜はチャリティー公演の本番です。私は楽屋のお手伝いをしました。
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これから、新城亘先生と会います。関りえ子先生の同級生がやっている「ぶろーくん」というお店に行きます。今度の東京での公演の創作舞踊で使う音について御相談するつもりです。亘先生も明日のチャリティー公演にご出演するので、そんなに遅くはならない予定です。
明日、関りえ子先生の同級生が勤めているサン印刷さんに行って、公演プログラムの打合せをしてから東京に戻ります。

では、行ってきます。
(宇夫方路)

「お久しぶり~」の歌手の方のお名前が知りたい。相変わらず、間抜けた報告だ……
(高山正樹)

tag: 琉球新報ホール 

いよいよコンクール【かたかしら】

いよいよコンクール受験の当日です。
今日は朝から琉球新報ホールに入って化粧を始めます。下地だけ私が塗ってあげて(というか、勉強のために塗らせて頂いたという方が正しいかもしれません)、後は会主の先生方にお任せします。
新人賞の女踊りの課題曲は「かせかけ」と「天川」の2曲です。そのどちらかを選ぶのですが、ほとんどの人が「かせかけ」を選びます。
「天川」は何の道具も持たない手踊りなので、新人には難しいからのようです。

今日3日は、26人が新人賞を受けているのですが、まず女踊りを26人一通り終わると、今度は男踊りです。こちらの課題曲は「上り口説」一曲です。
男の頭は「かたかしら」という結い方をします。
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楽屋から舞台ソデに行く途中にチラシが貼ってありました。
「沖縄は訴える」緊急発行だって。
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これ、「内地」で買えるのは私たちM.A.P.のサイトのみです。たぶん。
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男踊りを終えると、すぐに撤収です。そして、明日の受験生のための稽古と準備です。

私は明日からお芝居の稽古です。それに仕事も溜まっているし。だからコンクールのお手伝いは今日まで。明日はお任せして、私はこれからちょっと仮眠をして、朝4時に那覇を発つ飛行機で東京へ帰ります。羽田に6時半ごろ着くので、朝から事務所で仕事が出来るのです。いいような、悪いような……
(宇夫方路)

tag: 琉球新報ホール  「沖縄は訴える」  天川  かせかけ  沖縄芸能コンクール  上り口説  沖縄の旅_2010年8月 

沖縄芸能フェスティバル2009

九段会館大ホールで「沖縄芸能フェスティバル2009」が開催され、関りえ子琉球舞踊研究所も出演しました。

昼の部は13時開演。「浜うりてぃ語ら」と「エイサー」を踊り、「浜うり」にはM.A.P.カルチャーのメンバーも参加しました。
みんなの着物の色が白と黄色の2種類だったので、リハーサルで前列と後列を色で分けることにしました。そのため、まだ慣れてないメンバーが前列に入ることになってしまい、その緊張と、地謡に慣れていないせいもあって、ちょっと踊りが乱れてしまいました。一応順番どおりには踊ってはいたのですが、上手と下手で音のとり方が違ってしまったのです。真ん中の人は大変。ちょっと残念でした。
でも踊りの後半は、なんとか盛り返して、最後のポーズでは拍手を頂きました。とても暖かいお客様に感謝いっぱいでした。

昼の部が終って、國吉さんが見に来てくださっていたので、今回の私たちの踊りの地謡をお願いした仲宗根善久先生の楽屋へ、二人でご挨拶に伺いました。何故國吉さんと御一緒したのかは内緒、いまのところミステリーです。
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左の方が、野村琉古典音楽保存会の師範、仲宗根善久先生でいらっしゃいます。
写真を撮ってくださったのは、やっぱり今日の昼の部を見にきてくださった五味さんです。いつもいつも撮影をお願いしているので、五味さんが写ることはあんまりありません。いつもありがとうございます。

夜の部は、昼とは出し物が違います。「エイサー」は同じですが、もう一つは「繁昌節」を踊りました。みんな稽古の時よりも良かった。客席からも手拍子があがって、それに乗って踊れたみたい。

終演後の九段会館ホール玄関口。
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帰りに、昼の部で踊った「浜うり」を来年もう一回踊りたいという意見がありました。このまま終わらせては悔しいというのです。そういう気持ちが大切。是非やりましょう!リベンジです。

今日の舞台を見てくださったお客様へ。もしこの記事をお読みくださった方がいらっしゃいましたら、是非率直な感想をコメントでお寄せください。それを糧に、来年も頑張ります!
(宇夫方路でした)




宮城文子さんは、いよいよ今月の16日、沖縄へ引きあげます。今日がみんなと踊る最後の舞台、「繁昌節」で花を飾ることができました。良かった。
(うぶかた)


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沖縄タイムス系、琉球新報系、また野村流系、安冨祖流系、それが一同に会しての公演でした。流派が違うと地謡も若干違う、それが踊りが乱れた原因? いえいえあくまで未熟の所為です。

(2009年10月11日、沖縄タイムスの特集記事「至宝の舞 次世代へ」より)
1954年。沖縄タイムスが主催する「第1回新人芸能祭ベストテン」(後の琉球古典芸能コンクールの前身)が開催されます。この時ベストテンに選ばれたのが真境名由苗と由乃の姉妹、喜納幸子、根路銘房子、嘉手苅静子、屋嘉澄子、比嘉ヨシ、仲里澄子、饒波ゆう子、亀川美年子の10人。
それが1965年に中断されるのですが、その理由は、一部の関係者が出演料を要求したことにあったらしい。それから2年後の67年に、第1回の芸能コンクールとして再開されるのですが、その間に琉球新報ホールが完成し、琉球新報主催の芸能コンクール祭が66年に開かれ、その時一部の芸能家がそちらへ移動して、以来「タイムス系」「新報系」の二大派閥ができたといいます。
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ちなみに、高山正樹の義理の妹は、どちらの派閥にも属さないところで琉球舞踊を習っていたといいます。今でも、その頃から続いている孤高の教室というのもあるのでしょうか。
(高山正樹)

tag: 宇夫方路踊る  琉球新報ホール  琉球舞踊  沖縄芸能コンクール  五味正伸  國吉眞正  仲宗根善久  MAP琉球舞踊教室 

【沖縄事後報告】21日“華の松竹梅”公演

※この記事は、23日に金城君の報告をアップしました。宇夫方女史は、それに乗っかってコメントしただけです。

2月21日(土)

【沖縄通信 No.1】(担当:金城)
宇夫方さんの踊りの発表会に初めて行って来ました。
「華の松竹梅」看板

場所は琉球新報ホール。
琉球新報ホールの緞帳

はっきりとは覚えていないんですが、前にこの場所へ来たのは確か30数年前?
当時、組踊を習っていた母方の伯父と私の姉二人の発表会のとき。あの頃のおぼろげな印象では、大きなホールだなと思ってたんですが、今となっては随分と狭いというか、こじんまりとしたホールです。

楽屋の前にて。上原克代さんと宇夫方さんです。
上原克代さんと宇夫方路さん

3日連続公演の2日目。この日だけで18の演目が演じられるプログラム。最高賞を受賞した人数の多さから、その歴史と人材の厚みを感じさせます。
連続してこれだけの演目を鑑賞するのは私にとって初めてのコトでした。「芸能」と「工芸」の密接なつながりと琉球王朝時代がこの場所の文化の最盛期だったコトを再確認した気がしました。今後はもう少し、琉舞や組踊の鑑賞の機会を増やしていきたいものです。
(金城史彦)

【宇夫方本人からの報告】
上原克代さんは亡くなったの喜納初子大先生(つまり私の先生の先生)のお弟子さんです。去年わたしが教師の免許を頂いたとき、上原さんは師範になられました。今回の公演では「浜下りてぃ語ら」で相手役をやらせていただきました。ありがとうございました。
(ちなみに、今回の公演は最高賞以上の方々が一堂に会して行われています。日舞の場合は「名取」と「教師名取」という二段階で、特にそれを取得するためのルールがあるわけではありませんが、琉球舞踊は新聞社のコンクールに参加して「新人賞」「優秀賞」「最高賞」を順番に受賞することが必要で、さらにそれから先、その実績に応じて「教師」「師範」「会主」と段階を踏んで上がっていくのです。)
上原克代さん、「ブログデビュー、たのしみー」
今後はどんどん出てくださいね。6月の公演の時もよろしくお願いしまーす。

公演が終わってから、会場近くのおでんやさんへ。
沖縄のおでんにはやっぱり「てびち」が入ってなきゃね。
沖縄のおでん てびち
明日のてびちが既にスタンバイ。(宇夫方路)

【東京のコメント】
「松竹梅」って、確かにおめでたいことを三つ並べているわけですが、こっちの感覚だと特上・上・並って感じなんですよね。今日は二日目でしょう、ということは……
沖縄にはそういう文化、ないのかなあ。
(元は中国の「歳寒三友」が伝わったもの。単なる符牒、つまり言ってみれば順番を表すだけで、うまいまずいの順位はありませんでした。特上・上・並じゃお客様に申し訳ねえってんで、江戸の蕎麦屋あたりが、松竹梅を使ったとか使わねえとか。とすりゃあ、“華の松竹梅”は、本来の正しい使い方ってことですな。まあ、異論も色々とあるようですが。)
(高山正樹)
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